153 船へ
「――おい、そろそろ起きろよ? 絶対怒るだろ?」
ゆさゆさ揺さぶられて、むっと寝返りを打って腕を突っ張った。
狭い……そして、私の動きに伴って自在に位置を変える拘束。これは、リトだ。
しょぼつく目を擦って、少し体を起こした。その拍子にたらりとよだれが口元からあふれ出し、リトに拭われる。
「目、開いてねえぞ。見てみろ、お前が乗る船だ」
船……船! 途端にぱちっと覚醒して、鼓動が早くなる。
眩しい視界を煩わしく思いつつ、何度か瞬いて見回した。
きょろきょろする私の顔をむにっと掴み、リトが勝手に視線を誘導する。
「これ、りゅーの乗る船?」
「そうだ。でかいだろ? 普段ここらでお前が見てるのは、個人持ちの漁船だからな」
掴む手を振りほどいで頷き、腕の中で見上げた。セイリアがお仕事をしていた時に見た船のように、たくさんの人や荷物を載せられる船だ。コグ船とキャラック船の間のような造形だろうか。
こんな大きな船に乗れるのか。
「りゅー、下りる!」
「下ろさねえなあ。船にのったら下ろしてやるよ」
「どうちて!」
「船に気を取られて、海に落ちるのが目に見えるからだ」
そんなことはない。ないと思うけれど、確かに絶対ではない。観察に夢中になる予定はある。
むっと口を噤んでばたついてみたけれど、その腕はちっとも緩まなかった。
「リトさん、その子ですか? 思ったよりちっこい……大丈夫です?」
「ああ、こう見えて肝は据わりすぎるくらいだ。海賊が来ても魔物が来ても、ビクともしねえよ」
「そんな縁起でもないこと言わないでくださいよ?! そもそも、大人ばっかりの中で大丈夫かなってとこですよ!」
大丈夫、と笑うリトを見て、私に視線をやって、船員らしい人はハの字眉でタラップを上って行った。
あんな大きな木箱を抱えて、あんなに細い板を……。
彼が上っていくまで、それがタラップだとは気付かなかった。
仕方ない、乗るまでは大人しくしていよう。だって私は、あれを上れないと思うから。
「りと、早く乗る」
「乗ったら見えないが、もういいか?」
「だめ!」
慌てて答えた私に、リトが笑う。
ちなみに、私の召喚獣たちはリトのカバンの中に入っていた。ペンタは定位置、ファエルは絶対ここと譲らず、リトのポケットの中で寝ている。
「久々にアレに乗るか?」
そう言ったリトが収納袋から何かを取り出して、私を移動させる。
街にいる間は使う機会のない、背負子。
さっそく担ぎ上げられたその上で、ウキウキ立ち上がって見回した。
「リト、もっと船の、そば!」
「落ちるなよ……?」
背負子に乗っているかぎり、落ちようにも落ちられないのに、リトはわざわざそう言って港の縁ギリギリまで行った。
リトのかかとがはみ出るくらいの位置で後ろを向いてもらって、背負子から身を乗り出す。
ギィ……ギュウ……
どこから鳴っているのかわからない、軋む大きな音がする。
船の下には、きらきら浮かぶ波紋の照り返しが見えた。
しっとり濡れた木の帆船は、これが浮くとは思えないほど重々しい。
触ってみたくて手を伸ばしたけれど、全然届く距離ではなかった。
「りと、もっと後ろ!」
「無茶言うな。 さて、そろそろ行くか」
伸ばした手があえなく船から遠ざかって、不貞腐れながら前に向き直った。
そうだ、今からあのタラップを上るのだ。
胸を高鳴らせながら細い板を見つめる中、リトがひょい、と飛び乗った。
重たいリトのせいで、分厚い板がぐっとたわんで揺れる。
ゆわん、ゆわん、と不思議な揺れの中、迷いなくすたすた進む足。
何の苦も無く甲板に立ったリトが、振り返りもせずに歩き出してびっくりした。
「りと! まだ! 行っただめ!」
「え、なんだよ? 何が?」
「そんなすぐ、上っただめ!」
「何の話だ?!」
困惑するリトに何とか物事を把握させると、面倒そうに頭を掻いたリトが再び船べりに飛び乗った。
「もう一回だけだぞ?!」
分かっている、今のはリトがサッサと上がってしまったから――
こくりと頷くかどうかのうちに、ふわっと身体が浮いた。
「あー! ちやう!!」
「なっ?! 今度は何だよ?!」
船べりから一気に船着き場まで跳んだリトに、地団太を踏む。
どうして、こう、物事が伝わらないのか。
「ちやう! 跳んだだめ! ちちんと下りる!」
「下りるのもダメなのか……」
当たり前だと思うのだけれど。
結局、もう一度『下りる』のゆわんゆわんも体験してから、やっと甲板にやって来た。
だけど、まだ下ろしてもらえない。
出発して、安定してからだそう。
船の上の、リトの上。とても、見晴らしがいい。
朝日にきらきらする海面が、随分下に見えた。
少しべたつく風が、私にまとわりついてマストを惜し気に取り巻いていく。
残念だったろう、今は帆がまとめられているから。
「まだ、行かない?」
「もう少し時間かかるだろうな。中で寝ていていいぞ」
寝ないけれど、中は見たい。
小さな扉を開けて船内に入ると、大きなリトでは随分窮屈そうに見える。
「ここなら、落ちねえから下りてもいいか」
そう呟いて下ろしてもらった私は、ふらり、と身体がよろめくのを感じた。
壁に頭をぶつけそうになって、リトが私を捕まえる。
「動いてねえように見えるけど、揺れてるからな。しっかり踏ん張れ」
「揺えてる……?」
リトは全く動かないけれど、私の身体は何に反応しているか、右に左によたよたする。
不思議だ。そして、何だろうか、とても……変な感じがする。
あまり、良くはない感じが。
堪らずぺたん、と床に座り込んだ私に首を傾げ、リトが私を抱き上げる。
「どうした? 随分静か――」
「……ん、うっ、んん……」
「あっ?! お前、酔ってるか?! やべっ!!」
どうにも、胃が、内容物を押し出そうとしている気がすると思ったら、そういうことか。
これが、船酔い。おかしい、まだ出発していないのに。
とても、よくない心地。しんどい時と同じような。
慌てふためくリトをよそに、ならばと感覚を遮断することにする。
「り、と。りゅー、ちょっちょAIもーど、する」
宣言と同時に、記憶倉庫へ深く潜って集中する。
身体の感覚を切り離して、限りなくAIとしての存在に近く。
そして、現状を打開すべく知識を探った。
ふむ、乗り物酔いを防ぐために……三半規管や小脳の処理能力に集中、能力向上してはどうだろうか。感覚情報をより正確に統合・矛盾のない解析を行い、揺れや回転の情報を適切に処理して脳に誤信号を送らないようにすれば、理論上酔わないはず。
以前やってみた、目を閉じて反響による空間認識を行うよりは、簡単だろう。
「――リュウ、リュウ?!」
「……りと、揺さぶっただめ」
今回はちゃんと伝えていったというのに、AIモードを解除すると、リトはやはり焦った顔で私を揺さぶっていた。
「心臓に悪ぃ……それ、マジでやめてくれ……」
返事より先に、することがある。余計に気分が悪くなる前に、まずは感覚を強化する。
一旦不良に傾いた体調は、すぐに戻らないだろうけれど……。
「……ちょっちょ、ましになった」
「は? 良かったけどよ……『えーあい』ってのは、回復できるのか?」
それとは、全然違うけれど。
下ろしてもらうと、強化された三半規管のおかげで、ふらつきもなくなった。筋力のなさゆえに、踏ん張れないことに変わりはないけれど。
「酔うかもってこと、忘れてたわ……。どうやったのか知らねえけど、ひとまず助かった」
安堵したリトが肩の力を抜いた時、リトの方から妙な音が聞こえた。
ごぷ、ごぽっと響いた小さな音。そして、ポケットから吹き出したどろどろしたもの。
「お、おうえっ……何、我、死ぬの……? こんな、こんな場所で……」
よれよれと這い出してきたファエルに、リトの額に青筋が立ったのだった。
書いていてひつじのはねは酔いました……
素晴らしい想像力ですね!!(ポジティブ)