149 怖いこと
「ぱん、お粥はあちゅい。ふうふうして食べる」
真剣な顔をして説明すると、パンも真剣な顔でじっと私を見る。
その口元からは、よだれが垂れているけれど。
「犬はふうふうできねえよ」
リトが丁寧に粥を吹き冷ますと、スプーン一杯分、空の皿に分けてやった。
むっとした私は、椅子をリトの隣に持って行くと、パンをそちらへ押しやった。
代わりに私が膝に乗る。
「なんだよ、パンが食えないぞ」
「ぱんは、椅子で食べる」
分けられた皿を椅子に置いてやると、あっと言う間に舐めとったパンが、目を輝かせてお代わりを要求している。
「おー食うな。普通の犬でも大概食うもんな」
再び粥をふうふうして差し出されるスプーンを、くいっと引き寄せて口へ入れた。
「おいこら、お前は自分のがあるだろ。こっちはパンにやれよ」
「じゃあ、りゅーのパンにあげる」
「なんでだよ……。まあいい、寄越せ、冷ましてやらねえと」
「りとが、ふうふうしただめ」
私の粥は、もうほとんど冷めている。一応ふうふうして、いくらか皿に追加してやった。残りは、キンタロたちが食べなければ、パンにあげよう。
リトは頬杖などついて、パンが夢中になって食べるのを面白そうに見つめている。
少し、服の裾を引いた。
「これ、りゅーの」
「おう、食え」
目の前にある器を指すと、リトがそう言って頷いた。
への字だった唇をますますひん曲げて、もう一度強くリトを引っ張る。
「なんだ? なんで怒ってんだ」
「りとが、悪い!」
「だから、何がだよ……」
弱ったリトが、おざなりに私の頭を撫でた。
「お子ちゃまはメンドクサイものよな。過保護者よ、ちゃっちゃとふうふうして食わせてやるがよい」
「は? なんでだよ、リュウはもう自分でできるよな?」
訝し気な顔で私をのぞき込んだリトが、むっすり一文字に結んだ私の口元を見て、思い直したように器を手に取った。
「ほら、リュウ食え」
ふうふう冷まして差し出されたスプーンを、ぱくりと咥える。
にま、と頬が緩むのが分かった。
「よくカミカミして食えよ」
最近聞くことのなくなった、そのセリフ。
こくりと頷いた私を、リトが片腕で抱え込んだ。
赤ん坊にやるように、大事に抱えて、ひとさじひとさじ、口元へ運ぶ。
「なんなんだ、ちょっと前は自分で食うっつって怒ったくせに……」
笑ったリトが、指で私の口元を拭った。
それは、『ちょっと前』じゃない。だいぶ前だ。
「りゅーは、自分で食べらえるけど、リトがしてもいい」
「どういう理屈だ」
とにかく、リトがふうふうして食べさせるのは、私。それをしたいなら、私にすればいいのだ。
パンもキンタロもガルーもペンタも、ファエルもラザクもダメだ。
私は、ちゃんとわきまえているから、こうしてリトに合わせてあげられる。
「なんか、こうしてみると……ちょっとでかくなったか? 気のせいか?」
目を細めたリトが、ちゅ、とおでこに唇を当てた。そう言えば、これも最近あまりしない。
私は半年で身長は3センチ以上、体重など1㎏は増えているだろう。ちょっとどころでなく、大きくなっている。特に、孤児院にいた頃に止まっていただろう分の成長が、ぐっと追い上げているのを感じる。どうして分からないのか。
「りゅー、だいぶ大きくなった」
「そうか。そうだな……だいぶできることも増えたもんな」
「お金、稼いだ」
「ああ……それは、なんつうかちょっと……早えと思うけどな」
リトが、少し苦し気に笑って私を抱きしめる。
ぴったり腕の中に閉じ込めて、大きく大きく息を吐いた。
「ゆっくりで、いいんだけどな。この調子じゃ、10年どころか5年か」
「りゅー、早く大きくなりたい」
「そうだな、そうだよな」
顔を上げた私は、じっとリトを見上げた。
笑って私を撫でるリトの顔が、何かを諦めたように見えて。
その銀色の瞳が、鈍色に沈んでいるように見えて。
それは、あの時のよう。
「りとは、しゅぐお料理を焦がすから、ちちんと取り出ちた方がいい」
伸びあがってリトの頭を撫でると、リトは大きく目を見開いて息を止めた。
そして、吐き出す息とともに少しだけ笑う。
「……だから、聡いんだよお前は。恥ずかしいだろ、もう何周も大人やってんのに、情けねえ」
耳元に寄せた唇から、小さな小さな声が零れていく。
そう、ちゃんと取り出したらいい。恥ずかしくない、だって聞いているのは私だから。
「……怖ぇえんだよ、俺は」
「りゅーが、大きくなるから?」
「そうだな、大きくなって――……ほら、独り立ちするだろ」
くす、と笑うと、リトが『笑うな』と頬をぐりっとすり寄せた。
「じゅいぶん、先の心配」
「先じゃねえよ、早かったら5年だ。けど、いいことなんだからな? 巣立っていくのは。だから、嫌って言ってんじゃねえんだ。その方が、俺も安心する」
「大丈夫。りゅー、大きくなってもリトといる」
よしよし、と撫でれば、不貞腐れた顔で私の頬をつまんだ。
「……まあ、いいさ。どうしようもねえし。今は、お前がそう言うなら」
リトは、さっきまでの揺らめく表情を消して、私を抱き上げた。
私も、その首にしっかり腕を回して、耳元へ唇を寄せる。
「大丈夫、りゅーはそばにいるし、ちゅよくなって、りとの『光る木』解決したげる。大丈夫」
身体を強張らせたかわいそうなリトを撫で、何度も大丈夫だと伝える。
「りゅー、まだ4歳。大丈夫、いなくなるまで、時間ある」
「――ッ、気付いてんじゃ、ねえよ……! 馬鹿、本当に俺が、情けねえだろ……」
ぎゅうう、と締まった腕が痛い。
リトは、本当に焦がすことばっかり上手くて、料理が下手だ。
だから、私が代わりに頃合いを見てあげられるようにしよう。リトが焦がす前に、私が取り上げてしまえばいいのだ。
だから、やっぱり側にいなくては。
笑うに笑えない息苦しさの中、そう決意を新たにした。
その時、ふいに聞こえた声にリトの腕が緩んだ。すかさず大きく深呼吸して、肺を膨らませておく。
「……何なの、我、ひとり蚊帳の外ってワケ? 二人して内緒話なんかしちゃってさ、感じわるぅい!」
そう言えば、ファエルもいるんだった。仏頂面で食事を頬張りながら、こちらにじっとり視線を寄越している。満腹になったパンの方は、イイコで寝ていた。
「りゅーと、りとの、とくべちゅ」
「へーえ? ふーーん? 師匠にも言えない事情ってワケぇ? 別にいいですけどぉ?」
全然よくはなさそうな顔のファエルに、リトが意味ありげな視線を向けた。
「言ってもいいが……そうしたら、お前古代語の比じゃねえ爆弾を抱えることになる。けど心配すんな、漏らしそうになったら俺が始末してやる、安心しろ。そうだな、古代語やらルミナスプやら、お前も色々持ってるし秘密のひとつやふたつ追加したって――」
「アッ、我何も知らないですねぇー! 同席の親子がイチャついてただけで、我なーーんも勘付いてないし、気にもなりませんねぇ!!」
途端にファエルは両耳を塞ぎ、断固拒否の体勢をとった。
「ふぁえる、安心。りとがちちんと始末してくれる」
「いやあぁーー!!」
泣きながらポケットに飛び込んだファエルは、その後中々出てこなかったのだった。




