145 召喚獣という生き物
ふわふわむくむくした子犬になった柴犬は、ただ気持ちよさそうに眠っている。目に見えるほどの急激な成長は、一旦止まったろうか。多分、魔力を使い果たしたんだろう。
眠る柴犬にせっせと魔力を注ぎながら、私はひたすら質問攻めにあっていた。
「――召喚獣が変化するなんて、前代未聞だぞ?! そんなこと、あり得るのか?!」
「今、りとも見た」
「そうなんだけどな?! マジ犬で良かった……!!」
頭を抱えるリトが、ぐったりテーブルに突っ伏している。
「召喚って、そんな柔軟性あったわけぇ?! そもそも、これって召喚獣? 召喚獣って寝るのぉ?!」
何度も説明しているのに。
何度も似たようなことを聞かれるから、何度も繰り返し同じように答える。
「召喚獣。魂がある、召喚獣。食べて、寝て、感じて、成長する召喚獣」
「それはもう、生き物なんだよなあ……」
「我、意味が分かんない!」
契約した魂の一部を魔法として行使する、通常の召喚。それよりも、丸ごとの魂でいい。ちょっと言うことを聞かないこともあるかもしれないけれど、それでもいい。
その代わり、きちんと小さなうちから育てるから。
「これ、フツーに生き物に見えるけど、送還できんのか?」
「れきるけど、送還、しない。魔よく、いっぱいちゅかう」
「でもさあ、あの毛無しソーセージみたいな状態で精一杯だったんでしょぉ? またあの状態で召喚するわけ?」
「召喚しっぱなしなんて、聞いたことねえよ。それこそ魔力消費がえげつねえんじゃねえか?」
どっちに答えようか、と考えて、まとめて首を振った。
どっちも、それで足りる。
一番最初にこの世界にデータベースを作る行為が、最初の召喚という名の契約。
通常の召喚は、色々な魔物が私ほどに莫大な魔力なしに召喚できる。それは、元々彼らが生きていた既存データがこの世界にあるから。まさに、既存データを呼び出す、ということ。
そして召喚獣の体は、データを元に世界の魔力で作られた身体――だと考えている。
それは、仮定でしかないけれど。だけどそうでなければ、あの時の『アオ』みたいにふわっと掻き消えたりしないだろう。
私は、ゼロから登録し、データベースを新規作成した。
だから、柴犬がここにこうして存在して、成長すれば、そのメモリが上書きされていく。既存データとなっていく……はず。
契約は、あの時の魔力できちんと成された。最初に使った魔力分こそ、データベース使用料として必要だけれど、大きくなったからといって上乗せはされない……はず。
そして、リトの言った通り、この召喚獣は限りなく『生き物』。だから、召喚さえしてしまえば、魔力消費はほぼない。自分で食べて、寝て、自立して『生きている』から。
「割りと意味わかんねえ……」
「とんでもないってことしか、分かりませんねぇ……」
かなりかみ砕いて説明したのに、二人の反応はいまひとつ。
ああ、そうか。二人には、私と同じ情報科学の知識がない。これを、イチから説明するのは……なかなか骨が折れる。
「いい、いい、説明されても多分分かんねえよ。リュウの中では理屈があるんだろ」
頷いたものの、なんとなく『リト学』みたいな分類に入れられていそうで、不満が残る。私の中では、じゃあないのだけれど。
「でも、実際送還と再召喚してみないことには、分かんないってコトでしょぉ? 弟子ぃ、検証は必要である。実践し結果を検証することでこそ、仮定は事実となっていくのであるからして――」
ファエルの言葉から耳を塞ぐように、柴犬を撫でた。
ふわふわたっぷりした毛並み。
にゃむにゃむ、と動かした口元と、掻くように動いた四肢。
温かい、この身体。
もし、もし……仮定が間違っていたら。
もし、もう二度と戻って来てくれなかったら。
私は、無言で首を振った。
「りゅー、送還しない」
「お前がそれでいいなら、いいんだけどな……? ずっと召喚し続けられるかどうかも、分かんねえだろ?」
それは、そう。だけど。
温かいふわふわパンに、顔を埋める。
ぐぐう、と小さな身体から妙な声が漏れて、四肢が遠慮なく私の顔を蹴った。
起きたかな、と思ったらまだ寝ている。
かわいい。送還は、いや。
検証すべきだと分かっているのに、私の身体は、絶対にそれをさせまいとしている。
ままならない。だけど、送還しない。
「まあ……普通に犬を飼ってると思えば、それでいいけどよ」
「でもさあ過保護者、突如送還されるってなった時の方が、対策も何もされてないわけですしぃ……。情もバッチバチに移ってるでしょうしぃ……」
「まあな。けど、生き物を飼っていたって、そういうことはある。それは、それで――」
リトが、少し声を落として私の頭を撫でた。
「そいつ、本当の生き物みたいなもんなんだろ? しっかり可愛がってやれ」
銀色の瞳が、複雑な色を乗せて少し細くなる。
大きな手を頭に、頬に感じながら、私はしっかり頷いた。
◇
「チョット、しつけもしっかりしなさいよぉ?! 下賤なる犬畜生めが、我によだれを……身の程を知れ! 凡庸なるその身に刻め、アクルマフルス!」
「きゃうっ?!」
「ふぁえる、意地悪しただめ」
突然の魔法に驚いた柴犬が、ころころ転がりながら駆け戻ってくる。
ぴいーぴいーと鳴く声に撫でてやれば、途端に短いしっぽが勢いよく振られた。
「誰が意地悪?! 意地悪されてるのは我ですけどぉ?! 見てよこのよだれでベチャった羽!!」
「あくるまふるす」
柴犬に掛ける前に、自分に魔法をかければいいのに。
綺麗になったファエルが、ぶつぶつ言いながら私の肩に腰かけた。
「ただの犬っころと言えども召喚獣なら、意思の疎通ができるじゃない?! もっときちんと言うこと聞かせなさいよぉ!」
「言うこと、聞いてる。でも、まだ小ちゃいから」
鼻唄に合わせて動く羽に興味を持った瞬間、衝動的にはむっと咥えてしまったらしい。一応、噛んだらダメ、は守れて偉い。
「ああ……弟子と同じってことね……衝動と誘惑に負けるお年頃……。で、犬っころと我を放置して、弟子は日がな一日何をぼーっと座ってるのよ?!」
「ぼーっとちてない。ままえ、考えてる」
ペンタみたいに色々な意味を込めた、立派な名前を……。
そう、思うのだけど。
「犬の名前なんかどうでもいいわ! チビとかアカとかでいいでしょうよ! フィーリングよ、直観よ!」
なるほど……そうなんだろうか。複雑な意味を込めた名前が必要だと思ったのだけど。
でも、ひと目で浮かんだ言葉、それが名前だというのも、頷ける。
それなら……。
口に出してみて、これしかない、と深々頷いた。
フィーリングで決まる名前、やはりそういうものもあるのだ。いかにもしっくりくる。
小さなふわふわをぎゅっと抱きしめると、まだ細いしっぽがびびびびと振られた。
「――ぱん。柴犬、ぱんにする」
「えええ…………あ、あのぉ、ちょっとくらいは考えた方がいいかなぁーなんて、我思ったりぃ」
「いっぱい、考えた」
「そ、そう? 我、ほんのり責任感じちゃったりなんかして……ま、まあ本犬が嬉しそうならいいってことで……」
「ピィ」
ペンタも一緒に考えてくれていたのだろうか。どこか誇らしげに鳴いた声がした。
ふわふわで、おいしいパン。みんな知っていて、みんな好きだ。
甘くて、おいしくて、色々なパンがある。柴犬が、どんなパンになるかまだ分からないから、それはとても相応しい名前に思えた。
いい名前が決まって、喜び勇んで立ち上がった私は、さっそくパンを呼ぶ。
「ぱん、お外行く?」
「きゃうっ!」
きらきらした目が、楽しそうに私を見上げた。
「ええ……大丈夫ぅ? いきなり海に落ちたりしません?」
「お水、あむない。広場のお散歩だけ」
人も馬車も水も危ない。だから、リトがいない時はあの広場に行くだけだ。もう少し大きくなるまで、パンは私が守らなくては。
「おお……案外いいかもねえ。弟子が危険に近寄らなくなる効果が……」
感心したように呟くファエルと、勢い余って私の足にぶつかっては転ぶパンと、定位置のペンタと、私。みんな一緒に宿の外へ向かったのだった。




