141 目的の達成
「……いない」
事務所には、昨日と違う人がいる。
伸びあがって奥の方まで覗いたけれど、やっぱりいない。
「そうか、今日はいねえのかもな。預けて行くか?」
がっかりしながら、首を振った。
だって、預けたら食べられてしまうかもしれない。こんなにおいしそうな飴だもの。
「お外に、いるかも」
「外にはいねえだろうよ。ひとまず本屋へ行くか? 帰りにまた寄りゃあいい」
頷くと、リトが私にフードを被せて、再び雨音の中へ入った。
ばばばば、大きな音がやっぱり面白い。
フードに阻まれた狭い視界の中、きょろきょろしながら通りを歩き始めて、いくらもしない時。
私の視線がぴたりと吸い寄せられた。
「りと、ちゅかまえて。あの人」
「え。昨日の? マジで見つけたのか? 捕まえちゃダメだろよ……どの人だ」
だって、通り過ぎて行ってしまう! リトの腕の中で身を乗り出し、大急ぎで口を開いた。
「身長しゅいてい165、女性、髪は肩までの茶、右頬にほくろ、体重しゅいてい57、瞳はみより、服は下が茶、上が茶と黄、くちゅは黒――」
「待て待て待て」
「――え? え??」
精一杯の早口で特徴を羅列していくと、ぱっと口を塞がれた。
そして、当の本人が困惑を浮かべて振り返ってくれる。
「あっ、ぼく、昨日の……?」
「はあ、合ってたか。良かった」
やれやれと肩を竦め、リトが私に蓋をした手を外した。
私は、間違えたりしない。きちんと記憶している。
「きのうの、あいやとうに来た。こっち、来て」
手を伸ばして呼べば、ちらちらリトを見ながら近くまで来てくれた。
収納の中からフルーツ飴を取り出して差し出すと、職員さんは思った通り、目を丸くして私を見る。
もう一度お礼を言ってお辞儀し、飴を押し付けた。
「わ、綺麗……これ、何? 私にくれるの? こんな高価そうなもの……」
「高価なない。あげる」
職員さんはうっとり飴を眺めた後、困り顔でリトの方を見上げた。
「それは高価ってほどでもねえし、こいつらが作ったモンだから、もらってやってくれ」
「作った?!」
「ああ……コイツと一緒にいたクズが」
「ああ、あの」
それだけできちんと伝わってしまった。ラザクの特徴はなんてわかりやすいのか。
「迷惑かけたんだろ? 悪かったな。あと、召喚の詠唱、ありがとうな? こいつがすげえ喜んで、どうしても礼をするって言ってな」
「そ、そんな……。大したことじゃなかったのに」
「りゅーには、しゅごく大したこと。りゅー、これで召喚れきる」
真剣な顔で頷いてみせると、職員さんが小さく吹き出して笑った。
「そっか。じゃあそれでしっかり練習して、年頃になったら儀礼の間に来てね」
「りゅー、すぐ召喚する。ぎえいの間、ちゅかえない」
「あらあら、残念ね」
くすくす笑う職員さんが私の頭を撫でて、ぷに、と頬をつついた。
そして、私とリトにお礼を言いながら駆けて行ってしまう。
「良かったな、渡せて」
「りゅー、よかった」
「にしても、お前の能力は脅威だわ。自衛になるから、マジで今度手配書見に行くぞ」
「りゅーが、ちゅかまえる?」
「絶対やめろ。あーー余計なこと考えるかもしれねえな……どうするか……」
どうやら、手配書の人物を見たら逃げろということらしい。そんな、もったいない。だって手配書の人物には、大抵懸賞金がかかっている。
魔物よりも弱そうだし、何とかなるのではと思ったのだけど、ふとリトを見て考えを改めた。人類、魔物よりもずっと強い種類がいる。
私に手配書を見せる方が安全か、見せない方が安全か、散々悩むリトの腕に揺られながら雨の中を歩く。
本屋に着いた頃には、雨の音は大分小さくなっていた。
せっかく雨具を着ているのに、もう雨は終わりだろうか。
本屋に入っているうちに終わってしまうのでは、と気が気でなくて、大急ぎでカウンターへ向かった。
「りゅー、来た! 本、本!」
「おお? ホントに来やがったか、結構結構。そんで、何だっけか?」
嬉し気に両手をすり合わせた店員が、後ろを振り返ってうず高く積まれた本を見た。
「『ぜよかや学ぶ、まよく操作しゅてっぷあっぷ』!」
「はあ? なんて言ってんだ」
ちゃんと教えたのに、訝し気な顔をされてムッとする。この人は、ずっとここにいるのに本の名前も覚えていないのか。
「ああ、思い出した、教本だったな」
手を打った店員が、乱雑に本を避けて一冊を取り出した。
そう、それだ。
用意しておいたお金をカウンターに置くと、『値段、覚えてんのか』なんて少し驚いた顔で私を見た。
もしかして幼児は、そのくらいも覚えていないものなのか。
お金を置いて両手を差し出すと、ぽんと本が乗せられた。
どきり、と胸が鳴る。
これは、私の本だ。
乾いた表紙が、少しざらついて、シワが寄って、端の方が禿げて、角は少しまくれあがっている。
誰かが、使っていただろう跡のある、古い本。
だけど、私の本だ。
「踊るな躍るな、危ない」
つい歓喜に弾んだ私が、積みあがった本にぶつかりそうになって、リトに持ち上げられてしまった。
うずうずするのに。
堪らず、リトにぐっと本を押し付けた。
「りと、りゅーの本!」
「そうだな、お前が稼いで、お前が買った、お前の本だ」
「……!!」
本をぎゅうと抱きしめて、深呼吸する。
リトがふっと笑って、私の頬を指で撫でた。
「どんだけキラキラしてんだ。無表情のくせに、そういうのはすげえ駄々洩れだな」
「りゅー、きやきや?」
「眩しいぐらい、な」
だって、私は嬉しい。
本と、リトを力いっぱい抱きしめた。
そうしたら、きっとリトにも私の嬉しさが少しは沁みて行くと思って。
笑ったリトも、嬉しそうにぎゅうと抱きしめ返してくれたから。
だから、ちゃんと伝わったのだと分かって安堵した。
ああ、満足する。
欲しいものがあって、お金を稼いで、手に入れて、嬉しくて、それで。
リトがそれを喜ぶ。
ああ、満足する。
完成した満足に満ち溢れて、私はきっと、寝るまでずっとキラキラしていたのだった。




