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14話 リトの後悔


「――え?! なんでだよ?!」


 リトは、女性の困った顔を呆然と見つめた。


「ダメ、というわけではないのですが……。今の時点で、リュウちゃんは既にリトアスさんに懐いてしまっている様子が見られました。それ自体は悪いことではないのですが」


 なら、なぜ面会しない方がいいと言われるのか。


「ですが、入所後も会ってしまうと、せっかくの区切りが活かされない。リュウちゃんはあなたが保護者だと認識し、自由にここに来られると分かってしまいます。だから、すぐにあなたが迎えに来てくれるはずだと思うでしょう」


 女性の視線に、微かに同情が混じる。


「馴染めなくなるのです、孤児院に……。そして、徐々に足の遠ざかるあなたを、きっと恨むでしょう。半端な希望は、逆効果です」


 女性の瞳は、語っていた。それでも、自分の慰めのために会いに来るのかと。――引き取る気はないのに。

 リトは、視線を落としてひと言、『そうか』と言った。


「どの子もみな()()()()ですから、平等にお世話致しますよ」

「……どうも」


 にっこり微笑んだ女性にそれだけ言って、リトは背を向けた。


 最後にかけてしまった言葉が。

 リュウに『またな』と言ってしまったことが――ただ、ただ悔やまれた。



「――長期依頼ですか? リトさんならどこでも大歓迎されると思いますよ!」


 受付スタッフの声が響いた途端、冒険者ギルド内が耳をそばだてた。


「ある程度の目処が必要でしたら、遠方への護衛とか。目処は魔物次第で難しいですが、リョムヨム山まで同行いただく討伐・採取依頼なんかもありますよ! 長ければ数か月は必要でしょう」

「何でもいいぞ。長い方がいいな」


 リトは、どこか上の空で応答する。


「ところで、ランクを上げられるご予定は……?」

「ないな」


きっぱりとした返答に肩を落とし、受け付けの女性は少々恨めし気な顔をする。


「Aランクに登録していただければ、色々と融通も利かせられるのですが」

「その代わり、俺も融通利かせなきゃいけねえだろ。いーんだよBで。俺の実力はこの程度ってちゃんと自覚してんだよ」

「その自覚はおかしいと思います!!」


リトにとっては、もう何度繰り返したか分からないやり取り。まったくその気がないとありありと分かる様子に、女性はもう一度溜息を吐いて切り替えた。


「ええと、それでしたら今はこちらですが……」


 受付スタッフは意味ありげな笑みを浮かべて、周囲を見回した。


「きっと、明日になればもっと色々集まって来ると思いますよ。だってリトさんが受けてくれるなら、って人が殺到するでしょうから」


 言われて初めて、リトは注目されていることに気付いて苦笑する。


「はは、そりゃ光栄なことで。なら、明日また来るから見繕っていてくれ」


 言い置いてギルドを出たリトは、オレンジに染まっている周囲に気付いて、足早に宿へと戻ったのだった。

 


 徐々に暗くなっていく部屋の天井を眺めながら、リトは唇を歪めて笑った。


(未練たらたらじゃねえか。長期依頼なんて受けずに街を出ればいいものを)


 この街も5年になる。そろそろ離れる時期だろう。だからこそ、リュウは孤児院に入れるしかなかったのだから。

 寝返りを打とうと、隣を確認した自分に気付いて、リトは頭を抱えた。


(数日で! たった数日で存在感ありすぎなんだよ、あのガキ!)


 自分はこうなのに、あいつときたら平気な顔して職員に抱かれて行ってしまった。

 あれだけ図太いのだから、何も心配はいらないだろう。


 あとは、女々しい自分が踏ん切りをつけるだけ。

 なら、久々に酒でも飲もうかと気を取り直し、リトは賑やかさの増す食堂へ下りていった。


「おや男前さん、今日は飲めるのかい?」


 女将がにやりと酒を呷る仕草をしてみせる。


「そんなとこだ。明日は朝から出るから、ほどほどにな」


 さて、と席に着いたところで、身に覚えのない袖の汚れに気が付いた。


「なんだこれ。げ、ここにも! なん――っ」


 リトは、ハッと言葉を飲み込んだ。

 左の袖、胸元、腹、そして肩口。

 べったりとついている油汚れは、身に覚えこそないけれど、心当たりは有りすぎるほどに。

 

 そこは、小さな左手がぐしゃりと鷲づかんでいた場所。

 そこは、所在なさげな右手が添えられていた場所。

 そこは、不満げな顔で撫でた場所。

 そして、そこは汚れた口を拭いたであろう場所。


 腕にかかるささやかな体重が、遠慮無く身体を預ける胸元の圧迫感が、首元をくすぐるアイボリーの髪が。

 幼子の香りが、じっと見上げるミントグリーンの瞳が。


『りと』

「――っ!!」


 たどたどしく、呼ぶ声が。

 鮮やかに浮かんだ全てが、リトを押し潰した。

 テーブルに突っ伏したリトの傍らに、ドンと酒のグラスを置いて女将が去って行く。


「――」


 呟いた声は、氷の崩れる音よりも小さかった。

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