131 ホウレンソウは後日
眠い目をこすりつつ、リトに起こしてもらった私は、宿からほど近い平地にやってきている。
「りと、これ地面に刺ちて」
「何すんだ?」
リトに差し出したのは、テントを押さえるペグ。これなら深々埋まってそうそう抜けたりしないだろう。
「ここ、ここに刺ちて。ここまで刺ちて」
「だから、何でだよ」
ブツブツ言いながら、リトは言われた通り杭の半ばまでぐっと地面に差し込んだ。私がぐいぐい蹴ってみてもびくともしない。
これでよし、と頷いてリトの尻を押した。
「りと、もういい。いってらったい」
「は?! 何なんだ?! お前、俺のことを一体何だと……」
だって、リトがいたら邪魔なのだ。アレはダメ、これはダメというので、先にやってから報告しよう。
いずれにせよ、今日だって何かしらの依頼が入っているようだし、私のことは気にしないでほしい。
向こうへ押しやって手を振ると、肩を落としたリトが『ひでえ……』なんて呟きながらすごすご立ち去っていく。
完全に立ち去ったのを確認して、収納バッグからたくさんの紐を取り出した。
紐の先端は片方が輪になって、もう片方には棒が結ばれている。これは、器用なセイリアの協力のもと作り出した道具だ。
「その紐で何をどうしようってのぉ?」
大あくびしたファエルが、ふぁささっと羽を振って肩から飛び上がった。
しゃがみ込んで全ての輪をペグに通したら、むふりと口元を緩めながら、胸を張った。
「りゅー、魔法陣れんしゅーする!」
「は? ここで?! あのさあ弟子ぃ、魔法陣書くには、専用の陣描き魔道具が必要よ? もしくは、それを備えた『場』か」
きっと、それがリトの言っていた設備なんだろう。だけど、書く練習だけならどこでだってできる。
それに……本当にそれ、必要だろうか。契約書は内容が重要なのであって、紙の質やら大きさに左右されるものではないのでは。
ただ確かに、一定の形式要件は必要であるものもある。
その要件が、魔道具で描かれたものであるとか、専用設備で描かれたものだとかいうのであれば、それは仕方ない。
しかし、契約書であるなら、契約は「完全成立」か「無効」の二択。不完全な契約の発動はありえない。もし、過去に意図と違った召喚の成立があったとすれば、それは誤記や解釈の違いによるものだ。
「ちゅまり、文書が正ちく書けたや、はちゅどうを試ちても問題ない」
「ええ~? そもそも、弟子は発動のための詠唱知らないんじゃ……。詠唱したこともないのに、魔法を使えますかねえ~?」
「詠唱がひちゅよう?」
それなら、もっと早く言ってほしかった。
どこかに書いてあるだろうか……。それか、セリナに会えるまでギルドに毎日通ってみるか。
けれど、セリナが果たして正確に覚えているかが怪しい。
「詠唱、秘匿じこう?」
「んん~我詳しくないけど、多分、そこまでじゃないと予想。だって、召喚師だってそれなりにいるワケでしょ? なりそこなったヤツも。金さえ払えば教えてくれるっしょ。魔法書だって売ってるし」
そうか、なら優先順位は後だ。まず、書けなければ話にならない。
今日のところは、契約書の本文が書かれる中心から広がる同心円のみ。それを描かなければ、周囲の小さい円の位置も決まらない。
セリナの描いた文書を見る限り、文字は結構な大きさだ。リトとファエルに聞いてみても、召喚の魔法陣は多分、寝転がったリトより大きい。
その大きさにする意味があるのかどうか分からないけれど、そのくらいの大きさとしておおよその文字枠を決めたら、文字数を掛けて配置すべき円の円周、半径を計算。それで、私が必要な大きさの円が導き出せる。
私はまず一番短い紐を手に、ピンと張る位置まで引っ張って、棒を地面に刺した。そのまま、ガリガリ地面を削って線を描いていく。
自家製の簡易コンパスを使って、割りと綺麗な円を描けたと思う。
そう、この長短様々な紐は、きちんと魔法陣仕様にしたコンパスだ。あとは、小円を描くためのコンパスも用意できれば、魔法陣の枠線テンプレートは完成する。
ちなみにセリナの描いた円は正円では全くない。だけど、文字の歪み同様、そこは真似する必要がないと思う。
小さい円はともかく、大きい円を綺麗に描くのは、案外難しい。
けれど、こういう繰り返し作業は得意だ。黙々と、黙々と身体に覚え込ませるように、円を描いては消し、描いては消す。
何度も何度も砂を撫で、いつの間にやら全身砂まみれだ。なぜか口の中までじゃりじゃりする。
先に音を上げたファエルは、木陰で昼寝していた。
そういえば、今日はお弁当があるのだ。最近外も出歩くようになった私のために、リトが宿に頼んで持ち歩けるお弁当を作ってもらっていた。
いそいそ取り出そうとして、はたと手を止めた。
この砂まみれの手では、良くないのでは。私の身体は、あまり頑丈ではない。
孤児院にいたとき、落ちていた食べ物を食べ、しっかりお腹を壊した。なぜ犬や鳥にできて私にできないのか、理解に苦しむ。
「ふぁえる、お手々、どうちたらいい?」
「ぐへっ?! ごふっ?! て、敵襲――っ!!」
ぺち、ぺち、と叩くと、ファエルが妙な声を上げてぐったりした。
「ご、ごふ……こ、この馬鹿弟子ぃっ! 体格差っつうか種族差を考えなさいよッ! 我、死ぬよ? ぷちっと潰れて死ぬよ?!」
「めめなさい」
「素直ォ!!」
ひとり大騒ぎするファエルが、コホンと咳払いした。
「で? 我に何を問おうと言うのかね?」
「お手々、汚えた」
「洗えばいいでしょォ!!」
そうだけど。魔法陣をこのまま置いておきたいから、宿に戻るわけにはいかない。
「ごはん、食れべない」
「えええ……我もお腹空いたのに! も~~手、ほらこっち、我に掲げてみせるがよい。『アクルマフルス』!」
ファエルが解読不能の言葉を発した途端、煌めく液体が私の手を流れていった。
「!! しゅごい、魔法……?!」
「恐れ入ったか、ルミナスプたる我の洗浄魔法よ! はーこれだけで疲れる。我、虚弱ぅ~」
流れていったのは水だと思ったのに、どこも濡れていない。不思議、とても不思議だ。
「あくるまふるす!」
丁寧に、同じ発音を意識して言ってみたけれど、何も起こらない。
ファエルが鼻で笑った。
「しゃべるだけで魔法が発動したら大変よ? 弟子は全然ですねえ~欠片も魔力が籠もってないし、ルミナスプの詠唱は意味を正確に把握する必要があるわけ」
「じゃあ、おちえて」
「いいから! 先! 飯を食わせなさいよぉ!!」
そうだった。
木陰にぺたりと尻をつき、収納バッグからお弁当の包みを引っ張り出した。
「こえが、ふぁえるの」
「おおっ! 小さいけど、まあよかろう」
「こえ、ぺんたの」
「ピイッ!」
「こえ、りゅーの」
によによしながら私のお弁当を腿にのせ、包みを解いてフタを開けた。
「お肉と、ぱん」
「うむうむ、シンプル。だけどソレが良い!」
ファエルはむしっとお肉を囓って、パンを頬張った。そうか、そうして食べればサンドイッチと何ら変わりない。
真似してお肉とパンをひと囓り。
……不思議と、サンドイッチと同じとは思えなかったけれど、お肉とパンでしかなかったけれど、それもおいしい。
小さなフルーツは、最後の楽しみにとっておこう。
海からの潮風が梢を揺らし、私のお弁当と足の上にまだらに光を揺らした。
もももも、とすごい勢いでフルーツを食べるペンタが、どうも私の分まで狙っている気がしてならない。
「わ~がつばさぁ、いずれきりと~きゆとぉも~」
機嫌がよくなったファエルが、またルミナスプの歌を歌っている。
「しゆべなきみちのぉー、ひかいのぉー」
「ちょっとぉ、人が機嫌よく歌ってるのに!」
続けて歌に参加すると、文句を言われてしまった。
ゆっくりパンを頬張って梢を見上げ、ちらちら光る木漏れ日を眺める。
きれいだ。
海の表面に踊るキラキラよりも穏やかで、眩しくなくて、不規則なリズムが面白い。
そうして気付けば、私のフルーツはなくなっていたのだった。
もうバレンタイン過ぎたけどチョコボックスのバーチャルチョコ、リュウとリトにもありがとうございました!! Twitter(X)ではお知らせしてたけどコッチにしてなかったのに、案外リュウがもらっていてビックリです! 一応、21時頃を目処に集計始めますね!




