130話 甲乙テンプレ
あれからいくらも経たないうちに寝てしまい、起きたら既に帰りの馬車だった。
内密に行う、という約束をしてしまったことで、人前で古代語について書いたり聞いたりすることができないというのは、とてつもないデメリットだ。
不服を頬に詰め込んだ私は、解決策を模索している。
「りと、りゅーにちやう国の言葉おちえて。そえで、お話ちたらいい」
「俺が知ってる異国の言葉か? めんどくせえわ。それだって、知ってるやつがいないとは限らないだろ? まあ、緊急時の連絡なんかには使える場合もあるな。いくつか候補あげとくから、お前図書館にある分で覚えてこいよ」
「はちゅおんが分かやない」
「それは俺が居るときに聞けばいいだろ?」
私は、こくりと頷いた。
リトは、長く生きているから。だから、『使っていた』レベルの言葉がたくさんある。
中には、今は使われていない言葉だって。
長い髪を風に揺らすリトを、じっと見上げた。
言葉は、『世界』で、『感情』で、『感覚』。
その言葉でしか見られない世界があって、感情と感覚がある。
だから、私は知りたい。リトが知っている言葉を。リトを理解するには、リトの世界を知る必要があるから。
「言語の習得、簡単に言ってくれちゃってますねえ……」
「りゅー、簡単」
ファエルがブツブツ言っている。だけど、私にとって歩くことよりも、走ることよりも、きちんと記録されている言語を習得するのは簡単なことだ。
「あれっ? じゃあさ、弟子、詠唱覚えるのお茶の子さいさい? 人間の魔法ってソレでしょ?」
「覚えるの、簡単。それだけ?」
「詠唱は違うけど、人の魔法も魔力を練りながらの詠唱で発動するんじゃない? あとは魔力練り練りして言葉に載せるだけじゃない?」
それが難しいのでは? やはりファエルは当てにならない。
私は昨日のうちに覚えた文字のみで何とかならないかと、召喚陣を眺めた。
言葉は分からなくとも、これが文字であるなら分かることもある。
魔法陣の構成は、何重にもなった円の組み合わせ。そして、曼荼羅のように独立した円が複数。
このうち6つ、これは属性。こっちの4つは「魂・命・力・契」召喚の本質を1文字に込めて、強力なくさびになっている……気がする。
この魔法陣は、文字。それはつまり、模様や絵のようであっても、実際はただの文書なのでは。
それが別の存在を呼び出し使役するものなら、もしやここに書いてあるのは、召喚する魂との契約書ではないだろうか。
魔法陣の基礎構造は、中心から広がる5重の円で成り立っている。つまり、5つの項目に分かれた重要文書だろうということ。
ふむ、それなら……契約書に必要な事項を可能な限り絞れば……。『契約主体・目的・義務と制約内容・期間・終了条件』あたりが最低書かれているはず。
これを当てはめれば、解読が進むのではないだろうか。
「それ、随分気に入ったんだね」
理解できる文字を可能な限り拾おうとしていると、セリナがそう言って笑った。
気に入った、とは違うような気もするけれど。
「こえ、せりなのままえは?」
「私の名前? あ! ふふっ、ないわよ。そっか、お絵かきしたら名前を書くものね。書いておく?」
そうじゃない。首を振ると、若干寂しそうにされてしまった。
「……魔法陣、書く人そえぞえ、ちやう場所がある?」
「残念ながらそういうアレンジもダメなの。正確にこの通りに書かなきゃいけなくて大変なのよ。ちょっと線が一本なかったり、この三角が違うってだけでもダメなの」
不服そうにそう言うけれど、当たりまえだ。文字なのだから、違う言葉や数字になってしまう。
ちなみに、この魔法陣で分かりやすいのは、数字。模様のようにぐるりと円に沿って1~10までの数字が並んでいる。多分、属性と共に世界の構造を示すためのひとつなのではないかと思う。
この世界の人間も指は10本だから、どの言語を翻訳する際も基準になり得るものだ。
「ふふ、お口出てるよ?」
ちょん、と唇をつつかれ、むっと引っ込めた。集中しているというのに、邪魔しないでほしい。
「かわいいですね、一生懸命見てる。子どもってこういう複雑な文様とか、古代文字とか好きですよね」
「あー、うん。……多分、思ってるよりちょっーとばかし難しいこと、考えてると思うけどな……」
「見た目との温度差ぁ……」
くすくす笑うセリナに、リトとファエルがどこか遠い目をしていたのだった。
「――もう勘弁してくれ……最近夢まで古代語になってきやがった」
「我も……」
せっかくだから、抽出できるだけ2人から知識を得ようと酷使していたのだけど、音を上げられてしまった。
まだ、2万語に満たないのに。
二人に闇雲に尋ねても単語は出てこないので、私はこの世界の辞書と照らし合わせる形で語彙を増やしていた。
子ども用の薄い辞書を終え、やっと通常の辞書に取りかかったのに。まだまだ、専門書や魔法書など色々あるのだけれど。
残念だけど、これまでの語彙から自分で翻訳をすすめるしかない。幸い今見ている辞書は、残り五分の一ほど。
「じゃあ、こえで一旦おちまいにする」
ため息と共にそう告げたのに、二人が呻いて突っ伏した。
「あと何十ページあると……!!」
「我の脳内もうカスカスよ!」
そんなに大変なことだろうか。あとこれだけなのに。
「もうちょっちょばんがって」
「お前はそうだもんな?! 確かにお前ならな?! けど一般人はそうじゃねえんだよな!」
「鬼畜……」
「そうちて、休憩ちてる間に、終わる」
「「終わらねえわ!!」」
なんと効率の悪い。そうやってだらだらせずに終わらせれば、すぐなのに。
私は憤慨して二人を追い立てながら、なんとか辞書の最後まで語彙の対応訳を進めたのだった。
「……こえ、やっぱり契約書」
ふう、と息を吐いて召喚陣を見返した。
まだ乏しい語彙ながら、碑文などに使う単語はおそらく網羅しているので、今は宿でとにかく召喚陣の翻訳を進めている。
「見てるコッチが脅威よホント。朝から晩まで微動だにせずじーーーーーっと魔法陣眺める幼児……我、怖い!」
私が図書館に行かないので、退屈しているファエルが不満そうだ。ちなみにリトはあれから結構忙しくなっている。腕利きだとバレてしまったので、割りと引っ張りだこなんだとか。
「せめてさあ、なんかこうメモを取るとかかき込むとかしなさいよ! マジ怖よ、見てるだけよアナタ?」
だって私は記憶できるので、わざわざこの魔法陣に何かをかき込む必要もない。証拠を残しては危険だ。
召喚陣はファエルたちが言っていた通り、あまりに下手な字で、多分間違ってもいるので翻訳に困難を極めているけれど、当初の『契約書では?』という想定は合っていると言えるだろう。
中心に近い小さな円部分は、『この魔法陣を刻んだ者』、と訳せる文がある。
セリナは自分の名前を書いていないし、個人によって違う部分はないと言っていた。
契約書なのに、どうしてないのかと思っていたけれど、まさかこんなテンプレート風になっていたとは。
だったらここは、私の名前を入れても機能するのでは。契約者はこの魔法陣を刻んだリュウ、という風にすれば、契約自体が強固に私自身と結びつけられる。
ただ、契約対象が呼びだしてみなければ確定しない、というのは難しい。あらかじめ書いておくなら、この魔法陣のように前提なしの甲乙として書くしかない。
もしやこの魔法陣は、契約対象が後から名前を入れるのでは……? だって、それこそが同意の証明なのだから。
これは、テンプレート。そう思ってみれば、色々と修正の余地があるのかもしれない。
憤慨しようが効率が悪かろうが、絶対に最後までやらせるAI、リュウ。
リトと異国の言葉のあたりは、『りゅうとりと まいにち』読んで下さった方には、にやりとしていただけるかなと!




