124話 常識の相違
やっぱり、町の中と外は空気が違う。
外は少し冷たくて、鋭くて――清々しい。
幌を巻き上げた馬車は、ガタガタ言う車輪の音も、そよぐ草の音もよく聞こえる。
前髪を揺らして去って行く風を追って、もう見えない町へ視線をやった。
私たちはあれからすぐ、彼の仲間と合流して馬車に乗っている。
馬車内には、私たち以外にも冒険者グループが二つ。
時折ちらりとこちらへ視線が向けられるけれど、リトはまるで気付いていないように髪をなびかせていた。
「あの、リトさん……」
おずおず問いかけられ、仕方なさそうにリトの視線が馬車の中へ戻ってきた。
「えーと、再確認なんすけど……」
ミッチの視線が、リトと膝の上にいる私を往復する。
ついでに、周囲の視線も同じように私とリトを行き来した。
「俺、討伐って言ったと思うんすけど……その子、本当に連れて行くんすか?」
ちなみに、あのときの『かっこいいお兄さん』はミッチというらしい。
そして、彼が所属するパーティはあと男性一人と女性二人。それぞれ名前もある。
「ああ」
ものすごく端的に答えたリトが、話は終わったとばかりに視線を戻そうとして、ミッチに詰め寄られた。
「ああ、じゃないっすよ! そんなデコレーションして店頭に並んでるお砂糖菓子みたいな子! 魔物の巣窟に連れてくとか……!!」
思わず吹き出しそうになったリトが、慌てて自分の口元を覆った。
私は、お砂糖菓子みたいなのか。ケーキの方が好きだけれど、まあ、悪くない。
「問題ねえよ、旅の同行者だぞ」
「えっ……リトさん、こんな小さい子連れて旅してたんすか? なんで……あ、いえ」
疑問と非難と尊敬と、あと同情と……いろいろない交ぜになった目が、まじまじリトを見る。
「肝が据わってるからな。お前らに迷惑かけることにはならねえよ」
「そうは言っても……巣穴の探索とか、隠密行動で群れの調査とか……」
引き下がらないミッチに、リトがため息を吐いた。
「そんな作戦に俺を含むんじゃねえよ、俺は想定外の人員だろ? 戦闘の戦力としてだけ、加わってやるよ」
「それはそうなんすけど! フェルウルフの群れがうろつく場所っすよ?! それじゃリトさん、単独でその子と残されることになるんすけど?!」
「元々そのつもりだ」
言った途端、ミッチの目が輝いて、リトがしまったと身をひいた。
「カッケーっす! さすがリトさんっす!」
「いや、俺らのことは構わなくていいっつうつもりで……」
よそ行きのリトが、剥がれそう。
うろたえるリトはミッチの顔を掴んで、物理的に押しやった。
「あの、本当に大丈夫ですか? 実力者だとは重々承知しているんですけど、さすがに小さい子と一緒だと……。戦力としてすごくありがたいですから、ちゃんとその子の護衛もやりますよ?」
苦笑してミッチを引っ張った女性が、遠慮がちにリトを見上げた。これは、セリナという人。
「さっき言った通り、こいつと旅してきたから大丈夫だ。戦闘も経験している。悪いな、気を遣わせて」
ミッチの圧迫感から解放されたリトが、安堵したように微かに笑って、セリナが口ごもった。
「い、いえっ! その、ええと、だいじょぶです!」
「リトさん?! 俺と対応違わないっすか?!」
セリナの手を振りほどいたミッチが憤って、リトがまた顔面に手を着いて接近を防いだ。
「お前はうるせえからだ! 寄るな!」
リトは、すごいな。
私は誰かと仲良くする方が難しいのに、リトは仲良くしない方が難しそう。
隙あらば寄ってこようとするミッチを牽制するよう、私は静かにファエルを掴んだのだった。
乾いた草が、私たちの移動に伴って割と派手な音をたてる。
背負子に興味津々だった冒険者たちは、徐々に声を発さなくなり、もうこちらを見ることがなくなった。
リトの膝までだった草丈が、そろそろ腰に届きそうになる頃、同行していた冒険者パーティがどこに行ったか分からなくなった。
私の目では、ただ草原が広がっているように見える。さっきまで、そこにいたのに。
じっと佇むリトは、一点を見つめて動かない。だから、きっとそこに彼らがいるのだと思う。
「どこ?」
「どこって言われてもなあ……あいつらもCランクだから、そうそうお前に見られる間抜けはしねえだろうよ」
そう言われて、むっと目を凝らしてみるけれど、やっぱりどこにいるかわからない。
完全に草の中に身を沈め、獣のように進んでいるらしい。
私たちは、彼らの邪魔にならないよう荷物番としてここに残っている。
まあ、邪魔になるのは私だけれども。
馬車で数時間の距離で、こんなにも人の気配がなくなってしまう世界が、不思議だ。
人を襲うような狼の群れがここにいるのだという。
狼の行動範囲など、馬車数時間の距離なら軽く含まれるだろうに。なのに、町にはやってこない。
人という生き物の住処、という区分は存外にはっきりしているらしい。
すごいな、と思う。
私のような、ひと噛みで終わりの生き物がたくさんいるのに。
だけど、一部のリトのような人がいるから、魔物の領域が切り開かれる。壁を作る人がいて、住処を守る人がいて、住処を発展させる人がいて、だから、人は増える。
弱い人の中から、またいろんな人が生まれる。
知り得た知識が、文字によって引き継がれていく。知識が、どんどん積み重なっていく。
それは、人類が手に入れた「外部拡張メモリ」。
読み書きできるだけの幼子が、数十年生きた魔物の上を行く。
凄まじいな、と思う。
つらつらと考えるうち、リトの視線が森の方まで移動していた。
さすがに目で追えなくなったか、小さく息を吐いて私を振り返る。
「あいつら、本当に野営する気か……? なんでだよ、ちゃちゃっと狩って帰りゃいいじゃねえか。近いのに」
どうも、リトの思う討伐と彼らのやろうとしている討伐が違う気がする。
野営場所の確保を……という話に、『は?』となったリトと、『は?』となった彼ら。
それぞれの『常識』と『当然』が食い違っていたらしい。
まだまだ真上にはならない太陽を見上げては森を眺め、リトは落ち着かない。
「じゃあ、りとがとうばちゅしたらいい」
「そりゃそうだけどよ……さすがに俺が一人で狩ったら顰蹙ものだっつうの」
多分、その認識も食い違う気がするけれど。
「――群れの規模、結構大きいかもしれないっす」
ようやく戻って来た彼らは、どこか深刻そうな顔をしている。
「こうなると、リトさんがいてくれたのは本当に運が良かった……」
ため息を吐いたのは、もう一人の男性であるロガン。大きく頷いたのが、ケリー。
「そうか。巣は見つけたんだろ? なら、早く行かねえのか?」
広い縄張りをもつフェルウルフだけれど、今の時期繁殖するらしく、巣を作って留まるのだとか。それを叩こうというギルドの腹づもりだったのだけれど。
「リトさん聞いてませんね?! 規模が大きいんすよ! フェルウルフって多くて10頭じゃないすか、それが倍くらいはいるんじゃないかって」
「…………」
押し黙ったリトを見上げた彼らの真剣な顔が、変化した。
事の重大さに気付いたはずのリトの表情は、どう見ても『だから?』といわんばかりに訝しげだったから。
「……あのー、リトさんってもしかしてその数、余裕っすか?」
気まずい沈黙の中、なぜかそっと手を挙げたミッチが、恐る恐るといった体で口を開いたのだった。




