闇へと堕とされた侯爵令嬢
私の前世……リーナ・ロッサムは、ここクロムノーツ王国の侯爵令嬢として生を受けた。外交官を務める父、魔力持ちの兄の三人家族。母は私が幼い頃、不治の病であっけなく亡くなってしまった。
仕事で諸外国に滞在することが多い父、錬金術の研究にのめり込む兄、周りに居るのは使用人だけ。その所為か淋しい幼年期を過ごしていた。
そんなある日、私に婚約者が出来た。
「僕はこの国の第一王子。スチュアート・クロムノーツだ。今日から君の婚約者だ」
「わたくしはロッサム侯爵家が長女、リーナに御座います。不束者ですが宜しくお願い致します」
父に連れられ赴いた王宮の一室で紹介された婚約者は、この王国の第一王子スチュアート・クロムノーツだった。
サラサラと風になびく金色の髪、長い睫毛に縁取られた水色の瞳、眉は意志の強さを思わせ、キリリと結ばれた口元は知性に溢れ、凛と佇む姿は威厳に満ちていた。
これぞ国の代表。これぞ王族。そんな姿を垣間見た気がした。
このお方の隣に立つ者として恥ずかしくない人になろうと決めた瞬間だった。私は王太子妃となる為の教育を文字通り叩き込み淑女の鑑とまで言われるようになった。
――きっとそれが前世の人生の一番の間違いだ。
そして……神の天罰と言われる瘴気が我がクロムノーツ王国を含む大陸を飲み込んでいったのだ。
「まさかこの大陸に芽吹くなんて……」
無作為に起きる天罰。最初の天罰は世界全体を飲み込んだと言われていた。それは徐々に少なくなりつつあったが無くなる事は無かった。今回滅びの種が芽吹いてしまった我が大陸は五百年ぶりの天罰だったのだ。
「被害が増える前に聖女召喚を執り行う!」
そして聖女召喚の儀が行われた。
神殿には五つの水晶が祀られている。その水晶に祈りの力が宿り水晶が光り輝く。その輝きこそが聖女を召喚する為に必要なものなのだ。祈りを怠れば水晶は光らない。聖女を呼ぶ力が手に入らないのだ。
そして我が大陸は二つの水晶に輝きをともす事が出来ていた。そのひとつを魔法陣の中央の台座に置き神官たちが神に祈った。そうして召喚されたのがアキナ・ムライと言う十七歳の少女だった。
私は婚約者のスチュアート殿下と共に王城で待機していた。
「聖女の意識が無いだと!?」
慌てて駆け付けてきた神官の話では、召喚された聖女は話の途中で意識を失い王宮の一室に運び込まれたそうだ。
スチュアート殿下と共に聖女が運び込まれた部屋へ入ると寝台の上で眠る少女が居た。
窓から差し込む光に照らされて艶やかに輝く黒髪、透き通るような肌の色と瑞々しい薄紅色の唇。閉じられた瞳を覆う長い睫毛が濡れて儚げな印象を与えていた。
「美しい黒髪……まさに聖女に相応しい……」
殿下の呟きが私の耳に届いた。殿下はそのまま跪き聖女の手を取ると優しく声を掛けた。
「美しき聖女様。どうか目を覚ましてください」
慈しむような、乞うような、そんな瞳を向けていた。暫くして目を覚ました聖女の手を両手でギュッと握り締め優しい微笑みを浮かべていた。
「この世界に来てくれたことを嬉しく思う。ありがとう」
「あなたは誰なの?」
「私はこの国の第一王子、スチュアート・クロムノーツだ」
「あなた、王子様なの?」
頬を赤く染め殿下を見つめる聖女の目は星の瞬きのように輝いていた。見つめ合う二人を目の当たりにして私は言いようの無い不安に駆られていた。
その後、聖なる武器を作成し大陸全土を浄化する遠征部隊が結成された。その中には婚約者のスチュアート殿下も含まれていたのだ。
「お止めください殿下! 尊き御身が危険に晒されます!」
「それはアキナも同じ事だろう? アキナにだけ危険な事を任せる訳にはいかない!」
「聖女様は兵士が命を懸けて守ってくださいます!」
「黙れ! 何も出来ないお前が口出しするな!」
殿下の言葉は私の自尊心を粉々に砕くものだった。婚約が決まってからの努力を真っ向から否定されたのだから。
その後、一年と言う歳月が流れたが結界はまだはられずにいた。スチュアート殿下は遠征の間中、片時も離れず聖女様の隣に居たそうだ。浄化には聖女様の純潔が必要だと言われていた。万が一にも間違いが起これば浄化の力が失われてしまうのだから。
「殿下! 聖女とは言え未婚の女性です。二人きりでお過ごしになるのはお止めください」
「煩い! 聖女とは何も無い! 見苦しい嫉妬は止めろ!」
「嫉妬では御座いません! 国民に要らぬ疑心をいだかれない為の苦言です」
浄化が思いの外進まず『聖女様は純潔を失ったのでは?』と言う噂が国民の間に広がった。そして婚約者が居るにもかかわらず、まるで恋人のように聖女に寄り添うスチュアート殿下にも不満の声が上がっていたのだ。
「チッ! 嫉妬ならまだ可愛げがあると言うのに。少しはアキナを見習ったらどうだ」
しかし殿下は聞く耳を持たず益々聖女にのめり込んだ。
「うふふ。スッチーにこの指輪貰ったのよ? 似合う?」
「聖女様。殿下を変な愛称で呼ぶのはお止めください!」
「やだ怖い! 睨まないでよ! そんなんだからスッチーに嫌われるのよ?」
「たとえ嫌われようと諫める事は止めません。お願いします聖女様、どうか殿下を解放してくださいませ」
「何それ!? 私がスッチーを束縛しているみたいに聞こえるじゃない!」
実際に心細いと言っては殿下を傍に置いていたのは聖女だった。浄化の力を高めると言い神殿に籠る時でさえ殿下を呼び寄せていたと聞いた。
「国民の声をお聞きくださいませ。負の感情は瘴気を増幅させてしまいます」
「うるさい! 無理やりここに召喚された私の気持ちが分かる? 心細くて悲しくて心が引き裂かれそうだったわ! それをスッチーが癒してくれたのよ!」
「聖女様……」
「私をスッチーから引き離すと言うのなら、もう浄化の遠征には行かないから!」
まるで駄々をこねる幼子の様だった。それ以上何も言う事が出来ず溜息をひとつ落として部屋を後にした。
そして……私は陥れられた。
「聖女毒殺未遂で連行します」
身に覚えのない罪で王宮騎士に身柄を拘束されてしまった。父も兄も居ない邸でひとり、眉をひそめた使用人の視線を浴びながら城へと運ばれて行った。
「リーナ……お前には失望したぞ」
後ろ手に縄を掛けられ玉座の前へと突き出された。強い力で押さえつけられ顔を上げる事も出来ない。
「陛下! わたくしは無実で御座います!」
「嫉妬に狂い、悪魔を召喚し聖女に手を掛けるとは……」
「悪魔? わたくしは悪魔など……」
「黙れ! 夜な夜な悪魔の手下共と淫らな宴を開いておったと証言を得ている! アキナに盛った毒も押収済みだ!」
「スチュアート殿下……」
国王陛下の傍らで私を睨みつけた殿下が、室内に響き渡る大きな声で私を糾弾した。いったい誰がそんなあり得ない証言をしたのだろうか……いったい誰が私に罪を……?
「嫉妬に狂い聖女を亡き者にしようと毒を盛った悪魔め! 地下牢の最奥に閉じ込めておけ!」
「違います殿下! わたくしでは御座いません!」
何故この日に連行されたのか……答えは簡単に出た。
父は遠い異国の地に居て、兄は研究室に入り浸り親族が意義を申し出る事は無い。
そして……。
「イヤーーーーーー!!!!」
「諦めな、嬢ちゃん。俺たちだって脅されているんだよ」
「そうそう。こう言う事は楽しまなくっちゃね?」
「ガハハハ。大人しくしていたら優しくするぜ」
「恨むのなら命令した王子を恨むんだな」
「っ!?」
その日は……私が受胎しやすい日だったのだ。
結果、私は妊娠し『悪魔の子を宿した』と言う罪まできせられ公開処刑が決定したのだ。処刑が決定すると看守たちは姿を消した。遠い異国に逃げたのか、口封じに殺されたのかは分からない。この時の私には知る事など出来なかったのだから。
舌を切られ、拷問を受け、生きる気力を全て奪われた。
私は処刑されるその時まで神に祈った。
私を陥れた奴等に天罰を与えて下さいと……。
――もしかして神様、私の願い叶えてくれた?