国王陛下の仰せのままに……なんて言うと思う? お断りよ!
ジリジリと焼ける石畳の上を重い鉄球を引き摺りながら裸足で歩く。痩せ細った手には鎖の付いた手枷、引かれる度に擦れて血が滲む。朦朧とする意識の中、拷問され聞こえ難くなった耳に怒号と罵声が届いた。
「悪魔を殺せー!」
「早く燃やせー!」
「地獄に帰れー!」
普段は穏やかな時間が流れている城下の広場は、怒り狂う民衆によって禍々しい空間になっていた。
ガッ!
ベチャッ!
ドゴッ!
大小の石が体中に投げつけられ、残飯や腐った野菜が顔面目掛けて飛んでくる。
そしてわたくしは広場の中央に設置された台の上に登らされ、鉄柱に鉄の鎖で身動きが出来ない程縛り上げられた。
今更、この身体で抵抗など出来る筈も無いと言うのに……。
「悪魔に処女を捧げ、その腹には悪魔の子を宿す穢れた魂の咎人……元侯爵令嬢リーナ・ロッサム」
違う! わたくしの処女を奪ったのは薄汚れた看守たち……お腹の子の父親はその中の誰か。それを指図したのは殿下、あなたじゃないですか! そう叫びたいのに切られた舌では上手く言葉を発する事が出来ない。
「悪魔と手を組み、この国を滅ぼそうと聖女に毒を盛った悪行は例え未遂であったとしても許されない罪である! よって……ここに火炙りの刑を執行する!」
婚約者だったスチュアート殿下がわたくしに向かって冷たく言い放つ。異界から召喚された聖女が血の気を失った顔でわたくしを見ていた。
「この火炙りの刑は悪魔を滅し、穢れた魂を聖なる炎で浄化する事だろう!」
わたくしの足元に大量の薪が並べられていく。その薪に茶色い油が撒かれた。
目の前には火の着いた矢を構えた兵士がズラリと並んでいた。
「火を放て!」
次々と矢が飛んできて薪に火が燃え移る。たちまち赤い炎と黒い煙が立ち込めた。パチパチと火の粉が舞い上がり、感覚のなくなった足へと炎が燃え移ろうとしていた。
そこへ……鋭く尖った矢が飛んできて、わたくしの首を深く切った。鮮血が飛び散り意識が遠のく……。
ああ……兵士のひとりが焼け苦しむ事が無いように先に命を絶ってくれたのね………………ありがとう…………。
「ありがとう……じゃないっての!」
「「お嬢!」」
「莉奈ちん!」
大声を出して目を開けると心配そうにのぞき込む隼人と咲夜、涙と鼻水でグチャグチャの司の顏があった。
「身体が丈夫な事だけが自慢のお嬢が倒れるなんて……いったいお嬢の身に何があったんすか?」
「後数分で目が覚めなかったら、コイツ等皆殺しにしようと思っていた」
「僕は目覚めのキスを……ブフォ! 痛いんだけど、隼人!」
「一回死んどくか? クソブタ!」
白昼夢……いや、前世の記憶か…………。
「ごめん。何分くらい気を失ってた?」
「五分程度だと思うっす」
「そう……」
前世で私に冤罪を掛け処刑した婚約者と聖女……その若かりし頃にそっくりな王子と王女を見た所為なのか前世の記憶が蘇ってしまった。どうやら私はこの世界の侯爵令嬢だったらしい。細かな事までは思い出さないが前世の私が受けた屈辱は鮮明に思い出した。
「おお! 気が付いたか」
声を掛けてきた国王に視線を移す。今直ぐマシンガンを取り出し目の前のクソ野郎を蜂の巣にしたい衝動が沸き上がる。
「大丈夫よ。それで……私に何の用?」
「聖女様! 国王陛下の御前ですぞ、言葉遣いを改めなされ!」
「……チッ! 何の用ですか?」
何を言いたいのかは知っている。私がこの世界で生きていた時から聖女召喚は行われていたから。だけど……それなら召喚の時期がおかしい。
目の前に以前の聖女がいるのだから。
「この大陸は半年前から禍々しい瘴気に汚染されている。野生動物は魔物と化し、緑豊かな土地は植物が育たず砂漠化してきている」
前世の知識が定かならば、その現象は創世の神の怒りによる人類に下された『天罰』だ。美しき世界を戦争で穢した人類に『ならば自ら穢そうぞ』と滅びの種をばらまいた。
滅びの種は人々の負の感情で芽吹き瘴気を発生する。いよいよ世界が瘴気に吞まれそうなとき異世界の神が手を差し伸べてくれた。五大陸に神殿を建て聖女を召喚し、大陸を浄化したのだ。
結界が張られ美しさを取り戻した世界。だが異世界の神は『まだ滅びの種は残っている』と言い残しこの世界を去った。
その滅びの種は何時どの大陸で芽吹くかは決まってはいないが、人々の負の感情に左右されるらしい。
芽吹いてしまった瘴気は異世界から召喚した聖女しか祓えない。聖女を召喚し、魔物の殲滅と瘴気を全て祓い除けば大陸に結界が張られる。一度結界を張ると次に芽吹くまで時間の猶予が与えられる。
その猶予が約百年。
目の前の国王と王妃は見た目からして四十歳前後、前回の聖女召喚から二十年ほどしか経っていない。
「この世界に呼ばれたそなたは瘴気を浄化する能力を持っている」
「ええ!? お嬢が!? カッケー!」
「咲夜、うるせぇ! 黙ってろ!」
私は自分の掌を開いた。指先からキラキラした粒子が出ていた。そう……この粒子こそ瘴気を祓う聖女の力……神力。
前回、目の前に居る聖女は剣や槍に触れて聖なる武器を作っていた。聖なる武器で薙ぎ払えば魔物は塵になり、聖女が触れれば砂漠と化した大地はたちまち草木が生い茂る。そして大陸全土が浄化されれば光りが大陸を覆い、光が消えると同時に結界が張られ百年間瘴気は現れないのだが……どう言う事なの?
「聖女のその力で我が国を、この大陸を救ってくれ」
――国王陛下の仰せのままに。
淑女の鑑と呼ばれていた前世の私が顔を覗かせている……我が侯爵家の為、我が王国の為、婚約者たるあなたの為にこの身を削りましょう…………。
でも私はリーナじゃ無いから!
「お断りよ!」
ざわりと空気が震え、室内の温度が下がる。私の拒否発言で一気に緊張感が増した。
「そなたは我が国の民たちを見捨てると言うのか!?」
「ぶっちゃけ関係ないし? どうでもいいわね」
「なんと大それたことを……」
「文献の聖女は皆、清く正しく慈悲深いと書かれているのに……」
後ろから神官たちの焦った声が聞こえる。そりゃそうだよね? ここは普通『お引き受けいたします』の一択だもの。私だって前世を思い出さなければ引き受けたと思うけれど、何の罪も無い前世の私を陥れ処刑したこの国王に、恨みはあっても力を貸そうと言う気持ちは欠片も無いわ!
「隣に居る我が妃は、かつて聖女だった時に喜んで力を使ってくれたのだぞ?」
王妃を見れば小鼻を膨らませて誇らしげな表情をして国王を見つめていた。私がこの世界で生きていた頃に何度も見た表情だ。まるで自分こそが王子の隣に立つに相応しいとでも言うように。
「喜んで? うわ~私はそんな性癖持ってないから無理!」
「ななな! 貴様……我が妃を愚弄するのか!?」
「あ~ら、ごめんあそばせ?」
「おい! 近衛兵! こ奴らを捕縛し牢屋へ入れておけ!」
まあ! 聖女に対してそんな仕打ち許されないんじゃないのかしら? と言う前に、この私にそんな仕打ち……隣の二人が許さないんじゃないかしら?
ズガガガガガ! ズガガガガガ!
「ほらね?」
「ん? 何か言ったか、お嬢?」
「発砲音で聞こえなかったっすよ」
「気にしないで、独り言よ」
「やっぱり物騒な奴らだ」
天井の壁が粉々になってパラパラと近衛兵の足元に落ちてきた。言わずもがなマシンガンが火を噴いたのだ。
「お嬢に指一本でも触れてみろ、お前ら全員蜂の巣だ!」
「死にたい奴からかかってこいっす!」
マシンガンの威力を初めて見たこの世界の連中が慌てふためき怯えている。その場で腰を抜かす者、壁際まで逃げる者、徐々に後退する者。国王や王子たちも目を見開き、ついでに口もあんぐりと開いている。とんだ間抜け面だ。
そこに国王よりも甲高い声が響いた。
「陛下。あれは一瞬で命をとる恐ろしい武器なのです。逆らってはいけません」
王妃がキッと私を睨み付け国王の前に出た。
ああん? 喧嘩売ってんのかしら? 買うわよ? そんな王妃にニヤリと歪んだ笑みを返してやった。
「それは誠か!?」
「はい。私が元居た世界で使われていたものですわ」
「母上、危険です!」
「早く逃げましょう!」
「ルシファー、キララ、落ち着きなさい」
へえ~。すっかり王妃の貫録を付けているじゃない? 教師陣の努力の成果かしら? 前は『はしたない』の一言だったのに。後、どうでも良いけど……王子に堕天使の名前付けちゃってる?
「しかし、アキナ……」
「陛下。私がそうだったように、あの方たちもいきなりの事で混乱しているのだと思います。落ち着くまで王宮に住まわせてみてはどうでしょう?」
「うむ……そう言えばアキナがこの世界に来た直後は毎日のように泣いておったな」
「はい。不安で不安で……でも、陛下が毎回抱き締めてくれたから直ぐに元気になりました」
おっと、そんな前からデキてたのか。そう言えば初対面の時、美しい黒髪とかなんとかほざいてたな。
「誰か、聖女たちに部屋を用意いたせ」
「「「はっ!」」」
扉近くに居た近衛兵数人がバタバタと走って行った。この機に乗じて逃げたのかな? 一瞬で命をとる武器って言われたらビビるよね~。
ふふふ。その内、大量生産しよう。
この世界には錬金術師が居る。俗に魔力持ちと呼ばれている人たちだ。魔力持ちは歴代の聖女の子孫で、その血に魔力が宿るのだ。しかし魔力持ちが生まれるのは稀で聖女の子孫でも必ず魔力を持って生まれてくる事は無い。だから魔力持ちが生まれるのは数十年に一人と言う希少な存在だ。魔力持ちには研究者肌の人間が多く、新しい魔道具や錬金術を考え出すと寝食も忘れて研究に没頭するのだ。
そいつ等にこのマシンガンを見せれば同じような武器を錬金術でちょちょいと作ってくれるかもしれない。
かつての私も聖女の子孫だった。残念ながら魔力持ちではなかったけどね。でも兄は世界一と呼ばれる程優秀な錬金術師だった。いつも研究所に入り浸りで顔を合わせる事はあまりなかった。私が地下牢に入れられた時でさえ助け出してくれる事は勿論、顔を見に来る事さえなかった。
「では、聖女たちよ……王宮でゆるりとするが良い」
「はい、どーも!」
「聖女様!」
神官に諫められ心で舌を出す。
「はいはい。恐れ入ります、国王陛下。それではわたくしたちはこれで失礼いたしますわ。オホホホホ」
「似合わねーから止めろ!」
「鳥肌たったっす」
咲夜の頭をペシっと叩き、私たちは謁見の間を出た。
部屋は王宮のスイートルームが用意された。寝室が二部屋とリビングルームと応接間があり生活に必要な家具、風呂とトイレも付いていた。クローゼットには下着や服・ドレスなどの着替えも完備されていて食べ物さえ支給してくれたら何日でも引きこもれそうな部屋だった。
「取り敢えず……お風呂入るから見張りよろしく!」
「かしこまり~」
「ゆっくり汗流せよ」
「莉奈ちん、僕が背中流そう……グフッ!」
脱衣所で服を脱ぎ扉を開けると十畳ほどある浴室に直径二メートル程の丸い浴槽があった。浴槽の端には水瓶を持った女神の像が設置されていて、その水瓶からお湯がチョロチョロと出ていた。これはこの世界の給湯器だ。前世の実家にも置いてあった。
この世界には電気と言う概念がないため道具を動かすのは全て魔鉱石。魔力持ちが己の魔力を鉱石に移したものを魔鉱石と呼び高値で取引されている。売ったお金は研究費に消えるらしい。
「前世のお兄ちゃん、元気かしら?」
隅に設置された棚には石鹸や香油が置いてあり、手に取って嗅ぐと懐かしい香りがした。
「そう言えば、これ使っていたな……」
髪用の石鹸で洗髪した後、柑橘系の香油で軋んだ髪を整える。身体を洗った後浴槽に浸かりホッと溜息を吐く。
「これって里帰り? 違うか……」
振り返れば怒涛の半日だった。
拉致され、異世界に落ちて、前世を思い出した。
偶然なのか必然なのか……この世界に裏切られた私がこの世界を助ける為に戻って来た。神の悪戯か悪魔の罠か……いったい私は明日からどうすれば良いのか?
湯船に身をゆだね目を閉じた。
脳裏には前世の私が走馬灯のように浮かび上がっていた。