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07 これは恋だ

本日三回目、二話分の投稿です。

「ヴィヴィアーヌ嬢はもう歌わないのか?」


 譜面を覗き込んでいると、不意にロジェ様に尋ねられた。

 彼の言う歌とは聖歌のことで、即ち光魔法だ。

 ああ、やっぱり聖女との縁談を望んでいたのだ。そう思った。


「私は歌があまり上手くないんです。あの……やっぱり、今からでも陛下にお願いして、ちゃんとした聖女様との縁談を取り持っていただいた方が――――」


「その必要はない!」


 ロジェ様の声が室内に響いた。

 私は、彼の言わんとしたことを察して答えたつもりだったのに、強く否定されて困惑してしまった。


「でも、それでは政略結婚の意味がないのでは? 皆さんも当初、聖女様のご到着を楽しみにされていたようですし……」


「は? 誰がそんなことを言ったんだ」


 声に苛立ちが混じっているのを感じて萎縮する。けれど、曖昧にしておくよりはハッキリさせた方がいいだろう。私は思い切って口を開いた。


「えっと、ロジェ様も私のことを聖女だと勘違いなさっていたでしょう? だから、これは魔物討伐を担う両者を結びつけるための政略結婚だと思ったのです。そうでないと、わざわざ王家を通して、格下のオータン家に縁談を申し入れた理由がわかりません。もし手違いがあったのなら、私に気を遣わないで欲しいのです。婚約解消の一度や二度、大したことじゃありません。こちらは大丈夫ですから、ロジェ様は、ご自分の気持ちを大切になさってください」


 ロジェ様はポカンとした顔になり、次にハァ~とため息を一つ吐いた。私の手を引き、書庫の中央に置いてある閲覧用の椅子に座らせる。自身は私の手を取ったまま、その場で跪いた。

 目線が同じ高さになり、なんだか面映ゆい。近頃、この赤い瞳を見ると、途端に落ち着かなくなるのだ。

 ロジェ様は、穏やかな口調に戻り話し始めた。


「まず、これは政略結婚ではない。そして聖女と縁づきたいわけでもない。これは私が、自分で望んで決めた縁談だ」


「はあ」


 間の抜けた返事とは裏腹に、安心したような、嬉しい気持ちになった。

 自分で望んで決めた……この言葉が、じんわりと胸に染み渡っていった。

 その瞬間、今引き返せばまだ間に合うと思っていたのに、とっくに手遅れになっていたのだと気づく。

 繋がれた手にグッと力が込められた。


「あなたが婚約を解消し次期当主の座を降りたと耳にして、妻に迎えたいと父上に申し出た。私は領を出られないし、母は既に他界している。父上も病気療養中で身動きが取れないから、陛下にお願いすることにしたんだ」


 いつまでたっても婚約者を決めようとしないロジェ様を、陛下はずっと以前から気に掛けていらしたという。漸くその気になったかと、二つ返事で仲介役を引き受けてくださった。頃合いを見てお父様を呼び出し、その場で了承を得た。後は知っての通りである。

 ブノワの言う通りだった。私は、ただ純粋に、この辺境の次期当主に気に入られていたようだ。

 

「諾の返事を聞いて嬉しかった。ヴィヴィアーヌ嬢の到着を待っている間、やっぱり嫌になったのではないかと、ずっとやきもきしていた」


「すみません。領地にいたので連絡が行き違いになってしまって」


「いいんだ。こうして来てくれたから」


 ロジェ様と目が合った。心臓がドキドキと大きな音を立て始める。


「あの、でも、なぜ私なのでしょう? ほとんど初対面ですよね」


 胸の鼓動がこの静かな空間に伝播してしまう前に、私は慌てて次の質問を投げかけた。

 四年前、聖女選考の場に居合わせただけの関係である。気に入る要素なんてあったかしら。

 

「声、かな? あの時、ビビッときた。恋をするのに別に理由なんかないだろ。でもお互い跡取りだからと諦めていた」


 聖女選出の結果は、魔法省の上層部で最終決定され、本人にしか通知されない。

 ロジェ様は、私が聖女に選ばれ、あと数年もしたらオータン伯爵家の当主として婿養子を迎えるものだと信じていたらしい。自分とは縁がないと、その後は、なるべく私の情報を耳に入れないようにしていたそうだ。

 私の婚約解消を知ったのは本当に偶然のことで「それもまた巡り合わせだ――」と、まるでこれが運命だったかのごとくロジェ様は語った。


 恋、か。

 確かに、恋をするのに理由はいらない。

 私は、まだロジェ様のことを何も知らないけれど、こうやって真っ直ぐに見つめる嘘のない瞳も、温かく包み込む分厚い掌も好きだ。失いたくないくらいに。


「こういうことは、もっと後になってから話そうと思っていた。だが、誤解されたままでは敵わない。この辺境では……いや、人はいつ死ぬかわからないからな。今できることは、なるべく後回しにしないようにしている。後悔のないように」


 ロジェ様は、私の髪を掬いその先に口づけた。

 ずいぶんと時間が経ってしまったのに気づいて「そろそろ行こうか」と、私の手を引いて書庫を後にする。 

 

「ロジェ様」

 

 私は立ち止まる。


「婚約者なのですから、ヴィヴィと呼んでください。あの……気軽に」


 次の瞬間、ロジェ様は、嬉しそうに顔をほころばせた。

 なんだか、変だ。「ヴィヴィ」だなんて、私は今まで誰にも呼ばせたことがない。家族だってヴィヴィアーヌと呼んでいる。

 ロジェ様のせいだ。

 とうとう私も、変になってしまった。 

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