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過去の欠片




 押し出されるように電車から降り、人に流されるように改札を通り抜けて駅の外に出る。空を見上げると、輪郭のはっきりしない月がぼんやりと浮かんでいた。その月よりもさらにぼんやりとした意識のまま、わたしの足は迷うことなく近くにあるコンビニへと向かう。店内に入ると、おにぎりやサンドイッチをいくつかカゴに放り込み、そのあとはパン、デザート、お菓子もいくつか放り込む。レジでお会計をする直前にレジ横のチキンと肉まんを頼み、お会計を済ませる。そしてお会計が終わると、逸る気持ちを抑えながら平然を装い、足早に店を出る。歩きながら白いビニール袋を手探りで漁り、買ったばかりの肉まんを口に詰め込むように食べながら、夜の闇に紛れる。一つ食べ終わったらまた違う食べ物を取り出して、止まることなく食べ続ける。最初は人目が気になったが、都会から少し離れた郊外の駅で歩いている人もまばらなため、いつの間にか気にならなくなってしまった。

 自宅に帰ってもなお、お腹がはち切れそうになるまで食べ続け、そのあとは罪悪感に駆られて何もやる気が起きなくなり、翌日もほぼ絶食状態で自宅に籠っていることが多い。もうやめようと何度思っても、思っているだけで結局やめられずにいる。こうやって後悔することも分かっているのに、仕事が休みの日の前日は決まって繰り返す。いつからこうなってしまったのかもう覚えていないが、学生時代にはなかった行為のため、社会に出てからいつの間にかクセになってしまったのだろう。

 


翌日は前日の無気力と腹部を中心とした倦怠感を引きずったまま、起きてしばらくベッドで過ごし、お昼過ぎにようやくベッドから起き上がる。起き上がった後は、特に何をするわけでもない。暇を持て余し、ひたすらスマホを眺めていると、公私ともに充実しているであろう学生時代の友人や、ネット上でだけ繋がっている人たちの投稿がやたらと目につく。キラキラした世界を映す目は、どんどん曇っていく。SNSを見るたびに、まるでわたしだけが違う世界に放り出されたような気分になるのに、これも一種のクセになっていてつい見てしまう。会う予定もないし、今何をしているかなんてさほど気にもならない、友達と呼べるのかもあやしい人たちがほとんど。それでも、イイネなんて小指の爪の先ほども思っていないのに、その投稿にイイネを押す。人と直接関わりたくないのに、人と繋がっている安心感は得たい。そんなニセモノの安心感で満たされたつもりにならないと、孤独に支配されてしまいそうになるから。

 ただ付けているだけのテレビの音が響く部屋で、特に何もしていないのに心身ともに休まらない休日が過ぎていく。

 


またその翌日からは、朝起きて洗顔して歯を磨いて、いつもと同じインスタントコーヒーを飲んで、同じメイクをして、同じカバンを持って仕事へ行って帰ってくる。そこへ仕事帰りにコンビニに寄るという変化が加わるのは、週に二日ほど。いつからかお決まりのルーティン。何の変わり映えもない日をループするだけ。

 まるで憑き物でもついているかのように重く感じる身体を、引きずるような感覚で歩く帰り道。コンビニの前を通り過ぎ、色褪せた世界に溶け込んでいく。歩きながらその日あった嫌なことばかり思い出し、明日に対して希望のないことばかり想像する。今日も特別なことなんて何もないけど、決して平穏な気持ちでいられるわけでもない。一日の始まりには「また今日もいつもと同じ」と諦めのような気持ちで始まるのに、一日の終わりは「また何もないまま終わってしまった」という少し空虚な気持ちがある。心のどこかで変化を求めているのに「どうせ無理だ」と、その気持ちに蓋をして心の中に詰め込む。

 ぼんやりと歩いていると、大半が地面を占めている視界の中、ふいに光が差し込み反射的に顔をあげた。最初は対向から来た車のライトだと思ったが、煌々と光続けている。ずっと消えない光を辿ると、喫茶店のような造りのこじんまりとした建物があった。わたしの記憶では認識していなかった建物に、小さな好奇心が芽生えたような感情が湧いてきた。暗闇の中でも、そこそこ年季が入っているように見える。いつからここにあったのか、今まで営業していたのか、次々と湧き出てくる疑問。

 その間も見慣れた景色の中に現れた見慣れない建物だけが、ずっと光を放ち続けていた。



 「あらっ!? あなた入らないのー?」

 背後から底抜けに明るい女性の声が聞こえ、無意識に足を止めていたことに気づく。ハッとして振り返ると、高齢の女性が立っていた。年齢はわたしのほうが若いのに、その女性のほうが若々しく見える。わたしよりお化粧も髪型も服装も華やかで、表情も自信と活気で輝いていて、なんだか自分が恥ずかしく思えた。

 「あ……わたしは、通りがかっただけなので……」

 張りのない声でそう返すのがやっとだった。

 「ここに来るのは初めてなの?」

 「え、はい」

 「今日は本当に入らないの?」

 「あの……ここって、何のお店なんですか?」

 「わたしたちのためにある喫茶店よー!」

 予想通り喫茶店ではあったが“わたしたちのため”というのが腑に落ちない。

 「……そうなんですね。ありがとうございます。でも今日はもう遅いので、また今度来てみます」

 言葉に引っかかりはあったけど深掘りはせず、当たり障りのない言葉を返した。すると、なぜか不思議そうに首をかしげ、  

 「そ? まぁ無理強いはしないけど……でもきっと、あなたまた来ることになるわよ! じゃ、またねー」

 ヒラヒラとわたしに手を振ってお店の中に入っていった。

 “またね”なんて、わたしが本当にここに来ることを信じて疑わないような口ぶりに、薄っすら罪悪感が芽生えた。わたしが言った“また来ます”なんて、ただの社交辞令なのに。

 でも、会社帰りに誰かとちゃんとした会話を交わしたのは久しぶりで、ほんの短い時間だったけど、非日常感を味わえた。

 この喫茶店に背を向ければ、またいつもの日常に戻る。自分で選んだのに、心の奥底で燻るのは、名残惜しさに似たような感情。だけど今の現状に心は満たされていないのに、そこに変化を取り入れるだけの余白がない。空いたスペースがないから、そこから身動きが取れないでいる。まるでわたしだけ、どこかに閉じ込められているみたいだ。

 どうせこの喫茶店に入る選択をしていたって、何かが変わるわけじゃない。そう言い聞かせるように湧き上がってくる言葉に意識を集中させると、なんだか少しホッとした。そうすると少しざわついていた心も落ち着きを取り戻し、喫茶店から一歩、また一歩と離れて行く。



 ――――――――カランカランッ




 意味もなく吐いたため息と同時に、喫茶店のドアベルが小気味よい音を立てた。

 反射的に小さく振り返ると、こっちを向いて立っている人の姿を捉えた。今、わたしの周りに人はいない。思わずそのままちゃんと振り返って顔を見てしまったが、眼鏡をかけていて顔はよく見えなかった。時間にしたら数秒でも、無言で見つめあっている状況に恥ずかしさがこみ上げてくる。その気まずさから、その場を立ち去ろうと眼鏡の男性に背を向けた瞬間、



 「………………一色(いっしき)?」



 やけにはっきりと聞こえた男性の一言に、またすぐに振り返ることになった。

 たかが一言、されど一言。しかしその一言で、わたしの頭の中は混乱していた。なぜなら『一色』とは、わたしの苗字でもあるのだ。混乱した頭で固まっていると、何かを思い出したように「あっ」と声を発した男性は、そっと眼鏡を外す。その顔を見た瞬間、巻き戻されたわたしの記憶の中にいた人物と、特徴が一致した。

 揺れるカーテン、グランドピアノ、魔法のような音色、夕日に照らされた横顔――――――

 「もしかして…………三影(みかげ)君?」

 「うん。よかった、人違いじゃなくて」

 「わたしのこと覚えてくれてたんだ。というか、この暗さでよく分かったね」

 三影君は私の頭上を指さし、

 「だって、ほら。ちょうどスポットライトみたいになってたから」

 そう言って笑った顔は、わたしの記憶の中の三影君の面影を残していた。

 なんとなくホッとしたのと同時に、わたしは三影君に言われハッと上を確認した。本当にちょうど煌々と光を地面に下ろす街灯の真下にいることに気が付き、そのスポットライトから逃れるため、三影君の居るほうへ二、三歩近づく。少しだけ三影君との距離が近くなっただけなのに、あの頃の記憶との距離も近くなった気がした。



 三影(みかげ)流弦るいと

 

 わたしが、フルネームではっきりと名前を覚えている数少ない同級生の一人。高校時代、最後の一年だけ同じクラスだった同級生。でも、わたしと三影君は三年間、今思うと奇妙な付き合いがあった。

 だいたい放課後は第二音楽室にいた三影君。部活には入っていないけど、ピアノのコンクールで入賞して表彰されることが多く、学校内でもわりと存在を知られている生徒。彼の家は音楽一家で、彼もまた将来を嘱望されたピアニストだった。

 

 そんな三影くんとわたしが出会ったのは高一の春。当時わたしが所属していた美術部は、美術の知識に明るくない顧問だったため、規則などはわりと緩く、良く言えば自由に創作をさせてくれる部だった。真面目にコンクールに出す絵を描いている人や、粘土を捏ねている人、友達とお喋りをしながら紙に落書きを描いて遊んでいるだけの人、ただ携帯をいじっているだけの人。入部したての頃のわたしは部活内に知り合いもおらず、あまり居心地が良くなかったため、好きな場所を選んで絵を書くことにした。希望としては、なるべく人が少なくて静かなところ。しかしまだ校舎の構造もきちんと把握していなかったわたしは、とりあえず自分の勘を頼りに人の気配が少ないほうへ足を進めた。そうしてわたしが選んだのは、校舎の三階の端にある第二音楽室。廊下を歩いていたとき、第二音楽室の窓越しに綺麗な桜を見つけて、描きたくなった。ちらりと覗いた音楽室は誰もおらず、教室のドアをそっと動かしてみると鍵もかかっていないようだったので、そのままドアを横に引いた。するとほぼ同時に、誰かが近くの教室のドアを開ける音が聞こえ、別に悪いことをしているわけではないのに肩が跳ねた。驚いて右を向くと、第二音楽室のわたしと反対側のドアを開け、少し驚いた顔をしている三影君と目が合った。そのとき上履きの色で同級生だと分かり、少しいホッとしたことを覚えている。

 「あの、ここ使う?」

 「いや、そっちこそ。部活かなんかで使う感じ?」

 「えーっと、わたしはただ絵を描く場所を探してただけだから、ここ使うなら他のとこ探すよ」

 「あのさ……絵描いてるときに、ピアノの音が聴こえたら集中できない?」

 「そんなことない、と思う」

 「じゃあ、今から試しに一緒に使ってみればいいじゃん」

 それが、初めての会話。

 


 わたしがここまで鮮明に出会いの瞬間を覚えているのは、そのときに聴いた三影君が弾くピアノの音が、わたしの中のピアノの概念を綺麗に壊したから。ピアノの音なんて何度も耳にしているのに、初めて音を聴く楽器のような新鮮さがあった。その音が耳から吸い込まれて身体を浸透していくたびに、不思議と踊るように筆が乗った。

 その日から、放課後は第二音楽室で一緒に過ごすことが増えた。彼氏彼女のような特別な関係だったわけではなく、ただお互いが同じ空間で各々好きなことをしているだけ。それがとても心地よかった。たまに交わす会話も、何の駆け引きもなく発した言葉で話せて気が楽だった。

 



 どちらから言い出したわけでもなかったが、放課後の第二音楽室以外の場所では同級生、クラスメイト以外の何物でもないという距離感を、お互いが自然と演じていたように思う。隠していたつもりはなかったけど、仲の良い友達にも三影君との接点を、なぜか話そうとすら思ったことがなかった。

 だから何の変哲もない美術部員のわたしと「ピアノの人」と言えばあの人と、学校中の人たちに認識されていた三影君の共通点なんてないに等しく、おそらくわたしたちの交流を知っていた人はいない。







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