エピローグ
1
霧子はいま、横須賀基地内にある将校向けの住宅にいた。二十畳はあろうかというリビングに据えられたソファに、ゆったりと座り、夏の日差しが差し込む窓の外を見るとはなく、見ていた。
ミヒャエルとともにアンティータムの艦上にテレポートした霧子は、横須賀基地に寄港後、すぐに病院に収容された。意識はすぐに回復したが、しばらくの間、検査と審問が繰り返された。
そこから解放されたのは、一週間ほどしてからであった。
退院した霧子は、今度はこの一戸住宅に移された。
それから一週間、霧子は監視下に置かれ、外に出ることもままならず、半ば暇つぶしにCIA本部あてのレポートを作成した。
今回の事件を報告するレポートであった。
出来上がったレポートを本国に送信したが、その後、なんの回答もなく、霧子は無為の日々を三日ほど送った。
動きがあったのは、四日目のことだった。
CIA本部から霧子の上司が来日するという回答だった。
そして、いま霧子はその上司をリビングで待っている。
待つ間、霧子はいままでの出来事をまた、思い返していた。
ヤマタノオロチはどうなったのか?
横須賀基地が無事なところを見ると、たぶん、麻里江や奈美の尽力で倒せたのだろう。しかし、それにしては、基地内部は平穏であった。
病院とこの住宅以外、外に出られなかった霧子は、外の様子は伺い知れなかったが、霧子が見る限り、皆に動揺や不安の様子は見えなかった。
ヤマタノオロチの話題はおろか、陸防隊のクーデターのことも話にのぼらなかった。話題に上るのは、地震や総選挙、そしてアイドルの話などごく身近なことばかりであった。
霧子は皆が平気でいられるのが、不思議でならなかった。
そして、ミヒャエルのこと。
あれ以来、ミヒャエルとは会えず、その容態なども何もわからなかった。
「ミヒャエル…」
あのとき、ミヒャエルが告白した言葉を思い返し、思わず、頬を朱に染めたとき、玄関のチャイムが鳴った。
霧子は出迎えることもなく、ソファに座っていると、長官と呼ばれる白髪の男が入ってきた。
「元気そうだな。キリコ。」
「おかげさまで。」
笑顔もなく語りかけてきた長官に、霧子は皮肉っぽく笑って返した。
「レポートは読ませてもらったよ。」
長官はソファに座りながら、さっそく本題に入ってきた。
霧子は向かい側の椅子に座ったまま、長官の次の言葉を待った。
「なかなか、よくできたレポートだった。小説として売り出せば、ヒットするかもしれないな。」
「どういう意味ですか?」
霧子は軽く眉を上げて、長官の顔をじっと見つめた。
「CIAは個人の妄想に付き合う暇はないということだ。」
「妄想?どこが妄想ですか?」
霧子は声を荒げて尋ねた。
「すべてだよ。最初から最後までだ。」
無表情の長官は、霧子の怒りを受け流すように足を組み、背中を背もたれに預けた。
「すべてって…。現にヤマタノオロチが出現し、都市を破壊したではないですか。」
「そのオロチとかいうものが、君の妄想だというんだよ。この日本でそのような怪物が現れた報告はどこからもない。」
「どこからもって…、イージス艦がオロチに対してトマホークを撃ったじゃあないですか。」
「そんな事実もない。訓練で発射したことはあるが…。」
「訓練…」
霧子には信じられなかった。
長官が、いやアメリカと日本が事実を覆い隠そうとしていると思った。
「陸防隊のクーデターは?」
「クーデター…、そんなものはない。確かに陸防隊の出動はあったが、それは御殿場で起きた地震への災害救援のためだ。」
「地震?災害救援?」
霧子にはまだ信じられない。
「これを見たまえ。」
長官がポケットに差していた新聞を、霧子へ差し出した。それを取り上げた霧子は一面から順に食い入るように読んでいった。
確かに、ヤマタノオロチのことや陸防隊のクーデターのことは何も書いていない。あれから半月余りたっているが、それでもあれだけの大事件だ。その後の経過など何も書いてないのはおかしい。
霧子にはどうなっているのか、見当もつかなかった。
「君が一時期、消息を絶ったので、本部としても懸念していたのだ。」
「消息を絶った?わたしが?」
長官の言っていることが少しも理解できなかった。
二人の間で短い沈黙が流れた。
「ミヒャエル、ミヒャエルはどう言っているんですか?ミヒャエルなら私の言っていることが本当だと、証言してくれるはずです。」
霧子は藁をもつかむ気持ちで、長官に訴えた。
それに対して長官は初めて、表情を見せた。
「ミヒャエルはいまだに昏睡状態だ。」
「昏睡状態?」
霧子の中で望みが断ち切られた音がした。
「君といっしょにアンティータムの艦上に現れた時から、今現在まで眠ったままだ。目を覚ます兆しもない。」
長官は苦し気に霧子に語った。
霧子は自分が闇の中に閉じ込められたような思いがした。
自分の経験したことが、すべて否定されていくのだ。
長官の言う通り、すべて自分の妄想、夢なのだろうか?
「マリアとカティナは助かったんですか?」
霧子は俯きながらポツンと口にした。
それを聞いて長官は怪訝な顔をした。
「マリア?だれだね、それは?」
長官のその反応に、霧子は驚いたように顔を上げた。
「マリアですよ。カティナの双子の妹の。ビック5(ファイブ)の一員の。」
「カティナの妹?ビック5(ファイブ)?おいおい、寝ぼけちゃいけないよ。カティナに妹はいないし、ビックファイブではなく、ビック4(フォー)だろ。」
長官は心配そうな顔で霧子を見た。
「ビック4(フォー)?」
「そうだ。君とカティナとミヒャエルとウーの四人だ。」
長官がうそや冗談を言っているとは、その表情から思えなかった。すると、自分が間違っていたのか。
霧子はまさしく霧の中にさまよっているような思いだった。
「キリコ、君は疲れているんだ。一ヶ月ほど休暇をやろう。ゆっくり休みたまえ。」
それに対して、霧子はなんの返事もしなかった。
長官はゆっくりと立ち上がると、落ち込む霧子を置いて、その場から去ろうとした。そのとき、何かを思い出したのか、一度、立ち止まった。
「そうそう、カティナは来週から世界ツアーを開始するようだ。日本にも来るから見に行ったらどうだ?」
それに対しても、霧子は反応を見せなかった。
長官は深いため息をつくと、そこから立ち去った。
霧子は、長官が立ち去ったのにも気づかず、ずっと同じ姿勢を取っていた。
2
いま、霧子は霞が関の合同庁舎内、小さな会議室の中にいた。
ある人物と会うために訪れたのであった。
椅子に座り、窓から外を眺めながら霧子は、長官と面談した後のことを邂逅していた。
あのあと、霧子は休暇をもらい、横須賀の基地から外へ出れるようになった。
すぐに自分の手で情報を集め、霧子自身が体験したことを検証した。しかし、すべて長官の言った通りであった。
日本にヤマタノオロチのような怪物が出現した事実はどこにもなく、富士周辺や御殿場の市街はオロチによって破壊されたという事実もない。代わりに大規模な地震による被害があったということになっている。
その災害支援で陸防隊が出動したということは確かにあったが、陸防隊がクーデターを起こしたという事実は見つけられなかった。ましてや、オロチと戦ったという話は、どこからも聞けなかった。
もちろん、テロリストによる爆破事件もどこにも起こっておらず、首相はかわらず、八木という老政治家が務めている。
うわさでは、近々、総選挙があるということだ。
オフィス・ワンは乙女座クラブやアリエス4の人気アイドルを擁し、日の出の勢いであり、世界ツアーのカティナとのコラボも予定されているという。
そのアリエス4のライブを見る機会があったが、メンバーは以前見たメンバーとはまったくの別人であった。
窓から東京の変わらぬ喧騒を見ながら、霧子は長い夢を見ていたのかと自分自身に疑問を投げかけていた。
ある人物のとの会談もその疑問を解消するためのものであった。
そう思っているうちに、会議室のドアが開く音がした。
振り向くと、ドアの前に霧子が会談を希望した人物、剣持がいた。
「お待たせしました。剣持です。」
覚えのある笑顔を見せながら、剣持は霧子に近づき、右手を差し出した。
霧子は躊躇なく、その手を握り、笑顔を返した。
「キリコ・エッシェンバッハです。お会いいただき、ありがとうございます。」
「お座りください。」
椅子を指し示すと、霧子は遠慮なく座り、剣持もテーブルを挟んで、向かい側に座った。
「ご依頼の件ですが…」
話し始めた剣持を見ながら、剣持が自分に見覚えがないかと期待を持った。
FBIの伝手を使って、不明者捜査の依頼という以前にも用いた手段で、剣持との会談を画策した。
依頼された捜査の結果を淡々と話す剣持を見て、霧子の期待は急速にしぼんでいった。
「以上ですが、なにかご質問は?」
剣持の話が終わったことに、ハッとした霧子は、少し引きつったような笑いを浮かべた。
「私の説明が分りづらかったですか?」
「いえ、そんなことは。ここまで調べていただき、本当にありがとうございました。」
霧子は軽く頭を下げた。
剣持はホッとするような笑顔を向け、持ってきた資料を霧子の前に差し出した。霧子はその資料に軽く目を通し、持ってきたバックにしまった。
「何かありましたら、ご連絡ください。」
そう言って、剣持は名刺を差し出した。
受け取った霧子の目に、【警察庁 警備局 局長 剣持雄三】の文字が映った。
そう、特別捜査局という部署は日本のどこにもないのだ。
それは、会談を申し入れた段階でわかっていた。
それでも霧子は、最後の希望に縋るように口を開いた。
「ミスター剣持、以前、どこかでお会いしたことはありませんでしたか?」
「え?」
剣持は怪訝そうな顔をした。
それを見て、霧子の最後の希望は雲散霧消した。
「そうですか?いえ、気にしないでください。」
そう言いながら立ち上がり、ドアの前に進んだ時、剣持が口を開いた。
「日本語がお上手なんですね。」
「ええ、生まれは日本ですから。」
意外な返答に剣持は少し驚いた様子を見せた。
「そうですか。道理で…」
「今日は本当にありがとうございました。」
霧子は深々と頭を下げた。
「また、お会いできるといいですね。」
剣持の優しい笑顔に、霧子は苦笑にも似た笑顔を浮かべた。
「いえ、もうお会いすることもないでしょう。」
そう言い残して、霧子は会議室を出ていった。
3
ひさしぶりの東京の街並みであった。
大勢の人間が何事もなかったように行き来している。
霧子はその様子を見て、まだ、信じられない気持ちだった。
確かにあの時、日本は滅亡の危機にあった。
邪悪なエネルギーの塊により街が破壊され、多くの人が犠牲になった。
しかし、目の前の光景はどうか。
何も変わらず、日常の光景が広がっている。
大勢の人に流されるように歩く霧子は、自分が交差点の前に来ているのに気付いた。なにげなく、向こう側を見たとき、女子学生が目に入った。
友達同士なのか、楽し気におしゃべりをしている。
信号が青になり、人々が横断歩道を渡り始めた。
歩く霧子の正面から近づく二人の女子学生には見覚えがあった。
「やあね、美樹ったら。」
「そんなこと言ったってさ。麻里江。」
おしゃべりしながら歩いてくる二人に、霧子の視線が追いかけた。
霧子の視線に気づいたのか、二人が怪訝そうな顔をして通り過ぎる。
「知っている人?」
「ううん。」
おかしそうに笑いながら二人は人ごみに消えていった。
我に返った霧子は、信号機が点滅しているのに気付いた。
急いで渡るその横を駆けていく女子学生がいた。
竹刀を包んだ袋を担いで駆けていく、その横顔に霧子はハッとした。
「翔?」
しかし、その女子学生は霧子に気付くことなく、路地の向こう側に消えていった。
何が何やらわからなくなった霧子は、ふらつく足を引きずって、どこへともなく歩いた。バックが肩から落ちたのも気づかず。
その肩を叩くものがいた。
「あの、落としましたよ。」
「え?」
振り返ると、霧子のバックを差し出す女性が目の前に立っていた。
「あ、ありがとうございます。」
軽く頭を下げ、改めて相手の顔を見て、霧子はハッとした。
「奈美」
霧子の後ろから、自分が呼ぼうと思った名前が聞こえてきた。
思わず振り返ると、そこに忘れられない顔があった。
「史郎!」
奈美と呼ばれた女性が、うれしそうに男に駆け寄った。
「待ったかい?」
「ううん。」
二人は楽しそうに会話しながら雑踏の中に紛れていった。
一人残された霧子は、急に孤独感に襲われた。
「みんな、私の知らないところに行ったの?」
街には人がひしめき、喧騒は遠くまで聞こえる。
しかし、霧子はその中で一人であった。
エンジェル伝説 第二部 マリオネットの章 完




