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4/6

九、戦場の長い朝

          1

 「はじまったようね。」

 廊下を駆けながら霧子は、作戦が始まったことを知った。

 いずれこの建物は戦場になる。

 この混乱を利用して奈美を探したかった。

 しかし、そうもいかない。

 「逃がさないわよ。」

 後ろから(いばら)の鞭が飛んで来た。

 ヘッドスライディングのように前へ飛ぶと、少し遅れて鞭が床を叩いた

 床を一回転して起き上がった霧子は、ポケットから取り出したコインを指ではじいた。

 霧子の目が金色に輝く。

 弾かれたコインは加速度的に速さを増し、弾丸のように樹魔に向かった。

 樹魔の袖から蔦が放射状に広がった。

 コインがそれにめり込む。

 「おもしろい芸を持っているわね。」

 樹魔が軽く笑った。

 「そっちもね。」

 霧子も負けじと返す。

 二人の間で殺気がぶつかった。

 「妖法 邪蔓(じゃまん)

 樹魔の足元から蔓が急速に伸びた。それは床を伝い、壁を這い上り、天井全体へと広がっていった。

 あっという間に、霧子の周りを蔓が囲んだ。

 「これは…?」

 身構える間もなく、蔓は霧子の足に絡まり、続いて両手に絡みついた。

 「しまった。」

 引きちぎろうともがいたが、蔓はびくともしない。

 「THE ENDね。」

 蔓に生えている棘が一斉に霧子の方を向いた。

 それを見て、霧子の目が金色に輝く。

 数十本の棘が、霧子めがけて槍のように伸びた。

 同時に霧子の周りが陽炎のように揺らめく。そこへ槍のような棘が一斉に押し寄せた。

 しかし、棘は霧子の周りで次々とへし折れていく。

 「なに!」

 その現象に樹魔は目を見張った。

 しかも、棘だけでなく、霧子に絡んでいた蔦も次々とねじ切れていった。

 切れた蔦や棘が床に落ちず、宙に浮く。

 それはなにかに突き動かされるように、樹魔に向かって一斉に飛んでいった。

 再び、樹魔の袖から蔦が放射状に広がった。そこへ飛んで来た蔦や棘が突き刺さっていく。

 「やるじゃないの。」

 余裕の笑みを見せる樹魔の頭上にある蛍光灯が突然割れた。

 霧子の精神動力(サイコキネシス)が蛍光灯を次々と割っていく。

 その破片が樹魔に降り注いだ。

 思わず破片を避ける樹魔。そこに隙ができた。

 霧子のコインが空を切る。

 「ぐっ!」

 そのコインが樹魔の腕に突き刺さった。

 「覚悟しろ。」

 次のコインを弾こうとしたとき、樹魔の蔦が目の前に壁をつくった。

 壁に阻まれ、コインを弾くのをためらった時、ドアが開く音がした。

 「まて!」

 霧子が目の前の蔦の壁をサイコキネシスで打ち破ると、その向こうにはすでに樹魔の姿はなく、扉のひとつが開いているだけだった。

 霧子がその扉に駆け寄ったとき、廊下の向こうに落ちているディフェンダーが目に入った。

 右手を差し出すと、ディフェンダーが磁石に吸い寄せられるように、霧子の右手に納まった。

 それを持ったまま慎重に部屋の中に入っていく。

 中はテーブルと椅子だけがある休憩室のようなところだった。

 銃を構えながら見渡すが、樹魔の姿はどこにもない。ただ、部屋の窓が一つ開いており、そこから外の空気が吹き込んでいた。

 その窓に近寄ると、淵に血がついていた。

 窓から身を乗り出すと、東の空が明るい。

 夜明けが近いことを示すように、周りも薄明るくなっており、地面に血が点々と続いているのがはっきり見えた。

 霧子は窓から飛び出し、地面の血の跡を追った。

 それは温室のような半透明の建物に続いていた。

 辺りを警戒しながらその建物に近づく。

 ドアが開いている。

 開けると生温かい空気が顔に当たった。

 中は様々な植物が植えられており、ちょっとした植物園の様相を呈していた。

 地面を見ると、血の跡が途中で消えている。

 「この中に隠れたってこと?」

 霧子はゆっくりと温室の中に入っていき、辺りに警戒心と銃口を向けた。

 そのとき、不気味な笑い声が温室に木霊した。

 「ホホホホ、よく来たわね。」

 「どこにいるの?樹魔。姿を見せなさい。」

 周りを見渡したが、笑い声だけで樹魔の姿は見えない。

 「ここがあなたの墓場よ。」

 「姿を見せない臆病者に言われたって、怖くはないわ。」

 憎まれ口をききながら、見えない敵に神経を集中させた。

 そのとき、頭上から矢のようなものが飛んで来た。

 すんでのところでそれを躱す。

 地面に突き刺さったのは、白い薔薇の花だった。

 「これは?」

 「ホホホホ、その花があなたの血を吸って赤くなるのよ。」

 樹魔の言葉とともに薔薇の矢が雨のように降ってきた。

 「くっ」

 霧子の目が金色に輝いた。

 サイコバリヤーが盾となって、薔薇の矢を防ぐ。

 「大地に捕らわれし者どもよ。いまこそ、その身を解き放ち、我の(しもべ)として我が命に従え。」

 樹魔の呪文が温室の中に響く。

 それにつられて、温室内の植物がざわめきだした。

 「なに?」

 不吉な予感が霧子の頭を駆け抜けた。

 すぐに霧子は温室から出ようと、ドアに取りついた。しかし、ドアが開かない。

 「我が僕のいけにえとなれ。妖法 魔森界(ましんかい)。」

 霧子の背中に異様な気配が張り付いた。

 急いで振り返ると、棕櫚(しゅろ)の木が倒れてきた。

 寸前で躱した霧子は、自分のまわりにいつのまにか、様々な植物が迫っているのに気づいた。

 「なに、これ?」

 また、薔薇の花が矢のようになって飛んで来た。

 横に逃げた霧子の身体がなにかにぶつかった。

 見るとヤシの木が目の前にある。

 考える間もなく、上からヤシの実が落ちてきた。しかも一度に数個も。

 「くそ!」

 霧子のサイコキネシスがヤシの実を頭上で止める。

 後ろから再び棕櫚の木が襲い掛かってきた。

 空中で止めたヤシの実を、棕櫚の木に向けてぶつける。

 棕櫚の木はヤシの実の固さに抗しきれず、真ん中から折れ曲がり、地面に倒れた。

 今度は蔦がするすると伸びてくる。

 躱す間もなく、蔓が右手を叩いた。

 思わず、ディフェンダーを取り落とす。

 すると別の蔦が足に絡んできた。

 強烈な力で引っ張られる。

 足をすくわれた霧子は、地面に尻餅をつき、そこへ新たな蔦が絡んできた。

 「くそ!」

 ポケットから取り出したコインを弾く。

 絡む蔦を次々と切っていくが、そのそばから蔦が伸びてきた。

 コインを持つ手も蔦に捕らわれる。

 両手両足に絡んだ蔦が、すさまじい力で霧子を引きずっていった。

 そのさきになぜかラフレシアの大きな花があった。

 「どうして?」

 霧子の身体がラフレシアの花の上で逆さまにぶら下げられた。

 ラフレシアの独特の匂いに霧子は顔をしかめた。

 「いいざまね。霧子。」

 いつのまにかラフレシアの向こう側に樹魔が姿を現した。

 「やっと出てきたわね。樹魔。」

 樹魔を睨みつける霧子に、樹魔は得意げな笑みを送った。

 「最後にお別れを言おうと思ってね。」

 「ずいぶんと律儀ね。」

 霧子も皮肉っぽく笑った。

 「ラフレシアの花があなたを骨まで溶かしてくれるわ。」

 「ラフレシアは食虫植物じゃあないはずよ。」

 「私のラフレシアはちがうわ。食欲旺盛な人食い花よ。」

 そう言うと、樹魔が指を鳴らした。

 途端にラフレシアの花が動き出し、その中央がまるで巨人の口のように大きく開き、無いはずの牙を剥きだした。

 「Really(嘘でしょう)!?」

 霧子の驚きを他所に、霧子に絡んでいた蔦が突然ゆるんだ。当然、霧子の身はラフレシアに向かって真っ逆さまに落ちていった。

 「GOOD BYE」

 樹魔の嘲笑を横目で見ながら、霧子は目を瞑り、精神を集中させた。

 ラフレシアの口が霧子を飲み込もうとする。

 その直前、霧子の身体が空中で停止した。

 霧子の周りの空気が急速に熱を帯び始める。

 ラフレシアの花弁が霧子を包み込むようにせり上がる。

 樹魔の視界から霧子が消えた。

 その結果に満足したような笑みを浮かべながら、樹魔がその場を離れようとした。

 そのとき、熱気が樹魔の背中に吹き付けた。

 「なに!?」

 急いで振り返った樹魔の目に信じられない光景が映った。

 ラフレシアのあちこちから赤い光が漏れ出しと思ったら、いきなり花弁に火が点いた。

 炎はラフレシア全体に燃え移り、巨大な火の塊となって燃え上がった。

 「これは…?」

 熱気を避けようと後ずさりしながら、樹魔は事の成り行きに戸惑った。

 やがて、炎は周りの植物に燃え移り、温室全体が炎に包まれた。

 危険を感じた樹魔は、すぐに半透明の壁を打ち破り、燃え上がる温室から脱出した。

 振り返ると、夜明け前の蒼い薄明かりのなか、温室は火災の赤で辺りを真っ赤に染めていた。

 「霧子…」

 憎しみの目で炎を見つめるその先で、温室の炎が真っ二つに分かれ、その奥から人影が歩いてきた。

 「ご自慢の植物もこのありさまね。」

 霧子が嘲笑を浮かべて、樹魔を見つめていた。

 「おのれ!」

 樹魔の袖から荊がスルスルと伸びた。

 それを見て、霧子の目が金色に輝き、後ろの火災の温室から火のついた枝や樹木が、回転しながら飛び出してきた。

 「!」

 それらが樹魔に向かって飛んでいく。

 それに反応して、荊が生き物のように宙を舞い、飛んで来た枝や樹木を叩き落とした。

 「こっちの番よ。」

 樹魔が荊を鞭のように振り回した。

 それを避けるように駆けだした霧子の後を追うように、荊の鞭は地面を叩いていく。

 荊の鞭が霧子の首を狙って襲い掛かった。

 それを、地面を転がりながら躱した霧子は、ポケットから取り出したコインを連続して弾いた。

 加速度的に宙を走るコインが、荊の鞭を真ん中から断ち切った。

 「まだまだ!」

 樹魔の反対の袖から別の荊が伸びた。

 それが霧子に向かって躍りかかる。

 躱しきれず、霧子の肩口が切り裂かれた。

 「ぐっ」

 反射的に肩を手で押さえる。

 その隙をついて、脇腹を荊の鞭が叩いた。

 勢いで地面に倒れる。

 そこへ荊が蛇のように伸び、霧子の首に絡みついた。

 「しまった。」 

 すぐに首から外そうとするが、荊は霧子の首を強烈な力で締め上げた。

 荊の棘が首に食い込み、血が滲む。

 「とどめよ。」

 樹魔の指の間に、いつのまにか薔薇の花が挟まっていた。

 それを霧子の心臓めがけて、ダーツのように投げた。

 心臓に当たる寸前、霧子の左腕が薔薇のダーツを受けた。

 しかし、そのため首の荊が更に霧子の首を締め上げた。

 「ホホホホ、いつまで受けてられるかしら?」

 すでに樹魔の指の間に次の薔薇の花が挟まっていた。

 再び心臓を狙って、薔薇の花を投げる。

 「くそ」

 次も霧子は左腕でそれを受けた。

 左腕が真っ赤に染まる。

 「もう限界のようね。」

 樹魔の嘲笑の向こうで、霧子の顔が赤紫に腫れあがっていた。

 更に荊が霧子の首を締め上げる。

 思わず霧子は荊を握りしめた。

 「無駄ムダ。私の荊は簡単には引きちぎれないわ。」

 苦悶する霧子の姿を見て、樹魔の唇がサディスティックにねじ曲がる。そのため、握りしめた荊から煙が出ているのに気づかなかった。

 そのうえ、霧子の周りの空気も熱を帯び始めた。

 その熱気に、樹魔はようやく異変に気づいた。

 「なに、この暑さ。」

 荊が燃え始め、更に周りの芝生にも火が点き始めた。

 「熱い。」

 樹魔が思わず、荊を離した。

 荊の首を絞める力が弱まり、火が点いた荊は霧子の首からするりと地面に落ちた。

 霧子の周りの熱気は更に強まり、空気は熱を帯びて、芝生を焦がしながら広がりを見せる。

 樹魔もたまらず、近くの松の木の陰に隠れた。

 「空気中の水分を振動させて、熱を発生させているの?」

 木の陰に隠れていても熱は樹魔に容赦なく襲い掛かる。

 「このままじゃあ、焼け死ぬ!」

 樹魔が松の木を叩いた。

 松の木が大きく揺れ、松の枝が無数の針となって霧子に降り注いだ。

 それを見て、霧子の目の輝きが増した。

 灼熱の熱波が霧子から周りに放射された。

 松の枝は霧子に届く前にすべて燃え上がった。

 「まずい。」

 危険を感じた樹魔はその場から逃げ出そうとした。

 そこへ霧子の灼熱の熱波が覆いかぶさった。

 「ギャア~!」

 悲鳴とともに樹魔の体が燃え上がった。

 火を消そうと地面を転げまわるが、その地面の芝生は火が燃え広がっており、樹魔の体の火は容易に消えなかった。

 「水、みず!」

 水を求めて、炎に包まれた樹魔は駆け出した。

 「逃がすか!」

 立ち上がると同時に、霧子の指がコインを弾いた。

 弾丸のように飛ぶコインが樹魔の身体を貫く。

 「ぐわ!」

 断末魔の悲鳴とともに樹魔は地面に倒れた。

 樹魔の全身を炎が包み込み、しばらく蠢いていたが、やがて動かなくなった。

 それを見て、霧子は一息つき、その場から建物に歩み寄った。壁に寄りかかると疲労感からそのまま体を沈め、地面に座り込んだ。

 火傷や傷の痛みが途端に広がり、倦怠感から身動きができず、自然、瞼が落ち、睡魔が襲ってきた。

 そのとき、激しい殺気が全身に降り注いだ。

 急いで目を開けると、全身真っ黒焦げの樹魔が目を爛々と輝かせ、目の前に立っていた。

 霧子は息を飲んだ。

 「シ…ネ…」

 擦れた声を霧子に浴びせながら、両手を霧子の首にかけようとした。

 大きく開いた口の奥には刃物のような牙が並んでいる。

 それが霧子の頸動脈を狙っていた。

 霧子が樹魔の手を掻い潜ると、右手を相手の胸に押し当てた。

 その手から念動波が放たれる。

 樹魔の身体が震えたかと思うと、その胸が粉々に吹き飛んだ。

 二つに割れた体は、地面に倒れ、その衝撃でバラバラに砕け散った。

 バラバラになった樹魔を見て、霧子は大きく息を吐いた。

 「死にぞこないが!」

 そう言い捨てると、地面に腰から落ち、そのまま動かなくなった。

          2

 一方、雷玉の威力でミヒャエルを、骨も残さず葬り去ったことに満足していた鳴神は、二階から立ち去ろうとした。

 「人間の命などあっけないものだな。」

 悟ったような言葉を発した時だった。

 背後からの殺気に鳴神は驚いた。

 殺気から身を躱そうとしたのと、銃声が轟くのが同時だった。

 左肩に激痛が走る。

 弾の飛んで来た方向に体を向けると、そこに信じられない者が立っていた。

 ミヒャエルがベレッタM92の銃口を真っすぐ鳴神に向けて立っていた。

 「なぜ、生きている?」

 傷を負った左肩を右手で押さえながら、鳴神はミヒャエルに向かって言葉を投げた。

 「答える必要はない。」

 冷静なミヒャエルのベレッタが再び火を吹いた。

 しかし、今度はその弾を電撃で弾き飛ばす。

 「今度はこっちの番だ。」

 鳴神がいきなり駆け出した。

 その右手には雷玉が握られている。

 ミヒャエルも同じように駆け出した。

 鳴神が雷玉を投げつけた。

 雷玉がミヒャエルに当たる寸前、ミヒャエルの身体が消えた。

 雷玉はそのまま通り過ぎ、窓を打ち破って外に消えた。

 「!」

 また、背後から殺気が鳴神の背中を貫いた。

 「妖法 鳴神渡し!」

 背中を見せたまま、電撃が床を走った。

 ミヒャエルは飛び上がると同時に、その姿を消した。

 今度は鳴神の左側に出現する。同時にベレッタが火を吹いた。

 「うお!」

 9ミリ弾を辛うじて電撃で弾く。

 「瞬間移動(テレポート)か?」

 鳴神の額に冷たい汗が浮かんだ。

 ミヒャエルは無表情のままベレッタを構えた。

 「正体が分ればやりようはある。」

 鳴神の唇が吊り上がった。

 ミヒャエルの頭にいやな予感が過った。

 鳴神の両手に雷玉が浮かび上がった。

 二つの玉が鳴神の頭上に浮かび上がる。そして、天井付近で二つの玉がぶつかり、小さな雷玉が天井一杯に広がった。

 「さて、今度はどこに逃げる?」

 「まずい。」

 「妖法 雷雹(らいひょう)!」

 天井一杯に広がった雷玉がまさしく雹のように二階全体に降り注いだ。

 小さな爆発が連続して起き、それが重なり、次々と誘爆していき、二階全体を閃光と爆炎、そして爆発音が包み込んだ。

 それはクラブハウス全体を揺るがした。


 クラブハウスの誰もいない屋上。

 そこにミヒャエルの姿が突如出現した。

 「ふぅ~」

 一つ息を吐くと、ミヒャエルは周りを見回した。

 屋上には誰もいない。

 「間一髪か。」

 助かったことで、ミヒャエルの緊張感が少し緩んだ。

 すでに東の空が明るくなっている。

 周りも夜の闇が遠退き、朝の明るさが蔓延しつつあった。

 クラブハウスの下からは先ほどの爆発の煙が立ち上っており、そのせいで辺りは霞んでいた。

 「自分の起こした爆発の巻き添えになったか?」

 「そんな、まぬけなまねをするわけないだろう。」

 予期せぬ返答に、ミヒャエルは驚き、急いで振り返った。

 目の前に鳴神が立っていた。

 「やはりここへ逃げてきたか。」

 自分の予測に満足した笑みを浮かべながら、鳴神がミヒャエルに近づいてきた。

 すぐさま、ベレッタを構える。

 鳴神が両腕を上げた。

 「おまえも瞬間移動(テレポート)ができるのか?」

 「別の形でな。」

 笑いを浮かべたまま、鳴神が口笛を吹いた。

 何かが動く音に、ミヒャエルの警戒のセンサーが敏感に反応した。

 いつのまにかミヒャエルの周りをイズナが取り囲んでいる。

 その数、6匹。

 「こいつら…?」

 初めて見る生き物にミヒャエルは戸惑った。

 「俺のかわいい相棒だ。なかよくしてくれ。」

 鳴神の言葉が合図になったのか、イズナたちがミヒャエルの周りをぐるぐる回り始めた。

 ベレッタを構えたミヒャエルは、その動きを目で追おうとしたが、すぐにあきらめた。

 あまりに動きが速い。

 突然、2匹が頭上に飛び上がった。

 鋭い牙が襲い掛かる。

 殺気を頼りに身を躱す。同時にベレッタの引き金を引いた。

 しかし、撃った先にはすでにイズナはいない。

 そのとき、後ろから殺気が飛んでくる。

 振り返った時、二の腕に激痛と痺れが走った。

 「!?」

 一匹のイズナの口に、ミヒャエルの服の切れ端が銜えられている。

 それを見て、いきなりミヒャエルが駆け出した。

 その後をイズナが追う。

 再び、イズナの牙が襲い掛かる。

 ベレッタが火を吹くが、イズナの動きが速く、狙いが定められない。

 そうしているうちに、今度はミヒャエルの足に激痛と痺れが走った。

 いつのまにか背後にいたイズナが、ミヒャエルの足に噛みついたのだ。

 それを振り払い、また駆け出すミヒャエルだが、目にも止まらぬ速さで動くイズナは、だんだんとミヒャエルを追い詰めていった。

 鳴神は一歩も動かず、ただ、ニヤニヤ笑って見ている。

 屋上の柵際に追い詰められたミヒャエルに向かって、イズナが一斉に襲い掛かった。

 牙と爪がミヒャエルの身体に食い込む寸前、その身体が消えた。

 「妖法 鳴神渡し。」

 ミヒャエルが消えた瞬間、鳴神の身体から電撃が走った。

 「ぐわぁぁー!」

 ミヒャエルの消えた場所から対角線上の場所で、悲鳴が上がった。

 ミヒャエルが鳴神の電撃を喰らって、コンクリートの床に倒れた。

 「テレポートで逃げるよう仕向けたことに、気付けなかったようだな。」

 「罠ってわけか?」

 全身の痺れで体が思うように動かせない中、やっと口をきいたミヒャエルに、鳴神はしたり顔をした。

 「そう、逃げるとわかっていれば、あとは出現場所さえ予測すれば、おまえに電撃を加えることは容易だ。」

 倒れているミヒャエルがやっとの思いで起き上がったが、立ち上がれず、屋上の柵に身を預けて、座ったまま鳴神を睨んだ。

 ベレッタは手の届かないところに落ちている。

 それを見て、鳴神が口笛を鳴らした。

 イズナがミヒャエルの周りに集まる。

 「さっきはベレッタを避雷針がわりにして、俺の電撃を多少、軽減したようだが、今度はそうはいかないぜ。」

 鳴神の目が細くなった。

 ミヒャエルはそれを見ながら膝を立てた。

 その行動に鳴神が訝しげに見ていると、いきなり足首に装着したジュニアコルトを抜いて、その銃口を鳴神に向けた。

 それを見て、鳴神が笑った。

 「そんなもの抜いてどうする?おれには通用しないぜ。」

 「やってみなけりゃ、わからんだろ。」

 ミヒャエルも口元に笑みを浮かべた。

 「じゃあ、やってみな。」

 鳴神が指を鳴らした。

 イズナたちが一斉に躍りかかる。

 その瞬間、ミヒャエルが消えた。

 「妖…」

 呪文を唱えようとした瞬間、鳴神の背中に何かが押し付けられた。

 「…法 な…」

 呪文を唱え終わる前に、銃声が鳴った。

 鳴神の心臓を.25ACP弾が貫いた。

 「ぐはっ!」

 弾かれるように鳴神が前のめりに倒れた。

 その後ろにはミヒャエルが立っていた。

 手にしたジュニアコルトからは煙が登っていた。

 消えたミヒャエルを探していたイズナも、倒れている(あるじ)を見て、一様に怯んだ。

 「どう…し…て…?」

 血を吐きながら鳴神が疑問を口にした。

 「おまえさんが電撃を発するのに、コンマ数秒の()があるのに気が付いてね。それにかけたのさ。」

 ミヒャエルが無表情のまま、それに答えた。

 「それ…で、おれ…の…すぐ…うし…ろ…に…」

 納得したように自嘲の笑みを浮かべ、鳴神は静かになった。

 倒れている鳴神を見下ろしていたミヒャエルは、しばらくして大きく息を吐いた。

 しかし、休む間もなく、ミヒャエルは次の行動に移るべく、その場からテレポートした。

          3

 突如起きた爆発音と建物の揺れに、奥を目指していたマリアたちは驚いた。

 「なに?これ。」

 カティナが壁に手を着きながら、びっくりしたような目で周りを見回した。

 「ミヒャエルにしては、大掛かりすぎるわね。」

 マリアも尋常ではないこの揺れに、不安の色を見せた。

 「どうする?マリア。」

 カティナが尋ねると、マリアはまっすぐ前を向いて、歩き出した。

 「前進するわよ。」

 マリアの行動に、兵士たちも無言で従った。

 

 地下に向かおうとしていた左京と夜叉丸にも、この衝撃は伝わっていた。

 「なにごとなの?」

 「わかりません。確かめてまいりましょうか?」

 立ち止まって周りを見渡す左京に対して、夜叉丸は指示を仰いだ。

 「いいえ、先を急ぎましょう。」

 左京はこの異変より史郎のことが気がかりであった。

 夜叉丸を連れて、地下へのエレベーターに向かった。

 

 奥に進んだマリアたちは、地下に続く階段を見つけた。

 「カティナ、ちょっと見てくれない?」

 マリアに促され、カティナが前へ出ると、その目が瑠璃色に輝きだした。

 その視線が階段を通り越し、地下へと届いた。

 「階段の下にはだれもいないわ。」

 「そう、じゃあ、行きましょう。」

 マリアたちは警戒しながら階段を下りていった。

 地階に到着した時、またカティナが透視(クリアボヤンス)を試みた。

 「人は見えないわ。」

 「そう、なにか怪しいところはない?」

 「怪しいところねえ…」

 カティナが地下フロアをくまなく透視した。

 その中で透視できない所があるのに気が付いた。

 「怪しいところがある。」

 「ほんと、どこ?」

 「こっちよ。」

 踊り場から廊下に出て、エレベーターホールに来たときだった。

 エレベーターが開き、そこから左京と夜叉丸が現れた。

 マリアとカティナ、左京と夜叉丸、偶然の出会いは二組を大いに驚愕させた。

 「おまえたち!」

 夜叉丸が左京の前に出て、身構えた。

 「こんなところで出会うなんて、神様のいたずらかしら。」

 マリアが皮肉な笑いを浮かべながら、H&KP7を構えた。

 後ろにいる兵士たちもM4カービンを一斉に構えた。

 六つの銃口が夜叉丸と左京に向けられた。

 「左京様、お先に行ってください。ここは私が食い止めます。」

 「頼んだわよ。」

 そう言うと、左京は反対の方に駆けていった。

 「多勢に無勢、降参したら。」

 「心配せんでもいい。」

 夜叉丸はにこりともせず、じっとマリアたちを睨みつけた。

 その様子にマリアの頭にいやな予感が過った。

 「Fire(撃て)!」

 カティナが号令をかけた。

 それに反応して、兵士たちの5つの銃口が一斉に火を吹いた。

 すさまじい銃撃音が地下に轟き、夜叉丸は蜂の巣になったかと思われた。

 「Stop(やめ)!」

 カティナの号令で銃声が一斉に止んだ。

 硝煙が立ち込めるエレベーターホールは、M4カービンの銃痕があちこちについていた。しかし、肝心の夜叉丸の死体が見当たらない。

 「どこへ行ったの?」

 そのとき、マリアの全身に危険信号が走った。

 「散って!」

 「遅い!」

 いつのまにか、後ろに夜叉丸が立っており、その手には奈美に破壊されたはずの短槍が握られていた。

 兵士たちが後ろを向いた時、最初の一閃で二人の兵士の首が吹き飛んだ。

 そのまま、兵士たちの間に割り込んだ夜叉丸は、右の兵士の心臓を穂先で貫き、その石突きで左の兵士の首の骨をへし折った。

 マリアとカティナが辛うじて夜叉丸から距離を取った時、残った兵士の胸が貫かれていた。

 あっという間の出来事に、マリアとカティナは信じられない表情を共にした。

 そのふたりを睨んだまま、夜叉丸は短槍を構えた。

 「おまえたちには死んでもらう。」

 特に左京の心を乱したマリアに、夜叉丸は許せない気持ちでいた。

 「逃がしてくれないみたいね。」

 マリアが冷や汗をかきながら、作り笑いを浮かべた。

 その後ろではカティナが隠れるように、マリアに寄り添っている。

 「このまま見逃したら禍根(かこん)を残す。」

 夜叉丸が二人ににじり寄った。

 前触れもなく、短槍がするすると伸びた。

 マリアを貫く寸前、マリアがふたつに分かれた。

 両者が両側に壁を駆けあがると、手にした拳銃を夜叉丸に向けた。

 銃音が重なる。

 「妖法 影流れ」

 夜叉丸の身体が影の中に吸い込まれていった。

 「なに!?」

 突然、消えた夜叉丸にマリアとカティナは当惑した。

 夜叉丸がいたはずの場所に立ったが、まさしく影も形もない。

 「どこへ行ったの?」

 そのとき、カティナの影にきらりと光るものが見えた。

 「あぶない!」

 カティナの手を引っ張り、自分のほうに引き寄せると、影の中から短槍の穂先が飛び出した。

 そして、そのまま夜叉丸が現れた。

 「一度ならず二度もよく躱したな。」

 「影に隠れるなんて。」

 マリアの顔にはすでに笑顔はない。殺気だった厳しい表情が顔全体を埋めている。後ろのカティナも負けじと夜叉丸を睨んでいた。

 「今度は仕留める。」

 再度、短槍を構えた。

 マリアがチラッと天井を見た。

 マリアからカティナになにか伝わったのか、両者が拳銃に指をかけた。

 「りゃあぁぁ~!」

 気合一閃、短槍がマリアを貫かんと、まっすぐ伸びた。

 またしても、マリアとカティナが左右に分かれた。

 しかし、銃口は夜叉丸ではなく、天井の照明に放たれた。

 「?」

 夜叉丸の怪訝そうな顔を他所に、天井の照明が次々と撃ち砕かれていく。

 照明が消えていくにつれ、マリアたちの意図が夜叉丸にもわかった。

 「ツァァァ~!」

 夜叉丸の短槍が連続して、二人に繰り出された。

 マリアが夜叉丸の前に立って、槍を躱す。その後ろでカティナが天井撃ちを続けた。

 やがて、照明がなくなり、地階は暗闇に包まれた。

 「影がなければ、影に隠れることもできないわね。」

 闇の向こうからマリアの声がした。

 「これで、おれを封じたつもりか?」

 夜叉丸が長い息吹を発した。

 緊張感が地階全体に広がっていく。

 その緊迫に二人も総毛立った。

 夜叉丸が黒い風となってマリアに襲い掛かった。

 穂先がマリアの心臓を貫く。

 「うっ」

 短い悲鳴とともにマリアがうなだれた。

 「ちがう。」

 夜叉丸の警戒心が死体の向こう側に飛んだ。

 撃鉄の起きる音ともに銃声が鳴る。

 夜叉丸が死体を盾代わりにして、その銃弾を受け止めた。

 「身代わりか?」

 同時に背後からも撃鉄の起きる音がした。

 夜叉丸がマリアの身代わりの兵士の死体を、貫いた槍で持ち上げるとそれをそのまま後ろに放り投げた。

 銃声が重ねて鳴る。

 投げられた死体にその弾がめり込むが、一発が夜叉丸の頬を掠めた。

 すぐに壁を背にして身構える。

 「容易ならんな。」

 左右に気配りをしたとき、闇の中にボウっと光る物体が現れた。

 それはマリアの姿であった。

 「まやかしか?」

 反対側にも光るマリアの姿が現れた。

 次々とマリアが出現し、夜叉丸を囲んだ。

 「どれが本当のわたしかしら。」

 多数のマリアが一度にしゃべった。

 夜叉丸は油断なく全体を見渡した。しかし、どれが本物かは見極められない。

 そのすべてのマリアが一斉に銃を構えた。

 夜叉丸が槍を風車のように振り回した。

 しかし、周りにいるマリアには素通りしてしまう。

 「!」

 マリアのP7が火を噴いた。

 夜叉丸の腕に激痛が走る。

 壁に沿って夜叉丸が横に逃げた。そのあとをマリアたちが追いかける。

 懐から棒手裏剣を取り出した夜叉丸は、追ってくるマリアたちにそれを投げつけた。

 すべてが素通りしていく。

 「くそ!」

 「ホホホホ、どうしたの自慢の妖術は使わないの?」

 駆ける先に照明がついている廊下が見えた。

 夜叉丸の足が早まる。

 しかし、別の方向から鳴る銃声が、その廊下の照明を撃ち砕いた。

 「無駄よ。すべての照明は全部、壊したわ。」

 いつのまにか目の前にマリアの姿が立ち塞がっていた。

 「いつのまに?」

 急ブレーキをかけた夜叉丸に、マリアのP7が火を噴いた

 足に激痛が走る。

 「足を止める気か?」

 続けざまに銃声が鳴る。

 槍でそれを弾くが、別の一発が肩にめり込んだ。

 「ぐっ」

 夜叉丸が思わず、片膝をついた。

 その間にマリアたちが夜叉丸を取り囲み、銃口を突きつけた。

 「これでおしまいね。」

 夜叉丸が懐に手を入れた。

 「動かないで。」

 マリアのP7がこめかみに押し付けられた。

 夜叉丸の身体が氷のように固まった。

 「この距離では避けようがないのはわかるわよね。」

 そう言われて横目を向けた夜叉丸の反対側のこめかみに、別の銃口が押し付けられた。驚いて見ると、同じ顔のカティナがP7を握って立っていた。

 「降参だな。」

 自嘲気味に言う夜叉丸を見て、マリアの口元にも笑みが浮かんだ。

 「史郎はどこにいるの?」

 「この下だ。」

 マリアの問いに、夜叉丸は素直に答えた。

 「案内してくれる?」

 「いやだと言っても、無理やり案内させるのだろ。」

 「察しがいいわね。お互い無駄な時間ロスは避けましょう。立って。」

 銃を突きつけながら、立つように促すと、夜叉丸はこれにも素直に従った。そして、歩き始めようとしたとき、マリアが呼び止めた。

 「待って、その槍をこちらに渡して。」

 目で夜叉丸が持っている槍を指し示すと、夜叉丸は渋々、短槍をカティナに手渡した。

 「重い。」

 見た目以上の重さに、カティナは思わず目を丸くした。それを見て、夜叉丸が鼻で笑った。

 「おれの大事な槍だ。落とすなよ。」

 「余計なことは言わないで、手を後ろに回してくれる。」

 マリアは相変わらず、油断なく夜叉丸の後ろに立ち、P7を押し当てていた。

 夜叉丸は苦い顔をしながら、素直に後ろに手を回した。

 「カティナ、こいつの手を縛って。」

 マリアの指示に、カティナは短槍を床に落とすと、ポケットから拘束バンドを取り出し、それで夜叉丸の親指を縛った。

 「おい、大事に扱えと言ったろ。」

 短槍が床に落ちた音を聞いて、夜叉丸は怒ったような顔をした。

 「口を閉じて。黙って案内して。」

 再度、P7を押し付けた。

 夜叉丸は口をへの字に曲げながら、歩き出した。

 しばらくして、非常灯に照らされた簡易エレベーターのドアが見えてきた。

 「あそこだ。あそこから下に降りるんだ。」

 夜叉丸が顎で示すと、マリアが夜叉丸の脇越しにその方向を見た。

 「あの下に史郎がいるのね。左京もいっしょなの?」

 「たぶんな。」

 気のない返事をしながら、非常灯に照らされた夜叉丸の影が少しずつ後ろに伸びていった。

 そのことにマリアもカティナも気づいていない。

 「ありがとう。ここまででいいわ。」

 「もう案内はいらないのか?」

 「ええ、もういいわ。」

 マリアの目に残忍な光が宿った。

 夜叉丸とマリアの間に針のような緊迫感が生じた。

 P7の引き金にマリアの指がかかる。

 「妖法 影武者。」

 夜叉丸の口からボソッと呪文が漏れた。

 そのあまりの唐突さにマリアは虚を突かれ、動きが止まった。

 「キャ~!」

 マリアの後ろで悲鳴が上がった。

 振り返るマリアの目に、黒い影が夜叉丸の短槍を持って、カティナを刺し貫いている光景が映った。

 「カティナ!」

 一瞬、マリアは我を忘れた。

 その隙に夜叉丸は身を沈めて、マリアに体当たりした。

 「しまった。」

 思わず尻餅をついたマリアの持つP7を、夜叉丸の右足が蹴り上げた。

 P7はマリアの手から離れ、遠く後ろに飛ばされた。

 短槍を持った影がスルスルと夜叉丸の足元に戻り、自分の手元に来た短槍の穂先で結束バンドを切った。

 マリアはすぐさま起き上がると、倒れているカティナの元に駆け寄り、その手からP7を取って、すぐに構えた。

 両者の殺気が正面からぶつかる。

 マリアのP7が火を噴いた。

 9ミリパラベラム弾が夜叉丸を貫通したかに見えた。しかし、一瞬早く、夜叉丸は影の中に吸い込まれていった。

 「えっ!」

 マリアの予感が、背後に夜叉丸が現れると教えた。

 すぐに振り向き、P7を構える。

 しかし、引き金が引けない。

 夜叉丸がカティナの下から姿を現し、カティナを掲げて、盾にしたからだ。

 「卑怯者!」

 「何とでも言え。」

 夜叉丸の短槍がカティナの陰から鋭く伸び、その穂先がマリアの腹部を刺し貫いた。

 「うぐっ!」

 マリアの身体が前に折れ曲がる。その態勢まま、マリアは短槍を左手で握りしめた。

 震える手でそれでもマリアは、P7の引き金を引いた。

 銃声が廊下に響く。

 しかし、P7の弾丸は明後日の方向に撃たれていた。

 「自分の妹ごと俺を撃つつもりか?」

 夜叉丸の左手が、マリアのP7を持つ手ごと握りしめ、射線の方向を変えていた。

 無表情の夜叉丸を睨んだ後、マリアの口元に笑みが浮かんだ。

 「カティナは姉よ。」

 そのままマリアは床に崩れるように倒れた。

 その拍子に槍の穂先が抜け、マリアの腹部が真っ赤に染まり始めた。

 それを見て、夜叉丸は抱えていたカティナを床に横たえ、マリアのそばに歩み寄った。

 倒れているマリアを見下ろしたまま、夜叉丸が口を開いた。

 「もう会うこともあるまい。姉妹で仲良くあの世で暮らすがよい。」

 そう言い捨てて、夜叉丸はエレベーターの方へ歩いて行った。

          4

 エントランスホールの方角から聞こえる銃声を背に、麻里江は無明と睨み合いを続けていた。

 「もう一度聞くわ。面 史郎はどこにいるの?」

 カードを構えたまま、麻里江はにじり寄った。

 しかし、無明は相変わらず、含み笑いを続け、答えようとしない。

 その態度に、麻里江の全身から闘気があふれ出た。

 「ほお…」

 その様子に無明は感心したように、声を漏らした。

 「無理にでも聞くしかないようね。」

 そう言うなり、麻里江がカードを無明に向けて放った。

 カードが当たる寸前、無明の身体が箱車ごと宙に浮いた。カードはその下を通り過ぎていった。

 「!」

 その奇怪な現象に麻里江は驚きながらも、次のカードを構え、続けざまに無明に投げた。

 無明の箱車は空中を泳ぐように動き、カードをことごく躱した。

 「ほぉほぉほぉ、威勢がいいの。鷹堂の娘。」

 そう笑いを残して、無明の箱車が麻里江から逃げ始めた。

 「まて!無明。」

 麻里江もその後を追う。

 無明の箱車は、空中を飛びながら、どんどんと奥へと逃げていく。やがて、階段のところへくると、地下へと降りていった。

 麻里江もその後を追い、階段を下へと降りていった。

 地階に着くと、左右を見渡し、無明を探した。

 無明は、ある部屋に丁度、入るところであった。

 「まて!」

 麻里江もその部屋に飛び込んだ。


 その部屋は、壁に灯された蝋燭だけが照明の、薄暗い道場のような部屋であった。その中央に無明の箱車が鎮座していた。

 麻里江は油断なく無明に近づくと、入ってきた扉がいきなり閉まった。

 「む!」

 そのことに、麻里江の警戒心はますます高まった。

 「ここならゆっくり、話ができるな。鷹堂の娘。」

 無明が穏やかに語りかけた。

 「また、仲間になれって話。何度言っても無駄よ。それより、私の聞いたことに答えた方が早いんじゃない。」

 麻里江は強気で言った。

 「ほぉほぉほぉ、史郎様の居所か。教えてもよいぞ。」

 「なに?」

 予想外の返答に麻里江は多少、戸惑った。

 「史郎様はこの下の鍾乳洞にいるはずじゃ。」

 「鍾乳洞?」

 麻里江は思わず、下を見た。

 「そうじゃ、この下に富士山の噴火でできた風穴がある。その先に続く鍾乳洞に史郎様はおられるはずじゃ。」

 「案内してくれる?」

 「よいぞ。」

 半ばあきらめ気味に頼んだ言葉に、了承をする無明に、麻里江は疑心を強めた。

 「なにか、魂胆でもあるの?」

 「なに、わしらの仲間になれば、案内してやるという話じゃよ。」

 「また、その話。何度言っても無駄よ。」

 麻里江はスペードのカードを横に伸ばすと、一本の剣に変化させた。

 「勝手に行かしてもらうわ。」

 「ここからは出れぬぞ。」

 無明が薄く笑った。

 「あなたを倒せば、出れるわ。」

 「ほぉほぉほぉ、言うのぉ。」

 無明が箱車から杖を取り出した。

 麻里江は剣を正眼に構え、じっと無明を凝視している。

 無明は殺気も闘気もなく、ただ、ゆったりとその場に鎮座していた。

 隙があるような、ないような無明の自然な佇まいに、麻里江は動けなかった。

 「どうした?かかってこんのか?」

 無明の何気ない言葉に触発されて、麻里江の足が床を蹴った。

 駆けながら上段に構えた麻里江の剣が、一閃、振り下ろされた。

 “ガツン”という鈍い音ともに麻里江の剣が弾き返された。

 一旦、後ろに下がった麻里江は、剣を脇に構えて、再度、無明に斬りかかった。

 水平に走る銀の光が、無明のすぐ横できらめいた。

 無造作に上げた無明の杖が、麻里江の剣を受け止めていた。

 すぐに剣を引いた麻里江は、無明の後ろに回り込み、今度は袈裟懸けに斬り込んだ。

 無明の箱車が横にズレる。

 それと同時に、箱車が一回転して、杖が横から麻里江の首筋を狙って走った。

 麻里江はそれを後ろに下がりながら躱し、八相に構えた。

 「りゃー!」

 大きく踏み込んだ麻里江の剣が、無明の肩口を狙って振り下ろされた。

 箱車が後ろに下がる。

 「解呪!」

 剣がカードに戻り、そのまま無明に向かって飛んだ。

 予想外の攻撃にも、無明は冷静にそれを躱したが、その後に続けざまに投げられたカードは躱しきれず、頬をかすめ、髪の毛を切った。

 頬から赤い血が滴る。

 「やるの。鷹堂の娘。こりゃ、わしも少し本気を出さんといかんな。」

 相変わらず人を喰ったような無明の態度に、麻里江の目が吊り上がった。

 「いつまでそんな風にしてられるかしら。」

 麻里江は足元にクローバーのカードを蒔いた。

 「木の精霊に願い奉る。わが盟約に応えてその息吹を我が前に示せ。」

 クローバーのカードが紫色に輝いたかと思うと、そこから蔦が芽を出し、あっという間に成長すると、その穂先を無明に向けて伸ばした。

 「かの世に在りし六つの地獄。我が命に従いて、その蓋を開けよ。」

 麻里江の蔦が無明を囲み始めた。その中心にいる無明の足元が突然、輝きはじめた。

 「妖法 焦熱地獄。」

 突如、火柱が立った。

 無明を囲む蔦は、その炎に次々焼かれ、逆に蔦を伝って火炎が麻里江に向かった。

 「水の精霊に願い奉る。我が盟約に従いてその勢いを用いて我を守りたまえ。」

 麻里江がハートのカードを胸の前に構えた。すると、そのカードから水がしたたり落ち、やがて水しぶきをあげて迸った。

 水流は勢いを増し、麻里江に迫る火炎に立ちはだかった。

 炎の熱気と水の冷気が正面からぶつかり、水蒸気が道場中を覆いつくした。

 無明の視界から麻里江が消えた。

 しかし、闘気は正面からぶつかってくる。

 「妖法 等活地獄。」

 無明が杖で床をトンと叩くと、そこから妖気が陽炎のように立ち上り、水蒸気を巻き込んで形を成していった。

 そこへ闘気とともに麻里江が勢いよく駆けてきた。

 剣が頭上から振り下ろされる。

 無明を唐竹割りしようとしたとき、無明の背後に立ち上った妖気が、牛の顔を持つ巨人に変化した。

 巨人が持つ巨大な斧が下から振り上がる。

 無明の頭の上で、剣と斧がぶつかった。

 巨人のすさまじい力で、麻里江が剣ごと吹き飛ばされた。

 空中で一回転して床に降り立ったところへ、今度は牛頭巨人(ぎゅうとうきょじん)が巨斧を振り回して襲い掛かった。

 それを受け流し、躱しながら後ずさりする麻里江は、床にスペードのカードを落としていった。

 麻里江の背中に道場の壁がぶつかった。

 巨人が斧を大きく振りかぶった。

 「剣の柱!」

 麻里江の一喝とともに、床に落ちていたカードが次々と剣に変わっていった。それが巨人の腹といわず、足や太もも、胸に突き刺さった。

 「金の精霊に願い奉る。その力をもって魔を裂く剣とならん。」

 麻里江の持つ剣が紫色に輝いた。

 剣が突き刺さって身動きのとれない巨人の頭上に飛び上がった麻里江は、その落下速度を利用して巨人を真っ向から斬り裂いた。

 巨人の身体が真っ二つに裂け、左右に倒れると、そのまま蒸気のようになって消えていった。

 「さすがじゃな、鷹堂の娘。」

 「無明。どんな妖術を使っても、私には通じない。」

 麻里江が剣先を無明に突きつけた。

 「ふぉふぉ、それはどうかな。」

 「負け惜しみを!」

 麻里江がカードを立て続けに投げた。

 無明の杖がそれらを叩き落とす。

 「妖法 衆合地獄。」

 無明の周りから立ち上る妖気が、天井付近で怪しげな黒雲に変化した。それが麻里江の頭上に広がっていく。

 麻里江は警戒心を強めながら、無明に向かって更にカードを投げた。

 「無駄なことを。」

 そのカードを叩き落とすと、天井の黒雲に向かって一喝した。

 すると、麻里江の頭上より巨大な足が降ってきた。

 「!」

 麻里江が横っ飛びにそれを躱す。

 「まだまだじゃ。」

 麻里江が逃げた先の頭上から再び、巨人の足が落ちてきた。

 すぐさま避ける横で、足が床を踏み抜く。

 巨人の足は、次々と黒雲の中から麻里江を踏み潰そうと落ちてくる。

 「土の精霊に願い奉る。我が盟約に従いて、大地に眠りし力を呼び起こし、我が示しものを封じたまえ。」

 麻里江が左手で印を結び、呪文を唱えると、無明の周りに落ちているカードが反応し、紫色に輝き始めた。

 「む!?」

 紫の光を放ったカードは、床の中にめり込むように消えていき、しばらくして、床が振動を始めた。

 「いかん、巨人の足よ、娘を踏み潰せ。」

 無明の掛け声に、更に黒雲から巨人の足が次々と出現した。しかし、麻里江は見事な反射神経でそれを悉く躱していった。

 その間に、無明の周りの振動は更に増し、やがて床に亀裂が入った。

 「娘、なにをした?」

 「封!」

 無明がその場から逃げ出そうとしたとき、土の柱が床から突然、せり立った。

 「これは…?」

 無明が反対側に逃げようとすると、その前にも土の柱がせり立った。

 土の柱は無明の周りに次々とせり立ち、無明を囲んだ。

 「しまった。」

 無明が手で合図をすると、黒雲が無明の頭上に集まり、その中から巨人の足が出現した。

 足はせり立つ土の柱を踏み潰そうとした。しかし、踏みつぶしたそばから土の柱がせり立ち、逆に巨人の足を包み込みはじめた。

 巨人の足は土の柱の中に取り込まれ、その姿を消した。

 「おのれ。」

 無明の悔しがる顔が土の柱の中に消えていくと、そそり立った土の柱は一つとなり、一本の塚を作り上げた。

 その塚に向かって麻里江は、一枚の札を投げつけた。

 札が張り付くと、塚を紫の光が包み込み、土の塚が石の塚に変化した。

 「これで一生、出られないわね。」

 麻里江は石の塚を横目に、道場の出口へと向かった。

 「ほぉほぉほぉ、一生出られないとはよくぞ()うたもんじゃな。」

 その声に驚いた麻里江は、すぐに振り返った。

 道場の隅に箱車に乗った無明が、人を喰ったような笑いを浮かべて、鎮座していた。

 「封じたはずなのに、どうして?」

 「封印の呪法、見事なものじゃが、儂には通じんな。」

 無明の箱車がゆっくりと麻里江に近づいてきた。

 「なら、何度でも封じるまで。」

 そう言うが早いか、麻里江はカードを無明の周りに投げつけた。

 カードがぐるりと無明を取り囲んで、床に突き刺さる。

 「おなじことを…」

 それを見て、無明に嘲笑が浮かぶ。

 麻里江はお構いなく、呪文を唱えた。

 「出でよ。地獄の番人。」

 無明が杖で床に円を描いた。その円に沿って炎が灯り、やがて大きな火柱となった。周りに突き刺さっていたカードにも、次々と燃え移り、黒い灰になっていった。

 「くそ!」

 思わず唇を噛む麻里江の目の前で、火柱はやがて人の形へと変化していった。

 それは馬の頭を持った巨人であった。

 「これは…?」

 「焦熱地獄の番人じゃ。遊んでもらうがいい。」

 無明の言葉に促されて、巨人が口から炎を吐き出した。

 襲い来る火炎を躱した麻里江の手から、カードがすばやく投げられた。

 カードはまっすぐ巨人の胸に突き刺さった。しかし、刺さったそばからカードは燃え上がってしまった。

 再び巨人の口から火炎が噴き出した。

 麻里江が転がりながらそれを躱すと、ハートのカードをまた出した。

 「無駄じゃよ。この番人にカードはきかん。」

 「どうかしら。」

 ハートのカードを足元に落とした麻里江は、新たな呪文を唱えた。

 「水の精霊に願い奉る。我が盟約に従いて、我が敵を退ける形を成したまえ。」

 すると、ハートのカードから水が噴水のように湧き上がり、それが徐々に細長い生き物に形を変えていった。

 大蛇と化した水流は、その勢いのまま巨人に向かっていった。

 巨人の口から再度、火炎が吐き出される。

 同時に大蛇からすさまじい勢いの水が噴き出された。

 炎と水が正面からぶつかり、またしても水蒸気が辺り一面を覆った。

 そのなかを炎の巨人が大蛇に向かって駆けていった。

 大蛇の口が巨人の腕に噛みつく。

 そこから水蒸気が吹き上げた。

 巨人の大きな手が大蛇の頭を掴む。口に指をかけ、頭を引き裂こうとした。

 そうはさせじと、大蛇の身体が巨人の身体に巻き付く。

 すさまじい力が巨人を締め上げた。

 水蒸気がふたつの怪物から吹き上げ、覆い隠した。

 蒸気が晴れる頃、ふたつの怪物の姿は掻き消えていた。

 「相打ちか?」

 無明が、蒸気が晴れた先の気配を探った時、殺気が頭上から飛んで来た。

 「む!」

 麻里江の身体が残った湯気の向こうから飛び出し、手にした剣を無明の額めがけて振り下ろした。

 無明の杖が跳ね上がる。

 剣と杖が二人の間で、火花を散らした。

 麻里江の身体が一旦、後方に飛ぶ。

 着地と同時に、無明に向かって駆け出した。

 上段から勢いそのままに、袈裟懸けに斬りかかる。

 無明の箱車が後ろに下がって、それを躱した。

 「妖法 黒縄(こくじょう)地獄。」

 無明の呪文に反応するように、箱車の下から八方に影が伸びた。しかし、それも構わず、麻里江は目の高さに剣を構え、その切っ先を真っすぐ無明に向けた。

 「ツゥァ~!」

 鋭い気合とともに、剣がまっすぐ無明の喉に向かって伸びた。

 そのとき、その剣先に黒い縄のようなものが絡み、剣の勢いを止めた。

 「なに!」

 目を見張った麻里江の目の前で、地面から黒い縄が次々と伸びてきた。

 はじめに剣を持つ手に、そして足、太もも、腹、胸、最後に首に絡んできた。

 「これは…」

 なんとか引きちぎろうとしたが、縄はびくともせず、強い力で麻里江を締め上げた。

 「ほぉほぉほぉ、動けまい。鷹堂の娘。」

 したり顔でその姿を見る無明は、ゆっくりと麻里江に近づいた。

 「くそ!」

 絡まる縄から逃れようともがくが、緩むどころか、ますます締まっていった。

 「無駄な努力はやめい。」

 「殺せ!」

 半ばやけっぱちに叫ぶ麻里江に、無明は優しい顔をして見つめた。

 「殺しはせん。わしと一緒に地獄めぐりをしてもらう。」

 「地獄めぐり?」

 無明がニヤリと笑うと、杖で床をつついた。

 途端に、黒い円が広がり、二人はその中に落ちていった。

          5

 クラブハウス内の喧騒を他所に、史郎と奈美は洞窟の奥まったところ、あの氷の柱の前にいた。

 「また、ここに?」

 奈美が史郎を睨んだ。

 「邪魔が入る前に、事を起こさねばならない。」

 史郎が奈美の手を握ってきた。

 「私が言われたとおりに動くと思う。」

 「思うさ。お前は私と一心同体なのだから。」

 その言葉に奈美は史郎の握る手を振り払った。そして、史郎から少し離れると、正面から向き合い、その目をじっと見つめた。

 「史郎、あなたの野望には従えない。」

 「ならば、どうする?」

 史郎も真剣な目で奈美を見つめ返した。

 「あなたを倒す。たとえわが身がどうなろうとも。」

 奈美が身構えた。同時に髪が銀色に変色する。

 「本気か?」

 「本気よ。」

 いつもなら見せる冷徹な笑みは、今の史郎にはなかった。逆に哀しみに彩られた瞳が奈美の目に映った。

 奈美の心が痛む。

 しかし、決心は変わらない。

 奈美は自然体のまま史郎に歩み寄った。

 それがあまりに無造作なので、史郎の方が戸惑いの色を見せた。

 手の届くところに歩み寄った時、奈美の掌底が史郎の顎を狙って、突き出た。

 史郎はそれを軽く身を反らして躱すと、それを予期したように、奈美の右足が史郎の足を刈った。

 バランスを崩した史郎は、背中から地面に倒れながら、片手を地面に着き、それを支点に後方にバク転した。

 起き上がった時、目の前にいるはずの奈美が消えていた。

 史郎の肌が空気の流れを掴む。

 後ろから奈美の足が飛んで来た。それをガッチリと右腕で受けると、その足を掴み、引っ張り上げ、投げ飛ばそうとした。

 奈美は両手を地面に着き、もう一方の足で史郎の後頭部に蹴りを入れようとした。

 掴んだ手を離し、史郎は身を沈めると、その姿勢のまま身体を旋回させて、その旋回力を生かして、奈美の頭に蹴りを入れようとした。

 奈美は両手で地面を思いっきり突き放し、後方に飛んだ。

 史郎の蹴りは空を切り、その攻撃から逃れた奈美は、地面を一回転して起き上がり、振り向きざまに超振動ニードルを撃った。

 「妖法 鎌風(カマカゼ)。」

 史郎の呪文ともに、史郎の両手に黒い輪が出現した。

 まっすぐ飛んでくるニードルが、史郎の面前でその黒い輪によって寸断された。

 「まだまだ!」

 奈美がまた超振動ニードルを撃った。同じように黒い輪がそれを叩き切った。

 「おなじことだ。」

 そう奈美に言い放った時、奈美は横の岩壁に向かって駆け出していた。

 地面を蹴り、岩壁を駆けあがる。

 史郎には奈美の行動の意図が図れなかった。

 駆けあがった岩壁を更に蹴る。

 奈美の身体が史郎の頭上に舞った。

 「ムッ!」

 史郎の目が天井に連なる鍾乳石に飛んだ。

 その鍾乳石を奈美の足が蹴った。

 根元から折れた鍾乳石が史郎の頭に落ちてくる。

 鍾乳石を躱した史郎の目から奈美が消えた。

 「どこだ?」

 また、鍾乳石が飛んでくる。

 史郎の鎌風がそれをバラバラに切断する。

 次々と岩塊が飛んで来た。

 それを史郎はことごとく寸断した。

 「無駄なことだ。奈美。」

 史郎の口の端に笑みが浮かんだ時、岩塊の陰からニードルが飛んで来た。

 「そこか!」

 史郎の鎌風がニードルの飛んで来た元へ放たれた。

 黒い輪はニードルを真っ二つに切ると、そのまま闇の固まったところへ飛んでいった。

 「うっ」

 短い悲鳴のあと、なにかが倒れる音がした。

 その音を聞いて、史郎は急いでそこへ駆け寄った。そのとき、闇の奥から銀の線が走った。

 銀の線は史郎の右腕に絡まり、その自由を奪った。

 「髪の毛?」

 史郎が訝しげにそれを見ていると、銀の髪の毛の後ろから奈美が突如、現れた。

 髪の毛を持った奈美は、もう片方の手で髪を抜くと、それを史郎に投げつけた。

 銀の髪が史郎の身体に絡みつく。それを思いっきり、引っ張ると、髪の毛は史郎をきつく締めあげ、それによって、史郎の身体の自由が奪われた。

 奈美がさらに髪の毛を抜いた。

 それが金属音とともに、一本の銀の針と化した。

 それを構えて、奈美は史郎を睨んだ。

 史郎は縛られたまま、抵抗の様子も見せない。

 二人の間で時間が凍ったように、しばしの沈黙が流れた。

 「やぁー!」

 自分を鼓舞するように奈美が叫んだ。

 その足が地面を蹴る。

 史郎に向かって、奈美が駆けた。

 持った銀の針が史郎の額に迫る。

 しかし、史郎はそれを避けようとせず、黙って奈美を見つめ続けた。

 史郎の憐憫の表情が奈美の眼に映る。

 奈美の身体が史郎の眼前で止まった。

 「どうした。刺さないのか?」

 「なぜ、止めない。あなたの力なら私の動きを止められるはずよ。」

 奈美の眼が哀しみに彩られた。

 「私と刺し違える気か?自分の力を開放して。」

 史郎の指摘に奈美は驚いた。

 「わかっていたの?」

 「言ったろ。おまえと私は一心同体だと。」

 「史郎。私といっしょに死んで。」

 奈美が叫んだときだった。

 「史郎様から離れなさい。」


 洞窟の向こうから聞き覚えのある声があがった。

 「妖法 アメノカクヤ」

 呪文とともに、なにかが奈美に向かって飛んで来た。

 危険を察知した奈美は、髪の毛を離し、後方に飛ぶと、奈美のいた場所に黒い矢のようなものが突き刺さった。

 奈美とともに史郎も、矢が飛んで来た方向に、顔を向けた。

 現れたのは左京であった。

 「左京、どうしてここに?」

 史郎が左京の出現に、明らかに驚きの色を見せた。

 左京は史郎の元に駆け寄ると、史郎をかばうように前に出た。

 「史郎様を傷つけようとするものは、誰でも許さない。」

 憎悪に燃えた左京の目が、奈美を睨みつけた。

 奈美は後ずさりをして、左京との距離をとった。

 「左京さん、邪魔をしないで。」

 「だまれ!」

 左京の身体から妖気が立ち上った。

 「妖法 ヤヒロワニ」

 妖気はワニの形となり、大きな口を広げて、奈美を威嚇した。しかし、奈美は恐れることなく、身構えた。

 「死ね!」

 ヤヒロワニが猛然と襲い掛かった。

 奈美の身体が瞬間的に横に動いた。その後の地面にヤヒロワニの口が食い込んだ。砕けた氷塊を銜えたまま、ヤヒロワニが逃げた奈美を追った。

 「やめよ。左京。」

 後ろで史郎が制止するが、左京の耳には入らない。

 「妖法 アメノカクヤ。」

 左京が突き出した手の平に黒い円が出現し、その中から黒い矢が奈美に向かって放たれた。

 黒い矢が逃げる奈美の元へ飛ぶ。

 それに反応した奈美が矢を躱した。そこへヤヒロワニの口が奈美を噛み砕かんと迫った。

 奈美が身を沈めてそれを躱す。

 ワニの口は岩壁に激突した。その衝撃で天井の鍾乳石が落下してくる。

 奈美が地面を転がりながら、落下してくる鍾乳石を躱していると、左京が奈美との間合いを詰めようと駆けた。

 「左京、やめるんだ。」

 史郎は奈美の髪の毛をなんとか解こうともがいたが、髪の毛は容易にはきれなかった。

 その間にも左京は、奈美に向かって攻撃を仕掛けた。しかし、奈美は反撃してこない。

 その様子を見て、史郎の中にある考えが浮かんだ。

 「奈美、まさかおまえ…」

 史郎の手から黒い輪が出現した。その輪を使って身体を縛る髪の毛を切断した。

 史郎が奈美の方に視線を向けると、奈美が洞窟の壁に追い詰められようとしているところだった。

 「奈美!」

 史郎が地面を蹴った。

 

 左京が奈美に向かって、アメノカクヤを撃った。

 身体の両脇に黒い矢が突き刺さり、奈美の動きを止めた。

 「覚悟おし、奈美。」

 殺気で溢れる瞳を奈美に向け、左京の口の端が吊り上がった。

 ヤヒロワニが、奈美を飲み込まんとするほど、口を大きく開けた。

 「死ね!」

 ヤヒロワニが奈美の頭上から襲い掛かった。

 死を覚悟した奈美が目をつぶる。

 「妖法 暗黒球。」

 奈美の前に史郎が現れ、かざした右手から黒い球が出現すると、ヤヒロワニはその球の中に吸い込まれていった。

 それを見た奈美も左京も目を見張った。

 「どうして、史郎様…」

 唖然とする左京の元に、夜叉丸がようやく追いついた。

         6

 追いついた夜叉丸の眼には、不思議な光景が映っていた。

 奈美と左京が対峙し、その奈美の前に史郎が立ち、左京を睨んでいる。夜叉丸には、この状況がすぐには理解できなかった。

 「奈美、左京に殺されるつもりか?」

 史郎が後ろにいる奈美に、前を向いたまま話しかけた。

 「私がいなくなれば、あなたの野望は成就しない。」

 奈美が小さく返答した。

 「そういうことか。」

 奈美の意図を理解した史郎は、哀し気に俯き、押し黙った。

 「史郎様、そこをお退()きください。」

 左京が次の攻撃をすべく、史郎に向かって叫んだ。

 「その女子(おなご)は史郎様を害する者。私の手で始末いたします。」

 左京の両手に黒い塊が現れた。

 「やめよ。左京。」

 史郎が顔を上げ、左京に一喝した。それに驚いた左京の両手から黒い塊が消えた。

 「やめよとは…?」

 「いいから、ここは引け。左京。」

 「どうしてですか?その女は史郎様を殺そうとしたのですよ。」

 左京は史郎の言葉が信じられず、必死に説得しようとした。

 「奈美は私を殺しはしない。むしろ、自分から殺されようとしている。」

 「どういうことですか?」

 左京の顔に戸惑いの色が現れた。

 「私の計画を阻止する。そのために自分の命を犠牲にするか。」

 史郎が奈美の方に身体を向けて、苦しげな表情を見せている奈美を見つめた。

 「どうせ、私は人形。私がいなくなっても悲しむ者はいない。」

 「私がいる。」

 史郎が切なそうな顔をした。

 その言葉に奈美はもちろん、左京も驚いた。

 「どういう意味?」

 「おまえは俺のものだ。勝手に命を捨てることはゆるさん。」

 史郎はぶっきらぼうに奈美に答えた。それを聞いた左京の顔に怒りが浮かんだ。

 「史郎様、あなたは奈美を選ぶのですか?」

 「選ぶ?」

 左京の発言に、史郎は怪訝そうな顔をして、左京の方に顔を向けた。

 「私は史郎様のために、史郎様の言われるまま、なんでもやってきました。この手を血で染めることもいとわずに。」

 左京は両手を差し出し、精一杯訴えた。

 「すべては史郎様のため。史郎様の願い、史郎様の望み、そのすべてをかなえ、やがて史郎様の隣で、この日本(ひのもと)すべてを共に従えるために。」

 左京の訴えを聞いて、奈美は左京の史郎への想いを知った。しかし、当の史郎はそんな左京の想いを微塵も感じていない。

 「左京、おまえが私のために働いてくれたことには、感謝している。しかし…」

 「やめて、史郎。」

 奈美が史郎の袖に手を掛けた。

 「私の隣に立つものは初めから決まっている。」

 左京の顔が不安に曇った。

 「史郎、それ以上は言わないで。」

 しかし、史郎は奈美の忠告を無視し、身体を左京に向けると、言葉を続けた。

 「私の隣に立つ者は奈美だ。」

 その言葉は、左京の胸を激しくえぐった。

 「そ、それは、パートナーということですか?」

 苦し気に尋ねる左京に対し、

 「そうだ。」

 と、史郎は冷たく返答した。

 左京は奈落に落ちるような感覚に襲われ、棒のように立ち尽くした。そのやりとりを聞いていた夜叉丸が口を開いた。

 「史郎殿、その言葉はあんまりです。」

 「あんまり?」

 夜叉丸の突然の反論に、史郎は驚いたような顔をした。

 「史郎殿は、左京様がいままでどれだけ尽くされてきたか、ご存じのはず。」

 史郎は黙って夜叉丸の言い分を聞いていた。

 「その左京様のお心をご存じなら、もっと優しいお言葉をかけてもよろしいはず。これでは左京様があまりに哀れです。」

 夜叉丸は持っていた短槍を強く握りしめた。しかし、それに対しても史郎の冷たい表情は変わらない。

 「夜叉丸、おまえは過去の自分の所業から左京をかばうのはわかるが、左京もおまえも、いや鬼龍八部衆すべてが私の駒だ。」

 史郎の「駒」という言葉に左京が鋭く反応した。

 「私を駒といいますか?」

 左京がつぶやくように言った。

 「ん?」

 「私を駒といいますか!?史郎様!」

 左京が目を上げ、史郎を見つめた。

 その威圧感に史郎も夜叉丸もたじろいだ。

 「私は駒じゃあない!」

 そう叫ぶと左京は奈美を睨みつけた。

 「そんな女より私の方が史郎様のパートナーにふさわしい!」

 いきなり左京は夜叉丸の短槍を奪った。

 「死ね!」

 夜叉丸が止める間もなく、その短槍を奈美目掛けて投げつけた。

 猛スピードで飛んでくる短槍に、奈美は躱そうとせず、ただ目をつぶった。

 奈美の身体を短槍が貫くかに見えた時、その前に人影が立ちはだかった。

 「ぐっ!」

 聞き覚えのある声に、奈美は急いで目を開けた。すると、自分の前に立ち、自分の代わりに短槍を腹部に受けている史郎の姿が目に映った。

 「史郎!」

 驚き叫ぶ奈美の前で、史郎は膝から崩れ落ちた。それを急いで両手で支えると、史郎と奈美は抱き合ったまま、ゆっくりと地面に座り込んだ。

 槍の刺さった腹部からは血が滲み出し、服を赤く染めていった。

 「史郎、しっかりして。」

 「大丈夫だ、奈美。」

 そう言うと史郎は腹部に刺さった槍を引き抜き、その傷口に自分の手を当てた。すると、その手から淡い光が放たれ始めた。

 その向こうでは、左京が自分のやったことが信じられず、ただ、呆然と立ち尽くしていた。

 しばらく立ち尽くしていた左京の目に、史郎と奈美の抱き合う姿が刻みつけられた。

 「私を…選んで…くれないのですか…?」

 左京の口元から言葉が小さく漏れ、その目が涙で溢れた。

 「私を…選んで…くれない…のですか?」

 やがて、その言葉が憎しみと狂気に彩られ、徐々に大きくなっていった。

 「私を…選んで……くれないの…です…か?」

 左京の身体から妖気を立ち上り始めた。

 夜叉丸はその異変に気付き、左京をなだめようとした。

 「左京様、落ち着いてください。」

 そう言って手を掛けた時、電撃のような衝撃が夜叉丸を弾き飛ばした。

 その物音に、奈美と史郎は左京の異変に気づいた。

 「左京…」

 「左京さん。」

 左京の周辺から妖気が溢れかえるように立ち上り、洞窟内にもその影響が出始めた。

 「私を…選んでくれ…ないのですか?」

 呪文のように繰り返す言葉とともに、妖気は洞窟一杯に広がり、その影響であちこちに亀裂が生じ、振動が洞窟全体を揺るがし始めた。

 「左京様、おやめください。」

 吹き飛ばされた夜叉丸が痺れる身体を無理に起こしながら、左京へ精一杯訴えた。しかし、左京の耳にはもはやその言葉は届かなかった。

 「私を選んでくれないのなら、こんな世界、なくなればいい!」

 左京の形相が変わった。

 「左京、なにをするつもりだ。」

 史郎も起き上がろうとしたが、腹部の傷が響いて、身体が起こせない。奈美はただ、呆然と左京を見つめていた。

 「奈美も史郎様も全部、なくなればいい!」

 悲痛な叫びが洞窟内に木霊した。

 「妖法 ヤマタノオロチ。」

 呪文とともに妖気が急激に膨張した。

 洞窟はその圧力に抗しきれず、天井から崩落し始めた。

 落ちてくる岩塊は、夜叉丸や史郎そして奈美を容赦なく押しつぶし、例の氷柱も上部から崩れていった。

 妖気は八つの頭を持つ異形の怪物に変容し、その大きさを更に増大させ、天井を破壊し、分厚い岩盤を突き破って、地上へとその姿を現した。


 その異様な姿を霧子が、ミヒャエルが、後方に待機していた兵士たちが、そして富士山周辺にいる衆人が、驚愕と恐怖をもって見た。


          7

 無明との戦いの中、暗い穴に落ちていった麻里江は、一時気を失い、長いとも短いとも思える時の流れの中に身を置いていた。

 気が付いた時には、麻里江は見知らぬ場所に寝ていた。

 急いで起き上がり、周りを見渡したが、まったく記憶のない場所であった。

 建物も人家もなく、草むらが辺り一面に生い茂った草原であった。

 「ここは…」

 あてもなく歩き始めた麻里江の耳に、人の足音が聞こえてきた。

 それも一人や二人ではない。

 大勢の人間の駆ける足音だ。

 音のする方に目を向けると、草原の向こうから見える小高い丘から大勢の人間が姿を現した。

 皆、手に手に鉾や薙刀を持っている。

 その後方には、弓を手にした男たちだ。

 それが、一斉に矢を放った。

 矢が飛んでいく方向を見ると、やはり大勢の人間が駆けてくるところだった。

 そこへ矢が雨のように降ってきた。

 麻里江はカードをポケットから取り出し、剣に変えると、降ってくる矢をかたっぱしから薙ぎ払った。

 その後ろでは矢を受けて、男たちが次々と地面に倒れていた。それもお構いなく集団は奇声を上げながら、突進してきた。

 矢を撃った方からも鬨の声を上げながら、兵士たちが突進していった。

 草原で二つの集団がぶつかった。

 たちまち、その場は戦場と化した。

 鉾と薙刀がぶつかり合い、お互い罵り合いながら殺し合いが広がっていった。

 その状況に麻里江は、ただ右往左往するだけだった。しかし、そんな戸惑う麻里江に、容赦なく兵士は襲い掛かった。

 鉾の鋭い切っ先が麻里江の胸を狙う。

 麻里江はその鉾先を素早く躱してその柄を掴むと、持っていた剣で真ん中から真っ二つに切った。その返す刀で兵士を一刀両断した。

 兵士が血しぶきを上げて倒れるのを確認する間もなく、新手が襲い掛かってきた。

 薙刀が頭上から振り下ろされるのを横に動いて躱し、薙刀を持ち上げる間に兵士の喉に剣を突き刺した。

 声にならない声を上げて倒れた時、飛んで来た矢が麻里江の背中に当たった。

 「うっ!」

 背中の激痛に意識が朦朧としたとき、薙刀の鋭い切っ先が麻里江の腹部を貫いた。

 「うぐっ」

 体中を炎が駆け巡るような感覚に襲われながら、麻里江は自分を刺した兵士を睨んだ。

 少年のような兵士が震えながらこちらを見ていた。

 (こんな少年が…)

 それを最後に麻里江の意識が遠退いた。

 奈落に落ちていくような感覚を感じながら、どこからともなく無明の声が聞こえてきた。

 「どうじゃ、死んだ体験は。」

 「幻覚を見せたのね。」

 「いいや、幻覚ではない。千年以上前に実際に起こったことを体験してもらったのじゃ。」

 「実際に起こったこと…?」

 「ほら、次が待っておるぞ。」

 無明の声が頭から消えた時、目の前がまぶしく輝いた。

 

 気づいた時、麻里江はまた見知らぬ場所に立っていた。

 先ほどとは違い、今度はどこかの集落であった。しかし、現代ではない。

 建物はすべて粗末な小屋であり、人々は古代の服装をしていた。

 そんな中でも、子供のはしゃぐ声や女たちのおしゃべり、男たちの威勢のよい掛け声が聞こえ、平和な集落であることは一目でわかった。

 ひとりの女の子が麻里江に近づき、笑顔を向けた。

 麻里江も身をかがめ、笑顔を返した。

 そのとき、すぐそばに一本の矢が地面に突き刺さった。

 ハッとした麻里江は、すぐに矢の飛んで来た方へ眼を向けた。

 すると草原の向こうから火矢が、多数降ってきた。

 途端に集落は阿鼻叫喚に包まれた。

 次々と火矢に刺さり、倒れる人々。

 家々は飛んで来た火矢で燃え上がり、その火から人々は逃げ惑った。

 そこへ、騎馬の集団が乗り込んできた。

 手にした刀で逃げる人々を次々と斬り倒していく。

 それを見た麻里江は、取り出したカードを剣に変え、襲い掛かる騎馬武者に向かっていった。

 馬上から斬りかかるのをすばやく躱すと、麻里江の剣が馬の足を両断した。

 斬られた馬は転倒し、乗っていた武者は地面に放り出された。

 起き上がるところを一刀両断する。

 その後ろから別の騎馬武者が襲ってきた。

 真上から振り下ろされる刀を頭上で受けながら、すばやくカードを取り出し、相手に投げた。

 カードは武者の首を切り裂き、そのまま馬から転げ落ちた。

 「キャ~」

 子供の悲鳴に振り返ると、先ほどの女の子が騎馬武者に追われている。急いでそこへ駆けつけようとした時、目の前に鉾を持った兵士が立ち塞がり、麻里江を突き刺そうとした。

 鉾を躱して、兵士の脇腹を斬り裂くと、女の子を助けようと地面を蹴った。

 騎馬武者が女の子に太刀を振るおうとした瞬間、飛び上がった麻里江の剣が武者の背中を斬った。

 地面に着地すると同時に、女の子を抱きかかえようとした時、飛んで来た矢が女の子の胸に突き刺さった。

 「!」

 絶句する麻里江の背中にも矢が突き刺さった。

 激痛に耐えられず、地面に突っ伏した麻里江の頭に無明の声が響いてきた。

 「どうじゃ、この修羅場の体験は?」

 「また幻覚を見せたわけ?」

 「幻覚ではないと()うたろう。これは実際のことじゃ。」

 「実際のこと?」

 気が付くと、女の子も集落も消え、背中の矢もなくなっていた。麻里江の周りから一切の風景が消え、漆黒の闇が広がっていた。

 「ここは?」

 「時空のはざまというべきところじゃ。」

 声のする方に向くと、無明が箱車に乗ったまま宙に浮いていた。闇の中なのに、不思議と無明の姿はくっきりと見えていた。

 「時空のはざま?」

 「地獄を見せると言うたじゃろ。どうじゃ、いままでの地獄は?」

 「あれが地獄?」

 「そうじゃ、千年も昔、大和(やまと)の者どもが征夷の名のもとに行った(いくさ)じゃ。いや、戦とは言えんな。虐殺じゃ。」

 無明の顔に初めて苦悶と言えるような表情が浮かんだ。

 「あれを見せて私をどうしようというの?」

 「あれを見てどうも思わんか?鷹堂の娘、いや麻里江よ。」

 その言葉になぜか麻里江の胸が締め付けられた。

 あれと同じようなことを私は体験したことがある。

 それが何なのか思い出せない。自分の中でもうひとりの自分がそれを拒絶していた。

 「思い出せぬようじゃな。」

 いつの間にか無明が麻里江のそばに近寄っていた。

 「私の心を折ろうとしても無駄よ。」

 麻里江は無明をキッと睨んだ。

 「私はあなたの術中にけっして落ちない。」

 麻里江はカードを無明に突きつけ、あくまでも抵抗の態度をとった。

 「そうか、ならもう一つの地獄を見せよう。」

 そう言うと無明が杖で自分の周りに円を描いた。

 途端に麻里江の身体が、再び奈落の底へ落ちていった。

 

 気が付くと、麻里江は田んぼのうえに横たわっていた。

 頭上には星が瞬き、夜であることを示している。

 起き上がり、周りを見渡した時、麻里江の中に懐かしさが湧き上がってきた。

 「この場所を私は知っている。」

 そう思った時、闇の向こうに灯りが灯った。それは次々と灯り、列をなしていった。

 「あれは…」

 麻里江の中に恐怖が忍び寄ってきた。

 (夢の中の…)

 灯りが近づき、それは群衆が手にした松明とわかった。

 「鬼龍一族の村ぞ。すべて焼き払え。」

 先頭に立つ男が、後ろに続く一団に号令を掛けた。

 それに答えるように一団は、別れ、村の家々に火を放った。

 途端に村の人々が家から飛び出してきた。それを待っていたかのように一団は村人に襲い掛かった。

 遠くからそれを見ていた麻里江は、いてもたってもいられず、争いの場に向かって駆けていった。

 駆けていく麻里江の目の先で、二人の男が対峙していた。

 「何者(なにもの)だ!」

 長老らしき老人が叫んだ。

 「我ら陰陽連(おんみょうれん)。世に仇なす鬼龍の者どもよ。この世から消えよ。」

 リーダーらしき男が長老に剣を向けた。

 「なにゆえ、我らを目の敵にする。われらは静かに暮らしていただけぞ。」

 「おまえらの存在そのものが(よこしま)。人々の欲望を増長させ、争いを起こす。ゆえにその存在を消すのだ。」

 「なにを…」

 リーダーらしき男の言葉に、長老は二の句も告げなかった。

 「おまえらが持つ鬼の宝よ。それがすべての元凶。」

 「おぬしらの狙いは鬼の宝か。」

 リーダーの男が、手にした剣を長老の首に突きつけた。その周りでは、家が燃やされ、逃げ惑う村人が次々と殺されていった。

 麻里江は逃げる村人を助けようと、襲い掛かる者たちに立ちはだかった。しかし、襲撃者たちは麻里江に気が付かない風に駆けてくる。

 麻里江がカードを取り出し、それを迫ってくる者たちに投げた。

 カードはまっすぐ襲撃者の身体に刺さるかに思えた。しかし、カードは襲撃者の身体をすり抜けていった。

 「えっ!」

 麻里江は、今度は剣を取り出し、それで襲撃者たちを止めようと、斬りかかった。しかし、斬りかかった剣は襲撃者の身体をすり抜け、そのうえ、麻里江の身体もすり抜けていった。

 「どういうこと?」

 訳もわからず、襲撃者を止めようとするが、悉くすり抜けてしまい、その間に襲撃者たちは村人を次々と殺害していった。

 「なぜ!?どうして!?」

 半泣きのまま、麻里江は空しい努力を続けた。

 「ぐわあ~!」

 後方で悲鳴が上がり、振り向くと長老がリーダーに刺し殺されていた。

 その顔をよく見ると、土御門保春に酷似していた。

 「まさか!?」

 「土御門様、宝の在りかを知る者を見つけました。」

 男がひとり、土御門と呼ばれた男に駆け寄り、報告した。それに頷いた土御門は一団に向かい、掛け声を掛けた。

 「よいか、皆の者。家屋敷はすべて火をかけよ。村人は一人乗らず始末するのだ。」

 恐ろしい命令に麻里江の全身に戦慄が走った。

 それがきっかけか、麻里江の中に一つの記憶が蘇った。

 「私の家。」

 そう思うと、麻里江はそこへ向かって駆け出した。

 記憶が次々蘇る。

 自分が住んでいた家がここにある。その先にある。

 村から離れた所に、一軒家が見えた。

 まだ、襲撃者たちは来ていない。

 玄関に入った時、ふと後ろを振り返ると、遠くの闇の中に赤い炎がいくつも浮かんでいた。

 夢に見た光景だ。

 「夢で見たのは、これなの?」

 玄関から中に入ると、女の子が一人、居間で震えていた。

 麻里江にはその女の子に見覚えがあった。

 「わたし…?」

 そこへ、男が入ってきた。

 「麻里江、無事か?」

 「おとうさん!」

 女の子がお父さんと呼んだ男に抱き着いた。

 (おとうさん…?)

 麻里江は改めて男の顔を見た。

 (見覚えがある。)

 「麻里江、ここは危険だ。すぐに逃げなさい。」

 「おとうさんは?」

 「私はやることがある。それがすんだらすぐに後を追う。そうだ。鎮守の森の社に行きなさい。」

 しかし、女の子は父といっしょじゃないといやと、駄々をこねた。男はそれを辛抱強く説得し、女の子も納得したように頷くと、裏口から外へ出た。

 女の子は、涙で濡れた顔で何度も振り返りながら、裏の道を駆けていった。

 それを見届けた男は、台所の灯油缶をひっくり返すと、棚からマッチを取り出し、それに火を点けた。

 そこへ別の男が駆け込んできた。

 「小次郎!」

 自分の名を呼ぶ男を見て、小次郎は驚いた拍子にマッチを落とし、その火が床の灯油に燃え移った。

 「蓮也、おまえ、どうしてここに。」

 「おまえたちが心配で。麻里江はどうした?」

 「麻里江なら今しがた逃がした。」

 「そうか。」

 小次郎の言葉を聞いて、蓮也がニヤリと笑った。それを小次郎は見逃さなかった。

 裏口から出ていこうとする蓮也を、小次郎は肩を掴んで押しとどめた。

 「どこへ行くつもりだ?」

 「もちろん、後を追うのさ。」

 その言葉に蓮也の意図を小次郎は察した。

 「おまえ、目的は麻里江か?」

 小次郎が蓮也を睨みつけた。

 蓮也はしかたがないという表情を小次郎に見せて、腰から短刀を抜いた。

 それに気づいて、躱そうとしたが遅かった。

 蓮也の短刀は、小次郎の腹部に深々と突き刺さった。

 「きさま…」

 小次郎の手が蓮也の肩を強く握りしめた。しかし、それも一時的で傷口の出血から小次郎の全身の力が抜け、床に崩れ落ちた。

 「麻里江は俺が保護してやる。安心しろ。」

 そう言い残して、出ていこうとした蓮也の足を小次郎が掴んだ。

 「きさま、麻里江をさらってどうするつもりだ?」

 「知れたこと。鬼の宝をいただくのよ。」

 それを聞いて、小次郎の目に怒りの炎が灯った。

 「やはり、目的はそれか。それでこの村に入り込み、俺たちに近づいたのか?」

 「この一年、楽しかったぜ。」

 蓮也は嘲笑を浮かべながら、小次郎の手から足を引き抜いた。

 そのまま蓮也は裏口から出ていった。

 その一部始終を見ていた麻里江は、言葉を失った。

 自分がこの村の者だったことにショックを受けていた。

 「どうじゃ、自分の過去に向き合った感想は。」

 後ろから声を掛けられ、麻里江は驚いて後ろを振り返った。

 無明が箱車に乗ったまま、上がりかまちに鎮座していた。

 「私の過去?」

 「そうじゃ、この鬼龍の村におぬしは生まれ育った。しかし、十五年前、陰陽連の襲撃で村は消滅。逃げたおまえは蓮堂に連れ去られ、そのまま育てられた。」

 淡々としゃべる無明の言葉に、麻里江のショックは更に重なった。

 「じゃあ、私は鬼龍一族なの!?」

 「その通りじゃ、ゆえにわれの仲間になれと言うたのじゃ。」

 いつの間にか周りの風景が消え、また漆黒の闇の中に二人はいた。

 「うそよ!でたらめよ!」

 「あの男の顔を覚えておらんというのか?あの村の景色を覚えておらんというのか?」

 無明の言葉に麻里江は反論できなかった。

 (たしかにあの顔には覚えがある。それにあの光景…)

 夢で見た光景そのものであった。

 もはや、麻里江の中で無明の言葉を否定するものは、何もなかった。全身の力が抜け、膝から崩れ落ちた麻里江は、そのまま突っ伏した。

 心の中でなにかが折れたような音がした。

 気力が体中から抜けるような感覚が広がっていく。

 麻里江はいまや生きた屍になろうとしていた。

          8

 いつの間にか周りの景色が、地下の道場に戻っていた。そこに箱車に乗った無明と床に突っ伏したままの麻里江がいた。

 「ふふふ、気力も失せたか?」

 無明が麻里江に近寄ってきた。

 うつ伏せに倒れている麻里江の顔を覗きこみ、無明の顔に笑みが広がった。

 「このまま、我が同胞になれ。」

 「そうはいかぬ。」

 突然、麻里江が口をきいた。

 ぎょっとした無明は、少し身体をのけぞらした。

 無明の目の前で、麻里江が少しずつ起き上がってきた。

 「まさか…」

 さしものの無明も驚きの表情を隠せなかった。

 「おぬしの思い通りにさせぬ。」

 立ち上がった麻里江がキッと無明を睨みつけた。

 その目はどこか焦点が合っておらず、人形のように無表情であった。

 それを見た無明の頭にピンとくるものがあった。

 「蓮堂か!?」

 「麻里江はわしのものじゃ。おぬしの好き勝手にはさせぬ。」

 無明の見えぬ目に、麻里江の背後に蓮堂の気配が姿となって映った。

 「移り身の法術か?遠く北陸の地よりご苦労なことじゃの。」

 「いや、すぐ近くまで出向いた。」

 「ほお~」

 無明と蓮堂の間で笑みとともに殺気が膨れ上がった。

 「好き勝手にせぬとなれば、どうする?」

 「おぬしを倒すまで。」

 「無意味な…」

 「ほざけ!」

 蓮堂が乗り移った麻里江が床を蹴った。

 懐から取り出したカードの束が、次々と連なっていき、一本の鞭のようになった。それが頭上から無明に振り下ろされる。

 箱車が横に動いた。その脇をすさまじい勢いでカードの鞭が通り過ぎ、床を撃ち砕いた。

 カードの鞭はすぐに跳ね上がり、またしても、無明に向かって打ちかかっていった。

 無明の箱車が床から宙に飛び上がった。

 躱されたカードの鞭は、麻里江の元に戻ってくると、一旦カードの束になり、今度は槍のようにまっすぐ、無明に向かって伸びていった。

 「等活地獄!」

 無明が杖を振るうと、目の前の床に黒い穴が開き、そこから牛頭の巨人が現れ、持っていた巨大な斧でカードの槍を弾き返した。

 「金の精霊に願い奉る。(いにしえ)の盟約に従いて、その身を金色の鳥と為し、その瞬速をもって、我が前の魔のものを切り刻みたまえ。」

 弾き返されたカードが、バラバラになって宙に浮いた。

 呪文に押されて、カードが金の鳥に変化すると、巨人に向かって次々と飛んでいった。

 牛頭巨人は巨大斧で飛んでくる鳥を叩き落とそうとするが、金の鳥はその斧をかわし、すさまじいスピードで巨人の手首を切り落した。

 続けざまに、巨人の腕と言わず、足と言わず、あらゆるところが切り刻まれていき、獣のような絶叫とともに、巨人は床に倒れた。

 「無明覚悟!」

 麻里江の叫びとともに、金の鳥が一斉に無明に向かった。それを冷静に見る無明は、持っていた杖で軽く円を描いた。

 「極寒地獄。」

 呪文とともに円が黒い穴に変化し、そこから猛吹雪が噴き出した。

 吹雪は、飛んでくる金の鳥を次々と凍らせ、凍った鳥は動きを止めて、床に落ちていった。

 吹雪は止まず、黒い穴の中から羊の頭を持った氷の巨人が出てきた。

 「次々よく出すの。」

 麻里江に乗り移った蓮堂が嘲笑を浮かべた。

 カードを両手に持った麻里江は、呟くように呪文を唱えた。

 「火の精霊に願い奉る。古の盟約に従いて、炎を纏いし虎の姿を借りて、その威をもって、我に仇為すものを打ち祓いたまえ。」

 呪文とともに両手のカードから炎が噴き出し、その炎が虎の姿に変化した。

 虎は迫る氷の巨人に向かった駆け出し、その首筋に噛みついた。その途端、蒸気が噴き出し、辺りを覆っていった。

 「つばくろの舞!」

 視界が遮られた機を逃さず、麻里江はカードを二枚投げた。

 カードは大きく弧を描き、左右から無明に迫った。しかし、冷静な無明はそのカードを杖でなんなく叩き落とした。

 そのとき、麻里江の気配が消えたことに無明は気づいた。

 「む?」

 頭上から殺気が矢のように飛んでくる。

 その後から剣を上段に構えた麻里江が落下してきた。

 「死ね!無明!」

 必殺の剣が無明を真っ二つにするかに思えた。しかし、無明は慌てることなく、杖で床をトンと叩き、床に大きな穴を開けた。

 そこへ落ちていく無明を追って、麻里江も穴の中に落ちていった。

 

 クラブハウスから一キロほど離れた山道に、一台のエスティマが停まっていた。その車は前日の夜からこの場所に停車していた。

 その中には運転手と芦屋蓮堂が乗っていた。

 その蓮堂はいま、法術に集中していた。

 目をつぶり、一心に呪文を唱えていた蓮堂であったが、突如、目を見開き、戸惑いの表情を見せた。

 「麻里江との連結が切れた。」

 ぼそっと呟く蓮堂の言葉を聞いた運転手は、怪訝そうな顔をした。

 「どうされました?蓮堂様。」

 運転手の問いにも素知らぬ顔をした蓮堂は、今一度、目を(つぶ)り、精神を集中して呪文を唱え始めた。

 無視された運転手は、ため息をつきながら朝日が登りつつある山のほうに目を向けた。そのとき、フロントガラスの前にいるはずのない人物が、立っていた。

 「うわっ!」

 驚き、悲鳴を上げた運転手の声に、集中を切らされた蓮堂は、怒りの目を開けた。

 「なにを騒いでおる。たわけが。」

 「ひとが、ひとが、」

 慌てる運転手の指差す方向を見た時、蓮堂の目が見開かれた。

 フロントガラスの向こうに立っているのは、いま麻里江を通して対峙していたはずの無明であった。

 「か・果心居士…」

 思わず昔の名を出した蓮堂に、無明はいやな顔をした。その顔のまま無明はフロントガラスをすり抜け、運転手もすり抜けて、蓮堂の目の前に近づいてきた。

 それで蓮堂は得心した顔になった。

 「幻影か?」

 「残念じゃったの。蓮堂。」

 無明が嘲笑を浮かべた。

 「なに?」

 「麻里江は無感の地獄に落ちた。お主の移り身はもう届かん。」

 無明の言っている意味がわからぬ蓮堂であったが、麻里江を操れなくなったのが、無明の仕業とは理解できた。

 「麻里江をどうするつもりだ。」

 「なに、儂の仲間になってもらうだけじゃよ。」

 「どういうことじゃ。」

 「その意味はおぬしがよく知っておるじゃろ。」

 無明の顔が更に蓮堂に近づいた。

 白濁した目を見開き、満面の笑みを浮かべている。

 それを見て、蓮堂の背筋に悪寒が走った。

 「麻里江を鬼龍の者にするつもりか?」

 「もともとが鬼龍の者じゃ。なんの異存もなかろう。」

 そのとき、大きな地響きがエスティマを揺すった。

 「な・なんじゃ?」

 「どうやら、事が起こったようじゃの。」

 「事?」

 蓮堂が訝しげな顔をすると、また、運転手が悲鳴を上げた。

 「うわあぁぁ~!」

 運転手が再び指差す方向に目を向けた蓮堂は、その目を大きく見開いた。

 麻里江がいるはずのゴルフ場の方向に、異形の怪物が聳え立っていた。

 「なんだ、あれは…?」

 蓮堂にして恐怖を感じた。

 それほど、巨大で異形の怪物は、八つの頭を更に伸ばし、朝日に照らされたその本体を血のように赤く染めていた。

 「ヤマタノオロチを使ったか。」

 「ヤマタノオロチ?」

 無明に向かって聞き返す蓮堂に、無明は妖しい笑みを見せながら消えていった。その後を追うようにエスティマを降りた蓮堂の耳に、無明の声がどこからともなく聞こえてきた。

 「おぬしも早う逃げたがよいぞ。ふぉふぉふぉふぉ。」

 無明の哄笑を耳に残し、蓮堂は改めて怪物の方に目を向けた。

 恐怖が蓮堂の全身を支配していた。


 無明の姿が再び例の道場に現れた。

 その足元には麻里江が横たわっている。

 建物全体がヤマタノオロチの力で揺れ動いていた。

 「ここが崩れるのも時間の問題か。」

 ボソッと呟くと、無明は床に杖を突き立て、呪文を唱え始めた。

 「地龍の気、ここに集いて我が描けし陣に力を与えたまえ。何人もこれを侵せぬ封印と為したまえ。」

 印を結び、精神を集中させると、道場の床、全面に不思議な紋様で描かれた魔法陣が浮かびあがった。

 それは光を放ち、道場全体を包み込んだ。

 「ここで高みの見物といくか。の、麻里江よ。」

 無明の顔にまた妖しい笑みが広がった。


 同じ頃、霧子は怪物の姿に恐怖を感じながら、クラブハウスの中に入っていった。

 怪物の影響か、地震が起こり、建物が大きく揺れた。

 揺れる建物にバランスを崩しそうになりながら、霧子は奈美の元へ向かおうとした。

 ポケットから携帯を取り出すと、ボタンを操作し、奈美に仕掛けておいた発信機の電波を探った。

 「よかった。まだ発信機は生きている。」

 赤い点滅が地下の方を指している。

 また、建物が大きく揺れた。あちこちで壁や天井が崩れてくる。

 「ぐずぐずしている暇はないようね。」

 霧子は痛む身体をかばいながら先に進んだ。


 ミヒャエルも同じ方向を目指していた。

 同じ携帯を手にし、こちらはカティナに着けた発信機を追っていた。

 「下か?」

 クラブハウスは断続的に揺れ動き、あちこちに亀裂が入って、崩れかけていた。

 足場の悪い建物の中をミヒャエルは、急いで地下に向かっていった。

 

 やっとの思いで地下へ通じる階段に到着した時、いままでになく建物が大きく揺れた。

 「くっ、大きい!」

 壁に身体をくっつけ、揺れが収まるの待った時、地下への階段の天井が崩れて、進路を塞いでしまった。

 「Shit(くそ)!」

 揺れが収まると、ミヒャエルは塞がれた階段に駆け寄り、なんとか瓦礫を取り除こうとした。しかし、人一人の力でなんとかできる状態でないことは、すぐに分かった。

 「こりゃ、重機でももってこないと無理か?」

 「その重機になってあげようか?」

 後ろから聞き覚えのある声を聞いて、ミヒャエルは急いで振り返った。

 「キリコ。」

 霧子は相変わらずの人を喰ったような笑顔を見せて、ミヒャエルの前に立っていた。

 「無事だったのか?」

 「勝手に殺さないで。」

 霧子はミヒャエルを押しのけて、瓦礫の前に立った。

 「この先に奈美がいる。」

 そう呟くと、霧子は目を瞑り、精神を集中した。

 霧子の身体の周りから陽炎が立ち上り、目の前の瓦礫が少しずつ動き始めた。

瓦礫は次々と浮き上がり、通路から取り除かれていった。やがて、瓦礫で塞がれていた通路は、人が通れるほどの広さに(ひら)けた。

 「さ、いくわよ。」

 「大丈夫か?キリコ。」

 「心配しないで。」

 軽くよろめきながらも、気丈に振る舞う霧子は、先に進んだ。

 階段を降りると、地下は真っ暗で、一寸先も見えなかった。

 ミヒャエルがポケットからペンライトを取り出し、灯りを点けた。

 小さな光の円が目の前を照らし出す。

 霧子も携帯電話で足元を照らしながら、前に進んだ。

 あちこちに瓦礫が転がり、足場が悪い。そこを注意深く進むと、2メートルほど先に何かが蹲っていた。

 「カティナ!?」

 ミヒャエルがすぐに駆け寄り、抱き起した。

 背中に刺し傷があり、出血がひどい。

 「マリア!」

 霧子はその先に倒れているマリアを見つけ出した。

 すぐに抱き起すと、腹部にべっとりと血がついていた。

 「マリア、しっかりして。」

 耳元で大きな声で呼びかけると、マリアがうっすらと目を開けた。

 「キ・リ・コ…?」

 「そうよ。気をしっかり持って。」

 「カ…ティ…ナは…?」

 か細い声で尋ねるマリアに、霧子は大声で答えた。

 「大丈夫!無事よ!」

 それを聞いてマリアはうっすら笑った。そのまま、また黙り込んでしまった。

 「マリア!寝ちゃダメ!」

 マリアを呼び戻そうとするように、霧子が叫んでいると、後ろからミヒャエルが肩を叩いた。

 「霧子、二人を連れて、一旦戻ろう。」

 「そうね。二人いっしょに飛べる?」

 「それは何とかなるが、霧子はどうする?」

 カティナを抱えたミヒャエルに、マリアを抱き起した霧子は、そのマリアをミヒャエルに預けた。

 「私は奈美を探す。ミヒャエルは一旦戻って。」

 「しかし…」

 「急いで処置しないと二人の命が危い。さっさと行って。」

 しかりつけるように言う霧子に、何も言えず、ミヒャエルは二人を抱えると目を瞑り、その場から消えた。

 霧子はまた携帯を見て、発信源を探った。そのとき、霧子の目に床に落ちているP7が目に入った。無造作にそれを拾い上げたとき、また建物が大きく揺れ、天井が落ちてきた。

 「奈美、無事でいてよ。」

 呟きながら霧子は先に進んだ。

          9

 左京が呼び出したヤマタノオロチはどんどん巨大化していった。その姿は遠く離れた御殿場や三島からも見え、周辺の町はパニック状態に陥っていた。

 いち早くかぎつけたメディアは、次々とヘリコプターを飛ばし、危険も顧みずその姿を報道しようとした。

 「ごらんください。あの異様な姿。その大きさは、五十メートルはありますでしょうか?」

 ヘリコプターに乗ったテレビキャスターが、興奮気味にマイクに向かって叫んでいる。

 「おい、もっと近づけ。」

 キャスターが操縦者に督促した。操縦者は躊躇するが、しつこい督促に仕方なしにヘリをヤマタノオロチに近づけた。

 更に近づき、キャスターの興奮の度合いは絶頂になった。

 「神話の怪物です。神話の怪物が現代に蘇ったのです。」

 十六個あるオロチの目が、一斉に周りを飛ぶヘリを凝視した。

 恐怖がヘリの乗組員に()りついた。

 「ひぃぃ~!」

 変な悲鳴を上げた操縦士がスティックを倒し、オロチから離れようとした。

 そのとき、オロチの八つの頭のうちの一つが、大きく口を()けた。

 金色の光が放射され、ヘリを直撃した。

 一瞬にしてヘリは爆発し、バラバラになって落ちていった。

 それを見た他のヘリは、次々とヤマタノオロチから離れようとした。しかし、それを見逃さず、オロチの八つの口から次々と金色の光が放射され、飛んでいたヘリはすべて撃ち落された。

 待機していた部隊のトラックにテレポートしてきたミヒャエルは、乗っていた衛生兵にマリアとカティナを預けたところで、この光景を目撃した。

 「これは、大変なことだぞ。」

 そう言うが早いか、ミヒャエルは乗ってきたランドクルーザーに乗り込むと、無線機のスイッチを入れた。

 「横田、聞こえるか?こちら、ビックファイブ!」

 返答はすぐ帰ってきた。

 「ビックファイブ、こちら横田。感度良好。」

 「緊急事態だ。急いで戦闘機を飛ばせ!」

 ミヒャエルの要請に、相手は一瞬、言葉を失った。

 「ビックファイブ、無茶を言うな。基地司令の命令なしで、戦闘機を飛ばせるわけないだろう。まして、横田に戦闘機はない。」

 「なら、横須賀のキティホークからでも飛ばせばいいだろ。」

 「無茶苦茶だ。」

 無線士のあきれ顔が、ヘッドホンを通してもわかる。

 「なら、基地司令に繋いでくれ。」

 「ミヒャエルさん、動き出した。」

 ランドクルーザーのドア越しに待機の兵士が叫んだ。

 振り返ると、リアウィンド越しにヤマタノオロチが動き出しているのがわかる。

 「どうした?ビックファイブ。」

 「災厄が動き出したんだ。とにかく、基地司令でも大統領でもいいから、急いで富士山に向けて軍を動かしてくれ。」

 そう言って、ミヒャエルは乱暴に無線を切った。

 ランドクルーザーから降りると、そばにいた兵士に命令した。

 「至急、この場を離れて横須賀へ向かえ。二人を病院に連れていくんだ。」

 「しかし、隊長たちを待たなくては。」

 「隊長はもう帰ってこない。」

 「え?」

 兵士が驚きで口を開けた。

 「とにかく早くいけ。」

 兵士を無理やりトラックに乗せると、発進させた。

 窓から兵士が顔を出す。

 「ミヒャエルさんはどうするんですか?」

 「俺のことは心配するな。」

 大声で言葉を交わし、トラックは去っていった。

 「キリコ、待ってろよ。」

 クラブハウスの方に身体を向けると、ミヒャエルは精神を集中させ、クラブハウスにテレポートした。

 

 同じ頃、蓮堂も思案に暮れていた。

 目の前のヤマタノオロチの巨大な姿に、完全に委縮していたのだ。

 それはエスティマの運転手も同じであった。オロチの姿が運転手を恐怖の虜とし、それは逃走という行動をとらせた。

 エスティマのエンジンをかけ、蓮堂のことも構わず、元来た道を戻ろうとした。

 それに気づいた蓮堂は、運転席の窓に取り付いた。

 「どこへいくつもりだ?」

 「早く逃げましょう。こんなところにグズグズしてられない。」

 運転手はバックしようと、後ろを向いた。

 「まて、このままクラブハウスにいくのじゃ。」

 「正気ですか?死ににいくようなものですよ。」

 運転手の顔が真っ青になった。

 「大丈夫じゃ。わしがいる。」

 「いくらあんたでも、あの化け物にはかなわないよ!」

 師匠である蓮堂に向かって、あんた呼ばわりされ、蓮堂の眉間の皺が寄った。

 「とにかく、死ぬのはごめんだ。行くならあんたひとりで行きな。」

 運転手はアクセルを踏み込み、スピードを上げてバックした。蓮堂はそれに抗しきれず、弾き飛ばされ、地面に無様に尻餅をついた。

 エスティマはバックのまましばらく走り、広いところで方向転換をすると、あっという間に見えなくなった。

 「くそ!」

 着物の埃を掃いながら立ち上がった蓮堂は、クラブハウスの方を向いて、速足で歩き始めた。

 

 蓮堂がクラブハウスに向かっていることも知らず、麻里江は死んだように眠り続けていた。その心は、闇の奥底に落ちており、怒りも悲しみも苦しみもなく、ただ虚無感だけが支配していた。

 (私はなんのために戦っていたの?)

 答えは返ってこなかった。

 (私はなんのために鬼龍一族と敵対していたの?)

 やはり答えは返ってこなかった。

 (いままで修行してきたことはなんだったの?)

 答えはなく、目の前には闇が広がっていた。

 やがて、闇に覆われた天から白いものが落ちてきた。

 頬に落ちたそれは、雪であった。

 雪は徐々にその数を増やしていき、麻里江の周りに降り積もっていった。

 しかし、冷たさも寒さもない。

 (このまま私を覆い隠して。)

 雪は止まず、周りを白一色にしていった。

 (私の生きてきたことは無意味だったのよ。)

 (………)

 遠くから何かが聞こえたような気がした。

 しかし、麻里江にそれを確かめる気力はなかった。

 感覚もなく、感情も消えていく中、雪だけが降り積もっていった。

 (このまま雪に埋もれていけばいい。)

 (まりえ……)

 また、なにかが聞こえた気がした。

 (なにもかもが無駄だった。)

 (まりえ…)

 また、聞こえてきた。自分を呼ぶ声を。

 (だれ?)

 (まりえ…)

 (だれなの?)

 (あたしだよ。)

 闇の天に、雪以外の光の点が見えた。それは、徐々に大きくなり、声はその光の中から聞こえてきた。

 (がんばるんだよ。まりえ。)

 (もうおしまいなのよ。私の生きてきたことも戦ってきたことも、なにもかも無意味だったのよ。)

 (そんなことないよ。)

 光が否定した。

 (私は鬼龍一族だったのよ。鬼の宝を得るためだけに生かされた存在なのよ。)

 麻里江は自分を否定した。

 (そんなこと関係ないよ。)

 光が強くそれに異を唱えた。

 (麻里江がなんだろうと、あたしの友達じゃあないか。)

 (友達…?)

 その言葉に麻里江の心が反応した。すると、光がさらに強さを増し、形を成してきた。

 (そうだよ。あたしたちは友達だろう。)

 (そうよ。)

 別なところから新たな声が聞こえてきた。

 闇に覆われた天から新たな光の点が下りてきた。

 (あなたたち…)

 麻里江にはその光の正体がわかってきた。

 (あたしたちは一緒に修行した仲間じゃない。)

 (そうだよ。楽しいこともつらいことも一緒に分かち合った仲間じゃあないか。)

 光が人の姿となった。

 目の前に、美樹と翔が笑顔を見せて、浮いていた。

 (仲間…)

 (麻里江が鬼龍一族だろうが、鬼だろうが関係ない。あたしたちは三人官女じゃあない。)

 美樹と翔が麻里江の両脇に降り立ち、ひざまずいた。

 (麻里江、さあ、立って。)

 両脇から抱きかかえられ、麻里江は立ち上がった。

 二人の光が麻里江を包み込み、麻里江の中になにかが湧き上がってきた。

 (美樹も翔も私を仲間と呼んでくれるの?)

 (当たり前だよ。)

 (当たり前でしょ。)

 二人が笑顔で答えた。

 (麻里江、あたしたちはいつまでも友達だよ。)

 美樹が言うと、翔が頷いた。

 (友達、私も?)

 (そうだよ。)

 (そうよ。)

 美樹と翔が麻里江の手を握ってきた。

 温かい。

 それは手から腕、そして全身へと広がっていき、麻里江の中から光が生まれてきた。

 (さ、行こう。)

 (行きましょう。)

 美樹と翔が麻里江の両手を引っ張っていく。その身体は宙に舞い、二人に連れられて上へ上へと上昇していった。

 (どこにいくの?)

 (元の世界。)

 (あなたがいるべき場所。)

 二人に連れられ、麻里江はその先を見た。

 遠くに月が見える。

 それがどんどん大きくなってきた。

 上昇するスピードは増々速くなり、月の姿は増々大きくなっていった。

 目の前に広がる巨大な月。

 それを前にして、美樹と翔が麻里江の手を離した。

 (私たちはここまで。)

 (え、いっしょに行かないの?)

 麻里江の問いに二人は哀しそうな目で首を横にふった。

 (私たちはすでに黄泉の人間。ここから先には行けない。でも、麻里江は違う。)

 (麻里江はこの月の先にいくべき人間。)

 (美樹、翔。)

 麻里江の身体が月へと向かって動き出した。しかし、二人はそのままであった。

 (待って、美樹、翔。)

 (忘れないで。麻里江。三人官女はいつも一緒だよ。)

 美樹が親指を立てて突き出し、翔が笑顔で敬礼した。

 その二人はあっという間に、小さくなり、消えていった。

 (美樹── ! 翔── !)

 叫びながら麻里江は月へと猛スピードで落下していった。

 

 道場では、横たわる麻里江を前に無明が呟いていた。

 「みんな、まもなく解放される。長年の苦しみもこれで終わりじゃ。」

 その目からは微かに涙が滲んでいた。

 「儂の役目もやっと終わる。」

 深いため息をついた時だった。

 麻里江の身体から淡い光が放ち始めた。

 「ん?」

 目の見えぬ無明にも、その光は感じ取られた。

 光は徐々に大きくなり、道場一杯に広がった。

 「これは…?」

 無明がたじろぎ、腕を顔の前にかざして光を避けようとした。やがて、光はその輝きを小さくしていき、光がなくなった後、無明の前に麻里江が立っていた。

 そのことに無明は驚いた。

 「おぬし、無感地獄から戻ったというのか?」

 麻里江が静かに目を開けた。

 「無明!」

 麻里江がポケットからカードを取り出し、それを剣に変えて、正眼に構えた。

 「無感の中でおとなしく寝ておればよいものを。」

 「無明、おまえの野望は私が止める。」

 揺るがぬ決意に、無明は苦々しい顔をした。

 「もう遅い。蓋は開けられた。長年苦しんできたえみしの魂はこの世に解放される。」

 「なに?」

 「見よ!」

 無明が杖を振ると、空間に映像が現れた。

 ヤマタノオロチの異形の姿が画面一杯に映し出された。

 「なんなの、これは?」

 「ヤマタノオロチじゃ。」

 「ヤマタノオロチ?」

 無明が言う意味を図りかねる表情を見せながら、麻里江は画像を食い入るように見た。

 「われら、えみしの魂がこの世に出現し、形となったものじゃ。」

 「えみしの魂?」

 無明に視線を移すと、無明は怒りの表情を見せていた。

 「そうじゃ。われらをえみしと言うだけで排除し、死んでいったものを何もないあの世に閉じ込めた。その長年の苦しみ。行き場のない嘆き、哀しみがわかるか!?」

 無明の目に涙がまた滲んできた。

 「無明、おまえは一体何者なの?」

 「儂はえみしの復讐の権化。千年の長きに渡り、同胞の解放と大和の者どもへの報復を糧に生きてきたもの。」

 「千年…?」

 信じられないという顔をする麻里江に、無明は杖を突きつけた。

 「おぬしもえみしの末裔なら、儂のやることを黙って見ておれ。」

 その言葉に麻里江の怒りに火がついた。

 「えみしの苦しみを解放すると言っても、今の人たちを苦しめる理由にはならない。」

 「そんなきれい事を。」

 無明の目が吊り上がった。

 「無明、おまえはただ復讐に憑りつかれているだけだ。」

 「それの何が悪い。千年前に大和の者が我らにしたことを、この日ノ本にいる者たちに味合わせてやることのどこが悪い。」

 「それは、千年前に大和の者がしたことと同じこと。それが本当にえみしの魂を救うことになると思っているの?」

 麻里江の言葉に、無明はハッとした。そして、遠い記憶の中で同じようなことを言われたことを思い出した。

 『キリク、やめて!』

 麻里江の姿が、無明の記憶の中にある女性の姿とダブった。

 「うるさい!」

 無明は頭を振って、その記憶を振り払った。

 「もう、動き始めた。だれにも止められん。」

 「私が止める!」

 麻里江が叫んだ。

 その勢いに無明は一瞬たじろいだ。

 「させん!だれにも止めさせん。」

 無明が杖を構えた。

 「止めてみせる!」

 麻里江が駆けだし、横へ剣を掃った。それを無明の杖が受ける。

 麻里江と無明の闘気と妖気がぶつかった。

 「今一度、地獄に送ってやる。」

 「同じ手は、二度は喰わない。」

 両者が左右に飛んだ。

 麻里江がカードを投げる。

 無明が杖でそれを弾き落とすと、杖を床に突き立てた。

 「黒縄地獄!」

 杖から影が麻里江の元に伸びた。

 麻里江が後方に飛ぶのを追って、影から黒い縄が幾本も伸びてきた。

 それを剣で斬り掃う。

 床に降り立った麻里江は更に駆けた。

 その後を影が追う。

 逃げる麻里江に向かって、影からまた黒縄が伸びた。

 「円月の舞!」

 麻里江がカードを投げると、それは弧を描いて、伸びる縄を次々と切っていった。

 「やるの。」

 無明の目が笑った。

 杖が床に円を作る。

 「妖法 等活地獄。」

 黒い穴が開き、そこから牛頭巨人が出現した。

 両手に巨大な斧を携え、麻里江に向かって歩みだした。

 「五つの精霊よ。我が構えし剣に宿りて、魔を祓う力となれ。」

 麻里江が宙に五芒星を描いた。

 五つの頂点に紫の光が灯り、突き出す剣の先にその光が集中した。

 「五行相生剣」

 牛頭巨人に向かった麻里江の剣が、五芒星の形にすばやく動いた。

 「ぐおぉぉぉ~!」

 牛頭巨人は抵抗する間もなく、頭、両腕、両足と五等分され、煙のように消えていった。

 「無明!」

 しかし、巨人の後にいるはずの無明がいない。

 「ここじゃ。」

 その声に振り返ると同時に、無明の杖が麻里江の額を突いた。

 「妖法 無感地獄。」

 一瞬で麻里江から五感が奪われた。

 「残念じゃったの。」

 無明の嘲りの声も聞こえず、麻里江は仰向けに倒れた。その拍子に、麻里江から一枚の人型の紙が床に滑り落ちた。

 目の見えぬ無明は、それに気づかず、倒れている麻里江に近寄った。

 「無感の世界でゆっくり考え直すがいい。」

 嘲笑を残して、その場から離れようとした時、道場に自分以外の気配を感じた。

 「む?」

 無明が気配の方に身体を向けた。

 そこにはどんどん大きくなる人型の紙があった。

 「まさか…?」

 人型はやがて人の姿に変わり、無明の前に立ちはだかった。

 「ようやっと入れたわい。」

 無明の前に立ったのは、蓮堂であった。

          10

 奈美のことがあきらめられない霧子は、奈美のいる場所に向かおうとしていた。しかし、建物のあちこちが崩落し、エレベーターも破壊されており、それ以上、前に進むことはできないでいた。

 しかも、発信機の点滅も消え、奈美の居所は探せない状態であった。

 「くそ、万事休すってわけ?」

 やけくそ気味に呟くと、霧子は壁にもたれて座り込んだ。

 そのとき、壁の向こうから微かな物音が聞こえた。

 好奇心から霧子は壁に耳を当て、その音がなにか探ろうとした。

 誰かが戦っている音だ。

 微かに「無明」や「麻里江」という声が聞こえる。

 「麻里江?」

 弾かれるように壁から離れると、霧子は壁を見つめた。そして、もう一度、壁に取り付くと壁の向こうの音を聞こうとした。

 確かに微かだが戦っている音がする。そして、ときおり、なにか呪文のような言葉が途切れ途切れ聞こえてきた。

 「麻里江…」

 壁の向こうに麻里江がいる。

 そして、誰かと戦っている。

 「麻里江!」

 霧子は壁を思いっきり叩いた。しかし、びくともしない。

 思い直した霧子は入り口を探すため、壁に沿って歩き始めた。

 暗闇の中、携帯電話の灯りだよりに歩き回り、やっとドアを見つけた。

 ドアノブを回したが、ドアは開かない。

 身体をぶつけてみたが、弾き返されるだけだ。

 霧子は拾ったP7を取り出し、ドアノブめがけて数発撃った。しかし、ドアは開かなかった。

 「麻里江、いるの?返事して。」

 ドアに耳を当てたが、先ほどまで聞こえていた音はピタリと止んでいた。

 「くそ、なぜ、開かない?」

 再度、身体をぶつけたが、ドアはびくともしなかった。

 そこへ、人の気配がした。

 ドアの中からではない。廊下の向こうからだった。

 「だれ!」

 P7を構えて、携帯電話の灯りを向けた先に老人が立っていた。手にはどこから持ってきたのか、松明のようなものが握られている。

 「おぬしはだれじゃ?」

 「聞いているのはわたしよ。」

 「わしは芦屋蓮堂。麻里江を探しにきた。」

 「麻里江を…?」

 霧子は疑わしそうな目で蓮堂を見た。

 「おぬしは名乗らぬのか?」

 不満げに言う蓮堂に霧子は仕方なそうに答えた。

 「私の名は伊達霧子。FBIよ。」

 「FBI?」

 霧子はこの状態でも自分の正体を隠した。そんな霧子を今度は蓮堂が疑わしそうな目で見つめた。

 「そのFBIがこんなところで何をしている。」

 「そうだ。この中に麻里江がいるのよ。」

 「麻里江が?」

 麻里江のことを思い出した霧子は、再びドアと格闘を始めた。しかし、相変わらずドアはびくともしない。

 「お嬢さん、ちょっと変わってくれんか?」

 そう言って蓮堂は霧子をドアの前からどかせると、ドアに手を置き、目をつぶった。

 しばらくの間そうしていたが、目を開けるとため息をついた。

 「いかんな。封印がされておる。」

 「封印?」

 霧子はドアや壁のあちこちを見渡したが、どこにも壊れた個所はなく、あきらめの表情を浮かべ、その場に座り込んだ。

 そのとき、聞き覚えのある声が廊下に響いた。

 「そこにいるのはキリコか?」

 廊下の先からペンライトの灯りとともにミヒャエルが現れた。それを見て、霧子はすぐに立ち上がった。

 「ミヒャエル、なんで戻ってきたの?」

 「おまえを連れて帰るためさ。」

 ミヒャエルは霧子のそばに寄ると、その腕を取った。しかし、霧子はその腕を振り払い、またドアの方に身体を向けた。そのとき、霧子はあることに気が付いた。

 「そうだ、ミヒャエル。テレポートでこの中に入れない?」

 「え?」

 ミヒャエルには霧子の言っている意味が解らなかった。

 逆に蓮堂が霧子の言わんとするところを理解した。

 「無駄じゃ。この封印はどんな能力を使っても破れん。」

 あきらめ気味に言い放つ蓮堂を苦々しく見ながら、霧子はドアを一蹴りしてまたその場に座り込んだ。

 二人が落ち込んでいるのを見て、ミヒャエルは訳も分からず立ち尽くしていた。

 そのとき、建物がまた大きく揺れた。

 「大きいぞ!」

 蓮堂、霧子、ミヒャエルが壁に張り付いた。

 天井から瓦礫が落ち、どこかでなにかが崩れる音がした。

 揺れはすぐに収まり、三人はほっと息を吐いた。

 「早くここを脱出したほうがいい。」

 「しかし、奈美が。」

 霧子は相変わらず奈美をあきらめていない。

 「アーマノイドのことはあきらめろ。」

 ミヒャエルが霧子の手を引いた。今度は霧子も振り払わず、ミヒャエルに従った。

 二人がその場を立ち去ろうとしたとき、蓮堂がついてこないことに、二人は気付いた。

 「おじいさん、いっしょにこないの?」

 霧子の呼びかけが聞こえないのか、蓮堂はドアの前で目を瞑り、なにかに集中していた。

 「おじいさん。」

 「うるさい!いくならさっさと行け。」

 どやしつけられたことに、霧子も腹を立て、

 「行くよ。ミヒャエル。」

 と言って、ミヒャエルとともにその場を去っていった。

 一人に残った蓮堂は、ぶつぶつを呟いていた。

 「なにがあったのか知らんが、封印が弱まっている。これなら式人交換ができる。」

 そう独り言をいうと、印を結び、呪文を唱え始めた。

 「式よ、我が意志を聞いて我とならん。我が差し出す気と言霊(ことだま)の手をつかみて、我とひとつにならん。我は式なり、式は我なり。」

 最後の言葉を繰り返しながら一心に念じていると、蓮堂の身体が赤褐色に光り始めた。

 やがて光とともに蓮堂は壁のなかに吸い込まれていき、その場に人型の紙が落ちた。

 

 蓮堂と別れた霧子とミヒャエルは、建物から脱出すべく急いでいた。

 「ミヒャエル、カティナとマリアは?」

 「横須賀に送り届けた。」

 「そう、助かるといいけど。」

 心配そうな顔の霧子に、ミヒャエルが微笑みかけた。

 「心配ないさ。あいつらは悪運が強い。」

 ときおり、瓦礫が落ちてくるのを避けながら、二人はやっとエントランスホールに辿り着いた。

 「怪物はどうしたの?」

 「民間ヘリを落として、東に動いている。」

 玄関から外に出た霧子の眼前に、ヤマタノオロチが悠然と背を向けていた。

 「海兵隊か空軍に連絡したの?」

 「一応したが、信用してなくて、まだ動いていない。」

 ミヒャエルがお手上げの仕草をした。

 「しかし、この状況を見れば、防衛隊なり、海兵隊なりが動くと思うんだけど。」

 「ここは日本だぜ。国防総省が動くとは思えんがな。」

 ミヒャエルは懐疑的だ。

 「とにかく、黙って見てるわけにはいかないわ。」

 そう言うと、霧子は携帯を取り出し、ある番号をかけた。

 「フェルナンデス、この通信を大至急、ボスに繋いで。」

 携帯の向こうで何か言うのを無視して、霧子はむりやり自分の要望を通した。

 『キリコか、何の用だ?』

 携帯の向こうから聞き覚えのある英語が聞こえてきた。

 「ボスですか?緊急事態です。大至急、横須賀のイージス艦を動かしてください。」

 『なにを言っているんだ?』

 「理由は後です。ことは米軍基地の存亡にも及んでいます。大至急、イージス艦を動かし、私の指揮下に置いてください。」

 『…まっていろ。』

 携帯は唐突に切れた。

 「キリコ、一体、なにをするつもりだ。」

 「イージス艦であの化け物を攻撃する。」

 「!」

 ミヒャエルが驚いているときに、霧子の携帯が鳴った。

 『キリコか?状況は把握した。緊急事態ということで横須賀のアンティータムを出撃させた。すぐにでも連絡が取れる。』

 「ありがとうございます。」

 『だいじょうぶなのか?』

 心配そうにいう相手に、霧子は微笑んだ。

 「大丈夫です。」

 そう言うと、携帯を切った。

 「イージス艦であの化け物に対抗できるのか?」

 「なにもしないよりましでしょ。」

 そう言い放って、霧子は再度、携帯をかけた。

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