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3/6

八 愛はさだめ、さだめは破滅

          1

奈美は、いま不思議な空間にいた。しかし、憶えのある場所であった。

 (そうだ、あのときの場所だ。)

 奈美の記憶が三年前に飛ぶ。

 史郎との戦いの中、彼によって連れてこられた場所だ。

 右も左もなく、上も下もない。

 暑さも寒さも感じず、目を開いているのか、つむっているのかさえ分からない。

 ただ、ただ、漆黒の闇が広がる虚無とも思える空間。

 その中に奈美は、時の流れに取り残されたようにただ漂っていた。

 不意に遠くに光る点が見えた。

 それは徐々に自分に近づいてくる。

 点は光の塊となり、やがて人の形となった。

 それがなんなのか、だれなのか、奈美にはわかっていた。

 (史郎…)

 奈美の心のつぶやきに呼応するように、光は史郎の姿となり、奈美の目の前に迫った。

 (やっと、私の元に帰って来たな。奈美。)

 史郎が穏やかな微笑みを湛えて、奈美に顔を近づけた。

 奈美はその深く澄んだ瞳に引き込まれていく。

 (もう、どこへも行かせない。)

 史郎が奈美の手を取ると、自分に引き寄せた。

 厚い胸に頬を寄せると、史郎の鼓動が奈美の体の中に伝わってきた。

 抱き合った二人がゆっくりと回転しながら、ある方向へ飛び始めた。その先には、やはり小さな点が見える。

 (あれは?)

 点は徐々に大きくなり、やがて青い星となった。

 (あれは、私たちが住む母なる星だ。)

 地球が眼前に広がった。白い雲と青い海、茶色の大陸が広がる広大な光景が奈美の足元にあった。

 (見たまえ。あれが我々の故郷、日本(ひのもと)だ。)

 史郎が差し示す方向に、日本列島があった。

 二人はその列島に向かって、スピードをあげて飛んでいった。

 (落ちる!)

 すさまじい風圧とともに、列島がぐんぐん大きくなっていった。

 雲を突き抜け、島は山や川となり、草原となって、二人に猛スピードで迫ってきた。

 (キャ─── !)

 思わず叫び声を上げた奈美は、一瞬、気を失った。

 次に目覚めた時、奈美の体は大地の上にあった。

 背中に草の当たる感触がある。

 青臭い植物の匂いが鼻腔をくすぐった。

 空気の流れが頬をなで、どこかで鳥の鳴き声が聞こえたような気がした。

 「ここは?」

 「日本の大地さ。」

 目の前に史郎が裸の姿で自分を見ていた。

 「史郎…」

 奈美もいつの間にか全裸であった。

 「奈美。」

 史郎の唇が奈美の唇に重なってきた。

 頭の芯がしびれるような感覚が湧き上がる。

 史郎の唇が奈美の首筋から胸へと這うように移動すると、奈美は体中が熱くなるのを感じた。

 いままで感じたことがない高揚感と恍惚感が、奈美を捕えて離さなかった。

 「ああ…」

 思わず声が漏れる。

 そのとき、下半身から身体の中心を貫く痛みが走った。

 たまらず、奈美は史郎の首に両腕を回した。

 そのまま奈美の意識は遠のいた。


 どれほどの時間(とき)が経ったろうか。

 奈美は見知らぬ部屋で目覚めた。

 部屋は薄暗く、枕元にあるスタンドだけが部屋の灯りであった。

 奈美はクイーンサイズのベッドに横たわっており、その上には羽毛布団が一枚だけかかっていた。

 「気分はどうだい?奈美」

 足元に史郎がガウン姿で椅子に座っていた。

 急いで起き上がったとき、はじめて自分が裸であることに気付いた。

 布団で胸を隠す奈美は、鋭い視線を史郎にむけた。

 「なにか飲むかい?」

 史郎は立ち上がると、部屋の右手に備えてあるサイドボードに近寄った。扉を開け、ワインの瓶とグラスをふたつ、取り出した。

 「いらないわ。」

 奈美はそっぽを向いた。

 「そうか。」

 史郎はサイドボードの上にグラスを置き、そのひとつにワインを注いだ。

 真っ赤な液体がグラスを半分彩る。

 それを取り上げ、一口含んだ。

 「ふう、うまい。」

 「私を力で支配したつもり?」

 奈美は自分の体に感じる違和感に、自分が何をされたかを察した。

 憎しみの視線が史郎に注がれる。

 「こんなことであなたのものになったなんて思わないで。」

 「だが、君は私を受けいれた。これは事実だ。」

 史郎が穏やか目で奈美を見つめた。

 ワイングラスをボードの上に置き、静かに奈美のそばに近づいた。

 史郎の右手が奈美の頬にかかった。

 その目はまっすぐ奈美の両目を見つめている。

 その深い色に奈美は視線をはずせない。

 「君と私は心も体もひとつになった。もう私から逃れることはできない。」

 「あなたのものになんかならない。」

 やっとの思いで洩れた言葉を飲み込むように、史郎の唇が奈美の唇に重なってきた。

 体中の力が抜け、抗うこともできない。

 布団も滑るように落ち、形の良い乳房が顕わとなった。

 史郎の体が覆いかぶさり、両手が史郎の手に押さえつけられた。

(いや…)

 最後の抵抗も簡単に消え、奈美の体に先ほどの快楽と痛みが蘇えってきた。


 同じ頃、マリアも意識を取り戻していた。

 目覚めたが、周りは真っ暗でなにも見えない。その中でマリアはゆっくりと起き上がった。そのとき、手首になにか装着されているのを知った。

 「これは…」

 暗がりでよく見えないが、確かに手錠がかけられている。

 「一体、ここは…」

 周りを見渡すが、漆黒一色で様子がつかめない。

 マリアは無理に動かず、目が慣れるのを待った。

 ぼんやりながら徐々に部屋の様子が知れてきた。どうやら、倉庫の中のようだ。

 マリアはゆっくりと立ち上がると、壁と思われる方へ手を前に出したまま歩き始めた。

 すぐに両手の先に壁が触れた。そこから壁沿いに歩き始める。

 やがてドアと思われるところに辿り着いた。

 ドアについているノブを回すが、ドアには鍵が掛かっていて開かない。

 「当然よね。とにかく、ここがどこか探り出さないと。」

 もう一度、周りを見たが、よくわからない。

 そのとき突然、部屋に灯りが点いた。

 まぶしさに一瞬、目が眩む。

 すこし遅れてドアの鍵が開けられる音がした。

 思わずマリアはドアから離れた。

 軋むような音とともにドアが開いた。

 その向こうには、左京と夜叉丸が立っていた。

 「あなたたちは…」

 マリアには見覚えのある顔であった。

 「お目覚めのようね。」

 左京は腕組みをしながら倉庫の中に入ってきた。夜叉丸は入り口のところで立って控えている。

 「ここはどこなの?」

 「日本語が上手なのね。」

 マリアの問いには答えず、左京はマリアの目の前まで歩み寄った。

 「左京様、あまり近づかぬ方が。」

 後ろで夜叉丸が心配そうに声をかける。

 「大丈夫よ。私の力は十分、思い知ったと思うから。」

 自信ありげな笑いを口元に浮かべて、左京は夜叉丸の心配を一蹴した。

 「自信過剰はけがの元よ。」

 あざ笑うように言い返すマリアの頬に、左京の平手が飛んだ。

 「自分の立場が分かってないようね。」

 マリアの頬が赤く染まった。

 睨むマリアを無視して、左京はマリアの胸倉をつかんだ。

 「あなたは何者なの?なにを探っていたの?」

 「なんのことかわからないわ。」

 そっぽを向くマリアにまた左京の平手が飛んだ。乾いた音が倉庫内に響く。

 「日本語わかるんでしょ。さあ、なにもかも話して。」

 「話すことはないわ。」

 今度は反対の方に顔をそむけた。

 その態度に怒りを覚えた左京は、マリアの胸倉から手を離すと、夜叉丸の元へ歩み寄った。

 「夜叉丸、槍を貸しなさい。」

 「左京様。」

 「いいから、貸しなさい。」

 左京の命令に夜叉丸は、しぶしぶ短槍を左京に手渡した。それを見ていたマリアの頭にいやな予感がした。

 「あまり強情は張らない方がいいわよ。あなたは何者なの?」

 「知らないわ。(I don't know)」

 そう言った途端、槍の石突きの部分でマリアの腹部を突いた。

 「ぐっ」

 いきなりの攻撃でマリアは前のめりになる。続けて背中に槍の柄が叩きつけられた。

 その衝撃で床に倒れこむ。

 その頭を左京は足で踏みつけた。

 「どう、言う気になった?」

 「ぜんぜん」

 その言い草にカチンときた左京は、短槍で更に打ちつけた。

 打撃音が倉庫内に充満していく。

 その様子を見ていた夜叉丸は、左京に歩み寄ると、左京が振り上げた槍をいきなり掴んだ。

 突然、槍が動かなくなり、左京は思わず後ろを振り返った。

 「夜叉丸。」

 「もう、おやめください。死んでしまいます。」

 見るとマリアが床の上でぐったりとしていた。

 「今日はこれくらいにしてあげるわ。よく考えておくことね。」

 そう言い残して左京は、槍を夜叉丸に渡すと、倉庫から出ていった。

 夜叉丸はしばらくマリアを見下ろした後、ゆっくりと倉庫から出ていき、ドアを閉めた。

 鍵が掛かる音がして、電気が消えた。

 床に横たわっていたマリアは、ゆっくりと体を起こし、痛みを堪えながらドアの方を見つめた。

 「結構やってくれたわね。」

 口の血を拭うと、マリアは壁に寄りかかった。

 痛みが全身を駆け巡る。それに堪えながら目を(つぶ)ると、その意識を遠くにいるカティナに向けた。

 

 そのカティナは横田基地に降り立っていた。

 行方不明のマリアのことが気になり、いてもたってもいられなくなり、プライベートジェットで来日したのだ。

 もちろん、極秘裏である。

 降り立ったカティナは、司令部のプライベートルームに赴き、長旅の疲れを癒そうとした。そのとき、マリアの意識がカティナの中に届いた。

 『マリア、マリアなの?』

 カティナは見えぬマリアの姿を探すように、部屋のあちこちを見回した。

 『カティナ。わかる?』

 『わかるよ。大丈夫なの?マリア。』

 心配そうな表情でカティナは見えぬマリアに語りかけた。

 『なんとかね。カティナはいまどこにいるの?』

 『日本よ。マリアが心配でアメリカから飛んで来た。』

 『あいかわらずね。』

 呆れた表情をするマリアの姿が、カティナの瞼の裏に浮かんだ。

 『どこにいるの?マリア。すぐに助けに行くわ。』

 『場所はまだ、わからないわ。それよりカティナ、霧子に連絡を取ってくれる?』

 『ええ、いいわ。すぐに連絡する。』

 『ありがとう。』

 マリアの意識が遠のきはじめた。

 『マリア、待って。』

 『疲れた。少し休むわ。心配しないでカティナ。また、連絡する。』

 そう言い残してマリアの意識が切れた。

 「マリア…」

 姿なきマリアの手を掴むかのように、カティナが手を伸ばしたが、空を切るだけであった。

 「待ってて。マリア。霧子と連絡とってすぐにでも助けに行くから。」

 そう呟いてカティナは持ってきたハンドバックから携帯を取り出し、霧子へ連絡を入れた。

          2

 魔法陣の秘密を探るため、霧子たちと別れた麻里江は、幸徳井の屋敷にやってきた。幸徳井家にある古文書や様々な資料から秘密が探れないかと思い、尋ねたのだ。

 いまは空き家となった屋敷は、静黙に沈んでおり、家としての活力もないように思えた。その中を麻里江は、まっすぐ書庫へ向かった。

 土蔵を改良した書庫には、当然ながら鍵が掛かっていた。重く分厚い南京錠を前に麻里江は、ポシェットから一本の針金を出した。

 それを鍵穴に差し込み、その先を指でつまみながら麻里江は呟くように呪文を唱えた。

 鍵穴の中で針金がカチャカチャと音を立てる。

 やがて音が止むと、麻里江は針金をゆっくりと回した。

 カチッという音ともに南京錠が開いた。

 南京錠をはずし、重い扉を開けると、中からかび臭い空気が流れ出た。そして、その奥には何千という古書や内外の本が所狭しと書棚に並んでいた。

 「さすがに幸徳井の書庫ね。」

 感心しながら麻里江は、書棚を丹念に調べ始めた。そして、何冊か取り出すと、傍らにある机に広げ、真剣な眼差しで読み進めていった。

 一冊読み終えると、別な一冊を探し出し、魔法陣に関連すると思えるものを片っ端から読み漁った。

 昼から始めた作業は夕方となり、夜となり、やがて夜明けとなる。それでも麻里江は一心不乱に調べ続けた。

 ふと気が付くと窓から朝の光が差し込み、どこかで鳥のさえずりが聞こえてきた。

 「一日経っちゃったわね。」

 大きく伸びをして、少し体を動かす。そのとき、お腹が鳴った。

 「いやだ。昨日から何も食べてないんだっけ。」

 自分に呆れながら麻里江は、買ってあったビスケットを取り出し、口に入れた。そして、また古書と格闘を始めた。

 昼近くになって、麻里江は気になる文章を見つけた。そして、ポケットから一枚の写真を取り出した。

 「この紋様の形、呪文の象形化だとすると、その意味は…?」

 古書の文章と写真の紋様を照らし合わせる。そして、別の本を開いて参考にしながら更に解読を進める。

 「待って。確かこの紋様のあったところは…」

 買っておいた地図を引っ張り出し、紋様のあったあけぼの高校の場所をさがす。そして、また別の本を見ながら地図にペンで線を引く。

 「やっぱり。地脈の上になる。まさか、この地脈のエネルギーを使って。」

 麻里江の頭の中でいままでの出来事、古書から得た情報などをパズルのように当てはめていった。そして、そこから導かれる答えは信じられないものだった。

 「まさか、そんなことを本気で…」

 麻里江は机の前で長いこと考え込んだ。

 そして、自分で出した答えに確証を得るため、麻里江は携帯を取り出し、剣持に電話をかけた。

 「もしもし、剣持さんですか?麻里江です。」

 『麻里江君か?どうした?』

 「剣持さんに調べてもらいたいことがあるんです。」

 『なんだね?』

 「ここ最近、えにしの会が富士山周辺で土地なり、建物なり購入してないか調べてほしいんです。」

 『なにか、あるのかね?』

 「詳しいことは今は言えません。まだ確証がないので。」

 『わかった。調べておこう。』

 そう言って剣持は電話を切った。

 ほっと息を吐くと、麻里江は乱雑に広げた古書や本を片付け始めた。一冊ずつ書棚に収めていくうち、書庫の片隅に段ボールが山積みになっているのが見えた。

 なにげなく近づき、中を覗くと大量の日記帳が収められていた。

 「幸徳井様の日記帳ね。」

 一冊取り上げると、中は几帳面な字で日々の出来事が綴ってあった。

 「さすがに幸徳井様ね。きちんとしてる。」

 微笑みながら別の一冊を取り上げた。日時を見ると、麻里江が丁度、三歳のときのものだ。中を開けると様々のことが書いてある。その中に気になる文章があった。

 【蓮堂が女の子を連れてきた。例の村の子だろう。後々面倒なことにならないよう施設にでも預けたらどうだと言ったが、自分で育てると言い張った。私も保春殿も意見したが、聞き入れられず、押し切られる形で黙認した。】

 「女の子?わたしのこと?それに例の村って。」

 麻里江の中で疑問と不安が渦巻きはじめた。

 それはたびたび夢で見る、あの恐ろしい光景と重なって更に不安を増長させた。

 「しかし、今更、蓮堂に聞くわけにもいかない。」

 答えのない疑問は麻里江の心に棘のように突き刺さった。

 「いまは、自分のことよりマリオネット計画のことよ。」

 そう自分に言い聞かせて、麻里江は書庫を出た。

 奈美から聞いたマリオネット計画と自分が探り当てた魔法陣の正体。この二つがもし繋がっているなら恐ろしいことになる。

 自然、麻里江の足は早まった。


 その頃、霧子はカティナの呼び出しで横田基地にいた。

 「カティナ、なぜ日本に来たの?」

 会う早々、霧子に非難めいた言葉を浴びたカティナは膨れっ面をした。

 「だって、いてもたってもいられなかったんだもの。」

 子供っぽく言い返すカティナに霧子はため息をついた。

 「それで、マリアから連絡があったんだって。」

 「そう。ここに着くそうそう、マリアの意識が届いたの。」

 カティナは目を輝かせて霧子に、その時の状況を語った。

 「居場所はわからなかったの。」

 「マリアにもわかっていなかったようだわ。」

 「そう。」

 霧子は、今いる横田基地のプライベートルームの中を歩き始めた。ソファに座るカティナはそれを目で追った。

 「なんとか、わかる方法はないかしら。」

 「ダウジングを試したらどうだ。」

 予期せぬ発言に二人は一斉に声の方へ視線を走らせた。

 ドアの前にミヒャエルが立っていた。

 「ミヒャエル、来ていたの?」

 「おれをのけ者にするなんて、ひどいじゃあないか。」

 部屋の中に入りながら真顔で不平を言うミヒャエルを横目に、霧子は両手を上げた。

 「のけ者にしたわけじゃあないわ。カティナが私を呼び出したからとりあえず来たわけよ。あとで知らせるつもりだったわ。」

 霧子の言い訳に、ミヒャエルは口の端に笑みを浮かべた。

 「ま、いいだろ。」

 「それより、いまの提案は本気で言っているの?」

 霧子はミヒャエルに歩み寄り、真正面からその目を見つめた。

 「もちろんさ。」

 「でも、私はダウジングなんかやったことないわよ。」

 カティナが不安そうに言った。

 「それにダウジングは地面に埋まっているものを探すためのものでしょう。」

 霧子が否定するようにミヒャエルを睨んだ。

 「そうとも言い切れんさ。現にダウジングで行方不明者を探し出した事例もある。ましてや、マリアとカティナは双子だ。試してみる価値はあるんじゃあないか?」

 ミヒャエルの言い分に霧子も反論できなかった。

 「私、やってみる。」

 カティナがやる気を見せて、霧子も不承不承同意した。

 ミヒャエルの進言で、カティナはマリアとおそろいの指輪にネックレスを通して簡単な振り子を作り、霧子は日本地図をテーブルの上に広げた。

 「よし、やるわよ。」

 カティナが真剣な面持ちで地図を睨み、その上に振り子を垂らした。

 東京の上から時計と反対周りに振り子を移動していく。

 ある地点で止まっては、振り子の揺れを見届け、揺れないとわかると次へと移る。地道な作業がしばらく続いた。

 だれもが口を閉じ、プライベートルームの中は緊張感に包まれた。

 そして、ある地点で振り子が回転するように揺れた。

 「静岡…」

 霧子は急いで静岡県の地図を持ってくると、テーブルの上の日本地図に重ねた。カティナは先ほど同じように振り子を垂らして作業を始める。

 また、緊張感が伴う時間がゆっくりと流れた。しかし、それも長くは続かなかった。また、ある地点で振り子が大きく揺れたのだ。

 カティナが振り子を持ったまま、目を瞑り、マリアの意識を捕まえようとした。

 「うん、マリアの意識の断片を感じる。」

 霧子は地図に注目した。

 ダウジングの示す位置は日本でもっとも有名な場所であった。

 「富士山か?」

 ミヒャエルは意外そうな表情を見せた。

 霧子は考え込むように腕を組むと、また部屋の中を行ったり来たりした。

 「キリコ、すぐに捜索しようよ。」

 「待って、カティナ。富士山と言っても広範囲よ。私たちだけでは何ヶ月かかるかわからないわ。」

 「でも。」

 「それこそ、海兵隊を動かしたらどうだ。」

 ミヒャエルの提案に霧子はその顔を睨みつけた。

 「事が大きくなってしまう。それでは相手に警戒されてしまう。」

 「じゃあ、どうする。」

 ミヒャエルは冷ややかな目で霧子を見つめた。同様にカティナは心配そうな目で霧子を見守った。

 「日本の捜査局に協力してもらう。」

 霧子の頭に剣持の顔が浮かんだ。

 思いつくと行動が速い霧子は、すぐに剣持と連絡をとった。剣持も霧子に話があるようで両者はすぐに会談の日程をきめた。


 会談の場所はいつものスナックであった。

 霧子が待っているとカウベルの音とともに剣持が姿を現した。その後ろには麻里江がいる。

 「麻里江?どうして。」

 「君に話があるというのは、麻里江君のことなんだ。」

 「麻里江のこと?」

 今回はカウンターではなく、数少ないテーブルに三人は座した。

 「まずは、霧子君の用件を聞こう?」

 剣持が話を向けると、霧子はすぐに用件は話し出した。

 「マリアが生きていることが確認できました。」

 「ほう、それはよかった。で、居場所は?」

 「詳しくはまだわかりません。ただ、富士山周辺とだけ。」

 「富士山周辺…」

 その言葉に剣持と麻里江は思わず顔を見合わせた。それを見て、霧子は訝しがった。しかし、それには触れず、霧子は話を続けた。

 「そこで、剣持さんに助力をお願いしたいんです。」

 「助力か…」

 剣持がまた麻里江の顔を見た。その様子に霧子の中で疑問が膨らんだ。

 「なにかあるんですか?」

 霧子はいままでの疑問をぶつけてみた。

 「いや、偶然とかあるんだなと思ってね。」

 「偶然?」

 二人がそろって笑みを浮かべるのを見て、霧子は首を傾げた。

 「実は、私が調べていたことが偶然、霧子さんが調べてほしい所と一致したんです。」

 今度は麻里江が語り始めた。

 「麻里江の調べていたこと?」

 霧子は、麻里江が魔法陣のことを調べると言ったことを、思い出した。

 「たしか、マホウジンのことを。」

 「ええ、やっと魔法陣の意味がわかったんです。」

 「それがマリアの居所となんの関係が?」

 霧子にはまだ麻里江の言わんとするところがわからなかった。

          3

 奈美がこの部屋に連れてこられてどれくらい経っただろうか。

 窓もなく、時計すらないこの部屋では、時間の感覚がまるでなかった。

 いまが夜なのか、昼なのかもわからない。

 ただ、毎日の食事は史郎自らが持ってくるため、空腹を覚えることはない。また、あの時以来、史郎が奈美に触れようともしなくなった。

 優しい言葉を掛ける以外は。

 奈美の心の中は混乱していた。

 史郎に対する憎しみ。その一方でその優しさに心地よい思いをする自分もいる。どちらが本当の自分なのか答えが見つからず、奈美の心は乱れに乱れていた。

 椅子に座ったまま何度目かのため息が口からもれる。

 そのとき、部屋の扉が静かに開いた。

 入ってきたのは史郎であった。

 「よく似合っているよ。奈美。」

 自分が用意した服に着替えた奈美を見て、史郎は微笑みかけた。

 「他に着るものがないからね。」

 奈美は憎まれ口をきいて、そっぽを向いた。

 「これを着ろ。奈美。」

 史郎が奈美に防寒コートを投げてよこした。

 「これは?」

 膝の上に乗ったコートを見て、奈美は首を傾げた。

 「寒いところにいくのでね。着たらついて来い。」

 有無を言わさぬ史郎の態度に、不満顔を見せながらコートを着ると、史郎が出ていく後を追って部屋を出た。

 初めて部屋の外に出たが、そこは暖色のライトが照らし出す長い廊下であった。同じような扉がいくつか並んでいるその廊下を、史郎は少し速足で歩いていく。奈美も黙ってその後について行った。

 行く先にエレベーターが見えた。

 その前に立ち止まると、史郎は下へのボタンを押した。

 「どこへ行くの?」

 奈美の問いに史郎は無言で答えた。

 やがて、エレベーターが開き、二人はいっしょに乗った。

 軽い機械音ともにエレベーターは下へ降りていき、ものの一分も経たずにエレベーターは目的の階に着いた。

 扉が開き、無言のまま降りる史郎を追って、奈美もエレベーターを降りた。

 コンクリート剥き出しの廊下をしばらく歩くと、また目の前にエレベーターが現れた。今度のは鉱山などで見かけるような簡易なエレベーターだ。

 手動で扉を開けると史郎は先に箱の中に乗った。

 あいかわらず無言のままの史郎に、半ばあきらめ顔の奈美は、続いて箱の中に入った。

 史郎が傍らのスイッチを押すと、エレベーターはかなり大きな音を発てて、下へ降りていった。

 下に降りるにしたがって息が白くなる。

 気温が下がっている証拠だ。

 (私をどうするつもりなの?)

 先行きが見えない不安が徐々に奈美の中で膨れ上がっていった。

 思い惑っているうちにエレベーターは最下層に着いた。

 扉を開けると、そこには自然が作り上げた洞窟が広がっていた。

 「ここは?」

 「こっちだ。」

 史郎は振り向きもせず、先に歩き始めた。

 エレベーターのそばにはライトがあったが、少し進むとライトの明かりも届かず、すぐに暗くなった。

 「真っ暗じゃあない。」

 奈美の言葉に答えるように、史郎の手元が急に明るくなった。

 見ると史郎の掌に丸いものが光を放ちながら浮いていた。

 「…」

 「足元が悪い。つまずくなよ。」

 史郎に注意され、足元に気を付けながら史郎の後について行った。

 史郎はこの洞窟に慣れているのか、ずんずんと先に進んでいく。

 あちこちが凍りつき、吐く息も更に白くなる。

 「ここは一体なんなの?」

 「風穴さ。」

 「風穴?」

 史郎の言葉に奈美は辺りを見回した。

 「過去に富士山が噴火し、流れた溶岩によってできた洞窟だ。富士山周辺にはあちこちに同じようなものがある。ここもそのうちの一つさ。」

 淡々と答えながら史郎は更に先に進む。

 十分ほど歩くとひときわ広い場所に出た。

 天井が高く、鍾乳石が連なっている。

 地面は氷が張りつめており、思わず滑りそうになる。

 しかも不思議なことにその地面が淡く光っており、それが周りの氷に反射して広場全体が美しく輝いていた。

 「きれい。」

 奈美は思わず感嘆の声を上げた。

 「ここだ。」

 史郎がいきなり立ち止まった。

 「ここ?ここに何があるの?」

 「私と君の原点がここにある。そして、マリオネット計画の原点もここにあるのだ。」

 「原点?」

 奈美は史郎の言っている意味が解らず、下や辺りを見渡した。

 すると、十メートルほど離れたところに白い柱が見えた。よく見ると氷の柱のようだ。

 「あれは…?」

 「あれがそうさ。」

 史郎は奈美に微笑みを見せるとその手を取り、そのまま氷の柱のそばへ連れて行った。

 近づくと柱の前に一本の剣が突き刺さっていた。

 「見たまえ。」

 史郎は剣ではなく、柱を指差した。

 指差されるままに見上げると、柱の中に何かが見える。よく見るとそれは人の姿をしていた。

 男女の姿だ。

 「あれは…?」

 「私の父と母だよ。」

 「あなたの?」

 男女が抱き合ったままの姿で氷の中に閉じ込められている。

 「死んでいるの?」

 「生命活動は停止している。」

 史郎は何とも言えない目をして答えた。

 男は女性を守るように抱きかかえ、女性は幸せそうな笑顔のまま男の胸に抱かれて眠っているようだった。

 黒髪の美しい女性である。

 そしてどこかで見たような顔であった。

 「このふたりがあなたの原点なのはわかったわ。でも私となんの関係があるの。」

 奈美の表情に不安が浮かんだ。

 「似ているだろう。」

 「え?」

 「私の母は君に似ているだろう。」

 奈美の思いを察するように史郎が口を開いた。

 「君は私が作った新しい命だと前に言ったね。そのさい使用したある細胞があることも。」

 奈美の脳裏にアクエリアス号での史郎との対峙が思い浮かんだ。

 「君に使用した細胞というのは彼女のものさ。つまり君は母のクローンなのだよ。」

 奈美の中を衝撃が走った。

 「クローン?」

 史郎の信じがたい言葉に改めて奈美は氷の中の女性の顔を見た。確かに自分にそっくりだ。

 「どうして、どうして、自分の母のクローンを作ろうだなんて。」

 「母が必要だったからだ。いや、母の資質というべきかな。」

 「資質?」

 史郎の言うことが奈美には理解できなかった。

 「これは、マリオネット計画とも関係する。」

 「マリオネット計画?」

 ますますわからなくなった。

 「ふふふ、理解できないようだね。」

 史郎は奈美の悩む姿を見て、楽しそうに笑った。その様子に奈美はカチンときた。

 「ちゃんと説明して。史郎。」

 「マリオネット計画がどういうものかは、教えたはずだな。奈美。」

 史郎は奈美に歩み寄りながら先生が生徒に教えるように優しく語りかけた。

 「人格操作をして、あなたの命令通りに動く人間を作り出し、お互いに争わせて日本を滅亡に向かわせるという計画でしょう。」

 「そうだ。よく覚えていたな。」

 子供扱いのようにほめる史郎に、奈美は怒りを募らせた。

 「あなたがやろうとしていることは机上の空論よ。史郎。」

 「どういうことかな。」

 史郎の表情はあくまでも冷静だ。

 「もしも、あなたの狙い通り、マリオネットたちが内戦を起こしたとしても、諸外国がだまって見ているかしら。」

 「諸外国か…」

 「冷静に考えてみて。今の日本は日本人だけがいるわけじゃあない。様々な人種のひとたちがこの国に住んでいるのよ。その自国民を守るために諸外国はきっと軍隊を送ってくる。アメリカ、中国、ロシア、特にアメリカは軍事施設も持っているから躍起になって軍事介入してくるわ。そして、それを機会に日本を再占領するかもしれない。他国にとられないためにね。」

 霧子の言ったことを思い出しながら、一気にまくしたてた奈美に対して、史郎は相変わらず静かにたたずんでいた。その目は自分の父と母が眠る氷の柱に向けられている。

 「入ってこさせなければいい。」

 史郎がぽつんと言い放った。

 「え?」

 奈美にはその意味が理解できなかった。

 「外の人間を一切入らせないようにすればいい。」

 史郎の顔が戸惑い色の奈美に向いた。

 「どういう意味?」

 いまだ奈美には史郎の考えが理解できていない。

 「日本を封印するのさ。」

 「封印?」


 「封印?」

 同じ頃、スナック「ジョーカー」の中で霧子と剣持は、麻里江から思いがけない言葉を聞き、霧子は思わず聞き返した。

 「はい、あの魔法陣の働きは封印をするためのものです。」

 「封印ってどういうこと?」

 霧子が身を乗り出してきた。

 「封印というのは、ある場所を外部から切り離すことです。霧子さんは、牙堂との戦いで霧に包まれ、同じ場所から出られなくなったことを覚えていますか?」

 「ああ、あの時のこと。」

 霧子の頭の中で牙堂との戦いが思い浮かんだ。確かに霧が周りを包み、どんなに走っても同じ場所に戻ってくる現象を体験した。

 「ああいうことを起こすということ?」

 「はい、あの魔法陣が発動するとそこからある程度の範囲の場所は封印されるのです。そうなれば外部からは一切、人や物は入ってこれなくなります。」

 「中にいる人もか。」

 「はい、中にいる人や物もそこから外部に出れなくなります。」

 剣持の問いに麻里江は、剣持の目を真っすぐ見ながら答えた。

 「Unbelievable(信じられない)!」

 霧子の口から思わず出た言葉は、剣持の気持ちでもあった。

 「そんなことが本当にできるのか?」

 今度は剣持が身を乗り出した。

 「はい、実際に私はこの目で見ました。」

 麻里江は魔霊院との戦いの中で発生した現象を二人に語って聞かせた。それでも二人は半信半疑であった。

 「しかし、どうしてそんなことをするんだろう。」

 「私の推測ですが、マリオネット計画と関係があると思うのです。」


 氷の風穴の中では、史郎が奈美に向かって同様の話をしていた。

 「私の計画がただ単に内戦を起こさせるだけのものだと思っていたのかね。奈美の指摘したことは想定ずみのことだよ。」

 「どういうこと?」

 「なんのためにえにしの会を作り、麻薬人間による売春組織を動かして政治家たちを虜にし、全国各地に会館やモニュメント、はては学校まで作ったと思っているかね。」

 「え?それは人格操作のため…」

 「陰陽師の女たちに聞いているだろう。えにしの会の建設する会館などに魔法陣が置かれていることを。あれは日本を封印するための魔法陣だ。」

 「ええ!」

 奈美の目が大きく見開いた。

 「全国279か所に魔法陣を設置した。それが発動すれば日本は封印される。」

 「そんなこと、信じられない!」

 奈美は史郎の言葉を強く否定した。

 「奈美も見たことがあるだろう。牙堂や幽斎との戦いの中で霧に包まれたときのことを。」

 奈美の脳裏に牙堂や幽斎との戦いのときのことが浮かび上がった。

 「あれは狭い範囲でしか封印ができなかったが、今度は日本全体を封印するように仕掛けを施したのだ。」

 「仕掛け?」

 「そうだ。日本全体が封印されたとき、その中では人形たちが終わりのない戦いを続ける。まるで瓶の中の虫のようにね。」

 あまりに荒唐無稽の話に奈美は言葉を失った。

 

 「マリオネット計画に…?」

 スナックの中では麻里江が話の核心に迫っていた。

 「どういうこと、麻里江?」

 霧子は興味津々に尋ねた。

 「霧子さんは以前、マリオネット計画には不備があると言ってましたね。」

 「不備?」

 霧子に目を向けて尋ねた横で、剣持が疑問顔で返した。

 「ええ、マリオネット計画が人格操作で人形のようになった人たちを争わせる計画なら、諸外国が黙って見てないと言ったわ。」

 あの夜、奈美と麻里江の前で言った自分の意見を思い出した。

 「そう、自国民保護の名目で諸外国がこぞって日本に介入してくる。霧子さんはそう言いました。」

 「確かにそうだ。日本で内戦でも起こればアメリカ、ロシア、中国はこぞって軍隊を派遣してくるだろう。」

 剣持は霧子の発言に同調した。

 「もし、外部から侵入できないようになったら。」

 麻里江の発言に二人はハッとした。

 「魔法陣!」

 「封印するということか!?」

 しかし、自分で発言した言葉ではあるが、俄かには信じられない二人であった。

 「そうです。日本全体を封印すれば諸外国は入ってこれません。中の人たちも外に出れないとなれば人形同士の争いは終わることなく続き、日本にいるすべての人たちがその争いに巻き込まれます。」

 「なんてことなの…」

 「恐ろしい…」

 三人の間で重い沈黙が流れた。

 そのとき、霧子は不意に頭を上げた。

 「それで麻里江、それと富士山とどんな関係があるの?」

 「それです。」

 麻里江は大きく頷いた。

 「魔法陣によって日本全体を封印するには大きなエネルギーがいります。」

 「エネルギー?」

 霧子は興味深く麻里江の次の言葉を待った。

 「エネルギーには龍脈を使うと思われます。」

 「リュウミャク?」

 また、意味不明の言葉に霧子は首を傾げた

 「龍脈は大地を流れる気の流れです。この地球の内部から湧き上がる気が、エネルギーと言ってもいいかもしれません。それが地表に出て、いろいろなところを流れているのです。」

 麻里江はできるだけ解りやすく説明しているが、霧子には今一つ、ピンときていない。

 「たしか、風水師はその龍脈を利用していろいろなことをするんだったね。」

 剣持の言葉に麻里江は軽く頷いた。

 「そうです。前にあけぼの高校で見た魔法陣は、まさしく龍脈の上に描かれていました。私が調べたところ魔法陣は龍脈のエネルギーを利用して封印を発動することがわかっています。」

 「それで?」

 霧子は核心に迫っていると感じて、身を乗り出した。

 「少し調べたのですが、えにしの会が建設したモニュメントや会館には例外なく龍脈が通っています。」

 「つまり、そこには魔法陣が存在する?」

 「たぶん。」

 「それを使って日本を封印する。」

 「おっしゃる通りです。」

 麻里江は霧子と剣持を交互に見て、また大きく頷いた。

 「そして、その龍脈の大本が富士山にあるのです。」

 「そういうことか。」

 霧子は麻里江が言わんとするところをようやく理解した。

          4

 「本気で言ってるの?史郎。」

 凍てつく風穴の中で奈美の言葉が木霊した。

 「本気だよ。私はいつだって本気だ。」

 史郎は後ろに手を組みながら再度、氷の柱を見上げた。

 「あなた、ここがマリオネット計画の原点だと言ったわね。それはどういう意味?」

 奈美が史郎の背中に問いかけると、史郎は振り向きもせず、柱から目の前にある剣に目を移した。

 「私の母はここに立って、一度日本を滅亡させようとした。」

 「え?」

 「しかし、しなかった。母は父ともに氷の中に眠ることを選んだ。」

 「なにを言っているの?」

 奈美には史郎の言う意味が解らなかった。

 「奈美、なぜ母はここにいると思う。なぜ、この場所が日本滅亡を導く場所だと思う。」

 「そんなことわからないわ。」

 その答えに史郎は奈美の方に体を向けた。

 「ここに地龍が眠っているからだ。」

 そう言って史郎は地面を指差した。つられて奈美も地面を見た。

 「地龍?」

 「全国の地脈に通じる大本だよ。それがこの下に眠っている。」

 「この下に…?」

 奈美は思わず後ずさりした。それを見て史郎が微笑んだ。

 「いまは、深い眠りについている。しかし、ひとたび眠りから目覚め、暴れだしたら日本は大災害に見舞われる。」

 「大災害…」

 奈美は息を飲んだ。

 「フフフ、安心しろ。いまは静かに眠っている。」

 そう言いながら史郎は氷に突き立つ剣に歩み寄り、その束を指でゆっくりと撫でた。

 「その地龍とマリオネット計画とどんな関係があるの?」

 奈美は語気を強めた。

 「魔法陣は龍脈のエネルギーを使って発動する。しかし、永続的に日本を封印するためには莫大なエネルギーが必要となる。」

 「莫大なエネルギー?」

 「そう、そのために地龍を動かさなければならない。」

 「そんなことをしたら大災害が…」

 奈美は思わず氷の地面を見た。あいかわらず淡い光が氷の下から発せられている。

 「そうさせず、地龍を制御するためにも奈美の力が必要なのだ。」

 「私の力?」

 奈美の目が大きく見開かれた。

 その美しい目を史郎はじっと見つめている。

 「母は蝦夷(えみし)の巫女の末裔。そのクローンである君には、地龍を操る力がある。この剣を通して。」

 史郎は突き立っている剣を指差した。

 「私にそんな力なんか…」

 奈美の中に恐怖と混乱が生じた。

 自然、足が出口へと向く。

 しかし、一瞬早く、史郎の手が奈美の腕を取った。

 「離して!」

 奈美は少女のように史郎の胸を叩いた。

 それも意に介さず、史郎は奈美を抱き寄せた。

 「奈美、日本が封印され、その中で愚かな人間たちが相争い、共倒れしていく。その先には二人だけの世界が待っているのだ。」

 「二人だけの世界?」

 思わず自分を見つめる史郎の眼を目の当たりにする。

 その深い色に奈美はまた引き込まれていった。

 「そうだ。この日本はふたりだけのものになる。私たちが一から新しい日本を作り上げるのだ。」

 「そんな…」

 奈美にはなにがなにやらわからなかった。

 混乱で気が変になりそうなったとき、史郎の目が怪しく輝いた。

 「また、しばらく眠るがいい。奈美。」

 その甘い言葉に従うように奈美は、深い眠りに落ちた。


 スナック「ジョーカー」ではしばしの沈黙の時が流れていた。やがて、その沈黙を破るように霧子が口を開いた。

 「それで富士山のことが出たのね。」

 「はい、富士山周辺に地脈の大本があることは、以前から知られたことでした。それで剣持さんにえにしの会が富士山周辺で最近、土地か建物を購入してないか、調べてもらったのです。」

 そう言って、麻里江は剣持の方に視線を向けた。それを引き取って、今度は剣持が口を開いた。

 「麻里江君に頼まれて、えにしの会のここ最近の登記状況を調べてみた。」

 「それで?」

 霧子が興味津々に身を乗り出した。

 「一年半前にえにしの会が倒産したゴルフ場を買い取っている。」

 「ゴルフ場?」

 「富士山の西側に位置するゴルフ場だ。」

 「そこがマリオネット計画の拠点というわけ?」

 霧子が楽し気に笑みを浮かべた。その様子に麻里江は少し不快感を覚えた。

 「マリアさんはそこにいるのでしょうか?」

 不快感を面に出さず、麻里江は霧子に尋ねた。

 「たぶんそうでしょう。カティナに確かめてもらえば更にはっきりすると思うけど。」

 「奈美さんもそこでしょうか?」

 その言葉に霧子の笑顔が消えた。

 「マリオネット計画の拠点だとすると史郎がそこにいる。必然的に奈美もそこにいると思うわ。」

 「そうか。そうだろうな。」

 剣持も苦い顔をして同意した。

 ほんの数秒、沈黙が蘇った。

 「それで、これからどうするね?」

 剣持は二人の顔を交互に見た。

 「もちろん、その本拠地に乗り込みます。」

 麻里江がまっさきに答えた。

 「しかし、麻里江君。君は何と言っても一般人だ。だまって乗り込めば不法侵入になる。」

 「そんなことを言っている場合ではありません。日本の危機なんです。」

 麻里江は興奮した様子で立ち上がった。

 「まあ、落ち着きたまえ。ここからは私たち捜査局の仕事ではないかね。」

 「捜査局が動くのですか?」

 「もちろんだ。だから麻里江君はもうこの件から手を引いたらどうだね。」

 剣持は真剣な面持ちで語った。

 それは剣持なりのやさしさなのだろうが、自分が蚊帳の外に置かれることには我慢がならなかった。

 「私もいっしょに参加させてください。」

 麻里江が剣持に対して頭を下げた。

 「無理を言ってはいかん。」

 剣持は麻里江に諭すように語った。

 その様子を霧子は先ほどから黙って見ていた。それを不審に思った剣持は霧子の方に顔を向けた。

 「さっきから黙ったままだけど、霧子君は動かないのかね?」

 そう尋ねると、霧子は軽く笑みを浮かべた。

 「私は私で独自に動きます。」

 そう言って立ち上がると、カウンター席に向かい、そのまま座った。その後ろ姿を剣持と麻里江は目で追った。

 「独自で動くということは、我々とは行動を共にしないということかね。」

 「目的が違いますからね。」

 霧子は振り返りながら二人に答えた。

 「まだ、奈美のことをあきらめてないのかね。」

 「当たり前です。私の一番の目的は奈美ですから。」

 それを聞いて麻里江は決心した。

 「霧子さん、私をいっしょに連れて行ってくれませんか?」

 「麻里江君、なにを。」

 剣持が慌てたように麻里江を見た。

 「剣持さん。捜査局が私を連れていってくださらないのなら、霧子さんに頼むだけです。」

 霧子も呆れたような顔つきになった。

 「なにを言っているの。あなたを連れていくなんて。」

 麻里江の懇願を否認するように、霧子はそっぽを向いた。

 「でも、霧子さん。私がいた方がなにかと役に立ちますよ。」

 その言葉は霧子の心を動かすのに十分な説得力があった。

 相手は尋常ではない能力を持った者たち。

 たとえ、海兵隊を連れていったとしても相手になるかどうかわからなかった。

 それなら麻里江に参加してもらった方が戦力になる。

 霧子の脳裏にいままでの麻里江の戦う姿が思い浮かんだ。。

 (麻里江についてきてもらった方がいいか。)

 悩まし気に考え込む霧子の面前を、麻里江が笑顔を見せて覗き込んだ。

 それを見て、霧子に仕方がないという表情が浮かんだ。

 「命の保証はできないわよ。」

 脅すように言う霧子だが、麻里江は意に介していない。

 「構いません。これは私の戦いでもあるのです。」

 「麻里江の…?」

 「鬼龍一族と私たち陰陽師の間には深い因縁があるんです。」

 「因縁ね…」

 麻里江の中に生半可ではない決心を見て取った霧子は、それ以上は聞こうとしなかった。代わりに立ち上がると、右手を差し出した。

 それを見て、麻里江も迷わず、その手を握った。

 その二人を見て、剣持は悩まし気なため息をついた。

 (あのときの奈美といっしょだな。)

 剣持の脳裏に三年前の奈美の姿が浮かんだ。

 「私はもう引き上げよう。」

 剣持が唐突に立ち上がった。

 「剣持さん、いろいろとありがとうございます。」

 麻里江は剣持に向かって深々と頭を下げた。

 「くれぐれも命を大事にね。」

 「はい。」

 麻里江がまっすぐ自分を見て答えるのを聞いて、剣持の胸は痛んだ。

 「ミスター剣持もくれぐれも気をつけて。」

 霧子がめずらしく剣持を気遣った。

 「霧子君もな。」

 軽く口の端を上げて剣持はスナックを出ていった。

 カウベルの音が消えていくと同時に何度目かの沈黙が広がった。

 「さて、どうやって本拠地に潜入するかね。」

 霧子が麻里江に視線を移して笑いかけた。

 釣られるように麻里江も笑った。


 そのえにしの会の本拠地では、ちょっとした騒ぎが起きていた。

 「史郎様が女を連れて地下に行った?」

 左京は報告をした女性信者に厳しい目で問い返した。

 女性は首をすくめながら頷いた。

 左京の部屋で片付けをしていた女性の何気ない会話に大きな反応を見せた左京に、女性は大きく後悔した。

 「どういうことなの?詳しく話して。」

 「私も聞いた話でよくは知らないのですが、面様が見知らぬ女性を連れて、地下へのエレベーターに乗ったのを見たという者が…。」

 「どこへ行ったの?」

 左京が責めるように女性に問いただした。

 「そこまでは。ただ…」

 「ただ?」

 左京の視線に射すくめられ、女性は冷や汗を流した。

 「ただ、もうひとつのエレベーターの方に行ったという話を聞きました。」

 やっとの思いで語った女性は、氷のように立ちすくんでいた。

 それを尻目に左京はソファに座り直し、爪を噛むような仕草を見せて、しばらく考え込んだ。

 そばにいる女性は緊張のあまり、今にも倒れそうになった。

 「私だって連れて行ってもらえない場所に、誰を…?」

 「え?」

 小声でつぶやく左京を見て、女性は怪訝な顔をした。それを見た左京は、そばに女性がいることにはじめて気づいたような表情を見せた。

 「あなた、まだいたの?さっさと下がりなさい。」

 睨む左京に追い立てられるように、女性は何度も頭を下げながら部屋を出ていった。

 「一体、誰なの?その女性は?」

 左京は彫像のようにソファに座ったまま動かなかった。その頭にあったのは、以前より棘のように心に突き刺さっていた女性の存在だった。

 それが史郎が連れてきた女性では。

 疑心は際限なく左京の胸の中でループしていった。

 やがて、何かを思いついたように顔を上げると、部屋の片隅に目をやった。

 「夜叉丸はいますか?」

 「はい、ここに。」

 部屋の片隅から声が発せられ、床から湧き上がるように夜叉丸が姿を現した。

 「いまの話を聞いてましたか?」

 「はい、左京様。」

 「すぐに調べて。」

 「はい。」

 返答すると夜叉丸は姿を消した。

 左京は自分の中の嫉妬にまだ気付いていなかった。


 左京の部屋から出た夜叉丸は、左京の命令を遂行すべく史郎の部屋へ向かった。

 そのとき、夜叉丸を呼び止める声があった。

 「どこへ行く?夜叉丸。」

 いつの間にか後ろに無明が箱車に乗って鎮座していた。

 「無明か…」

 肩越しにチラッと見ると、夜叉丸は無視するように歩き始めた。

 「史郎殿のところか?」

 その一言に夜叉丸の足が止まった。

 「なにか知っているのか?」

 夜叉丸が振り返りながら尋ねた。

 無明の箱車がひとりでに動き始めると、夜叉丸のすぐ横に進み、そこで止まった。

 石像のように立っている夜叉丸を、無明の見えぬ目が見上げる。

 「やめておけ。」

 ポツリと言う無明に、夜叉丸は目を見開いて見つめた。

 「どういう意味だ。無明。」

 夜叉丸の問いに無明は目をそむけた。

 「女子(おなご)を連れてきたのは、史郎様の意思じゃ。だれも口出しはできん。」

 「左京様は別だろう。」

 「同じじゃ。左京様とて史郎様に口出しはできぬ。むろん、儂もじゃ。」

 無明はふーと息を吐いた。

 「無明、お主、史郎様が連れてきた女子の素性を知っているのか?」

 「それを聞いてどうする?」

 「左京様に報告する。」

 また、無明は大きくため息をついた。

 「余計なことじゃ。」

 「余計な事?」

 夜叉丸は怪訝そうな顔をして無明を見下ろした。

 「左京様に余計な心配を重ねるだけじゃ。」

 その言葉は、夜叉丸の心に棘のように突き刺さった。

 「お主も左京様にこれ以上、心労をかけたくはあるまい。」

 「しかし…」

 夜叉丸は思い悩んだ。

 「相変わらず、左京様思いじゃの。」

 そう言うと無明は箱車を動かし始めた。

 去っていく無明の背中を見て、夜叉丸が声をかけた。

 「やはり、その女子、調べねばならぬ。」

 「好きにすればよい。」

 振り向きもせず、そう言い残すと無明は独特の車輪の音を立てながら去っていった。

 「史郎様に問いたださねばならない。」

 夜叉丸は小さく呟いた。


 その頃、同じクラブハウスでエマが樹魔を捕まえていた。

 「なんの用かしら?」

 細身の体にぴったりと合った上下のスーツを着た樹魔を、対照的な革のジャケットとミニスカートのエマが腕を組んで待ち構えていた。

 「聞きたいことがあるの。」

 「聞きたいこと?」

 樹魔は小首を傾げた。

 「あなたが連れてきた女はどこにいるの?」

 唐突な質問に樹魔は、少し驚いたような表情を見せ、そのあと笑顔を向けた。

 「なんのことかしら?」

 「しらばっくれたって無駄よ。ちゃんとわかっているんだから。」

 少し興奮気味に迫るエマに、それでも樹魔は笑顔を見せた。

 「わかっているなら聞くことはないんじゃあないの?」

 「どこに匿っているのかを知りたいのよ。」

 「聞いてどうするの?」

 「この手で殺す。」

 エマの物騒な物言いに樹魔は目を見開いた。そして、すぐに元の笑顔に戻った。

 「怖いこと。」

 「どこにいるの!?」

 「さてね。」

 エマがいきなり樹魔のスーツの襟を掴んだ。

 それでも樹魔に慌てた様子はない。

 「乱暴ね。高級スーツが皺になるわ。」

 「スーツなんてどうだっていい。教えなさい!」

 恐ろしい形相で樹魔を睨むエマの背後から、触手が伸びてきた。それを見た樹魔の顔から笑顔が消えた。

 「教えないと、あなたから先に殺すわよ。」

 触手の先の針が樹魔の額に狙いを定めた。

 「わかったわ。教えるわよ。」

 樹魔が降参という風に両手を上げると、触手はエマの背中に納まっていった。

 「さっさと教えて。」

 エマの手が樹魔の襟から離れた。

 それを見て、樹魔がスーツの乱れを軽く直した。

 「おんなは史郎様の部屋にいるわ。」

 「史郎様の!?」

 エマの顔が強張った。

 「あとはあなた次第ね。」

 成り行きを楽しむかのように笑顔を残して、樹魔は立ち去っていった。一人残ったエマは、しばらく黙ったまま立ち尽くしていたが、意を決した表情を見せると樹魔とは別な方に歩いて行った。

          5

 奈美は部屋でひとり眠っていた。

 その部屋の片隅、影が落ちている床から夜叉丸が湧き上がるように現れた。

 夜叉丸はベッドで眠る奈美に近づくと、その顔を覗き込んだ。

 「これは…」

 夜叉丸の顔に驚きの色が浮かんだ。

 「まさか…、あの女は…」

 あきらかに夜叉丸は戸惑っていた。

 その脳裏に浮かぶのは、かつての仲間とともに永遠の眠りについた女性の顔であった。

 「似ているが…」

 解けぬ疑惑に夜叉丸は混乱していた。

 そのとき、部屋の外に人の気配を感じた。

 夜叉丸は急いで部屋の片隅に移動すると、影の中に隠れた。

 電子ロックの解除される音がし、ドアが音もなく開いた。

 ドアの前に立っていたのは、エマであった。

 エマもベッドに眠る奈美を見つけると、足音を忍ばせて近づいた。

 眠っていることを確認すると、エマの背中から触手が伸びてきた。その先には鋭く尖った針が見える。

 「そのまま永遠の眠りにつくがいいわ。」

 触手はまっすぐ奈美の首に狙いを定めた。

 影の中でそれを見ている夜叉丸は判断に迷った。

 「死ね!」

 呟くように叫ぶエマの触手が奈美の首めがけて伸びる。

 間一髪、奈美がベッドから転がるように離れた。

 触手は空のベッドに突き刺さった。

 「なにをするの!?」

 ベッドの向こうで奈美が身構えた。

 「ナルの仇よ!死ね!」

 エマの触手が槍のように奈美に向かって伸びた。

 それをすれすれで躱すと、奈美はサイドボードの上にあったワインの瓶をエマに向かって投げた。

 飛んでくる瓶を触手が叩き割る。

 赤い液体が周りに散った。

 その隙に、奈美は部屋から逃げだそうと、ドアへ向かったが、エマが先回りして、奈美の前に立ちはだかった。

 「逃がさないよ。」

 殺気に彩られた目を向けて、エマはにじり寄った。

 「あなた、以前にも会ったわね。」

 奈美の脳裏に瀬上がさらわれた時のことが思い浮かんだ。

 「あの時、殺しておけばよかった。」

 エマの肩越しに触手が、蛇の鎌首のようにうごめく。

 その鋭い針先に奈美は後ずさりした。しかし、すぐに背中が壁につく。

 「もう逃げ場はないよ。」

 エマの口元に残忍な笑みが浮かんだ。

 その横でエマの触手の針が奈美の額に狙いをつけた。

 触手が鋭く伸びる。

 それを紙一重で躱す。

 針はすぐ横の壁に突き刺さった。

 その機を逃がさず、奈美が横に移動しようとしたそのとき、エマの足が奈美の腹部を蹴り上げた。

 「ぐ!」

 奈美の体がくの字に折れ曲がった。そこへエマの手刀が首筋に打ち込まれた。

 思わず、奈美の両膝が床に着いた。

 「死ね!」

 エマの触手の針が、奈美の後頭部を狙ってすばやく伸びた。

 そのとき、黒い影が奈美を包み込み、その場から連れ去った。

 針はそのあとの何もない床に突き刺さった。

 「なに!」

 逃げた影をエマの視線が追う。

 しかし、影は部屋から消えてなくなっていた。

 「いまのは?」

 突然の出来事に呆然としていたエマは、すぐに我に返り、部屋から出ていった。


 思いがけず奈美を助けた夜叉丸は、意識を失った奈美を抱えて、ゴルフカートが置いてある倉庫に向かった。

 倉庫に着いた夜叉丸は、冷たいコンクリートの床に奈美を横たえると、その頬を軽く叩いた。

 奈美はすぐに意識を取り戻し、目の前の見知らぬ顔の男を見て、驚きと警戒心を見せた。

 「あなたはだれ?」

 夜叉丸から離れるように、座ったまま後ずさりをする。

 そんな奈美の姿を夜叉丸は懐かしむような目で見つめていた。

 「ここはどこなの?」

 薄暗い倉庫の中を奈美は見渡した。

 「ここはこのゴルフ場にあるカート置き場だ。」

 夜叉丸が素直に答えた。

 たしかに埃をかぶったカートが何台か置いてあった。

 奈美は改めて夜叉丸を見た。

 「あなた、何者なの?史郎の仲間?」

 「俺に見覚えはないか?」

 そう尋ねる夜叉丸に向かって、奈美は首を横に振った。

 「そうか。そうだろうな。」

 奈美には夜叉丸の意図するところがわからなかった。

 「どうやらあなたが私を助けてくれたようね。一応、感謝するわ。ありがとう。」

 奈美は立ち上がりながら、取ってつけたような言い方で礼を言った。

 「礼などいい。それよりお前は何者だ?」

 夜叉丸が鋭い眼差しで奈美を見つめた。

 「人に名前を聞くなら、まずは自分から名乗るのが礼儀でしょ。」

 咎めるように言う奈美を見て、夜叉丸は苦笑した。

 「おれの名は夜叉丸。」

 「そう、夜叉丸と言うの。私は一条奈美。」

 奈美は名乗ると、傍らにあるカートの座席に座った。

 「それで、お前は史郎様とどんな関係なんだ?」

 「関係…、なぜ聞くの?」

 「質問しているのは俺だ。俺の尋ねることだけに答えろ。」

 有無を言わさぬ言い方に、奈美はカチンときた。

 「史郎に聞いたら。」

 取りつく島もない答えに、夜叉丸は背中から短槍と取り出し、それを奈美の喉元に突きつけた。

 「なめた口を聞くと、命を縮めることになるぞ。」

 夜叉丸の脅し文句に、奈美は怯むこともなく、毅然として立ち上がった。

 「好きにしたら。でも、私も黙って殺されるつもりはないわ。」

 そう言って、突き付けられた短槍を横に押しやると、スタスタと歩き始めた。

 「まて。」

 夜叉丸の手が奈美の肩にかかる。

 その手を握ると、奈美は肩から強引に外し、夜叉丸の手首を握ったまま睨みつけた。

 (この女…)

 予想外の力で夜叉丸の手首を握る奈美を見て、夜叉丸はただの女でないことを直感した。

 「おまえ、もしや…」

 そのとき、二人の体をすさまじい殺気が貫いた。

 その先を見た時、倉庫の入り口に鬼の形相のエマが立っていた。

 「やっと見つけたわよ。」

 「思ったより早く来たな。」

 エマの姿を見て夜叉丸は嘲笑を浮かべた。

 そのエマは怒りの表情を夜叉丸に向けながら二人に近づいた。

 「どうする?また、逃げるか?」

 それを聞いて、奈美は夜叉丸の手首を離した。

 「降りかかる火の粉は自分で払うわ。」

 そう言い残して、奈美はエマの方へ歩いて行った。

 夜叉丸は高みの見物とばかり、少し離れた所へ移動した。

 奈美とエマは手が届くところまで歩み寄った。

 「今度は逃がさないわよ。」

 「逃げるつもりはないわ。」

 殺気の混じった視線がぶつかり、一触即発の緊張感がふたりの間に膨れ上がった。

 さきに動いたのはエマであった。

 エマの右拳(みぎこぶし)が奈美のこめかみを狙って、すばやく動いた。

 それを掻い潜って躱した奈美は、反対にエマの脇腹を狙って左フックを繰り出した。

 エマは身体を回転させて奈美の攻撃を躱し、その勢いのまま左手刀で奈美の首を狙った。

 右腕でそれを受け止めると同時に、奈美のつま先がエマの顎を蹴り上げた。

 顎につま先が当たる寸前、エマはバク転してそれを躱した。

 顔をあげるエマに不敵な笑みが浮かんだ。

 「なかなか、やるわね。」

 「どういたしまして。」

 奈美も笑みで返した。

 「でも、これは躱せる?」

 エマの背中から触手が飛び出し、目にもとまらぬ速さで、奈美に迫った。

 奈美も負けじとすばやく体を動かし、触手を躱した。

 「いつまで躱せるかしら。」

 エマの触手が連続して奈美に襲い掛かった。

 その鋭い針先を奈美は、ことごとく躱し続けた。

 それにはエマも驚きを隠せなかった。

 「おまえ、一体何者?」

 「あなたと同じ化け物よ。」

 そう言うと奈美の髪が銀色に変色した。

 その変化に目を疑うエマを尻目に、奈美がすさまじいスピードで駆け出した。その動きを止めようと、エマの触手が奈美の足を掃おうとした。

 奈美の足が床を蹴り、エマの触手を躱すと同時に、奈美の髪から銀の光が瞬いた。

 光は銀の針となって、エマに向かって飛んだ。

 触手がそれをエマの目の前で払い除けた。

 「やるわね。」

 奈美の能力に驚きながらも、不敵な笑みを続けるエマは、傍らにあるカートに手を掛けると、驚異的な力でそれを持ち上げた。

 「え!」

 驚きの声あげる奈美に向かって、エマはカートを投げつけた。

 すぐに躱す奈美のもとに、エマは次のカートを投げつける。

 それも避けた奈美の足首に、エマの触手が蛇のように絡んだ。

 「しまった!」

 触手に足を引っ張られた奈美は、バランスを崩し、無様に床に倒れた。

 目の前に三台目のカートを持ち上げているエマがいた。

 「ナルの仇だ。死にな!」

 奈美の頭上にカートが放り投げられた。

 躱す間はない。

 見ていた夜叉丸は、そう思った。

 しかし、目の前で起こったことは、夜叉丸やエマにとって予想外のことであった。

 重量のあるカートが奈美の上に落ちる寸前、奈美がそのカートを両手で受け止めたのだ。

 「なに!?」

 思わず叫ぶエマに向かって、逆に奈美がカートを放り投げた。

 咄嗟に躱したエマに向かって、奈美が駆ける。

 エマの触手が奈美を叩き潰そうと、上から振り下ろされた。

 瞬間的にそれを躱した奈美が、エマの目の前に立った。

 同時に奈美の掌底がエマの顎を突き上げる。

 のけぞるエマの足を奈美の右足が掃う。

 床に尻餅をつくエマの腹部を、奈美は踏みつけようとした。

 そのとき、エマの触手が奈美の背中に強烈な一撃を加えた。

 その衝撃で奈美は床に倒れた。

 そこへ触手の針が奈美を貫こうと迫った。

 寸前にエマの触手を握る奈美。

 その手に超振動が起こり、触手は千切れ飛んだ。

 二人はすぐに起き上がり、間合いをとった。

 「よくもあたしの触手を…」

 悪鬼がごとき表情で睨むエマを、奈美は冷静な目で見ていた。

 エマの両手が奈美の首を狙って突き出された。それを身を低くして躱すと同時に、奈美の右肘がエマの腹部に入った。

 「ぐっ」

 後ろに下がったエマに奈美の左ストレートが顔面を狙う。

 その腕を取ってエマは、奈美を背負い投げした。しかし、奈美も空中で体を回転させて床に着地すると、そのままの姿勢で後ろ蹴りを放った。

 それに合わせるようにエマも前蹴りを放った。

 二人同時の蹴りに、二人とも前後にはじけ飛んだ。

 床に尻餅をついたエマの手にカートの一部が触れた。

 それを握ると、起き上がってきた奈美に向かって投げつけた。

 すぐに躱して横に逃げる奈美の前に、別のカートの部品が投げつけられる。

 急ブレーキをかけてそれをやりすごしたとき、奈美の首にエマの触手が絡みついた。

 「しまった!」

 絡みついた触手が、奈美の首をへし折ろうと、締め上げてくる。

 たちまち奈美の顔に苦悶の表情が浮かんだ。

 それを見て、エマが残忍な笑いを上げた。

 「ようやくけりがつくようね。」

 情け容赦なく、触手が奈美の首を締め上げる。

 奈美の首の骨が悲鳴を上げた。

 「苦しいだろ。ナルを殺したことを後悔しながらあの世に行きな。」

 勝利を確信した顔で、奈美を笑うエマに隙ができた。

 奈美の髪から光が瞬く。

 光が銀の針となって(くう)を飛び、エマの胸に突き刺さった。

 「え」

 信じられない表情を残して、エマは仰向けに倒れた。

 すると、触手が緩み、奈美の首から離れた。

 苦痛から解放され、しばらくせき込んだあと、奈美は倒れているエマを見つめた。エマが動かないことを確認すると、奈美は夜叉丸の方に体を向けた。

 夜叉丸は冷静な目で奈美を見つめていた。

 「今度はあなたが相手する?」

 奈美の問いに、夜叉丸は黙ったまま持っていた短槍を構えた。

 「!」

 反射的に身構えた奈美に向かって、夜叉丸は短槍を投げた。

 躱すために体を横にずらす奈美の脇を、短槍が通り過ぎる。

 「ぎゃ!」

 奈美の後ろで悲鳴が上がる。

 振り返ると、いつのまにかエマが起き上がり、鋭い牙をのぞかせた口を大きくあけて、奈美を背後から襲おうとしていた。

 短槍はその口の中を貫いていた。

 エマは目を見開いたままその場に倒れた。

 奈美はすぐに夜叉丸の方に顔を向けた。

 「どうして助けたの?」

 「おまえには聞きたいことがまだあるのでな。」

 夜叉丸は平然とした顔で、エマに歩み寄ると、エマから短槍を引き抜いた。そして、その穂先を奈美に向けた。

 「今度こそ答えてもらうぞ。おまえと史郎様の関係を。」

 喉元に突きつけられた穂先を見ても、奈美は冷静な表情を保っていた。

 「聞きたかったら史郎に聞いたら。」

 その答えに夜叉丸のこめかみに血管が浮かんだ。

 「はぐらかすつもりか?」

 「そんなつもりはないわ。当の本人がいるんだもの。そっちに聞いたらと言ったまでよ。」

 「なに?」

 奈美の目が自分を通り越し、後ろに注がれていることに初めて気づいた夜叉丸は、慌てて後ろを振り返った。

 目の前に史郎が立っていた。

 「史郎様…」

 「夜叉丸。そんな物騒な物は下ろせ。」

 そう言って史郎は二人の元へ歩み寄った。

 史郎の言葉に従うように、夜叉丸は短槍を下ろした。

 「奈美を助けてくれたようだな。礼をいう。」

 「いえ。」

 「だが、これ以上、奈美にかかわるな。」

 「それは…」

 夜叉丸が食い下がるように言うと、史郎の氷のような目が夜叉丸を睨みつけた。

 「左京の差し金だろう。ほっておけ。」

 有無を言わせぬ言葉に、夜叉丸もそれ以上なにも言えなかった。いまにして思えば無明の言うとおりであった。

 「わかりました。失礼いたします。」

 夜叉丸は軽く礼をすると、踵を返してそのまま倉庫から出ていった。

 その後ろ姿を見送ったあと、史郎は奈美のほうに顔を向けた。

 そこには先ほどまでの冷徹な表情はなく、やさしい目つきで奈美をみつめていた。

 「すこし外でも歩くか?」

 そう言って、史郎は倉庫から外に出た。奈美もその後に続いた。

 外は夕暮れを迎えており、遠くに見える富士の山が赤く染まっていた。

 「きれい。」

 奈美は思わず感嘆の声を上げた。

 「どんなに周りが変わろうとも、この美しい光景は変わらんのだろうな。」

 史郎は目を細めながら赤く染まる富士山に見入っていた。

 奈美は史郎がこんな表情することに多少驚いた。

 「史郎…」

 夕日に照らされた史郎の横顔に向かって、奈美が声をかけた。

 「なにかな?」

 「本気なの?」

 不意の質問に史郎は眉をあげた。

 「もちろんだ。」

 穏やかな眼差しで答える史郎に、奈美はくだらないことを聞いたと後悔した。

 「また、私を止めるか?」

 その問いに、奈美はなにも答えなかった。

 「暗くなってきたな。戻ろう。」

 そう言うと史郎は奈美の手を握った。

 クラブハウスの方へ歩いていこうとすると、奈美は思い出したように尋ねた。

 「左京ってだれ?」

 奈美の口から左京のことを尋ねられたことに、史郎は少し驚いた表情を見せた。

 「気になるか?」

 「そういうわけじゃあないけど。」

 奈美の中でいままで感じたことのない感情が芽生えていた。

 「気にすることはない。左京は私の部下のひとりだ。」

 その言葉に奈美の中で安心感が広がると、そのことに奈美は戸惑った。

 奈美の感情の起伏を知ってか、史郎は笑顔を見せながら奈美の手を引いて、クラブハウスへ向かった。

 その光景をクラブハウスの屋上から見ていた者がいた。

 左京であった。

 その目は嫉妬に燃え上がっていた。

          6

 その夜、左京は自室で悶々と過ごしていた。

 夕方見た、史郎と奈美の姿。わからないと報告する夜叉丸の姿。そして、監禁しているマリアからの言葉。

 左京は、二時間前に会ったマリアとの会話を思い返していた。


 史郎と奈美の姿を見たあと、左京はマリアを監禁している倉庫へやってきた。

 特別な理由はなかった。

 ただ、監禁している女がなにか知っているのではという、およそ期待できない希望を持ってのことであった。

 倉庫の前で張り番をしている者に、倉庫を開けるように促した。

 扉の鍵が開けられ、電気をつけると、中でマリアが膝を抱えて座ったまま、こちらを見ていた。

 「いらっしゃい。」

 マリアが屈託のない笑顔で、左京を出迎えた。

 「あなたは外で見張っていなさい。」

 そう命令して、左京は倉庫の中に入ると、ドアを閉めた。

 「どう、言う気になった?」

 「なんのことかしら。」

 変わらず、マリアは人を喰ったような笑みを浮かべていた。

 その瞬間、マリアの肩に衝撃と激痛が走った。

 「うっ」

 いつのまにか左京の手に棒鞭が握られていた。

 「少しは素直になった?」

 見下すように自分の前に立つ左京を見て、マリアはあることに気付いた。

 (心が見える。)

 以前は閉ざされていた左京の心の内が、いまはわずかながら見えていた。しかし、それをおくびにも出さず、マリアはじっと左京を見つめた。

 「何度聞いても答えは同じよ。」

 マリアの返答に怒りをあらわにした左京は、持っていた棒鞭でマリアの顔を打った。

 マリアの顔に赤い痣の線ができる。

 「いつまでそんな口がきけるかしら。」

 また、棒鞭がマリアを打ち据えた。

 今度は休むことなく、何度も打ち続けた。

 服が破れ、あちこちに痣と出血を伴い、マリアは床に倒れた。

 左京も打ち疲れたのか、肩で息をしている。

 左京はマリアのそばに片膝をつき、その髪の毛を引っ張り上げた。

 「強情をはると取り返しのつかないことになるわよ。」

 「なにをそんなに焦っているの?」

 マリアが薄目を開けて、左京を見ながらつぶやくように言った。

 「焦る?私が…?」

 左京は怪訝そうな顔をした。

 「あなた、だれかのことがとても気になっている。それをごまかすためにここへ来た。」

 マリアは左京の意識に浮かぶ女性の姿を読み取った。

 それは霧子が追っている例のアーマノイドの姿だ。

 「ふざけたことを言わないで。」

 左京の平手がマリアの頬に飛んだ。

 血のにじんだ口を釣り上げて、さらにマリアは左京の目を見つめた。

 「私には見える。あなたはその女性のことが気になって仕方がない。自分の愛する人を取られはしないかと焦っている。」

 「いうな!」

 左京はマリアを押し倒すと、立ち上がり、再度、棒鞭でマリアを打ち据えた。

 さしものマリアも、左京の殴打に意識を失った。

 気を失ったことを確認すると、左京は棒鞭を放り投げ、倉庫から出て行った。

 「手当してやりなさい。」

 見張り番の男にそう命令すると、左京は自室に向かった。


 自室に戻った左京だったが、マリアの言った言葉が頭の中を駆け巡った。

 『自分の愛する人を取られないかと焦っている。』

 その言葉は棘のように左京の心に突き刺さり、左京を悩ませた。

 「そんなことはない。」

 そう頭で打ち消そうとしても、夕方見た二人の姿が頭の中にちらつき、打ち消すことができない。さりとて、史郎に聞く勇気もなかった。

 そんな堂々巡りに、左京はひとり煩悶していた。

 

 一方、倉庫ではマリアが目を覚ましていた。

 いつのまにか手当を受けている。

 「へえ、優しいこと。」

 そう独り言を言いながら、マリアは目をつぶり、先ほどのことを考えていた。

 (確かに焦っていた。私の言ったことが痛いところを突いたということね。これは利用できるかも。)

 そう思っていた時、マリアの意識にカティナの意識が伝わってきた。

 『カティナ、どうしたの?』

 『マリア、よろこんで。助けにいくわ。』

 『助けにくる?』

 マリアはすぐには呑み込めなかった。

 『いま、キリコとマリエがそちらに向かっている。それに遅れて海兵隊の特別部隊がそこを強襲する。』

 『強襲!?』

 『そう、そのどさくさに紛れてカティナを助ける。』

 『私だけ?』

 『いいえ、キリコはナミも助けると言っている。』

 『でしょうね。』

 マリアはやっと納得した。

 『で、いつやるの?』

 『明日の夜明け前。』

 『明日?ずいぶん急ね。』

 『いろいろあってね。それに善は急げというでしょ。』

 その言葉に、マリアは向こうでおかしそうに笑っているカティナが、目に浮かんだ。

 『わかった。よろしくね。』

 『また、連絡する。』

 カティナの意識が途絶えた後、マリアは自分の中に緊張感が湧き上がるのを感じた。


 自室でずっと考えた左京は、自分の迷いに逆らえず、再度倉庫に向かった。

 倉庫を開けると、マリアが左京の来訪に当然というような顔で、左京を見ていた。

 「やっぱり来たわね。」

 自分の来訪を予期していたように言うマリアに、左京は戸惑いの表情を見せた。

 ふたりの視線が交錯しながら沈黙が流れた。

 「なにか、聞きたいことがあるんじゃあない?」

 「女のことを知っているの?」

 「おんな?」

 マリアはあえてとぼけた。

 「史郎様が連れてきた女よ。」

 「ああ、奈美のこと。」

 「奈美?奈美というの?」

 左京はマリアに近づき、さらに聞こうとした。

 そこに隙ができた。

 「知っていることを教えて。」

 切実に聞く左京に対して、マリアはその目をじっと見つめた。

 マリアの目が虹色に輝く。

 マリアの精神感応(テレパシー)が左京の意識を捕える。

 「あなたが思っている通り、奈美という女が、あなたと愛する人の間を邪魔する。」

 「邪魔する…」

 左京が唇を噛んだ。

 「方法はひとつ、その女にここから出ていってもらう。」

 「出ていってもらう?殺すんじゃなくて。」

 左京は完全にマリアの言うことに惹きつけられていた。

 「殺したらあなたの愛する人があなたから離れてしまう。それよりここから出ていってもらうの。そうすれば、逃げた女を裏切り者と蔑み、愛する人の心はあなたにもどるわ。」

 「私にもどる。」

 左京の目が焦点を失っていく。

 マリアの声は左京の心に響き、その言葉に魅了されていった。

 「もうすぐ奈美を取り戻しに仲間が来る。その人たちに奈美を渡すの。そうすれば、あとはあなたと愛する人だけが残る。」

 マリアの言葉に突き動かされて、左京は踵を返した。

 そのまま倉庫から出ていく。マリアがその後に続いた。

 「あ、教祖様。」

 見張りの男が戸惑ったような顔をして、左京を見送った。その後に続くマリアを見て、男は立ちはだかった。

 「おまえは中だ。」

 「そんなこと言わないで通して。」

 マリアの目が虹色に輝き、男は立ったまま身動きができなくなった。

 「これ、邪魔だから外してくれる?」

 そう言って手錠を差し出す。

 男は言われるまま、マリアの手錠を外した。

 「ありがとう。」

 マリアは唇に指を当て、それを男の額に当てた。途端に男は白目を向いて、その場に崩れ落ちた。

 「ゆっくり寝てて。」

 そう言い残してマリアもその場を去った。


 奈美も部屋に戻ったあと、ずっと考え込んでいた。

 史郎のこと、自分のこと。

 マリオネット計画がこのまま続行されることは、決して許されることではないことはわかっていた。しかし、この日本でアーマノイドである自分がいる場所がないことも分かっていた。

 その自分の生きる場所を作ろうとする史郎に、心が惹かれていることも事実だった。

 一番憎むべき相手に。

 同じ繰り返しを何度もして、奈美は考えることに疲れていた。

 ベッドに座ったまま、何度目かのため息をしたときだった。

 不意にドアの電子ロックが開く音がして、ドアが開いた。

 以前のエマの件もあり、奈美は警戒の目をドアに向けた。

 見知らぬ少女が立っていた。

 黒髪の美しい少女だ。

 「あなたは…?」

 少女は奈美を穴が開くほど見つめていた。そのあまりの真剣な眼差しに、奈美の言葉が聞こえていないようであった。

 「あなたはだれなの?」

 もう一度尋ねた時、奈美の脳裏にある名前が浮かんだ。

 (左京…)

 左京はゆっくりと奈美に近づいてきた。

 その視線は、いまだ奈美の顔から離れない。

 「あなたが奈美さん?」

 左京に自分の名前を呼ばれ、奈美は多少驚いた。

 「どうして、私の名前を?」

 そのとき、左京ははじめて自分がここに来た目的を思い出した。

 「あなたをここから逃がしてあげます。」

 突然の申し出に奈美は驚いた。

 「逃がすって…?」

 「あなた、史郎様に捕らわれたんでしょう。だから逃がしてあげます。」

 奈美には左京の申し出がにわかに信じられなかった。

 なにせ彼女はえにしの会の教祖なのだ。

 なにかの罠なのか。

 奈美の疑いの目を左京は敏感に感じた。

 「私を信じて。早くここを出ましょう。」

 必死に訴えながら左京は奈美の腕を握った。そして、そのまま連れていこうとした。

 「ちょ、ちょっと待って。」

 左京の強引な振る舞いに、奈美は少しの怒りとともに、その握る手を振り払った。

 「逃げたくないんですか?」

 左京も怒ったような顔をする。

 「いきなり現れて、有無も言わさず逃げましょうと言われたって、はい、そうですかと言えるわけないでしょう。ちゃんと説明して。」

 「説明している暇はないんです。」

 「なら、行かないわ。」

 奈美はそのまま背を向けた。

 「あなたを助けに仲間がくるのよ。」

 「仲間?」

 その言葉に奈美は振り返った。

 「そう、マリアという女性も捕らわれていて、その女性から聞いたのよ。」

 「マリア?」

 霧子の仲間だろうと奈美は直感した。

 霧子たちがここにくる。そして、マリアという女性といっしょに私を奪い返しにくる。

 (そうか、霧子はまだあきらめてないんだ。)

 彼女の目的が自分だということを、奈美は十分承知していた。

 なら、多少強引な手段を使ってくる可能性もある。それをさせないために私を逃がそうとしているのかと、奈美は推察した。

 「だから、私の言うことを聞いて、ここから逃げて。」

 「わかった。案内して。」

 奈美が承知したことに、左京は表情を明るくした。

 左京は先に立って、ドアから外を伺った。

 廊下にはだれもいない。

 「こっちよ。」

 左京の合図に促されて、奈美はその後に続いた。

 

 同じ頃、霧子と麻里江もクラブハウスの近くまで潜入していた。

 えにしの会の所有する元ゴルフ場までBMWで乗り付けた二人は、夜まで待って行動を開始した。

 闇に紛れて、コースの金網を破り、中に侵入するとまっすぐクラブハウスを目指した。

 照明がないコースは真の闇であり、二人の行動は気づかれることなく、クラブハウスに近づくことができた。

 「ここまでは順調に来たけど、問題はここからね。」

 「どうやって侵入しますか?」

 身体にピッタリとした黒いスーツを着た二人は、木の陰に身を潜ませながら小声で言葉を交わした。

 「そうね。」

 霧子がしばらく考えていると、麻里江の顔を見て、あることを思いついた。

 「麻里江、隠形の法はできる?」

 「ええ、そうか。隠形の法を使って真正面から乗り込むということですね。」

 「そう、ところでその術は私にも使えるの?」

 「大丈夫ですよ。」

 そう言って麻里江は腰に装着したウェストポーチから札を二枚取り出した。

 「霧子さん、灯りを。」

 そう言うと霧子は、身体で覆うようにしながらペンライトの灯りを麻里江に向けた。その灯りの下で麻里江は札になにかの呪文を書き入れた。

 「これを銜えてください。」

 渡された札を霧子は素直に口に銜えた。

 麻里江が印を結んで小声で呪文を唱える。

 「お口から離していいですよ。それはポケットにでも入れておいてください。」

 「これで人から見えなくなったわけ?」

 霧子は自分の体を眺めながら信じられない顔をした。

 「見えないわけではなくて、人から認識されないだけです。ただし、同じ術者だと気配から勘づかれます。」

 「なるほど、気配までは消せないわけか。」

 麻里江は軽く微笑むと、札を銜え、そのまま呪文を唱えた。

 「さ、いきましょう。」

 「ええ。」

 二人は木の陰から出ると、まっすぐクラブハウスに向かった。

 目の前にはコースに出るための出入り口があり、そこには男が二人立って、辺りを見張っていた。

 よく見ると、腰に銃を装着している。

 (ものものしいわね。)

 そう思いながら霧子は見張りに近づいた。

 相手は霧子に気づいた様子はなく、その横を通っても咎めもせず、黙々と見張りを続けていた。

 霧子と麻里江は堂々とクラブハウスの中に入っていった。

          7

 霧子や麻里江が行動を起こす数時間前。

 遠く離れた東京にいる剣持に、ある事態が起こっていた。

 屋敷に戻った剣持は、小田切や主だった者を集めて、えにしの会への強制捜査の段取りを話していた。そこへ、例のめがねの女性が入ってきた。

 「局長。警備局の別宮さんが来ました。」

 「別宮が?いまは忙しい。出直してくれと伝えてくれ。」

 そう言って剣持はまた、打ち合わせに入った。

 しかし、女性は立ち去ろうとせず、なにか言いたげにその場に立ちつくしていた。

 「あの、局長…」

 「まだいたのか。いま、忙しいんだ。」

 「忙しいところをすまんな。」

 女性を押しのけて、別宮が部屋に入ってきた。

 「別宮。なんだ、無断で。」

 剣持が非難の目を別宮に向けた。

 「こちらも急いでいるんだ。」

 「なに?」

 「ここではなんだ。ふたりっきりになれんか?」

 別宮の静かだが、威圧的な態度に剣持はしかたがないという顔をした。

 「みんな、ちょっと待っててくれ。」

 そう言い残して、剣持は別宮を引き連れて、応接室へ向かった。

 応接室に入った剣持と別宮は、テーブルを挟んで対面に座った。

 「それで一体何の用だ?」

 剣持は足と腕を組んで別宮に対し、尊大な態度をとった。

 別宮は椅子に浅くかけ、両手を膝の上で合わせて、前のめりの格好で剣持を見た。

 「剣持、いまから特捜局は警備局の指揮下に入ってもらう。」

 「どういう意味だ?」

 唐突な申し出に驚いた剣持は、テーブルに手を突き、別宮の顔にくっつきそうになるほど、前のめりになった。

 「言った通りだ。首相命令で特別警戒宣言が発せられた。その関連で捜査機関はすべて警備局の指揮下にはいることが決まった。」

 「特別警戒宣言!?そんな話、聞いてないぞ。」

 剣持の額に怒りの皺が寄った。

 「だから、いま話している。陸防隊のクーデターが確実視された。テロ防止法の下、政府機関一丸となって、ことにあたらねばならない。そのための指揮系統の統一だ。」

 「しかし、われわれは国家公安委員会の元、独自性を保証されているはずだ。警備局の指揮下に入るのは、納得できない。」

 剣持は別宮の言うことをなんとか拒絶しようとした。

 「国家公安委員会からも了承を得ている。都内の治安維持のために我々の命令に従ってもらう。」

 有無を言わさぬくちぶりに、剣持は憮然とした。

 「納得できんようだな。ならば君には捜査局から外れてもらう。」

 「なに!」

 別宮の強引な物言いに、剣持は怒りの表情を見せて立ち上がった。それを別宮は冷静な目で見上げている。

 「総理直々の命令だ。それに従えんというならその職を解任するしかあるまい。」

 氷のような冷たい言い方に、剣持は相手が本気だということを覚った。

 「委員長に考えなおすように説得する。」

 「勝手にすればいい。だが、答えは同じだと思うぞ。素直に私の言うとおりにしたほうが身のためだ。」

 別宮は立ち上がると、軽く衣服を直して部屋から出ていった。一人残った剣持はポケットから携帯を取り出した。


 横田基地で、えにしの会の本部へ向かう準備をしていた霧子の携帯が、突然鳴った。見ると剣持からの着信であった。

 「HELLO、ミスター剣持。」

 「霧子君か?」

 笑顔で電話に出た霧子だったが、剣持の声のトーンが沈んでいることに気付き、すぐに真顔になった。

 「どうしました?」

 「捜査局が警備局の指揮下に入った。我々はもう動けん。」

 「そうですか。」

 剣持の言葉に霧子はさして驚いた様子は見せなかった。

 「驚かんのだな。霧子君。」

 「想定の範疇でしたので。わかりました。ここからは我々だけで動きます。」

 「すまんな。なにも手助けできんで。」

 剣持の恐縮そうな声に、霧子は微笑んだ。

 「気にしないでください。いままで十分、助けてもらいましたから。」

 「くれぐれも気をつけてな。奈美をたのむ。」

 父親のように心配する剣持に対して、霧子は心温まる感覚を覚えた。

 「わかりました。奈美は必ず助け出します。」

 「ああ、麻里江君にも必ず帰ってくるように伝えてくれ。」

 「お伝えします。」

 そう返事して霧子は携帯を切った。

 それを見て、麻里江が心配そうに声をかけた。

 「どうしたんですか?」

 「特捜局は動けないという連絡よ。」

 「日本の捜査局は動かないの?」

 カティナが軍服に着替えながら尋ねた。

 「ええ、多分、上からの圧力ね。」

 あきらめ顔で答えた霧子は、再び準備を始めた。

 「それでどうするんだ?」

 ミヒャエルが尋ねるが、霧子は無言まま黙々と作業を続けた。

 「霧子さん。」

 麻里江をはじめ、カティナ、ミヒャエルと皆、霧子の口元に注目した。

 「しかたがないわね。私と麻里江は計画どおり、先にえにしの会の本部に潜入するわ。」

 「わたしたちは?」

 カティナが尋ねるのを無視して、霧子はミヒャエルを見た。

 「ミヒャエル、司令に言って、特殊コマンド部隊の出動を依頼して。」

 「特殊コマンド!?おいおい、戦争でも始める気か?」

 ミヒャエルは驚きと心配を織り交ぜた顔をして、霧子に尋ね返した。

 「そのとおりよ。相手は尋常でないやつら。こちらもそれ相応の戦力で当たらないと。」

 二人のやり取りに麻里江は不安な様子を見せた。

 「特殊コマンド部隊って?」

 麻里江がカティナに英語で聞くと、カティナは麻里江にわかるようにゆっくりと答えた。

 「同胞の救出やテロリストの壊滅など困難な作戦をこなす精鋭部隊よ。」

 「海兵隊の中のエリート部隊といったところね。」

 霧子が笑顔で補足した。

 「おおげさじゃあないですか?」

 麻里江が心配そうに言った。

 「相手のことを考えたらおおげさだと思う?」

 霧子にそう返されて、麻里江も考え込んだ。

 確かに相手には異能の力を持つ鬼龍一族がいる。それもひとりとは限らず、ほかにもいる公算が大きいのだ。決しておおげさと思えない。

 「そうですね。霧子さんの言う通りです。」

 麻里江が霧子に同調するのを、ミヒャエルは冷ややかに見ていた。

 「それで、特殊コマンドにはいつ突入してもらう?」

 「夜明けの一時間前。」

 「なるほど、いい時間帯だな。おれとカティナは特殊コマンドとともに突入する。」

 「わかったわ。」

 ミヒャエルの言葉に霧子は大きく頷いた。

 「キリコ、マリアをよろしくね。」

 「まかせて。カティナ。」

 軽く返事をした霧子は、カティナにウィンクを送った。


 その数時間後、クラブハウスの正面入り口から離れた所には、ラウンドクルーザーとトラックがライトを消して停まっていた。

 ラウンドクルーザーに乗っているカティナとミヒャエルは迷彩服に身を包み、暗闇の奥にあるクラブハウスを凝視していた。

 「あと二時間ほどで夜が明ける。計画どおりなら一時間後、作戦実行だ。」

 ミヒャエルが腕時計を見ながら呟いた。

 「キリコとマリエは潜入したかしら。」

 「予定通りならもう潜入しているはずだ。」

 心配そうな顔のカティナを他所に、ミヒャエルは冷静な顔つきで答えた。

 「特殊コマンド部隊は大丈夫なの?」

 カティナが落ち着かぬ様子でミヒャエルに尋ねた。

 「少しは落ち着いたらどうだ。大丈夫。連中はプロだ。時間通りにくるよ。」

 そう言ってミヒャエルはカティナの肩を軽く叩いた。しかし、カティナの顔から心配の色は消えない。

 「あと、一時間…」

 カティナは再度、暗闇の奥にあるクラブハウスを凝視した。

 

 そのクラブハウスの中では、倉庫から脱出したマリアが、出口を探して歩き回っていた。しかし、あちこちに教団の人間がいて、思うように前に進めなかった。

 いまも、見回りをしている警備員の目を避け、女子トイレの中に逃げ込んでいた。

 「さて、どうしたものかな?」

 個室の便座に座り、マリアは思案していた。

 「カティナや霧子がいるかもしれないわね。探ってみるか。」

 マリアは目を瞑ると、精神を集中し、カティナや霧子の意識がないか、探り始めた。

 広いクラブハウスやその周辺の中で特定の意識を探り出すのは、容易ではない作業であったが、ほどなく、覚えのある意識をクラブハウスの外で感じ取った。

 『カティナ、来てた?』

 マリアの精神感応(テレパシー)にカティナが答えた。

 『マリア、無事だった?』

 『ええ、なんとか監禁場所から脱出したわ。』

 『いま、どこにいるの?』

 『トイレの中。』

 『トイレの中?』

 驚いたように言うカティナにマリアは笑った。

 『警備員の目を避けるために、トイレに隠れているのよ。』

 『動けないの?』

 『へたに動くと見つかる恐れがある。キリコは潜入したの?』

 『そのはずよ。マリアから見えない?』

 『まだ、見えてない。』

 カティナとマリアの会話を横で見ていたミヒャエルは、カティナの肩を軽く叩いた。それに気づいたカティナはミヒャエルのほうを見た。

 「なに?」

 「マリアに伝えてくれ。あと、一時間ほどでコマンド部隊が突入する。」

 カティナはミヒャエルの言葉をそのままマリアに伝えた。

 『コマンド部隊とは豪勢ね。そう、あと一時間。カティナ、ミヒャエルに私のテレパシーを伝えてくれる?』

 マリアの言葉にカティナは、ミヒャエルのこめかみに指を当てた。

 『ミヒャエル、私の言葉が聞こえる?』

 『ああ、大丈夫だ。』

 『そう、じゃあ、いますぐにコマンド部隊を動かして。』

 『おい、作戦が違ってくるぞ。』

 『私の救出だけでなく、ここを破壊したほうがいい。ここは日本にとって、ひいてはアメリカにとって災いをもたらすところよ。』

 『マリアの予知か?』

 『そう思ってもらっていいわ。』

 マリアの言葉に、ミヒャエルはこめかみからカティナの指を離し、押し黙った。

 熟考の時間が流れる。

 やがて、ミヒャエルがカティナの手を取って、自分のこめかみに当てた。

 『わかった。十分後に行動を起こす。』

 『キリコたちはどうするの?』

 カティナがマリアに尋ねた。

 『キリコはキリコでうまく立ち回るでしょう。』

 その言葉が信頼からなのか、見捨てたうえでのことなのか、カティナにもわからなかった。

 『マリア、意識はつないでおいて。突入したらすぐに助けに行くから。身を守る物はある?』

 『なんとかするわ。』

 『わかった。じゃあ、またあとで。』

 会話が終了すると、マリアは便座から立ち上がった。

 「さて、まずは身を守るものを手に入れるか。」

 そう言って、マリアは個室から出た。


 闇に包まれたクラブハウスの屋上に、箱車に乗った無明が庭石のように鎮座していた。

 元ゴルフ場とあって、周りに人家がなく、よって灯りらしいものもない。上空も曇り空のせいか星も月も見えなかった。

 まさしく漆黒の闇がクラブハウスのうえに降りていた。

 「ふむ、部外者が入っているようじゃな。」

 印を結んで、精神を集中させていた無明は、ポツリと呟いた。

 そして、見えぬ目をあげると、遠く雑木林の向こうに顔を向けた。

 「それに呼応して人が押し寄せるか?」

 無明の口元が微かに吊り上がった。

 「鳴神、樹魔、おるか?」

 「さっきからここにいるよ。」

 「寒い中、呼び出して何の用事?」

 無明の後ろから返事が返ってきた。

 無明の箱車が後ろを向いた。

 闇の奥から二つの人影がにじみ出てきた。

 「ご苦労じゃが、部外者がここに侵入してきておる。樹魔、その一人を片付けてくれ。」

 「ひとり?」

 「例のアメリカの女じゃ。」

 「へえ、牙堂を倒した女ね。」

 樹魔の口元に笑みが浮かんだ。

 「俺はどうする?」

 「お主は、外から来る団体を片付けてくれ。」

 「団体?面倒なことを押し付けるな。」

 不満そうに鳴神は鼻を鳴らした。

 「あなたはどうするの?無明。まさか、高みの見物というわけじゃあないんでしょう。」

 樹魔が無明のそばに歩み寄りながら尋ねた。

 「わしはわしで、もう一人の女子を始末する。」

 「他にも侵入者がいるの?」

 「陰陽師の女子じゃ。」

 無明は樹魔を見上げて、ニヤリと笑った。

 「左京様や夜叉丸には言わなくていいのか?」

 鳴神の疑問に無明は意味不明な笑いを見せた。

 「左京様はいま、お取込み中のようじゃ。夜叉丸は左京様以外のことには興味がないじゃろ。」

 「へえ、お取込み中ね。」

 鳴神はあえて、それ以上追求しなかった。

 「たのんだぞ。」

 そう言い残して、無明は闇の中に消えた。

 残った二人は、お互いの顔を見て、苦笑いを浮かべた。

 「面倒なことになりそうね。」

 「ま、俺たちにとっても邪魔者だ。片付けるしかあるまい。」

 「そうね。」

 そう答えて、樹魔は屋上の出口の方へ歩き始めた。そこへ鳴神が声をかけた。

 「今夜はさほど寒くはあるまい。」

 「私は冷え症なのよ。」

 そう答えて、樹魔は屋上から消えた。

 鳴神も腕をあげるジェスチャーを残して屋上から消えた。

        8

 クラブハウス内に潜入した霧子と麻里江は用心を重ねながらマリアを探していた。

 麻里江の隠形の法により目立ったトラブルもなく、二人は建物の奥へ進めた。

 「霧子さん、ここで二手に分かれましょう。」

 麻里江の唐突な提案に、霧子は驚いて足を止め、後ろを振り返った。

 「どういうこと?」

 「私と霧子さんでは目的が違います。ここは二手に分かれた方がいいでしょう。」

 厳しい顔つきで話す麻里江を見て、霧子は仕方がないという表情をした。

 「そうね。私の目的は奈美。あなたはマリオネット計画の阻止だよね。いいわ。ここで分かれましょう。」

 「すみません。わがままを言って。」

 麻里江は素直に頭を下げた。

 「わがままなんて思ってないわ。そうそう、これをあげる。」

 そう言ってポケットから取り出したのは、小さなボタンのようなものであった。それを受け取った麻里江は、不思議そうな顔をしてそれを見た。

 「これ、何ですか?」

 「いわゆる発信機というものよ。」

 「へえ、これが。」

 霧子から受け取った発信機を、麻里江は興味深そうに見つめた。

 「それがあれば、あなたがどこにいるかは一発でわかるわ。」

 「ありがとうございます。」

 麻里江は礼を言って、発信機をポケットにしまった。

 「くれぐれも気をつけてね。」

 「霧子さんも。」

 二人は固い握手を交わすと、霧子は辺りを伺いながらまた歩き始めた。

 「霧子さん、隠形の法で相手から認識されないとは言っても、カメラに映りますから気をつけてくださいね。」

 それを聞いて、霧子はびっくりしたように振り返った。

 「わかった。気をつけるわ。」

 そう言い残して、霧子は建物の奥へ向かった。

 麻里江も厳しい顔つきで、辺りを伺いながら別な方向へ歩き始めた。


 左京に導かれるまま、奈美はクラブハウスを出口へと向かっていた。

 途中、教団の信者に出会ったが、左京の顔を見ると、皆一様に恐縮し、立ち止まって頭を下げた。左京はその前を堂々とした態度で通り過ぎる。奈美もすました顔をして、後に続いた。

 「この廊下の先に裏口がある。そこから外に出られる。」

 奈美の方に振り返りながらそう説明すると、奈美も軽く頷いて、先を急ぐように促した。

 しばらく歩き、裏口が見えた時、二人の前に突如、夜叉丸が現れた。

 「左京様。」

 「夜叉丸、そこをどきなさい。」

 左京の命令に夜叉丸は苦しそうな顔をして、首を横に振った。

 「私の命令が聞けないの。どきなさい。」

 「左京様、いまならまだ間に合います。お戻りください。」

 仁王立ちに裏口のドアの前に立ちはだかる夜叉丸に、左京は苛ついた顔を見せた。

 「そこをどかないと、ただではおきませんよ。」

 「左京様…」

 夜叉丸は、左京の冷たい言葉に、悲しい目をした。しかし、それでも夜叉丸はその場を動こうとはしなかった。

 「左京さん、ありがとう。あとは私、ひとりで大丈夫です。」

 後ろにいた奈美が、左京の前に出た。

 すでに髪が銀色に変色している。

 「おまえが左京様をそそのかしたのか?」

 夜叉丸の目が憎しみに満ちてきた。

 「そう思いたければ思っていい。ともかく、ここを通させてもらうわよ。」

 「できると思うのか?」

 夜叉丸が背中から短槍を取り出した。

 その穂先がまっすぐ奈美の胸を狙う。

 「そんなもので私が怯むとでも思っているの?」

 「どうかな。」

 前触れもなく、槍がすっと伸びた。

 奈美の胸が貫かれるかと思った瞬間、奈美の体がわずかに横にズレた。

 「よく躱したが、いつまで躱せるかな。」

 短槍が連続して繰り出される。

 それを最小の動きで、奈美は悉く躱した。

 さすがにそれには夜叉丸も驚いた。

 「やはり、おまえもアーマノイドか?」

 「そう、それで、もうやめる。」

 奈美の唇に笑みが浮かんだ。

 それを見て、夜叉丸が再度、短槍を構えた。

 「まさか。なおさらやる気になった。」

 そう言うと同時に、夜叉丸の姿が消えた。

 短槍と夜叉丸が同時に目の前に現れた。

 穂先が鋭く伸びる。

 しかし、その場に奈美はすでにおらず、その体は天井付近に飛び上がっていた。

 夜叉丸の頭上を飛び越えた奈美に向かって、短槍の穂先が追いかけていく。

 その穂先を奈美の右手が握った。

 金属音とともに槍先が粉々に崩れ落ちる。

 「なに!?」

 驚く夜叉丸に向けて、奈美は粉となった短槍を投げつけた。

 それを避けるために顔をそむけた夜叉丸の隙をついて、奈美は裏口から外へ駆け出していった。

 「逃すか!」

 夜叉丸もその後を追う。

 ひとり残った左京は、事の成り行きに微かな笑みを浮かべた。

 

 外は一面の闇だった。

 奈美を追って外に出た夜叉丸は、闇の中を奈美の行方を探った。

 一メートル先も見えないような闇の中、夜叉丸の目はその闇を見通して奈美を捕えた。

 五メートル先を走っている。

 「そこか!」

 夜叉丸も地面を蹴った。

 暗闇の中、二人の人間がコースの中を駆けてゆく。

 走りながら夜叉丸は懐から棒手裏剣を取り出した。

 それを奈美に向かって次々と投げつける。

 先を走る奈美の肌に殺気が、そして耳に風切り音が届いた。

 と同時にその身を地面に伏せる。

 その頭上を何かが走り抜け、目の前の地面に突き刺さった。

 「逃げても無駄だ。」

 暗闇の向こうから夜叉丸の声が届く。

 奈美も闇を見通して、後方に立つ夜叉丸を捕えた。

 「どうしても私を捕まえたいようね。」

 「いや、ここでお前を始末する。」

 夜叉丸の冷酷な言葉に、奈美は背筋が凍る思いをした。

 「私もやすやすと始末されないわ。」

 「どうかな。」

 闇の中を一陣の黒い風が走った。

 奈美の顎を狙って、夜叉丸の掌底が繰り出される。

 奈美は身体をのけぞらせて、それを躱し、そのままバク転しながら逆に夜叉丸の顎に蹴りをいれた。

 寸前で身を引いて躱した夜叉丸は、滑るように前進して、連続してパンチを繰り出した。

 奈美もそれを後退しながらさばいていく。

 夜叉丸が思いっきり踏み込んだ。

 奈美と鼻先の距離に縮まる。

 夜叉丸の掌底が奈美の腹部に触れた。途端に奈美の腹部を衝撃が貫く。

 「ぐっ!」

 その衝撃に奈美の体がくの字に折れ曲がり、後方に吹き飛んだ。

 フェアウェイの芝生に上に倒れた奈美は、しばらく呼吸ができなかった。

 「さすがにアーマノイドだな。普通の人間なら内蔵破裂で死んでいる。」

 夜叉丸が倒れている奈美に近づいた。

 奈美はせき込みながら苦しそうな姿を見せた。

 「これで最後だ。」

 いつのまにか手にした手槍を、大きく振りかぶった。

 その隙をついて、奈美は髪の毛を引き抜き、一本の針にすると、それを夜叉丸の足に突き刺した。

 「うっ」

 夜叉丸の動きが一瞬止まった。

 その間に奈美の足が、オーバーヘッドぎみに、夜叉丸の腹部に蹴りこまれた。

 「うぐッ!」

 思わず尻餅をついた夜叉丸を置いて、奈美は立ち上がると、また駆け出した。

 「逃がすか!」

 夜叉丸の手から手槍が放たれた。

 一直線に飛ぶ手槍は、奈美の肩を斬り裂いた。

 「キャッ!」

 激痛に、また奈美は芝生に倒れた。

 「てこずらせおって。」

 起き上がった夜叉丸は、倒れている奈美にゆっくりと歩み寄った。しかし、今度は隙を見せず、一定の距離を開けた。

 「とどめだ。」

 懐から棒手裏剣を取り出すと、それを奈美に向かって投げようと構えた。

 そのとき、クラブハウスの方から銃声が轟いた。

 夜叉丸と奈美が同時にその方向に目を向けた。


 個室から出たマリアは、建物を出口の方へ向かった。

 廊下の角を曲がろうとしたとき、マリアの肌に人の気配が触れた。

 マリアは廊下の壁にピタリと体を押し付け、近づいてくる人間を待った。

 近づいてくる者は警備員であった。

 辺りを鋭い眼差しで見回しながら歩いてくる。

 1メートルほど近づいてきたとき、マリアが廊下の角から不意に警備員の前に立った。

 いきなり現れたマリアに、警備員の体が一瞬硬直した。しかし、すぐに不審者に対する決まりきった対応を見せた。

 「だれだ、おまえは!」

 そう叫びながら、警備員は腰からH&KP7を引き抜いた。

 銃口がまっすぐマリアの額に狙いをつける。

 「おとなしく、壁に両手をつけ。」

 そう命令されても、マリアは動こうとしなかった。

 「聞こえないのか!?壁に両手をつけ!」

 少し上ずった声で叫ぶ警備員に、マリアは微笑みかけた。

 その様子に戸惑った警備員の目に、マリアの目が虹色に輝くのが映った。

 「そんな物騒なものは下ろして、ゆっくりお眠りなさい。」

 マリアの甘い言葉に従うように、警備員はダランと両手を下げ、膝から崩れ落ちるように床に倒れた。

 マリアが近づくのもお構いなく、警備員は軽い寝息をたてて、床で眠り込んでいた。マリアは、その警備員の手からH&KP7を取り上げると、スライドを引きながら前に進んだ。

 『マリア』

 唐突にカティナのテレパシーがマリアに届いた。

 『カティナなの?いま、どこにいるの?』

 『玄関の前。』

 『玄関?』

 マリアにはその方向がわからなかった。

 『いまからコマンド部隊が突入する。それに乗じて玄関に向かって。』

 『向かってって、玄関はどっちなの?』

 『私の精神波を追って。その先にいる。』

 『わかった。』

 そう答えると、マリアは目をつぶり、精神を集中した。

 カティナの目を通して、クラブハウスの玄関が見える。

 「こっちね。」

 マリアは急いで玄関の方へ向かった。


 霧子はそのマリアを探して、クラブハウスの奥へと向かっていた。

 「意外と広いのね。」

 隠形の法で姿が認識されないといっても、霧子は用心深く廊下を進んだ。そのとき、騒ぎながら走ってくる人間に気づいて、手近の部屋へ飛び込んだ。

 「女が逃げたのか!?」

 「そうらしい。見張りが倒れていた。」

 「ハウス内をくまなく探せ。」

 あわただしい足音が遠退いていくのを確認した霧子は、ウェストポーチから携帯を取り出した。

 「どうやら、マリアが逃げたようね。」

 携帯を捜査すると、画面に赤い点が二つ現れた。

 ひとつは麻里江、もう一つがマリアのようだ。

 「建物の外へ向かっている。こっちか。」

 霧子が部屋から外へ出ようとしたとき、鋭い殺気が霧子の後頭部を貫いた。

 急いで振り返るが、誰もいない。

 霧子が傍らのスイッチを押し、部屋の電気をつける。

 小さな会議室のようなその部屋には、丸いテーブルとイスのほかには、なにもなかった。

 ただ、テーブルの上に百合の花が花瓶に生けてあるのが、妙な感じを見せていた。

 「気のせい?」

 神経質になっているのかと思いながら、霧子は再度ドアに手を掛けた。

 その刹那、後ろから殺気とともに何かが飛んで来た。

 間一髪でそれを躱すと、すぐに後ろを振り返った。

 しかし、誰もいない。

 横を見ると、何かがドアに突き刺さっていた。

 「これは…?」

 それは百合の花であった。

 だが、テーブルの上の百合の花はちゃんとそこにあった。

 霧子はその百合の花をじっと見つめた。

 「気がついちゃった?」

 突然、百合の花がしゃべった。

 霧子の顔に驚きの色が広がる。

 「不意をついて、さっさと殺そうと思ったのに、うまくいかないわね。」

 百合の花がなおもしゃべる。

 「牙堂の仲間?」

 「そうね。牙堂とは知り合いね。」

 「牙堂の敵討ちってところ?」

 それを聞いて、百合の花が声をたてて笑った。

 「あいつがだれに殺されようが、私の知ったことではないわ。ただ、計画の邪魔をするものを消すように頼まれたからね。だからよ。」

 「律儀ね。」

 霧子の唇に嘲笑が浮かんだ。

 「意外とそうかもね。」

 百合の花は霧子の皮肉を軽くかわした。

 「ともかく、あなた、ここで死んで。」

 恐ろしいことを平然と言う百合の花に、霧子の目が吊り上がった。

 「やすやすと殺されると思って。」

 そう言いながら霧子の右手はドアノブに掛かっていた。

 「思うわ。」

 その言葉とともあっという間に百合の花が増殖し、花瓶が耐え切れず、粉々に割れた。

 「!」

 増殖した百合の花が霧子に向かって、次々と飛んで来た。

 霧子の目が金色に輝く。

 精神壁(サイコバリヤー)が目の前に出現する。 

 百合の茎がその壁に次々と突き刺さっていった。

 「さよなら。」

 そう言い残して、霧子はドアから表に出た。

 「逃がすか!」

 百合の花が床に落ちた。

 

 廊下に出た霧子は、左右を見渡し、人気のない方へ駆け出した。しばらくすると廊下の両脇に薔薇を生けてある花瓶が見えた。

 不吉な予感が頭をよぎる。

 足に急ブレーキがかかった。

 同時に、薔薇の茎が急速に伸び、棘のついた鞭のように霧子に迫ってきた。

 すぐに身をかがめた霧子の頭の上を、薔薇の茎が風を切って通り過ぎる。

 もう一方の薔薇の茎も霧子に向かって急速に伸びてきた。

 床を蹴って、後方に飛んだ霧子の足元を、薔薇の茎が叩いた。

 「Really(嘘でしょう)!?」

 霧子の驚きを他所に、薔薇の鞭は次々と霧子に襲い掛かった。

 「くそ!」

 再び霧子の目が金色に輝いた。

 襲ってくる薔薇の鞭が、霧子の目の前で弾き返される。

 その隙に腰からポケット拳銃(コルトディフェンダー)を引き抜くと、花瓶に向かって引き金を引いた。

 9ミリパラベラム弾が見事に花瓶に命中し、花瓶は粉々に砕けた。

 水とともに床に落ちた薔薇は元の姿に戻り、そのまま動かなくなった。

 「いつまで隠れているつもり?」

 砕けた花瓶の散らばる廊下の向こう側に向かって、霧子は大声で叫んだ。

 「そんな大きな声を出したら、警備員に聞こえるんじゃない?」

 廊下に霧がかかり始め、その向こうから声が届いた。

 女の声だ。

 「銃声でもう気づかれているでしょ。」

 嘲笑ぎみに言う霧子に誘われるように、霧の中から人影が現れた。

 細面の美女だ。

 「それもそうね。」

 女の口元に悪魔のような笑みが浮かんだ。

 その笑みに霧子の背中に悪寒が走った。

 「名前を聞いても答えてくれないわよね。」

 霧子は少しずつ後ずさりした。霧が周りを囲み始めたからだ。

 「名前くらい名乗るわよ。私の名は樹魔。」

 「ジュマ?」

 「あなた、霧子というんでしょ。牙堂がご執心だった。」

 樹魔は霧子の後ずさりと同じスピードで、霧子に近づいてきた。

 「それ以上近づくと撃つわよ。」

 霧子がディフェンダーを構えた。

 「おお、こわいこと。」

 樹魔は余裕の笑みを見せている。

 「あなたの相手をしている暇はないの。」

 「あなたがなくても私にはあるの。」

 その言葉とともに樹魔の袖から一本の蔓が伸びた。

 あっというまにディフェンダーに絡まり、霧子の手からディフェンダーをもぎ取った。

 「くっ」

 もぎ取ったディフェンダーが樹魔の手に納まり、その銃口を霧子に向けた。

 「形勢逆転というところかしら。」

 霧子が素直に両手を上げた。

 「ふふ、下手な抵抗しないところはほめてあげるわ。楽にあの世に送ってあげる。」

 「それ、安全装置かかったままよ。」

 「え?」

 霧子の不意の言葉に、樹魔の注意が霧子から拳銃に移った。

 その機を逃さず、右手に隠していたコインを樹魔に向かって投げた。

 コインが拳銃を弾く。

 不意を突かれ、動きの止まった樹魔を尻目に、霧子は相手に背を向けてその場を逃げ出した。

 「逃がすか!」

 樹魔もその後を追った。

 そのとき、玄関ホールの方から銃声が轟いた。


 同じ頃、麻里江もクラブハウスの地下へと進んでいた。

 どこへ行ったのか、ハウス内は人気がなく、途中、えにしの会の人間と出会うことがなかった。

 「おかしいわね。どこへ行ったのかしら。」

 そのとき、妙な音が麻里江の耳に届いた。

 木と木をこすり合わせたような耳障りな音だ。

 麻里江の全身に警戒心が巡り、腰のウェストポーチからカードを取り出した。

 廊下の真ん中で、カードを斜めにかまえたまま立ち止まっていた麻里江の目の前に、奇妙な人物が現れた。

 箱車に乗り、白髪交じりの長髪を肩まで垂らし、鼠色の着物を着た老人であった。

 「だれ?」

 睨みつける麻里江の視線に、老人は顔を上げて麻里江の方に向いた。

 「ようやっと会えたの。」

 老人は薄気味悪い笑みを浮かべた。

 ずっと目を閉じたままなのは、目が見えぬためかと麻里江は思った。

 「あなたも鬼龍一族?」

 「ま、似たようなもんじゃ。鷹堂麻里江。」

 自分の名前を呼ばれて、麻里江は一瞬驚いた。

 「なぜ、私の名を…?」

 「昔から知っておるよ。」

 麻里江の中に言い知れぬ不安が過った。

 「あなた、何者?」

 「儂の名は無明。」

 「無明?」

 「どうじゃ、鷹堂の娘。わしらの元にこぬか?」

 唐突な提案に、麻里江はその意を図りかねた。

 「どういう意味?」

 「言葉通りじゃ。わしらの新しき世界でともに生きぬかと言っておる。」

 「仲間になれってこと?」

 「そういうことじゃ。」

 無明の皺だらけの顔に、怪しい笑みが浮かんだ。その笑みに不信感を抱きながら、麻里江は無明を睨み返した。

 「あなたがたがやろうとしていることを、黙って見過ごすわけにはいかない。ましてや、仲間になるだなんて論外よ。」

 「そうか、ならぬか。」

 無明はがっかりしたような表情を見せた。

 「面 史郎はどこにいるの?」

 カードを構えたまま麻里江は、無明に迫った。しかし、無明は含み笑いを浮かべるだけで、答えなかった。

 そのとき、遠くで銃声が響いた。

 「なに、あれは?」

 麻里江は銃声のした方角に顔を向けた。

 「お仲間がやってきたようじゃの。」

 「仲間?」

 更に薄ら笑いを浮かべる無明に、麻里江は戸惑いの表情を浮かべながら振り返り、無明を凝視した。

          9

 その少し前、クラブハウスの玄関前には、特殊部隊の面々が集まっていた。その中にはミヒャエルとカティナの軍服姿もあった。

 すでに、何人かがクラブハウスの屋上に侵入しており、突入の時を待っていた。

 リーダーらしき男がミヒャエルの肩を叩いた。

 振り向いたミヒャエルに向かって、腕時計を指した。

 ミヒャエルが軽く頷く。

 リーダーが腕を振った。

 それを合図に後方から発射音が響き、煙を吐きながら催涙弾が建物に打ち込まれた。

 途端に建物の中に煙が充満する。

 屋上にいた隊員が、屋上のドアを打ち破って中に突入した。

 玄関前の隊員たちも自動小銃(M4カービン)を構えたまま、建物に突入した。

 突然の襲撃に、建物の中にいた者はパニック状態になった。

 そこへ武装した兵士が銃を構えて侵入してくる。

 警備員は咄嗟に腰の拳銃を抜いた。しかし、引き金を引く前に、兵士の自動小銃であっという間に倒された。

 「前に進め。」

 エントランスホールから奥へと進む。

 屋上から侵入した兵士も、出会う者の抵抗を排除しながら、三階のフロアを占拠していった。

 数分で占拠を完了すると、次のフロアへと進んだ。

 そのとき、先頭の兵士がなにかに気づいた。

 小銃を構える先に男が立っている。

 「好き放題やってくれるじゃあねえか。」

 立っていた男 鳴神が口元に笑みを浮かべながら兵士たちに近づいてきた。

 無防備に近づいてくる鳴神に、兵士たちは一瞬とまどった。しかし、すぐに気を取りなおし、銃口を一斉に鳴神に向けた。

 それでも鳴神は悠々と近づいてくる。

 「Frieze(うごくな)!」

 先頭の兵士が怒鳴った。

 しかし、鳴神は止まらない。

 それを見て、先頭の兵士が天井に向かってM4カービンを撃った。

 その音でようやく鳴神の足が止まった。

 「両手をあげろ。」

 天井を撃った兵士が日本語で命令した。

 鳴神は素直に従い、両手を上げた。

 その様子に兵士たちが鳴神を囲んだ。

 「両手を壁につけ。」

 また命令したが、鳴神は従わない。

 一人が鳴神の肩に手を掛けた。

 「妖法 鳴神渡し」

 途端に鳴神の全身から電撃が発せられた。

 瞬時に周りにいた兵士が吹き飛び、黒焦げになった。

 その光景に後方に控えていた兵士二人が、M4カービンを構え、引き金を引いた。

 鋭い銃音とともに鳴神はハチの巣になるかと思われた。

 しかし、銃弾は鳴神の前で電撃によりすべて弾け飛んだ。

 「!」

 「妖法 雷玉(いかずちだま)

 鳴神の手から輝く球体が出現し、そのまま兵士に向かって投げつけた。

 逃げ出す間もなく、まっすぐ飛んで来た雷玉が、兵士の体を包み込んだ。

 隣の兵士の目に映ったのは、足だけ残した兵士の姿だった。

 「わああぁぁぁ─ !」

 隣にいた兵士は恐怖に駆られて、逃げ出した。

 「逃がさねえよ。」

 再び鳴神の手から雷玉が飛んでいった。

 それは逃げる兵士の体を突き抜けて、そのまま消えていった。

 兵士は身体に大きな穴を開けて、床に倒れた。

 「たわいもない。」

 鳴神は倒れている兵士たちを見渡し、そのまま階下へ降りる階段に向かった。


 銃声は史郎の耳にも届いていた。

 地下室にいた史郎は、その音を聞いて反射的に上の階にいるはずの奈美に思いをはせた。

 地下室から瞬間的に奈美のいるはずの部屋に移動した史郎は、部屋の中に奈美がいないことに驚いた。

 ちょうど部屋の前を走ってゆく信者を捕まえると、表の様子を聞いた。

 「正体不明の集団がいきなり突入してきたようです。」

 「正体不明?」

 史郎の額に皺が寄った。

 「いま、玄関前は戦闘状態です。」

 その信者は現場に向かおうとしたが、史郎が腕を掴んで離さなかった。

 「この部屋にいた女はどうした?」

 「え?」

 「この部屋にいた女はどうしたと聞いているんだ!」

 その迫力に信者の男は、恐れおののいた。

 「い、いえ、私は知りません。」

 恐怖に震えている男を見て、史郎は男の腕を離した。男は一刻も早くその場から離れようと、おぼつか無い足取りで廊下の向こうに去っていった。

 史郎はなにかを思ったのか、廊下を別の方へ駆け出した。その行き先は、警備室だった。

 ドアを開けると、誰もいない。

 たぶん、玄関の騒動に駆り出されたのだろう。

 目の前にあるいくつかのモニターに目を向けると、操作盤のスイッチをいくつか押して、モニターの画像を巻き戻した。

 奈美の部屋の前の監視カメラが映した画像を、食い入るように見ていると、部屋から左京と奈美が出ていくのが映し出された。

 「左京…?」

 さらにスイッチを押していき、次々とモニターに奈美と左京の画像を映し出していった。

 「裏口か…」

 それを確認すると、目を瞑り、裏口の先をイメージすると、史郎の体が空間に溶け込むように消えた。

 

 その裏口の先では、銃声に驚いた夜叉丸と奈美が、ほんのわずかの間、同じ方向に気を取られていた。

 いち早く我に返ったのは、奈美だった。

 奈美は急いで起き上がると、暗闇の向こうへ駆け出した。

 それに気づいた夜叉丸は、後を追おうとしたが、左京のことが気に掛かり、追うのを断念して、左京の元へ駆けていった。

 走る奈美は、夜叉丸が追いかけてこないのに気づくと、一旦、走るのやめて、ひと呼吸おいた。そして、周りを見回して、逃げる先を見つけようとした。

 そのとき、奈美の背後に人の気配を感じた。

 「夜叉丸か!?」

 急いで振り返った時、暗闇の中に立つ人影を見た。

 それは、奈美がよく知る人物だった。

 「史郎…」

 「どこへいくつもりだ。奈美。」

 史郎は怒るどころか、悲しい目をして奈美を見た。

 「わからない。でも、あなたのそばにはいられない。」

 奈美も悲しい目をして答えた。

 二人の間に沈黙が流れた。しかし、殺気は微塵もない。

 奈美の髪も元の漆黒に戻っていた。

 史郎が無造作に奈美に近づいてきた。

 奈美は逃げようとせず、黙ったまま立っていた。

 灯りもない、真の闇の中、史郎は奈美のそばに迷うことなく近寄った。

 奈美も暗闇が見通せるのか、じっと史郎を見つめていた。

 不意に史郎の手元が明るくなった。

 前に見た、電球のようなものが史郎の手の上に浮かんでいた。その灯りが奈美の顔を照らしていた。

 憎しみも、怒りもないその顔に、史郎はそっと手を置いた。

 「奈美、お前の行く場所はどこにもない。私のそばだけなのだよ。」

 諭すように言う史郎の言葉に、奈美は涙を浮かべた。

 「そうかもしれない。そうだとしても、あなたのやろうとしていることに、私は同調できない。」

 奈美は涙をぬぐいながら、史郎のそばから離れようとした。

 その手を史郎が握る。

 「はなして!」

 しかし、史郎はその手を引っ張り、奈美を抱きしめた。

 「もうおまえをどこにもやらない。」

 「史郎…」

 奈美は史郎から逃げ出そうともがいたが、徐々にその反抗は止んでいった。

 「奈美、いっしょについてこい。」

 その言葉と同時に二人の体は空間に吸い込まれるように消えた。


 夜叉丸は、裏口の前に佇んでいた左京の元に駆け寄った。

 「左京様、なにやら異変が起きたようです。」

 夜叉丸は銃声のした方に目をやった。

 「夜叉丸、奈美はどうしました?」

 「左京様が気がかりなので、こちらを優先しました。」

 その答えに左京は目を見張った。

 「奈美を殺さなかったのですか?」

 その言葉に今度は夜叉丸が目を見張った。

 「左京様があの女を逃がそうとしたのではないのですか?」

 「そうだとしても、ここから逃げようとした者を、そのままにするとは、あなたらしくない。」

 夜叉丸には左京の意図するところが理解できた。

 左京にとって奈美は邪魔者。それをここから脱出させ、あわよくば夜叉丸に始末させようとしたのだ。

 そのとき、左京の目に遠くに浮かぶ小さな灯りが映った。

 「あれは…」

 夜叉丸も左京の視線を追って、その方向を見た。

 確かに暗闇の中に小さな灯りが浮かんでいる。やがて、その灯りが消えた。

 左京の中に言い知れぬ不安が広がった。

 それを確かめようと左京は踵を返し、建物の中に入った。夜叉丸もその後に続いた。


 マリアはカティナの精神波をたどって、エントランスホールに向かった。

 エントランスホールの方向からは、銃声が響いてくる。それとともに催涙ガスの煙も流れてきた。

 マリアは思わず口を押さえ、床に伏せた。

 「やりすぎじゃあない?」

 前から人影が現れた。

 特殊部隊の攻撃から逃れてきた信者らしい。

 催涙ガスで苦しみながら、マリアのそばを駆け抜けていった。

 その後から軍服にガスマスク姿の兵士が現れた。

 マリアに気づくと、銃口を向けた。

 「動くな。」

 そう怒鳴る兵士に向かって、マリアはニヤリと笑った。

 「カティナはいる?」

 カティナの名前に兵士は、戸惑いの様子を見せた。

 「マリア!」

 兵士の後ろから別のガスマスク姿の兵士が現れた。

 マリアのそばに駆け寄ると、ガスマスクを外す。

 中から現れたのは、化粧気のないカティナの顔だった。

 「カティナ、ご苦労様。」

 「マリア、大丈夫?けがはない?」

 「大丈夫よ。」

 カティナに手を引かれて、マリアは立ち上がった。

 「ミヒャエルは?」

 「別のフロアにいったわ。」

 「そう。」

 「マリア、一旦、外へ出よう。」

 カティナが心配そうな顔をして、マリアを外へ連れていこうとその手を取った。しかし、マリアはその手を押しのけ、建物の奥へ目をやった。

 「いいえ、このまま奥へ進む。」

 「マリア。」

 カティナの心配を他所に、マリアはそばにいる兵士の耳元に近寄った。

 「部下は何人いるの?」

 「五人です。」

 即座に答える兵士に、カティナは頷いた。

 「全員、私についてきて。」

 マリアが先頭に立って進もうとした。

 「私もいっしょにいくわ。」

 カティナは意を決した顔をして、マリアのそばに寄った。

 「ミヒャエルはいいの?」

 「向こうは向こうでやるでしょ。」

 そう言った途端、ミヒャエルがいるであろう方向から銃声が轟いた。

 「ほら、やっているでしょ。」

 カティナが笑顔を見せると、マリアも笑って返した。

 二人は兵士たちを引き連れ、奥へと向かった。

 

 そのミヒャエルは、二階へと向かおうとしていた。

 すでに先に二階に上った兵士たちは、今頃、屋上から突入した連中と合流しているはずであった。

 そう思っていた時、階上から銃声がした。

 「もう始めたのか?」

 ミヒャエルは合流すべく、急いで階段を上った。

 二階に上がった時、足元に兵士だった者の黒焦げ死体が転がっていた。

 「!」

 すぐにフロアを見回したとき、悲鳴とともに兵士が黒焦げになりながら、吹っ飛んできた。

 見ると、先に上がっていた兵士たち全員が黒焦げ死体と化していた。

 「どういうことだ。」

 ミヒャエルの後ろからついてきた兵士が、M4カービンを構えたまま、前にでた。その兵士の目に映った男がいた。

 階段の手すりに寄りかかっている男 鳴神がニヤニヤ笑いながら兵士たちを見ていた。

 「まだ、いたのか?」

 「だれだ、おまえは?」

 ミヒャエルの日本語に鳴神はちょっと驚いた顔をした。

 「ほお、日本語がしゃべれるのか。これはいい。」

 また、鳴神の口元に嘲笑が浮かんだ。

 「これはお前の仕業か?」

 足元の死体をチラッと見た後、ミヒャエルは再度、鳴神に目を向けた。前の兵士は銃を構えたままだ。

 「そういうこと。」

 自分に突きつけられた銃口が見えないかのように、鳴神は落ち着きはらった様子で、三人に笑顔を向けていた。それがミヒャエルに警戒心を呼び起こした。

 「どうした?撃たないのか?」

 鳴神の挑発めいた言い草に、ミヒャエルは更に警戒心を募らせた。

 なかなか動こうとしないミヒャエルに、鳴神の方がしびれを切らした。

 「来ないならこちらからいくぞ。」

 三人にさっと緊張が走る。

 しかし、鳴神の動きはあまりに無造作だった。

 それが三人の反応をコンマ数秒遅らせた。

 「妖法 鳴神渡し」

 呪文と同時に、鳴神の足から床を伝って電撃が二人の兵士に絡んだ。一瞬早くミヒャエルは後ろに飛び、階段の下に着地した。

 「ギャア~!」

 絶叫が階段の上で木霊する。

 ゆっくり階段を上がると、目の前に黒焦げになった兵士二人の死体が転がっていた。その先には、鳴神が先ほどと同様にニヤニヤ笑っていた。

 「うまいこと逃げたな。」

 「電気うなぎみたいなやつだな。」

 「なら、お前はうなぎの蒲焼のように、こんがり焼いてやるぜ。」

 嘲笑を見せながら、鳴神が近づいてきた。

 それに向かって、ミヒャエルがベレッタM92を抜いた。

 9ミリパラベラム弾が連続して発射される。

 鳴神の胸板を貫くかと思われた。

 しかし、弾丸は鳴神の手前で火花とともに弾け飛んだ。

 「バリヤーか?」

 「今度はこっちだ。妖法 雷玉!」

 鳴神の両手から光輝く球体が、ミヒャエルに向かって飛んでいった。

 再度、階段の下へ飛び退く。

 そのすぐあと、光球が階段に当たり、閃光とともにその部分が丸く焼け焦げた。

 階下に降り立ったミヒャエルが上を向くと、鳴神が殺気を孕んで立っていた。

 「よくまあ、うまく逃げるな。」

 ミヒャエルを見下ろしながら、鳴神は右手から光球を出現させた。

 「今度は逃がさないぜ。」

 死の宣言ともとれる言葉を発しながら、鳴神は自分の周りに光球を浮かび上がらせた。

 その数、8個。

 鳴神が指を鳴らすと、8個の光球がまるで踊るようにミヒャエルの周りを駆けまわった。

 身構えるミヒャエルに光球が、四方八方から次々と襲い掛かる。

 それをミヒャエルは絶妙な反射神経と身体能力で躱していった。しかし、光球の動きは徐々に早くなり、その包囲も狭まっていった。

 それを鳴神はショーを見るような目で楽しんでいた。

 「見事なものだが、もうそろそろ限界かな?」

 鳴神が指を動かすと、光球がミヒャエルの周りを囲んだ。

 「!」

 同時に八方から光球が一斉に、ミヒャエルに向かって宙を駆けた。

 8個の光球が一つとなって、ミヒャエルを包み込んだように見えた。

 目も眩むような発光とともにその場にあるものが、すべて焼き尽くされた。

 光はすぐに消え、後には大きな円状の焼け跡が残った。

 ミヒャエルの姿は影も形もない。


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