表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

七 終末への遊戯《エンドゲーム》

          1

 麻里江はまた、暗闇の中にいた。

 「ここは…?」

 右を見ても、左を見ても深い闇があるだけだった。

 「美樹── ! 奈美さ──ん! 霧子さ──ん !」

 三人の名前を呼ぶが、闇の中に吸い込まれるだけで、返事は返ってこなかった。

 「どこにいるの?」

 麻里江の身体が次第に退行していく。

 やがて、三歳くらいの姿になった。

 また、遠くに赤い灯りが見え始めた。

 「いや、こないで。」

 全身に恐怖が巡る。

 本能的に麻里江は駆け出していた。

 その後を追ってくる男たち。

 手には赤く燃えた松明を握り、それに照らされた顔は鬼のように見えた。

 「助けて!」

 夢中で逃げるうちに、麻里江の身体が宙に浮いた。

 不思議に思いながら顔をあげたその目の先に、自分を抱えて走る男の顔が映った。

 「だれ…?」

 「お義父(とう)さま?」

 

 「…え!」

 「…りえ!」

 「まりえ!」

 その呼ぶ声に麻里江の目が開いた。

 白い天井と蛍光灯がはじめに眼に映った。

 (ここは…?)

 しかし、意識が朦朧として、答えがでない。

 「まりえ」

 その言葉が自分のことだと認識するのに、数秒かかった。

 麻里江の頭が自分を呼ぶ者を確認するために、少し傾いた。その目線の先に心配そうな顔の女性がいた。

 それが霧子だと認識するのに、また数秒かかった。

 「だいじょうぶ?麻里江。」

 「き・り・こ・さん?」

 「脈拍も心拍数も正常ですね。」

 別の声が反対側から聞こえてきた。

 そちらに顔を向けると、金髪に白衣の女性が自分の腕を取っていた。その後、聴診器を胸に当ててきた。

 「特に悪い音もないから、もう大丈夫ね。」

 笑顔を見せると、その女性はその場から立ち去った。

 「よかった。」

 霧子がホッとしたような表情をした。

 「ここは?」

 「横田の軍病院の中よ。」

 「病院?」

 麻里江の意識がだんだんはっきりしてきた。それに合わせて、記憶ももどってきた。

 「美樹は?奈美さんは?」

 麻里江がいきなり起きだし、霧子は慌てた。

 「まだ、起きちゃだめ。」

 霧子は起き上がろうとする麻里江を抑え、麻里江も体に力が入らず、またベッドに倒れこんだ。それと同時に体のあちこちに痛みが走った。

 「うう…」

 「もうしばらくは、寝てなきゃだめよ。」

 霧子が腕を組みながらベッドの傍らの椅子に座った。よく見ると、霧子も包帯姿であることに気付いた。

 「どうしてここにいるの?たしか…」

 「私が救援を呼んだのよ。」

 「霧子さんが…?」

 麻里江の脳裏に戦いの記憶が蘇ってきた。

 

 そのとき、霧子と麻里江は牙堂と対峙していた。

 牙堂を挟む形になった霧子と麻里江には有利に思えた。しかし、牙堂は不敵な笑いを浮かべている。

 「さあ、どうする?変態ストーカーさん。」

 嘲笑を浮かべる霧子だが、頭からはいやな予感が離れなかった。

 「どうもしないさ。おたくら二人を()るまでだ。」

 両手の爪が剃刀のように鋭く伸びた。

 麻里江はスペードのカードを横に広げた。

 「不動金剛剣。」

 呪文とともにカードは剣に変わった。それを正眼に構える。

 牙堂の顔に驚きの表情が浮かんだが、すぐにアトラクションを楽しむ子供のような喜々とした笑顔になった。

 霧子は背後の吊り橋に目をやる。

 霧子の中で葛藤が生まれた。

 (いま、吊り橋を渡れば逃げられる。)

 霧子の目に吊り橋に掛かったウェストポーチが映った。

 (でも、麻里江は…)

 目の前で戦っている麻里江に目が移り、霧子の顔が悩ましげになった。

 麻里江の剣が牙堂を倒そうと繰り出される。それを牙堂は軽々と弾き返し、逆に麻里江を爪で切り裂こうとした。

 それを躱して後ろに下がると、カードを投げた。

 牙堂の爪がそれを切り裂く。

 「無駄!無駄!」

 喜々とした笑いを唇に乗せながら、牙堂が迫った。

 斜め上から牙堂の爪が走ってくる。

 それを剣で受けた時、牙堂の手が剣を握った。

 「!」

 「死ね!」

 もう一方の爪が横から麻里江の首を狙う。

 その時、麻里江と牙堂の耳に風切り音が響いた。

 その瞬間、牙堂の爪が五本とも根元から折られ、宙に舞った。

 「なに!?」

 「いまだ!」

 牙堂が握っていた剣がカードに戻った。

 そのカードの一枚を掴んだ麻里江が、今度は牙堂の首を狙って腕を横に掃った。

 「!」

 寸前のところで、牙堂が上半身を後ろに反らして麻里江の攻撃を躱すと、そのまま後ろにバク転した。

 起き上がった牙堂の首から血が滲み出ていた。

 思わす、手で押さえた牙堂の目に怒りの炎が灯った。そして、その怒りの目は後ろにいる霧子に向けられた。

 「てめえ…」

 「ここで逃げたら女がすたるわ。」

 霧子がコインを握って身構えている。

 「ぶっ殺してやる。」

 呪いの言葉とともに牙堂の身体が風となって、霧子に向かって駆けた。

 「もうそろそろ、決着の時のようね。」

 霧子が持っていたコインを宙に投げた。それにあわせて霧子の目が金色に輝く。

 途端に、コインが宙で止まった。

 牙堂の額を殺気が貫く。

 霧子の目が大きく見開かれた。

 それが合図か、コインが弾かれるように牙堂に向かって飛んだ。

 「妖法 魔爪林!」

 牙堂を守るように爪が地面から林立する。

 コインはその爪に次々と突き刺さった。

 「芸のないことを。」

 「お互い様でしょ。」

 両者の口元に嘲笑が浮かんだ。

 そのときだった。

 「私を忘れないで!」

 という言葉とともに、牙堂の背後から麻里江が襲い掛かった。

 手にした剣が牙堂の肩口を狙う。それを牙堂の爪が防いだ。

 「やるじゃあねえか。」

 牙堂の人差し指が何かを引き上げるような動きをした。それに釣られるように麻里江の前に大木のような爪が地面から突き上げてきた。

 「くっ」

 それをすれすれで避けるが、さすがに完全に躱しきれず、袖が裂け、皮膚が切れて血が迸った。

 牙堂の指が爪を操るような仕草をした。

 「妖法 地走り。」

 突き出た爪が地面を走り、麻里江に向かってきた。

 「てめえはそいつと遊んでな。」

 残忍な笑いを残して、牙堂は霧子に体を向けた。

 麻里江が迫る爪を身を翻して躱す。しかし、爪は向きを変えて、麻里江に突進してきた。

 「木の精霊に願い奉る。緑の息吹を我が前に示し、その威をもって我を守りたまえ。」

 麻里江がクローバーのカードを地面に投げた。

 突き刺さった途端、カードから蔦が急速に伸び、迫ってくる爪に絡んでいった。

 駆ける爪は、絡んでくる蔦を切り裂いて進むが、さすがにその速度は鈍くなった。それを見計らって、麻里江がカードを投げた。

 カードは爪に円を描くように突き刺さった。

 「五行相克!」

 麻里江の一喝に反応して、カードが紫色に発光した。次の瞬間、爪は突き刺さったカードを中心にして、爆発し、真っ二つに折れた。

 牙堂の爪を排除すると、麻里江は霧子の元へ走った。


 霧子は牙堂の猛攻を躱しながら、後ずさりした。しかし、さしもの霧子も牙堂の連続攻撃に、体中が傷だらけになっていた。

 それを見る牙堂の目がますます残忍になっていく。

 「さて、どこまで逃げるんだ。霧子。」

 吊り橋の端に足がかかった時、霧子の視線が牙堂を越して、後ろに伸びた。

 「りゃ── !」

 空気を切るような気合とともに、再び麻里江が背後から切りかかってきた。

 不意を突かれた牙堂は、今度は後ろを振り返る間もない。

 麻里江の剣が牙堂を真っ二つに斬り裂くかに見えた。しかし、霧子の目に映ったのは、麻里江が上段に剣を構えたまま、凍ったように動きを止めた姿だった。

 「残念だったな。」

 牙堂の唇が軽く吊り上がった。

 それを合図に、麻里江の身体が丸太のように地面に倒れた。

 一瞬、霧子には何が起きたのかわからなかった。

 しかし、冷静に牙堂を見た時、牙堂の右手の爪が、背後にUの字に曲がって伸びており、しかもその爪先に血がこびりついていた。

 「まさか!?」

 「俺の爪は変幻自在なのさ。」

 自慢げに言うと、爪を元のサイズに縮め、それを軽く舐めた。

 「ううう…」

 苦痛で顔を歪める麻里江の背中から、血が滲み出し、瞬く間に服が真っ赤に染まっていった。

 その倒れている麻里江の頭を、牙堂は足で押さえつけた。

 「さあて、どうする?霧子。お嬢さんを残して逃げるか?」

 からかうような表情に、霧子の眉間に皺が寄った。

 しかし、手詰まりは確かであった。

 「くっ」

 早くしないと麻里江が出血多量で死んでしまう。だが、いまの牙堂に隙がない。

 「黙っているところを見ると、観念したか?」

 勝利を確信した牙堂の左目が細くなった。

 その顔を、唇を噛みしめながら見ていた霧子は、ゆっくりと身を沈め、片膝をついた。

 その姿にちょっと驚いた表情をした牙堂は、すぐに勝利に酔ったように破顔した。

 「とうとう降参したか。霧子。いい格好だぜ。」

 身体を揺すって高笑いする牙堂を、上目遣いで見ていた霧子の右手が、静かに右足に触れた。

 牙堂が高笑いで霧子から視線を外した。

 その隙をついて、霧子の右手が靴から銀色のナイフをすばやく引き抜き、それを牙堂の左目にめがけて投げた。

 飛んでくるナイフに、牙堂は本能的に左目の前に手をかざした。

 それが牙堂の視界を遮った。

 霧子のナイフが牙堂の手の甲に突き刺さる。

 同時に、霧子の左足が牙堂の腹部を蹴った。

 「ぐふっ!」

 その衝撃に牙堂の身体が吹き飛んだ。

 麻里江の頭から足が離れた間に、霧子は麻里江を抱えると、吊り橋に向かって駆けた。

 「逃がすか!」

 急いで起き上がる牙堂は、右手を振り、爪を飛ばした。

 風切り音に霧子は麻里江を抱えたまま身を伏せた。

 頭上を爪が飛び越し、吊り橋の向こう側に突き刺さった。

 身を起こした霧子は、後ろの牙堂を牽制しながら、吊り橋を渡り始めた。それを追って牙堂も吊り橋に足を踏み入れた。

 橋の中央まで来た時、橋の向こう側に突き刺さっていた爪が大きく膨れ上がり、橋の出口を塞いだ。

 「八方ふさがりだな。霧子。」

 牙堂が狂気に満ちた顔で立ち止まり、十本の爪を伸ばした。

 その爪を不規則に動かしながら、麻里江を抱える霧子に近づく。

 「もう逃げないのか、霧子?」

 「もちろん逃げるわよ。」

 予想外の笑顔を見せた霧子に、少し怯んだ様子を見せた牙堂だが、すぐに元の残忍な顔に戻った。

 「ふ、強がりはよせ。」

 ハッタリと踏んでいる牙堂を横目に、霧子は麻里江を背中に担いだ。

 「いい?絶対に離しちゃあだめよ。」

 意識朦朧の麻里江に小声で話しかけると、霧子は欄干に手を掛けた。

 「どこへ逃げるつもりだ?霧子。」

 「ここからよ。」

 そう言うと、霧子は欄干を乗り越え、空中に身を投げ出した。

 「なに!」

 牙堂が急いで霧子の飛び降りた場所に取りついた。

 下を見ると、霧子と麻里江がゆっくりと落ちていく。

 「逃がすか!」

 牙堂が爪を飛ばそうとしたとき、霧子がポケットに手を突っ込み、中にある携帯電話のあるボタンを押した。

 途端に、吊り橋に掛かっていたウェストポーチが大音響とともに爆発した。

 爆風と飛んで来た破片が牙堂を襲う。

 「うお!」

 間を置かず、吊り橋を支えていたワイヤーが切れ、吊り橋は崖から外れて、牙堂もろとも、谷底へ落下し始めた。

 上から降る破片を躱しながら、霧子は精神動力(サイコキネシス)で落下速度を抑え、川に落ちる衝撃を弱めようとした。

 「き~り~こ~」

 頭の上から破片とともに、殺意の声が降ってきた。

 顔をあげると、顔も体も血だらけの牙堂が自分たちを追うように落ちてくる。

 「うそでしょ!」

 驚く霧子を見据えたまま、牙堂の右手が霧子を捕まえようと伸びる。

 「し~ね~!」

 牙堂と霧子の距離が1メートルほどになったとき、背中にしがみついていた麻里江が目を開き、牙堂めがけてカードを投げた。

 麻里江のカードが牙堂の額に深々と突き刺さる。

 牙堂の身体が目を見開いたまま固まった。

 重力のまま落ちる牙堂と重力に逆らって落ちる霧子が空中ですれ違う。そのまま牙堂は急流に落ちていった。

 水しぶきがあがる。

 浮き上がった来ない牙堂を見て、霧子の中に安堵感が広がった。すると、霧子の力が急に抜け、落下速度が上がり、急速に川へ落ちていった。

 麻里江を背負ったまま、霧子は水しぶきをあげて、川に突っ込んだ。

 その衝撃に二人の身体が離れる。

 なんとか麻里江を捕まえようと腕を伸ばす霧子。

 しかし、流れが速く、麻里江は気を失ったまま流されていく。

 残った力を振り絞って霧子は急流を泳ぎ、麻里江の腕を掴んだ。

 二人は浮き沈みをしながら下流へと流れていった。


 牙堂との戦いの記憶が蘇ると、麻里江に新たな疑問が湧いてきた。

 「あの急流の中、どうやって助かったの?」

 「とにかく流れのまま下流まで流れて、流れがゆっくりになったところで岸に上がったのよ。」

 「じゃあ、霧子さんがひとりで?」

 「ま、救援は呼んだけどね。」

 霧子は恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。

 麻里江には吊り橋から落ちた後の記憶がない。

 霧子が自分を助けてくれたことが、意外でもあり、うれしくもあった。

 「ともかく、今はゆっくり休んで。詳しい話はあとで。」

 布団を肩まで駆けると、軽くウィンクして霧子は病室を出ていった。

 麻里江にはまだ気になることがあったが、全身の倦怠感が考える力を奪い、やがて静かに眠りについた。


 病室を出た霧子は、病棟内の休憩室に赴き、椅子に身を預けた。

 思わずため息が出る。

 牙堂との戦いで霧子も結構な傷を負った。いまだに体のあちこちが痛む。しかも一連の戦闘、麻里江の救助と疲労感はピークだった。

 「はあぁ~」

 「お疲れのようね。」

 いつの間にか目の前に金髪の美女が立っていた。

 「マリア?」

 マリアはその碧眼に笑みを見せて、霧子の隣に座った。その手には缶コーヒーが握られている。

 「どうぞ。」

 「Thanks(ありがとう)

 マリアから渡されたコーヒーを霧子はすぐに蓋を開け、口をつけた。

 「だいぶ大変だったようね。」

 「まあね。」

 傷が痛むのか、霧子はしかめ面をした。

 それをごまかすようにもう一口飲んだところで、霧子はマリアに顔を向けた。

 「それで、美樹と奈美の行方は?」

 「あれから現場一帯を捜査したわ。」

 「で?」

 「その美樹とおぼしき少女は発見したわ。小動物といっしょに。」

 「無事なの?」

 霧子の問いにマリアは首を横に振って答えた。

 その返答に少なからず衝撃を受けた霧子は、恐る恐る次の質問をした。

 「奈美は…?」

 「お目当ての女性は発見されなかったわ。」

 「発見されなかった?」

 「そう、半径3キロは捜索したけど、発見できなかった。」

 「そう、見つからなかったの。」

 少なくとも奈美の遺体は発見されなかった。マリアの言葉に、霧子の中でかすかな希望が湧いた。

 また、コーヒーを飲むと、殻になった缶をゴミ箱に向かって投げた。缶はまっすぐゴミ箱に飛んだが、軌道を外れ、ゴミ箱の外へ落ちていった。しかし、床に落ちる前に、空中で静止し、ゆっくり浮き上がると、今度はゴミ箱の中に入っていった。

 「能力は大丈夫のようね。」

 それを見ていたマリアはにっこりと笑って、立ち上がった。

 「それであなたが来た理由は?」

 「理由?」

 「まさか、報告だけしに来たわけじゃあないでしょ。」

 下から見上げる霧子の視線を受け止めながら、またマリアが笑った。

 「ボスが呼んでいるわ。」

 「ボスが…?」

          2

 半時間後、霧子は基地司令部内のミーティングルームにいた。

 コの字型に並べられたテーブルの一番下座に霧子は座り、その隣にはマリアが、対面にはミヒャエルが座っていた。

 部屋の窓という窓にはブラインドが下ろされており、部屋全体は薄暗かった。

 テーブルの正面には24インチのモニターが置いてあり、画面には頭の真っ白な紳士が映っていた。

 「ひさしぶりだな。キリコ。」

 画面の紳士は、鋭い目つきで霧子の方を見ながら英語で話しかけてきた。

 「ご無沙汰しております。長官(ボス)。」

 霧子は愛想笑いを口元に浮かべながら返事を返した。

 「ミヒャエル、いままでの状況を報告したまえ。」

 霧子の愛想笑いを無視するように、長官はミヒャエルに聞いてきた。

 「ミッション対象の一条奈美との接触には成功。交渉の結果、条件付きながら一条奈美を本国に同行する約束を取り付けました。しかし、その後の想定外の出来事に一条奈美は行方不明。現在捜索中です。」

 「想定外の出来事?」

 長官は冷たく尋ねた。

 「一条奈美と係わりのある人間の救出に巻き込まれ、拉致した相手との戦いの中、行方不明となりました。」

 ミヒャエルはその白い顔に何の表情も見せず、淡々と報告した。

 「つまり、一条奈美を連れてくることに失敗したということかね。」

 「ま、早い話がそういうことですね。」

 霧子は他人事のように肯定した。その様子に画面の紳士はため息をついた。

 「きみが余計なことに首を突っ込んだ結果と思わないかね。」

 「奈美の信用を得るためには必要な行動だったと思っております。」

 霧子は悪びれず、切り返した。

 「まあ、いい。それで今後、どうするんだ?」

 「もちろん、奈美を探します。」

 「あてはあるのか?」

 「えにしの会を探るつもりです。」

 「えにしの会?」

 「日本の新興宗教団体です。」

 ミヒャエルが代わりに答えた。

 「その宗教団体がどんな係わりを持つ?」

 「たぶん、奈美を拉致したのは面史郎でしょう。」

 「面史郎?」

 紳士の右の眉毛が少し上がった。

 「はい、アーマノイド製造の中心的人物です。その者があの戦いに乗じて拉致したと推察します。」

 「なぜ、そう言い切れる。」

 長官より先にミヒャエルが霧子に問いただした。

 「史郎は奈美にかなりご執心だったから。」

 霧子の目が笑いを含めてミヒャエルを見た。それに対してミヒャエルは鼻で笑って返した。

 「その面史郎がえにしの会とどう関係がある?」

 長官は二人の掛け合いを無視するように霧子に尋ねた。

 「面史郎の配下と思われる者が、えにしの会の理事をしております。」

 「それだけか?」

 ミヒャエルがあきれたような顔をした。

 「それで充分でしょ。」

 霧子はミヒャエルを睨み返した。

 「ともかく、面史郎を探し出せば、その元に奈美がいるはずです。」

 霧子は自信ありげに長官の映る画面を見た。

 長官は腕を組んでしばらく考え込んだ。

 「よかろう。アーマノイドの件は最優先事項だ。キリコの思うとおりにやってみろ。ミヒャエルとマリアはキリコの手助けをしてくれ。」

 「はい。」

 マリアは素直に返事をしたが、ミヒャエルは黙したままだ。

 「あと、長官。」

 「うん?」

 画面を切ろうとした長官を霧子が呼び止めた。

 「面史郎は、この日本で何かをやろうとしています。」

 「なにか?」

 長官は怪訝そうな顔をした。

 「なにかとはなんだ?」

 ミヒャエルが興味深そうに尋ねた。

 「クーデターとか。」

 「へえ…」

 ミヒャエルがまた鼻で笑った。長官は無表情のままだ。

 「面史郎が陸上防衛隊の幹部と接触した形跡があります。」

 「それだけでクーデターとは想像がすぎるんじゃあないか?」

 ミヒャエルは霧子の言うことを頭から信用してない風を見せた。

 「ここのところの爆発事件も気になります。」

 マリアが助け舟をだすように口を開いた。

 その言葉にミヒャエルも考え込んだ。

 「それでどうしてほしいんだ?」

 「いざとなったら海兵隊の出動もお願いしたいのですが。」

 「海兵隊?おいおい、戦争でも起こす気か?」

 ミヒャエルがあきれたような仕草をした。

 「わかった。考えておこう。」

 「ありがとうございます。」

 霧子が礼を言うと、画面はすぐに切れた。顔をあげた時には、真黒な画面のモニターが目の前にあるだけだった。

 「さて、おれたちはどうしたらいい?」

 ミヒャエルが背もたれに身を預け、足を組んで、尊大な格好を見せた。

 「そうね。ミヒャエルには陸上防衛隊のほうから調べてもらおうかしら。」

 「私は?」

 マリアがテーブルに肘をついたまま霧子を見て、尋ねた。

 「マリアにはオフィス・ワンを調べてもらえる。」

 「カティナはどうする?呼ぶ?」

 「彼女はコンサートで忙しいだろうから、いいわ。」

 「ウーの奴はどうする。」

 尊大な格好なままミヒャエルが尋ねた。

 「ビックファイブ全員を呼ぶこともないでしょ。」

 霧子は軽い笑みを浮かべて立ち上がった。そのまま、ドアの前に進んだ。

 「キリコ。その史郎のやらかそうとしてることって、クーデターじゃあないでしょう。」

 マリアが霧子の背中に尋ねかけた。

 「私の心を読んだ?マリア。」

 「まさか。読めるわけないでしょ。ただ、霧子の話し方から当て推量しただけよ。」

 マリアが笑顔を浮かべて座っていると、霧子は急に振り向き、マリアとミヒャエルを交互に見た。

 「史郎は日本を滅亡させようとしているかも。」

 「え?」

 二人は同じように驚いた顔を見せた。それを見て、霧子はまた笑顔を見せた。

 「なんてね。」

 そう言い残して、霧子はミーティングルームを出ていった。


 同じ頃、剣持は霞が関にある合同庁舎の中にいた。

 何十畳もあろうかという無人の会議室の中にひとり座っていると、そのドアが、予告もなく開いた。

 そこに立っていたのは、紺のスーツを着た細身の男であった。

 神経質そうな目で会議室の中を一瞥した後、男は無言のまま室内に入り、剣持の対面に座った。

 短い沈黙が流れた。

 男がおもむろに口を開いた。

 「ひさしぶりだな。剣持。」

 「ああ、お前が連絡をよこすとはめずらしいな。別宮(べつみや)。」

 再会を喜び合っているように思えぬ緊張感が、室内に充満していた。

 「で、なんの用だ?」

 「特捜局(おまえ)のところで掴んでいる情報を提供してほしい。」

 「また、ストレートだな。」

 別宮の申し出に剣持は苦笑いをした。

 「持って回った言い方は苦手でね。」

 別宮は笑いを浮かべることもなく、鋭い目つきで剣持を睨んだ。

 「で、ほしい情報というのは?」

 「陸上防衛隊のクーデターの情報だ。」

 「クーデター情報…?」

 「しらばっくれるな。お前さんのところに持ち込まれているのは知っているんだ。」

 「さすが、警備局というところか。」

 剣持の薄ら笑いに対しても、別宮はなんの反応も示さなかった。

 「これは国家公安委員長にも許可を得ていることだ。」

 「なるほど。で、うちが情報を提供した見返りはなんだ。」

 「見返り?」

 そのとき、別宮の眉毛が上がった。

 「特捜局(うち)警備局(おたく)はいわば犬猿の仲。その相手から一方的に情報を提供してくれといわれても、はい、そうですかと返事はできんな。」

 「ふ、そうか。ま、俺がお前の立場でも同じような返答になるな。」

 別宮の口元に初めて笑みが浮かんだ。

 「で、なにがほしい?」

 「なぜ、クーデターの情報がほしい?防衛隊は統幕調査部の管轄だろう?」

 「とうぜんだな。その疑問は。」

 そう言うと別宮は席を立ち、剣持の隣に歩み寄った。懐に手を入れ、一枚の写真を取り出し、剣持の目の前に置いた。

 「これは?」

 剣持は写真を取り上げながら別宮に聞いた。

 「名古屋の銀行爆破事件で奇跡的に残った監視カメラからの一枚だ。」

 そこに写っていたのは、カウンターの前に立つ一人の男だった。

 「この男が犯人か?」

 「たぶんな。」

 「たぶん?」

 「この数秒後、男は爆発して木っ端微塵だ。」

 「!」

 剣持は息を飲んだ。

 そんな剣持を無視するように、別宮は会議室の大きな窓から外を眺めた。

 「爆発物が見つからないわけだ。犯人自身が爆発物だったんだからな。」

 別宮の冷たいとも言える説明に黙って聞いていた剣持は、写真から別宮に視線を移した。

 「まだクーデターとのつながりが見えんな。」

 「話はこれからだ。」

 別宮は振り向くと、剣持の隣に座った。

 「この男が爆発寸前になにかをしゃべった。俺たちはそれを苦労して解読した。」

 饒舌になっている別宮を剣持は黙って見ていた。

 「そして、やっと解読できた。」

 「なんとしゃべっていたんだ?」

 「夜の女王。」

 「夜の女王?」

 剣持と別宮の間にまた短い沈黙が流れた。

 「ずいぶん、抒情的な言葉だな。」

 「そんなことはどうでもいい。ともかく、これが個人の呼び名なのか、特定の組織の呼称なのか、あらゆる方面から調査した。」

 あらゆる方面という言葉に剣持は眉間に皺を寄せた。

 「それで、わかったのか?」

 「いいや。」

 無機質な返答に剣持は肩透かしを喰ったような感覚を覚えた。

 「じゃあ、なぜ、俺から陸防隊の情報を聞こうとする?」

 「あらゆる方面は陸防隊も含まれているんだ。」

 そう言うと、別宮はニヤリと笑った。その笑いに剣持は背中がぞくりとした。

 「陸防隊のある将校の会話に“夜の女王”という言葉が出てきた。」

 「陸防隊の将校から。」

 そのときになって剣持は別宮が自分に接触してきた理由がわかった。

 「警備局(おまえら)はクーデターと夜の女王が関係あると考えているのか?」

 「それはまだわからん。ともかく、特捜局(おたくら)の掴んでいる情報を分析させてくれ。」

 「わかった。そのかわり、そちらの夜の女王に関する情報も提供してくれ。」

 「よかろう。」

 取引はすんなりと結ばれた。しかし、両者にはそれに対する喜びの表情は皆無であった。

 「明日の昼、ここのレストランで会おう。」

 「わかった。俺自身が持ってこよう。」

 それだけ言うと、別宮は席を立ち、握手もせずに会議室を出ていった。

 「夜の女王か。」

 剣持の中に新たな不安が膨れ上がった。

         

 所変わって、オフィス・ワンの入っているビルの最上階。その社長室に左京が訪ねてきた。

 予期せぬ来訪に社長の早瀬は驚いた。

 「これは左京様。どうなさいました?」

 左京はいつものアリエス4のサキとしての衣装ではなく、お嬢様が着るような白のロングドレス姿であった。

 「社長、お話があってきました。」

 「話?立ち話もなんですからお座りください。」

 早瀬の態度は自分の事務所に所属するタレントに対するものではなく、畏怖すべき上の者に対するものであった。

 そんな早瀬を横目に、左京はソファに座った。

 「コーヒーでもお持ちしますか?」

 「いえ、結構です。そのままでいいですから聞いてください。」

 左京にそう言われ、立ち上がりかけた早瀬は座り直した。

 「それでお話とは?」

 早瀬は戦々恐々とした表情をして、左京の言葉を待った。

 「アリエス4の活動をしばらく休止します。」

 「え、休止?またなぜ?」

 「あなたにその理由を話さなければなりませんか?」

 落ち着いた静かな口調だが、早瀬には十分威圧的であった。

 「いえ、それは。ただ、関係各所に休止の理由を話さなければなりませんので。」

 「それはあなたが考えなさい。」

 「は、はい。」

 左京の言葉に早瀬は素直に返答するしかなかった。

 「それからこの部屋をしばらく使います。あなたは席を外してもらえますか。」

 有無を言わせぬ物言いに、早瀬はなにも言えず。左京に従うように席を立った。

 「失礼します。」

 左京の横を通るとき、軽く頭を下げるとできるだけ音をたてないように部屋から出ていった。

 一人になった左京は、ソファから立ち上がると、社長の席に座り直した。

 社長室の片側を占める大きな窓から昼の強い日差しが入ってくる。

 夏も近いと感じながら左京は背もたれに背中を預け、天井を見上げた。そして、ひとつ息を吐くと、ゆっくり顔を下げ、目の前にある電話を取った。

 内線を押し、呼び出し音にしばらく耳を傾けていると、女性の声が受話器から聞こえてきた。

 『はい、総務です。』

 「エマとコウが来ていますね。」

 『は、はい』

 いつもの社長の声とは違う声に、相手の女性は驚いているようだ。

 「すぐに社長室に来るように言ってください。」

 そう言うと、相手の返答も待たず、左京は受話器を置いた。

 また、天井を見上げる。

 そのとき、左京の肌に人の気配が触れた。

 「夜叉丸か?」

 「はい」

 いつのまにか左京の座る椅子の真後ろに、夜叉丸が片膝をついて佇んでいた。

 「お願いしていたことは、わかりましたか?」

 天井を見上げ、目を閉じたまま左京は尋ねた。しかし、夜叉丸からの返答はすぐには返ってこなかった。

 「夜叉丸?わからなかったのですか?」

 「…申し訳ありません。」

 頭を下げたまま夜叉丸は呟くように返答した。

 「素性もわからないのですか?」

 「3年前に特捜局で働いていたようですが、それもわずかの期間です。その後、行方不明になり、最近になって、また特捜局と係わりを持ったようです。」

 「3年前…」

 それに左京の心の琴線が触れた。

 「陰陽師でないことは確かなのか?」

 「それは確かです。」

 左京は天井から目線を机に下ろすと、顎に手を当てて考え込んだ。夜叉丸は黙って後ろに控えている。

 「その者の行方は?」

 「幽斎が牙堂とともに例の女子ども共々葬ろうとしたようですが、その戦いの最中、樹魔が連れ去ったようです。」

 「樹魔が─?」

 「報告はありませんでしたか?」

 「樹魔からはなにも報告を受けておりません。」

 左京の中で疑惑と不審が雲のように湧き上がった。

 そのとき、ドアをノックする音がした。

 「夜叉丸、引き続き調査を。」

 「かしこまりました。」

 その言葉を残して、夜叉丸は音もなく消えた。

 「お入りなさい。」

 左京はまっすぐ前を見るように座り直すと、ドアが開き、コウとエマが部屋に入ってきた。

 「お掛けなさい。」

 手でソファを指し示すと、左京も社長の椅子から立ち上がり、ソファに歩み寄った。

 三人はほぼ同時にソファに座った。

 「サキ、なんの用ですか?」

 エマが真っ先に尋ねた。

 「アリエス4の活動を休止します。」

 左京の申し出に二人は目を見開いた。

 「また、どうして?」

 「もったいないジャン。」

 「マリオネット計画も最終段階に入りました。私たちも次の行動に移る時です。」

 左京は二人を交互に見ながら、厳しい口調で語った。

 「なるほど、本来の私たちに戻るということですね。」

 二人は納得するように頷いた。

 「活動休止の理由はどうするのサ。」

 コウは髪をいじりながら聞いた。

 「それは社長がなんとでも言うでしょう。一人の病状が思わしくなく、復帰が難しいとかなんとか。」

 左京が立ち上がりながら言った言葉に、エマが敏感に反応した。

 「サキ、ナルの(かたき)はとらないのですか?」

 エマの問いかけに左京はチラッとエマの顔を見た後、無視するようにドアのところへ歩いて行った。

 その態度にエマは思わず立ち上がり、

 「サキ、ナルの仇を取らせてください。」

 左京の背中に浴びせるように言い放った。

 ドアの前で立ち止まった左京は、振り向くとエマを厳しい目で見つめた。

 「いまは、そんな時間はありません。マリオネット計画が最優先です。」

 冷たく、威圧的な言葉にエマはなにも言い返せなかった。

 「自分のなすべきことをしなさい。」

 そう言い残して、左京は部屋から出ていった。

 「サキの言う通りジャン。」

 コウは慰めるようにエマの肩に手を置いた。しかし、エマはコウの手を振り払うと、ポツリと呟いた。

 「いまなすべきは、ナルの仇を取ることよ。」

           3

 陸奥は自家用車(アリスト)を走らせて、樹のマンションへと向かっていた。

 朝早くの道は車も少なく、今の陸奥の気持ちのように清々しかった。

 陸奥の人生を掛けた大仕事の準備で忙しく、樹とこのところ会うことができないでいた。ようやく、準備にもめどがつき、前祝を兼ねて樹と差し向いをするべく、車を走らせていた。

 あと、数分もすれば樹と会える。

 陸奥の中で高揚感が湧き上がるのを感じた。

 おれも若いなと思いながら、アクセルを踏み込もうとしたとき、電話が鳴った。

 車内通話をするためにハンドルのボタンを押すと、スピーカーから樹の声が流れてきた。

 「もしもし、樹か?」

 「あ、卓美さん。」

 「もうすぐ着くよ。」

 「待って、今、外に警察らしき人がいるの。」

 「なに!?」

 いままでの浮かれた気分は一瞬で消え、緊張感が陸奥の背骨を通り過ぎた。

 「部屋に来ているのか?」

 「まだ、外だけど今にも押しかけて来そうよ。」

 「そうか。」

 陸奥の頭を様々な対処法のパターンが浮かんだ。

 「とにかく、ここには来ないで。」

 「わかった。樹は大丈夫か?」

 「まさか、女に手出しはしないでしょう。私は大丈夫だから卓美さんはこのまま引き返して。」

 「ああ、そうしよう。ありがとう。助かった。」

 そう言って電話を切ると、陸奥は目の前の信号機でUターンした。

 「事が露見したか?」

 そう思うと陸奥は急いで仲間のところへ電話を掛けた。


 携帯電話をポケットに収めると、樹は自分のマンションの入り口に目を転じた。

 近くに止めてあった黒塗りのバンから次々と男たちが降りてくる。その足は真っすぐ樹のマンションを目指していた。

 男たちの一部は非常階段の方に向かい、残った者は入り口から続々と中に入っていった。

 その光景を眺めていた樹は軽く口の端を釣り上げた。

 「心ゆくまで探しなさい。」

 向かいのコンビニから高見の見物を決めていた樹は、ミネラルウォーターを一本買うと、コンビニから表に出た。

 「さて、行くとするか。」

 そう呟きながら駅の方へ歩いて行った。


 別宮は都心部の高級マンションの一室にいた。

 整然と収められた本棚の本を眺めながら部下からの報告を待っていると、そこへ携帯が鳴った。

 「私だ。」

 急いで携帯を取ると、別宮の耳に届いたのはもう一つのマンションに向かった部下からであった。

 「課長、もぬけの殻です。」

 「女もいないのか?」

 「はい。逃げられたようです。」

 その報告に別宮は唇を噛んだ。

 「手掛かりになるようなものはないのか?」

 「特にこれといったものは。更に捜索します。」

 そう言い残して電話は切れた。

 この一室も何人かの部下があちこちを引っ掻き回していた。

 「何か出たか?」

 別宮が一人に声をかける。

 その声に振り向いた男は、首を横に振った。

 「なにもありませんね。」

 「雲隠れしたということか。」

 別宮は部屋を見回すと、外へ出た。懐から携帯を取り出し、ある番号を押した。

 短い呼び出し音のあと、相手が出た。

 『どうかね?』

 「どうやら事前に察知したようで、もぬけの殻です。」

 さっき部下がした報告と同じことを相手に言う。それに対して相手も同じような問いをした。

 『逃げたということかね?』

 「そういうことですね。」

 『行き先の見当は?』

 「いくつかありますが。」

 『とにかく、早いところ確保したまえ。事が起きてからでは遅い。』

 「わかりました。」

 携帯を切ると、別宮はエレベーターに向かった。

 一階に降りると、外に待たせたあるセドリックに向かった。

 後部座席のドアを開け、中に乗り込むと運転手はすぐにエンジンをかけた。

 「どちらへ?」

 「榛名の自宅へ向かえ。」

 「了解しました。」

 運転手はギアを入れるとアクセルを踏んだ。セドリックはクーデターの首謀者と思われる陸奥のマンションを後にした。


 その陸奥はアリストをショッピングセンターの駐車場に停めていた。

 樹からの連絡で車の行き先を変えた陸奥は、山城と伊勢に警察の捜査が入ったことを伝えた。それから樹のマンションから数キロ離れたショッピングセンターの駐車場に入り、車を停めて仲間からの連絡を待った。

 待つこと数分、陸奥の携帯が鳴った。

 『おれだ。』

 「伊勢か?どんな様子だ。」

 『どうやら捜査に入ったのは警備局の連中らしい。』

 「警備局?公安警察か?」

 『どこからか情報を得たのだろう。俺と山城のところにも入ったようだ。』

 「山城はいま東北の方に行っている。自宅は空だったろう。」

 『俺のところも同じだ。』

 伊勢が警察を嘲っている表情が見えるようだ。

 「事を急ぐぞ。北海道と熊本に連絡を取れ。巣立ちの時だと。」

 『わかった。』

 それだけのやり取りで電話は切れた。

 陸奥は携帯が切れたことを確認して、別の番号を押した。呼び出し音のあと、すぐに相手が出た。

 「私です。巣立ちを始めます。」

 「わかりました。女王のしもべたちにも巣立ってもらいましょう。」

 それだけ言って、電話は切れた。

 陸奥の中で高揚感が徐々に湧き上がってきた。

 

 切った携帯を懐に入れると、榛名は行くべきところに足を向けた。

 長い廊下を歩き、目の前にある大きなドア。

 そこを開けると、片側一面ガラス張りの二十畳はあろうかという空間が広がっていた。

 その中央に美青年が立って、ガラスの向こうを見ていた。

 「面室長、陸奥から連絡がありました。」

 「榛名、室長はよせ。アルフィスエンタープライズはもうないのだ。」

 史郎は無表情な顔を榛名に向けた。

 「失礼しました。つい習慣で。」

 榛名は恐縮そうに頭を下げた。

 「ま、いい。それで陸奥は何と言ってきた?」

 「巣立ちを始めると。」

 榛名も淡々と答えた。

 「そうか。こちらの準備も整った。計画の最終段階を始めるか。」

 「はい。」

 人形のように頭を下げると、榛名は部屋から出ていった。

 史郎は懐から携帯電話を取り出し、あるボタンを押した。

 相手はすぐに出た。

 「左京か。女王のしもべたちをすぐに巣立たせろ。」

 『はい。史郎様。』

 その返事を聞くと、史郎はすぐに電話を切った。そして、視線をもうひとつのドアに向けた。

 「いよいよ始まるぞ。奈美。」

 冷徹な笑みが史郎の顔に広がった。


 切れた携帯を名残惜しそうに見ていた左京は、それをポケットにしまうと運転手にえにしの会の東京本部に向かうように指示した。

 オフィス・ワンから本部までは数分の距離だ。左京は後部座席に身を預けて、目を閉じた。夜叉丸が言っていた女のことが繰り返し思い起こされる。

 (なぜ、こんなに気になるの?)

 左京にとっては別な不安の種であった。

 「教祖様、着きました。」

 運転手の声に左京は目を開けた。

 目の前に、八階建てのビルがそびえている。そのビルの中から人が出てきて、後部座席のドアを開けた。

 ゆっくりと降りる左京の目に、ガラス張りの壁面に映る青空が見えた。

 また、夏が来ると左京は思いながら、ビルの中に入っていった。

 えにしの会の者と共にエントランスを横切ると、左京はその先にあるエレベーターの前で立ち止まった。

 傍らの者がボタンを押す。

 すぐにエレベーターのドアが開き、左京を先頭に次々と乗り込んだ。

 「地下に行きなさい。」

 左京の指示に操作盤の前にいた男が、頷きながら地階へのボタンを押した。

 軽い機械音とともにエレベーターは地下へと降り、ほどなく地階に到着してドアが開いた。

 地階にも数人が左京を待っており、エレベーターの向かい側にある分厚いドアを開けた。

 中はかなり広いホールで、その中に三十人ほど男女が規律正しく並んで立っていた。

 左京が現れると、皆が左京の方に顔を向け、一様に尊敬とも憧れともいえるような目の輝きを見せた。

 そんな眼差しを無視するように、左京はまっすぐ演壇に向かい、脇の階段から壇上に上がった。

 中央に立った左京は、自分に注目する六十個の目をさっと見まわしたあと、おもむろに口を開いた。

 「みなさん、時は来ました。」

 マイクも使っていないのに、左京の声はホールの隅々まで響いた。

 「みなさんは、えにしの会の中でも特別に選ばれた人たちです。」

 左京の一言一言に皆が高揚していくのがわかる。

 「いま、この日本は苦しんでいます。自分のことだけを考えて、母なる大地を傷つけている者がこの日本に蔓延(はびこ)っています。」

 左京の目が異様に輝きだし、六十個の目がそれに惹きつけられていった。

 「そんな大地に仇なす者を排除し、新しい日本を作る必要があるのです。未来の子供たちのために。」

 左京から不思議な気が陽炎のように立ち上り、このホールにいる人間すべてを覆っていった。その耳には左京の声しか聞こえず、その声がそこにいるすべての人間に使命感という興奮を植え付けていった。

 「あなた方が未来のための礎となるのです。」

 その言葉にひとりが反応した。

 興奮のあまり声をあげる。

 「おおぉぉ~!」

 それに釣られるようにあちこちから興奮の叫びが上がった。

 「おぉぉ~~!」

 「おおおお─!」

 ホールの中は高揚の叫びで満杯になった。

 すると、左京が手を挙げて、それを制した。

 声がピタリと止まる。

 「えにしに結ばれた我が同胞たちよ。いまこそ、未来のために動きなさい。行きなさい。」

 左京の指示に合わせて、ホールのドアが開いた。

 ホールにいた三十人は堰を切ったようにホールから飛び出していった。

 ホールには左京と共の二人だけになった。

 先ほどまでの喧騒はうそのようにホールは静寂に包まれた。

 左京は無表情のまま、壇上からおり、ホールを出た。

          4

 九州は熊本の某所。

 夜の二時を過ぎる頃。

 暗闇の中を駆ける小さな生き物があった。

 金色に輝き、尻尾が異様に長いいたちに似た動物。鳴神がイズナと呼んだ生き物だ。それが、ある場所を目指して駆けていく。

 その場所に着いたのか、イズナが立ち止まった。

 目の前に金網製のフェンスがある。その奥からはブーンという低周波の音が響いていた。

 イズナは軽々とそのフェンスを乗り越えると、施設の中に消えていった。

 しばらくして、あちこちで火花が散り、何かが弾ける音が鳴った。やがて、火災が起き、夜空を焦がし始めた。

 それと同じことが熊本の各所で起きた。

 変電所の火災は、それに繫がる都市を停電に導いた。


 「総員集合!」

 夜中の突然の呼集に、隊員たちは日頃の訓練通りに隊列を組んだ。

 「隊長に敬礼!」

 全員が整然と敬礼する。その前に立つのは頬のこけた鋭い目つきの男であった。

 「全員、なおれ。」

 「よく聞け。先ほど市内の変電所で火災が発生した。市からの情報によるとテロの可能性があるという。」

 テロという言葉に、隊員の間に緊張が走った。

 「我が中隊はその真偽を確かめるため、これより出動する。」

 全員の背筋がピッと伸びた。

 「総員、乗車!」

 号令一下、隊員たちは次々とトラックに乗車していった。

 「出動!」

 隊長の乗るランドクルーザーを先頭に、隊員を乗せたトラックが駐屯地を出ていった。

 

 「おい、起きろ!」

 同僚のがなり声で山野はむりやり起こされた。

 「うんん、どうしたんだ?峰?」

 目をこすりながら山野は仮眠ベッドから身体を起こした。

 「事件だ。変電所が火災を起こしたらしい。」

 「変電所が…?」

 「急いで着替えてこい。」

 そう言って仮眠室から出ていこうとして、峰は振り返った。

 「それからあちこちが停電だ。懐中電灯を持って来いよ。」

 「懐中電灯?」

 山野はなにがなにやらわからないまま急いで着替えた。

 仮眠室から飛び出し、ビデオカメラを持ってテレビ局から出た山野は、パジェロの前で待っている峰に駆け寄った。

 「変電所が火災って、どうしたんですか?」

 「それをこれから取材しにいくんじゃあないか。」

 パジェロに乗り込むとすぐにエンジンをかけた。その性急さにとまどいながら山野はカメラを後部座席に乗せると、助手席に乗り込んだ。それを確認すると峰はパジェロを発進させた。

 「どこの変電所が火災なんですか?」

 「行けばわかる。」

 そう言ったきり峰は口を閉ざした。

 しばらく二人の間で沈黙が続いたが、唐突に峰が口を開いた。

 「テロのうわさがある。」

 「え、なんですか?」

 峰の言っている意味がわからず、山野は聞き返した。

 「変電所の火災はテロじゃないかといううわさがあるんだ。」

 「テロ?じょうだんでしょ。」

 「さあてな。」

 峰はそのまま黙り込んだ。山野は峰の話を冗談だと頭から信じず、大きなあくびをした。そのとき、パジェロが急停車した。

 「どうしたんですか?」

 「検問だ。」

 「検問?」

 見ると道路がトラックとバリケードで封鎖されており、その前にモスグリーンの制服とヘルメットを着けた男が数人立っていた。その中の一人が誘導灯を振り回して、車を停めていた。

 「なんですかね?警察じゃあないようですけど。」

 山野の言葉が耳に入っていないのか、峰は厳しい目つきで前を見ていた。車は次々とUターンしていく。峰のパジェロにも隊員が近づいてきた。

 「すみません。この先、通行止めなので戻ってください。」

 「通行止め?なにかあったんですか?」

 峰はパワーウィンドウを開けながら隊員を観察した。

 どう見ても陸上防衛隊員だ。

 「このさきで不審物が見つかって、いま処理しているところです。」

 不審物ならまずは警察が出てくるだろう。それが爆発物となれば防衛隊の出動もありえるが。はじめから陸防隊とはおかしい。

 峰に不信感が生まれた。

 「峰さん、もどりましょう。」

 山野が横から峰の袖を引っ張った。

 いつのまにか屈強な隊員がパジェロを囲んでいる。

 しかたないという顔をして、峰はパジェロをUターンさせた。

 元来た道を走りながら、峰の中で疑惑が渦巻いていた。


 いま、県庁の危機管理防災課は電話の音で充満していた。

 停電による交通障害や施設の停止で市内は混乱していた。

 「知事が入ります。」

 課長の庄田はその声にすぐに知事室に向かった。

 知事の菊谷は秘書を始めとする数人に囲まれたままエレベーターを降りた。そこへ庄田が慌てた様子で駆けつけた。

 「庄田君。なにが起こったんだ?」

 「はい。変電所で火災が発生したようで。」

 「火災?詳しくは部屋(なか)で聞こう。」

 そう言って菊谷は開けられた知事室のドアから室内に入った。

 すぐに知事席の椅子に座ると、その前に庄田が立った。

 「変電所が火災とはどういうことだ。」

 「原因は不明で、調査中です。ただ、火災のせいで変電所の機能が停止し、市内で停電が発生しています。」

 「停電か。ここに来る途中、信号が止まっていて難儀したよ。」

 額に皺を寄せながら菊谷は机に両手を置いた。

 「それから…」

 その後の言葉を庄田は口ごもった。

 「なんだ、言ってみろ。」

 「防災課にテロリストの仕業という匿名の電話がありまして…」

 「テロリスト!?」

 聞き捨てならない言葉に、菊谷は語気を荒げた。

 「冗談じゃあない。停電のうえ、テロだと。市民が混乱するだけじゃあないか!」

 菊谷の大声に庄田はたじろいだ。

 「知事、声が大きいです。落ち着いてください。」

 傍らにいた秘書が、菊谷をなだめた。

 「ともかく、最優先で復旧に取り組んでくれ。県警に原因究明を急いでくれと言うんだ。」

 菊谷は興奮を抑えるように、背もたれにもたれかかった。

 「それから知事…」

 「なんだ、まだあるのか?」

 不機嫌な顔を隠しもせず、菊谷は庄田を睨んだ。

 「陸防隊が動いているのですが。」

 「陸防隊が?」

 その言葉に菊谷の身体が前のめりになった。

 「どういうことだ。」

 「駐屯地の部隊が出動し、幹線道路に検問をかけているんです。」

 「検問?」

 答えを求めるように菊谷は周りの人間の顔を見渡した。しかし、だれも答えを出せるものはいなかった。

 「誰が出動要請をしたんだ。」

 「現時点で誰もしていないと。」

 庄田の返答に菊谷は腕を組んだ。知事が要請しない限り、陸防隊が出動することはない。国のほうで出動させなければ。

 「中央からの要請ではないのだな。」

 「問い合わせていますが、まだ返答が…」

 庄田は語尾をあいまいにして、言葉を濁らせた。

 「駐屯地への連絡は?」

 「これからです。」

 「すぐにしろ!」

 「はい!」

 知事の一喝に庄田は急いで部屋を出ていった。

 「一体、なにが起きているんだ。」

 机の上で両手を組んだ菊谷は、その上に顎を乗せて考え込んだ。


 テレビ局にもどった峰と山野は、さっそくオフィスに向かった。

 自家発電を使っているのか、オフィス内は灯りが皓々(こうこう)と点いていた。

 「高杉さん、なにか情報は入ってませんか?」

 中にいたディレクターの高杉にさっそく質問する。

 「いや、なんの情報もない。他局もおなじようだ。」

 そう言う高杉の目は天井から吊るされているテレビの画面を見つめていた。

 「陸防隊が道路を封鎖しているんですよ。」

 「陸防隊が?」

 山野の言葉に高杉が興味を持った。

 「ええ、変電所の取材に行ったら検問をかけて、その先を行けないようにしていたんです。」

 「確かに陸防隊だったのか?」

 腕を組んで難しい顔つきで尋ねる高杉に、峰と山野は同じように頷いた。

 「そうか。」

 高杉は黙ったまま考え込んだ。

 「テロってうわさは耳にしてませんか?」

 「そんなうわさも聞こえてくるんだが…」

 「そんなこと、ないですよね。」

 山野が上目使いに尋ねた時、遠くでドーンという音が響いてきた。

 「なんだ?いまのは。」

 「こっちのほうだ。」

 そう言って、峰と高杉は東の方向の窓へ向かった。

 窓から見える景色はネオンや建物の灯りが消えた闇夜の街。車のヘッドライトだけが道路を行きかっている。その向こうにオレンジ色の炎に染まったビルが見えた。

 「ありゃあ、テレビ熊本の方だぞ。」

 高杉が素っ頓狂な声を上げるそばで、峰は燃え盛るビルを遠目に見ていた。

 再び爆発音がした。


 「臨時ニュースです。さきほど、テレビ熊本のビルが爆発を起こしました。」

 アナウンサーの興奮した声が画面から飛んでくる。

 「やっぱり、そうか。」

 峰が画面を食い入るように見つめながら言った。

 「なにかの事故でしょうかね。」

 不安な顔色で山野が尋ねるのを無視して、峰は出かける用意をした。

 「おい、どこへ行く。」

 「現場ですよ。」

 「現場って。」

 「とにかく行きます。」

 そう言い残して、峰はオフィスを出た。そのあとに山野が続く。

 「待ってください。峰さん。」

 「カメラは持ってきたか?」

 「パジェロに積んだままですよ。」

 峰はエレベーターに乗るのももどかしいのか、階段で下に降りた。

 テレビ局を出ると、目の前のパジェロに乗り込む。その後に山野が乗り込んだ。

 「すっかり、闇夜ですね。」

 灯りのない街を見渡し、山野は不安そうに首をすくめた。

 「行くぞ。」

 エンジンをかけ、ヘッドライトが前方を照らす。

 東を見ると空が赤い。


 直線距離千四百キロ余り離れたここ北海道でも、似たような状況が起こっていた。市内は停電による闇夜が広がり、その中で大音響とともに爆発が起こっている。黒い空を炎のオレンジが照らし出している。

 その光景を前にして、ビルの屋上でほくそ笑んでいる無明がいた。

 見えぬ目で燃え上がるビルを見つめる無明の口が動いた。

 「はじまったの。」

 そう言い残して無明の姿は闇に溶け込むように消えた。


 熊本と北海道の異変は首相官邸にも届いていた。

 長門の前で持ってきた情報を口々にする次官たちに、長門は首相席の上で渋い顔をしていた。

 「熊本の市内では停電が発生。複数個所で爆発が起こったとの報告もあります。」

 「まだ、未確認ですが、陸防隊が市内を封鎖しているとの情報も。」

 「札幌市内でも同じ状況が起こっています。」

 首相室では小さなパニックが起きていた。

 「みなさん、一度落ち着きましょう。」

 長門の一声に皆が口を閉ざした。

 「まず、確かな情報から教えてください。札幌と熊本で停電が発生したということですね。」

 長門の問いに眼鏡の男が一歩前に出て答えた。

 「はい、ほぼ同時刻、両市内で停電が発生しました。」

 「原因は?」

 「現地の報告では変電所から火災が発生したとのことです。」

 「火災?」

 長門は腕組みをして考え込んだ。

 それを見て、別な者が続けて口を開いた。

 「他にも送電線の一部が切れたとの報告もあります。」

 予想外の報告に長門は目を見張りながら、さきほど耳にした気になることを尋ねた。

 「市内に爆発が起こったと聞いたが。」

 「停電が起きてからしばらくして爆発が起きました。」

 「何か所ですか?」

 「札幌で2ヶ所、熊本で1ヶ所です。」

 「事故ですか?」

 「それはまだ、報告がありません。」

 眼鏡の男がすまなそうな顔をして答えた。

 一通り聞いた長門は難しい顔をした。

 「首相、いかがいたしましょう。」

 官房長官の那智が尋ねた。

 「そういえば、陸防隊がどうとか言ってましたね。」

 皆を見回しながら言うと、壁際にいた男が答えた。

 「それはまだ未確認なのですが、熊本で陸防隊が市へ通じる主要道路を封鎖しているという情報があります。」

 「熊本の知事が要請したということはないですか?」

 「そのような報告は受けていません。」

 集まった人々の間でざわつきが広がった。

 「とにかく、情報を集めてください。そして、確認が取れたもの、取れないものに分けて私に報告してください。」

 「わかりました。」

 長門の命令に秘書や次官が部屋を出ていった。

 最後に官房長官が去り、部屋は先ほどの喧騒が嘘のように静かになった。その中で首相席にすわったまま長門は頭を抱えた。

 「始まりましたね。首相。」

 不意の言葉に長門は顔を上げた。部屋の隅に送った視線の先に男が立っていた。すべての人間が去ったと思っていた長門は、一人だけ残っていたということに多少の驚きを感じた。

 「おまえは…」

 部屋の隅に立っている男、ダークブルーの上下にワイン色のネクタイ姿のその男に、長門は見覚えがあった。

 「日向(ひなた)か。」

 秘書の日向が無表情のまま、長門が座る机の前まで歩み寄った。

 「始まったってなにが始まったんだ。日向。」

 「クーデターですよ。」

 「クーデター!?」

 思いがけない言葉に、長門は思わず大声を上げた。

 「なにを言っているんだ。日向。」

 「警備局から報告がありました。」

 「警備局?」

 「陸防隊の一部がテロリストと組んでクーデターを画策していると。」

 日向が何の感情もなく淡々と報告することに、長門は戦慄を感じた。

 「確かな情報なのか?日向。」

 「警備局からの報告です。確かな情報でしょう。」

 警備局という言葉に、長門も胸の内で納得するものがあった。

 「今度の騒動もそのことと関係があるというのか?」

 「多分。いずれ、北海道や九州だけでなく、東北、中国と広がりを見せると思います。」

 確信めいて言う日向の姿に、不気味さを感じながら長門の中である野心が表に出始めていた。

 「この機会を利用すれば、日本をおれの日本にすることができるか。」

 「十分可能性があります。」

 日向の冷静な返答は、長門の中の野心を増長させた。

 「日向、防衛大臣と警察庁長官を呼べ。それから法務大臣もだ。」

 「はい。」

 簡潔に返事した日向は、部屋から出ていった。

 一人残った長門の口元が徐々に緩んできた。

          5

 麻里江の病室のテレビにも、札幌と熊本の停電騒ぎが映し出されていた。さらにアナウンサーは市内の爆発事件も報道した。

 「一部関係者からは、この爆発事件をテロの仕業との話もあります。今後、警察はその方向も視野に入れて捜査をするとのことです。次のニュースです。」

 麻里江はテレビのスイッチを切った。

 真っ黒になった画面を見つめながら、麻里江の中で言い知れぬ不安が渦巻いた。

 「奈美さんの言っていたマリオネット計画が始まったというの?」

 日本人同士を相争わせ、滅亡へと導く面史郎の計画は、とても信じられるものではなかった。しかし、妄想として打ち消すこともできなかった。

 「とにかく、一度お義父(とう)さまの元に戻ってみよう。」

 起き上がろうとして、背中に痛みが走った。あれから数日経ったが、まだ傷は完治してない。

 痛みを(こら)えて、麻里江は立ち上がり、そばにある服を取り上げた。

 前の服はボロボロになり、霧子が新しく揃えてくれたものだ。

 着替えようとしたところへ、看護士の女性が入ってきた。

 「なにをしているの(What are you doing)?」

 すこしヒステリックに叫ぶ。

 看護士は服を取り上げると、麻里江をベッドに寝かせようとした。

 「待って、わたし行かないと。」

 抵抗する麻里江を看護士は英語でなだめようとするが、麻里江は半分も理解できない。そこへ例の金髪の女医が現れた。

 「どうしたの(What's the matter)?」

 「あ、先生(doctor)。」

 看護士が金髪の女医に事情を説明した。それを聞いて、女医はあきれた顔をした。

 「マダ、無理シテハダメデス。」

 女医は流暢とはいえないが、けっこう達者な日本語で麻里江を説得した。

 「でも、先生。私、ここで黙って寝てはいられないのです。」

 麻里江がまた起き上がろうとした時、背中の痛みに思わず、顔をしかめた。

 「ホラ、マダ完治シテナイノデスヨ。」

 なだめながら、女医はベッドに麻里江を寝かせた。麻里江も素直に女医に従い、ベッドに横たわった。

 「大丈夫。モウ少シ退院デキマス。」

 女医は笑顔を送りながら看護士を伴って、病室から出ていった。

 表に出た女医は、看護士に向かって語りかけた。

 「逃げ出さないように、見張ってて。」

 女医の言葉に看護士は頷いた。

 

 病室に残った麻里江は、ベッドから再び起き上がると、痛みを堪えながら傍らのテーブルの引き出しからポシェットを取り出した。チャックを開け、川の水でクシャクシャになった札とペンを取り出した。

 テーブルの上にその札を置くと、呪文を唱えながら何かの文字を書き込み、書き終えると札を口に銜えて、あらためて服を着替えた。

 身支度を整えると、病室のドアをそっと開けた。

 目の前に男の看護士が立っている。

 監視なのだろう。

 意を決して、麻里江は病室から出た。しかし、看護士は麻里江を止めようとしないどころか、麻里江のことに気付いていない様子であった。

 麻里江は、ほくそ笑みながら廊下を出口へと進んだ。

 何食わぬ顔で廊下を歩く麻里江に誰も注意を払おうとしない。そのまま麻里江はエントランスホールを抜けて、病院の外に出た。

 ひさしぶりの直射日光に少し立ち眩みを覚えながら、麻里江はこれからのことを考えた。

 「まずは駅へいかないと。」

 麻里江の足はタクシーを探して、街の方へ向かった。


 「麻里江がいなくなった。」

 麻里江の様子を見に来た霧子は、麻里江が病院から消えたことに驚愕した。

 「一体何をしていたの。あなたたち。」

 金髪の女医と二人の看護士を、霧子は批判めいた目で睨みつけた。

 「いつ、いなくなったか、本当にわからないのです。」

 「私はずっと病室の前で見張ってましたが、いつ出ていったのか、全然気が付きませんでした。」

 二人は懸命に霧子に弁明した。

 「ミスエッシェンバッハ、二人の言っていることは本当のようです。院内のだれもがミス鷹堂に気が付かなかったのです。」

 そう言われて、霧子の脳裏に翔の言葉が蘇った。

 「そうか、オンギョウノホウとかいうやつね。」

 「はっ?」

 看護士が怪訝そうな顔をするのを横目に、霧子は麻里江の行動を考えた。

 (さて、どうする。探す?)

 自分に問いかけた霧子に対して、もう一人の霧子が答えた。

 (ほっといていいんじゃない。子供じゃあないんだから。)

 その答えに軽く笑顔を浮かべた。

 「そうね。」

 「はっ?」

 霧子の様子に看護士たちは訳がわからないような顔をした。

 「もういいわ。あなたたちは自分の仕事にもどって。」

 そう言われて看護士と女医は、首を傾げながら立ち去った。

 「さて、私もやることをやるか。」

 そう言い残して、霧子も病院から出ていった。


 霧子が病院を出たころ、マリアは港区にあるオフィス・ワンのビルに到着していた。乗ってきたリムジンから降り、まっすぐ玄関に向かう。両側にはサングラスに黒のスーツの屈強な男がついていた。

 玄関からロビーに入ると、その場にいた人々の目が釘付けになった。

 金髪に同じようにサングラスをかけ、ベージュ系のスーツとパンツを着こなした美女に皆が圧倒されていた。

 マリアは脇目も振らず、カウンターに向かった。

 カウンターに座る受付の笛田も、他の人々と同じように目の前の美女に釘付けになっていた。

 「HELLO」

 マリアは口元に魅惑的な笑みを浮かべて、自分を見入っている笛田に声をかけた。それで我に返った笛田は、少し引きつった笑顔を返した。

 「いらっしゃいませ?」

 と、思わず日本語で話して、すぐに後悔した。しかし、マリアは怪訝そうな顔も見せず、日本語で話しかけた。

 「ミスター早瀬はおりますか?」

 日本語に少し安心した笛田は、すぐに日本語で尋ねた。

 「どちら様でしょうか?」

 「カティナの代理人です。」

 カティナの名前に、笛田は再度驚いた。

 「少々お待ちください。」

 そう返答して、すぐに内線を掛けた。

 「社長はいらっしゃいますか?ただいま、カティナ様の代理人と申される方がいらっしゃってます。」

 『カティナの…?』

 受話器の向こうでも慌てている様子が手に取るようにわかった。

 『とりあえず、第一応接室で待ってもらって。』

 そう言って電話が切れると、笛田は精一杯の笑顔をマリアに向けて、席から立ち上がった。

 「応接室でお待ち願えませんでしょうか?ご案内いたします。」

 そう言ってもう一人の受付嬢に後を頼み、マリアと二人の男を第一応接室に案内すべく先頭に立った。


 応接室で待つこと5分ほど、社長の早瀬が息せき切って現れた。

 期待と不安をない交ぜにしたような顔をして、早瀬はマリアに挨拶をした。

 「お待たせしました。社長の早瀬です。」

 「はじめまして。ミスター早瀬。マリア・ラディッシュといいます。よろしく。」

 マリアの日本語のうまさに驚きながら、マリアの出した左手を早瀬はすぐに握った。

 「よろしく、ラディッシュさん。突然、連絡をいただいて驚きましたが、どのようなご用件でしょう?」

 マリアがソファに座るの待って、早瀬はすぐに切り出した。

 「マリアと呼んでください。この間は、カティナのコンサートにいろいろお力沿いをいただきありがとうございました。」

 笑顔で話し出す様子に、少しは安堵感を持った早瀬はゆっくりとソファに座った。

 「本日、お伺いしたのは他でもありません。うちで押している新人アーティストとのコラボのことで来ました。」

 「新人アーティスト?」

 「Hey、BILL」

 後ろに立つ大男にマリアが右手を差し出すと、その手のうえに一枚の紙を置いた。

 「この()です。」

 その紙をテーブルの上に置くと、早瀬は早速、その紙を取り上げた。

 新人アーティストの写真とプロフィールが書かれてある。もちろん、英語だ。

 早瀬はそのプロフィールを丹念に読み、読み終えると丁寧にそれをマリアに返した。

 「このアーティストなら多少存じています。全米でも上り調子の新人だと聞いてます。」

 「はい、早い段階で世界を目指したいと思っております。そこで最初に日本をと。」

 「光栄ですな。私どもを指名くださって。」

 早瀬の顔に満面の笑顔が浮かんだ。

 「カティナのコンサートに出演してくださったアリエス4ともコラボしたいと思ってます。」

 「アリエス4ですか。」

 早瀬の顔が曇った。

 「どうしました?」

 「ご存じありませんでしたか。アリエス4は当面、活動を休止することになりました。」

 「WHY(なぜ)?」

 驚き顔のマリアに早瀬は恐縮そうに身を縮めた。

 「メンバーの一人が急病で、当分いっしょに活動できないということで、メンバーの意見で当面の休止を決定いたしました。」

 「それは残念ですね。」

 マリアはがっかりしたような顔をした。

 「しかし、当事務所には他に選りすぐりのアーティストがおります。」

 早瀬はなんとかマリアの押す新人アーティストとのコラボを実現しようと必死に訴えた。

 「社長の言われることもわかりますが、実際に見てみないことにはなんともいえません。当方としてもこの企画をぜひとも成功させたいと思ってます。」

 「当然です。マリアさん。どうですか?今週、当事務所主催のコンサートがあります。それをご覧になっていただけませんか?」

 「リハーサルから見せていただけますか?」

 「それはもちろん。」

 それを聞いてマリアは笑顔を湛えながら立ち上がった。

 「では、詳しい日時はのちほど。よろしくお願いします。」

 そう言ってマリアは左手を差し出した。それを見て、早瀬も喜びにあふれた表情でその手を握った。


 事務所を出たマリアはすぐにリムジンに乗り込んだ。そして携帯を取り出すと、ある番号を押した。

 短い呼び出し音のあと、相手が出た。

 「HELLO、キリコ。」

 『うまくいった?』

 「とりあえず、社長との接触には成功したわ。」

 『さすがマリアね。ただ、相手は人知を超えた能力を持っている輩よ。くれぐれも気を付けて。』

 霧子が珍しく心配そうな声を出した。そのことにマリアは多少驚くが、すぐに笑顔を浮かべた。

 「ありがとう。慎重に事を運ぶわ。」

 『いい知らせを待っているわ。』

 そう言い残して電話は切れた。

 マリアは携帯をしまうと、運転手にホテルに向かうように指示した。


 病院を抜け出した麻里江は、電車を乗り継ぎ、北陸の地にある蓮堂の屋敷に着いたのは夜も更けたころであった。

 突然の帰宅に驚く蓮堂ではあったが、すぐに労わるように座敷に上げた。

 「ご苦労だったな。麻里江。」

 「いえ、そんなことは。」

 しかし、麻里江の顔色や体の様子からかなりの苦労をしたことは、明白であった。

 「疲れているだろう。まずは湯にでもつかりなさい。」

 そう言って蓮堂は使用人を呼ぼうとした。

 「いえ、お義父(とう)さま。それよりお話があります。」

 「夜も遅い。話は明日にしなさい。」

 「緊急を要することなのです。」

 必死の眼差しで自分を見る麻里江に、蓮堂は圧倒された。

 「わかった。。話を聞こう。その前にお茶でも飲みなさい。」

 そう言って蓮堂は手を叩いた。ほどなく、使用人が現れ、お茶の用意を命じた。

 命じられた使用人は、一旦引っ込むとすぐに盆に乗せたお茶を運んできた。

 「まず、一服しなさい。」

 麻里江に湯呑を勧めると、麻里江は遠慮なくお茶を口にした。

 「それで緊急を要する話とは?」

 「そのことですが…」

 話そうとした麻里江に強い睡魔が襲った。

 「お義父さま、お茶になにを…」

 麻里江の身体が大きく揺れ、睡魔に抗しきれず、そのまま畳の上に倒れた。

 「ゆっくり休むがよい。麻里江。」

 畳の上で眠る麻里江を見下ろしながら、蓮堂はまた手を叩いた。


 麻里江はまた闇の中にいた。

 しかし、今度は真の闇ではない。

 街の明かりが見えている。

 見知らぬ夜の街に麻里江は一人立っていた。

 (ここは?)

 辺りを見回すと、街灯の点いた電信柱が見えた。そこだけが妙に明るい。

 電信柱に近づいていくと、街灯の下に誰かが立っていた。

 (あれは…?)

 なおも近づくと、そこに立っていたのは美樹であった。

 「美樹」

 思わず駆け寄ると麻里江に気付いたのか、美樹が振り返った。

 「麻里江」

 「美樹、無事だったのね。」

 麻里江は美樹のそばに寄ると、その両手を握った。

 (冷たい)

 美樹の両手は氷のように冷たかった。

 「麻里江、無事でよかった。」

 美樹が笑顔を見せた。

 「美樹、いままでどこにいたの?」

 「うん、ちょっと遠くにね。あたし、麻里江に会いたくてもう一度、ここにきたんだ。」

 「会いたくてって…」

 麻里江の中に不安が過った。

 美樹は麻里江から手を離すと、後ずさりした。

 「麻里江の元気な姿を見れて安心した。」

 「待って、美樹。」

 引き留めようとする麻里江を悲しそうな目で見つめる美樹は、背を向け、暗闇の向こうに歩き始めた。

 「待って、美樹。」

 追いかけようとするが足が動かない。

 「麻里江、さようなら。」

 美樹が麻里江のほうに顔を向けると、寂しそうな微笑みを見せた。

 「まって、美樹。美樹!」

 麻里江の呼び止める声も届かず、美樹は暗闇の中に消えていった。

 「美樹── !」

 自分の叫び声に麻里江は目を覚ました。

 目の前に見慣れた天井があった。

 起き上がると、そこは蓮堂の屋敷内にある自分の部屋であった。

 「いつの間に…?」

 頭の芯が重かった。

 それにしてもいやに現実感のある夢だった。美樹の手の感触がまだ残っている。それに、あの言葉。

 「まさか…」

 思いたくない予感が頭から離れなかった。

 麻里江はベッドから起き上がると、タンスから自分の服を取り出し、急いで着替えた。

 部屋を出ると、屋敷の中は静まり返っていた。

 それにしても、あのお茶。

 あのお茶を飲んだとたん睡魔が襲った。

 (睡眠薬?)

 義父である蓮堂がなぜ、じぶんに睡眠薬を。

 好意的にとれば、疲れている自分を休ませるためにと思える。しかし、麻里江には一抹の不安があった。

 迷いを胸に廊下を進む麻里江は、蓮堂の部屋の前に立った。

 「お義父さま、麻里江です。」

 「お入り。」

 襖の奥から蓮堂の声が麻里江を招いた。

 静かに襖を開けると、部屋の中央に正座姿の蓮堂がいた。庭に面した障子が開け放たれており、朝の陽光が部屋の隅々まで届いていた。

 「おはようございます。」

 「ゆっくり休めたか?麻里江。」

 正座のまま、深々と頭を下げる麻里江に、蓮堂はにこやかに声をかけた。

 「はい、お義父さまのおかげでゆっくり休めました。」

 頭をあげたとき、麻里江も微笑みを蓮堂に向けた。

 「ひさしぶりに一緒に朝食をとろう。いま、持ってこさせる。」

 「ありがとうございます。」

 蓮堂が手を叩くと、使用人が現れ、朝食の用意を命じられるとすぐに引っ込んだ。ほどなく二つの膳が用意され、麻里江と蓮堂は向かい合って朝食をとった。

 終始無言のまま食事を終えた二人は、膳が下げられ、使用人がいなくなるまで沈黙を守った。

 二人きりになったところで、おもむろに麻里江が口を開いた。

 「お義父さま、いまこの日本に大変なことが起ころうとしています。」

 「大変なこと?」

 いきなり本題に入った麻里江に、蓮堂は眉をひそめた。

 「面史郎なる者がこの日本を滅亡させようと画策しているのです。」

 奈美に聞いたことを麻里江はズバリと蓮堂に話した。

 蓮堂の目が大きく見開かれ、信じられないという表情を見せた。

 「それはまことのことか?」

 「確かなことです。」

 麻里江の目は真剣であった。

 冗談や戯言でないことはよくわかった。

 蓮堂は腕を組んだまま、しばらく黙考した。

 「お義父さま、早くなんらかの手を打たないといけません。」

 黙ったままの蓮堂に麻里江は畳みかけるにように言った。それに反応してか、蓮堂は目を麻里江に向け、口を開いた。

 「麻里江、もうよい。」

 「もうよい?」

 蓮堂の言葉に麻里江は虚を突かれたように押し黙った。

 「この事はもうわしらの手に負えることではない。」

 「手に負えないと。黙って見ていろということですか?」

 麻里江は思わず、身を乗り出した。

 「そういうことじゃ。」

 「そんな、お義父さまのお言葉とも思えません。すでに史郎の画策によって多数の犠牲者が出ているのですよ。」

 麻里江の脳裏に翔と美樹の顔が浮かんだ。

 「麻里江、落ち着きなさい。このことはわしらにとって却って好都合かもしれんのだ。」

 「好都合?」

 麻里江には蓮堂の意図するところか見えなかった。

 「この一連の出来事は日本を新しく作り直す動きとわしは見ておる。」

 「新しき日本。」

 「そうじゃ。古きものを一度壊し、新しきものを築きあげる。(いにしえ)より繰り返される流れじゃ。」

 麻里江には蓮堂が何を言っているのかまだ理解できていない。

 「新しき日本ができれば、わしらもその中で新しい生き方ができる。」

 「新しい生き方?」

 麻里江の中で蓮堂の言わんとするところが少しずつわかってきた。

 「まさか、お義父さまは史郎と取引を…?」

 「史郎という輩ではない。しかし、その史郎とか申すものも操る大物とある取引をした。」

 「大物?だれですか?」

 麻里江は蓮堂の前ににじり寄った。

 「それを言ってもおまえにはわかるまい。しかしじゃ、新しき日本の中で我らは唯一の陰陽師として、この日本を霊的に支配することができる。」

 「霊的支配?」

 麻里江の中で不信感が雲のように湧き上がった。

 「そうじゃ。(いにしえ)の世では陰陽師として日本の中で確固たる地位と権力を持っていたわれらが、いまや時代の片隅に追いやられ、しがない占い師に落ちぶれた。そのわれらが、今一度、国の中枢に返り咲き、この国を霊的に支配する機会が巡ってきたのじゃ。」

 蓮堂が夢見るようにまくし立てるの見て、麻里江の中の蓮堂への不信感は決定的になった。

 「お義父さま、麻里江はお義父さまのお言葉には従えません。」

 「なに?」

 蓮堂の額に皺が寄った。

 「史郎や鬼龍一族の野望によって、翔や美樹が犠牲になりました。」

 麻里江の目が挑むような色に変わった。

 「土御門様や幸徳井様の死もやつらの仕業だと思います。そのような輩と手を組むなどできません。」

 「できぬか?」

 蓮堂の目も血走った。

 「できませぬ。たとえ親子の縁を切ろうとも、私は史郎らの野望を阻止します。」

 麻里江の中に揺るがぬ覚悟を見てとった蓮堂は、大きく息を吐いた。

 「失礼します。」

 そう言って麻里江が立ち上がると、蓮堂は懐に手を入れ、なにかを取り出した。

 それに気づいた麻里江はすぐに身構えた。

 しかし、その前に蓮堂の手の中にあった一本の縄が放り投げられ、生き物のように伸びると、あっという間に麻里江をがんじがらめにした。

 「く」

 急いでその縄を引き千切ろうとしたが、縄は強い力で麻里江を締め上げ、途端に呼吸ができなくなった。

 そこへ、蓮堂の拳が麻里江の鳩尾に入った。

 「ぐっ」

 意識が遠のき、麻里江は畳の上に崩れ落ちた。

 「麻里江。お主をいかせるわけにはいかぬ。お主にはわしの子を産んでもらわねばならぬでな。」

 そう呟くと、蓮堂は手を叩き、使用人を呼んだ。


 次に目覚めた時、麻里江はまた自分の部屋にいることに気付いた。

 ベッドから起き上がると、また傷口が痛みだした。しかし、それを堪えながらドアのところへ駆け寄り、取っ手に手を掛けた。

 開かない。

 窓を調べたが同じように開かなかった。

 見ると、窓の端に札が貼ってある。

 「鬼封じの札。」

 (お義父さまは私をなにがなんでも出さない気だ。どうする?)

 ベッドに座り直して、麻里江は目をつぶった。

 答えはわかっていた。

 あとは方法であった。

 麻里江は目を開けると、部屋の中を見回した。

 押入れが目に入る。

 (もしかしたら)

 麻里江は押入れに歩み寄り、襖を開けた。布団や衣装箱が置いてある。押入れに上がると、天井を手で押してみた。

 横にずれる。

 急いで押入れから出ると、麻里江は衣装箱からリュックを取り出し、その中に札や財布、当面必要と思えるものを入れた。そして、それを背負うとまた押入れに入り、天井板を横にずらした。

 天井裏は真っ暗でほこりっぽい。

 その中を器用に這い上がると、持ってきたペンライトのスイッチを押した。

 小さな光輪が天井裏を照らす。

 それを頼りに四つん這いに進む。

 慎重に進むと、あるところで止まった。天井板に穴が開いており、そこから灯りが漏れている。覗くとそこは脱衣所のようであった。

 (小さい頃のままね。)

 懐かしそうに微笑むと、麻里江は天井板が動くところを探し、一番端のところの天井板を動かした。

 四角い穴が開き、そこから人の気配を探った。

 幸いだれもいないようであった。

 四角い穴からゆっくりと下に降りると、もう一度気配を探った。

 猫のように身をかがめながら浴室に通じるドアを開けると、陽光がたっぷり入ったタイル張りの浴室が目の前にあった。

 急いで窓に駆け寄ると、窓を開けた。

 クヌギが生い茂った裏庭にはやはり人の気配はない。

 窓を乗り越えて外に出ると、まっすぐ塀に向かった。

 「どこかに抜け穴があったはずだけど。」

 塀の周りを探ると、塀の下に直径五十センチほどの穴が開いているところがあった。

 「昔のままね。」

 麻里江は背負ったリュックを穴から外に出し、その穴に身をよじ入れた。

 外に出た麻里江は、屋敷の方へ身体を向け、一礼した。

 「さらばです。蓮堂さま。」

 覚悟を決めた麻里江は行き先を東京と定めて、歩き出した。

          6

 品川駅に程近いところに最近新しくできたコンサートホールがある。元は高級ホテルであったが、どこかの企業が買い取り、コンサートホールにしたのだ。

 そのコンサートホールにマリアはいた。

 目の前の舞台(ステージ)ではオフィス・ワンの一押しアイドルたちがリハーサルを行っていた。

 真剣な目で見つめているマリアのそばに、早瀬がやってきた。

 「いかがですか?ミス・ラディッシュ。」

 「Graet(すばらしい)

 マリアは早瀬の方に魅惑的な笑顔を向けて答えた。

 「これならいいコンサートができると思います。」

 「そう言ってくださるとうれしいです。」

 早瀬はホッとしたような顔をした。

 「具体的なスケジュールなどをお話したいのですが。」

 「それでは事務所の方へまいりましょう。」

 そう言って早瀬は立ち上がった。それに合わせるようにマリアも立ち上がり、先を歩き出した早瀬の後に続いた。

 事務所はホールの一階奥にあった。

 その応接室に案内されたマリアは、革張りのソファにさっそく座った。

 「今日はお供の方はいらっしゃらないのですね。」

 「日本は治安がいいですから。」

 冗談とも本気ともつかぬ言葉に早瀬は少し戸惑った。

 「では、さっそく具体的なお話を。」

 早瀬が向かい側に座ると、マリアは早瀬の顔をまじまじと見つめた。

 美しいマリアに見つめられて、早瀬の顔が赤くなった。

 その心の隙にマリアの精神感応(テレパシー)が入り込んだ。

 早瀬の表情が固まる。

 「聞きたいことがあるんだけど。」

 「なんですか?」

 早瀬は無表情のまま答えた。

 「面史郎という名前を聞いたことはある?」

 「…はい…」

 「どこにいるか、知らない?」

 「…いいえ…」

 「だれが知っている?」

 「…左京様なら…」

 「左京?だれ?」

 「アリエス4のリーダーのサキです。」

 「アリエス4の…」

 マリアの頭にカティナと共演したアイドルグループの姿が思い浮かんだ。

 「なるほど。」

 無表情のまま座る早瀬の前でマリアはしばらく考え込んだ。

 「早瀬、私の言うことをよく聞きなさい。」

 「…はい…」

 「その左京を明日の夜7時にここへ誘い出しなさい。」

 その命令に早瀬の頬が引きつった。

 「よほど恐ろしいと見えるわね。でも私の命令には逆らえないわよ。」

 マリアの目が虹色に輝いた。

 早瀬の表情がまた能面のようになり、一言「はい」と答えた。

 マリアが指を鳴らすと、早瀬の顔に表情が戻った。夢でも見ていたような顔つきで辺りを見回したが、なにが起こったのかわかっていない。

 「どうしました?ミスター早瀬。」

 マリアが微笑みを向けると、早瀬はまた顔を赤くして下を向いた。

 「いえ、なんでもありません。」

 「では、コラボの件ですが…」

 何もなかったように、マリアは打ち合わせを始めた。


 翌日、時間通りに早瀬がホールに現れた。その後ろには金髪の少女が付き従っている。

 早瀬は腕時計を見て時間を確認すると、事務所へと向かった。

 ドアを開けると、中は無人であった。

 そのとき、早瀬の携帯が鳴った。

 非通知を訝しみながら早瀬は携帯に出た。

 『早瀬さんですか?マリアです。』

 「ラディッシュさん。どちらに。」

 『ステージにいます。左京さんと一緒にいらっしゃってくださいますか?』

 「わかりました。」

 携帯をしまうと早瀬は後ろの金髪少女を連れて、ステージに向かった。

 中に入るとステージにマリアが一人立っていた。

 早瀬と少女はマリアの立つステージへと上がった。

 「ありがとうございます。早瀬さん。」

 軽く頭を下げるとマリアは早瀬の後ろにいる金髪の少女に視線を向けた。

 「左京さん、わざわざ来ていただいて恐縮です。」

 自分に近づくマリアを見て、いままで俯いていた少女が顔を上げた。

 左京ではない。

 「ごめんジャン。サキは忙しくてこれないジャン。」

 特有の言葉遣いにマリアは怪訝な顔をした。

 「左京さんじゃあないの?」

 「ええ、代わりにコウが来たジャン。」

 「コウ?」

 無邪気そうに笑うコウの顔を見て、マリアの全身に警戒心が駆け巡った。

 「サキに何の用があるのか聞こうジャン。」

 コウは金髪に手を掛けると、それを脱ぎ捨てた。その下からは紫の髪が現れた。

 「左京さんに直接用があるのよ。これないなら失礼するわ。」

 そう言い残して立ち去ろうとしたとき、コウの身体が風のように移動し、マリアの前に立ちはだかった。

 「!」

 「逃げなくてもいいじゃないサ。」

 幼女のような笑顔の中に邪悪な目で覗き込むコウに、マリアは戦慄を感じた。

 「逃げるわけじゃあないわ。あなたに用がないだけよ。」

 マリアが少しずつ後ろに下がった。

 邪悪な目はまだマリアを見つめている。

 「コウには用があるジャン。」

 マリアを捕まえようとコウが右手を伸ばしたとき、マリアはすぐさま後ろに下がり、立っている早瀬の背後に隠れた。

 「逃がさないジャン。」

 「早瀬、彼女を押さえて。」

 マリアの命令に早瀬は素直にコウに向かった。

 「邪魔!」

 コウの右腕が横に掃われる。

 早瀬が棒のように立ち尽くした。

 マリアの目の前で早瀬の頭が横にずれたかと思うと、そのまま床に落ちた。

 「!」

 少し遅れて早瀬の身体が丸太のように倒れた。

 「こうなりたくなかったら言うこと聞くジャン。」

 コウの右腕から鎌状のものが突き出ていた。その刃先は早瀬の血で濡れている。

 ステージの床には早瀬の血で作られた小川が流れ、ステージ下まで流れ落ちていた。その上をコウはゆっくりとマリアへ向かってくる。

 マリアも少しずつ後ろに下がった。

 「逃がさないヨ。」

 コウの身体が黒い風となってマリアに迫った。

 右腕の鎌がマリアの足を狙う。

 すんでのところで躱したマリアは、ステージ下に飛び降りると出口へ向かって駆けた。

 「無駄ヨ。」

 コウの足がステージを蹴り、客席の背もたれを足場にマリアに真っすぐ向かった。

 コウの鎌がマリアの腕を狙う。

 横っ飛びに躱すマリアの代わりに、客席が紙のように切られた。

 別の出口に向かって、また駆け出すマリアをコウは笑いながら追いかける。

 コウの鎌が背後から空を切る。

 背中が裂け、白い肌に赤い線が刻まれる。

 鋭い痛みに思わず、身体がよろけた。

 そこへコウの足が飛んだ。

 「くっ」

 右腕で防ごうとするが、その威力に押されてマリアは吹き飛ばされた。

 体制を立て直そうとしたところに、コウのつま先が腹部にめり込んだ。

 「ぐわっ」

 前のめりになったマリアの頭に、コウの右フックがヒットする。

 瞬間、意識が飛び、床に倒れた。

 再度、コウの右つま先がマリアの腹部めがけて飛んだ。

 そのつま先を両手で受け止めたマリアは、そのままコウの足をひねりながらコウを押し倒した。

 背中から倒れたコウの顎にマリアの左足がヒットした。

 「てめえ!」

 怒りで燃える目でマリアを睨むコウの右腕が空を切った。

 反射的に後ろにのけぞるが、マリアの首に赤い線が刻まれた。

 「なにも話さなくていい。死んじゃイナ。」

 今度は左腕から鎌が飛び出し、マリアの首を狙って振りかぶった。

 マリアはそれを躱そうとせず、逆に前に出てコウにタックルをかけ、そのままコウを抱えて壁に激突させた。

 「ぐわッ」

 背中の激痛でコウは一時呼吸ができなくなり、動きが止まった。その間にコウから離れたマリアは出口の扉を向かった。

 扉に手をかけたが、開かない。

 「無駄ジャン。扉にはすべて鍵をかけたヨ。」

 ゆっくり立ち上がるコウの両腕から剃刀のような鎌が突き出ていた。

 「あなた、アーマノイドなの?」

 マリアの言葉にコウは少し驚いた顔をした。

 「ヘエ、あたしのこと知ってるノ。」

 「多少はね。」

 「じゃあ、やっぱり死んでもらわないとネ。」

 邪悪な笑顔を見せながらコウはゆっくりとマリアに近づいて行った。


 その頃、オフィス・ワンでは左京が早瀬を探していた。

 「早瀬はどこにいったのですか?」

 総務の女性に問いただすと、その女性はびっくりしたような顔をした。

 「社長はラディッシュさんに会うと言って、いましがた出ていかれましたが。」

 「ラディッシュ?」

 「はい、今度のコラボの打ち合わせとかで。」

 「打ち合わせ?」

 左京は女性の言葉に不可解な顔をした。

 「あれ、サキさんは一緒じゃあなかったのですか?」

 別の女性が不思議そうな顔をして尋ねた。

 「いっしょ?いいえ。」

 「でも、女性といっしょに出ていくところを見ました。てっきりサキさんかと。」

 女性は首を傾げた。

 その言葉に左京の頭に予感めいたものが閃いた。

 「コウは見なかった?」

 「いいえ、昼間はいたようですが。そういえば社長と何か話してましたね。」

 「どこで打ち合わせをすると言ってました。」

 左京は総務の女性に詰め寄った。

 「確か、品川のコンサートホールです。」

 「品川。」

 そう聞くと、左京は事務室を飛び出していった。

 (品川のコンサートホール)

 走りながら場所を思う浮かべ、念じ始めた。

 一階エントランスからドアを開けると同時に、左京の身体が消えた。

 次の瞬間、左京は品川のコンサートホールにいた。


 そのホールの中は殺気が渦巻いていた。

 マリアとコウが正面きって睨み合っている。

 ゆっくり歩み寄っていたコウがいきなり駆け出した。それに合わせてマリアも駆け出した。

 客席の間を縫うように駆ける二人。

 先に攻撃を仕掛けたのはマリアであった。

 腰からグロック19を抜き、引き金を引いた。

 二発の銃声のあと、金属音とともに9ミリ弾が床に落ちた。

 「!」

 「無駄ヨ。私に弾は当たらない。」

 顔の前で鎌を構えるコウの唇が軽く吊り上がった。

 その顔を狙って、再度銃声が鳴る。

 しかし、9ミリ弾はその鎌に弾き返され、コウには届かない。

 「だから言ったのニ。」

 その言葉とともにコウの身体がマリアの前に移動した。同時に腕が左右からマリアに向かって走った。

 銀の光が目の前を通り過ぎ、髪の毛が二・三本、宙に飛ぶ。

 身を沈めたマリアに向かってコウの右足が跳ね上がった。

 足から飛び出した鎌が喉を狙う。

 しかし、マリアはまたしてもそれを紙一重で躱した。

 驚くコウを置いて、マリアはすぐに距離を取った。

 「すごいネ。」

 驚きながら楽しそうに笑うコウ。戦慄から顔をこわばらせるマリア。

 対照的な二人が睨み合う。

 マリアが更に距離を取ろうと駆け出した。

 それを追うコウは、右腕を大きく振りかぶった。

 「逃げても無駄ヨ。」

 コウが右腕を振るう。

 鎌がスライドするように長く伸びた。

 客席の背もたれが次々と切り裂かれていく。

 「!」

 マリアはとっさに背もたれに足をかけると、大きく飛んだ。その下をコウの鎌が背もたれを切り裂いて通り過ぎた。

 マリアはステージに飛び移ると、またグロックを構えた。

 「まだ無駄だとわからナイノ。」

 コウは両腕を構えながら笑った。

 それを見て、マリアは銃口を上に向けた。

 連続して銃声が鳴る。そのたびにステージ真上にある照明が割れていった。

 ステージの灯りが次々消えていき、ステージ上は暗くなった。マリアのところだけにライトが当たっている。

 この行動にコウは首を傾げた。

 「どういうつもり?やけにでもナッタ?」

 全弾打ち尽くすと、マリアはすぐにマガジンを交換した。

 「そんなことをしても、結果はおなじヨ。」

 コウは薄ら笑いを浮かべて、マリアを睨みつけた。

 マリアのところだけにライトが当たっているため、マリアの姿は際立っていた。否応なくコウの視線はマリアに注がれる。

 コウの視線を受けて、マリアの目が虹色に輝いた。

 「これで終わりヨ」

 コウの鎌がマリアを薙ぎ払った。

 途端にマリアの首が宙を飛び、ステージ上に落ちた。

 「ヒャハハハ─、いいざまネ。」

 コウの高笑いがホール内に響く。

 ところがホール内に響く笑い声に、自分以外の笑い声が重なっているのにコウは気づいた。

 「え?」

 はたと口を閉じたコウの耳に、笑い声はまだ続いていた。

 「ダレ!?」

 ホール内を見回すが、誰もいない。

 しばらくして、その笑い声の主にコウはやっと気づいた。

 ステージ上に転がるマリアの首が笑っているのだ。

 「!」

 目を見張るコウの前で、更に信じられないことが起こった。

 首のないマリアがステージ上にあるマリアの首を拾い上げたのだ。

 「そ・そんなバカな!」

 「なにをそんなに驚いているの。」

 脇に掲げているマリアの首が口を開いた。

 コウの全身を恐怖が貫く。

 「私は不死身よ。首を切られたくらいじゃあ死なないわ。」

 にこやかに笑うマリアの首を見て、コウの神経が切れた。

 「死ネ!!」

 コウの鎌が左右からマリアの身体を切り裂いた。

 三つに切断された身体は、床にバラバラに落ち、笑い声も消えた。

 「フン、脅かしやがっテ。」

 鼻で笑った後、その場を立ち去ろうとしたコウの耳に、またマリアの笑い声が響いてきた。

 「そんな!」

 振り返ると、バラバラになったマリアの身体が空中に浮いていた。

 恐怖でパニックになったコウは、めったやたらに鎌を振り回した。

 それを掻い潜って、マリアの身体はコウの周りを笑い声とともに飛び回った。

 「ワァ─── !」

 叫び声をあげて目をつぶった時、後ろで撃鉄が起きる音がした。

 「!」

 「Game Over」

 五体満足のマリアがコウの背後でグロック19を構えていた。

 「いまのハ?」

 「夢でも見たんでしょ。」

 からかうように笑うマリアの声を聞いて。コウの神経が平静を取り戻した。

 「撃たないノ?」

 「降参するなら命は助けてあげるわ。」

 その言葉にコウの口の端が吊り上がった。

 「降参…ネ。寝言はベッドでシナ!」

 コウの背中からいきなり鎌が突き出した。

 マリアの身体を貫く。

 「うっ」

 軽いうめきの後、沈黙が続いた。

 「ヒャハハハ!最後に笑うのはコウさまヨ。」

 満足気に笑うコウは、背中の鎌を収めると、マリアの無様な姿を見るために振り返った。

 しかし、コウが見たのはマリアの死体ではなく、ベージュのジャケットだった。

 「な…?」

 「それ、高かったのよ。」

 その声にコウの視線が飛んだ。

 ステージの端にマリアが立っている。

 「おまえ!」

 「Good Bye」

 声とともにグロックの銃声が響いた。

 同時にコウの額に穴が開いた。

 目を見張ったままコウは床にひっくり返った。

 「おとなしく降参すればよかったのに。」

 冷たい目でコウの死体を見つめながら、マリアはグロックを腰に戻した。

          7

 その少し前、エントランスにいた左京は、ホールから響く銃声にハッとした。

 「だれかいるの!?」

 ホールのドアを開けようとしたが、鍵が掛かっていて開かない。

 「コウ!いるんでしょ!」

 ドアを叩きながら左京は叫んだ。

 中から笑い声が微かに聞こえる。そのあと、銃声がドアの奥から響いた。

 「まさか!」

 もう一度、ドアを開けようとしたが無駄だった。

 「夜叉丸。」

 その名を呼ぶと背後から夜叉丸が駆けてきた。

 手にした短槍をドアにぶつけると、ドアは難なく弾け飛んだ。

 その音に驚いたマリアは、音のした方向に目を向けた。

 壊されたドアの後ろに二人の男女がいた。

 槍を構えた長身の男と黒髪の少女。

 男は見知らぬ顔だが、少女の方は見たことがある。

 マリアの記憶に繫がる顔があった。

 カティナとコラボしたアリエス4のボーカルの少女。

 “サキ ”すなわち左京だ。

 「あなた…」

 夜叉丸の手で壊されたドアからホールに入った左京の目に、ステージに立つマリアと倒れているコウの姿が映った。

 この状況から何が起こったか、左京はすぐに察した。

 「おまえがコウを殺したのか?」

 わかり切った質問にマリアは沈黙で答えた。

 「夜叉丸!」

 左京の一声で夜叉丸はすぐに行動を起こした。

 客席の間の通路をまっすぐステージに向かう。

 マリアも腰のグロック19を引き抜いた。

 迫る夜叉丸が床を蹴り、頭上にジャンプした。

 殺気とともに短槍の切っ先がマリアに向かう。

 グロックの銃口が火を噴いた。

 9ミリ弾が切っ先を弾く。同時にマリアが飛んだ。

 夜叉丸の短槍が目標を外し、床を貫いた。

 銃を構えるマリアを見て、夜叉丸の身体がすさまじい速さで動き回った。

 マリアの銃口が目標を定められない。

 「くそ!」

 マリアも夜叉丸の攻撃を避けるため、駆け出した。しかし、身体能力では夜叉丸が一枚上手だった。

 マリアが動く先々に夜叉丸が回り込み、短槍を繰り出す。

 「夜叉丸、殺さず、捕まえなさい。」

 客席に立つ左京が叫んだ。

 それに頷いた夜叉丸が短槍の柄でマリアに打ちかかった。

 しかし、マリアは驚異の反応で、それを紙一重で躱していく。

 夜叉丸は少なからず驚愕した。

 「この女…」

 マリアにも焦りがあった。

 「このままでは、いずれ捕まる。」

 マリアの目の端に左京の姿が映った。

 「しかたがない。」

 マリアのグロックが火を噴いた。しかし、夜叉丸にではない。

 銃弾はすべてステージ(うえ)にある照明灯に放たれた。

 途端にステージが暗転した。

 予期せぬ出来事に夜叉丸の動きが一瞬止まった。その間隙をついて、マリアは左京に向かって駆け出した。

 その行動に気づいた夜叉丸は、マリアの後を追った。

 しかし、一瞬早く、マリアは左京の背後に回り、その後頭部にグロックを突き付けた。

 「動かないで。動けば引き金を引くわよ。」

 その脅し文句に夜叉丸の身体が硬直した。

 「あなた、何者なの?私をどうする気?」

 左京は落ち着いた様子でマリアに尋ねた。

 「質問はなし。あなたにはいっしょに来てもらうわ。」

 そう言ってマリアは左京の手を取り、一緒に来るように引っ張った。しかし、左京は動こうとしない。

 「大人しく言うこと聞いて。」

 左京の後頭部に更に銃口を押し付ける。それでも左京は言うことを聞かなかった。

 「そんな願い、聞けると思って。」

 「これはお願いじゃあないわ。命令よ。」

 「なおさら聞けないわね。」

 そう言うなり左京は振り返った。

 予期せぬ行動にマリアは驚いた。

 「これが見えないの?」

 マリアは銃口を今度は額に向けた。

 「そんなおもちゃが私に通用すると思っているの?」

 「おもちゃだと思っているの?」

 マリアと左京の視線がぶつかり合った。

 その後ろでは夜叉丸が成り行きを見守っている。

 隙あらば飛びかかる構えだ。

 そのことにはマリアも気づいていた。

 いまは、左京を盾にこの場を逃げる方がよい。

 そう思いマリアは左京をなんとか動かそうと精神感応(テレパシー)を使った。

 マリアの目が虹色に輝く。

 左京の周りの風景が消え、頭の中にマリアの言葉が響いた。

 (私といっしょに来なさい。)

 心地よく、抗しがたいその言葉に左京の身体が動くかに見えた。しかし、左京の中に別な意識が流れてきた。

 左京の脳裏に自分を害しようとする記憶が蘇ってきた。

 (やめて、こないで!)

 左京の精神がマリアの精神感応(テレパシー)を跳ね返した。

 「なに!?」

 左京の目に邪悪な光が宿り始めた。

 左京の突然の変貌にマリアは驚くとともに危険を感じた。

 (まずい)

 マリアはグロックを構えたまま後ずさりした。

 それを見て夜叉丸の身体が動いた。それに反応してマリアのグロックが火を噴いた。

 夜叉丸の足元に着弾する。

 動きが止まる。

 その音に左京が反応した。

 「おまえは私を殺すつもりね。」

 左京の周りに陽炎のように妖気が立ち上った。

 「いけない!」

 夜叉丸が叫んだ。

 マリアが出口に向かって駆け出そうとした。そのとき、左京の妖気がマリアの身体を蛇のように絡んだ。

 「ぐっ」

 すぐに体が動かなくなり、頭の中に恐怖や怨念の情が大量に入り込んできた。

 「キャ── !」

 苦痛に耐えきれず、マリアは気を失った。

 倒れたマリアを冷たい目で見下ろす左京は、更に妖気をぶつけようとした。

 「妖法 ヤヒロワニ」

 左京から立ち上る妖気が巨大な口を持つワニの姿へと変貌していった。その口が倒れているマリアを狙う。

 「左京様!」

 夜叉丸の叫びに左京はハッとした。

 目から邪悪さが消える。

 それと同時にワニも霧散した。

 「左京様、大丈夫ですか?」

 夜叉丸が心配そうに駆け寄ってくる。それに対して頭を振りながら左京は大丈夫だとアピールした。

 「夜叉丸、この者を本部に連れていきなさい。」

 「わかりました。」

 心配そうな表情を残しながら夜叉丸は、マリアを担ぎ上げると、表へ出ていった。一人残った左京は、コウと早瀬の死体を見ながら右手を伸ばした。

 「妖法 暗黒球。」

 すると左京の右手から黒い小さな球が出現した。それはゆっくり宙を飛び、早瀬の死体の上で止まった。

 黒い球が徐々に大きくなる。それにつれて早瀬の死体が球に吸い寄せられるように浮き上がり、黒い球の中に消えていった。

 黒い球は続いてコウの死体の上に移動し、同じようにコウの死体を球の中に吸い上げていった。

 コウの死体が消えると、黒い球は徐々に小さくなり、やがて消えてなくなった。

 「あの辺あたりは修理しないといけないわね。」

 血がこびりつくステージ床を見て、左京がそう呟くと、ポケットから携帯を取り出し、どこかへ電話をかけた。


 霧子がいつものスナックでくつろいでいると、突然携帯がハンドバックの中で鳴った。

 見るとカティナからであった。

 「HELLO。カティナ。」

 『あ、キリコ!』

 その慌てた様子に霧子は驚いた。

 「どうしたの?カティナにしては朝早いじゃあない。」

 『冗談言っている場合じゃあない。マリアになにかが起きた。』

 興奮して話すカティナに、霧子は尋常じゃない気配を感じた。

 「落ち着いて。カティナ。マリアがどうしたって。」

 『マリアとの意識が途切れた。こんなこと初めて。』

 なかば泣きそうに語るカティナをなだめながら霧子は根気強く状況を聞いた。

 『マリアから恐怖に叫ぶ声を聞いて、跳び起きたの。そして、マリアを呼んだけど意識が繋がらない。なにかあったのよ。』

 「場所の特定とかできないの?」

 『わからない。ただ…』

 「ただ…」

 『ステージのようなものが感じられた。』

 「ステージ?」

 『どこかのコンサートホールよ。』

 それを聞いて、霧子は考え込んだ。そして、思い当たることがあった。

 『キリコ、聞いてる。マリア、死んでないよね。』

 涙声のカティナに、霧子は落ち着くように言うと、

 「私に心当たりがある。カティナ、心配しないで。マリアはきっと探し出す。」

 『お願い、キリコ』

 小さな少女が懇願するような声で頼むのを聞いて、霧子はもう一度、「だいじょうぶ」と答えた。

 心配しないで待つように言って携帯を切ると、霧子はウィスキーの入ったグラスを残したまま、スナックを出ていった。

          8

 翌日、霧子は剣持の屋敷の前に立っていた。

 カティナの訴えを聞いて、霧子はオフィス・ワンを思い浮かべた。

 「きっとオフィス・ワン関連のコンサートホールに手掛かりがある。」

 しかし、オフィス・ワンには霧子の面が割れている。このまま、乗り込めば今度は自分が危険な目にあい、マリアどころではなくなる。

 そこで剣持に助力を思いついた霧子であった。

 前日、剣持にはアポを取っていた。そのおかげか、霧子はすんなり剣持の部屋に通された。

 部屋に入ると、中には見知った先客がいた。

 「麻里江!」

 「こんにちは。」

 笑顔で答える麻里江に、霧子は怒った顔で歩み寄った。

 「黙って病院を抜け出して。心配したんだからね。」

 「すみません。」

 麻里江は素直に頭を下げた。

 その姿にポーズで怒って見せた自分が恥ずかしくなり、霧子は黙り込んだ。

 「ま、霧子君もその辺にして、座ったらどうだね。」

 間を取り持った剣持に従い、霧子は目の前のソファに座った。麻里江もその隣に座った。

 「傷は大丈夫なの?」

 「はい、大分良くなりました。」

 笑顔を湛える麻里江の血色の良さに、霧子はホッと息を吐いた。

 「ところで霧子君の用事とは何かね。」

 剣持は自分の椅子に座るなり、霧子の訪問の理由を尋ねてきた。

 「実は剣持さんに助力をお願いにきました。」

 「助力?」

 剣持と麻里江の視線を受けて、霧子は軽く咳払いをするとマリアの件を話し始めた。

 「マリアは多分、拉致された考えられます。」

 「どうしてですか?」

 麻里江は率直に尋ねた。

 「マリアとカティナは一卵性の双子で、しかもテレパシーの能力者です。二人は常に意識が繋がっていて、どんなに離れていても意思の疎通ができるのです。」

 「すごい。」

 麻里江が純粋に驚き、剣持も驚きの表情を見せた。

 「ですから、マリアの意識が途絶えたということは、何らかの理由でマリアの意識が遮断されたと思われます。」

 「遮断?つまり、意図的に?」

 「はい。」

 「拉致と言っていたが、最悪の方は考えられないのかね。」

 剣持はあえて殺されたとは言わなかった。霧子も剣持の言わんとするところはすぐに理解できた。

 「それも考えられますが、私はマリアはまだ生きていると思っています。」

 「なぜだね。」

 まっすぐ自分を見つめる剣持の目を見返しながら、はじめ真一文字結んでいた霧子の唇が軽く吊り上がった。

 「私の勘です。」

 「勘か。」

 剣持も唇の端に笑みを浮かべた。

 「で、私に何をしてもらいたい?」

 「オフィス・ワン関連のコンサートホールを調べてもらいたいのです。」

 「コンサートホール?」

 剣持が首を傾げた。

 「カティナがマリアの最後の意識の中でステージをイメージしたと言ってました。マリアはオフィス・ワンを調べていましたので、多分、オフィス・ワン関連のホールに手掛かりがあると思います。」

 「なるほど。しかし、霧子君が自ら調べず、私たちに助力を頼むというのは?」

 「私はオフィス・ワンに面が割れています。いまさら、カティナのスタッフと言っても疑われるだけです。それに私の仲間では調査と言ってもハンディがあります。」

 その言葉に、剣持は外国人が日本のオフィス、しかも芸能プロダクションを調査するのは、それだけでも怪しまれるだろうと思った。

 「それ、私じゃあだめですか?」

 それまで沈黙を守っていた麻里江が突然、口を開いた。

 「麻里江…」

 「きみが…?」

 麻里江は真剣な表情で二人を交互に見た。

 「私なら顔が知られていませんし、アルバイトとして潜り込めば大丈夫かと。」

 剣持と霧子は麻里江の提案に考え込んだ。

 「麻里江、これってけっこう危険なことよ。マリアですら行方不明になったんだから。」

 霧子にしてはめずらしく心配顔であった。

 「かえって素人のほうが怪しまれないかもしれません。」

 「確かにそうかもしれんな。どうだろう。任せてみては。彼女の希望にもかなうかもしれん。」

 「希望?」

 霧子は剣持を改めて見た。

 「麻里江君は奈美に聞いたマリオネット計画を阻止するために、私に協力を求めてきたんだ。」

 その言葉に霧子は麻里江の方に目を向けた。

 「北陸に戻りましたが、蓮堂は彼らと取引をしたようです。」

 「取引?」

 霧子の問いに麻里江は苦渋の表情をした。

 「蓮堂は自分のことしか考えていません。そのためにどれほど犠牲が出ても見ぬふりをするつもりです。」

 麻里江の中ですでに、蓮堂は父でも師匠でもなかった。

 ただの自分よがりの老人でしかなかった。

 「わかったわ。なにかわかったら、ここに連絡して。」

 そう言って、霧子はスナックのマッチを渡した。

 「君はどうする?霧子君。」

 「えにしの会に接触してみます。」

 「えにしの会か。」

 剣持は顎に手を当てて、考え込んだ。

 そのとき、ドアをノックする音がした。

 「入りたまえ。」

 剣持の返事にドアが開くと、眼鏡姿の秘書風の女性が入ってきた。そして、剣持に歩み寄ると、耳に顔を近づけ、なにかを告げた。

 麻里江と霧子は、その光景になにか不穏な感覚を覚えた。

 「わかった。」

 剣持が頷くと、女性はすぐに部屋を出ていった。

 「なんですか?」

 霧子の問いに剣持は難しい顔をした。

 「事態が急変した。」

 「え?」

 「東京のえにしの会の会館に公安が入った。」

 霧子の額に皺が寄った。

 「公安は各地のえにしの会の関連施設に捜査の手を入れるだろう。」

 「じゃあ、オフィス・ワンにも。」

 「たぶんな。」

 麻里江の顔にも不安な表情が浮かんだ。


 その公安警察を取り仕切る警備局の別宮は、東京にあるえにしの会の本部の前にいた。彼の後ろには公安の屈強な警察官が多数立っていた。

 「よし、はじめろ。」

 別宮の合図で警官たちは会館の中に入っていった。

 突然の警察の来訪に会館内は上を下への大騒ぎになった。その中を警察官たちは手当たり次第に捜査を始めた。

 別宮は乗ってきた黒のステップワゴンに乗り込み、携帯を取り出した。

 おもむろに番号を押し、耳に当てると相手はすぐに出た。

 「そっちもはじめたか?」

 「はい。いま、入りました。」

 「よし、徹底的に探れ。抵抗するもの、怪しいものは片っ端から逮捕しろ。」

 「はい。」

 その返事で電話は切れた。

 その時だった。

 捜査員の入ったビルからすさまじい爆発音が轟いた。

 同時に爆風と爆炎がビルから噴き出した。

 それにあおられて、別宮の乗るステップワゴンが大きく揺れて、横倒しになった。

 瓦礫が降り注ぎ、粉塵で辺りが見えなくなる。

 横倒しになったステップワゴンの中で、打ち付けた肩の痛みを堪えながら、別宮は運転席を見た。

 「大丈夫か!?」

 横倒しの衝撃で運転手も体を打ち付けたようだが、大丈夫と返事をした。

 別宮はスライドドアを何とか開け、外へはい出した。

 外は地獄のありさまだった。

 瓦礫が辺りに散乱し、空からは粉塵と紙が雪のように降り注いでいた。

 「くそ!」

 残っていた警官がビルに入ろうとするのを、別宮は引き留めた。

 「消防と救急を呼べ!」

 別宮の指示に傍らにいた警官が携帯を取り出した。

 それを見て、別宮は思い出したように自分の携帯を取り出した。

 「…」

 呼び出し音は鳴り続けるが、相手は出ない。

 「まさか…」

 呆然とする別宮の耳に消防車のサイレンが聞こえてきた。


 都内は騒然となった。

 三か所同時に起きた爆発事件。

 それに巻き込まれて犠牲となった人々は夥しい数であった。その中には公安の人間も多くいた。

 別宮の所属する警備局は、これを問題視した。

 公安の手入れに合わせて爆発事件が起きた。完全に日本の治安に対する挑戦と受け取られた。

 警備局は各地の公安に連絡し、えにしの会とそれに関わると思われる団体すべてを調査するように指示を与えた。

 それを受けて、各地の公安がそうと思われる団体に立入検査を片っ端から行った。それはおよそ無関係と思われるような者たちも対象となった。そして、少しでも不審があれば次々逮捕されていった。

 当然、世の中では権力の横暴との声が湧き上がったが、その一方でテロリスト撲滅のためにも断固たる実行を求める声もあった。

 世間は少しずつ二分されていった。

 

 官邸内の首相の部屋では、長門が警備局長から報告を受けていた。

 「よし、わかった。引き続き取り締まりを強化してくれ。」

 頭を下げて出ていく局長を見送った長門は、椅子にもたれて目をつぶった。

 「コーヒーでもお持ちしましょうか?」

 傍らにいた秘書の日向が尋ねた。

 「いや、いい。しばらく一人にしてくれ。」

 「わかりました。」

 日向も同様に頭を下げて、退室した。

 部屋に一人残った長門は、目をつぶりながら今後のことを模索した。

 「順調のようですね。」

 不意の声に驚いた長門は、声の主を探した。

 自分の後ろにいつのまにか女性が立っている。

 「おまえは…」

 切れ長の目に細面の美女は、怪しい笑みを浮かべて長門を見つめていた。

 「いつの間に来たんだ。(いつき)。」

 樹と呼ばれた美女は、ゆっくり歩み寄ると長門の机の片側に手をつき、覗き込むように長門に顔を近づけた。

 紺のスーツに身を包んだ樹の体からは、花の香りのような(かぐわ)しい匂いが漂ってきた。思わず、その匂いに酔いそうになる。

 「思ったように事が進んでいるようですね。猛さん。」

 首相である長門を下の名前で呼ぶ樹に、長門は嫌な顔ひとつしない。かえってくすぐったそうに顔をほころばせる。

 「ああ、思い通りに事が進んでいる。この調子なら予定より早く日本をわが手にできそうだ。」

 「それはよかった。でも、安心しないで。あなたの足をひっぱろうとする輩はまだいるわ。」

 樹の口から香しい香りが長門の鼻腔をくすぐった。

 「そんな輩は片っ端から排除する。」

 長門の目に狂気の色が浮かんできた。それを見て、樹は微笑んだ。

 「あら、心強い。がんばってね。猛さん。」

 「ああ」

 酔ったような口調で返事をした長門は、やがて夢から目をさましたように正気にもどった。

 いつの間にか樹の姿はない。

 辺りをキョロキョロしながら長門の中である決意が生まれた。

 「日向はいるか?」

 長門の呼び出しに日向はすぐに首相室に現れた。

 「なんでしょうか?首相。」

 「いますぐ、警備局長を呼び戻してくれ。」

 「警備局長をですか?」

 「急ぎの用がある。すぐに呼び戻してくれ。」

 「わかりました。」

 そう返事して日向は部屋から出ていった。

 「邪魔な奴らはすべて排除する。」

 樹に言ったことと同じことを呟きながら、長門は警備局長が来るのを待った。


 公安が次々と立入検査をしている頃、ここ宮城にある陸防隊駐屯地においても異変が起きていた。

 駐屯地の普通科連隊や戦車大隊が出動の準備を始めているのだ。

 その指揮をとっていたのは山城であった。

 その少し前、山城は駐屯地の中にある司令官室を尋ねた。

 山城の突然の来訪に、司令官である鳥海(とりうみ)は驚いた。

 「なんだ。突然。」

 「司令官。総隊本部の命令です。至急部隊の出動を発令してください。」

 「出動?一体、どういうことだ。」

 鳥海は訝し気に山城を見つめた。

 「北海道の陸防隊が反乱を起こしたようです。それに呼応して青森の部隊も不穏な動きを見せています。防衛大臣から総隊司令を通して、反乱部隊の鎮圧が命令されました。」

 山城は直立不動の姿勢で一気にまくしたてた。

 「鎮圧だと。そんな命令を総隊司令が出したというのか?」

 「間違いありません。」

 山城の話を鳥海は信じられない思いだった。

 「命令書は?」

 「これです。」

 そう言って、山城は懐から封筒を取り出した。それを鳥海に差し出すと、鳥海はそれをひったくるように受け取り、中身を見た。

 「なんだ、これは!」

 鳥海の手にあるのは白紙の紙だった。

 「それが命令書ですよ。」

 「ふざけているのか?」

 怒りの目で山城を睨みつけると、山城は軽く笑いながら腰からグロッグ19を取り出した。先端には消音器(サイレンサー)が付いている。

 「なんのつもりだ。」

 「こういうつもりです。」

 言うが早いか、山城のグロックが火を噴いた。

 鈍い銃声とともに鳥海の胸に穴が開き、その衝撃で後ろにひっくり返った。

 山城は倒れた鳥海に歩み寄り、更に二発、銃を撃った。

 動かなくなった鳥海の顔に手を当て、死んだことを確認すると、山城は消音器(サイレンサー)を外し、グロッグを腰に戻した。そして、外に待機している部下を中に呼んだ。

 「いいか、ここで見張っていろ。」

 「は!」

 敬礼する部下に見送られて、山城は部屋を出ていった。

 まっすぐ会議室に向かう。

 中にはすでに数名の将校が待っていた。

 「待たせたな。司令からは了解をもらった。すぐに出動する。」

 「行き先は?」

 一人が尋ねるのを見て、山城は後からついてきた隊員に顎で合図した。

 隊員は持ってきた地図をテーブルの上に広げると、皆がそれをのぞき込んだ。

 「普通科連隊は二手に分かれて、こことここにバリケードを敷け。戦車連隊はこことここの道路を封鎖しろ。わかったな。」

 「は!」

 皆が山城に敬礼すると、すぐに会議室を出ていった。

 それを見送った山城は、ポケットから携帯を取り出すと、陸奥の携帯に電話をかけた。


 東京の某ビルにいる陸奥は、山城の報告に満足していた。

 「そうか、順調か。」

 『ああ、すべて予定通りだ。伊勢の方はどうだ?』

 「いま、北陸の方で動いている。遠からず北陸の部隊も動くだろう。」

 『このまま、東京を包囲か。』

 「うまくいけばな。まだ、中国と四国は動いていない。」

 『いずれ動くさ。東京はまだ戒厳令は敷かれてないのか?』

 「それも時間の問題だ。」

 『それでは東京で会おう。』

 「くれぐれも慎重にな。」

 簡潔に返事をすると、山城からの電話は切れた。

 携帯をポケットにしまうと、陸奥は自分のいるビルから下を眺めた。

 街の人間は今日も判で押したような生活を始めている。これから起こることも知らずに。

 陸奥は窓から離れると、壁際に立っている部下の方に体を向けた。

 「予定通り始めろ。」

 「は!」

 男は敬礼すると、急いで部屋から出ていった。

 そのとき、陸奥の携帯が鳴った。

 相手は樹であった。

 「樹か?」

 『大丈夫でしたか?』

 「ああ、樹のおかげで予定通り事が進む。ありがとう。」

 『どういたしまして。でもしばらくは会えないわね。』

 「しばらくの辛抱だ。事が成就したらずっと一緒にいられる。」

 『うれしい。そのときを心待ちにしているわ。』

 「ではな。」

 『はい、成功を祈ってます。』

 そう言い残して、樹からの電話は切れた。

 少し勿体なさそうな表情を残して、陸奥は携帯をしまった。

          9

 麻里江は、剣持の助力もあり、うまいことオフィス・ワンにアルバイトとして潜入することができた。

 世の中が騒然としていても、相も変わらず芸能プロダクションは忙しくしていた。麻里江も雑用を無難にこなしながら内情を探り続けた。

 オフィス・ワンに潜入して四日後、麻里江はコンサートの手伝いで品川にあるコンサートホールに出向いていた。

 大きな声が飛び交う中、大勢がステージの上で機材を運び、セットを作り、コンサートの準備に勤しんでいた。

 麻里江もスタッフに言われるままステージの上を走り回っていた。そのとき、ステージの上に気になる物を見つけた。

 ステージの板の隙間にわずかに黒いしみが見える。

 かがんで指でなぞり、匂いを嗅ぐと血の匂いがした。

 「おい、なにをしている。さっさと持って来い。」

 「あ、はい。」

 スタッフの一人に叱責され、麻里江は慌てて持っていたケーブルを届けた。

 

 翌日の夜、麻里江は霧子に指定されたスナックを尋ねた。

 客はだれもおらず、ママがひとりカウンターに立っていた。

 「麻里江ちゃんね。霧子から聞いているわ。」

 笑顔を送るママに、麻里江も心をゆるしたようにカウンターに座った。

 「お客さん、いないんですね。」

 率直な感想にママは苦笑いをした。

 「そ、いつもこんなもの。何飲む?」

 「オレンジジュースを。」

 「そっか、未成年だったよね。」

 麻里江の注文に納得したような表情を見せた後、ママは冷蔵庫からジュースを出し、それをコップに注いで麻里江の前に出した。そのとき、霧子が現れた。

 「おまたせ。」

 にこやかに入ってきた霧子の後ろには、剣持もいた。

 「剣持さん。」

 予期せぬ来訪者に麻里江だけでなく、ママも驚いた顔をした。

 「いっしょに飲みたくてね。ついてきた。」

 冗談交じりに言う剣持は、麻里江の横に座り、その横に霧子が座った。

 「両手に花だね。」

 「冗談ばっかり。」

 麻里江が頬を赤くした。それを微笑みながら見ていたママが剣持の前にコースターを置いた。

 「なににします。」

 「ジュースを。」

 「え、ジュースですか?」

 霧子が驚いたような声をあげた。

 「仕事の最中なんでね。」

 「皆がジュースなら私もそうしないといけないわね。」

 不満そうな顔をしながら霧子はママにジュースを注文した。ママは笑顔を見せながらジュースを出すと、さっさと奥に引っ込んでいった。

 「で、なにか見つかったの?」

 霧子がいきなり問いかけてきた。

 「はい。」

 待ってましたとばかりに返事する麻里江は、昨日発見したことを話し始めた。

 「ステージの床に血痕が?」

 「ええ、床は修理した痕がありましたが、わずかに残っていたようです。その日の夜にホールに忍び込んで、さらに調べたらステージ下の床にも血痕が残ってました。」

 その報告に霧子は考え込んだ。

 「そのホールでなにかあったのは確かね。」

 「マリアさんがかかわってるのでしょうか?」

 麻里江が不安そうに霧子の方を覗き込んだ。

 「そう考えるの自然ね。」

 「その血痕はマリアさんのものと思うかね?」

 剣持が静かに尋ねた。

 「わかりません。ただ、前にも言った通りマリアは生きていると、今も思っています。」

 「どこかへ連れ去られていると…?」

 霧子は黙ったまま頷いた。

 その後、しばらく沈黙が続いた。

 「えにしの会の方はどうだったのだ?」

 剣持が不意に霧子に尋ねた。

 「だめです。例の公安の手入れと爆発事件で動きが取れなくなりました。」

 霧子はため息交じりに答えた。

 「だろうな。警備局もやっきになっている。総理の直接の指令で全国のえにしの会が調査対象となった。しかも、すこしでも係わりのある者はかたっぱしから尋問を受けている。」

 剣持も険しい顔つきでジュースに口をつけた。

 「なんか、世の中が騒がしくなってますね。」

 麻里江がポツンと言った。

 「それに陸防隊の動きも気になる。」

 「陸防隊か」

 「アメリカはどう思っているんだ?」

 唐突の問いに、霧子はハッとして剣持を見た。

 「どういう意味ですか?」

 「そのままの意味さ。アメリカは日本のこの動きに対してどう思っているのかな?」

 剣持が厳しい眼差しで霧子を見つめた。その後ろで麻里江が心配そうな顔をしていた。

 「それは、私のような者ではわかりません。」

 霧子は視線を外すと、酒の並ぶ棚に見るとなく見た。

 「そうか…」

 剣持も酒棚のほうに視線を移した。

 麻里江だけが二人を交互に見た。

 「マリオネット計画…」

 麻里江の口からこぼれるようにその言葉(ワード)が出た。

 「マリオネット計画が動き出しているということ?」

 霧子が麻里江に顔を向けて聞き返した。

 今度は麻里江が黙ったまま頷いた。

 「警備局の手入れも、陸防隊の不穏な動きもすべてマリオネット計画の内だというのかね?麻里江君。」

 剣持が麻里江の方に顔を向けた。

 「そんな気がするのです。」

 「しかし、そうなると首相や陸防隊の首謀者がその計画の推進者ということになるぞ。」

 「黒幕は別にいるとは思います。彼らはただ、言われるままに動く人形(マリオネット)だと思います。」

 「人形(マリオネット)ね。」

 霧子が皮肉な笑いを浮かべた。

 「ともかく、私はマリアの行方を更に調べます。麻里江はまだオフィス・ワンを調べる?」

 霧子は麻里江の顔を覗き込むように身を乗り出した。

 「いえ、それは霧子さんに任せます。私は別なことを調べたいのです。」

 「別なこと?」

 霧子は首を傾げた。

 「魔法陣です。あれが何を意味するのか、もう一度調べてみます。」

 「では、私は首相と陸防隊の首謀者の動きを注意しよう。」

 剣持はジュースを飲み干すと席を立った。

 「なにか、わかったら連絡をくれ。」

 そう言い残して、剣持は店を出ていった。

 「あら、あの人、帰ったの?」

 奥からママがゆっくりと出てきた。

 「支払いはいいんですか?」

 麻里江がママに尋ねると、ママはにっこり笑った。

 「勘定はあとでまとめて請求しているの?彼、きっちりと払ってくれるから好きなのよ。」

 剣持が飲み干したコップをかたづけながらそう言うと、霧子がいたずらっぽい笑いを浮かべて、ママに尋ねた。

 「ママの好みじゃあないの?」

 「霧子、じょうだん言わないで。」

 ママが赤くなったのを見て、霧子は声を出して笑った。

 それを見ながら麻里江は別なことを考えていた。

 「どうしたの?麻里江。」

 麻里江の考え込む姿を見て、霧子が尋ねた。

 「奈美さん、どうしているかなと思って。」

 奈美という言葉に霧子の表情が一瞬で変わった。

 「奈美、無事だといいけど。」

 霧子と麻里江はそのまま黙ってジュースを飲み続けた。


 その奈美は、見知らぬ部屋のベッドの上で眠り続けていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ