Section.4 懇願
月島の決断は、成長とともに緩慢に変化していく周囲の環境の平均に比すれば、いつも早い方だった。いい面も悪い面もある。仮に事後的に望ましい決断をいつでも下せるのであるならば、早ければ早いほどいい。
しかし、そんなことはあり得ない。
時期尚早に誤ってしまえば、軌道修正は難しくなる。
判断は、情報が揃ってから。最良なのはそうだと知りつつも、月島は少しの情報で動き出してしまう癖のある人間だった。研究という観点からすると、よろしい性質とは到底言えない。なにせ、新聞記事などから得た着想を、大した下調べもせずそのまま発表に用いるということもあるのだ。
下支えのない研究など、ゴミもいいところである。
が、戦闘となると話は変わってくる。
自分の行動方針を決めた月島は、森の中を逃げ回りながら少しでも木々の密度が濃い場所を探す。走っているうちに、錆び付いていた本能は、体の動かし方をだんだんと思い出してきた。
一方向こう側は、体力が覚束なくなってきているよう。
このまま逃げ続けてても相手の体力不足で勝てるかもしれない。
だが念には念を。
視線を鷹のように鋭くしながら、実は脆いと分かった木を生え際から蹴飛ばし、折る。
「クソが、ちょこまかちょこまかと……」
苛立ち混じりの大声が、さっきから何度も何度も聞こえてくる。
自分の思い通りにならないのがよほど気に障るようだ、と月島は鼻で笑う。
ところで、さっきから飛んでくる火球の量が少なくなっている。そしてこちらに向かってくる火球も、もう最初の頃の勢いはない。
存外、魔法というのはそこまで便利な代物ではないらしい。結構体力を使うのかもしれない。
逆に、自分はよくここまで体力保つな、と月島は自賛する。日頃の自転車通学及び筋トレが役に立っているのか。あるいはなぜか回復した視力のように、体力も最高潮である、剣道部引退直前の高校二年時に戻っているのか。
「この辺りでいいや」
そう呟くや否や、これまで多少ジグザグながらもゆったりとした曲線状に動いていた月島は、突然方向転換したのち、狭い範囲内をランダムに駆け回る。
「は?」
月島のモーションがまるで読めず、一瞬目を点にする火魔法使いの少年。
首をカクカク、眼をキョロキョロ。
的の走るテリトリーは森の中でも一層木の茂る所。少年は混乱し、狙いがまったく定まらない。
とりあえず、二、三球だけ打ってみた。すぐに燃え上がる数本の木。火の粉が少年の肌に降りかかり、傷つける。どういうわけか、口元を歪める月島の姿が彼の目に映った。
すぐに見失ってしまったが。
月島の笑顔を気味悪く感じつつ、少年は後退る。
ここで闇雲に火球を打とうものなら自分も酷い火傷を負ってしまうだろうし、何より魔力の無駄遣い。
負けはしないだろうが、このままではジリ貧だ。焦りは脳を焼き、嫌な汗が全身を伝う。
「はははっ」という月島の笑い声が、少年の耳に届いた。馬鹿にされている。むかつく。
こいつもか。こいつも僕を馬鹿にする。
「さっきまであんなに威勢がよかったのに、もう打ち止めか? そんなのでチートだのハーレムだの、よく言えるな」
明らかな挑発だった。
されど激昂した子供は、自分がもうノセられていたということに全く気がつかない。
「グギギ……卑怯だ!!」
見当はずれの虚空を指差しながら、少年は喚く。地団駄を踏む。
「こんな燃えやすい木の多いところで火の魔法が使えるか! お前を殺せても、僕が重傷を負ったら意味ないんだよ! 火が使えるところで、正々堂々勝負しろ!」
何を言っているんだかと月島は呆れる。自分は魔法が使えない。お前は使える。この時点でとんでもないアンフェアだ。正々堂々などとんでもない。まあそれはいい。勝負とは概して不公平なものなのだから。
だがしかし、敵の言葉は月島にとってこれ以上ないほど好都合なものだった。
本当は、もう少し時間をかけて自然に誘き出す予定だったのだから。
月島は、「確かに卑怯かもな」と思ってもないことを口に出す。
「ならこっちに来るといい。少し開けた場所がある。そこで勝負をつけよう」
向こうからのあまりに都合のいい提案に、敵の少年は拍子抜けしてしまう。平地ならば、火球を自在に使える者と素手の素人では、圧倒的に前者が有利だ。それこそ、赤子とプロレスラーほどの差がそこには存在する。
さすがに何か裏でもあるのかと疑う彼だが、逃げるしか出来ない相手の猪口才な罠など、上位の炎魔法を使える強い自分に乗り越えられないものではない、そう判断した。
罠と分かる誘い方をする阿呆な奴の小細工など、僕なら簡単に砕ける。大きな自信から、少年は心の中でほくそ笑む。
月島の計算通りに。
「ああ、そこで正々堂々決着をつけよう!」
威勢よく返事する少年へと、月島は手招きする。ほんの五、六メートル進んだところに、ちょうどレスリング場ほどの視界が広がっていた。
月島を目で捉えるや否や、間髪入れずに放たれる火球をバックステップで躱す月島。火は地面を焼く。
「クソがっ」
少年からすれば、罠を張られているだろうから、意表を突いて開幕焼却してやろうという腹積もりだった。しかし回避された。
自らの思惑が、尽く外されている。
もうストレスは、限界を突っ切っていた。
目の前の男を、早く殺したい。そして、この世界でチート伝説を作るはじめの一歩としてやる。
そうじゃなきゃ、腹の虫が治まらない!
執念は、バックステップ分だけ離れた月島を追いかけさせるべく、少年を前のめりに踏み出させた。次こそ、確実に仕留める。
それ以外、少年は何も考えていなかった。
「えっ?」
突然腹に、鈍重な痛みが走る。
意識が真っ白になる。
カハッと噎せて唾液を吐き、腹を抑えながら、ヨロヨロよろけて片膝を突く。
少年には、何が起きたのかさっぱり見当が付かない。
「あれま、いいところ気逸らし程度かと考えていたが、まさか鳩尾にクリーンヒットするとは」
腹に加えて、さらに首にまで苦しさを感じる。少年は、一切顔を動かすことが出来ない。
如何しようも無い体の不自由に、さらなる困惑へ追い込まれる少年。ただ、月島がヘッドロックを極めただけなのだが。
「不思議だよな。理屈はまるで不明だが、物理で折っても再生しないのに、燃えたら再生するんだこの木は。あえて生物の適応的な話をするならそうだな、山火事さえ起きれば大繁栄するんだろうな。周りの植物がダメになったところで、自分は再生出来るのだから。あるいは単に、フィールドに対燃焼用の形質保持機能があるだけかもしれないが。お前対策に」
言われてみれば、少年のぼやけていく視界に、先ほどまでは存在していなかったはずの細めの木が生えていた。あの木が少年に、ボディブローを食らわせたのだ。
よくよく周囲を観察すると、「開けた場所」の地面には、そこら中で木が根元から折れている。
月島が逃げ回っている間に作ったフィールド。
開けた場所に罠が仕掛けられているのではなく、開けた場所自体が罠だった。
「たったしゅけて……」
懇願するような視線を、少年は月島に向ける。双眸には、これでもかと涙が溢れ出てきている。それでもゆっくり確実に、締める力を強めていく月島。
「これは、殺人罪だぞ……!」
「黙れ。正当防衛だ」
最初嬉々として殺そうとしてくれたくせに、いざ自分が殺される側に回ると殺されない権利を主張する。
最後まで、呆れた奴だったなぁ。そう溜息を吐く月島は、腰の力をふんだんに使って、少年の首をゴキリと折る。
すると。
【経験値を76獲得。Lv.1→3】
「ん? マジか」
突如として頭に鳴り響いた通告に、訝しげな反応をすると同時に。
この森っぽい場所へと連れてこられた際に似た猛烈な眠気が月島を襲い、瞬く間に眠りについた。