表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/24

Section.1 拉致


 日付で言えば(・・・・・・)、例の発表のほんの一週間前に過ぎない。


「そろそろ、朝はかなり寒くなってきた」


 地下鉄の駅を出て、月島はもごもごと呟く。ポケットに手を突っ込んでから、一限から授業の開かれる、慌ただしい学びの場へと向かっていった。

 渡るべき信号が、ちょうど赤に切り替わる。

 いつもなら苛立つ場面だが、今に限って言えば、なんだか少しホッとする。

 彼の住んでいる学生寮は、キャンパスから二駅ほどしか離れておらず、雨でも降らない限り自転車を使って通学するのがスタンダード。しかし今日は体を動かすのが億劫で、つい電車を使ってしまった。

 その理由は。


「卒論指導のアポイントメントの日付、今日だもんな……」


 怯え切ったかわいそうな子犬のように、月島は肩を縮こませる。


「そして来週中間発表だ、緊張しないわけがない……自転車は無理」


 ちょっとした不注意で車に轢かれかねないぜと、不可抗力的に出るのは、沈んだ声。

 それでも小さな門をくぐり、大学の敷地内に入る時間はやってくる。

 トボトボ歩けば、経済学部の授業が開講されるほか、教授や院生たちが研究する部屋のある建物へとたどり着いた。ラウンジに設置されている自販機に120円入れ、温かい缶コーヒーを買う。

 心ここにあらずといった塩梅でノートを取りながら、一・二限を寝ることなく乗り切り(睡眠時間は短かったが、緊張で眠れなかった)、遂に昼休み。

 自らの所属ゼミを指導する安島教授との、約束の時間。

 心臓をバクバクさせながら、教えを乞いに行く。


「いらっしゃい、月島君」


 教授の研究室のドアを開けば、待っていたとばかりにニコッと、彼は月島を出迎えてくれる。

 その人としてとても魅力的な笑顔を、これほどまでに畏れたことがあろうか。


「とりあえず、提出してくれたペーパーは読んだよ」

「ありがとうございます」

「大まかに言えば、特殊な確率分布に従って人々の生産性が1期ごとに変化するときの、物価の決まり方について議論してたよね。まずは……」


 いいところと悪いところを上から順番に指摘されていき、その度に月島は喜んだり悲しんだりする。


「最後は、実際のCPIの動きとの当てはまりの良さだよね」

「はい」


 頷く月島。これに関しては、かなり当てはまりが良かった。口にも態度にも出さないが、自信はあった。

 自分の作ったモデルは、現実をそれなりに説明していると。


「まあ、仮説も直観的には正しく見えるよね」


 安島教授はウンウンニコニコ首を縦に動かして。


「よく作られて(・・・・)いる」


 教授の言い回しに、月島はピクリと反応した。

 よく、作られている。

 耳に残る、心がざわつく。

 少しイラつく。

 しかし、手応え的にはこのまま卒論として行かせてもらえる。

 月島が、そう確信した時だった。


「ダメ。テーマを直してまた持ってきてね」

「! 何でですか!??」


 思わず、大きな声を出してしまう月島。

 残響が、安島教授の研究室に広がる。


「そうだね。リサーチクエスチョンは分からないこともないし、文章はちゃんと書けてると思うし、理論的には精緻だし、新規性も一定程度はあるし、現実との整合性もちゃんと取れているとは思うよ」

「なら、何でダメなんですか!?」


 納得のいかない月島は、再度吠え立てる。


「端的に言うと、全体として現実感と、臨場感と、そして何より使命感がないからだよ。君ならもっと書けるだろ?」

「っ……それってどういう……」

「それも話そうと思ってたんだけど、そろそろ昼休みが終わってしまうね。僕はこの後用事があるし、今日のゼミが終わったら話そう」

「……ありがとうございました」


 時計を見ると、そろそろ13時。三限も始まってしまう。

 だというに、結果はほぼ拒絶(reject)も同然だ。

 ああ、せっかく頑張ったのに。

 失意に駆られながら研究室から出ると、これまでの努力がすべて無に帰す未来がありありと想像される。


「くそったれ! 結局俺もコロされてしまうのか」


 溢れ出る倦怠感と疲労感に、月島は三限サボろうと決意した。ラウンジでふて寝すべく、エレベータで一階に降りていく。


「他は分かるけど、使命感ってなんだよ……」


 ドカッとソファに身を投げ出して、「ちくしょー」と目を瞑る。

 深夜の三時まで卒論作業に苦しめられていた月島は、寝つきは良い方でないにも関わらず、瞬く間に眠りに入ってしまった。

 意識は闇の底に沈んでいく。

 ずぶずぶと、ずぶずぶと……。



=========












「……?」


 ふっと、月島は目を覚ました。

 暗い。

 ラウンジ消灯の時間まで寝てしまったのか。そう考え、首を動かそうとするが、全く動かない。


「?」


 自分の荷物が頭に乗ってでもいるのかと考え、手でどかそうと試みる。しかし、手も動かない。


「??」


 足をばたつかせてみる。

 腰を浮かせようとする。


 動かない。

 動けない。


「どういうことだ、おい!!」


 すぐさまパニックに陥った彼は、全身をとにかくめちゃくちゃに動かし、喉が張り裂けんばかりの大声を出す。


「誰かぁ! 助けてくれええええ!!!」


 嵌めたはずのコンタクトレンズがなぜか消えており、周囲はよく見えない。

 が、自分の体の置かれている状況くらいは観察出来た。

 全身を、椅子にぐるぐる巻きに固定されている。

 痛いくらいに、圧迫感を覚えるほどに。


「くそーーーーーーーっっっ!!??? ……はぁ、はぁ」


 運動不足な月島は、一分も持たずに暴れまわるのをやめた。しんどい、呼吸が辛い。「俺は、誘拐でもされたのか?」とボソッと呟いた。

 すると。


「おや。起きましたか」


 コツコツと、暗闇の向こうから足音が聞こえてくる。

 なんと、落ち着いたものか。俺を誘拐しやがったのはこいつか?

 疲れている間に状況をなんとか飲み込んだ月島は、声の主を予測して、身構えた。低い視力で、なんとか相手を捉えようとする。

 見えてきた、シルエット。


「嘘だろ……!?」


 非現実的なのに、圧倒的な臨場感。

 常識が当てはまらない、培ってきたものの一部がぶち壊される。

 その姿には、驚愕するしかない。


「翼?」


 朧げにしか、見えていない。作り物かもしれないと考えるも、本能がそれを拒絶した。

 あれには体温がある、こいつの意識で動かせる。本来ありえない予測が、スゥッと常識に吸収され。事実として、受け入れてしまった。


「なんだ、お前は……」

「やぁ、翼なき下等な異世界人」


 ぽん。

 肩に、手を置かれる。

 体を走るのは、今まで感じたこともないような、名前をつけられない恐怖。

 縮み上がる内臓と筋肉。

 吐きそう。

 漏れそう。

 泣きそう。

 震えて、声も出ない月島に。


「実験番号580071。君は生き残って、我らが天使族の、最終兵器となれるかな?」


 嘲るような高音で話しかけたのち、コツコツと離れる。

 十秒ほど経った頃だろうか。

 月島の耳に、金属の扉が締め切られる音が、鮮明に届いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ