オランダ・ゼロ
星型空冷エンジンは日米BMW以外になくて大変。隼と零戦は胴体とエンジンの直径が悩んだ。素直に零戦の性能アップは誉を積むのが正解。
南国特有の暑い日差しの中を飛来した零戦。しかしいつも見慣れた零戦とは何処か違う零戦の機影がどんどん近づいて大きくなってくる。
南国の青空に浮かぶ白雲の下、滑走路に滑り込み、整備員達の手によって駐機場へと移動させられる。
エンジンから熱気とガソリンの焦げ臭さを発散しつつ駐機する見慣なれないシルエットと聞き慣れないエンジン音の零戦。
いつも見慣れた零戦21型と比べて大きなエンジン、翼端を切り落とした角形翼端、両翼から突き出た4丁の機銃。
全体的に直線が多く、何処がグラマン似たアメリカの香りがするあきらかに違う零戦がソコに居た。
フォッカーD.XXXⅢ(D-33、フォッカー33)日本名称:零式艦上戦闘機33型。
全長9.1m/全幅11m/最大速度560km/武装ブローニング12.7mm重機関銃M2×4(各250発)/エンジン:ブリストル ハーキュリーズ MkⅡ(1,375hp)航続距離2000km
《オランダ・ゼロ≫の愛称で云われる零式艦上戦闘機32型をベースにフォッカー社が自社改修した艦上戦闘機。
開発が始まりはオランダ本国からの脱出が全ての始まり。
本国から脱出したオランダ政府はオランダ領東インド諸島にて臨時政府を樹立。本国奪還の為に反抗の牙を研ぎだした。
幸い本国から脱出した艦隊と植民地に展開した在東インド植民地軍は十分な兵力を持っていたが兵器の装備事情はお寒い限りだった。
艦隊の方は艦隊運用可能な纏まった戦力だが一部艦艇は艤装途中や建造途中のままに脱出。
戦闘機はフォッカーG.I、フォッカー D-21と本国降伏前に発注したF2A バッファローなど。戦車にいたっては0両という状況。
これからの装備更新の為、江戸幕府から340年交流し、日蘭同盟を結ぶ大日本帝国とロシア帝国から供与を受けた。
しかし、ここで一つの問題点が浮上。オランダが保有する空母。この時のオランダ空母の艦載機は英国から購入したブラックバーン ロック、ソードフィッシュという状況。
亡命政権樹立後はロシア帝国や日本から供与された機体やフォッカー社が攻撃機に自社改修したロックなどが配備された。
そんなか「せめて試作でもいいから自国の兵器を自分達で作りたい」という気持ちがオランダ軍内にも強くなった。
だが一から作るのには開発時間もなく、持て余し気味の零戦32型をフォッカー社が改修という形で制作がスタート。
ベースになる零戦を保有するバッファローを参考にして再設計して改修。
エンジンを当初、エンジンは日本やロシア帝国の護、ツマンスキー M-88、シュベツォフ ASh-82などを候補していたが細い零戦の胴体とエンジンの着艦時の前方視界の悪さなどでブラックバーン社との繋がりからイギリスのブリストル ハーキュリーズを採用。
武装を20mm機銃2門から4門に換装。操縦席に防弾鋼板と防弾ガラスを追加、翼内燃料タンクに自動消火装置を装備。
元となった零戦より防御力を強化して格闘戦と航続距離は落ちたものの少し速く撃たれ強く機体となった。
生産された機体は零戦32型からの改修された機体のみで100機程度。
だが数少ないオランダ・ゼロ達はオランダ空母の航空部隊に配備されエチオピア、北アフリカ、地中海を渡ってイタリアと大西洋と母国奪還の長い闘いを繰り広げてその任を十分に果たした。
>この作品の世界線では鎖国中も朱印船貿易を継続。特にオランダは出島を自国領として租借。
鳥羽伏見の戦いが痛み分けに終わってからの王政復古により幕府の影響を残しながらの新政府樹立。
特に帝国海軍は徳川幕府開闢以来、幕府水軍からの直系。黒船来航時、江戸湾海戦し勝利。
新政府後はエチオピア帝国、ハワイ王国と同盟。琉球王国は保護国として存続。
>第一次世界大戦にて乃木元帥と東郷元帥を指揮官に遺欧軍と金剛型主力にした遺欧艦隊を派遣。皇帝の戦いとユトランド沖海戦に参加。
ソ連は1936年2月26日に日ソ戦争勃発。フィンランド、ポーランド、オスマントルコと参戦により1938年7月15日終戦。日本が救出してウラジオストクに遷都したロシア帝国復活。
>ワシントン海軍軍縮条約の変更点は要塞化禁止条項なし。主砲口径16インチまで排水量制限無し新造戦艦4隻まで。日本は長門型・加賀型建造。
また戦艦2隻廃艦し新造艦1隻が条項付帯され、金剛型・伊勢型・扶桑型を廃艦し空母化。天城型4隻追加。
史実より戦略範囲が広く激戦を潜っており、夕雲型駆逐艦(史実の秋月型)秋月型防空巡洋艦、翔鶴型4隻体制etc