一本道のレール
あなたは、敵だ。
何も変わらない、私はそう教え込まれたのだから。
――なのに、私は、今。
身も世もなく、泣いている。
□▤□▤□
かつて、殺した男がいた。
そいつは悪辣で、傲慢で、どうしようもない男だった。多分、奴と悪魔のどちらかを伴侶に選べと言われれば、大抵の淑女が悪魔を選ぶだろう。奴は顔と頭は良かったが、にもかかわらず、人望はてんでなかったから。
とにかくそんな男だったから、私の胸は痛まなかった。ことに、人を殺すことも初めてではなかったから。
私事だが、私ことレンサイエット伯爵一派は代々殺し屋の家計である。この私も例外なく、四十五年前に生を享けてから、長男として日々精進してきたのだ。
奴の死が私の人生に与えた影響は少なくない。裏切るためとはいえ、幼少の頃から、殺すまで長く側近として仕えたのだから。とはいえ、所詮は殺せる程度の情しか湧かなかったのだが。
情が薄いことは自覚していた。そもそも、でなければ、自分の息子に刺し殺されるなんてことは無いと思う。どこか私は、昔から人の気持ちがわからない。恨まれていたなんて、殺されるまで知らなかった。不覚だ。
さて、何故殺された記憶があるにも関わらず、私は私という自我を保っているのだろう。その疑問は、目の前にある文明の利器が解決してくれた。
(ふ、む………五つ、いや六つだろうか……)
見覚えのある顔だ。そういえば、息子にも似ている。そうか……生前は気付かなかったが、私たちは本当に親子だったのか。若い燕をいつも飽きずに囲っている女だったが、一応馬鹿ではなかったようだ。
手を振れば真似をする。笑えば真似をする。これと同じものを、私は知っている。鏡だ。
この目の前にあるものが鏡だとすれば、この少年は私だ。何せこの部屋には、見る限り私しかいない。とすればこれは、若返りか…?
「セスお坊っちゃま。お目覚めの時間ですよ」
決まりだ。戻ってる。懐かしいばあやの声だ。なるほど、とすると今日は、いつ頃だ?
「今日は初めての登城ですことよ。きちんと起きてくださいまし。旦那様がお呼びですわ」
なるほど、把握した。とするとおそらく、旦那様、つまり父上の用事は………暗殺の依頼だろう。
大方呑み込めたので、私は適当に返事をして支度を始めた。
□▤□▤□
「仕事だ。今日から、仕える王子を監視しろ」
「畏まりました」
返事をすると、父上は少し戸惑ったような顔をした。そういえば、父上は晩年の私より年下か。
「……わかってるな。いずれ殺す相手だ」
「承知しております」
正確には、十五年後だ。あれは確か、結婚してすぐの頃だったから。こっそり補足を加えると、また父上は妙な顔をした。
「お前は……なんだ。そつがないというか……親としては少し心配になる」
ああ、前はここで、そう教育されましたから、と答えた。だがこの指摘は実際のところ、適切だったのだ。でも、そう答えても仕方がない。何せ、先の話だ。
「……時までは、敬意を払います」
他に言葉は、思い付かなかった。
□▤□▤□
「はじめまして、殿下。今日より使えさせていただく、セス・レンサイエットと申します」
「よろ、しく………俺はライアンだ」
「はい、よろしくお願いいたします」
殿下は、第四王子。王家の末子だ。第一王子と第三王子が正妃様の息子で、第二王子と第四王子はそれぞれ別の妾の子。
王位は最終的には第二王子が継ぐ。公には第一王子の身体が弱いからとなってるが、第二王子の母は隣国の王女。既に正妃がいた国王に一目惚れした王女を、押し付けられたのだ。王女は典型的な王女で、独善的。国を絡めて王座を争いに来た。そこでやむを得なく……といった形だ。正妃の実家は、武には秀でていても、政には強くなかった。
ちなみに第四王子の母は商人の娘。財源に困った王家に縁を迫ったのだが、あれは悪手だったろう。出産で娘が死ななければ、また違ったのかもしれないが、おかげで後ろ楯が商家しかいない第四王子は二十一にして第二王子派に嬲り殺されることになる。
「………セス?」
……ああそうだ。今は挨拶の最中だった。意識が飛んでいたが、気を付けないと。
「失礼致しました。ライアン様、とお呼びして良いというお話でしたよね」
「あ、ああ………お前は、俺と同い年なんだろうっ!? なら……友達になってくれよ!!」
………前は、断ったのだっけ。私は一介の臣下に過ぎないと。だが今なら何となく、独りの王子が懸命に手を伸ばしていることがわかった。
「はい………ライアン様」
□▤□▤□
ところで第四王子は、こんな性格だっただろうか。いや、そんなわけは断じてない。
生前の奴は、十になる頃にはもっとろくでもない人間だった筈だ。勉強はさぼり、稽古は抜け出し、手下をいつも連れ回して、挙げ句の果てには国税で無駄に高い宝石や壺を買って自慢していた。
それが今や、勉強は真面目、剣の腕は国随一。人望はあるし、この間は私金で道路を直していた。もしや、何か悪霊が憑いて………? いやそれはむしろ、昔の奴に言えることだろう。まともになったのだ。
今、第四王子を悪く言う人間は誰もいない。他の王子たちは、昔の奴と似たり寄ったりなのだから。王家は議会の傀儡。馬鹿なほうが都合が良い。
……これは、暗殺の時期が早まるかもしれない。そう思うと、少し胸がざわざわした。
「………どうした、セス」
「ああ………いえ、納期について少し考えていました」
「お前は相変わらず……真面目だな」
「いえ、そんなことは……」
「だから苦労するんだ。悩むくらいならいっそ、考えなしに今を楽しめ」
殿下はそう言って、清々しく笑った。不思議と殿下に似合う、晴れやかな笑顔だった。
□▤□▤□
雪の降る、冷たい夜。
私は第二王子に呼ばれて、王宮の中を彷徨いていた。この頃にはもう、第二王子にも暗殺者として顔を見せていた。初めて会って以来、何が楽しいのか夜中に呼び出される。迷惑だ。が、これは昔と変わらない。
何気なく、第四王子の寝室の前を通った。妾の息子である二人は、部屋もそう遠くない。
そのとき暗殺者独特の、気配の無い気配を感じた。中からだ。反射的に、気配をゼロにして耳を澄ます。
『…い、殺……は……こいつ……』
『…二王子……、……が……報酬……』
ボソボソと声が聞こえる。流石に抑えてはいるが、これは恐らくプロではない。お粗末すぎる。
どうするか迷ったのは一瞬だ。私は殿下の臣下。この手で殺すまで、私の仕えるひと。奪われる訳にはいかない。
音を立てずに扉を開け、中にいた二人にそれぞれ剣を突き立てた。
「失せろ。………貴様らごとき、殺せる方ではない……」
反抗するような目を向けられ、すぐさま喉を潰した。これでもう、喋れない。
「………次は目を潰す。耳を削ぐのも良い。どうだ、帰る気になったか?」
コクコクと頷いたので、放してやる。殿下の部屋を血で汚すわけにはいかない。気配が遠ざかったのを確認して、ふと気付いた。殿下が目を見開いていた。
………見られた。でも、まだ誤魔化せる。そう思っていた。
「………どうして俺を、殺さなかった?」
私は若返って、いや、生まれて初めて、本気で驚いた。
□▤□▤□
「な………んのことでしょう」
「惚けなくて良いよ。お前も、二度目だろ?」
ああ………そうか。やっと全て、府に落ちた。
だから殿下は、昔と違ったのか。
「友達になってくれて、嬉しかった」
初めから、気付いてた。私は全く気付かなかったのに。
馬鹿か、私は。
「………私はあなたを、殺したのに?」
「いろいろあるさ、人の心は。お前は真面目が過ぎる」
寛容………いや、お人好し? 本当に、昔の奴とは思えない。なのに説明されなくても、こちらが素だとよくわかった。
「俺は、死にたくなかったんだ。だから期待されないことにした。死んじまえって思われて、誰にも相手にされないように」
「……今世は? 今世は優秀に振る舞っていたでしょう」
そう聞くと、悲しそうな顔をされた。
「……だってどうせ死ぬなら、人に好かれたいだろ?」
…………難儀な人だ。でもやはり、勝手なのかもしれない。好いていた人に死なれたら、周りは何を思うだろう。
いや、殺す私が言えたことではないが。はぁ、と溜め息を吐く。
「……無駄な茶番を演じました。教えてくだされば良かったのに」
「そしたらだって、背中から刺されそうだしな」
「…………」
私が第二王子の手の者だとばれたら、直ちにその口を封じること。確かにそういう決まりはあって、正しいのは殿下だ。
なのにその言葉に、私の胸はざわつく。
「………それでも、良かったが」
「………は」
「……そうだ。お前の秘密を一つ知っているから、俺の秘密も教えようか……俺はな、お前が好きなんだ」
「…………」
絶句、である。言葉の一つも出やしない。私が、好き? 一度殺されかけた男がか?
あり得ない。全く、私には理解できない。
「………性的に?」
「ん………どうだろう。昔はただ、その目に俺を写して欲しかったんだが」
「……まさかそれで、私の前でも悪ぶっていたのですか?」
今の話を踏まえれば、そうとしか考えられない。
「まぁ………な」
肯定されて、浮き上がるような喜びが生まれた。そこで、ふ………と気付く。私も殿下に、よくわからない執着はあるかもしれない。
悪辣で、傲慢で、どうしようもない、私たけの殿下。彼の命は私のもので、私だけのもの。昔も今も、変わらない。
だから私は殿下の暗殺者を、憎しみをもって排除した。だからこそ殿下は、二十一まで生きることができたのだった。
「で? どうしてお前はこんな時間にここにいる? やっぱり殺しに来たのか?」
「まさか。おつかいの途中に通りがかったのです」
「………第二王子か」
殿下は、第一王子と第三王子とは今はそれなりに上手くやっている。だが、第二王子とは絶望的に反りが合わないらしい。何故か聞いたこともあったが、じっと見られた後に教えないと言われたのだ。あまりに不快そうに眉をしかめているのでそう思い出した。
「やはり俺では、駄目なのか」
「………はい?」
怒っているような、なにか、得体の知れない視線を向けられた。
「俺を選ぶより、第二王子を選んで、僕を殺すのか」
……言いたいことはわかった。迷った末に、私は真っ先に思った言葉を発した。
「それが私の、仕事ですから」
結局第四王子を殺したことは、ずっと私のしこりになって残っていた。最近気付いたが、私は自分の感情にも疎いらしい。
疑問に思う。私が臣下を殺して獲たものは、本当に欲しいものだったか。爵位も、妻も、子も、名誉も、ただ惰性で守ったことではないか。
私は暗殺者として優秀だったために、考えることを怠けたのではないか。そのせいで間違えて、殺されたのではないか。
欲しいものは何だろう。向かう先はどこだろう。それを考えずに、人生は歩めない。もともと敷かれたレールが、正しいとは限らないから。
「私はあなたを、この手に掛けます。そして第二王子を王座に座らせて差し上げる」
「…………どうして」
「さぁ? しかし私は、もう引き返せないと気づいたのです」
もし、今の奴………殿下と悪魔のどちらかと連れ添えと言われれば、大抵の淑女は殿下を選ぶだろう。しかしそれは、私には関係無い。
例えそうすることで、己がうらぶれると知っていても。何度でも私は、繰り返す。かえることのできない、一本道を。
Airukaの作風:ハッピーエンドがへったくそ。書けない。