〜開花したい人達2〜
玄関を右へ曲がり、三段ばかしある階段を上がると広間に出た。
広間は床板の上に枯野色のカーペットが敷かれ、隅の方に見慣れない動いているのかも分からない四半世紀程前の自動販売機が二台並び、その前に休憩できる背もたれの深いソファが二席ずつ向かい合わせに置いてあり、その間にガラスのテーブルが置かれている。テーブルの上には、まだ十四時だと言うのに、ビール缶が転がっていた。
「まったく、もう!今日は新しい入居者(双葉ちゃん)が来るから、綺麗にしててって言ったのに。」
珊瑚はため息を吐き、ごめんね〜、お酒はジュースぐらいに思ってる子がいるのよ〜。と、ビールの空き缶を拾い集め、タイムスリップ自動販売機の横に置いてある、缶を捨てるゴミ箱の上に掛かっていたゴミ袋を広げ、ビールの空き缶を投げ入れた。
双葉も拾うのを手伝おうと思い、一歩動くと、カランカランカランと、足元にあったらしいビールの空き缶を蹴飛ばしてしまった。手荷物が多い為、真下が見えなかったからしょうがない。
双葉は自分で蹴ったビールの空き缶を拾いに、広間の隅にあった、学校のような蛇口が並ぶ水飲み場のすぐそこまで行くと、その水飲み場の左側斜めに続く道があり、その道に点々とビールの空き缶が転がっていた。
「あの、珊瑚さん。」
「ん?どうしたの?」
「こっちにもビールの空き缶が…。」
テーブルの上の空き缶を拾い終わった珊瑚が、双葉の指差す方向を見て、うんざりとした顔をした。
まるでヘンゼルとグレーテルが通ったかのように点々と落ちているビールの空き缶を拾って、壁がガラス張りの渡り廊下を歩いて行くと、障子戸がずらりと並ぶ三つの部屋がある所まで来た。
なぜ障子が並んでいるだけで、三つ部屋があると分かったかと言うと、障子戸の上に手前から奥へ「鯆」「鹿」「猫」と三枚表札が掲げられていたからである。
一個一個ビールの空き缶を拾って、「鯆」の表札が掛かっている部屋の前までやって来た。
珊瑚は全く…と、右手で額を抑え、首を横に振る。そして、後ろにいた双葉の方に振り返ると
「ごめんね。ちょっと、品がなくて格好悪いかも知れないけど、良い人なのは間違いないから、引いたとしても幻滅したりしないであげてね。」
「え?」
苦虫を奥歯で噛みながら笑ったような表情を浮かべ言った。
双葉は一体何を見せられるんだと、珊瑚につられ引きつった笑いをする。ビール缶がこんだけ転がっているんだから、酔っ払った人が眠ってでもいるのかなと思った。だが、それは甘かった。
珊瑚は引き手に手を掛け、少し間を置き深呼吸をして、一気に障子戸を開け放った。その開け放つ勢いは凄まじく、テレビで放送するならばきっと、一カメ二カメ三カメラと、三パターンのポイントから開け放つ瞬間を抑えて連続で流しただろうと思う。
「紫葵ちゃん、まーた散らかして!今月はお酒飲んでも泥酔しないって約束したでしょー!!」
「ぅっぷおえぇぇ…。」
なんと言う事だ。マーライオンだ。シンガポールの口から水を吐き出すあの像の様だ。
珊瑚が障子戸を開け、喝を入れるやいなや、鯆の部屋の中に居た髪の長い女性は、両手に準備よくビニール袋がちゃんとセッティングされた洗面器に向かって胃袋の中身を吐き出していた。
双葉は荷物をどさどさと床に落とし、思わず手で口を抑えた。漂うアルコールと酸っぱい匂いに当てられそうになりながら、ゆっくりと廊下にしゃがんだ。胃の底からギューギューと昼に食べたコンビニのサンドイッチが上がってくる感覚。額に浮き上がる汗。双葉はゆっくりと目を閉じた。
◇ ◆ ◇
「もう、なんでそんなに飲んじゃったの?」
「ふええごめん珊瑚さん、だって、職場でまた失敗しちゃってええおええええ…。」
珊瑚は、嘔吐等慣れているのか胃の物を吐き出している女性に近寄ると、よしよしと背中を摩ってあげた。
「午前中で仕事終わって帰って来るなんておかしいとは思ったわ〜。」
「今度こそクビかもぉ…ふええ…」
「大丈夫よ〜、店長、紫葵ちゃんの腕を見込んで美容師の専門学校の時から引き抜きに来てくれてたじゃない。そんだけ良くしてくれてたのに、おいそれとクビにしたりしないわよ。」
「そうかなうっぷおえええ」
「だーいじょうぶ。もし、クビになったって、紫葵ちゃんのセンスがあれば、どこの美容院でも雇ってくれるわ。自信持って。」
三回嘔吐して大分落ち着いたのか、ぐちゃぐちゃに涙を流しながら、はっはっと息を吐く。すると冷静になってきたらしく、綺麗な黒髪を掻き上げ、手元にあったティッシュで口の周りを拭く。
「落ち着いた?」
「…うん。なんか疲れちゃった。」
「そりゃそうよ。吐き出すのはエネルギーいるもの。」
珊瑚は背中を摩っていた手を止め、自分の髪を耳に掛けながら、よくこんだけ胃袋にアルコール入れたわよ。と、半分呆れながら笑った。
「お腹空いた…。」
「おうどん煮てあげるから、口洗ってきなさい。」
「うん…。」
マーライオンした女性はゆらりと立ち上がると、水飲み場へ向かおうと部屋を出た。すると、床で体育座りして顔を伏せている双葉と鉢合わせした。
◇ ◆ ◇
「あ〜………。」
マーライオンした女性は何となく状況を掴み、新しい入居者が来たんだなと感じ取り、早速嫌なものを見せてしまったなと頭の後ろをボリボリと掻いた。
「…ねえ。」
「………。」
「あのさ。」
「………。」
「ちょっと。」
「………。」
顔を伏せ、完全にシャットアウトしている双葉は、マーライオンの呼び掛けに応えない。
マーライオンは仕方無く、肩を叩こうと思ったが、吐いた口を拭いたりした手で触るのは些か申し訳ないなと思い、足のつま先で、双葉の脛をトントンと蹴った。
「!」
やっと気が付いた双葉が白い顔して上を向く。
「あ〜…のさ、ごめんねぇ。嫌なもの見せちゃったわね。ごめん。」
「あ…、いえ、少し驚きましたけど…ダイジョウブです。」
自分も気持ち悪くなってしまっているんだろう、白い顔のまま、気を使って笑う双葉は、大丈夫です。大丈夫。と自分に言い聞かせる様に鎖骨の辺りを右手の人差し指でトントン、トントン、と叩いて言った。
「ごめん、口濯ぎたいから…。」
「あ、すいません、道の真ん中で座り込んじゃって。」
双葉はゆっくり立ち上がると、荷物をズリズリと引っ張り、廊下の端に寄った。
マーライオンはごめんねと、顔の前で両の手を合わせウインクして双葉の前を通り過ぎて行った。
「ふーたーばーちゃん。」
珊瑚に呼ばれ、振り返る双葉。
目が合うと珊瑚はごめんねと苦笑した。