〜開花したい人達1〜
幼い頃死んだ両親の代わりに育ててくれた伯父の元を離れ、私は十五歳の春に一人、桜ヶ丘町の下宿屋、「咲枝荘」へとやって来た。
卯月駅を降りて、竹林を抜け、石畳の街道を歩き十分。すると見えてくる、石の塀にぐるりと囲まれた古い木造の建物。それが私がこれから暮らす下宿屋、「咲枝荘」である。
この桜ヶ丘町の大正レトロな町並みにそぐった、黒く日に焼けた外装に、玄関へと続く埋め込まれた飛び石と青々とした植木達。玄関扉は大きなガラス戸が四枚張られ、広々としている。ここを選んだのは外観や内観だけではない。この下宿咲枝荘は、食事付きで月の家賃が三万六千円と言う安さを持っていて、料理をあまりこなして来なかった私に取っては最高の下宿先なのである。
中を覗くと、建物の中は明るく、狐色の板材が使われており、決して築九十三年とは思えない。
ガラス戸の引き手に手を掛け、カラカラと動かす。
「ごめんください。」
少し緊張しているのか、自身が思っているよりも細い声が口から出てくる。
建物の中の人に聞こえたか心配になっていると、玄関入ってすぐ右の部屋の障子戸が開かれ、五十代位の女性が出てきた。女性はにこにこと笑みを浮かべながら
「はいはい、どなた?」
と聞いてきた。
「すみません、今日からお世話になる、黄菊双葉と申します。」
双葉は手に持った荷物を持ち直し、出てきた女性に深く頭を下げた。
女性は、はい、伺ってます。よろしくね双葉ちゃん。と頭を軽く下げた。
「一人で来たの?」
「はい。」
「あら〜、そうなの?えらいわね。」
女性は、さあ、上がって。と、双葉を促しながら
「私は四月一日珊瑚。四月、一日って書いて"わたぬき"って読むの。皆からは珊瑚さんって呼ばれているから、双葉ちゃんも珊瑚さんって是非呼んでね。」
と、自然な笑みを浮かべたまま自己紹介をしてくれた。軽くウェーブした肩程の髪から覗く伏し目がちな瞳が色っぽい。
双葉は、はい、よろしくお願いします。と、少し引きつったニヤケた様な笑顔で言いながら、玄関を上がる。
ぎしりと床が音を立てたが、ボロくて壊れそうと言う理由ではなさそうだ。
「あの、管理人さんはどちらに…。」
「管理人?私だよ。」
「え?70代のおじいさんだと聞いてたんですが。」
「ああ、私のお父さんがね、ずっとここ咲枝荘をやってたの。父は三年前に亡くなって、跡を私が継いだのよ。」
珊瑚は玄関ホールから歩き出そうとした足を止め、天を仰いだ。
「…そう…だったんですね、すみません。」
双葉が申し訳なさそうに下を向く。珊瑚は首を振り、また笑顔を浮かべ、気にしないでと言ってくれた。
そうして、玄関ホールからまた歩き出す姿を双葉は重たい荷物を持ち直し、じっと見ていた。双肩に背負った重たい荷物が、なお一層重たく感じられた。