一姫二太郎、三なすび(三十と一夜の短篇第6回)
ある秋の日。請われもしないのに昼間だけ舞い戻る暑さの中、わずかな涼を求めて二太郎は縁側に敷いた座布団にだらしなく寝そべっていた。
家の三方を囲む山では一面に生えた竹が風に吹かれてどうどうと波のような音を立てている。だというのに、それを眺められる縁側には風が吹かぬとはどういうことか。
季節外れの暑さで気が短くなっている二太郎は、爽やかにうねりきらめく竹林に腹を立てていた。腹は立てていたが、その体はだらりと寝そべったままである。
「にたろう、これ飼おう」
二太郎が縁側でだらけていると、ゆうらり揺れる草やぶの中から、幼い声がした。
縁側の外に伸び放題している草木は、庭などという立派なものではない。気付けば芽吹いた名も知らぬ木を花を放置した結果、出来上がった草むらである。暑さに負けずわさわさと旺盛に茂るそれらを掻き分けて、現れた幼児の手には箱がある。小さな両手に少し余るほどの大きさをした箱を差し出して、幼児は二太郎に飼おう飼おうと言ってくる。
縁側にごろりと仰向けになり、箱の中身も見ずに二太郎はひらひらと団扇を振った。
「拾ったところに戻してきなさい。もう犬も猫も鳥も兎も、もらい受けてくれる友人は底をついています」
遊びに出かけるたび片足のない飛蝗だの迷い犬だの弱った蝉だの捨て猫だのを拾ってくる幼児のおかげで、この家には犬が一匹、鶏が五羽、兎が一羽いる。庭の草むらの中には、飛蝗や蝉やその他の虫たちもいるかもしれない。自分たちだけでは飼いきれぬので、方々の友人たちにも犬、猫その他の小動物を配り歩き、先週の中ごろに子猫を頼んだのを最後に、頼る友人が底をついたのだった。
猫を渡した帰り道にそのことを丁寧に説明し、以降はどうすることもできぬのだから、もう拾わないようにとしっかり釘を刺したはずであったが、早くも釘が抜けてしまったらしい。
再度、言い聞かせねばならぬかと気が重くなる二太郎に、遠慮を知らない幼児はぐいぐいと箱を押し付けてくる。
「だいじょうぶだ。犬でも猫でもない。鳥でも兎でもないやつだから」
自信たっぷりに言われ、ならば虫かと二太郎は安堵する。虫なら庭に放しておけばよい。そう言えば、幼児の手にある箱は家に放ってあった菓子の空き箱のようだ。虫かご代わりに持って行ったのだな、と思いながら身を起こす。ひと目見てから庭に放すように言えば良かろう、と箱を覗いた二太郎は、ぽかんと間抜けた顔になる。
「口があいてるぞ、にたろう。口をとじなさい」
開きっぱなしの口を見て、幼児は嬉しげに指摘する。自分がいつも言われているからだろう、彼女は二太郎の言葉を真似て得意げだ。
言われた二太郎はむっつり口を閉じ、心を落ちつけてから幼児の名を呼んだ。
「一姫。茄子は、飼えません」
ぷっくりとした手が支える箱の中には、少し細身の茄子が転がっていた。
「というか、それは精霊馬の茄子じゃないですか。こんな時期に、どこから持ってきたのです。戻してきなさい」
茄子に刺さった四本の木切れを見て、二太郎が言う。季節は秋。精霊馬が活躍する盆はとうに終わり、朝晩は涼しくなった。昼日中こそ暑さが居座っているが、それもじきに無くなるだろう。そんな時期に精霊馬。季節外れもいいところだ。
二太郎がまじまじと見つめていると、箱の中に横たわっていた茄子がぴょこんと起き上がった。
起き上がった?
驚いて瞠目する二太郎の前で、四本足で立った茄子がぷりぷりと尻を振る。それを見ながら、一姫が口を尖らせた。
「竹林で迷子になっていたのだ。鈴虫やらこおろぎやらにかじられそうになっていたから、連れてきた。人助けは、良いことだからな」
後半を得意げに言った一姫に、どこから突っ込んでいいやら、二太郎は頭を抱えた。
そもそも、二太郎の住まう家をぐるりと取り囲む小さな山の竹林には、迷い込むものが多い。先述の犬、猫だけに関わらず、人もしばしば迷い込む。
奇人であり一応、友人でもある晴が言うには、
「あの竹林は居心地がいい。常に風が吹いているのも実にいい。時にざんざざざ、と。時にどうどうと鳴るあの竹林は、淋しいものの心をまるで海のように惹きつける。色々なものが流れ着くのは、当然の成り行きさ」
とのことである。
まったく意味不明の言であり、その竹林のそばに住む者にとってはいい迷惑でしかないのだが、どうにも竹林の心地よさが色々なものを引き寄せるらしい。
だからと言って、季節はずれの動く精霊馬をどうしたものか、と思っていたのだが。
「ああ、持ってきてくれたのですか。ありがとう、紺。これ、一姫。紺がきみの使った食器を下げてくれましたよ」
この茄子、時期外れとは言え精霊馬だからなのか、運ぶことが好きらしく。新聞や空の食器などをちょこまかと動いて運んでくれる。
今も、一姫が食べ終えた皿を流しに運んでくれたところだ。ちなみに紺とは、この精霊馬の名前である。茄子紺色から取って、紺とよんでいる。
紺の良いところは物静かで働き者なだけでなく、一姫の競争心を駆り立ててくれる点だ。
今も、弟分だと思っている紺に負けてなるものかと、両手に箸と茶碗を持った一姫が流し台に駆け寄ってきた。これまでは言われても聞こえないふりをして遊びに行ってしまっていたから、大変に良いことである。箸を持って駆けてはいけない、と注意はせねばならなかったが。
「一姫もありがとう。とても助かりました」
食器を受け取って頭をなでてやれば、はにかんで頬を赤くする。そうして紺を肩に乗せて機嫌よく、遊んでくる、と駆けていった。
一姫も遊び相手ができて楽しいようであるし、あの茄子は良い拾いものであった、と二太郎は洗い物を片付ける。そうして濡れた手を手巾でぬぐい、そろそろ水を汲みに行かなければ、と思い至る。
紺の食事は水である。どこに口があるやらわからないが、茄子のへたのほうをちゃぷん、とつけて、水を飲んでいるようだ。おそらく茎の切り口から吸い上げているのではないか、と二太郎はあたりをつけているが、確かめたことはない。
はじめのうちは何を食べるのかわからず、薄めた汁ものなどをやってみたのだが紺は口、いや、へたをつけない。一姫が自分の食事を小さく切って分けてみても、食べる気配がない。水だけは器から減っていたため飲んでいるようで、紺の体も拾った当初よりふっくり丸くなったように身受けられるから、これでいいのだろうと納得している。
しかし、水しか飲まないものに井戸水を沸かした湯冷しを与えるのは、どうにも淋しいように思う。紺は気にしているのかいないのかわからないが、二太郎は気になるので、二、三日に一度、湧き水を汲んできては与えている。
ざーん、ざーんと風に吹かれた葉が寄せては返すのを聞きながら、竹林の中ほどにある泉で水を汲んだ二太郎は、冷たい湧き水で喉を潤して、もう少し山を登ることにした。山帰来の実が赤く色づいていれば、一姫の土産に持って帰ろうと思ったのだ。
春に柏餅を作った際に確かこの辺りで葉をとったはず、と二太郎が竹のまばらになるあたりまで山の斜面を登っていくと、目指していた方からがさがさと物音がする。もしや猪ではないだろうな、と身構えた二太郎の前で、音の主がぬうっと姿を現した。
猪ではない。すらりと伸びた背にすっきりとした目鼻立ちの美丈夫だ。美丈夫なのだが、豊かな黒髪を腰ほどにも伸ばし、異国の服を好むちょっと変わった奴だ。
「晴、こんなところで何をしているのです」
異国の白い長衣をまとって現れた変人にして友人の晴に問えば、服の裾を引っ掛けもせず器用に二太郎の元へ下りてくる。今日は長い髪を二つに分けて三つ編みにしている。いわゆるお下げというやつだ。
「やあやあ、二太郎。奇遇だね。わたしはね、散策をしていたような探し物をしていたような、はたまた君に会うために歩いていたのだったかな。さて、君の好みはどの回答かね」
爽やかに胡散臭い笑みを浮かべる晴はいつものことなので、二太郎は気にせず彼の手にある実を指差した。
「山帰来の実をとっていたのですか。ちょうど良かった。俺もとりに行こうとしていたところです」
にこにこと笑って二太郎が手を出すと、晴は持っていた赤い実のついた蔓をわけてくれる。変人だが、悪い奴ではないのだ。
二人は連れだって山を下りていく。
「しかし、久しぶりですね。このところは姿を見なかったけれど、忙しくしていたのですか」
そろそろ家に着くというころに二太郎がたずねれば、少し遅れて歩いていた晴が顔を上げて首を傾げた。はじめは並んで歩いていたのだが、晴が歩くたびにあちらの茂み、こちらの茂みと覗いては、ふらふらと蛇行しながら進むものだから、二人の距離は少しずつ開いていた。
「忙しいというのが暇でないことを指すのであれば、忙しいと表現してもまあ問題はないのだろうけれど。息つく間もないほどであったかと言われれば、それもまた頷き難いものがあるね」
ずらずらと述べる友人の言葉を聞き流していた二太郎は、そうそう、と言う晴の声に続きを待った。
「このところ遊びに来なかった理由だがね、実はちょっと失せ物を探していてね」
ようやく晴が二太郎の元までたどり着き、中身のある言葉を話そうとしたとき、家の方から声がした。
「にたろう、おかえり。おなかがすいた。おやつはまだか?」
見れば、縁側に立った一姫が二太郎の帰りを待ちわびていた。肩には紺の姿も見える。昼を食べてからいくらも経たないのに、小さな体はすぐ腹を空かせる。幼児とは不思議なものだ。
二太郎が苦笑いをしながら返事をしようすると、それより早く口を開いた晴がざかざかと庭に分け入って行く。
「やあやあやあ、こんなところに居たのかい。探したのだよ、なすびくん」
あっという間に一姫の前に立った晴は、その肩に乗る精霊馬を片手でつまみ上げた。
「紺になにをする、はるめ! そのてをはなせ」
一姫がぴょんぴょんと跳ねて紺を取り返そうとするが、縁側に立っていても軒下にいる晴の胸ほどしかないため、届かない。捕まえられた紺も晴の手の中で木の枝で出来た足をばたばたさせているが、抜け出せそうな気配はない。
状況がつかめずぼうっとしていた二太郎は、一姫が目を潤ませて晴を睨みつけているのに気がついて慌てて二人の元に走り寄った。
ひとまず今にも泣きそうな一姫を抱き上げて、鷲掴んだ茄子を離すよう晴に言う。そうして二人が縁側に並んで座り、茄子を抱きしめる一姫を膝に乗せてあやしながら晴の話を聞く。
それによると、季節外れの精霊馬を作ったのは晴であった。
「美味そうな秋茄子があったものだからね。お供え物が早く届くかと足をつけたら、走り出してしまって。いやあ、驚いたよ」
精霊馬としての職務を全うしに行ったのだろう、と戻ってくるのを待っていたが、なかなか帰ってこない。盆の時期には四日のうちにあの世とこの世を往き来するのだから、あまりにも遅い。どこで迷っているやら、と探しに出たら、ここに居た、というわけだ。
竹林で一姫が拾ってきたと聞いた晴は、なるほど、と頷いた。
「どうやらわたしが作ったその日のうちに、一姫に拾われたようだね。走り出したはいいものの、あの世の扉が開いていないから行き場に困って、竹林に流れ着いたのだろうね」
あそこはそういう場所だからとつぶやき、晴がひょい、と手のひらを出す。
「さて、それでは帰ろうか。なすびくん」
その手を睨みつける一姫は、今にも噛みつきそうな目をして紺を胸に抱えている。晴は紺の持ち主だが、このまま返して円満解決、とはいかないだろう。
「晴、この茄子を連れ帰ってどうするのですか」
「どうって、改めてお供えするつもりだよ。自力であの世には行けないようだから、足をとってただのなすびに戻してからね」
当然のことだよと言う晴に、一姫がうなり声をあげる。今にも飛びかかりそうな幼児の頭をよしよしとなで、二太郎は晴にお願いをした。
変人ではあるが優しい友人でもある彼は快諾してくれて、二太郎たちの家の庭に生った茄子をいくつかと、一姫と半分ずつにした山帰来の蔓を抱えて帰って行った。
その日から竹林の渦に囲まれた家には、一姫と二太郎、それからなすびの紺が住んでいる。
この話は「一富士二鷹三茄子」と「一姫二太郎」を混同した作者の残念な頭から生まれています。