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第9章 Kの血脈

「久しぶりにいい天気ですね」姉ヶ崎姫香が言った。「このところ五十年に一度の台風とかで、土砂降りが続いてましたでしょう。今日、本当にクルージングできるかどうか心配でした」

「大丈夫ですよ」磯崎俊太郎が言った。「今日、晴れることは、私どもは知ってましたから」

 姉ヶ崎姫香は夕日を眺めていた。竹芝ふ頭から乗ったクルーザー船は東京湾を周航していた。

 甲板のテーブルには、姫香を含めて四人がフランス料理のディナーコースを楽しんでいた。

 姫香の向かいには磯崎が座っていた。右隣は後閑静江(ごかんしずえ)。左隣は水原康文(みずはらやすふみ)

 静江は六十代の上品な老婆。水原は三十歳前後の大柄な男だった。

 磯崎の紹介では静江は真日本帝国の国民最高会議議長で、元帥(マーシャル)の称号を持つ霧島カズマ――Kと並び、同国の共同国家元首とのことだった。

 一方、水原は磯崎の部下で、外務大臣だ。

 磯崎の肩書が真日本帝国初代総理大臣であることは、姫香はすでにKから聞いていた。

 水原は東京在住だが、静江の方は北海道に住んでいて、久しぶりに東京に来たという。

 クルーザー船は磯崎が所有しているもので、乗務員はすべて真日本帝国の国民とのことだった。


「姉ヶ崎さん、考えてみてはいかがかしら」静江は言った。「最近のテレビや新聞は、百年に一度とか十年に一度の異常気象ニュースを頻繁に連発しているでしょう。それこそ月に一度、週に一度くらいの割合で、地震を含めた異常気象ニュースを繰り返してますわ。おかしいと思いませんか」

 姫香は赤ワインを一口すする。

 ボルドー産の年代物とのことだが、フルーティーな酸味の後にカクテルのような強いアルコールの刺激が溶け合い、全体として宝石を思わせる高級感があるテイストにまとめている。

「そうですね。今月の異常気象ニュースとか今週の異常気象ニュースにすべきですよ。本当に五十年に一度なら、これまで五十年間は同じような台風や洪水は起きてないという意味ですよねえ」

「本当に自然災害なら五十年に一度なんでしょうけど」水原がテリーヌを頬張りながら口を挟む。「最近、日本で起きている異常気象のほとんどが米軍の気象兵器による人災なんです。知ってました?」

「気象兵器?」

「米軍の最新軍事兵器です」磯崎が言った。「一口に気象兵器と言っても、いろんな種類がございます。人工地震、人工津波、人工台風、人工洪水、人工竜巻・・・・。

 海底に採掘船で穴を掘って核爆発を起こし、海水がマグマに触れると核融合反応を起こして地震が発生します。これが人工地震です。

 人工津波は海底で複数の人工地震を起こして、複数の波を発生させます。これに海流の波を加え、共鳴効果を利用して波の振幅を拡大して津波を引き起こします。これにはスーパーコンピュータを使った流体力学のシミュレーションが必要になります。

 さらに人工台風は強力な電磁波を使います。電磁波を台風の目に当てると進路を変更できるのです。

 これでもかなり気象兵器の攻撃は減った方なのです。陛下が在日米軍の工作活動を阻止してますから。

 私どもが今日、晴れることを知っていたのは気象庁の予報を見たからではなく、彼らの本部に盗聴器を仕掛け、彼らのスケジュールを知っていたからです」

「同盟国の米国がそんなひどいことをするんですか?」

「同盟国?姉ヶ崎様もマスメディアのプロパガンダにすっかり洗脳されてますなあ。おっと、姉ヶ崎様ご自身もマスコミの方でしたっけ。まだお若いのでご存じないかも知れません。

 米国は同盟国ではなく宗主国。日本は米国の植民地です。まともな独立国ではございません」

 姫香は自分が書いた横田基地襲撃の記事が、不自然な理由で没になったことを思い出した。

「ところで磯崎さん、カズマ君は今日、来ないのかしら」

「陛下は今、潜水艦でわれわれの真下あたりをパトロール中でございます。よからぬ異常気象が起きないよう目を光らせている最中です」

「へえっ、カズマ君は日本のために働いているんですね」

「それは違います。陛下は日本のために働いているのではなく、真日本帝国のために尽力されているのでございます」

「ところで、その・・・・真日本帝国って何ですか?」


 Kのマンションから帰って数日後、磯崎からメールを受け取った。

 真日本帝国国籍取得記念に、今度の週末、貸切クルーザー船に無料招待するという内容だった。

 Kには内緒で来るようにとも書いてあった。

「実は姉ヶ崎様」磯崎が言った。「真日本帝国について、どれくらい基礎知識がおありですか」

「さあ」姫香が言った。「何も知りません」

「そうですか。その方が都合がいい。偏見を持たれている方に説明する方が大変ですから。

 実は日本政府や国連およびその加盟国は、われわれのことを独立国でなく、テロ組織と見なしているのです。

 イスラエルの国内にパレスチナ自治政府があるのをご存じかと思います。真日本帝国はそれの日本版のようなものです。イスラエルはパレスチナ自治政府を認めようとしません。日本もまたわれわれを認めようとしません」

 磯崎の話はこうだった。

 幕末、北海道に蝦夷共和国という独立国家があったが、函館戦争で明治政府軍に倒され、消滅してしまった。

 だがそのときの残党が地下に潜り、秘密結社を作った。

 これが真日本帝国の前身だった。

 真日本帝国は日本国内に潜伏し、脈々と生きながらえてきた。

 時代とともテロ組織や暴力団など反政府分子を吸収しながら大きくなり、組織名称を何度か変更し、組織自体も改変した。

 いつの日か日本政府を倒し、この地に正式な真日本帝国政府を樹立する。それが磯崎たちの悲願だった。

 国民最高会議議長の静江が北海道に住んでいるのは蝦夷共和国の名残りで、今でも北海道に重要拠点があるからだった。

 現在、真日本帝国の国民は四百名程度。

 ほとんど日本国内に日本国籍を持って潜伏している。

 外部から見たらカルト宗教の信者のようなものだ。

 政治は直接民主制。重要事項は国民投票で決める。

 警察はなく、軍隊はK一人。

 兵士が一人でありながら、ハイテク技術を駆使した潜水艦、戦闘機やロボットなどをAI《ガイア1号》の助けを借りてKが巧みに操り、高度な軍事力を誇っていた。

 軍事兵器はすべて真日本帝国が所有する独自の工場で生産していた。

 その他、生活必需物資の大半は自国で生産できる体制になっていた。

 磯崎の語るところでは、真日本帝国は世界最強の軍事力を持っているとのことだった。


「世界最強の軍事力?」姫香が訊く。「それって、アメリカより強いという意味ですか?」

「もちろんです」磯崎が答える。「信じられませんか?戦前の日本が、高度な軍事技術を持っていたのをご存じですかな。

 零戦や紫電改など、日本はすぐれた戦闘機をいくつも開発しました。

 敗戦後、GHQは日本軍を解体し、日本の戦闘機をはじめとする軍事兵器の開発能力を根絶やしにしたのです。

 このため、軍事技術関連の科学者、技術者たちの多くが職を失い、北海道に移住してわれわれに合流しました。

 当時、われわれは真日本帝国でなく、蝦夷解放戦線と名乗っていました。

 彼らは地下に潜り、軍事技術を研究開発したのです。

 それだけではありません。

 同盟国のナチス・ドイツの科学者、技術者も数名、北海道に亡命しました。

 ナチス・ドイツは当時、世界一のハイテク軍事大国でした。

 核兵器も、実はナチス・ドイツの科学者がアメリカに亡命して開発したのです。

 その世界一流の軍事科学技術者が、われわれに合流しました。

 電気信号で人間の神経と電子機器を電気的信号で意思疎通させるという電脳技術(サイバーテック)の基礎原理は、彼らが発明したものです。

 さらに一九九一年、ソビエト連邦の崩壊がわれわれの軍事技術を大きく発展させました。

 当時、ソビエトはアメリカと並ぶ軍事大国でした。そのソビエトの一流の軍事科学技術者を、われわれは大量にリクルートして、北海道に移住させました。

 こうして軍事用衛星、戦闘機、潜水艦、核兵器、軍事兵器生産技術など、様々な軍事技術を入手することに成功したのです」

「まだあります」水原が口をはさむ。「NASAから亡命した科学者、ジョージ・フェアチャイルド博士こそ、われわれの軍事力を世界一に押し上げた第一人者です」

「まあ、水原さん」静江が恥ずかしそうに手を振る。「ジョージの話はおよしになって」

「フェアチャイルド博士はITとエレクトロニクスの専門家で、電脳技術(サイバーテック)を実用に耐えられるものに改良しました。この他、軍事用ロボットや《ガイア1号》など軍事用AIを開発しました。彼はまちがいなく軍事関係では米国一の科学者です」

「ジョージ本人は」静江が言う。「自分は世界一の科学者だと言ってます」

 七〇年代初頭、ジョージ・フェアチャイルドは北海道に移り住み、静江と結婚して表向きは日本に、実際は真日本帝国に帰化した。

「どうしてまた」姫香が訊く。「アメリカから亡命したんですか」

「アポロ十一号が実は月に行ってないという話はご存じかしら」静江が言う。「当時、アメリカはソビエトに宇宙開発で遅れをとっていました。

 そこで月へ行ったことにして、イギリスの映画スタジオで、月面を宇宙飛行士が歩いている映像を撮影し、全世界のテレビで放送したのです。

 これにより、宇宙開発技術では自分たちの方が先行していると一般大衆に情報操作して、アメリカは自国の威信を守ろうとしました。

 もちろん、これは国家機密でしたが、NASAで働いていたジョージがうっかり知人のジャーナリストにしゃべってしまったのです。ジャーナリストはCIAに暗殺され、ジョージも彼らに命をねらわれました。

 そこで命からがら北海道へ逃げてきたのです」

 アポロ十一号が月へ行っていないという話は、都市伝説を集めたネットのサイトで読んだことがある。

 だが彼らが世界一の軍事力を持っている、という話はにわかに信じがたい。

 ただ彼らの自信に満ちた表情が、まんざらでもないというように姫香には思えてくる。

 

「ところでカズマ君はどういう人なんですか」

 姫香の問いに一瞬、凍りついたような沈黙が流れる。

 静江はややうつむき、水原はフォアグラのステーキを無理して頬張る。

 口を開いたのは磯崎だった。

「明治天皇のクローン人間です」

「えっ?」

「明治天皇が日本の初代総理大臣、伊藤博文に暗殺されたという話はご存じですか?」

「そうなんですか。初めて聞きました」

「実は幕末、本物の明治天皇は殺され、大室寅之祐という男が明治天皇に成りすましたのです。彼は伊藤博文の実家の近所に住む知人でした。

 この秘密を知る皇族の何人かは、やはり伊藤博文に暗殺されたようですが、生き残った残党が真日本帝国に合流したのです。

 本物の明治天皇の遺体はミイラになって、われわれが現在も保管しています。

 その細胞の一部を採取し、培養してクローン人間が誕生したのです」

「それがカズマ君なのね」

「はい。ただこれはくれぐれも陛下には教えないでください。実は陛下ご自身は自らの出生の秘密をご存じないのです。物心つく前に両親と兄弟は亡くなったと思っています」

 姫香は頭が混乱してきた。

「ちょっと意味がよくわかりません。国家元首がどうして秘密を教えてもらえないんですか?それにそんな重要な秘密を、なぜ帝国民になったばかりの私に教えるんですか?」

「実は陛下はあなたにお会いになってから、すっかりお変りになりました。私に頻繁に嘘をつき、私よりあなたを信頼するようになったのです。

 おそらく、あなたを相当、慕っているご様子です。

 陛下は私の言うことは聞きませんが、あなたの言うことなら何でも聞くでしょう」

 姫香は遠隔ニュークリア装置のUSBフラッシュをKが自分に返したときのことを思い出した。

 あのとき磯崎の意志で設計情報が一部改竄されたが、改竄前のオリジナルデータをコピーしたもう一つのUSBフラッシュを、Kは磯崎に内緒で姫香にこっそり渡したのだ。

「そこで提案なのですが、あなたには陛下の特別補佐官に就任していただきたい。業務内容は陛下の助手兼身の回りの世話ですが、その他、ときどき陛下のご様子を私に報告してください。たとえば陛下が私に隠し事をしてないかどうか、探っていただきたいのです。

 実は今日、姉ヶ崎様をクルーザー船のディナーにご招待したのは、特別補佐官就任をご快諾いただくためでございまして・・・・」

「元首のカズマ君の方が、首相の磯崎さんより偉いはずですよねえ。でも磯崎さんの話を聞いていると逆みたい」

「まあ国家元首には、十代の無垢な少年の方が都合がいいということで、現在の体制になったところがございます。

 もともと私が現在の体制の大半を立案したわけですが・・・・お隣の後閑議長も尽力されました。

 伊藤博文もそうでしたが、一国の初代総理大臣となりますと、かなりの策士でないとやっていけないところがございます」

 確かに真日本帝国初代総理大臣の磯崎はかなりの策士だ。姫香はそう思った。

 そもそも国家元首の称号が元帥(マーシャル)というもの作為的だ。

 帝国の国家元首なら普通は皇帝。共和国なら大統領。

 地位が世襲なら、せめて国王だ。

 元帥(マーシャル)など軍隊の最高位でしかない呼称だろう。

 たとえば独裁者的だが総統という称号がある。これなら軍隊も政治も統率するような称号だ。

 だが総統でなく、元首にあえて元帥(マーシャル)なる称号を選んだのも、軍事以外、つまり政治には元首に権限を持たせないためではないか。

 磯崎が真日本帝国の実質的な実力者なのは明らかだ。

 政治記者の端くれである姫香の脳裏には、様々な憶測が浮かび上がる。

「ちなみに」水原が言った。「霧島カズマという名称ですが、これは日本国籍の戸籍名で、真日本帝国内の正式名称ではありません」

「じゃあ、真日本帝国ではカズマ君は何という名前なの」

「陛下に名前はありません。元帥(マーシャル)という肩書だけです」

「・・・・」 

「姉ヶ崎さん」静江が言った。「この国では日本の常識が通じないことがたくさんあります。最初は戸惑うと思うけど、慣れれば大丈夫よ」

 ウエイターがテーブルにデザートのタルトケーキを運んできた。

 タルトケーキは姫香の大好物だった。

 もしかして、あたしのお気に入りをこの日のためにこっそり調べたのかしら......。

 この磯崎ならそこまでやるかもしれないわ。

「どうなさいました」磯崎が姫香の顔を覗き込む。「タルトケーキはお気に召しませんですか?」

「いえっ」姫香は平静を取り繕う。「なんでもありません。本当です。なんでもありません」

 夕日はとうに沈み、ネオンの光が夜の東京湾を彩る。

 姫香は紅茶を一口すすり、吐息を漏らす。


 

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