第6章 Kの陥穽
第一Kビルの地階は作戦会議室になっていた。
表向きは株式会社トゥルージャパン・ホールディングスおよび株式会社トゥルージャパン不動産の事務所。
だが真日本帝国首相、磯崎俊太郎がいつもここに詰めて執務を行う他、同国の他の大臣や官僚たちも重要案件に関して磯崎の指示を仰ぐため、しばしばここに立ち寄った。
そしてKにとってここは、軍事行動の作戦を練る拠点だった。
真日本帝国の国民は、ここを首相地下官邸と呼んでいた。
「例の遠隔ニュークリア装置の件ですが」磯崎が言った。「あの女にこれをお返し下さい。データを少しだけ改竄してあります」
磯崎はKにUSBフラッシュを手渡した。
「改竄って」Kが言った。「どういうことなの」
「遠隔ニュークリア装置は、わが真日本帝国が独占いたします。これは軍事機密です。他国のあらゆる核兵器を使用不可にできれば、わが国は国際社会の中で圧倒的に有利になります。
そこで設計データを一部、改竄しました。このデータを見ても他国は遠隔ニュークリア装置を生産できないでしょう」
「マーシャル、データをチェックしたけど本物よ」《ガイア1号》の声が響く。「間違えなくこの装置は、地球上のほぼあらゆる核兵器を見つけ出すことができるわ。この他、遠隔で核兵器を爆破させたり、ウランやプルトニウムの半減期を劇的に早める核変換技術で、核兵器を不能にすることができるのよ。
つまり、これは世界の軍事戦力地図を一変させる技術と言っても過言ではないわ」
《ガイア1号》の声は、ディスプレイの両端のスピーカーから聞こえてくる。
ディスプレイはテーブルに嵌め込まれ、その底面にはワイファイで常時ネットに接続したPCが搭載されている。
人工衛星内のサーバー上で稼働するAIの《ガイア1号》は、無線でネットに接続しているのだ。
執務室の中央では、Kと磯崎がテーブルを挟んでソファーに座っていた。
ディスプレイには遠隔ニュークリア装置の3次元CADの設計データが表示されている。
「でもそれだったら」Kが言う。「発明者の浦島桃子博士の意志を踏みにじることになるよ。世界中から核兵器を廃絶することが彼女の願いなんだから」
「元帥陛下、国家元首ともあろうお方が、そんな女の感傷に惑わされてはいけませんぞ」
「だったら磯さん、こうしよう。姉ヶ崎姫香に真日本帝国の国籍を正式に取得させるんだ。もしこの条件が飲めるんだったら、ぼくの権限でデータの改竄を許可するよ」
「それはできないわ」《ガイア1号》が言う。「彼女にわが国の国籍を与えるのは危険すぎる」
「ガイア、彼女に嫉妬してるのか」
「嫉妬なんて・・・・AIの私は人間のような感情なんか持たないわ」
「彼女は、ガイア以外、ここ最近、ぼくが口を聞いたほとんど唯一の女性だからね」
「陛下」磯崎が口をはさむ。「何度も申し上げますが、姉ヶ崎なる女性とお付き合いするのはよくありません。女性に興味がございましたら、私の方で陛下にふさわしいお相手を手配いたします」
「ガイア、真日本帝国の憲法上、または法律上、ぼくの権限を確認してくれ。彼女に国籍を与える権利は元帥のぼくにはないのか。あるいはUSBフラッシュのデータを改竄するのを禁止したり、許可したりする権限はぼくにはないのか」
「マーシャル、憲法上は、マーシャルが国家非常事態に関わると判断した場合のみ、マーシャルはどちらの権利も持ってるわ。そして当該事項が国家非常事態に関わるかどうかを判断するのは、原則としてマーシャルの自由よ。
ただ過去の慣習からすれば、首相の助言が有効になるわ。つまり首相がこの件を国家非常事態と判断するかどうかね」
「だったら・・・・磯さん、頼むよ」
磯崎は吐息を漏らす。
「過去の慣習からすれば・・・・陛下がだだをこねられるときは、一歩もお引きにならないのは承知しております。仕方ありません。姉ヶ崎姫香の国籍取得の手続きを手配いたします」
「ありがとう。磯さん」
第一Kビルの最上階は、Kの住居だった。
少年の一人暮らしにしてはかなり広い間取りだったが、殺風景であまり生活感がなかった。
姉ヶ崎姫香は、新宿のビルの屋上から人型電脳戦闘機《アマテラス2号》に連れられて空を飛び、第一Kビルの屋上に着陸した。
屋上にはKが待っていた。階段を下りて、ここへ連れて来られた。
姫香はこれまでのいきさつを語り、USBフラッシュをKに渡すと、Kは姫香にしばらくここで待っているように告げて、エレベーターで下へ行ってしまった。
姫香はリビングルームのソファーに座り、しばらくうたた寝してしまった。
気がつくともう夜の八時だった。
「お待たせ」Kがリビングルームに入ってきた。「これ、返しとくね」
KがUSBフラッシュを姫香に手渡す。
「実はこれ、中のデータが改竄してあるみたいなんだ。磯さんって知ってるでしょう。この前、喫茶店に来た人だけど、磯さんが軍事機密だからって、変な細工をしたみたいなんだ。でも大丈夫、こんなこともあろうかと思って、別のUSBフラッシュにデータはコピーしてある。これも姫香さんにあげるよ」
Kは別のUSBフラッシュをシャツの胸ポケットから出して姫香に渡す。
「それにもう一つ、おみあげ」
Kはジーンズの尻ポケットから手帳のようなものを取り出し、姫香に差し出す。
姫香は手帳をめくってみる。金色の薄い手帳だった。
「カズマ君」姫香が言う。「これ、何?」
「真日本帝国のパスポートだよ。パスポートと言っても成田空港の税関では使えないけどね。真日本帝国の関連施設に入るときに使えるよ。つまり、姫香さんは今日から真日本帝国の正式な国民になったんだ」
「えっ?どういうことなの。よくわからないわ」
姫香は頭の中が混乱していた。Kの言っていることは何がなんだかよくわからない。
目の前で浦島桃子が男に銃で殺害され、その男に自分も殺されかけた。
恐怖で体が動かず、ほとんど放心状態の姫香は、ただ目の前のKを信じるしかなかった。
「話すと長いから、別の日にするよ。それよりもう三十分ほど待ってくれないかな。三十分したらアマテラスで家まで送るから」
「別に構わないわ。いつもこの時間ならまだ残業してるし・・・・。それにここ有明でしょう。一人で帰れるわ」
「姫香さん、夕飯まだだよねえ。冷蔵庫にあるもの勝手に食べてていいよ。よかったら今日、泊まってく?ぼくはソファーで寝るから、姫香さんはベッドで寝ていいよ。明日の朝はアマテラスで勤め先へ出勤だ」
「やっぱり一人で帰るわ」
Kは何を思ったか、突然、服を脱ぎだした。
シャツ、ジーンズ、下着まで脱ぎ捨て、全裸になった。
「ちょっと君」姫香が叫ぶ。「あたし、そんなつもりじゃないわよ」
だがKは無言のまま、リビングルームの中央にあるアイソレーション・タンクの透明ガラスの蓋を開ける。
「三十分も寝たら、精神が回復すると思う」Kが言う。「アマテラスを操縦するには集中力が必要なんだ」
Kはアイソレーション・タンクのパラメータを調整後、中に入って蓋を閉める。
姫香はおそるおそる近づいてみる。
透明ガラス越しに溶液に浮かんで眠っている全裸の美少年が見える。
姫香は神々しいものを見ているような気がした。




