第3章 Kの邂逅
霧島カズマと名乗るその少年は、心もちそわそわしていた。
年齢は十六歳とのこと。少女に見まがうような華奢な顔立ちだ。
オレンジジュースをすする顔がどことなくあどけない。
姉ヶ崎姫香はコーヒーを飲みながら、落ち着いて少年を観察した。
「この店はよく来るの?」姫香が訊く。
「いや、今日が初めてです」少年が答える。
「このビルの最上階に住んでるんじゃないの?」
「そうですけど」
「じゃあどうして、今までこの店に来なかったの?」
第一Kビルは「ゆりかもめ」の有明駅を降りるとすぐ見つかった。
ペンシルビルと呼ぶには少し広いが、一階にあるのはエレベーターとメールボックスと非常階段だけだった。
二階の喫茶『ヴィーナス』は赤い絨毯が敷かれ、アールデコを思わせる瀟洒な内装だった。
姫香の方では顔を知っていたので、待ち合わせ時刻に店の入口に現われた少年に声をかけた。
今から五分前のことだ。
客はまばらだった。
姫香と少年は見晴らしのいい窓際の席を確保した。
横田基地友好祭の取材で信じられない空襲事件に遭遇した。
炎に囲まれ、死まで覚悟した矢先、謎のロボットに助けられた。
手足に軽い火傷を負った程度で済んだのは、運がよかったという他ない。姫香はそう思った。
テレビでは横田基地襲撃のニュースは一切報道されなかった。
翌日、大手新聞が一紙だけ横田基地に火災が発生したという記事を小さく載せたが、他誌は沈黙した。
載せた一紙もそれをかぎりにこのニュースには触れなかった。
姫香はベタ記事を書いて『月刊 女性と政治』の編集長に提出したところ、読まれずに没にされた。編集長の話では、記者クラブからマスコミ各社に通知が来たとのこと。横田基地襲撃の件は報道を自粛せよとの通知だった。
米軍の沽券に関わるため、米国大使館が日本政府に圧力をかけたのだろう。
結局、姫香が命がけで撮影した空襲事件の特ダネ写真も無駄になってしまった。
ところがそれから数日後、ネットで『フェース探偵』なる奇妙なサイトを見つけた。
顔写真を投稿すると、ネット上でそれに似た顔を無料で検索してくれるというのだ。
姫香が撮った写真には、ロボットの顔のクローズアップが数枚あった。
横田基地を襲った戦闘機に変身する奇妙なロボットだ。
どのロボットも同じ顔をしていた。
マネキン人形のような顔だったが、最近のマネキン人形は、実在の人間から型を取って製造することが多い、という話を思い出した。
だとすれば、このロボットの顔のモデルとなった人間がいるはずだ。姫香はなんとなくそう思った。
姫香がロボットの顔を『フェース探偵』にアップすると、次の日、メールが届いていた。
メールに書いてあったURLをクリックすると、『マーシャルの声明』というブログが出てきた。
ロボットそっくりの美少年の顔がブログの右上に写っていた。
写真の下に「本名:霧島カズマ」と書いてある。
ブログの内容は、在日米軍や天皇制を批判するような政治的な話題が多かった。
この少年、やはり空襲事件に関係あるのかしら。姫香は直感した。
姫香はブログに書いてあるアドレスに早速、メールを送った。
これまでの経緯をすべて説明し、自分はマスコミの人間だができれば取材したいと書いてみた。
返信メールは、一時間後に来た。
取材は断るが、自分に会うのは構わない。ただしロボットの画像データをすべて消去し、横田基地襲撃に関するあらゆる情報を誰にも話さないこと。この二つを約束できれば、是非、会って話しがしたいという返事だった。
少年はいつもほとんど一人なので、話し相手を探している、とのことだった。
「霧島カズマ君に何かご用ですかな」
気がつくと、初老の男が佇んでいる。
グレイにピンストライプのスーツに身を包み、袖口からカフスボタンが見える。
男は姫香に名刺を差し出した。姫香も反射的に男に自分の名刺を渡す。
名前は磯崎俊太郎。肩書きは株式会社トゥルージャパン・ホールディングスの代表取締役社長、および株式会社トゥルージャパン不動産の代表取締役会長とのことだった。
二つともオフィスの住所は第一Kビルの地階になっている。つまりこの下だ。
「ご存じかも知れませんが、カズマ君は子供の頃、交通事故で両親と弟を亡くし、天涯孤独の身の上なんです。そこで遠縁に当たる私が引き取りまして、まあ実質的な保護者のようなものです」
「そうだったんですか」姫香が言う。「全然、知りませんでした」
「マスコミの方とお聞きしてますが、取材はお断りさせていただきます。どんな記事を書くおつもりなのか存じませんが、マスコミに騒ぎ立てられますと彼が傷つきます。こう見えて、彼はかなりナイーブな性格でして・・・・」
「申しわけありませんでした」
姫香が席を立とうとすると、少年が遮る。
「磯さん。これは取材じゃないって言ったでしょう」
「取材じゃないんなら、一体、何なんですか」磯崎が言う。「この人は記者ですよ」
「デートだよ」少年が言う。「姫香さん、そうでしょう」
「えっ?」
姫香は少しドキッとした。
これまで年下の男性に興味を覚えたことはなかったが、あまりに美少年なので店で会ったときから少し気になっていた。
子供だと思っていた相手から意表をつかれて口説かれたような感じだった。
「姫香さん、ぼくたちデートしたんだよねえ」
「そ、そうね。でも今日は失礼するわ。カズマ君、また今度ね」
「そうですか・・・・。じゃあ、また近いうちに会って下さい」
「もちろんよ」
だいじょうぶよ。君のスマホの番号もしっかりチェックしてあるし・・・・。
姫香がレシートを持って立ち上がろうとすると、磯崎がレシートを奪う。
「ここは私が会社の経費で落とします。姉ヶ崎さん、彼とデートは構いませんが、取材は今後ともお断りしますよ」
姫香が去った後、磯崎は姫香が座っていた席に座り、少年――Kと向き合った。
「横田基地に関することは」磯崎が言う。「すべて機密事項でございます。元帥陛下は、いやしくも真日本帝国の国家元首ですぞ。そのことをお忘れになく」
「別に忘れてないよ」Kが言う。「取材じゃないって何度も言ってるだろう」
「デートもよくありません。陛下のお妃選びですが、この件は諮問委員会を組織いたします」
「冗談じゃないよ。磯さんがぼくの結婚相手を勝手に決めるの?」
「もちろん陛下ご自身のご意見も承った上で、総合的に判断させていただきます」
「つまり磯さんが決めるってことだね」
「ところで元首たるもの、古今東西、女遊びは盛んでございます。陛下にはまだお早いかも知れませんが、お妃選びとは別件で、そちらの件も私の方で手配いたします。陛下のお相手をする前に、性病がないかどうか、事前に審査する必要がございます」
「そういうの興味ないよ」
「私から見て、あの姉ヶ崎という女ですが、お妃にも女遊びのお相手にも不合格でございます」
Kは無言のまま、抗議するようにオレンジジュースを音を立ててすする。
磯崎俊太郎は真日本帝国の初代首相だった。