第2章 Kの襲撃
雲一つない青空だった。
姉ヶ崎姫香は一眼レフカメラを片手に、開会セレモニー会場を探した。
記事とは直接関係ないが、写真を一枚、撮っておきたかったのだ。
姫香は『月刊 女性と政治』の雑誌編集記者。カメラマンではないが、自分が書いた記事の写真はほとんど自分で撮る。
大学を出て出版社に勤務してから四年目だった。
これまで書籍やムックの編集をしていたが、半年前、『月刊 女性と政治』編集部に異動になった。仕事内容はこれまでとは全く違い、ほとんど一からすべてを覚えなくてはならなかった。
入社四年目ともなれば同期の女子社員が半数以上結婚で寿退社していく一方、職場に後輩も増え、彼女たちと一緒に新しく仕事を覚えるのは、とてつもなくストレスがたまった。
だが雑誌編集記者という仕事はやってみるとなかなか面白く、持ち前の旺盛な好奇心をくすぐる、やりがいのある仕事でもあった。
ブラック企業認定必須の過激なサービス残業をときとして強要されることがあるにも関わらず、姫香が今のところ転職つもりがないのは、こうした理由からだった。
広場に多数の兵隊が整列している。
周囲に「Keep Out(立入禁止)」と書かれた黄色いバリケードテープが貼られ、その後ろに一般の見物客が集まっている。
横田基地の友好祭は、基地内の米兵と周辺住民との相互理解を深めることを目的としたイベントで、毎年、八月と九月に開催される。
基地内を一部開放し、アメリカンフードの屋台や、米兵のブラスバンドの演奏などを、周辺住民が楽しめるという趣向だった。
『月刊 女性と政治』は、二十代から四十代までの働く女性を対象にした雑誌だった。
創刊当時、政治や経済、時事問題といった、従来の女性雑誌ではあまり取り上げられなかった話題を女性の視点から掘り下げて論じている点が、業界では新機軸を打ち立てたと話題になった。
先月号では、在日米軍基地の戦闘機の離発着による騒音問題と、それに悩む周辺住民の話題を取り上げたばかりで、『月刊 女性と政治』は、もともと在日米軍にあまり友好的でない。
今回、姫香が友好祭を取材しているのは、特集ではなく、広報発表の文章を5W1Hの短い文章に書き直し、ただ写真一枚を添えるだけのベタ記事のためだった。
雑誌の最初の方にベタ記事を集めたコーナーがある。このコーナーで大事なのは記事より写真だった。
恰幅のいい白髪の男が檀上に立つ。
軍服の記章から察すると、かなり身分の高い軍人なのだろう。
男はマイクに向かって、演説を始める。同時通訳が少し遅れて日本語にする。
「このような天気のいい日に、フレンドシップデーを開催できて、大変うれしく思います。
私はジョナサン・シンフィールド空軍中将です。
在日米空軍司令官、第五空軍司令官、上級米軍代表者を兼任しています。
ところで・・・・」
ふと上空に無数の影が見える。
戦闘機のようだ。
戦闘機はたくさんの紙吹雪を投下した。短冊のようだった。
姫香は当初、これを米軍のイベントだと思っていた。
アメフトのスーパーボウルで国歌斉唱に合わせ、米空軍の戦闘機がスタジアムの上空を駆け抜けるというセレモニーがある。
それと同様の手の込んだ余興だと思っていた。
だが米兵たちが落ち着きなく、きょろきょろし始める。それを見て姫香はにわかに不審に思う。
空軍中将の演説も途中で中断した。
姫香は頭の上に落ちてきた短冊を掴み取る。
萌えアニメのキャラクターでふざけた装飾が施されているが、メッセージがはっきり読める。
「 This area is neither US territory nor Japanese territory.
It is True Japan Empire territory.
Go away as soon as possible.
日本語訳)
ここは米国領でも日本領でもない。
真日本帝国の領土だ。
ただちに退去せよ
」
伝単だ。
姫香は直感的にそう思った。
伝単とは、戦争時に敵国国民の戦意喪失を目的に戦闘爆撃機が敵国にばらまくビラのことだ。
太平洋戦争では、米軍のB―29が日本の空襲予定地域に空襲予告のビラを撒いた。
ディスプレイに映し出されたのは、横田基地を俯瞰した映像だった。
ディスプレイと言っても仮想上の代物だった。電脳眼鏡に映ったAR(拡張現実)に過ぎず、現実に実体があるわけではない。
三十機近い人型電脳戦闘機《アマテラス2号》が、基地上空を旋回して伝単を撒いている。
「ところでガイア」Kが言う。「これはどこから撮影した映像なの」
「米国の軍事衛星をハッキングしたのよ。そうしたらこんな映像があったわ」
《ガイア1号》の声がヘッドギア内蔵のイアホンから聞こえる。
《アマテラス2号》は二メートルに満たない小型無人戦闘爆撃機だった。パイロットは搭乗していない。また小型なのでステルス性が高い。
通常、戦闘機の形状をしているが、地上に下りると人型ロボットの形状に形状変身する。
「そろそろ攻撃を開始するか」
Kは独りごちる。
爆撃が始まった。
ナパーム弾だ。
ジョナサン・シンフィールド空軍中将は、ハンバーガーの屋台の下に避難した。
広場は火の海と化し、見物客たちは悲鳴を上げて逃げ惑う。
兵士たちは物陰に隠れ、数人がマシンガンで応戦する。
だが人型電脳戦闘機《アマテラス2号》から発射されたマシンガンが彼らを残らず射殺する。
「中将、ここは危険です」
一人の将校が屋台に入ってくる。
「何てざまだ」ジョナサンが言う。「レーダー担当者は何をやってるんだ。戦闘機にやすやす侵入されるなど、あってはならないことだ」
「実はあれは高度なステルス戦闘機のようです。とても小型でレーダーで探索しづらいようです」
「どこの国の戦闘機だ。ロシアか中国か」
「まだ確認できません。東京湾の方から飛んで来たようで、日本国内の戦闘機かと・・・・」
「自衛隊のわけないだろう。われわれに刃向う勇気など、奴隷根性の染みついたあいつらにあるわけがない。いいか、日本はわれわれの植民地なんだ」
「ですから日本の戦闘機ではありません。伝単からすれば、あの戦闘機は例のTJEのようです」
「何だと」
TJE――真日本帝国(True Japan Empire)の噂はジョナサンも知っていた。
日本国内に潜むテロ組織の一種で、最新の軍事兵器を備えているから始末に悪い。
そもそもテロ組織でありながら、自ら国を自称しているのが気に入らない。
通常、ある程度大きなテロ組織は、背後で大国の諜報部が後押ししているものだが、どうも真日本帝国はそうした後ろ盾がなく、完全に独立した組織らしい。
しかしながら、一介のテロ組織がステルス戦闘機まで持っているとは思いもよらなかった。
一機の《アマテラス2号》が炎の燃え盛る広場に着陸する。
人型ロボットに形状変身するまで二秒とかからない。
黒いマネキン人形のようなロボットが二足歩行でこちらに近づいてくる。
ロボットの肘からマシンガンの銃口のようなものが伸びてくる。
「中将、逃げましょう」
将校はそう叫び終わる前に胸から血を吹き出して地面に倒れる。
マシンガンの銃声が耳に残る。
ジョナサンは地面に伏せる。
一体、あいつらは何者なんだ。
こんな軍事兵器見たことない。
われわれ米軍より強力な軍隊がこの地球上にあるなんて、信じられない。
ジョナサンはロボットが遠くへ行ったのを確認し、屋台から走り逃げる。
だがすぐにロボットが気づく。
ロボットは二足歩行をやめ、直立不動の姿勢でジョナサンを追いかける。
足底に車が付いているのだ。かなり高速だ。
銃声が聞こえた次の瞬間、ジョナサンの意識は消えた。
背後から撃たれたのだ。
Kは横田基地上空を飛行している《アマテラス2号》の一機に没入した。
マッハのスピードで鳥のように自在に空を飛ぶ感覚。
それは通常の人間が、味わうことのできない経験に違いなかった。
Kは《アマテラス2号》そのものだった。
一面、火の海と化した滑走路。
だが炎に囲まれ逃げ惑う一人の若い女性の姿が目に入った。
助けないと・・・・。
戦闘機と一体となったKは、急降下する。
肌を叩く風が冷たい。上昇する気圧は全身を圧迫する。
熱い。息ができない。
姉ヶ崎姫香は逃げることをやめた。
周囲はすべて炎に包まれた。もう逃げられない。
意識が次第に遠のく中、黒いマネキン人形のようなロボットが現れる。
ロボットは姫香を抱き上げると、半分、形状変身し、離陸する。
上半身が人型ロボット、下半身が戦闘機という恰好だ。
眼下に広がる横田基地の火事。
姫香は夢を見ているようだった。
自分が今、ロボットに抱かれて空を飛んでいるのは、多分、夢に違いない。
何度となく自分にそう言い聞かせてみる。
やがてロボットは昭和記念公園の芝生に姫香を寝かせると、形状変身で完全な戦闘機の形状に戻り、上空へ飛び去って行った。