第1章 Kの覚醒
長い眠りから覚めた。
それは眠りと言うより再生だった。
これまでの自分は一度死に、生まれ変わって別の人生が始まったような感じだ。
全裸の少年――Kはアイソレーション・タンクの溶液に浮かんでいた。
硫酸マグネシウムの溶液は塩水以上に浮力があり、この中に入ると人間の体はコルクのように浮かぶ。
浮かんだ状態で眠ると熟睡できるのだ。
Kはゆっくり起き上がる。アイソレーション・タンクから出てシャワーを浴び、バスタオルで体を拭く。
「マーシャル、早く服を着なさい。風邪引くわよ」
リラクゼーション室の天井に埋め込まれたスピーカーから《ガイア1号》の声が聞こえる。
《ガイア1号》は、人工衛星内に設置したスーパーコンピュータ上に稼働するAI(人工知能)だった。女性の人格がプログラムされている。
宇宙にいる彼女の声は電波に乗って大気圏を越え、水中を通過し、電脳潜水空母《スサノウ3号》のここリラクゼーション室まで届く。
Kは電脳戦闘服に着替えた。
全身の肌に密着する白いタイツ。頭部を覆うヘッドギア。革製の手袋とブーツ。ベルトのホルスターには自動拳銃がぶら下がっている。
「マーシャル、早く司令室へ急いで。作戦開始まで三時間もないわ」
「そんなに急がせないで」Kが言う。「もう少し、ゆっくりしていたいんだ」
「わかったわ。マーシャル」
《ガイア1号》はKのことをマーシャルと呼ぶよう、プログラムされていた。
司令室は電脳潜水空母《スサノウ3号》の後部にあった。
操縦席に座ると、背面に接続したアームが自動的に操縦席ごとKを宙に持ち上げる。
Kの体は上下左右前後の全方角から司令室の中央に位置した。
ヘッドギアの電脳眼鏡には、AR(拡張現実)の巨大ディスプレイが映し出され、現在位置が表示されている。
東経139.778度、北緯35.138度、水深340メートル。
東京湾から太平洋に通じる東京海底谷だ。
《スサノウ3号》はほとんど動く海底要塞と言ってよかった。
全長200メートル、幅26メートル、最高速度80ノット。
人型電脳戦闘機《アマテラス2号》三十機、虫型電脳偵察機《リリパット4号》六機種計十二機、人型電脳戦車《タケル5号》一機を搭載している空母だ。
館内には複数の電脳工場があり、様々な兵器や工業製品の製造、修理が可能な他、温室には食用の多品種の農作物をオートメーション栽培していた。
世界最大規模にして世界最速の潜水艦ながら、一人乗りだった。
寝室やダイニングキッチンなど操縦者一人が暮らしていける施設がすべてそろっていた。
電脳潜水空母《スサノウ3号》の乗組員がK一人なのではなく、軍隊自体がK一人だった。
人類史上初の兵士が一人の軍隊。しかしそれは人類史上最強の軍隊でもあった。
《スサノウ3号》をはじめ、ほとんどの電脳装置は、自律モード、手動モード、没入モードの三つのモードを選択して操縦する。
デフォルトで自律モードが設定してある。これは機器に搭載されたAI(人工知能)が、機器を自動操縦するモードだ。
手動モードは、操縦者が操縦席から入力装置を使って操縦するモードで、自律モードではできない細かい作業が必要なときなどに使用する。
一方、没入モードは、操縦者の意識を電気信号に変換して機器内のAI(人工知能)に接続させ、感覚的に機器を操縦するモードだ。最も緻密な作業が可能だが、操縦者の技量を最も必要とした。
「ガイア、スサノウを没入モードに切り替えてくれ」
「わかったわ」
《ガイア1号》の声がヘッドギア内蔵のイアホンから聞こえる。
没入モードはアイソレーション・タンクの中の瞑想に似ていた。
視界はなくなり、そのかわり聴覚の世界が広がった。
潜水艦のレーダーは電磁波を周囲の海底に発信し、その反射波を受信して周囲の海底の世界を認識する。
それは聴覚が描く映像だった。
Kの意識は《スサノウ3号》と一体となり、岩礁や魚の群れを避け、東京湾を北上していった。
海流の冷たさと圧迫感が肌に響く。
Kは今、潜水艦そのものだった。




