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つちことロイド

作者: 染井めそ

 異国の少女は怯えた黒い瞳で彼を見ていた。

 上官は彼に『撃て』と命じた。

 少女がか細い声で異国の言葉を口にした。

 上官が再び強い口調で『撃て!』と命じた。

 男の体が大きくビクリと震え、急かされるように引き金を引いた。

 少女は怯えた黒い瞳で男を見ていた。







 深い森に囲まれ、めったに人が寄り付かない大きな大きなお屋敷。その庭に柔らかく冷たい雪が降る中、2mと半分くらいの大きさのヒューマノイドが一体、雪掻きをしていました。長い時間作業を行っていたのでしょう、骨格が剥き出しの身体(ボディ)には降り続く雪が溶けずに積もり、肩や頭にこんもりとした小さな山を作っていました。しかし、寒さを感じる事も疲れてへこたれる事もない彼は、作業の手を止める事も早さを緩める事もせず、黙々と雪を掬っては庭の隅の雪山へと投げていました。


「ロイド」


 その時、ヒューマノイドの後ろからぶっきらぼうに名前を呼ぶ声がしました。彼は作業を止め、頭部の半分を占めるカメラを背後に向けます。

 そこに立っていたのは、もこもこと防寒具を纏った10歳くらいの少女でした。やや着込みすぎているようにも思えますが、ロイドと呼ばれたヒューマノイドは頷きます。少女は不機嫌そうに彼を睨んでいました。年相応の格好をした少女ですが、少しだけ変わっている所を挙げるとすれば、マフラーに埋まった顔の色が若葉を思わせる緑色というところでしょうか。


『よくお似合いでございます。つちこ様。』


 抑揚の無い機械音声が喉元のスピーカーから流れ、つちこと呼ばれた少女を褒めました。


「お世辞はいい。早く。」


 再びぶっきらぼうに口を開くと、少女は庭の出入り口へと歩き出します。ロイドは一礼すると、身体に積もった雪を払いながら、雪掻き用のシャベルを壁に立て掛け、用意しておいた外出着のロングコートを羽織りました。


『お待たせ致しました。参りましょう。』


 そう言ってロイドは片手を差し出します。


「んっ」


 つちこは短く返事をすると、その銀色に輝く手をとって歩き出しました。




 辺りの尖った木々は雪を纏って枝をしならせ、時折耐え切れなかったかのように積もった雪をふるい落としています。舗装も十分にされていない森の中の道には数十cmもの雪が積もっていました。


『つちこ様、お疲れになられたのであれば、(わたくし)の肩にお乗り下さい。』


 ロイドがつちこの歩調に合わせてゆっくりと歩を進め、繋いだ手の先を見守ります。


「いい……。ロイドに頼らなくても……ちゃんと行けるもん……。」


 つちこは途切れ途切れに強がりを言いながら、一歩ごとに足を取られ「わっ」とか「うっ」と呻き、バランスを崩しています。ロイドが手を繋いでいなければ、何度も雪に倒れ込んでいた事でしょう。


『しかし、このままでは街に着く頃にはお買い物をする体力さえ使い果たしてしまわれるかと思われます。今回だけは(わたくし)をお使い下さい。』


 そう言われると流石のつちこも観念したのか、もそもそと愚痴りながらもどこか安堵した様子で、しゃがみ込むロイドの肩へとよじ登りました。

 つるつるとしたロイドの頭にしがみつき辺りを見回せば、高くなった視界のはるか遠く、降り続く雪に見え隠れする街の灯りがほんのりと見えた気がしました。つちこが我を通していれば、日暮れに間に合ったかも怪しいところです。


『しっかりとお掴まり下さい。』


 ロイドはそう言って、肩に乗るつちこを支えながら歩き出しました。彼の重々しい一歩はつちこの一歩と比べて深く雪に沈んでいきますが、積雪程度では全く支障はないようです。つちこが驚いている間に街の灯りの一つ一つを確認できるまでになりました。


「わぁ……」


 ロイドの集音マイクが、すぐ傍で発せられた感嘆の声を拾います。街を眺めていたつちこの目に、灯りを暖かく反射する色とりどりの美しい飾りが見えたのです。


「ロイド、あのきらきらしているのは何?」


『もうすぐ年跨ぎの祭りが開催されるので、そのための飾り付けをなさっているのでしょう。』


 としまたぎのまつりの意味は分かりませんでしたが、つちこは目を輝かせて美しい装飾を見ていました。


 街の入り口に着くと、ロイドはつちこを除雪された道路に降ろし、再び手を繋ぎました。


『今日は特にヒトが多いと思われますので、(わたくし)からはぐれないようにご注意下さい。』


 ロイドはそう注意を促しましたが、街の活気や装飾に目を奪われ上の空のつちこは今にもどこかに駆け出してしまいそうでした。灯りの燈された建物が建ち並び、軒下や入り口は丸い飾りや五つに尖った飾りが光を反射して輝いています。その建物前では防寒具を着込み、寒さで頬を赤く染め、白い息を吐きながらヒト達が何か色々な物を並べ、大きな声を出したり手を叩いたりしていました。


「ロイド、あのヒト達は何をしているの?」


 普通なら喧騒に掻き消されて聞き取れないくらい小さなつちこの声を、1km先のひそひそ話を聞き分けられるロイドの高性能な集音マイクが拾います。


『客寄せでございます。売りたい商品を見てもらうために、手を叩いて注目を集め、魅力的な言葉を言ってヒトを集めているのです。』


 ロイドの言葉に頷きながら辺りを見渡していると、目の前を狼の獣人の子供が3人駆けて行き、ある店の前で立ち止まって数枚の銅硬貨を出しました。


「おっちゃん、みっつちょうだい!」


 声をかけられた赤鬼のオヤジは「あいよっ」と返事をすると湯気の立ち昇る容れ物から丸い物を三つ取り出して子供達の硬貨と交換しました。


「熱いから気を付けるんだぞ!」


 子供達は返事をしながら、笑顔で再び駆けて行きました。


「ロイド、あの丸いのは何?」


『マンジュウという物らしいです。甘いアンコという物を小麦粉で作った生地で包み、蒸し上げた温かいお菓子でございます。』


 つちこは丸い物が食べ物と知って「ふーん」と生返事をしました。つちこはヒトのように食事をする必要が無いため、食物にあまり関心が無いようです。


『お召し上がりになられますか?』


 ロイドの提案に興味が無さそうに首を振ると、他の店を指差し色々な質問し始めました。


「ロイド、あのヒト達が飲んでる物は何?」

『ビールでございます。アルコールで酩酊するための飲み物です。』

「ロイド、あのカチカチ鳴るお店は何?」

『時計屋でございます。壊れた時計の修理もなさっています。』

「ロイド、あの狭い道のピンク色の建物は何?」

(わたくし)には説明が難しいため、つちこ様が大人になってからお教え致します。』


 そんな風に街を歩いていると、ある店の前でつちこが立ち止まりました。人形やぬいぐるみ、簡易な模造刀などのおもちゃが並ぶ棚が、大きな窓から見えます。


『お入りになられますか?』


 ロイドの言葉に目を輝かせて顔を上げたつちこでしたが、何か思う事があったのか、濡れた地面とおもちゃ屋を交互に見つめながら悩みに悩んで「見るだけ……」と返事をしました。


 飾り付けられたドアを開けると、軽いベルの音がしました。その音に少しだけ驚いたつちこは、ロイドの陰に隠れました。


「いらっしゃいませー……なんだヒューマノイド(魔力も無い粗悪人形)か。」


 ロイドの姿をちらりと見やると、部屋の奥から出てきた尖った耳の女性エルフは、露骨に嫌そうな顔をしました。魔術を得意とするエルフは、魔力も無く動くヒューマノイドの事を良く思っていないようです。


『お忙しい中すみません。こちらの商品を見せてもらってもよろしいでしょうか?』


 ロイドの丁寧な物言いに、エルフはあからさまに嫌そうな顔をしながら腕を組んでいます。


「皮肉のつもり? ……まあいいけど、ウチの商品盗んだり壊したりしたらその場で屑鉄に変えてあげ……」


 物騒な事を言いながらロイドを見ていた視線が、足元にきた所で止まりました。ロイドの陰に隠れていたつちこが、珍しそうにエルフを見ています。


「いっ……いやああああ!」


 突然、エルフが叫び声をあげました。つちこはいきなり発せられた大音量にビクリと体を震わせます。


「何この、この魔力の強さ! 草の香り……緑の皮膚……まさかドリアード? ドリアードなのね!」


『すみません、つちこ様は……』


「うっさいあんたには聞いてないのこのポンコツ!」


 興奮したように早口で捲し立てるエルフを恐ろしく思ったつちこは、急いでロイドの陰に隠れます。


「ああ! ごめんなさいあたしったら! そんなに怖がらないで出てきて!」


 エルフは隠れてしまったつちこにオロオロと謝り、しゃがみ込んで「おいでぇ〜おいでぇ〜」と猫なで声で呼びましたが、つちこはロイドのロングコートを掴んだまま出てきません。考えたエルフは「そうだ!」と立ち上がり、ダッシュで店の奥へと消え、たかと思えば戻ってきました。


「ほら、これ凄いわよ〜。可愛いでしょ〜?」


 そう言って床に置いた物は、大人の手の平に乗る程の大きさの、四つ脚の生物のぬいぐるみでした。頭部には2本の特徴的な角を生やしています。しばらくしてコートの陰から二つの目が恐る恐る覗いたのを見計らい、エルフは「見ててね〜見ててね〜」と念を押してぬいぐるみの鼻を押しました。すると、ぬいぐるみがぶるりと震え、まるで本物の生物であるかのように歩き始めます。つちこは目を丸くし、目の前の小さな動くぬいぐるみを凝視していました。


「ウチの人気商品のレインディア人形よ。低級精霊を固着させて動くようにしてるの。」


 レインディア人形がつぶらな瞳でつちこを見上げ、小首を傾げました。その姿につちこは、小さく「かわいい……」と漏らします。


『まるで本物の生物ですね。素晴らしい技術です。』


 ロイドの手放しの賛辞に皮肉ではないかと疑いながらも、エルフは胸を張りました。


「まあ、魔法適性の無いヒューマノイドにはガワだけ模倣は出来ても、こんな風に動かす事は出来ないもんね!」


 自信満々に言ったエルフでしたが、ロイドが訂正します。


『いえ、動かす事だけはできます。ですがあのように意思を持って動くようには……』


「むきいいいい!」


 躊躇無く出来ると言われた悔しさに思わず生意気なヒューマノイドの腹の辺りを殴ってしまったエルフでしたが、金属の塊であるロイドの身体を殴った事で拳を痛めたらしく、手を振り回していました。その間、つちこは動くレインディア人形の後を追ったり、手を伸ばして触ってみたりと、興味津々な様子で触れ合っていました。


『店主様、こちらのレインディア人形はおいくらなのですか?』


 すっかり嫌われてしまったロイドでしたが、気にしていないのか気付いていないのか、カウンターに座り唇を尖らせて手をさするエルフに聞きました。エルフはじろりと睨みつけながらも、吐き捨てるように素直に答えました。


「金硬貨2枚と銀硬貨5枚。」


 ロイドは『どうも有難うございます。』と一礼しましたが、傍でレインディア人形と遊んでいたつちこは思わず顔を上げました。そして、肩に提げたポシェットとレインディア人形を見比べます。レインディア人形はつちこの周りを駆け回っていましたが、寂しそうに見つめるつちこの視線に首を傾げました。


「……ロイド、行こう。」


 小さな葛藤を経て、つちこはロイドのコートの裾を引っ張ります。その目は一生懸命レインディア人形を見ないようにしていました。


『それでは、こちらのお人形は店主様にお返ししましょう。』


 そう言ってロイドがレインディア人形を拾い上げると、つちこは「あっ」と小さな声を漏らして俯いてしまいました。ロイドはエルフのいるカウンターにレインディア人形を持って行くと、店主に二言三言話しかけます。つちこはロイドと店を出た後もしばらくは俯いたまま黙り込んでいました。




 ロイドの手を握り俯いていたつちこは、街の喧騒が幾分か遠くなった事に気付き、ようやくと顔を上げました。明るく煌びやかな街とは打って変わり、臭くて狭く暗く汚れ、家々から漏れる灯りもまばらで、人通りも無いとてもとても不気味な場所でした。


「ロイド……ここは何?」


 急に怖くなったつちこは、銀に輝く手をぎゅっと握り直すと、小さな声で質問しました。


『驚かせてしまったようで申し訳ございません。裏道を通っております。』


 いつも通りの抑揚の無い声でロイドは答えます。しかし、それは裏道の雰囲気と合間ってとても恐ろしげに聞こえました。


『表通りと貧民街の間ですので、物乞もいればスリ、強盗などがいる事もあります。お一人では出歩かぬようご注意してください。』


 つちこには馴染みの無い言葉ばかりでしたが、なんとなく怖い所なんだということは分かりました。

 するとその時、


「お恵みを……。」


 ロイドの話に耳を傾けていたため、つちこは突然目の前に差し出された何かに驚いて立ち止まってしまいました。それは饐えた臭いを放ち、痩せ細って骨のようになった、しかし目だけはギラギラと鋭い光を放つ老人の手でした。差し出す骨張った手には、黒く汚れて欠けたお椀を持っています。


「お恵みを。」


 再び老人がボロボロの歯を見せて笑いながらつちこに言いますが、つちこには何の事か分かりません。すると、ロイドが銀硬貨をポケットから一枚取り出し、そっとお椀に入れました。硬貨とお椀がぶつかるカラリと音が鳴ると、老人は目を見開き、多くの礼を言いながら腕を下げました。


『行きましょう。』


 ロイドは固まるつちこの手を引くと、再び歩き始めました。つちこはあの老人は何者だったのか、何故銀硬貨をあげたのか、物知りなヒューマノイドに聞こうとしましたが、あの異様な雰囲気とギラギラとした目が思い出されて声になりません。つちこは少しだけ帽子を深く被り、今起きた事を早く忘れるように努めました。


 しばらく暗い裏道を歩いていると、何も無い突き当たりに辿り着きました。不安気に見上げるつちこに対し、ロイドは何ら迷うことなく薄汚い壁の前に立ちます。そして、茶色の壁に人差し指を押し当てました。同時に、どこからか「リィンゴォン」と、鐘の音が鳴り響きます。その音に驚いて周囲を見回すつちこと、『失礼します。』と言って再び壁に手を伸ばし横に引くロイド。すると、ガラガラという騒々しい音と共に壁の一部が横に動きました。その向こうには、長い黒髪を後ろに束ね、綿の入った袖口の広いオレンジ色の上着を着た一人の若い女性が驚いた様子で、丸くてとても低いテーブルの前に二本の棒をくわえて座っています。テーブルの上には焼いた魚や、汁の入った木のお椀、白いつぶつぶが入ったお椀や取っ手の無いコップのような筒状の物などもありました。


『お食事中失礼します。旦那様のお薬を戴きに参りました。』


 黒髪の女性は口に含んでいた二本の棒をテーブルに置くと、コップの中身を啜り、一言。


「あんた、本当に面白くないな。」


 心底うんざりしたように呟き、立ち上がりました。そして、後ろの棚から色違いのコップを二つ出してテーブルに並べました。


『次はご期待に沿えるよう、善処します。』


「めんどくせぇ、真面目かよ。それより開けっ放しにしてそんなトコ立ってたら部屋ん中が冷えるだろ。さっさと入れ。」


 ロイドは『お邪魔いたします。』と言うと、固まるつちこと共に室内に入りガラガラと壁を閉めました。壁であった物は部屋の内側から見れば磨りガラスになっており、薄暗い空から降る雪がしんしんと降り注ぐのをぼんやりと映していました。女性がくすんだ銀色のケトルを持って他の部屋に行ったので、少し高くなっている草を編んだような床に上がろうと手をつくと、ロイドに止められました。


『つちこ様、ここではブーツを脱いで上がりましょう。』


 つちこは首を傾げましたが、ケトルを手にすぐに戻ってきた黒髪の女性の足元を見て、とりあえず納得しました。ブーツを脱いでいると、女性はつちこと同じくらいの大きさの白い筒状の物の上にケトルを置きます。それの真ん中には覗き窓のような物があり、中では炎が勢い良く燃えていました。ブーツを脱いで草を編んだ床に上がったつちこは、周りをキョロキョロと見回しました。床は黄色っぽい草を編んでおり、少し毛羽立っていました。壁は白いザラザラで覆われており、木の模様の見える天井からは丸っこい光る物が紐で吊るされています。真ん中にはとても低いテーブルが置かれ、壁際には引き出しを積み重ねたような大きな四角い箱や、食器棚がありました。風変わりな部屋を見回していると、脚部の簡易洗浄を終えたロイドがテーブルを前に脚を畳んで座りました。つちこも真似をして脚を畳んで座ってみましたが、慣れない座り方であるからか脚が痛くなったのですぐに伸ばして座り直しました。


「んで、そいつ何?」


 女性は焼き魚の身を二本の棒で器用に摘みながら切れ長の目でつちこを見ます。


『こちらは、ドリュファス伯爵の御令嬢、つちこ様でいらっしゃいます。』


 そいつ呼ばわりに気分を害した様子も無く、ロイドは黒髪の女性につちこを紹介します。女性は「ふーん。」と棒の先をくわえながらつちこをじろじろと眺めていました。


『つちこ様、こちらの方は26代目魔女、ツブラヤ マドカ様でいらっしゃいます。』


 不躾な視線を少しだけ怖がりながらも、つちこは目線をちょっとだけ逸らして「こんにちは……」と挨拶をしました。マドカはしばらくつちこを凝視していましたが、何かに納得したように頷きながら食事を再開しました。


「で? 何だっけ? ドリュファスの薬?」


 そう言って、マドカは薄い楕円形の黄色い物を口に運び、お椀一杯に盛ってある白いつぶつぶを掻き込みます。


『はい、マドカ様のお薬のお陰で旦那様も新年を迎えられそうです。主に変わり、(わたくし)からお礼を……』


「でも、病状が回復している訳じゃない。」


 ロイドの言葉を、マドカが遮ります。そして、彼女は心底おかしそうに笑いました。


「あの薬は治す薬じゃない。魂を削り取って無理矢理にでも生命力を高める薬で、本来は実験用の生物や狂戦士(バーサーカー)に使ってた毒薬だ。使い続ければ廃人になるのも時間の問題だろう。まあ、それでもいいって言うんだから、魔女ってのはボロい商売だよなぁ。」


『……』


 ケラケラと嗤うマドカの言葉に、ロイドは否定も肯定もしません。ですが、つちこは違いました。その目は驚きに見開かれています。


「それって……お薬を飲んでもパパは良くならないって事……?」


「良くはならねえな。寧ろ悪くなる。」


 マドカは悪びれも無く答えると、お椀に入ったスープを啜ります。あまりのショックにしばらく放心していたつちこはゆっくりと俯き、両手を握り締めました。


「病気を治すお薬は……無いんですか……?」


「あるぜ。」


 返ってきた答に、希望と怒りを込めてつちこは勢い良く顔を上げました。


「! ……じゃあ!」


「ただし、材料が足りねえ。元になるモンが無けりゃウチのばあちゃんだって作りゃしねえよ。」


 突き放すように言い放たれた答に、つちこは再び俯きます。しかし、希望はまだ残っていました。


「……足りない材料は、何ですか?」


 絞り出すようなつちこのその言葉に、少しだけ驚いたような顔をしたマドカでしたが、すぐに不気味とも思えるような笑顔を浮かべました。


「知りたいか?」


 つちこは頷きます。


「本当に?」


 再び、つちこは頷きます。


「足りないのは一つだけだ。」


『マドカ様。』


 突然、ロイドがマドカの言葉を遮るように名前を呼びます。


「なぁに、今ならすぐに手に入れることができる。」


『マドカ様。』


 再び、ロイドが遮るように口を挟みます。


「それはな。」


『マドカ様。』


 再三、ロイドが遮ります。不気味な笑顔のまま、マドカが小さく舌打ちしました。


 その時、甲高い笛の音が部屋中に鳴り響きました。その音に驚いたつちこは、辺りを見回します。しかしマドカは大して驚きもせずに、白い筒の上に置いたケトルを取りました。すると、笛の音が徐々に弱々しくなり、止まってしまいました。


「玄米茶だけどいいか?」


 ケトルからティーポットにお湯を注ぎながら、マドカはつちことロイドに質問しました。


(わたくし)は何でも……。つちこ様は如何なさいますか?』


「……え? えと……」


 ロイドは状況に着いていけないつちこに向かって何かを聞いてきます。『お飲み物の事です。』と説明され、ようやく「な、何でも……。」と口にしました。マドカはティーポットから緑ががった透明の液体をコップに移すと、つちことロイドの前に置きました。


『戴きます。』


 ロイドはコップを手に取り、顎の縁を開くと、その隙間に一口分の液体を流し込みました。


『まだまだお熱いので、少し冷やしてから戴きましょう。』


 とりあえずつちこもコップに手を伸ばしましたが、ロイドにそう言われて手を下ろしました。


「そ、それで、材料は……。」


 緊張しながらもマドカに話の続きを促しましたが、彼女は食事を再開しながら手を振りました。


「ありゃ冗談だ。気にすんな。」




 食事を終えたマドカは、薬の調合のために部屋を出て行きました。部屋に残されたつちこは俯いたまま何も言いません。ロイドは時折緑の液体を流し込み、同じように何も言いませんでした。


「ロイドは、知ってたの? お薬の事。」


 ようやく口にした言葉は、隣にいるヒューマノイドに対して発せられました。


『存じ上げております。』


 ロイドは抑揚の無い音声で答えました。つちこは悔しくて唇を噛みます。


「お薬、もういらないって、言わない?」


『それは出来かねます。お薬を所望しておられるのは、旦那様の御意志でございます。』


 つちこが、ロイドを殴りました。その手をロイドが優しく受け止めます。


『つちこ様、おやめ下さい。お手を痛めてしまわれます。』


 再びロイドを叩きますが、それもロイドに優しく受け止められます。何をやっても届かない悔しさと悲しみに、ついにはロイドの脚を蹴り、背中を向けて膝を抱えました。


 再び、沈黙が部屋を支配します。壁の向こうで薬を作る小さな物音が聞こえました。


(わたくし)には旦那様のお考えを完全には理解致しかねますが。』


 そう断ってから、ロイドは言葉を続けました。


『発病当初、旦那様はご病気を治そうと躍起になっておられました。街で大怪我を負うまで喧嘩をなされ、お酒にお逃げになられ、使用人に当たり散らし、絶望と罵倒を交互に口にするようになり、お屋敷の中も凄惨たるものでした。』


 つちこは耳を疑いました。なんせつちこが知るドリュファスは時折厳しくても、優しくて温厚で、とてもそのような粗暴な行いとはかけ離れたヒトであったからです。


『当初は(わたくし)を含めて11人いた使用人も、旦那様の暴行に耐えきれず、(わたくし)を残して92日で全員辞めていきました。その28日後、先代魔女様にお会いし、お薬のための材料を集め始めました。しかし、それから3年と452日後、つちこ様と出会われてしばらくすると、材料を集める事を止め、今のお薬の服用をお考えになられました。』


 つちこは顔を上げ、振り向きました。相変わらずロイドは脚を畳み緑の液体を流し込んでいます。


(わたくし)の勝手な予想ではございますが、旦那様はつちこ様のために今のお薬を続けているのではないかと考えております。お薬のリスクも十分に承知した上で。』


 ごめんなさいという気持ちとは裏腹に、嬉しい気持ちが胸を締め、つちこは溢れてきた涙と嗚咽を零しました。


『つちこ様、お茶が丁度良い温度になりましたので、お上がり下さい。』


 頃合いを見て、ロイドは緑の液体の入ったコップを差し出すと、つちこは泣きながらそれを受け取りました。




「出来たぞ。とりあえずいつも通り94日分な。」


 横に開く扉を足で開けて部屋に入ってきたマドカは、2人の前に薬の入った紙袋を置きました。


「足りなくなった時はまた来い。まあ、また見つけられるかはあんたら次第だがな。」


『ご心配には及びません。(わたくし)のセンサーを駆使すれば地の果てまで探し出せますので。』


 ロイドの言葉にマドカは「面白くねえ」と漏らしました。そして、ロイドに向かって手を差し出します。


「んじゃ、カネ。金2枚と銀5枚な。」


 その言葉に、ロイドはつちこに視線を送ります。つちこは頷き、ポシェットをひっくり返してテーブルの上に大量の銅硬貨を出しました。それは、今日までにお手伝いをして貯めたお小遣いでした。意図を汲んだマドカは面倒臭そうに溜息を吐きながら、山盛りの銅硬貨を数え始めました。




『お邪魔致しました。』


 ロイドは薬の袋をコートのポケットにしまうと、マドカに対して一礼しました。


「今度は両替してから来い。」


 ブーツを履くつちこの後ろで、げんなりした様子のマドカが言いました。当分の間、銅硬貨は見たくも無いようです。磨りガラスの扉を開けると、雪は降り止んでおり、少しだけ空が暗くなっていました。


「さようなら、魔女様。」


 外に出たロイドの後ろでつちこが言います。


「おう、もう来んなよ。」


 マドカは満面の笑みで手を振りました。するとその時、彼女のポケットから大音量で聞いたことの無い音楽が流れ始めます。マドカは慌ててポケットから手のひらと同じくらいの大きさの角の丸い薄い板のような物を取り出して音楽を止めると、少しだけ高めの声で「もしもし〜」と言いながら耳にあてがいました。


「え、本当に? 行く! やだ何着てこ! うんうん、じゃあ8時に駅前の」


 ロイドが一礼して扉を閉めました。そして、まるで今までの出来事が夢か幻であったかのように、辺りが静けさに包まれました。


『行きましょう。』


 そう言ってロイドはつちこと来た道を戻りました。帰りにはギラギラとした目の老人はいなくなっていました。




 華やかで賑やかな通りに戻ってきたつちことロイドは、沢山の食料や衣服などを買いに、色々な店を周りました。小麦粉、肉、魚、野菜、暖かい毛皮で作った上着、綿の入った布団……。繋いでいた手は荷物が増えていく間に、いつの間にか離れていました。


『つちこ様はこちらでお待ちになられて下さい。すぐに戻りますので。』


 ロイドは近くにあった椅子に疲れたつちこを座らせ、狭くて小さい店へと入って行きました。ロイドを待つ間、つちこはぼんやりと色々なヒト達を見ていました。人間や獣人、エルフ、ドワーフ、ブラウニー、オーガ……ほとんど絵本でしか見たことの無い多種多様なヒト達が通り過ぎていくのが面白くて夢中になっていました。

 そんな時でした。どこかで嗅いだ事のある臭いに気づき、振り返りました。




『お待たせ致……つちこ様?』


 ロイドが戻ってきた時、椅子にはつちこはいませんでした。




 老人は細い裏道を縫うように走り抜けました。その脇には口元を塞いだつちこを抱えています。骨のような見た目の割に意外と力はあるようで、つちこが暴れても老人から逃げ出す事はできませんでした。


「……もういいかな……?」


 人間二人がようやく通れるような道に来ると、老人は服の弛みに隠しておいたナイフを取り出し、つちこに突きつけました。


「騒ぐなよ? 騒いだら刺すからな? 騒ぐなよ?」


 つちこが恐る恐る頷くと口を塞いでいた手をどけて壁際に立たせました。そして、ポシェットをひったくると中を確認して舌打ちしました。続いてつちこのコートのポケットを探ります。


「な、何ですか……? 何してるんですか……?」


 つちこはびくびくと震えながらも、老人に問いかけます。ポケットにも何も無い事を知ると、老人は苛立たしげに「金はどこだ。」と言いました。


「お金……? お金は、無いです。さっきお薬を買ったから……。」


「嘘を()くな。一緒にいた使用人形(ヒューマノイド)は銀硬貨を持っていたじゃないか。嘘を吐く子供はな、雪山の怪物に顎を食べられてしまうんだぞ。」


 優しい口調で脅しますが、つちこは震えながら首を振るだけです。


「お金はロイドなら持ってます……。つちこは、お金をもう持ってません……。」


「クソ!」


 老人が苛立たしげに吐き捨て、壁を殴りました。あまりの恐怖につちこはガタガタと震え始めます。


「こうなったらこいつを人質にしてあの使用人形(ヒューマノイド)から有り金を巻き上げるか……。おい、ガキ。一緒に来い。」


 老人はつちこの腕を乱暴に引っ張りました。その衝撃で毛糸で編んだつちこの帽子が頭から落ちます。その光景に老人は目を見張りました。帽子の無くなったつちこの頭には、青々とした葉とその中心にまだ硬く閉じた蕾が生えていたからです。


「まさか、お前……!」


 嫌な予感につちこは逃げ出そうと暴れましたが、掴まれた手から毛糸の手袋を抜き取られました。


「あっ……。」


 露わになったつちこの手は赤く、五本に分かれた太い根のような形をしていました。


「やはりマンドラゴラか!」


 老人はギラギラとした目を更に強く輝かせて空を仰ぎました。


「何て幸運だ! こいつを売れば糞の溜まり場のようなこの生活ともオサラバだ!」


「やだ!」


 つちこは緩んだ手を思いきって振り払うと、走り出しました。しかし、すぐに追いつかれ地面に組み伏せられます。


「へへへ、手足を切り取って逃げられねえようにしてやる……。」


 そう言って口にナイフをくわえ、つちこの服を剥ぎ取ろうと手をかけました。


「いやだ! いや! 助けてパパぁ! ロイドぉ!」


 つちこの叫びは寒空へと消えてしまいます。その叫びは誰の耳にも届きません。


 しかし、彼の集音マイクはその声を聞き逃しませんでした。


『対象を発見。これより交渉・奪還に入る。』


 その抑揚の無い音声と共に空から大きな銀色の物が傍に降ってきました。それは2mと半分はある銀色の身体(ボディ)にロングコートを着た、つちこのよく知るヒューマノイドでした。


「ロイド!」


「う、動くんじゃねえ!」


 老人は素早くナイフをつちこに突きつけると、頭の蕾を掴んで立ち上がりました。


『つちこ様、少々お待ち下さい。直ぐに片付けますので。』


 立ち上がったロイドはつちこに向かって一礼すると、老人の足元に向かって金硬貨を投げました。


『つちこ様を返してはもらえませんでしょうか。お返し戴ければ、その硬貨は差し上げます。』


 老人は転がる硬貨をちらりと見て鼻で笑いました。


「返してほしけりゃ金硬貨1000万枚だ。それが出せないなら他の奴らに売り捌く。マンドラゴラを欲しがる金持ちはこの世界に腐る程いるんだぜ?」


 盗っ人猛々しいとは正にこの事でしょう。ロイドは返事もせず、再び交渉をします。


『もう一度言います。つちこ様を返してはもらえませんでしょうか。(わたくし)としては、暴力行為は控えたいのですが。』


 しかし、老人は強気な姿勢を崩しません。


「何か暴力行為だ、使用人形(ヒューマノイド)制御装置(セーフティ)でヒトを傷つけられねえのはこの世界の常識だろ? お前は黙って金を出すか、俺を見逃せばいいんだ!」


 その言葉につちこは愕然としました。今までロイドは何を言われても何をされても暴力に訴える事はありませんでした。知らずにつちこは時に八つ当たりに殴る事もありました。それなのに、反撃もできないのに、いつも殴るつちこの手が痛むと言って止めさせたのです。


「ロイド……ごめんなさい……。」


 震える声で絞り出した言葉はほとんど声になりませんでした。


『少し勘違いをなさっているようなので、訂正をさせて戴きます。』


 ロイドはつちこと老人の反応を見て説明をし始めました。


制御装置(セーフティ)設置義務法は157年111日前に施行されました。以降製造されたどのヒューマノイドもヒトを傷つけられぬよう、例外なく制御装置(セーフティ)システムが回路に組み込まれております。』


 老人が鼻で笑いました。そんな事知っているとでも言うように。しかし、次の言葉にその笑いが凍りつきました。


(わたくし)は1638年31日前に製造された、グラバレット国製戦闘人型兵器 GB-7500 ダナエ部隊隊長補佐 製造番号RR666。勿論、制御装置(セーフティ)は取り付けられておりません。』


「1600年……? 大戦の頃の話じゃねえか……そんな話信じる訳……」


 否定しようとした老人の口が止まり、つちこの目が驚きに見開かれます。ロイドの背後や頭上が大小様々な輝く魔法陣で埋め尽くされ、それぞれの中央から複雑な形をした金属の塊や、滑らかな曲線で形作られた金属の塊がゆっくりと召喚されました。


『はい、(わたくし)は大戦時に造られた戦闘人型兵器(ヒューマノイド)です。そして、その兵装はごくわずかではありますが解除されておりません。』


 老人は慌ててつちこを盾にします。しかし、ロイドはその行為に釘を刺しました。


『つちこ様を盾にしても無駄です。(わたくし)にはつちこ様を傷つけず、貴方だけを行動不能にする事が出来ます。』


 その言葉に呼応するように、ロイドの背後にある幾つもの兵器から光が漏れ、甲高い唸り声のような音が響きました。


『再三申し上げます。つちこ様を返してはもらえませんでしょうか。今なら金硬貨一枚で「見逃してやる」と言っているのです。5秒差し上げますのでよくお考えを。』


 老人は恐怖で動けず、震え始めました。


『5』


しかし、強欲のせいか、あまりの恐怖からか、つちこの頭の蕾から手を離す事が出来ません。


『4』


 老人がナイフを捨て、その手を上げました。


『3』


 しかし、ロイドのカウントは止まりません。


『2』


「待ってくれ! 手が、手が離れないんだ!」


 半泣きになりながら言い訳をする老人でしたが、ロイドは言い訳を受け入れませんでした。


『1』


『つちこ様、目を閉じて下さい。』


 つちこが目を閉じた瞬間、瞼の裏に白い発光と耳を塞ぎたくなるような爆音が鳴り響きました。




「うぎゃあああああ! ひいいいいい!」


 老人がようやくつちこから手を離し、ひっくり返りながら逃げて行きます。しかし、その体には一つの傷も付いていません。発光は背後の兵器の一部、音はロイドの喉元にあるスピーカーから発せられたものでした。


『つちこ様、もう大丈夫でございます。』


 ロイドの言葉に恐る恐る固く閉じていた目を開けば、老人は既におらず、兵器は魔法陣の中へ戻り始めていました。


「ろ、ロイドぉ……。」


 緊張が解けたことで溢れる涙を流し、つちこはロイドに抱きつきました。


『本当に申し訳ございません、つちこ様。(わたくし)としたことが直ぐに駆け付ける事ができませんでした。』


 ロイドはつちこを抱き上げると、泣き止むまでその背中をさすっていました。


『今日は帰りましょう。恐らく旦那様も心配なさっています。』


 つちこが頷くとロイドは肩に乗せ、建物の上に飛び移りながら最短ルートでお屋敷へと帰っていきました。


「ちょっとかわいそうだったね。あのおじいちゃん。」


 帰り道、つちこはポツリと呟きます。しかし、ロイドは首を傾げました。


『老人、ですか? そのような人物といえば、今日は32人ほどお見かけしましたが、どの方もお幸せそうでいらっしゃいましたよ。』


「違う、さっきの……お金あげたおじいちゃん。」


 何故だか噛み合わない会話に、ロイドが『なるほど』と結論を導き出しました。


『あの方は見た目は老いておられましたが、2〜30代でございます。』


 驚くつちこに対し、ロイドは『恐らく、環境や薬剤のせいで老化が進んだのでしょう。』と理由を話しました。つちこはよく解らぬままに頷いていましたが、ふともうひとつの事を思い出しました。


「パパのご飯……」


 ロイドが助けに来た時、今まで買ってきたはずの物はありませんでした。手を繋げないほどの荷物を途中で回収した様子もありません。戻ろうと口にしたつちこに、ロイドは首を振ります。


(わたくし)の小型偵察機が運んでいますので、心配はありません。』


 聞いたことの無い単語に首を傾げるつちこに、ロイドは『後日ご紹介致します。』とだけ言いました。


 その日、街の人々は持つのも大変そうな荷物を、手のひらくらいの小さな銀色の小人達が運んでいくのを目撃しました。




 帰ってきたつちこは、ロイドに促されるように汚れた上着を脱ぎ、用意してあった服を持ってシャワー室へと入りました。体を洗い、服を着ると、ロイドが用意した少し温かい水を急いで飲んで、ある部屋に向かいました。


「パパ!」


 つちこが満面の笑みで駆け込んだその部屋には、コートを脱いだロイドと大きなベッドに横たわる白髪混じりの初老の男がいました。男はゆっくり目を開けると、つちこに向かって笑いかけます。そして掠れた声で「つちこ。」と名前を呼びました。彼はドリュファス伯爵。このお屋敷の主です。つちこは駆け寄ってベッドの端に飛び乗ると、這ってドリュファスの近くへと行きました。


「パパ、ただいま。」


 つちこが優しくドリュファスに抱き着きます。ドリュファスは愛おしそうにその頭を撫でました。


「おかえり。楽しかったかい? とても疲れただろう。」


「うん、疲れたけど楽しかったよ。だけどちょっと怖かった。」


 順序はバラバラでしたが、つちこは今日起こった出来事をドリュファスに話しました。さらわれてしまったこと、ロイドに助けられたこと、街がキラキラと輝いていたこと、動くレインディア人形のこと、魔女の不思議な家に行ったこと、多種多様のヒト達がいたこと……。


「それでね、それでね……」


 楽しそうに身振り手振りを交えて話すつちこでしたが、窓の外を確認したロイドが楽しい時間の終わりを告げました。


『旦那様、つちこ様。そろそろお休みになられた方がよろしいかと。』


 つちこは「えー!」と不満気にむくれましたが、ドリュファスは痩せた手でつちこの頭の葉を掻き分け、頬を撫でて言いました。


「つちこ、今日はもう休みなさい。夜更かしをすると、明日早く起きる事ができないよ。」


 目をこすりながら「眠くないのにー。」と言うつちこでしたが、渋々ながらベッドから降りました。


「じゃあ、続きは明日話すね。おやすみなさい、パパ。ロイド。」


「おやすみ、つちこ。」


『おやすみなさいませ、つちこ様。』


 手を振りながらドアを開けるつちこに応えるように、ドリュファスも手を振り返しました。ドアが閉まり、つちこが部屋に入る音を確認すると、ロイドは『お部屋に戻られました。』と、ドリュファスに伝えます。


「今日はあの子が迷惑をかけたな。本当にありがとう。」


 ドリュファスがロイドに礼を言うと、ロイドは首を振ります。


『恐縮ですが、お礼を言われるような事は何もできておりません。むしろ、(わたくし)が近くにいながらつちこ様を危険な目に遭わせてしまいました。全て(わたくし)の怠慢でございます。本当に申し訳ございません。』


 頭を下げて平謝りするロイドを、ドリュファスは笑って止めさせます。


「いや、ロイドがいたからこそあの子は無事に戻ってこれたんだよ。僕は君に頼んで良かったと心から思っているんだ。」


『恐悦至極にございます。』


 ロイドの言葉に再び笑うと、ドリュファスは少しだけ気になっていた事を聞きました。


「そういえば、君とつちこが出かけている間に武装制御解除要請が来て……一応許可したが、一体どうしたんだ? 兵装のほとんどは弾を抜いているから使えないはずじゃなかったのか?」


 その質問に、ロイドは至って普通の事のように話し始めます。


『つちこ様がさらわれた際、犯人との交渉の道具として、また、今後効力を発揮するであろう抑止力として使いました。恐らく、彼が今後つちこ様を狙うようなことは無いでしょう。念の為に偵察機を一機着けていますが。』


 その答えにドリュファスは納得し、感心しました。しかし新たに湧き出た疑問が残ります。


「もしそのこけおどしが効かなかった場合、どうなっていた?」


『効果の無い確率は0.03%ありました。その場合は流石に少しだけ「痛い目」に遭ってもらっていたでしょう。』


 つまり、ロイドはギリギリまで無血交渉に括ったのでした。無駄の無い動きで犯人をやっつけるロイドを想像したドリュファスは「君が敵でなくて良かったよ。」と言って楽しそうに笑いました。


「引き留めて悪かった。また明日もよろしく頼むよ。」


『いえ、何か御用がございましたら、なんなりとお申し付け下さい。』


 ドリュファスの言葉にロイドは頭を下げると、部屋の灯りを消していきます。そして、全ての灯りを消し終わると、月明かりが照らすベッドに向かって一礼しました。


『おやすみなさいませ、旦那様。』


「おやすみ、ロイド。」


 ロイドは部屋を出ると、既に届いているであろう荷物を受け取りに玄関へと向かうのでした。




 ロイドはつちこが眠る枕の横に、そっとある物を置きました。そして、起こさぬように静かに部屋を出ると、小さな疑問が電子回路を駆け巡りました。

 何故、つちこのためにあれを買い与えようと考えたのか。

 しかし、その小さな疑問はただのエラーとして彼のブラックボックスに保管されました。


 つちこの枕元にはエルフの店で一緒に遊んだレインディア人形が寄り添うように眠っていました。



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