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Heven's door  作者: 三月
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scene2 ゲオルグ・ヴァルターの場合―前編―

私は水筒の水を飲もうとしてめた。この先、水はいつまで保つか分からなかったからだ。どんなに喉が渇いていようが、無計画に水を使用してはならない。この過酷な砂漠のど真ん中で貴重な水を浪費することほど愚かなことは無いのだから。

もっとも、何かに耐え忍ぶことには慣れている。このまるでサウナの中に入っているかのような暑さの中、うずくような喉の渇きを耐えることもだ。もしそれに耐えられなかったのならば、俺はここで屍を晒しているだろう。

ふいに私は前方に不審な何かを発見した。地平線の彼方まで見渡せるこの何も無い砂漠の彼方に黒い影がゆらゆらと動いているのだ。距離にすれば3キロほどの距離だろうか。

次第に大きくなる影を見て私は不審に思った。なぜならそれは徒歩の人間のように見えたからだ。それも一人だ。歩いてこの砂漠地帯を越えようとする人間は自殺志願者くらいしか居ないだろう。ましてや砂漠のルールを知らない余所者なら1日と保たない。サソリやガラガラ蛇の世話にならずとも、50度を越える熱射に焼かれ生きたままミイラのように干からびる。もしくは化物に囲まれて死ぬかだ。

それとも、私のように道中で駱駝らくだを失ったのだろうか。いずれにしても豆粒のような大きさだったその姿は確実に大きさを増していた。その足取りはまるでまったくの消耗を見せていない。しかも迷わずこちらの方へ近づいてきているようだった。私は、最大限の警戒心を持って近づいてくる何かを待ち構えることにした。


私は近づいてきた男に水筒の水をやった。

何故ならその男はこの砂漠に必要な物を何一つとして所持していなかったからだ。

「悪いが一口だけだ」私は水筒の水を与えるときに言った。

「この先、俺にもそいつが必要なんでね」

男は微かに微笑み、水筒を受け取った。そして一口だけ水をあおり、彼は水筒を戻してよこした。

男を観察すれば驚いたことに汗一つかいていない。もしかすると喉すら渇いていなかったのではないだろうか。水筒の水を一口飲んだのはあくまでも礼儀としてそれに答えただけではないだろうかとも思えた――――が、思った瞬間自分の考えを否定した。そんな馬鹿な話は無いだろう。過酷なこの砂漠地帯を歩いて水が必要ない人間なんてただの一人として存在しないのだから。

「どこから来たんだ?」私はおもむろに尋ねた。

「この砂漠の中を旅する身支度には到底思えないのだが」

男が身に着けている服装はお洒落だとは思ったが、この砂漠の中を歩く身支度とは遠くかけ離れている。はっきり言って異常だ。スーツに白手袋、そして頭にシルクハットを被り手にはステッキを持っている。ここが王都だと言った方がむしろしっくり来る。そして何故かは分からないが、この砂漠地帯の中でシルクハットを被ったその姿はスーツよりも異常に思えた。

「ちょっとした事故にまきこまれたのです」男が答える。

「旅の途中で船が難破しましてね。西海岸に出るところでした。正直に申せばあの乗り物は………」

そう言って暫くした後、男が鼻白んで言葉を続けた。

「信用に足りぬ乗り物ですな」

シルクハットの男がそう言った瞬間、不謹慎だと自覚はしたがつい笑ってしまった。

「ところで、他の連中はどうしたんだ?あんたは救援でも呼びに行こうとしたのか?」

「乗客なら今頃、全員無事に救助されている頃じゃないでしょうかね?」

「はぁ?」

この男は何を言っているのだろうか。真意がまったく掴めない。

そもそも、この砂漠に隣接する海は複雑な海流があり船の墓場として名高い。大方進路を誤った船にこの男は乗っていたのだろう。あの海域に入った船はすべからく海の藻屑と消えている。だからこの男が乗客は無事だと言った所で誰も信用しないだろう。むしろこの男が生き残っていること事態が奇跡の産物と言える。そこから導き出される答えは、ただ一つ。この男は乗客の死を認めることが出来ないのだ。不測の事態が起こり、気が動転しているのだろう。暫く安静にしていれば精神も落ち着くだろうが、このまま砂漠に居れば折角奇跡的に助かったその命を散らすことになる。それはとても勿体無いことのように思えた。

「なるほど……」私は呻いた。

「ところでどこへ向かおうと思っていたのだ?」

私は乗客が救助された云々の話を敢えて端折はしょって、男がどこへ向かおうとしているのかを聞こうと思った。

「地図を調べたところ、南にひとつの町があるようなのでそこへ行くつもりでした」

「歩いてオアシスまで行くと?」

私は呆れて物が言えなかった。

「たっぷり20キロはある。半分も行かないうちにミイラになっちまうな。水や駱駝らくだを持たずに行くとすれば自殺行為だ」

「そう言うあなたも無謀なのでは?」男がふいにそう答えた。

「この砂漠のど真ん中で駱駝らくだを持たずに一人で居るのは”私だけではない”ですからね」

男はその透明な瞳で私を見詰める。

「これは一本取られたな。アンタほど酷い目には遭ってないが、私の場合は討伐隊を指揮する隊長をやっていてね。とある化物がこの砂漠に出没するというので退治しに来たのだが………逆に返り討ちにあってしまった。そして仲間や荷物、そして駱駝までも失ってしまってこのザマという訳だ。とはいえ、今のアンタよりはマシな装備をしているだろうがね」

私はそう言って軽くなった水筒を掲げてみせた。水筒の重さからして残りは容量の半分あれば良い方だろう。

「私は仲間の仇を討たねばならない。例えこの身が朽ち果てようとも、あの化物に一矢報いてやらねばならんのだ」

私は自分自身に言い聞かせるように静かに言った。そして、目の前の男を見て決意する。

「気が変わったよ。アンタはあの魔の海域から奇跡的に生き残った強運を持っている。俺もあの化物から生き残るほどの幸運を持っていたようだが、アンタほどじゃない。傷一つ負っていないアンタの様子を見れば、それこそ天に愛されるレベルの幸運なんだろうな。だからアンタならきっとオアシスまで辿り着ける事だろう」

そして水筒を目の前の男に差し出した。

「この水は、そんな強運を持ったアンタが持つに相応しいだろう。この水筒を持ってオアシスを目指しなさい。アンタにならそれが出来るだろうから」

私はこの砂漠で最も貴重な物を目の前の男に差し出した。

しかし男はそれをやんわりと断ると次のようなことを述べた。

「誤解なさっているようだ」男はおだやかに切り返す。

「あなたから何かを奪おうなどとは考えておりません。ただ、あなたは私に水を恵んでくれた。それはここではどんな財宝よりも貴重な物のはずです」

目の前のシルクハットが微かに揺れたような気がした。

「私はあなたのその尊い気持ちに報いたい。私を連れて行ってくれませんか?人間が一人で出来ることは限られると聞きます。なら一人で出来ないことも二人居れば出来るのではないでしょうか?」

私はシルクハットの男の、その熱意に溢れた瞳を見た。その時の私はきっと砂漠の暑さにやられていたに違いない。ふいに、男の姿に筆舌には尽くしがたい神聖さを感じた。まるで断ってはいけないような強迫観念に駆られていたといっても過言ではない。

「いいだろう。一緒に来るがいい」

気がつくと私は男と行動を共にすることを了承していた。

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