相克の
「あんたまた追い出されたの?」
男が目の前に腰掛けるなり、まともに見もせずに女はグラスを拭きながら笑った。くたびれた旅装のままの男は元々不機嫌だった表情を更に苦くする。
「お前には関係ないだろうが」
「関係あるわよ、あんたにうちに戻られるとこの宿が全焼する可能性は確実に上がるんだから」
男が何も注文しないうちから酒瓶を取り出し、グラスと並べて置く。
「早く適当な傭兵団に居着いてよね」
女は訝る男の視線を受け、肩をすくめる。
「やけ酒でしょ?」
「俺と結婚しないか」
「絶対いや」
「じゃあ何なんだこの絶妙な呼吸は」
「常連客に対する慣れでしかないわね」
そうだろうな、と一連の流れを面白くもなさそうな顔のままこなし、男は透明な安酒をグラスに注いで呷った。
女に戻した目は、左は茶、右は鈍い金。地味ながら明らかなオッドアイだ。
「……なあ」
「私が知る限りじゃ、いないわ」
「……そうか」
質問を口にするよりも早い答は、これも慣れ。幾度も繰り返したほとんど無意識の問。
予想通りの微かな落胆を溜息に混ぜて吐き出し、男は片手で顔を覆った。
探しているのは、どこかにいるはずの片割れだ。
どんな姿かは知らない。けれど同じ色合いで左右が逆のオッドアイを持っていることだけは確実だ。
見ず知らずの彼、もしくは彼女だけがこの疼きを止められる。
だから、いつもさ迷うしかなくて、ずっとはみ出し者の傭兵で、戻れる場所はこんな寂れた宿屋くらいだ。
「……もし『半人前』じゃなかったら、もっとマシな人生だったかもな」
「まさか。あんたのことだからたいして変わんないでしょうよ」
思わず呟くと同情のかけらもない声が浴びせられた。
「夢くらい見させろよ……」
ぼやいてグラスの縁を噛む。おまけにここの女主人は甘やかしてくれない。狭い室内を特に意味もなくぼんやりと見回した男は、ふと目を見開いた。
世界から色が褪せていく。現実感も同様に削り取られていく。
「…………まただ」
「また?今度は何?」
「色がなくなっていく」
「わかりやすい前兆でよかったじゃない」
「よかねぇよ気色悪い」
「『足りない人』も大変ね」
「だからいっつも大変だっつってるだろうが」
「いいから早くここから離れてくれない?」
「薄情なやつ……」
あからさまに迷惑がる女に毒づき彼は立ち上がった。すぐ戻るつもりだが数枚の硬貨をテーブルに置く。すぐ戻れるか長引くかは始まらないとわからない。
宿屋は町のはずれにあり、町の周囲は岩くらいしかない荒野だ。だからこそ彼はいつもここを選んでいる。
オッドアイの人間は、不完全な状態で生まれたのだと言われている。
魂が割れてしまって半分しかない人間、と。
『半人前』『足りない人』とも呼ばれる彼らは一見普通の人間だ。しかし自身が災害となる可能性を抱え、不安定なまま排斥されて生きている。
とにかく町から離れようと歩き続ける男は胸に手を当て、顔をしかめた。
喪失感が膨らんでいる。そこには何もないはずなのに虚無は己の存在を主張する。生まれた時から抱え続けた空白がまた不満を訴える。
足りない。あるべきものがここにない。
「んなことはわかってんだよ……」
呻くと外界に触れた声が燃え上がった。うんざりして火の粉を振り払う。
魂が引き裂かれて別々の体に宿るなどということは本来起こりえない現象であり、起こりえない現象によって生まれた者は世界に拒絶される。その摩擦の結果が、こうした怪奇現象だ。
それはこうして度々現れる。
立ち止まる。岩と砂以外何もないことを確認し、長々と溜息をつくとその長さの分だけ炎が伸びた。昼間だというのにやることがない。こうしている間にも戦争は続いているのに稼ぐ機会をみすみす逃す。だが改めて自分を売り込む気が全く起こらない。
「くっそーどうせ俺は馬鹿だーどっかに金茶はいねぇのかとっとと殺してやるー!」
誰もいないのをいいことに憎らしいほど青い空へ叫ぶと、視界の端で何かが動いた。
反射的に男は剣を抜いた。叫んだ時に噴き出した炎の残滓を纏い付かせ、険しい表情で振り返る。
少女が立っていた。
その怯えた様子を見、男は剣を下ろす。
「……悪い、怪我は」
「来ないで!」
半分後ろめたく、半分恥ずかしく思いながら剣を収め近寄ると、その分後ずさった少女は鋭く叫んだ。
彼女の周りに大輪の氷の花が咲く。
彼女もまた『半人前』であることを認識するより前に、その氷に呼応するかのように炎が渦巻く。勢いのまま距離を詰めた両者は、互いに触れる前に急に衰え、消えた。
「……え」
あまりに穏やかな消滅の仕方に男は戸惑った。一方の少女は拒絶したにも関わらずふらふらと男に近づいた。
そして男の目を覗き込む。
左が鈍い金、右が茶の地味ながら明らかなオッドアイ。
まさしく探していた色彩の。
剣を抜こうとした手は動かなかった。
衝撃にも似た強烈な懐かしさが急速に胸の空白を埋めていく。殺して彼女の魂を手に入れるまでもない、一緒にいられさえすれば――
「……おい、お前、何歳だ」
「……10歳。おじさんは?」
「…………34」
一瞬の沈黙の後、2つの絶叫が空へ突き抜けていった。
「なんでこんなガキなんだよ――――!!」
「なんでこんなおじさんなのよ――――!!」
お互いようやく見付けた相方は住む世界が違い過ぎた。
それでも平穏な生活のためには離れるわけにはいかない、と一種悲壮な決意を滲ませて2人は睨み合う。
「……とりあえず、屋根の下で落ち着いて話そうぜ」
「……うん」
目の前の相手もまた自分の一部なのだという奇妙な現象が、ここでは時に成立するのである。
こっくりと頷く少女を改めて眺め、あの女主人に何と説明しようか悩む男だった。