湾岸戦争(1990〜1991) ― 日米協調秩序(PAPS)を決定づけた最初の国際戦 ―
【Ⅰ】背景:冷戦終結後の中東秩序
1980年代後半、日米ソ三極デタントによって冷戦はほぼ終結。
ソ連はアフガニスタンから撤退し、東欧諸国は次々と改革路線を歩み出
していました。
その一方で、冷戦下の軍事援助と石油利権を失った中東では、
多くの国が経済的に疲弊。
• **イラン・イラク戦争(1979〜1988)**でイラクは債務過多。
• サウジ・クウェートは石油価格操作で財政を維持するも、イラクへの支援を打ち切り。
• 失業とインフレがイラク国内で深刻化し、サダム・フセイン政権は危機に陥ります。
フセインは「アラブの正義」を掲げ、
クウェートの石油増産を“経済侵略”と非難。
1990年8月2日、イラク軍がクウェートへ侵攻しました。
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【Ⅱ】国際的反応:PAPSの即応
この時点で、日米を中核とする**太平洋=大西洋安全保障機構
(PAPS)**が既に機能していました。
PAPSとは、戦後のNATOとFESEC(極東安全保障機構)を統合した、
実質的な「日米共同主導の国際安保枠組み」です。
侵攻発生から24時間以内に、東京・ワシントン両政府はホットラインを
開き、
以下の方針を共同声明で発表します。
「中東の平和と国際法秩序を守るため、
我々は国連を通じて即時の撤退を要求し、
必要とあれば武力をもって平和を回復する。」
これにより、PAPSの威信をかけた初の共同作戦が始動しました。
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【Ⅲ】国連と日米主導の多国籍軍
日本外相の主導で国連安全保障理事会が開催され、
安保理決議660号(イラク非難)および678号(武力行使容認)が日米共同提案として採
択。
それに基づいて編成された多国籍軍の主軸は以下の通り:
参加国 主な戦力 備考
日本 空母2隻(翔鶴型改二、加賀型改)、護衛艦群10隻、陸上派遣軍2個師団、航空団
(F-15J改、F-4EJ改) 海空陸すべて実戦参加。PAPS旗艦を提供。
米国 空母群3、陸軍4個師団、海兵隊2個旅団 指揮系統を日本と共有。シュワルツコフ大
将が共同司令官。
英国 空母インヴィンシブル、特殊部隊
フランス 外人部隊1個旅団、空軍部隊
サウジ・エジプト 地上兵力支援、基地提供
総兵力は約70万。史実と同規模だが、指揮体系は日米共同構造であり、
東京・ホノルル・ワシントンに設置された「PAPS統合指令センター」
が中枢となりました。
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【Ⅳ】開戦:オリエント・サンダー作戦
1991年1月17日、作戦名「オリエント・サンダー作戦(Operation
Orient Thunder)」発動。
第1段階:航空優勢確立
• 日本航空自衛軍(旧海軍航空隊系)は電子戦と夜間攻撃を担当。
• 米空軍が長距離爆撃・巡航ミサイル攻撃を実施。
• 48時間でイラク防空網は壊滅。
• 日本機F-15J改と米F-15Cが混成部隊を形成、実戦初の共同撃墜を記録。
第2段階:地上反攻
• 2月下旬、日本陸上派遣軍(第1機甲師団)と米第7軍団がサウジ北部から突入。
• 日本製90式戦車改と米M1エイブラムスが合同戦線を形成。
• 「砂漠の槍」作戦により、クウェートを奪還。
• イラク軍はバスラ方面へ退却し、わずか100時間で壊滅。
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【Ⅴ】停戦と戦後処理
2月28日、バグダッドに停戦通告。
米国は攻撃継続を主張したが、日本の中曽根内閣が「戦後秩序重視」を説得。
結果、サダム・フセイン政権は存続するものの、
厳格な国際監視と軍備制限、賠償支払いが課せられました。
戦後、東京・テヘラン・リヤドで「湾岸安定化会議」が開催され、
日本が議長国を務めます。
その成果として:
1. クウェート復興基金(日本・米国・サウジ共同)設立
2. ペルシャ湾安全保障枠組み(PGSA)創設
• 日本が主導する地域安保会議。湾岸諸国+英米豪が参加。
3. イラク経済支援再開条件
• 化学兵器廃棄・石油輸出監視・国連査察受諾。
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【Ⅵ】戦後の影響
日本の国際的地位
• 初の大規模海外実戦参加で、「平和を守る国」から「秩序を作る国」へと転換。
• 国際社会は日本を「アジアの英米」と評価。
• 憲法改正(1992年)で「国際安全保障活動」への明示的参加を承認。
米国との関係
• 米国は日本の外交・軍事的成熟を高く評価。
• 以後、日米は完全な対等同盟として行動。
• NATOの補完的組織としてPAPS体制が正式発足。
中東の安定
• イラクは監視下で弱体化したが、崩壊はせず。
• イスラム過激派の台頭も未然に防止。
• 日本企業がクウェート・サウジのインフラ復興を主導。
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【Ⅶ】戦略的意義
観点 意義
軍事 日米統合指揮体制が実戦で検証され、PAPSの実効性が確立。
政治 日米協調による「戦後の戦後」秩序の完成。
経済 中東との経済回廊整備が加速し、ユーラシア貿易圏が成立。
外交 日本が「アジア・中東の仲介者」として確固たる地位を確立。
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【Ⅷ】総括
この世界の湾岸戦争は、米国の覇権を再確認する戦争ではなく、
日米が共同で世界秩序を運営する時代の到来を象徴する戦争であった。
サダム・フセインは倒れず、中東は分裂せず、
世界は「単極」ではなく「二極協調」の安定期に入った。




