中東情勢:1960年代前半(1960〜1965年)
■ 概要
• スエズ運河国有化(1956年)で中東は事実上「西側主導からの離脱」を果たす。
• しかしその後、アラブ民族主義が過激化し、親ソ化と汎アラブ統一運動が進行。
• ソ連はこれを好機とみて支援を拡大。
• 日本・英・米は「アラブ世界の自立は認めるが、共産化は拒む」という姿勢を取る。
この結果、
「第三次大東亜圏(アジア+中東)」 vs 「ソ連=アラブ社会主義圏」
という緩やかな構図が形成されます。
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エジプト:ナセル主義の最盛期
■ 政治
• 1952年の自由将校団革命で成立したナセル政権が、中東の盟主として台頭。
• 「アラブの独立と団結」を掲げ、シリア・イラク・イエメンとの統合を模索。
• ソ連の武器支援と技術顧問団を受け入れ、国土開発を進める。
■ 日本・西側との関係
• 日本は1958年から「ナイル工業化計画」に技術協力を提供。
→ ソ連式の五カ年計画に代わる**「アジア型経済開発モデル」**を提示。
• エジプトは次第に**中立派(非同盟路線)**に回帰し、
ソ連とは距離を置きつつも、英米との関係は冷淡。
→ 結果的に「日本・インド・エジプト」の非同盟技術連携が生まれる。
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シリアとイラク:バアス党の時代
■ シリア
• 1958年、エジプトと「アラブ連合共和国(UAR)」を結成するも、
実際はナセルの影響力が強すぎて反発が起こる。
• 1961年に分離し、以後バアス党政権が成立。
• ソ連の支援を受け、反イスラエル・反西側の急先鋒に。
■ イラク
• 1958年のクーデターでハシム王政が倒れ、共和制へ
。
• バアス党が主導するが、内部抗争で不安定。
• ソ連が軍事支援を継続する一方、日本は農業・医療分野に協力。
→ イラクはこの時期、軍事はソ連・経済は日本という複合依存関係に陥る。
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イラン:対ソ最前線としての重要性
• 日本・英米・トルコが結成した**「中東防衛機構(MDO)」**の要として位置付けられ
る。
• パフラヴィー朝の下、近代化が加速。
• 日本の三菱・日産・新日本製鉄などが進出し、石油精製と重工業の拠点化が進む。
• 対ソ防波堤として、満州と並ぶ極東防衛ラインの西端を形成。
→ このため、イランは「日英米協調陣営の中東支柱」として強固な地位を持つ。
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イスラエルとアラブの対立
• イスラエルは1948年に独立後、英米・日本からの承認を受ける。
• アラブ諸国との対立は続くが、全面戦争には至らず。
• 日本は中立的立場を取り、両陣営の仲介者を自認。
• 1962年、東京で「イスラエル=アラブ和平予備会談」開催。
→ 実質的には休戦延長合意で終わるが、日本外交の存在感が増す。
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資源と経済の政治化
• 1959年、アラブ産油国が
**「中東石油機構(MPO)」**を設立(史実のOPECに相当)。
• 日本はこれを支援し、「資源の自主管理」を承認。
• その代わり、長期供給契約と技術供与を条件とし、
「対ソ・対欧依存からの自立」モデルを提示。
→ 1960年代初頭、中東は日英米・ソ連・非同盟の三極が均衡する地域となる。
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潜在的火種:シリア・イスラエル国境紛争(1964)
• ソ連がシリアを通じてゴラン高原に防衛線を構築。
• イスラエルが報復的空爆を実施。
• 日本・インド・エジプトの三国が仲介に入り、停戦成立。
• この時の外交を通じて、**日本は「アジア=中東非同盟圏の指導的存在」**として国際
的地位を確立する。
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総括:1960年代前半の中東秩序
陣営 主な国々 支援勢力 特徴
日英米防衛圏 トルコ・イラン・イスラエル・サウジ 日本・英米 資源・安保重視、穏健保
守的
ソ連支援圏 シリア・イラク・イエメン ソ連 反西欧・社会主義志向
非同盟中立圏 エジプト・インド 日本・一部ソ連 経済発展優先、技術協調




