表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東亜の曙  作者: circlebridge
18/53

**「ライン・サンダー作戦(Operation Rhine Thunder)」**

ライン・サンダー作戦(Operation Rhine Thunder)

―連合国による東欧奪還反攻作戦―

(1945年9月〜11月)

---

【背景】

1945年夏、ドイツ降伏後に突如としてソ連軍が進撃を停止せず、

ベルリンを越えて西へ

侵攻。

英米連合軍は急遽防衛線を構築するが、ソ連の圧倒的物量の前に劣勢となり、

8月末にはエルベ川以東の全域を喪失する。

英米の司令部(SHAEF再編)は戦略会議の末、

「南翼からの逆襲」でソ連軍の突出部を包囲殲滅することを決定。

この作戦が――ライン・サンダー作戦である。

---

【作戦目的】

目標:シレジア〜ポーランド西部に進出したソ連主力軍を包囲・殲滅すること。

副目標:中欧の工業地帯を確保し、東欧諸国の再独立を支援する。

連合軍の北翼はモンゴメリー元帥指揮の英第21軍集団、

南翼はアレクサンダー元帥指揮の**南欧方面軍集団(日本遠征軍を含む)**が担任。

中央正面にはパットン将軍の第3軍が配置された。

日本遠征軍は、この反攻作戦の「切り札」として南翼突破の主力に指定された。

---

【日本遠征軍の構成(1945年9月時点)】

編制 名称 装備 備考

第1機甲師団 田中久一中将 M4A3シャーマン、M10駆逐戦車 「鋼の侍師団」

第3歩兵師団 岩永文雄中将 M1ガーランド、M1919A6 日系・米軍合同訓練出身

第4歩兵師団 牟田口廉也中将(実戦復帰) ブレン軽機関銃、シャーマン支援車 再評価を

狙うが実戦で汚名返上

第1独立空挺旅団 佐藤幸徳少将 英米装備、グライダー部隊併用 連合軍82空挺と合同行動

航空支援群 元海軍航空隊出身 P-51D、P-47、B-25 日章旗を描いたマスタング

合計兵力:約18万名。

戦車650両、装甲車450両、航空機180機。

---

【作戦計画】

英米北翼パットン・モントゴメリー:ドレスデン北方から正面牽制。

• 日本南翼(田中軍):プラハ方面から北上し、ソ連軍の側面を急襲。

• 空挺部隊:ワルシャワ〜ブレスラウ間に降下し補給路遮断。

この三方向包囲により、ポーランド西部に展開するソ連第1・第2親衛戦車軍を

袋小路に追い込む構想だった。

---

【作戦発動】

●9月5日:開戦 ― ドナウ渡河戦

• 日本第1機甲師団がドナウ川沿いでソ連防衛線を突破。

• M4シャーマンに搭載された新型76mm砲がT-34/85を圧倒。

• 日本軍は夜間煙幕と電探誘導砲撃を活用し、わずか2日でウィーン東方を制圧。

• 米第5軍との連携により補給線を確保。

米戦史記録:「日本軍はヨーロッパの戦車戦においても忍耐と冷徹な計画性を見せ

た。」

---

●9月10日:プラハ奪還戦

• ソ連軍はプラハを要塞化していたが、日本軍は市街戦を巧みに展開。

• M10駆逐戦車と歩兵小隊が連携して1街区ずつ奪還。

• 5日間の激戦の末、プラハ完全解放。

市街には残されたユダヤ人収容所跡が発見され、日本兵たちは初めて

「欧州の現実」を目の当たりにすることとなる。

多くの将兵がこの光景を日記に記し、戦後の対独観を大きく変える。

---

●9月18日:ドレスデン包囲戦

• パットン第3軍が北方からドレスデンへ

• 日本軍が南方から急進、

• ソ連軍中央集団(第1親衛戦車軍・第8親衛軍)が挟撃を受ける。

連合軍航空隊(うち日本航空群18機)は連日補給路を爆撃。

「日の丸のマスタング」がソ連戦車列を撃破する姿は現地報道で大きく報じられた。

---

●9月25日:テューリンゲン大包囲戦

• 日本軍第1機甲師団・第3歩兵師団が南から進撃、英第7機甲師団が北から包囲。

• ソ連軍は撤退不能となり、総勢40万名が包囲される。

戦闘は10日間続き、連合国側の砲撃・空爆の下で日本軍が白兵戦と機甲突撃を併用。

市街と森での激闘の末、10月5日、ソ連軍主力が降伏。

---

【戦果】

項目 結果

ソ連軍損害 戦死約60万・捕虜40万・戦車1,000両喪失

日本軍損害 戦死28,000・負傷61,000

連合軍総戦果 東欧戦線のソ連軍を壊滅、ブレスラウ以西を完全奪還

政治的成果 中欧諸国ポーランド・チェコ・ハンガリーで反ソ独立運動が一斉蜂起

国際的反響 日本は「西方を救った東方の盾」と称される

---

【戦後への影響】

• 日本軍の勇戦により、英米の日本観が根本的に変化。

→ 日本は「敗戦国から同盟国」へ完全転換。

• ソ連は東欧で防衛線を再構築するが、西方拡張は停止。

• この作戦の成功が、のちの**「冷戦初期の勢力線(鉄のカーテン)」**を決定づける。

---

【指揮官の通信記録】

田中新一中将(終戦後の証言)

「欧州の戦野で、我々は武士道の魂を証明した。敵も味方も関係なく、人の尊厳を取り

戻す戦いだった。」

マッカーサー元帥(1945年10月の声明)

“The Rising Sun now shines for liberty.”

―「旭日、今や自由のために輝く。」

---

この「ライン・サンダー作戦」は、史実での冷戦の幕開けを半年以上前倒しし、

さらに「日本がその冷戦の西側の柱として登場する」という、極めて象徴的な出来事に

なります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ