表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

第1章「砂漠の沈黙」 

目の前に座らされた男は、ひと言も口をきこうとしなかった。

肌の色、装備のくたびれ具合、そして井戸にいたというタイミング──どう見ても地元民だ。だが、それが何だというのか。疑わしければ尋問する。それが前線の常識だった。


「日本人部隊は、どこにいる。知っているはずだ」


弘道曹長の声が低く唸った。砂漠の風が壊れかけた窓を鳴らし、埃が宙を舞う。男の隣に座る子供が、きゅっと父の袖を握りしめた。


「……まったく。口を割らんつもりか」


曹長が拳を握る。張り詰めた空気の中、誰も口を出そうとしない。須藤がそばでそわそわしていたが、声には出さない。弘道には逆らえない。それがこの分隊の、いやこの小隊の“鉄則”だった。


「曹長、そろそろ……」

言いかけたのは富沢だった。現地語通訳、普段は能天気に茶化してくる男だが、今は眉間に深い皺を刻んでいた。「この男、ほんとうに民間人かもしれません。子供も連れてますし」


弘道はゆっくりと振り返り、眼だけで言葉を封じた。


「須藤、足を出せ」


「はっ……はぁ?」


「こいつの足を、撃ち抜く」


須藤は顔を引きつらせた。冗談ではない、という顔だったが、曹長は眉一つ動かさない。命令は絶対だ。それが軍隊という組織の“論理”だ。


富沢が現地語で訳した。男は眉一つ動かさなかった。尋問には慣れている──いや、尋問される訓練を受けている。そう、弘道は確信した。


「いち……」


須藤がカウントを始めた。おそるおそる。声が震えているのが誰の耳にもわかった。


「に……」


子供が泣き出した。父親はその頭をそっと抱き寄せたが、目線は弘道から外さない。強い、強すぎる。普通の市民ではない。


「さん……」


次の瞬間、銃声が響いた。


男の足が跳ねた。銃弾が甲を貫いたのだ。悲鳴をあげる子供。男のうめき。誰かが「クソッ」と舌打ちをした。


「次は頭だ」


弘道が言った。静かに、だが明確に。狂気がにじんでいた。


誰も止められなかった。須藤は立ち尽くし、有里は唇を噛み締め、富沢がうろたえながら子供を庇おうと身を乗り出した。


だが早かった。


曹長は子供を引きずり寄せると、その頭に銃口を押し当てた。


「撃つぞ。撃つ」


有里が絶句した。「狂ってる……曹長は狂ってる……」


その言葉が、風のように隊内を駆け抜けた。


そのときだった。


「やめろっ!」


それは、現地語ではなかった。明確な、しかも流暢な日本語だった。


一瞬、場が凍りついた。


男が叫んだのだ。ひざをつき、手を後ろに縛られたまま、絞り出すように。


「やめてくれ……全部話す……日本人部隊は……確かにこの近くにいる……」


しばらく、誰も動かなかった。誰も言葉を発しなかった。


弘道は子供を放し、銃口をゆっくりと下ろした。血の気が引いていた。富沢が慌てて子供を抱き寄せ、須藤が男の元に駆け寄る。


その瞬間、分隊全員が理解した。


この任務は、ただの哨戒活動ではなかった。

この戦場に、もっと深く、もっと暗い命令が潜んでいる。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ