7.エピローグ
朝の柔らかい日差しが窓から射し込んで来ているのを感じて、ゆっくりと目を開けた。窓のカーテンの隙間から明るい光がベッドの上の寝具を照らしていた。ベッドの脇に置いてある椅子に腰掛けて座っているリンの姿が見えた。
「おはよう、リン」
リンの顔を見るとなぜか目に涙を浮かべているのが見えた。
どうしてリンは泣きそうな顔をしているんだろう。
「おはよう、紬」
紬はぼんやりと部屋の様子をうかがった。
あれ、ここはどこだろう。はじめて見る部屋かもしれない。
少し離れたテーブルの向こう側の安楽椅子に腰掛けてパイプの煙を燻らせているのは正木だった。しずかにこちらの様子を見ているようだ。
少し無精ひげが伸び過ぎなんじゃないの?いい男が台無しよ……。
「紬、気分はどお?」
リンが言った。
気分は悪くないわ。あれ、でも腕が重い……。なぜだろう。
「悪くないよ。でもなんだか体が重い」
「大丈夫。すぐになれるわ」
リンがそう言うならきっと問題ない。でもなれる?なれるってどういう意味だろう。昨日はどうしてたんだっけ。昨日……眠る前のこと……。
紬は思い出そうとした。
思い出せた。
「わ、私、死んじゃったの?」
正木が安楽椅子を片手で持ち上げてこちらに近づいてくるのが見えた。その椅子をベッドの脇において腰掛ける。身を乗り出すようにして私の顔を覗いてきた。
そんなに見つめないで。恥ずかしくなっちゃう。
「安心してくれ。死霊の技を使ったんじゃあない」
紬は驚いて正木を見た。
「冗談よしてよ。そんなことしたらただじゃすまないんだから」
正木は口をへの字にした。
「だから違うって」
紬は寝ぼけ眼がだんだん覚めてきた気がした。
私は竜への生贄にされて、竜に殺されてしまった!
それから正木と話しをして、リンの体を借りて村のみんなを助けに行って、それから……。
「ちょっと待って!今思い出してるから」
紬は言った。
リンが心配そうに見つめてくる。正木はやれやれといった感じで背を椅子に預けて安楽椅子を揺らした。
それから私は北門にみんなを連れて行って門番と交渉した。なかなか言うことを聞かない門番をしびれ魔法の術で動けなくさせてから……。
みんなで門の閂を上げて門を開いた。みんなを急いで砦から脱出させた。でも、あの恐ろしい赤い竜がまたやってきて……。
全部思い出せた。正木が最後あの赤竜を倒してくれたんだった。私達は助かった。
でもやっぱり私は死んでしまった……。
「思い出せた……ここはどこ?」
死んだら行けるという天国のようには見えない。それなら正木とリンがいるはずないから。
「イデア王国のファブーロンという場所にある民家を借りてるの」
「どうしてそんなところに?」
「話せば長い」
正木はそう言ったが時間をかけてすべて話してくれた。
戦いが終わったのち、正木とリンは女王との約束により、戦果に対する報酬の約束のため、この地にやってきた。報酬はこの地の採掘権だった。本来の目的である、ある財宝を採掘するためだ。リンが作業用のホムンクルスを数十体作成して、この地に埋められたとされるその財宝を見つけるために採掘作業をさせた。運良くその財宝を発見できた二人はその財宝を持ってまた次の旅を続けるはずだった。
しかし、リンが正木にお願いをしたのだという。
「正木様、この石の力があればあの子の力を保ったまま、ホムンクルスへ魂入れできます。リン、そのためにあの子の魂をこの胸にまだしまってあるの」
正木はその願いについてよく考えてみたらしい。
発見した宝は本来の目的に必要な大事なもので、それはあと幾度か同じようなものを探す必要があるという。一つですら見つけることが非常に困難であるそうな。だがそれを使って紬を復活させたとき、もし紬が正木たちを手伝ってくれることになるなら、そのほうが最終的には目的の達成は早まるだろうという結論を出したそうだ。
「ただし、」
と正木は言った。「私たちを手伝うかどうか紬、お前自身で決めてよい。強制はしない。もちろん手伝ってくれたらとても助かる。今すぐじゃなくてもいいし、結局手伝ってくれないことになったとしてもお前が責任を感じる必要はない」
「そんな言い方されたら手伝わないわけにはいかないんじゃないの?」
紬は口を尖らせて言ったものだ。
正木はニヤリと少し笑っただけであとは何も言わなかった。
「少し考えさせて」
紬は言った。
体の動きはぎこちなかったがすぐにでも慣れそうな気がした。ニットのセーターを着せてもらい、正木は自分の黒いコートを貸してくれた。紬は一人で民家を出た。
この体がホムンクルス?私がホムンクルスになるなんて!!
死んだ者の魂をホムンクルスへ入れるなんて、すくなくともこの国のどんな魔法使いでもできないことだった。だが、正木とリンは他の星から来たのだと言う。とても魔法が進んだ星から来たに違いない。
何もかもが驚くことばかりだ。
民家を出ると広々とした草原が広がる牧草地だった。至るところに地面を掘り返した跡がある。先程聞いた、財宝を探した跡なのだろう。簡単な作りのホムンクルスがたくさん働いていた。どうやら掘り返した深い穴を塞ぐ作業をしているらしい。その喧騒とは離れた方向へ紬は歩いて行った。小川が流れていてその近くには秋に咲くピンク色の花が揺れていた。
紬は小川のほとりに行き、しゃがんで両手で水をすくってみた。自分の顔が水に写って水の動きにそって歪んで見えた。その水を顔にかけてみる。とても冷たかった。
その冷たさに紬の心は決まった。どうやら正木とリンは私を生き返らせてくれたらしい。この冷たい感触。死ぬ前と何も変わらない。
紬はゆっくりと歩いて民家に戻って行った。
よく晴れた日の景色を眺めながら歩いた。美しい牧草地の風景だった。遠くに高い山が早めの冠雪に白く輝いていた。
民家に入ると正木とリンは、さきほどと同じ椅子に腰掛けたまま紬の帰りを待っていた。
紬は尋ねた。
「グラボーとロイド伯はどうなったの?」
正木が答えた。
「グラボーはあの戦いをしぶとく生き残った。だが討伐軍に捕らえられた。エミール王子は彼を反逆の罪で処刑した。その他の幹部は流罪となったが他に処刑された者はいなかった」
「ロイド伯は生きているのね」
「……ああ。復讐をしに行くかい?それなら手伝ってもよいが」
「……いいえ。……少なくとも今はまだ」
「正木様は紬がリンたちを手伝ってくれるとしても、今すぐじゃなくて良いっていってくれてるわ。紬の村の人たちは無事に村に帰ったし、紬もまずは村に戻ってもいいんだよ」
「正木とリンは他の星へ行くのね?もうここへは戻って来ない?」
この問いには正木が答えた。
「いや、またいつか戻ってくることになるだろう。私はエミール王子をなかなか良いと思っているんだ。何かあったときには助けたい。それに……実のところ、この星は特別でね。少なくとも古代人はそう思っていたようだ。あの古代の遺物も、もう一つか二つありそうだ」
「それまで村に戻っている?」
リンが確認してきた。
紬は首を横に振った。
「私は死んだのよね。なんだか実感がないけれど、ホムンクルスに変わったんだし。村には戻らないわ」
リンがそういう紬を心配そうに見つめた。「私は正木とリンについて行くわ」
それを聞いてリンがぱっと顔を輝かせやったあー!と言うと紬に抱きついてきた。
「リンは紬と一緒なら嬉しい!」
そう言ってまたまじまじと紬の顔を見つめ、紬が微笑むと、また抱きついてきゃっきゃと喜んだ。
「それに……」
リンにハグされながら紬は言った。「あなたたちと一緒なら楽しい旅になりそうだわ」
それを聞いた正木はまたあの皮肉っぽい顔でニヤリと笑った。
にくたらしい顔、と紬は思った。
正木は言った。
「それは保証する」と。
紅の魔女 END