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紅の魔女  作者: 橋本禰雲
3/7

3.王子の決断

 目の眩むような屈辱感でつむぎは何も考えられなくなった。手足を縛られ、体は魔法のロープで、背中合わせに黒ずくめの男に固定されている。男は紬を背にくくりつけたまま魔獣鷹に乗り、飛行を続けた。しばらくすると敵軍の拠点に到着したようだ。軍列が城に入ろうとしている光景が見えた。紬はその様子を見るために首を巡らして下を覗き込むようにしなければならなかった。

 あれは……アドリス城…

 憎き領主の居城に連れてこられたらしい。屈辱感がさらに増した。ぎりぎりと歯ぎしりをする。頭に血が上って憤死しそうだと思った。何度も試したことだがもう一度手足に力を込めてばたつかせる。男はなにかつぶやくと、紬の首に付けられた黒い色のガラスのようなものでできた首枷から、痺れるような波動が体の芯を伝わっていき身動きできなくなった。

 紬は疲れ果ててぐったりと力を抜いた。

 軍列は歓声を上げはじめた。どうやらこの男に向けられたもののようだ。

 もうだめだ。早く死にたい……殺して……

 得意としている魔法も何も使えない。魔法の詠唱を試みようともしてみたが、魔力を使い切ったときのように何もできなかった。

 魔獣鷹は城内に着地したようだ。軽い衝撃が伝わってきた。

 男は魔獣鷹から飛び降りた。背中にくくりつけられた紬はなすがままに揺られた。ぐったりとして、もう動く気力もなかった。どうやったものか男は片手だけでしっかり結ばれていたロープを外し紬を地面に降ろした。幾分いたわりを感じるような降ろし方だったのは気のせいだろうか。

 しかし紬は地面にうつ伏せに置かれ、戦闘時に男に打たれた胸部に痛みを感じて顔をしかめた。

「ご苦労さまです!」

 ばらばらと城兵が五人ほど駆け寄ってきた。そのうちの一人が「この魔女め!」と叫んで紬を足蹴にしようとした。

 黒ずくめの男がすばやくその城兵を遮った。自分の足が蹴られるのも厭わずに。

「私怨は許さん」

 黒ずくめは城兵たちをぎろりと睨んで怒気を見せた。

「黒の英雄どの、失礼しました」

 この城兵たちのリーダー格の兵士が言った。

 紬は呆気にとられてその様子を見ていた。黒ずくめの男はたしか、まさき…と名乗っていたか。辱めを受けないようにするということも言っていたような。

 もう力がでない……胸が痛い…

 紬は体を丸めてうずくまった。

「ラオールを厩舎にたのむ」

 正木はそう言って魔獣鷹の手綱を城兵に渡した。

 それから紬の傍らにかがみこみ、紬の手足のロープを解いてやった。

「歩けるか?」

 正木は問うた。紬は力なく首を振った。首枷に抵抗しているうちに体力を奪われてしまったようだ。

「営倉に連行しておきます」

 城兵が近づいてきて紬の手を取り手荒に立たせようとした。

「いや、私が運んでいこう」

 正木は紬の背と足に手を回し持ち上げた。そのまま運び歩いてゆく。「案内してくれ」

 どうやら魔獣鷹が着地したのは城の尖塔にあるバルコニーのようなところだったようだ。正木は紬を腕に抱えたまま階段を降りてゆく。

 日は暮れて城内は暗かった。城兵は蝋燭を灯したランタンを受け取り暗い廊下を進んだ。分厚そうな扉が五つほどならんだ場所に来て城兵はその一つを開けて中に入った。城兵は懐から蝋燭を一本取り出して、営倉の中のランプに設置して火を移した。

 狭い部屋は粗末なベッドが置かれているだけで寒かった。

 正木は紬をベッドに横たえるように置いた。紬は胸部を痛がって手で抑えた。

「痛むか……」

 紬は何も言わなかった。もう耐えるしかない。この首枷を付けられていたら何もできはしないのだから。

 正木と城兵たちは部屋から出ていき、木製の扉は閉められた。がつんと鉄製の閂が降ろされるのが聞こえた。

 紬は寒さを感じた。魔法は使えないし、ベッドの上に置いてある毛布をかぶる気にもなれなかった。

 油断したな……

 紬は後悔の念に囚われた。自分の空兵魔術士としての才に気付いてからは負ける気はしていなかった。いつか運悪く戦いの中で死ぬことになろうとも、一対一やそれに近い状況でやられることはないと自信を持っていたのに。

 もう何も考えないようにしよう。これからどうなるのか、想像しただけでも辛すぎる。

 魔法が使えず蝋燭の明かりの灯っている時間を延ばすことができなかったので、しばらくすると蝋燭が消え、営倉は暗闇に包まれた。遠くでたくさんの人が声を発しているのが聞こえた。籠城中の城に援軍がやってきて喜びの声を上げているのかも知れない。

 コンコン

 扉をノックする音が聞こえた。閂が外され扉が開いた。外では警戒している兵士がいるようで蝋燭の明かりが開いた扉から挿しこんできた。

 人影が営倉に入ってきた。小柄なその影はまず蝋燭をランプに近づけて火を付けた。一晩は灯し続けるように魔法をかける。

 紬は横たわったままその小柄な人を見た。金髪の可愛らしい少女だった。歳は紬と同じくらい。だとすれば十五歳くらいだろう。

「正木さまに言われて来ました。正木さまの従者のリンです」

 透き通るような心地よい響きを持った声でリンは言った。「あなたを治療しにきたよ」

 リンは営倉の隅の簡易炉にも魔法をかけて火を入れてくれた。そしてベッドの傍らに膝立ちになって紬の顔を覗き込んだ。

「あなたのお名前は?」

 そう言って紬の手首を手にとって指を当てた。脈を数えているらしい。

「……」

「なんて呼べばいいのかなって。私の名前は正木さまが付けてくれたの。あなたにもあるでしょう?大事な名前が」

「…つ、むぎ……」

「つむぎ、紬ね」

 リンはそう言ってから紬が着用したままになっていた、えんじ色の皮装備を手早く外していった。紬が胸部を抑えて痛がる素振りを見せたので「胸が痛むのね?」と言って紬の上半身の服を脱がせた。下着も脱がせると白い肌の胸部に打たれたあとが赤いあざとなって見えた。

「正木さま、もう!手加減しないんだから」

 リンは怒ったような声で言った。

「…しかたない……命をかけて戦ったんだ。殺されなかっただけましだ。…いや、いっそのこと殺してほしかった……」

 紬は痛みを堪えながら言った。

 リンは紬の胸部に手をかざし治癒魔法を詠唱した。紬は温かみを感じて痛みが和らいだ感じがした。リンが手にしてきたバッグから液体の入った瓶を取り出し、それを紬の胸に塗る。その上に布をあてがって包帯を巻いてくれた。

 紬は処置をしてもらいながら大人しくしていた。と、同時に戸惑いを感じていた。

 この子……。


 手首に触れられたときに感じた違和感。でもまさか……。

 紬はリンの生気に満ちた顔を見た。てきぱきと治癒道具を片付けている、見ていて気持ちの良い動き。滑らかではりのある腕の白い肌。

 とても造り物には見えないが……。

 リンは何かを感じ取ったのか紬の顔のほうを向いて、紬の瞳を見つめてきた。

「リンはホムンクルスだよ」

 紬が信じられないという表情をする。「たくさんの仲間たちと一緒に作られて、みんなと一緒に使い捨てられて、壊されそうになったところを正木さまたちが助けてくれたの」

 紬は金持ちの家で簡単な作業を手伝わされるホムンクルスたちの姿を思い出した。彼らは人間の形に似せて土から作られていたが、とても人間と同じようには見えなかった。丸と四角を組み合わせたような単純な造形だった。

 リンは人間と寸分も違わないように見える。話している内容も元気な町娘と相対しているようだった。それでも紬の内なる魔法の力からくる洞察力が違和感を感じ取っていた。

「驚いた……」

「この星ではまだホムンクルス作成魔法が進んでいないから。リンみたいなかっわいいホムはまだ作れないよね」

 リンはそう言って笑った。「リンと正木さまは別の世界から来たんだよ」

 にわかには信じられない話しだった。

 紬は手を伸ばしてリンの頬に触れた。

「人と変わらないわ」

「一番のかわいいホムです」

 人懐っこい笑顔でリンは言った。

「ホムンクルスも人も関係なく可愛らしいわよ」

 紬は少し明るい口調で言った。

「ありがとう!」

「そうか……それなら……別の世界、魔法が進んだ世界から来たと言ったわね?それならあの男の強さも納得だわ」

 そう考えれば負けた悔しさも少しは和らぐ。紬はそう思いたかった。

「正木さまは強いよ。魔法界で一番強いんだから」

 リンは戦闘魔法のレベルに関してなら、この星とも上位とされる魔法界との差はほとんどないけどね、と思いながらも、今はそう言わないほうが良さそうだという分別があった。

「はあ……」

 紬が頭をベッドについてため息を吐き出した。「そんな強いやつがあの悪魔のような領主の味方についてしまうなんて。ツイてない」

 同じ年頃のリンに優しくしてもらって気が軽くなったのか、紬はくだけた口調になって言った。

「悪魔のような領主?」

「そう。ロイド伯爵……領主は民を虐げている悪魔よ。私の村も重税を課され冬を越せる見込みはなかった。山賊と変わらないわよあんな奴」

 紬は村での辛い日々を思い出して顔をしかめた。「どうしてあなた達はあんな領主の味方をするの?どうして……」

「リンはただの従者だから分からない……けど、そうだ、殿下に話してみたらどうかな」

「殿下?」

「うん。今このお城にはエミール王子が来てるんだよ」

「王族なんてあてにならないわ。グラボーさまは何度か王都にも陳情の使者を出したんだけど相手にしてもらえなかったって言ってた。グラボーさまは司教さまで抵抗軍のリーダーよ」

 グラボーの名前を不思議そうにきいたリンの顔を見て、紬はリーダーに関する説明を付け足して言った。

「そう……でも殿下は良い人だよ。王族とよばれる人たちには珍しいくらいの」

「もう遅いわ……どうせ私すぐに処刑されるんだから……そんな機会はないだろうし」

「リンが正木さまに話してみる。きっと何とかしてくれるわ」

「……ありがとう。あなたは優しい人ね」

 紬は目に涙を浮かべて言った。だがあまり期待できないと思った。

 グラボー率いる抵抗軍の上層部に、魔術士としての才を見出されてからは、ロイド伯爵の軍をさんざん苦しめてきたのだ。紅の魔女というありがたくない呼び名もつけられるくらいに。

 リンは軽やかな足取りで営倉の部屋を出ていった。

 彼女が残してくれた熾火が炉には赤く鈍く残っており部屋を暖めてくれた。

 紬は短い人生だったと思った。処刑されるであろう自分に残されたあと少しの時間を、村の仲間、抵抗軍の仲間の無事を祈って過ごそうと思った。


 翌日。昼近くになるころ営倉の扉が開いて数人の兵士が紬を連れ出した。兵士の中に正木の姿があった。正木は何も言わずに兵士たちの動きを監視している様子だった。

 紬は兵士に触れられることもなく歩かされた。紬の後ろから正木も付いてきていた。

 処刑場に連れて行かれるのであろうか。紬はそう考えて自分の意思に反して目からは涙が溢れ出した。今は手も足も縛られてはいない。この首枷さえなければ魔法を使って暴れてやるのに……この首枷がある限りはだめだ……これは何をしても外すことができなかった。

 いくつかの廊下の角を曲がって紬は大広間に連れてこられた。そこには横並びに人々が並んで座っており、一段高くなった正面には若い青年、まだ少年と言ってもよいくらいの、紬と同い年くらいの者が高い背もたれのある椅子に座っていた。あれがエミール王子だろう。

 エミールの傍らにはルマリク将軍が控えていた。

 居並ぶ人々は武装のままの者も多かったがそれぞれに高級そうな服を着ていた。紬は昨夜リンに着せられたみすぼらしい服のままの自分の姿が恥ずかしく思えた。せめて革鎧を身に着けていられたら良かったのに……。

 そうやって横並びの人々の顔を見回していると、先頭にロイド伯爵を見つけて紬は憎しみの感情に心が満たされてしまい何も考えられなくなった。

「エミール王子がお前を尋問なさる!神妙にお答えしろ」

 誰かが声を発した。誰が言ったのかは紬には分からなかった。

「君の名前は?」

 エミールが問うた。声変わりしたての若々しい声だった。

「紬……です」

「紬……」

 エミールは平民がよく使う名付け方である、動作や固有名詞を使ったであろう名前を聞いて意外に思った。あれだけの魔法の使い手であれば、しかるべき教育を受けた貴族の者かと思っていたからだ。

「では紬。君に質問するが、君が知っている賊軍の情報を教えてもらいたい。賊軍の戦力や今どこにどれくらいの人数がいるかなど知っている限りのことだ」

「……」

「教えてくれたらその内容を考慮して、君の処遇の決定に影響を与えられるだろう」

 紬はエミールが何やら暗記した言葉をのべているように聞こえた。

「仲間のことを申し上げることはできません」

 紬は小さな声で言った。

「武人としてはさもありなん。では私に、他に何か言いたいことはあるかい?」

 紬は、紬から見て左側の先頭にいるロイド伯爵を見た。太った体躯で椅子に座っており、紬を睨むように見ていた。逆側の列の先頭には正木が着席していた。隣にはリンがいる。

 リンは静かに紬を見つめていた。リンの顔を見て紬は少し勇気をもらえた気がした。

 処刑場で叫んでやろうと思っていたことを今ここで言ってみようと思った。その力が湧いてきた。

 紬はロイドのほうを指さして叫んだ。

「お前を呪ってやる!処刑するならしろ!」

 ロイドは驚いた顔を見せたがすぐに答えた。

「忌まわしい紅の魔女め!お前の呪いなどすぐに解けるわ。言いたいことはそれだけか」

 紬は興奮して今度はエミールのほうを見て言った。

「あの悪魔の領主ロイドをなぜ殿下は助けるのですか!?民に重税を課し、それで少しでも逆らおうとした者を殺戮して興じていた者です!私たちは悪魔のようなあの男の所業に抵抗しようとしているだけです。決して賊のような行いをしたり反乱を起こそうということではありません!」

 紬は両の目から涙を流しながら言った。

 エミールは紬の言葉に驚いた様子を見せていたが、努めて落ち着こうとしていた。

「ロイド卿、この者が言うことは本当のことなのかな?」

「殿下!魔女の言うことに耳を貸してはなりません。あることないこと喚き散らしているだけですぞ」

「……卿は重税の話しや抵抗者に罰を与えたことはないと主張するんだね?」

 ロイドはそう言われて言葉を詰まらせた。

 周りを見回してから、エミールの傍らに控えて座っているルマリク将軍に救いの目を向けたりもした。が、ルマリクはちらとロイドを一瞥しただけで何も言わなかった。

「先のファリスとの戦において私は従軍こそしなかったが女王陛下から戦費調達の命を受けました。そのために税を致し方なく上げざるを得なかったのです」

 すかさず紬が声を上げる。

「グラボーさまが言っていた。お前は戦費調達に託つけて自分の私利私欲のために必要以上の重税を課して民を苦しめているって!」

「なにを出鱈目なことを……!」

「私の村にもこの男自身が率いる軍隊が来て収穫したばかりの作物を税の不足分だと言って持って行かれました!村のみんなはなんとか次の収穫まで待ってもらえるように言ったのにロイドの軍に村人たちは打ち据えられて怪我をさせられました!」

「嘘をつくな。わしがそんな農村までわざわざ出向くことがあるものか」

 ロイドはそう言ったが周りの者たちは居心地が悪そうにしているな、とエミールは思った。この娘の言うことは全部が全部嘘とも思えない。

 紬は今度はエミールをはたと見据えた。

「王家もなぜ私たちを助けてくれなかったのか!?グラボーさまはロイドの悪行を知らせる使者を二度も王都に送ったのに……女王陛下はなにもしてくれなかった…!」

 紬はそれだけ言うと涙を袖で拭いながら下を向いた。「私の村は不足した食料の提供と引き換えにグラボーさまの抵抗軍に兵を出しました。私は魔法が他のものより強かったのでその兵に加えられました……戦いたくって戦ってたわけじゃない……」

 紬は最後までもう泣きたくないと思った。「言いたいことはそれだけです。仲間を裏切るようなことは言えません」

 エミールは紬の話しを静かに聞いていた。すこし考えた様子を見せたが椅子から立ち上がり後方に控えているルマリク将軍を振り返った。将軍も起立した。

「殿下……抑えておさえて」

 ルマリクは小声で言った。エミールだけに聞こえるように。

 エミールは軽く頭を振った。ルマリクは残念そうな顔をした。

 エミールは前を向いた。自分の心に従おうと彼は決めた。居並ぶ人々、とくにロイド伯爵の家臣団はかなり反発してくることだろう。しかし心に決めてしまえばいっそ気が楽になる気がした。

「私はイデス王国、王子エミールの名において、ここにいる者、紬を解放することにする」

 エミールは声を張り上げて言った。居並ぶ人々は驚いたようすを見せたが静かなままだった。

「紬には条件というわけではないが私からの書簡を賊……抵抗軍のリーダーに届けてもらいたい。刻限を決めて降伏するように伝える内容になるだろう。戦はなるべく避けたい……が、王国の名誉にかけて正当な王家、正当な領主に逆らうことは決して許されない。降伏されないのであれば女王陛下より賜った命により我軍は抵抗軍を殲滅するために戦うだろう。

 明日の夜明けとともに進発する。諸将は準備を行ってください」

 この場にいた三分の二以上の軍人は最後の命令に口々に声に出して答えた。

「承知」

「承った」

 しかしロイドは納得できないという様子で立ち上がった。

「この魔女を解放するのは反対です!こやつに我らは大変な損害を被ってきたのですぞ」

 手振りを加えてエミールに抗議した。

「伯爵!」

 ここでルマリク将軍が雷のような声を轟かせた。「殿下の裁定は下った。大人しく従われよ」

「し、しかし……」

「貴殿の軍では歯が立たなかったのかもしれんが、今はこうして囚われの身じゃ。解放してもまだ抵抗するようならまたニ度でも三度でも捕え直してやろう」

「ぬぬぬ……」

「ロイド伯爵」

 エミールは言った。「あなたの居城なのに申し訳ないがここで書簡を作ったり側近たちと相談したい。他の者には退席していただこう」

「しょ、承知しました……」

 ロイドは不服そうだったが家臣たちを連れて大広間を出ていった。

 正木とリンはルマリクから目配せされて残った。

 エミール、ルマリク、正木、リン、そして紬。

 それから十名ほどのエミールの護衛兵が広間に残った。護衛兵たちは数人が出入り口のほうへ警戒に向かった。

「思い切った判断でしたな」

 正木は少し感心したように言った。「この戦いが終わるまでは殿下、あなたに忠誠を誓いましょう。なんなりと申し付けてください」

「あ、ありがとう」

「リンも、ちゅ、忠誠をちかいます!」

 リンが意気込んでそう言うとエミールは笑顔になって礼を言った。

 紬は解放してもらえるという話しを聞いたが俄には信じられず警戒するようにエミールたちを見つめていた。

「紬とやら」

 ルマリクが言った。いつもの粗野な態度のままであったから紬は緊張感を高めた。「実はお前を助命することは我らの内々では決まっていたことなのだよ。伯爵は処刑を望んでいたがね」

 紬は黙って聞いた。

「時間を置いて解放することも、そのときの状況によっては殿下の言葉を伝えてもらおうということもな。しかし殿下はお前の話しを聞いて早々に解放することに決めてしまった」

「……礼は言いません。私たちが苦しい状況であることには変わりはないのだから」

 紬は恥ずかしそうな様子で言った。それにエミールが答える。

「礼などいいんだよ。ただ……やはり戦は避けたいものだ。グラボーだね?抵抗軍のリーダーは。今からその者に向けて書簡を書くから持っていってくれないか」

「魔獣鴨を一頭提供しよう。途中まで護衛もつける」

 ルマリクが付け加えた。

 紬は慎重に少し考えて、この人たちの言う通りにしても自分に損はないと思い、頷いた。しかも、今まで敵だと思っていたこの人たちは、もしかしたら優しい良い人たちなのかも知れない……。

 エミールは広間の隅の方にある机に向かった。護衛兵のうち世話役もこなせる者がついて行って手紙を書く準備を手伝った。

 エミールが書簡を書いている間、リンが椅子を持ってきてくれて紬を座らせてくれた。

「紬、怪我の具合はどお?」

「……痛みは楽になったわ。リンの治療のおかげ。ありがとう」

「良かった」

 正木も紬に近づいてきた。そして、紬が少し不安に感じるほど近寄ってくる。椅子に座っている紬の眼の前まで近づいてきて、膝を床について紬と目線の高さを合わせるようにした。

 紬は正木に見つめられて何も考えられなくなってしまった。

 黒ずくめの魔法剣士。紬はこの男に負けて悔しかった。捕えられたときは悔しさと恥ずかしさと復讐心がないまぜになって耐え難かった。

 でも今は正木に反抗する気にはなれなかった。

 冷ややかな表情で見つめてくるが、その目には暖かな眼差しがあるように思えてくる。

 正木が顔を紬にさらに近づけてくる。紬は口づけをされるのかと驚いてしまったが、身が固くなって動けなかった。

 正木は少ない言葉の呪文をとなえてから、紬の首に手を伸ばして紬の魔法の力を封じていた首枷を取った。

「これがなくても、もう反抗したりはしない。そうだね?」

 紬はうなずいた。リンに癒やされて、エミールから解放すると言ってもらい、心までほだされてしまったのかと自問した。答えは自分では良く分からなかった。

「私を解放したらまた私と戦うことになるよ」

 リンは自分でも分かっていたが強がりを言おうとしていた。

「ああ」

 正木は頷きながら立ち上がる。「しかしもう子どもとは戦いたくないものだ」

 紬はそう言われて悔しく思った。戦闘に負けたときの悔しさとは違った気持ちだった。正木が一旦は戦っても良いと答えたからであろうか。それとも子供と言われたことにであろうか。

 エミールが立ち上がって紬の近くにやってくる。手には蝋で封印した手紙を持っていた。

 エミールは手紙を持った手とは反対の手に持っていた茶色い皮でできた腕輪をリンの腕に巻いてつけてくれた。飾り石がついていたがそれほど高級そうな物には見えなかった。

 エミールは魔法をとなえた。手紙は吸い込まれるように腕輪の飾り石に吸い込まれた。

「なるべく早くリーダーに渡してくれ」

 リンは頷いた。

「分かりました」

「それから……」

 エミールが紬の顔を見ながら言った。「大事なことなので紬に話して置きたいことがある」

「……?」

「我々は明朝にこの城を出発して賊軍の本拠地へ向かう。本拠地はなんというのところなのかな?」

以前の紬なら答えなかっただろう。

「……五竜山砦です」

 エミールは静かに頷いた。

「では伯爵の情報と一致するな。我々は今から三日目には砦を包囲するだろう。それまでに抵抗軍のリーダーは降伏をするように。条件はその軍書に書いてある」

 三日目?そんなに早く進軍できると紬は思わなかった。途中にまだ抵抗軍の拠点はあるのだ。しかし、王子の言を信じるならば、言外に、そのときまでに紬は見の安全を図るとよいという意味があると紬は理解した。

「グラボーさまはすぐに降伏することはないと思います」

「……だろうな」

 エミールのすぐ後ろに控えていたルマリクが紬に顔を向けた。

「小娘よ。お前が我らの糧食を焼いたせいでのんびり戦ってもいられなくなってな。降伏しないのであればお前たちの砦は容赦なく叩き潰してやるわい」

 紬はルマリクが脅しではなく本当のことを言っているのだと分かった。

 であれば私が討伐軍の後方の補給部隊を叩いたのはまあまあ効いたということのようだ。

 紬は少しだけ溜飲を下げることができた。と、同時に心の中の不安が膨らんできた。

 紬はエミール、それからルマリクを見た。思い切って話してみようと思った。囚われの身なのだ。失うものなどないのだから。

「殿下、お願いがあります」

 紬は頭を下げながら言った。

「小娘!願いを言えるような立場だと思うなよ。何か情報を話すのなら考えてやらんでもないが」

 ルマリクが怒って言った。エミールはそれを手を上げて制した。

「紬、言ってみてくれ」

「な、仲間を売るようなことは言えません。……ただ、それでもどうしても聞いていただきたいことがあるんです」

「とにかく聞こう。言ってみて」

「ありがとうございます。……殿下たちがこれよりの行軍途中、滝が二つならんだ二見滝というところをすぎてすぐのところに農村がございます。そこが私の故郷なんです」

「……それで?」

「村には歳のいったものと女子供しかいません。村には何もしないでいただきたいのです」

 この世界、この時代に生きる人々の共通認識として、戦闘を行う軍隊が進む場合、途中にある人々の集落には害をなす場合が多くあった。今回は敵国内ではないが、それでもこの数週間の戦闘で恨みつらみが人々の思いに積み重なっているのは確かだ。それで紬は自分の村に何か良くないことが行われないか心配で言ったのである。

 エミールはそれを理解した。

「もちろんだ。その村が抵抗しない限り、害をなすことがないように全軍に通達しておくことにしよう」

 ルマリク、正木などはエミール王子がその若さゆえに純粋な正義感から言っていることを察した。紬も若い。エミールが発した言葉、その真剣な態度からそれを信じたように見えた。

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

「では娘を下がらせろ」

 ルマリクが言った。「準備をさせて飛び立たせるのだ」

 ルマリク配下の兵士が紬の両脇に立った。護衛兼案内役というところだろうか。

 紬はエミールに頭を下げて礼をした。エミールは頷いて返礼した。

 次に紬は正木とリンを見た。

 正木は静かに紬を見返した。その表情からは何の感情も読み取れなかった。

「リン、ありがとう」

「紬、気を付けて」

 リンは少しだけ明るい声で答えた。

 紬はリンがホムンクルスであることはもう忘れていた。歳が近いせいもあったかもしれない。(少なくともリンの見た目は紬と同い年くらいに見えた)リンとの心の共振を感じていた。しかし置かれた立場が違いすぎる。生きているうちにまたこの明るく元気をくれる少女に会えるだろうか。

 それは難しそうだ。紬は敵のはずの少女から受けた優しさをそっと胸にしまって歩きだした。

  

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