2.紅の魔女
エミール王子の誕生日より十日後。王子を軍団長とする東方賊討伐軍は、迅速に準備が進められ、予定どおり王都を出発した。兵力は総勢千五百人。歩兵千人、魔術兵三百人、空兵二十人、騎兵八十人、支援兵百人という陣容だ。
魔法界に属する世界であるため歩兵、空兵、騎兵も若干の魔法を扱う魔法戦士たちである。
戦場には魔法フィールドが展開されるはずで魔法による飛行等が制限されるため、通常の世界と同じに重力が重要な要素となる。そのため城壁や砦などの拠点防御機構が有効かつ重要である。魔法に頼らない物理的な攻城兵器も輸送対象となっており、軍列の後方では破城槌、攻城塔、投石機といった攻城兵器が分解された状態で、支援部隊によって運ばれていた。
行軍隊の中央付近。エミールは軍馬の鞍上にいた。西風に髪を揺らされながら栗毛に騎乗していた。傍らには屈強な護衛騎兵がいる。実質的な司令官であるルマリク将軍は、その巨躯で他の馬よりも一回り大きい馬に乗っていた。
エミールは少し前方に黒髪の騎兵と、長い金髪をなびかせている女性騎士が並んで馬に揺られているのを見つけた。そちらに向けて馬を走らせた。
「殿下」
護衛兵が声を上げた。
「正木をみつけた。挨拶するだけだ。護衛は二騎だけでいい」
エミールがそう伝えると護衛兵たちは即座に手振りで意思を伝え合い、代表する二人の戦士を決めた。護衛の騎兵が二騎ついてくる。
「正木さん」
エミールが近づいて呼びかけると、黒髪で黒い戦闘服に身を包んだ男は振り返った。異国で作られたと思われる長剣を履いており、腰のホルスターには二丁の拳銃もあった。正木が落ち着いた様子で馬上で礼をする。
「殿下」
すぐ隣には金髪を風に揺らしているリンがいた。絹の服の上には上質そうな厚革でできた胸当て、脚絆を身に着けていた。リンは戦場に向かって行軍していることを忘れさせてしまうような笑顔を見せて礼をした。
「従軍ご苦労」
エミールがねぎらうと正木は黙ったまま再度礼を返した。黒鹿毛に騎乗しており、身につけている装備品も黒いものばかりだった。腰に履いた長剣の柄の部分にある赤い模様だけが目立っていた。
並んで馬を歩かせたが正木は無言のままだった。エミールは黒ずくめの魔法剣士から威圧感を感じたが聞くべきことは聞いておこうと思った。
「先日は……あのあと、陛下とはどのような話しがあったんだい?」
正木は横目でぎろりとエミールの顔を睨むようにして見た。
「別段さしたることは」
母である女王と、どのような話しが、もしくは話し以上のことがあったのか聞きたかったのだがそれ以上の詳細を聞ける雰囲気ではなかった。
「…そ、そうか……。正木は他の星から来たと聞いたんだけど、本当かい?」
「はい」
「それは興味深い」
エミールは正木が何か言ってくれるかと思って間を置いたが正木は沈黙したままだった。「夜に見える星々はすごく遠くにあると聞く?どうやってイデスに来たんだい?」
正木がエミールを見つめる。「船か何かに乗ってやってきたのかな」
「それでは時間がかかりすぎます」
正木は言った。「光の速さでも数百万年かかってしまう」
エミールには正木の言葉の意味が良く分からなかった。光の速さ?どういうことだろう。数百万年だって?
「それでは、どうやって来たんだ?」
「古代の魔法使いたちが残したゲートを通って」
「偉大なる神々のことであろうか?」
「かみがみ?」
リンが首を傾げながら問うた。
エミールは頷いてから答える。
「そう。人に魔法を授けた神々のことかなと思って。そう言い伝えられているんだ」
「その神さまたちはどこにいるんですか?」
「人に魔法を教えてくれたあとは天界に帰ったんだよ」
「それならゲートを作った古代の魔法使いたちとイコールかもしれませんね。イコール!」
「リンも正木と同じく他の星から来たのかい?」
「そうですよ」
正木とリンは二人ともとても不思議な感じがするのでエミールは信じる気になっていた。
「私もそのゲートとやらを通って君たちの星へ行くことができるだろうか」
「可能です」
正木が答えた。「方法を知っている魔法使いと一緒であれば」
「でも気をつけないとですよ。通るゲートの道順を知っていないと迷い人になってしまいます」
「迷う?どうしてだい?」
「ゲートはたっくさんあるんです!もう数え切れないくらい」
エミールは夜空を見るのが好きだったのでその意味を即座に理解した。まさか。そんなことがあるなんて。夜空に浮かぶ幾千の星々。あのたくさんの星それぞれに行ける扉があるということらしい!
「道順を知っていないと帰り方がすぐに分からなくなってしまいますからね。注意してください」
リンはそう言ってふふふと笑った。
エミールは早く夜にならないかなと思った。星々を見上げていろいろな可能性について考えたいと。
「正木、リン。面白い話しをありがとう。今回の旅は長くなりそうだし、またゆっくりと話せる時間もあるだろう。そのときはよろしく頼む」
「喜んで」
正木は短く答えた。無表情だったが拒絶しているようには見えなかった。
エミールは馬首を巡らした。正木とリンだけと話していることはできない。従軍してくれた諸将を激励する必要もあった。
エミールが前方に移動していったのを見て正木はリンに向かって小声で言った。
「リン。王子と話してみてどう思った?人となりを」
周りの兵士には聞こえないくらいの小声だったがリンは魔法の力で漏らさず聞くことができていた。
「いい人だと思います」
リンの単純な答えに正木は微笑を禁じ得なかった。
「そうだな。純朴な少年のようだ。あの女王の息子とは思えないほどにな」
「女王は悪い人ですか?」
「そう単純ではない。良い人ともいえないくらいにはな」
正木は事を荒立てずに目的を達するにはうまいこと進んでいると思った。しかし女王が障害になるのであれば、より与し易いエミール王子をうまく使えるのではないかと考えることも忘れなかった。
王都を進発してから六日の行軍を経て、東方賊討伐軍はイデス王国の東部山岳地帯へと入った。
季節は秋。
周りの山々にはところどころ紅葉の木々が見えてきた。
朝から空は晴れ。野営地を出発したのち、ルマリク将軍は落ち着いた天候の一日になるだろうとの予測を元に、この日のうちにまだ賊軍に侵されていない王国軍の前哨基地となるべき拠点まで進みたいと主張した。エミール王子もそれを了承し、行軍のペースを上げて進んでいた。
昼過ぎ。行軍の前方で破裂音が聞こえ魔法攻撃による爆発が発生した。
「魔法フィールドを張れ!」
ルマリク将軍はすぐに迎撃の準備に忙殺された。
「空からの攻撃だ。空兵の哨戒は何をやってたんだ!」
行軍の中央、エミール殿下のいる司令隊の近くで馬を歩かせていた正木とリンは空を見上げ、数騎の魔獣鷹による空兵が飛び交いながら交戦しているのを目撃した。
一騎の魔獣鷹が魔法による防空攻撃をかいくぐって低空飛行で近づいてきた。予め魔法が封入された砲弾を行軍の列に落としていく。急いで張られた防御魔法フィールドによって弱体化されてはいたが稲妻の魔法が地上で炸裂し、そこにいた兵士たちが逃げ散った。
後方の輸送隊のほうでも爆発が起こった。
「警戒が甘いな。兵站が傷つけば進軍が難しくなるぞ」
正木は呟いた。リンが隣を歩く馬の背の上で心配そうな顔をした。
討伐軍側で味方の魔獣鷹一騎がふらふらと近くに着地した。馬ほどの大きさのある大きな鳥は怪我でもしているのかその場にうずくまってしまった。鷹から降りた空兵もボロボロの姿だった。革の鎧は傷ついていて片足を引きずるようにして歩き出す。案内されて急場に作られた王子と将軍がいる司令部に向かったようだった。
正木はリンに目で合図して二人で司令部に向かった。すでに正木の顔を見知っていた護衛兵は何も言わずに通してくれた。
正木とリンが馬から降りて簡易的な幕で区切られた司令部に入ってくと、さきほどの空兵が報告をしているところだった。
「敵にかなりの手練れがおりまして……報告に向かった者は撃墜されたんです……!」
傷ついた空兵は椅子に座らされて痛そうに声を抑えながら言った。
「さきほど魔法弾を落としていった、えんじ色の装備を着た賊の空兵じゃないか?」
正木が近づきながら言った。王子と将軍には緊急時のため目札だけする。
「そうです……そいつです」
空兵が苦しそうに言った。
リンが見かねて空兵の傍に走りより、片膝付いて兵に治癒魔法をかけはじめた。
司令部にも治癒役の魔術士はいたが、報告が終わるまでと考えていたのか端のほうで控えていたようだ。リンはそんなことはお構いなしに治癒をはじめた。
エミール王子はそれを見てリンの機敏な動きに感心するとともに、自分が治療を優先するように声をかけるべきだったのでは、と後悔した。
「油断しましたな……」
正木は王子と将軍に耳が痛くなるような言葉を発してから、「もう帰っていったかも知れませんが味をしめて再度攻撃してくるかもしれない。もしよろしければ私が空に出て警戒にあたりましょう」
「それは助かる。正木どの」
ルマリク将軍は即座に言った。
正木は頷き、空兵に向かって質問をした。
「敵は何騎いたかね?」
「七か八騎だと思います」
「急襲されたのか?」
「……はい…おそらく。やつらは上から急降下しながら攻撃してきました。慌てて編隊を組み直し、報告にもニ騎割いたのですが」
「読まれていた?」
「……そう…かもしれません」
リンからの治療を受けながら空兵は悔しそうに答えた。「報告に向かったニ騎はあのえんじ色からの電撃で撃ち落とされてしまいました。そいつはそのまま降下していったんですが、他の敵と空中戦となってしまい……俺は被弾してしまったので兵長から指示を受け報告に向かったんです」
「戦闘はどうなったか?」
「こちらは混乱していましたが兵長が立て直そうとしていました。さらにニ騎落とされたところまで見たのですが……」
正木はそこまで聞いて急がなければと思った。敵側から考えてみれば空兵による奇襲攻撃。それも輸送物に対して損害を与えられればという目的があったかもしれない。いくら手練れとはいえ、一騎で無理をして軍列に攻撃してきたのだから。
こちらも一度攻撃されて魔法フィールドの防御を展開するし、備えも固める。再度軍列に攻撃することはもうなさそうだ。それより、一度は離脱した空兵同士の戦闘が行われている空域に戻っていくかもしれない。
「警戒しつつ進軍してください」
正木はそう言うと幕外に走りだした。
外にでると携帯バッグから魔具を取り出す。これには愛鳥のラオールが封印されていた。魔具に魔法をかけると一羽の魔獣鷹が出現した。うすいグレーの羽色で柔らかそうなお腹の羽は雪のように白くまだら模様が付いていた。馬ほどの大きさの鳥は急に起こされて眠そうに目をぱちくりとした。
「ラオール!急にすまん。取り敢えず行くぞ」
正木は愛鳥の背にひらりと跨り飛行装具から伸びた手綱を手に取った。ラオールは少し不満そうにキエエエという鳴き声をあげてからドスドスと駆け出し、翼を広げて空中に舞い上がった。バサバサと大きな翼をはばたいて上昇しようとする。鋭く周りの風を読み上昇気流を捉えるとぐんぐんと上昇した。
正木は簡単な魔法を使って自分の顔に風よけの魔法フィールドを展開した。軍列の上空には何も見えなかった。東のほうの空に目を凝らし、手綱でそちらに進むように伝えた。
しばらく飛ぶと防御用の魔法フィールドが展開された空域があった。戦闘はすでに終わっているようだ。正木は顔を巡らせて騎影がないか探した。
東のやや北寄りの先に六騎の影があった。向こうも正木に気付いたようで隊列を入れ替えているような動きが見えた。二騎正木の方に向かって来る。
ラオールが首をぶるぶると震わせて気合を入れたのが分かった。
「よし、やるか」
正木もそう呟いて愛鳥の背の上で長剣を抜刀した。
敵の魔獣鷹二騎がぐんぐんと近づいてくる。うち一騎は例のえんじ色装備の空兵だ!
正木は魔法の射程距離に入る寸前のところで右斜め上にラオールを急上昇させた。
えんじ色が電撃魔法を正木に向かって放った。電撃は速度が高くなかなか対処しずらいのだが、正木は刀から魔法デコイを放って対応しようとした。魔法電撃弾はデコイにすべて当たって稲妻のような音を発して飛散した。たくさんの雷が落ちたような爆音だ!
正木はえんじ色ではないほうをまずは狙うことにした。彼らは左右に散開していた。正木は上下にぐるりと周り込むようにラオールを飛ばせて敵の鷹の側面に出ようとした。
刀をラオールの嘴に咥えさせて預け、ラオールの装具に備え付けてあった魔法ライフルを取り出した。両足でしっかりと愛鳥の背を挟むようにして体を固定する。
魔法ライフルは正木のような魔術士ではない者が遠隔魔法を代替できる攻撃を行える武器だ。もともとは科学文明の銃器を参考にした者が作ったものだが、イデス王国にもすでに普及していた。
正木はライフルで敵を狙った。距離は三百メートルほど。彼我の距離、それぞれの移動速度を考慮して引き金を引く。外れても流れで命中するように四弾連続で撃った。すぐにラオールの嘴から刀を受け取り、下方側面からえんじ色が狙ってきた電撃を避けるため魔法デコイを展開させる。
電撃が正木のデコイに着弾してまた炸裂音を発したが、その一瞬のち、正木が放った魔法弾のうち一発がもう一方の空兵に命中した。真っ赤な魔法の炎がぱっと燃え上がった。その赤い光が正木の顔を照らした。
えんじ色の革装備に身を包んだ賊の空兵は驚愕した。魔法ライフルを空中戦であんなふうに使うのは見たことも聞いたこともない!とんでもない強敵が現れた。と同時に仲間を撃墜された怒りに震えた。
やってやる!仲間の敵を討ってやる。
そう考えてえんじ色の空兵が次弾の電撃魔法の詠唱を開始したとき、正木はすでにラオールを御して猛スピードで肉薄しようとしていた。えんじ色空兵は魔法詠唱を完了させてから攻撃弾を放つのは間に合わないと判断し、慌てて手綱を操り回避しようとする。
しかし、正木の判断とラオールのスピードはえんじ色空兵のそれよりも上回った。圧倒的に。
ラオールがえんじ色空兵が乗っている魔獣鷹に体当たりした。
えんじ色はバランスを崩され魔獣鷹にしがみつくのがやっとで何もできないでいると、正木は離れ際に刀で切りつけ、相手が乗る魔獣鷹の翼を切り落とした。
断末魔の叫び声を上げて落下しはじめる怪鳥。
えんじ色の兵は見た。相手は強敵どころの話しではない。最強の空兵なのかもしれないと思った。その証拠にすでにライフルを構えてとどめを刺すために自分の心臓を狙っているのが見えた。
正木はえんじ色兵と戦い始めてから感じていた違和感の正体に気付いて、魔法ライフルの引き金を引くのを寸前で止めた。
少年兵か!
えんじ色の兵のサイズが小さく、このように近距離でみるとどうやらリンぐらいの歳であるらしかった。戦闘中の敵に容赦をすることはない正木であったが、さすがに年端のいかぬ者にこのようにとどめを刺すことはためらわれた。かといって、相手はあれだけ強力な電撃を放つ魔術士でもあるから油断はできない。そのまま近づいて行き、落下する相手を刀で切りつけた。いわゆる峰打ちで相手を気絶させるとラオールの背の上でえんじ色の兵を捕まえた。
正木は空から見て地上に川を見つけそこにラオールを着陸させた。捕えた敵の空兵を小川のほとりに横たえて、魔法バッグから魔法を封印する首枷を取り出して敵兵の首に付けた。同じく魔法が込められたロープを取り出して両手首と両足首を縛った。
正木は周りを再度警戒してから川の流れのほうに歩いていき、かがんで両手で水をすくってから自分の顔にかけた。冷たい清水が心地良い。すぐ近くでラオールも水をごくごくと飲んでいた。
正木はラオールに近づき首筋を軽く叩いてから撫でてやりねぎらった。
それから敵兵の傍に戻る。
えんじ色の敵兵は意識を取り戻したのかもぞもぞと体を動かしはじめていた。手足を縛られて動きづらそうであったが半身を起こして近づいてくる正木を見た。何かの魔法を詠唱しようとしたが首枷によって打ち消されてしまう。
敵兵は絶望したように唇を噛んで目をきつくつむった。
「ちくしょう!」
正木は落下しつつ敵兵の体を捕まえたときからその体の柔らかさに予期していたことだったが、その声は甲高い少女のものだった。「殺せ!今すぐに」
少女は長い赤毛を後ろで束ねていた。前髪が夕日を浴びてきらめいた。平常であれば茶色い瞳を持った大きな目は可愛らしく見えたことだろう。しかしこの状況では、少女は怒りと悲嘆が混ざった感情からか、野生の子狐のように目を吊り上げていた。
正木が近づいてくるのを見て、「は、辱めを受けるくらいなら舌を噛み切って死んでやる!」と言った。
正木は歩を止めた。
「その首枷は魔法を禁じ、自傷行為をすることもできなくする」
「ううぅ」
「……しかし、よい覚悟だ。これからお前を運んで我軍の拠点に移動する。命の保証はできぬが辱めを受けることはないと、この正木涼介が約束しよう」
「……」
少女はそれを聞いても安心することはなく、身構えた。
正木は歩を進め少女の体を持ち上げて背中を合わせるようにして背負うことができるようにロープで縛り付ける作業をはじめた。
「きゃーーーきゃーーー」
少女は鋭く叫びはじめた。
「うるさい」
正木はそうつぶやくと首枷の魔力を通じて少女を黙らせた。いくら声を張り上げても音となってでなくなってしまった。
少女は身動きができぬように正木の背に縛り付けられた。正木はそのままラオールの背に再び騎乗すると東の空に向けて飛び立たせた。
賊討伐軍はこの日、途中敵空兵による奇襲を受けたため、ぎりぎりになってしまったが、なんとか日没前にアドリス城に到着できた。エミール王子は城門の前まで出迎えに出てきた城主のロイド伯爵の挨拶を受けた。
「殿下!この度の後詰め誠にありがとうございます」
ロイドは太った体躯をゆっさゆさと揺らしながら近づいてきて片膝付いて挨拶を述べた。エミールはこの四十代のあまり有能そうではない貴族の顔を宮廷で見たことがあった。
「伯爵。よく持ちこたえてくれた。これから力を合わせて反撃するとしましょう」
この辺り一帯の領主でもあるロイドは賊軍の抵抗にあい、苦戦続きでこの狭隘にあるアドリス城で籠城の憂き目に陥り、王都からやってくる援軍を待っていたのだ。
ロイドは援軍が来たことにより退却をはじめた賊軍を追って、少なくない戦果を挙げたので上機嫌だった。しかし、ルマリク将軍はエミールの横で難しい顔をした。
「賊のやつらめ。今日は行軍中を奇襲され糧食を少なからず焼き払われてしまった。大幅な作戦の見直しが必要ですぞ。伯爵は空兵の哨戒ができなかったものか?」
「奇襲?空兵から?将軍、ご苦労をおかけしてしまい申し訳ございません」
ロイドは言葉とは裏腹に少し尊大な様子を見せた。「今日も城壁によって戦っておりまして……空兵も足りていなかったのです」
「将軍。伯爵は責められない。我々も油断していたのだ。それにあのえんじ色の手練れにしてやられた」
「えんじ色…!紅の魔女ですね!あいつにはさんざん苦労させられているのです」
ロイドは悔しそうな顔で言った。
「魔女だと!?女なのか……」
ルマリクが嘆息した。
そのとき、行軍列の後方から歓声があがった。
エミール、ルマリク、ロイドの三人はそちらのほうを見た。一騎の魔獣鷹が飛来してきて討伐軍のすぐ上を旋回しはじめた。
「正木さんだ!」
エミールは叫んだ。空兵を追って飛び去ってから戻ってこない正木を心配していたのだ。
正木は背に敵兵をくくりつけていた。えんじ色の装備を付けた敵兵が遠目にも確認できた。
「おお、紅の魔女を捕えたのか」
ロイドが驚いた様子で声を上げた。「さすがは国軍の空兵だ……」
「正木は特別じゃよ」
ルマリクは自分のことのように自慢気に言った。「しかも空兵が専門ではないのだ」
「まさきーー!!」
エミールは気持ちが昂って周りの兵士と一緒に正木に向かって叫び手を降った。
「まさきさまぁー!」
近くから耳に心地よい女性の声が上がった。リンだった。
正木は上空からこちらを見たようにエミールは感じた。城のほうを指さして合図したようにも見えた。
「伯爵。正木さんが城に降りたがっているようだ。一部魔法フィールドを解除してやってくれないか」
エミールは正木を見上げたまま言った。
「承知しました」
ロイドがそう言って急いで城に戻って行った。
正木を称える歓声は暮れかけの山野に響いた。アドリス城内には多くの住民もいて、その歓声を聞いて賊軍からの攻撃が再開されたのかと誤解した緊張が走ったが、程なく援軍の到着が布告され城内も喜びの色で満たされた。そして彼らも見た。上空から飛来した一騎の魔獣鷹が城の尖塔に着陸するのを。その援兵が彼らを悩ませていた紅の魔女を捕えているのを。