婚約者の性癖を知ってしまった
グレースから招待されたというのに、侍女たちがみな奥の私室を守るような位置に立ち、殿下がお待ちですと示された時点で、嫌な予感はしていた。
ディランが奥の私室へ足を踏み入れ、扉が完全に閉まったところで、グレースがひょいと顔を見せる。
姫君の花のように美しいかんばせは、本日は大幅に変化していた。
いや、顔だけではない。全体的に大変身していた、悪いほうに。
もしも、この事態を承知していた者がいたら、さもありなんと頷いたことだろう。
グレースは、ディランの『熟女好き』という『性癖』を自分の胸の内にしまっておくために、今回、侍女たちの手を借りずに、相談もせずに、一人で装いにいそしんだ。
まず手に入れたのは、普段よりたいへんにセクシーなドレスだ。
侍女たちが知ったら死に物狂いで止めたことだろう。グレースの体型は、セクシーなドレスには非対応だった。しかしグレースを止められる者はいなかった。
彼女は自分の心配性を改善するために多くの努力を成し遂げ、結果的に誰にも知られることのない、独自かつ非公式な入手ルートを確保していた。そのルートには本来、セクシーなドレスを手に入れるよりももっと有効な活用方法があったにちがいないが、グレースは望みのものを手に入れて満足げに笑った。
さらに、やや物足りなかった胸部には、ふかふかのクッションを一つ犠牲にした上で二つに丸くすることで、多大な改善が認められた。
熟女の魅力 ─── それすなわち、大人の女性の色気である。
グレースはそう信じていた。
社交界には、艶やかな魅力を持つ大人の女性というのも数多く存在する。グレースは彼女たちの姿を思い浮かべながら、せっせと自分の肌に化粧を施した。アイシャドウが少し濃いくらいが色っぽい。アイラインは獲物を狙う鷹のようにきりりと鋭く。そんなことを考えながら完成に至った化粧は、いうまでもなく無残なものだった。
最愛の婚約者の全体像を視界に入れて、ディランは息を止め、不覚にも一歩よろめいた。
ディランはそんな己をふがいなく感じていたが、もしこの光景を第一王女が見ていたら、彼に惜しみない拍手を送ってくれたにちがいない。この大惨事の妹に対し、この紳士的な態度。
ディランは青ざめることも噴き出すこともなく、ただ柔らかく尋ねた。
「今日はどうしたんだい、グレース?」
本来は人並みには美しい ─── 現在は控えめにいっても大道芸の芸人のようである ─── グレースは、婚約者のもとへしゃなりしゃなりと近づいていった。
「ディラン、今日のわたしは、とても18歳には見えないでしょう?」
「う、ううん……? どうかな、僕には18歳に見えるけれど……」
「そんなことはないわ。もっとよく見て。さあ!」
さあさあと迫られても、誰の目にも、18歳の姫君がとんちきな格好をしているようにしか見えないだろう。
しかしディランは、グレースを愛するあまり目が曇っていたので、神並みに麗しい美貌に、甘い微笑みを浮かべていった。
「今日の君もとても美しいよ。君と過ごす時間を持てる僕は、世界一幸福な男だね」
「美しい! そうでしょう!?」
「ああ、君の美しさといったら、いつだって僕の目を奪ってやまないよ」
グレースは、いたく満足そうに頷くと、やおら両腕を広げた。
それは誰かを抱擁しようとする聖母のようでもあり、悪徳宗教の教祖のなりきりゴッコのようでもあった。
ディランは眼が曇っていたので前者のように見えたが、この場にいない第一王女が見たなら後者にしか捉えられなかったことだろう。残念ながら第一王女は、数年前に他国へ嫁いでおり、今では一児の母であるため、軽々しく帰国はできない身である。
グレースは、おごそかな口調でいった。
「さあ、ディラン。欲望を開放するのです。わたしが受け止めて差し上げましょう」
さすがのディランも『悪徳宗教かな?』とほんの少しだけ思った。
(……というか『欲望を開放する』なんてそんな言い回し、簡単に口にしないでほしい)
いかに精神年齢が18+22歳なディランでも、身体は若さ溢れる18+0歳である。鋼の意志で殺している欲望が小躍りしかねないのでやめてほしい。『ストップ! 誤解を与える言い回し!』である。日々安全に注意して喋ってほしい。
「欲望か……。そうだね、もし君がいやでなければ、僕としては、そのドレスを着替えてくれたら嬉しいな」
今日のドレスは肌寒そうだから、風邪を引くといけないからね。
ディランがそう紳士ぶって続けるより先に、グレースが耳まで真っ赤に染めて、恥ずかしそうに呟いた。
「これは、服を脱いでほしいという意味ね……!?」
「ちがっ、ちがうよ!? 全然ちがうから!! そんなこといっていないからね、グレース!?」
「いいのよ、ディラン。隠さなくていいの。わたしにだけは、真実を打ち明けてちょうだい」
グレースが慈愛に満ちた表情でいった。
ディランには、確かに、生涯打ち明けることのない、たとえ八つ裂きにされようとも墓までもっていくと決めている、馬鹿でかい上に血みどろの秘密があったが、グレースのいう真実がそれを示していないことは明らかだった。
グレースは、愛情深い瞳で、まっすぐにディランを見つめた。
「あなたの好みは、年上の女性なのよね。大丈夫よ、ディラン。あなたの『性癖』を受け止める覚悟はできているの」
高貴な姫君の口から唐突に出てきた『性癖』という言葉に、ディランは対処も防御もできなかった。18+22歳をもってしても不可能だった。ディランはただ石になった。
グレースは、その美しい瞳に凛々しい光を浮かべていった。
「わたし、あなたの『熟女好き』に、全力で応えてみせるわ!」
ディランはサラサラとした灰になった。
本編にラブコメが足りなかったので書きました。
ちなみにグレースに『性癖』とか『熟女好き』とか教えたのは王太子(長兄)です。