9.期待
・前回のあらすじです。
『和泉が、町でおこっている、爆破事件の新聞記事をよむ』
――事件は、八月の中旬、和泉がよその地方にいっているときにはじまった。
【学院】のたつ山、【ワルプルギス山】のふもとにある町・【トリス】でのできごとである。
朝と夕とを問わず、市内のあちこちで、爆発が発生。市在住の人々は、あるときは通りで、あるときは屋内でふきとばされ、破壊された建物は、町の【自衛団】や、ボランティアの魔術師により、修復活動がおこなわれていた。
「テロリストですかね」
葵から概要を聞き終えて、和泉は首をかしげた。
【宿舎】の男子棟。その廊下。学院長の気配を察してか、部屋からでてくるほかの魔術研究者のすがたは、ない。葵は首をふった。
「そうした意志は、ないみたいね。といっても、本人に直接事情聴取したわけじゃないから、推測にすぎないけど」
「そうなんですか。でも、町の案件だってなら、オレらが出張っていかなくても――」
「【学院】の生徒なのよ。それに、自衛団からの要請があったの」
葵の反論に、和泉は言葉をうしなった。【学院】(むかしはもっと、りっぱな名前がついていたみたいだが、現在はこの、味気のないのが正式な名称だ)は、魔術師の世界である【裏】において、エリート・クラスの魔術師が入門、養成される。
和泉や葵がもともといたのは、【裏】とは隔絶された、科学の世界。【表】と呼ばれるそこは、電子機器や重工業、通信事業のさかんな、現代・日本である。そして転移するまえの和泉たちにとっては、それが唯一無二と信じてうたがわない、現実だった。
だが、【表】と【裏】は、ボールの外皮と内面のようにして、共存している。その境界を、人為的に封鎖しているのが、魔術的な措置によってはられた大結界だ。これは、【表】から【裏】への転移者はゆるしても、その逆はみとめない。
かつて、ヨーロッパで起こった【魔女狩り】に端を発する、『三者協定』という、和平条約にして、不可侵条約。これが結界によって、魔術師を【裏】へとじこめ、科学と宗教の共生関係にある【表】から、【裏】へと、魔術の才にめざめた人間を、強制的に送致する。
【表】からまねれた転移者は、魔術のいろはを知らない。【学院】は、そんなしろうとを、一手に引き受けていた。そして、この【転移者】にかぎっては、【裏】の貴族からの寄付金をもとに、無償での教育をしている。
ただ、訓練中、あるいは、ダンジョンでの探索中の事故により、未熟なうちに命を落とす生徒もすくなくない。が、ほかの学校と比較して、【学院】に在籍する教員や研究者、生徒は、上質な実力を持っている。町の自衛団が、【学院】の生徒をあいてに手をやくのも、詮ないことだった。
「ほんとうはね」
「はい」葵の抑揚のないせりふに、和泉はあいづちを打った。
「きょう、私が彼女を取りおさえにいく予定だったのよ」
「なんでいままでほったらかしにしてたんですか」
『彼女』ということは女子生徒か。とどうでもいいことを穿ち、和泉はとたん、はっ! とした。こまった女子生徒、というのに、こころあたりがあったのだ。
(でも……。まさかなあ)
葵のそばにいたシロが、横からくちをはさむ。ウサギの耳を、不服そうにゆらして。
「完全に放置してたわけじゃないわよ。ご主人だって、すぐ――」
「シロ」
「あっ、」
葵が睥睨すると、シロはくちをおさえた。和泉はつづきが気になる。葵が咳払いする。学長がどうしたのかは、きけずじまいだった。
「担任の先生が、あいてをしてくれたのよ。彼女の」
「じゃあ、それでいいんじゃないですか?」
「返り討ちにあったの」
「か――」
おうむ返ししそうになって、和泉は、のどをつまらせた。葵が嘆息する。
「教育熱心な助教の先生で、じぶんが更生させるんだ、って、言ってきかなくて。彼、何度も生徒の確保をこころみたんだけど――」
「病院おくりになっちゃったんだよね。全身、包帯でぐるぐる巻きになっちゃって。いまも、【病棟】でねてるよ」
「そんなにキケンな生徒なんですか?」
「ええ」きっぱりと、葵は告げた。「それで、和泉先生。あなたにおねがいしたいのは、その生徒の保護なんです」
「助教を病院おくりにするようなやばいやつと、戦りあえってんですかっ?」
「ええ」きっぱり。「他大学での会合が、急にはいって、私は午後から、そちらにでなければならないの」
葵は和泉の黄色いサングラスを直視した。
「遠方だから、そろそろ出発しないといけなくて」
「でも、オレ以上に優秀な魔術師なんて、いくらでも――」
「箔からはなしは聞いています」葵は微笑した。「ホゴルの領地で、なかなかの活躍をしたそうですね?」
白い美貌にはりついた、淡泊な笑みに、ぎくりと和泉は身をひいた。
「今回の件についても、相応のはたらきをしてくれると、期待しています」
「お手当もちゃんと出るよ。和泉なら、飛びあがってよろこぶ額」
「ははははは……」
和泉は笑ってごまかした。
(報酬に関しては、まあいいよ。うれしい)
それより、葵の言っている『活躍』。大陸南部の辺境で起こっていた、【ゾンビ・パウダー事件】のことだ。最初はうわさていどの信憑性しかなかったが、しらべてみると、大あたり。
調査の主体となったのは、和泉ではなく、相棒の、貴族の少女だったが、和泉は彼女と協力し――多少のトラブルはあったものの――なんとか、主犯であった領主の、【ギルベルト・G・ホゴル】を捕縛することに成功した。
領主――この世界で、【貴族】と呼ばれる、土地の管理者たち。彼らは、管轄区域の領民を支配し、ときに取りしまるという性質上、おさないころから魔術の英才教育を受け、【学院】関係者と同格か、それを凌駕するちからを持つ。和泉がつきそった少女も、生徒の枠におさめておくにはもったいないほど、卓越した魔術の使い手だった。
(オレがあの土地でなんとかできたのも、あいつのおかげなんだけどな)
そう訂正しようと思ったが。――これ以上ごねるのもわるい。それに、気になることがあった。
「わかりました。でも、成果は期待しないでください」
「期待しています」
葵はうすっぺらい微笑をくずさないまま言った。シロが、一枚の手配書を和泉にさしだす。