なろう劇場 やり直し編
処刑人が振り下ろす剣の音とともに、最期に瞼に焼き付いたのは、第一王子とそこに寄り添う男爵令嬢の下卑た笑みだった。
王国歴204年3月20日。国家転覆の罪科にて、罪人ココル・オーレルの死刑が執行された。
「お嬢様。朝でございます」
侍女の声に起こされ、彼女はベッドの上で飛び起きた。見慣れた自分の部屋、見慣れた自分の侍女。一ヶ月前まで当たり前にあった、失くしたはずの日常だ。
ココルの脳裏には自分を嵌めた婚約者と浮気相手の笑みがつい先ほどのことのように残っている。そしてその瞬間死んだ衝撃も。
「夢……?」
首を傾げながらその首を撫でてみるが、一刀の下に切り落とされたはずの首は当然繋がっていた。そんな彼女に侍女は心配そうに声をかける。
「悪い夢でも見ておられたのですか? 先ほどまでうなされておりましたが」
「そう、夢、よね。恐ろしい夢だったわ」
あれは夢だった。そう思い、ココルは日常に戻ろうとした。しかしそうはいかなかった。
確認したところ、その日は203年の4月9日。貴族学校の新年度が始まる日だった。新年度ということもあり、学校には新入生も入学してきた。その中には婚約者の浮気相手シュアッセ・アールミーの姿があったのだ。
夢の中のシュアッセと名前も容姿も性格も同じ。本来なら知らないはずのシュアッセが夢で出てきた。それがココルの見た夢へ懐疑を抱かせた。
だが疑ったところでどうしようもない。それよりも夢と同じ結末に至らないよう、嵌められないために身を守る術を探し始めた。
実際、シュアッセは夢の中と同じように行動し、同じようにココルの婚約者であり第一王子でもあるアゲス・パストとの距離を縮めた。そして二人とも、恋の障害となるココルを敵視していくところまで、夢と同じようになったのだ。
夢の中のココルは、そうした状況でも婚約者として、将来の王妃として、常に正しくアゲスを導こうと手を尽くしていた。しかしシュアッセとの恋に燃えるアゲスにとって、口うるさく干渉してくるココルは煩わしく、彼女がどうにかしようと苦心すればするほどに逆効果となった。その果てが断罪。山のように冤罪をかぶせられ、処刑された。
そうした夢を思い出しながら、ココルは婚約者への干渉をやめ、自分の身を守るために動いた。権力者に取り入って身の保証を確立し、また夢で語られた罪状を否定するための証拠も集める。夢とは違う内容でも断罪されないよう、今まで以上に一切の瑕疵を作らずに、模範的な淑女として振舞った。
だが、そうした優等生ぶりが道ならぬ恋を求めるアゲスには疎ましいのか、夢の中と同じように嫌われた。
そして約一年が経った204年3月20日。結局ココルは殺された。冤罪を被せる余地がなかったため、暗殺者に寝込みを襲われて。
「お嬢様。朝でございます」
侍女の声に起こされ、彼女はベッドの上で飛び起きた。見慣れた自分の部屋、見慣れた自分の侍女。一ヶ月前まで当たり前にあった、失くしたはずの日常だ。
三度目の203年4月9日を迎え、ここに至って彼女は今までのことが夢ではなく、時間をループしてやり直しているのだと気づいた。今まで起きたことがこれからまた起こるのだ。
それからはありとあらゆる手段を試した。
ある時は国を捨てて王子と関わりのない土地へと逃げ、伝染病に罹って死に。
ある時は殺される前に王子を殺し、反逆罪で処刑され。
またある時は何もしていないのに豆腐の角に頭をぶつけて即死し。
99回目のループを迎えた頃、彼女はすでに何のために生きているのかわからなくなっていた。
約一年のループを99回繰り返した彼女の精神年齢はすでに116歳。本来の十代の頃の記憶など昔のこと過ぎて覚えていない。
親友だと思っていた少女は彼女を裏切って殺す刺客と知って以来、友情など幻想だと身をもって理解していたし、家族に毒を盛られて以来、肉親など邪魔な足枷にしか思えなくなっていた。
何も知らないかつての少女は、無条件の幸せがいつまでも続くと思っていたはずなのに。
100回目の3月20日、彼女は隣国の皇太子の手を取り、祖国を滅ぼす宣告を王子に放った。
大国である隣国の力を振るえば、いかに横暴な王家でもただでは済まない。都合のいいことに何故かやけに好意的な隣国の皇太子は、彼女の嫌う王国を滅ぼすことを約束してくれた。
一週間後には祖国には周辺各国から総攻撃を受け、蹂躙されていた。圧倒的な戦力差に軍は為すすべなく、逃げようとした王家は一人残らず確保された。
やがて王族は公開処刑された。もちろんその中にはココルを幾度となく殺したアゲスの姿もあり、彼の首が落ちた時には安堵の息が漏れた。
しかし。
しかし、だ。
待ち望んだ204年の4月を迎えて、ココルは考えていた。
100年越しの怨敵は死に、ループを越えたとはいえ、隣国の皇太子は今まで見て見ぬふりをし続けてきた、彼女にとって間接的な殺人者の一人である。彼女が皇太子の手を取ったのは、真ヒーローの登場に浮ついたからではなく、単純に王子に対抗する手段の一つとして試しただけに過ぎない。もしかしたらむしろ皇太子がココルを殺す原因なのでは。そう思うと恋情など抱けないし、ただでさえ精神的に百歳を超えている彼女にとって、二十歳にもならない小童など恋愛対象にならない。
これがハッピーエンドとはどうしても思えなかった。
それでも、ループは終わったのだと思っていたある日――
「お嬢様。朝でございます」
侍女の声に起こされ、彼女はベッドから飛び降りた。見慣れた自分の部屋、見慣れた自分の侍女。少し前まで当たり前にあった、失くしたはずの日常だ。
100回目のココルは特に間違いは犯さなかった。誰にも殺されなかった。普通に寝て、起きた時には203年の4月9日になっていた。
その時ようやく気付いたのだ。
ココルの死はループの条件ではない。
今まで死んでいた彼女は死んでからの記憶がなかっただけで、ループは別の時間から始まり、彼女の生死はループ条件とは何ら関係なかったのだ。
そう気づいた後、さらに考えてしまう。
ループとは一体何なのだ、と。
今までの彼女は、ありとあらゆる方法で死んだ自分の死がなかったことにされたことに、一種の運命のようなものを感じていた。どれだけ死んでもやり直せたのだから、そう感じるのも不思議ではない。
だが冷静に考えてみると、彼女は別にループという現象、時を巻き戻してすべてをなかったことにするなどという神の奇跡としか思えない物理現象を越えた事実を起こせるような特別な存在ではない。
少なくとも神という存在に依怙贔屓されるだけの特別な何かはなかった。
魔力はそれなりにあったが、奇跡さえ起こすほどの特別なものではなく、専門の魔法使いに比べれば霞む程度。たとえ奇跡を起こせるだけの力があったとしても、何の準備もなく死んでしまった彼女に実行する猶予もない。
つまりループの発生は彼女とはまったく関連性のない別の事象として考えるべきなのだ。
そもそも時間という法則を勝手に捻じ曲げるなど、人間が意図的に行える所業ではない。何らかの偶然によってもたらされたイレギュラーと考えた方が納得がいく。それこそ原因を突き止めようとしても、人智が及ばないほどの何かだと。
101回目、3月20日を迎えるより早くあっさりと死んでしまった彼女は、ループというものの恐ろしさを知った。
――このループは終わりがあるの?
彼女の生死などループには関係がない。ループが何らかの意図をもって引き起こされた保証もない。一体いつまで続くのかも定かではない。
何度目かに死にながら、ココルは冷めた目で自分を見る王子の顔を見た。今までは憎しみに曇った目線で気が付かなかったが、王子の目はとても疲れ果てた廃人のように力がなかった。
もしかしたら、彼女がループに気づくよりも早くに王子もループに気づき、ループを終わらせるために手を尽くし、それでもループは終わらなかったのかもしれない。
そういえばなぜ王子が彼女を殺すのか、きちんとした証明をしたことはなかった。
政治的な理由であればいくらでも考えつくし、単純に浮気相手のためという可能性もあった。だからそれらの内のどれかだろうと思っていた。原因よりも殺される結果にばかり意識がいっていたのだ。
ループが50回を数える頃には、王子は怨敵というより越えるべき障害になっており、王子がどんな感情を持っていたのかを読み取ろうという発想さえなくなっていた。そしていざ越えてみても、そこには何もなかった。
200回目のループでは徒労感を覚えてきた。どれだけ手を尽くしてもループを終えることができなかったのだ。
ループが発生する原因も、条件も、原理も、何もわからない。生き残ることを度外視して原因究明に死力を尽くしても、手がかりの一つさえ掴めなかった。
500回目のループになると、もはや彼女は何かを考えることさえ面倒になった。
終わらないループに疲れたのだ。
何度か生き残ることがあったが、それでもループが終わらず、巻き戻ってしまうのであれば、結果など何の意味もない。ある意味では殺されるよりも生き残る方が辛くなっている。ループが始まるまでいつ巻き戻ってしまうのか怯えるのは、死んで意識がなくなるよりも彼女の心をすり減らした。
1000回を越える頃には、一年間のすべての行動を特に考えることなく条件反射で行えるようになった。作業のように生き、作業のように殺され、作業のようにやり直す。もう疲れたと思うことさえなくなっていた。
いつか気づいた時の王子の目も、きっと今の彼女と同じだったのだろう。
数えることをやめて久しいおよそ10000回目では、彼女の意識は長い眠りの中にいるように曖昧になっていた。思考なんて無駄なのだ。どうせループしてなかったことになる考えに意味はない。何も考えないまま日々が過ぎ、気づいた時には死んでいる。そのことに何の情動も覚えない。
次の10001回目のループではシュアッセの瞳の力強さが違った。もしかしたら彼女もループに気づき、新たな未来を模索し始めたのかもしれない。でもココルにとってはもはやどうでもいいことだった。ループは10002回目もそれ以降も続いていくのだから。
かつて彼女を貶め勝利者となった少女は、このループにさえ打ち勝つことが出来るのだろうか。
ほんのわずかにそんな考えが浮かぶが、それも一瞬で曖昧にぼやけて消えていった。
そして彼女は考えることをやめた。




