皇女の仮面を匠の彫刻が打ち破りそう
その言葉を聞いた瞬間、私は瞼を開けた。ここは一体どこだろうと辺りを見回す前に、覗き込んでくる影が見える。
それが誰だか一瞬分からなかったけど、ぼうっとしている間に思い出す。皇帝陛下と皇后陛下だ。つまり…
「おとうさん……おかあさん……?」
「!? まぁ、アリアナ!!」
「アリアナ、そなた……”見て”しまったのか!?」
どういう意味なのか、考えることが出来なかった。怠くて眠くて、どうしようもなかった。だけど眠りたくない。寝てしまったらまた、死んでしまうかもしれない。
「こわい……こわいよぉ……」
「アリアナ、大丈夫よ!! 私がついていますからね? ずっとずっとこうして、傍についていますからね?」
震える手で、ぎゅっと握ってくれる。反対の方の手も、強くしっかり握られた。
「怖いことなんて何もない。お前は強い子だ。何も心配せず眠るのだ。お前が目を覚ますまで、こうしているから」
本当に? 大丈夫かな? 眠るのが怖いのに、頭を撫でられてどんどん眠くなる。少しずつ、怖さが消えていった。
地球で言う薄明光線やレンブラント光線と呼ばれるあの光の柱に触れてしまった時、私は生前の記憶と死後の記憶を取り戻してしまった。あの光の柱は、この世界に存在する全ての命が魂に傷を負っていることを知る唯一の方法にして、誰もが幸せになれる世界に問題が起きた時に救済を求める術なのだという。
つまり、誰もが幸せになれる世界のはずなのに、そうではない事態が起きることもあるということ。そんな世界に生まれてしまった事実を思い出すことは、幸か不幸か。
一つ言えることは、それから私は極力人との関わりを減らして生きて行く、ということ。
皇女としての役目を全うせず、両陛下に心配をかけつつ質素に暮らしてきた。けれど、当然それも難しくなってくる。いくら表向き病弱ということにしていても、年頃の娘を嫁がせずに済ませることが難しくなってしまったから。
私が役目を放棄したところで、皇女としての価値が下がるわけではない。優しい両陛下には娘を神殿に送ることは出来ず、ましてや皇女としての役目も果たさず継承順位第一位の私が女王となることも有り得ない。
他に取れる対策が、貴族に嫁がせること。それも、事情を知った上で受け入れてくれる殿方に嫁ぐ、という。
果たしてそんなことが可能なのかと不安に思う私に、両陛下は彼の元でなら何不自由なく暮らせると太鼓判を押された。だけど……
彼の情報をそれとなく探らせたら、とんでもない方だった。紳士的で、身分を問わず女性に誠実。そんな完璧な方に、私の様なお荷物が嫁いでも良いというの?
皇女を嫁として迎え入れる限り、側室も愛人も持てないだろう。女性に対して紳士的な方なのに、ひっそり暮らすことを目的としているような私とは釣り合わない気がするわ。
今まで、両陛下に甘え過ぎていたのかしら? こんなにも嬉々として縁談を進めるなんて……
気乗りがしないまま、遂に顔見せの日となってしまう。まだ決まった話ではないから断れるには断れるのだけど、両陛下の面目を潰しかねない。それとなく、あちらから断って頂けないか聞いてみようかしら? いえ、駄目ね。両陛下はお優しい方だけど、王族の願いを貴族が断れるわけがないもの。
不安の抱えながら向かっていると、両陛下がいらっしゃった。挨拶をしなければと腰を折るのを皇后陛下に止められる。
「アリアナ、挨拶など必要ないわ。今日は一母親として訪ねてみただけだから」
「ですが」
「アリアナ、私達は誰よりもそなたのことを思っている。彼との婚約を望まないのであれば、そう言ってくれて構わないのだぞ?」
こうやって、いつも気遣って下さる。ふつつかな娘だというのに、決して煩わしいとは思わないで優しく見守って下さる。だからこそ、そんな風に言われてしまうとこれ以上わがままなことはしてはいけないと思う。
「お気遣い下さり感謝致します。お会いしてみます」
両陛下はほっとしたような、少し寂しそうな表情をする。いつまでも甘えていて欲しいという意味があるのだと、察するに余りあるものだった。
こんなにも愛されている。まるで彼に言われたように、両陛下の幸せの礎になっているかのよう。失望させたくない。
決意を新たに、扉の向こう側へ向かう。私が落ち着ける場所で構わないというお言葉に甘えて、色とりどりの花々に囲まれた庭園に席を用意しておいた。
普段は散策に使う場所なのだけど、花から漂う香りで心が穏やかになるかもとの期待を込めている。見ず知らずのお方とお話をするのは何年ぶりだろう。やっぱりちょっと、怖い。
庭園に足を踏み入れて目的の場所に向かえば、庭園の中心に設けられた会食の場に、驚くほど見目麗しい男性がいらっしゃった。皇女への礼儀として平伏し顔が見えなくても、彼が放つ美しさは別格のものだと分かる。
イケメン!! あ、つい前世の私が出てしまった。微笑すら浮かべない儚げな王女の仮面を崩すわけにはいかない。落ち着いて落ち着いて。
ビロードのように美しく輝く金髪。目鼻立ちのはっきりした均整の取れた容姿。清潔感のある装いは当然のことながら、所作の一つ一つまでもが洗練されている。まさかこのような方が、未だ独り身だというの?
「どうか、顔をお上げください」
匠が作り上げた完璧な彫刻のような彼が、顔を上げた。海のように深い青緑の瞳と目が合う。息を呑むほど美しい。普段顔色を変えない侍女達も息を呑むほどに。
その顔が、唐突に破顔するのだ。
「っ」
くっ、心臓が止まる!!
素を出さないように、普段から心の中でも王女たる言動を心掛けているのに崩れそう。もう駄目! 超絶イケメンキタコレー!! いえ、私は皇女よ。そのような不分別なことは思ってもいませんわ、ホホホホ。
けれど、彼のあの一撃に侍女だけでなく護衛騎士までそわそわしている。男女問わずか。これが俗に言う人たらしというやつなのかしら? 笑顔一つでこの威力。社交界を席巻するはずね。
皇女という特殊性からイケメンには耐性があるつもりだったのに、完全に攻略されている気がする。こんな凄い爆弾を受け取って、いーらないっと、拒否なんてできないわ。爆死覚悟で抱きしめるでしょう!
それにしても、こんな完璧な優良物件が何故空き家のままなの? 女性の影が全くないということだけど、何故なのかしら? 国境警備を指揮しているせいで粗忽者になったわけでもなさそうだし、謎だわ。
「皇女殿下、お会いできて大変光栄に御座います」
微笑みを称えたまま、彼は再び深く首を垂れる。いつまでも傅かせるわけにはいかないと立つことを許可すると、感謝の言葉と共に私の傍に立つ。手を差し出され、思わずその手の上に左手を乗せた。
幸せそうに微笑むアレックス様。ミレニアム公爵家の嫡男である彼が、本当に私の夫となる方なの? 誰もが幸せになれる世界という謳い文句だとは言え、これはあまりにも幸運が過ぎてしまうのでは。そもそも、恐れ多い気がしてしまう。こんな方が、私のような喪女歴14年と18年の枯れた女の伴侶だなんて。
けれど、思った以上に彼との会食は話が弾み楽しかった。少しだけ二人だけで庭園を散歩したりしたけど、何故か一緒にいることに不安も感じない。恋をしたのかと聞かれるとそうではないけれど、彼の傍が安心したことだけは確かだった。
私の知らないことをたくさん教えてくれて、共通の読み物で会話は弾む。彼の笑顔に裏が見えない。時々、屈託のない笑顔を見せて下さったからかしら?
一度お会いしただけであんなにも心を許せてしまえるだなんて不思議。まるで、気心の知れた友人と出会ったかのような気持ちになった。何故そう思うのかは分からないけど、気負うことなくいられたのは確かだわ。
彼は、私との婚姻を前向きに捉えておられたようだけど、本当にいいのかしら。まだ、会ったばかりだもの。すぐに答えを出す必要はないわよね?
だけど、今日一日の会食が、帝国内の噂になるのに時間はかからなかった。
「なんですって?」
侍女のクレアが、謎の呪文を口にした気がするの。気のせいかしら? 聞き間違いだろうと思われたそれは、同じ文言で繰り返されただけだった。
「王女殿下とアレックス様のご婚約が内定したと、社交界で囁かれております」
内定を貰ったの? そう、それは良かったわね。いい企業に就職が決まったのかしら。お祝いをしなくちゃ……じゃない!!
どうしてそうなった!? 昨日の今日で、どうしてそんな話が広がるの? 宮廷内でのことが簡単に外に漏れるわけがない。なのにどうしてー!?
狼狽える私に、侍女のユーミは目元を濡らす。
「王女殿下、おめでとうございます! 私、王女殿下の幸せを心から願っておりましたが、こんなっ…こんなにっ……こんなに喜ばしいお話を嫁ぐ前に聞かせて頂けるなんて感激で御座います!!」
侍女のユーミは、来月には男爵家へ嫁ぐため暇を出すことになっていた。確かに、幼い頃から私を見てきた彼女にとってはこの上ない喜びだったでしょうね。けれど一つ勘違いしている。アレックス様とはお会いしたばかりで、縁談の話題など全く上がらなかったということを!
昨日は男爵家へ行っていたから、私とアレックス様の取り留めのないやり取りしかしていない顔見せという名の会食での内容を知らないからなのだとは思うけど、彼女達を含め、皆さんとんでもない勘違いをなさっているわ。
はっ!! まさか、両陛下まで勘違いなさっていたりしないわよね!? という危惧が、まさにその通りになっていて膝から崩れ落ちそうになった。
「アリアナ、私は感慨深いわ。一人で生きていくと頑なだったあなたが伴侶を得ることを決断してくれただなんて」
違うのお母様。本当に違うの。そもそも昨日お会いしたばかりではないですか。何故、そこまでお話が飛躍してしまったの? 何故なのですか!?
「アリアナ、これからはとても寂しくなるな。けれど私達は親子だ。いつでも顔を見せに帰っておいで。父は、お前のことを心から愛しているぞ」
お父様お父様。気が早いですわ。まるで今すぐにでも嫁ぐかのようなことをおっしゃらないで。まだ婚約していませんから。話が急すぎてついて行けませんから!!
かくして、私の意思を尊重すると言っていた誰もが確定事項かのようにとんとんと話を進めていき、私は本当にアレックス様に嫁ぐことになった。アレックス様は何処までもお優しかったし、紳士的。ミレニアム公爵ご夫妻も、お会いした際、私を娘のように大切にして下さった。
兼ねてより爵位をアレックス様に譲り、ご自分達は隠居したいとお考えだったのを早々に進められ、既に嫁いでおられる三人の姉君も、私のことを歓迎して下さる。
アレックス様の妻になる。決して嫌な決断ではなかったけれど、本当に良かったのかしらと不安が過った。国を挙げた盛大な披露宴。観衆に見守られる中行われたパレード。そして……初夜!!
私は今、とてつもない緊張の只中にいる。苦節14年と18年。異性とまともにお付き合いしたことのない私が、いきなりこんな状況に耐えられるわけがない。生前は男友達と掴み合いの喧嘩をしつつ、残りの人生をベッドの上で過ごした。生まれ変わってからは、ただただ人と関わらないようにひっそり暮らしてきたのにぃー!
最も怖いのは、子供ができたらどうしよう、ということ。未だに前世のトラウマを抱えている。子供に先立たれることを望む親はいない。子供だって、親より先に死ぬことを望んでいない。死は、人の心を空虚にする。活力を奪い、気力を無くす。苦痛に苛まれ、囚われ続ける。
どうしよう。どうすれば初夜を……子作りを回避できるの!? アレックス様……いえ、旦那様のことが嫌いなわけではないけど、どうしても、どうしてもこれだけは回避したいのよ!
寝室の扉が開いて、アレックス様が入ってきた。あまりの緊張から、瞼をぎゅっと閉じて身体を固くする。ベッドの上に正座で座る私の前まで近付く人の気配が……
無理よ無理!! 絶対に無理!!
「あぁ、駄目駄目!! やっぱり無理だわ!!」
……ん?




