6話 盗聴器
六月七日
社長秘書・生駒恭子は一昨日、二之宮から面談承諾の連絡を受けた。
場所は、引っ越し先とのこと、住所を聞いた。
聞いた住所は多摩川沿いに建つ高層マンションであった。
部屋の中は引っ越しの荷物が無造作に散らかっていた。
部長の他に若い女がいた。
部長は、同居人の櫛笥佳代子と紹介した。
恭子はその女が何者なのか知っている。
USBに記録されている。
部長の愛人である。
もちろん部長は恭子が女の正体を知らないと思っている。
「秘書課の生駒恭子です」
櫛笥佳代子に自己紹介した。
佳代子は怪訝な眼で恭子を一瞥しただけだ。
「申し訳ないね。こんなところで、昨日引っ越して来たばかりでね」
部長は、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。
「いえ、構いません。それよりも……」
恭子は櫛笥佳代子を眼線で追い部長に確認するように
「いいですか?」と云うと、部長も理解した様子で
「私はかまわないよ」と横柄に応えた。
恭子は、その横柄な物言いに我慢がならなかった。
横柄な態度を諫めるつもりで携帯を取りだし瑛介の生きていた最後の日、
社長と香坂役員から厳しく叱責されている部分の音声を何も言わずに、
いきなり流した。
部長は、突然流れ始めた香坂役員の怒鳴り声の叱責を最初は理解できずに
いたが、直ぐに気付き慌てて携帯を恭子の掌から、ひったくり音声を止めた。
「突然こんな物流されちゃ困るよ! 生駒君!」
明らかに顔に狼狽が走った。
恭子は、慌てふためいた様子を醒めた眼で睨んでいた。
「何故こんな物を持っているのかね?」
目尻が釣り上がり三角目の偏屈な顔つきになっていた。
恭子はその質問に応えず
「この続きも、それから他の日の分も有りますけど、お聞きになります」
単調に云った。
部長は表情を曇らせ
「君のやっている事が理解できない。俺にどうしろと云うんだ?」
渋面で吐き捨てるように云った。
「この時の会話に出てくる裏帳簿とはどんな物か教えてください」
恭子の語彙が詰問調で語尾が強くなった。
「今 なんと言った? 裏帳簿と言ったのか?」
恭子の眼つきを窺うように聞き返した。
恭子は、黙って肯いた。
部長は黙った。
思案しているようだ。
そこに櫛笥佳代子が珈琲を二人の前に出した。
恭子は珈琲の臭いを鼻腔に感じたとたん、強い嘔吐感が胃から突き
上げてきた。
思わず両手で口を押さえキッチンの流しに走った。
嘔吐物はなく、込み上げる胃液が口の中に噴き出した。
櫛笥佳代子が黙って背中をせわしなく擦っていた。
恭子の顔を覗き込むように
「大丈夫ですか……?」
大きく息を吸い込み深く肯いた。
「もしかして、妊娠しています?」
恭子は眼に微笑を浮かべて小さく肯いた。
「やっぱり、無理をしては駄目よ!」諭すような口調で諫めた。
「大丈夫です」ハンカチで口を拭いながら、元の場所まで戻ると
「君、少し横になって休んだら」
部長の優しい言葉の裏に話の鉾先から逃れたいと下心が透けて見える。
「もう大丈夫ですから」
乾いた声で云った。
「そうか……」
そのまま口を噤んだ。
「先程の話ですが、裏帳簿の中身はなんですか?」
恭子の真剣な眼差しが部長を射た。
部長は一瞬怯んだが気を立て直した。
意を決したかのように問い糾す口調で
「君は社長室に盗聴器を仕掛けたな? その携帯の会話は盗聴した会話の一部
だろう? 今回の事件の何処まで知っているか聞かせてくれ。それに依っては
応えても良いよ。裏帳簿のことを」
部長は試すように訊いた。
「事件の概略は事実をつなぎ合わせてほぼ分っています。誰が首謀者である
かも間違いないと推測しています。そして二之宮部長も正確には首謀グループ
の一員で罪を犯した一人であると言う事実を翻せない筈ですが……」
恭子は厳しい顔で指摘した。
部長は唇を強く結び思考を巡らせている。
部長の腹の中は、小娘に指摘され次の言葉を言い淀んでいる自分を叱り
飛ばしている。
恭子には、そのように見えるが……。
次の瞬間、細く息を吐きながら天井を見上げた。
「そうか! そこまで知っているのか。隠し立てしても始まらんな」
語尾が心なしか震えていた。
「じゃあ、話してくれますか?」恭子は少し急いた口調で訊いた
「分った。話してやるよ。その前に一つ訊いてもいいかな」
「どうぞ、なんでしょう?」
「君はこの事件に何故そんなに首を突っ込むのかね? もしかして妊娠した
事が事件と関わり合いがあるのか?」
恭子の眼を深く覗き込んだ。
思わぬところから推理され、それが的を射貫いていた。
眼の動揺を詠まれた。
「やっぱり関係があるんだな」呟くように云った。
「……」恭子は失語した。
「君を行動に駆り立てている物が何か朧気ながら見えてきた。最初は君が
ここまで積極的な行動派だという認識がなかった。なぜ犯罪すれすれの盗聴
までしてこの事件に首を突っ込むのか理解できなかった。でもすこし納得し
たよ。ああ、悪かったね。話がだいぶ逸れた」
部長は温くなった珈琲を一口飲むと、
「実は、殺人犯の濡れ衣を着せられそうになった。危うく当日のアリバイを
証明できて釈放された。経緯は簡単だが俺は、人に罪を着せようとした輩を
許さない。そう思っている」
「罪を着せられそうになった? 何がどうなったんですか?」
「それだがね。刑事が言うには、俺のDNAが付いたハンカチが犯行現場に落
ちていたと。そう云うんだ」
「本当にそのハンカチは部長のハンカチでしたか?」
「間違いなく俺のハンカチだったが。第一、俺は犯行現場に行った事が
無いのに、どうしてハンカチが犯行現場に落ちていたのか説明しようがない。
それを何度も何度も聞かれて参ったよ」
「部長には、そのハンカチを誰が犯行現場に置いたか、見当は付いているん
ですか?」
「ああ、もちろんだよ!」
部長の眼に憎悪が宿った。
「どうしてそれを刑事さんに言わなかったんですか?」
「人物の特定はしなかったが、そのハンカチを紛失した場所は云ったよ」
抑揚を押さえた口調で応えた。
恭子にはその場所が何処なのか、おおよその見当がつく。
「その辺の捜査は刑事さん達がやる」
恭子の知りたい事から話が脱線していた。
「部長、ハンカチの話はそれくらいにして裏帳簿の話をしてください」
恭子は再度尋ねた。
「そうだったな。裏帳簿の話をする事に俺は少し躊躇した。何故なら君も認識
している通り、首謀グループの一員として俺は十年近くに亘って罪を犯して
きた。その罪をどう精算するのか、まだ迷っている。
それは俺に罪を被せて自分は安全圏に逃げ込もうとする輩が許せないからだ。
自分の手で報復してやりたい。どんな汚い手を使っても……」
悪の意識が完全に変形して部長の意志は端から見ると、あらぬ方向に動き
始めている様に見える。
「そんな事をしたら罪の上に罪を重ねることになりますよ! 止めてください!」
恭子の口から語尾が叫ぶような制止の言葉で溢れた。
自身の詰問が次の罪の引金を弾く誘因になる事を恐れた。
一方では、この人が報復してしまったら私たちの約束は、どうなるのかと
危惧した。
恭子は部長の眼を深く覗き込み底に潜む真意を探った。
すると視線を感じた部長が真剣な眼差しで恭子を見返した。
『俺の決心は揺るぎが無い』と云わんばかりであった。
恭子は絡まった視線を解くと
「部長の気持ちは分りますが、もう一度冷静に考え直してからでも遅くはないと
思いますが…… で、続きの裏帳簿の件はどうなりましたか?」
「そうか、やっぱり裏帳簿に戻ってくるのか。喋らない訳には行きそうも
無いな」
部長の声が陰気に聞こえた。意を決するように口を開いた。
「君の知りたい裏帳簿の中身は、加盟店の資産を搾取して現金化した裏金を記録
した帳簿のことだ。具体的に搾取していたのは主にQカードなどの換金性の
高い物が多い」
部長は事務的にそして単調に説明したが、半ば自棄口調で自分の罪を晒した。
「加盟店の資産を搾取……?ですか?」怪訝な眼が部長を捕らえた。
「……」部長は深く肯いた。
「搾取していた。しかも既に十年近くも…… 犯罪の軌跡は裏帳簿に記録されてい
る。その裏帳簿をある加盟店のオーナーが入手した『会社ごと食い潰されても
おかしくない』と怒鳴り声の叱責になった」
恭子は裏帳簿に纏わる軌跡を辿った。
「そして自ら命を絶った者、殺された者、さらに殺人犯に仕立て上げられた
者がいた」
半分は一人言になった。部長には充分聞こえていたはずだ。
部長は黙った。思案しているようだ。
恭子は唖然としたが言葉を選んでさらに訊いた。
「どうすれば、加盟店の資産を搾取できるんですか?」
「簡単に云ってしまえばSAの伝票操作で加盟店に在庫として有るはずの物が
無くなる。無くなった物は実はSAの手元に残る。
最近の物は主にQカードが多い」
「それを換金して裏金にする…… ですか? 悪知恵の働く者がいるもんですね」
抑揚を欠いた声で云った。部長の顔に疲弊の色が浮かんだ。
「加盟店のオーナーで月別収支報告(PL)をきちんと読める人が少ない。
その辺が搾取するには好都合だった」
「好都合だなんて、不謹慎過ぎませんか?」
諫める気持ちにも踏ん張りが効かないような物言いに呆れた。
「問題の裏帳簿が今、誰の手にあるか? 部長はご存じですよね?」
部長の眼を窺うように訊いた。
「う――。いきなりなんの事だよ!」
うろたえて、強がった言葉が揺れた。
「やっぱり部長の手に在るんですね」
「それがどうした」二之宮は唾を呑み込んだ。
「それを確認出来れば良いんです。今日の所は。ああ! それから、これを
お預けします」
云うと、恭子は二之宮の手元までUSBを滑らせた。
「これを私に預けると……?」
二之宮はその中身が何なのか理解していた。
「司法取引という劇薬が在ります。ある時期が来たら弁護士さんの処方で
呑むことをお勧めします。劇的な効能が期待できるはずです。そのときは、
裏帳簿とそのUSBをセットで警察に提供すると効果は即効性が高くなる
はずです」
恭子は黙って眼だけ笑わせた。
一方、榊慶子と小早川頼子は東京ミッドタウンのイタリアンレストランで
ディナーを愉しんでいた。
頼子の気分転換にと慶子が誘った。
奇しくも同じ身の上となった二人ではあった。
何くれとなく相談をしあうようになり、親しさが増していた。




