10話 二時間の空白
五月二十七日十七時
三森刑事と五十嵐刑事は、ハモニカ横丁の細い路地を幾つか曲がった。
だいぶ奥まったところに、濃紺地にもつ煮込み『慎』の白抜き暖簾を見つけ、
暖簾に腕を通し店に入った。
カウンター席は、客でほぼ一杯だった。
カウンター越しに紺の法被に腰エプロンの店員を手招きして呼んだ。
耳元で「店主は?」と尋ねた。
紺の法被はレジを指さした。
「店主の奈良さんですか?」訊くと、頷いた。
警察手帳を見せた。
「忙しいところすみません。少しお話を伺いたいのですが」
もつ煮込み専門『慎』・店は、平成二十一年から営業している。
店主・奈良銀次(四十八歳)髪の毛が大分後退している。
年より老けて見える。
狐顔・神経質そうな眉と眼は端から見ると小心者の顔だ。
背高百七十は無いように見える。
細身で貧相に見える。
奈良は、店を見廻し怪訝そうな顔で
「外でもいいですか?」
カウンターを潜り抜け、店の外に出た。
「忙しいんです。何ですか?」
迷惑そうな顔を造った。
言葉に嫌悪感を漂わせた。
「時間は取らせません。少しお聞きしたいことが……」
「ですから、何ですか?」眉間に皺を立てた。
「メルクスの香坂さんをご存じですか?」
「香坂さんなら知り合いですが」
「一ヶ月ほど前になりますが四月二十二日は香坂さん店に来ましたか?」
訊くと、奈良は、「四月二十二日ですか?」と聞き直した。
その日を思い出すように、腰エプロンからメモ用のノートを出した。
表紙には「仕入」とマジックで書かれている。
ノートの頁を繰って、四月二十二日を開いた。
「見えていますね。十九時半頃来ましたが」
「ほおー 時間まで記入されているんですか?」
「これは、仕入れ帳ですが、その日の出来事も記入して、日記の様に使って
いるんですよ」
「十九時半頃で間違いないですか?」
「ええ、十九時半頃から二十二時廻っていたかなあ? その位まで居ましたが」
「店ではどんな話をしましたか?」
「店は混んでいまして香坂さんは時々声を掛けてくれるんですが『調子はどう』
とか、まあ普通の世間話です。正直何をそのとき喋ったか覚えていないんです」
「店を始めてどのくらい経ちますか?」
「平成二十一年からやっています。六年になりますか」
「店を始める前は、何をやってらっしゃったんですか?」
「興信所の調査員をやっていました」
「興信所ですか。じゃあ調べるのは得意ですね」
「その興信所で言わば人様の裏側を調べる仕事が嫌になりましてね。それで、
いまの仕事に転職したんですよ」
「香坂さんとは、いつ頃からお知り合いで」
「店を始める前からです。私が興信所の仕事をしている時に香坂さんの会社から
調査を依頼されまして」
「ほお…… そうするともう十年ぐらい前からになりますか?」
「店を始める二、三年前ぐらい前ですから七から八年ですか」
「ところで店の名前が『慎』とちょっと変わった名前になっていますが?」
「店を始める時に大変世話になりましたので店の名前を付けて欲しいと頼んだ
ところ香坂さんの名前・慎一の慎でどうだと、それで慎となりました」
三森は、店主の奈良の話を訊けば訊くほど、香坂と関係が深いと感じた。
香坂から頼まれると嫌と云えない立場にいるように思われた。
当日の来店時間と帰った時間などが、すんなり出てくるところも胡散臭い。
三森は、礼を云って切り上げた。
期せずして香坂のアリバイの裏を取ったことになった。
「三森さん、居酒屋の店主訳ありといった所ですね?」
五十嵐が胡散臭そうな店主だ。と言いたげだ。
「金を掴まされて演技をした。今日はそれなりに出来た。そんな目で見たら
面白いかもな」
三森は、店主の正体を見透かしていた。
「ええー 偽証ですか?」
「多分な。時間も合わせて上手くやってくれと……」
「頼まれた…… ですか?」
五十嵐がダメを押した。
「まあ、そんなところかな?」
「香坂には先回りされた感が拭えないな」
捜査本部・五月二十七日・二十時
ホテルチエックイン(監視カメラ)十九時十二分
「いせや」着二十一時頃着(店員証言)
同店帰る二十三時頃(店員証言)
ホテルチエックアウト二十二時五十三分(監視カメラ)
優瑠瑠マンション二十三時三十分頃(本人証言)
三森はメモ用紙に香坂のアリバイを時系列で並べた。
吉祥寺のホテルから、勝どきのタワーマンションまでは、どう見ても
一時間は掛かる。
優瑠瑠の証言は虚偽の筈、三森は信じて疑わなかった。
「ホテルチエックアウト、二十二時五十三分、
死亡推定時刻、一時から二時半の間、
チエックアウトから殺害まで約二時間か……?」
三森は呟いた。
「三森さん何か云いましたか?」
五十嵐が途切れ途切れに聞こえた三森の独り言に反応した。
「――――ん? なんか聞こえた?」
五十嵐は報告書作成の為パソコンに向っていた。
キーボードを叩きながら呟きの最後のくだりを繰り返した。
「約二時間か……? そう、聞こえましたよ。何が二時間なんですか?」
「躊躇逡巡(ちゅうちょ-しゅんじゅん)なのか? それとも
慎始敬終(しんし-けいしゅう)なのか? 二つを混ぜ混ぜして二で割った
ような……?」
三森は、自分の世界に入るドアをノックしているような心境になっていた。
五十嵐は又禅問答が始まったのか? と立ち上がると三森に向って
「二つを混ぜ混ぜするって? 混ぜてどうするんですか?」
五十嵐の棘のある云い回しに三森は首を竦めて
「カクテル作る訳じゃねえから、混ぜ混ぜしても意味がねえか」
三森は、香坂のアリバイを時系列で並べたメモに目を落とした。
「五十嵐! 住宅地図頼む!」
「びっくりした――――、今度は何ですか?」
「ホテルから事件発生現場までどうやって行ったのか? ルートを探したいんだ」
そう云って又時系列を並べたメモに目を落とした。
「先にそう云ってください」
五十嵐は立ち上がると三森を一瞥して地図を取りに行った。
主任も書類に目を通しながら二人の会話に耳を立てていた。
主任と五十嵐、そして三森が打合せテーブルに事件現場周辺の住宅地図を覗き
込んでいた。
三森が、捜査状況を説明するように話し始めた。
「ホテルがここで事件現場がここだ」
そう云ってそれぞれの場所に赤丸を付けた。
すると青鉛筆で居酒屋『慎』と『いせや』の二つの場所に青丸を記した。
「ここが問題の居酒屋でこっちが『いせや』云うと、主任と五十嵐を見た。
「香坂は『いせや』で睡眠薬を酒に混ぜて榊に飲ませた。間もなく榊は爆睡した。
その榊の肩を担いでホテルまで戻り、地下の駐車場に運び後部座席かトランクの
中に押し込んで、一階のフロントで精算した。時間は二十二時五十三分、
ホテルを出た香坂は事件現場近くまで車で来た。車の中でガムテープを手と
足にぐるぐると巻いた。もしかしたら、目も口もテープを貼ったかも知れない。
鑑識の午前一時から二時半が死亡、推定時刻とするとホテルを出て殺害するまで
約二時間を要した事になる」
「三森さん先程の二時間は、その意味だったんですね」
「そう、その通りだ」
「ホテルから殺害現場までは、車だと十分有れば充分のはず、なので……
香坂は何かに迷っていた。躊躇逡巡(ちゅうちょ-しゅんじゅん)なのか、
慎重になりすぎた慎始敬終(しんし-けいしゅう)なのか?」
「それは、本人しか判らない事だな」主任が呟いた。
「いずれにしろ、香坂にも幾らか良心があった」
「車の中で榊が唯一呼吸に使っていた鼻の穴を塞いで呼吸を止めた。
榊は苦しがっても声が出ない。体を海老反らせ乍ら息絶えた」
「或はビニール袋を頭から被せ、首の所で押さえたか?」
主任がもう一つの方法を口にした。
「殺害した榊をほたる橋まで担いで行き玉川上水に投げ込んだ。その後
ポケットに入れておいた二之宮のハンカチを橋の上に置いた」
三森は香坂の犯行を推理し自身で確かめるように言葉にした。
言い終えるとゆっくりと主任の眼を見た。
「何か落ち度が有ったら指摘してほしい」
三森の眼は、主任に尋ねていた。
「事件解決ですね」
五十嵐の声が弾んでいた。
「いや! 事件は今が始まりで解決ではない」
主任の厳しい口調が五十嵐の耳に響いた。
三森は、再度住宅地図でホテルから事件現場までのルートを指先で辿った。
ルートは、どう通っても二つに絞られる。
明日ホテルからのルートを自分の足で辿ることにした。




