4話 暗中模索 その弐
慶子は、四月十三日の会話を流した。
二人は、パソコンから流れる会話を聞き終えた。
慶子は初めて聞く会話の内容が理解できずに思案顔で恭子を見た。
恭子も最初は、理解出来なかった。
何度か聞き直して、会話の内容について、それなりの意味付けをしていた。
「四月十三日の会話から推察で出来る事は、ある加盟店のオーナーが裏帳簿を
入手した」
恭子はおもむろに、そう云った。
だが、裏帳簿がどのような類いのものか見当がついていなかった。
「その裏帳簿は香坂役員が言うところのメルクスが警察沙汰に出来ない類いの
代物で、その裏帳簿を盾に大型スーパーの出店阻止を榊さんに要望したが、
結果的にスーパーの出店を阻止できなかった。役員自ら裏帳簿と呼ぶからには、
その中身は胡散臭く、犯罪の臭いまで漂っている様な気がする」
恭子は続けた。
「ミスが発覚して二之宮部長と小早川さんが叱責され、どう責任を取るのかと
責められた」
恭子は確かめるように慎重な口調になった。
「結果、その日の深夜小早川さんが自殺した」
「うそー その日だったのー?」
慶子が大きな口を開け掌で口を押さえた。
「残念ながら、その日です」
恭子は云い切ったが、言葉にした事で瑛介の顔が脳裏に映し出され、気持ちが
揺れた。
慶子は、その日を何度も指折り数え、なんとか得心した様子だ。
「そして四月二十日の会話を聞くと社長が会社に不利な条件の稟議書を決済した
と二之宮部長に伝えた」
恭子には何が不利なのか分からなかった。
恭子は、朧気な記憶を辿った。
確か、あの時の稟議内容は閉店に関わる一連の稟議であったはずだ。
「二之宮部長は社長から禍根となる火種は残らず消すようにと釘を刺された」
「社長が云った『火種』が何か分かる?」慶子が恭子に訊いた。
「火種だけでなく、そのフレーズは私が思うに…… 会社にとって不利な条件を
呑む訳だからトラブルは根こそぎ解決して二度と蒸し返して貰っては困ると
社長は言いたかった」
恭子は自分に納得させるような口調になった。
社長と香坂役員の関わる案件で会社が不利になる稟議は一度も決済していない。
何故、今回の案件は決済したのか? 不思議な気がした。
一つ考えられるのが裏帳簿の存在だ。
恭子は、ますます裏帳簿の中身を知りたくなった。
胸の痞えの原因は、その裏帳簿だ。
二人は四月二十一日の会話をパソコンで聴き終わると
「二之宮部長と主人の異動を言い渡した」怪訝な目で云った。
「五月末までに解決出来なければ、更に厳重な人事を云い渡すと」
恭子の語尾が揺れた。
――――何が解決なのか?
この時はまだ理解できていなかった。
恭子は先を急いだ。
次は五月十一日まで飛んでいる。
パソコンから流れる会話を二人は聴いていた。
「社長が警察の事情聴取に応ずるに当り、妻には内緒にして欲しいと前置きしてい
るのは情けない、の一言ね。そう言って置きながら、銀座のママとのくだりは、
いくらか誇らしげに聞こえるのは何故かしら?」
慶子の言葉に社長への憎悪に似た感情が言葉尻に芽生えていた。
「事件のあったその日、社長は銀座のママとお泊りとは、しかもそれが事件の
アリバイになっている。まるで創ったような話ね」
慶子は軽く投げ捨てるように、そう云った。
「慶子さん、創ったような……ではなくて、その日事件が起こることを知っていた
様な、が近いかも知れません」
恭子の疑いは既にトップまで届いていた。
「でもアリバイがあれば事件とは関係が無いと警察も考えるわよ」
「それもそうですね」
恭子は意に背いて相槌を打った。慶子はさらに先を急いだ。
五月十三日の社長と香坂二人の会話が流れた。
最初の香坂の出張報告は聞取れたが残りの会話は声が小さすぎて聴き取れな
かった。
おそらく額を寄せ合って囁くような会話をしていたと想像された。
この囁くような会話がUSBに録音された最後の会話になった。
慶子は、理解出来た事を整理するように喋りだした。
「博嗣が殺害されたのは、その内容が明るみに出ると会社の存亡に関わる
『裏帳簿』を、何らかのミスで加盟店オーナーに渡してしまった事。さらに
加盟店が要望した大型スーパー出店阻止に失敗した。だが、その加盟店の
要望を叶えられなかった事が原因で博嗣が殺されなければならない理由に
なるだろうか? どう考えてもそれだけでは納得が出来ない」
慶子の眼が宙を仰いだ。
恭子は、慶子の胸中を思うと言葉に詰まった。
慶子は、博嗣が殺されなければ成らなかった。その訳を見極めなければ
と再び語る。
「裏帳簿紛失の件が大きな原因のような気がする。香坂役員が怒鳴るように
叱責している中で『会社ごと食い潰されてもおかしくない』と云った。言い
換えれば極秘の内容がその裏帳簿に記されている事になる。しかも警察沙汰に
出来ないと、まで言及している」
慶子は一息つくと、自身の辿り着いた結論めいた思いを続けた。
「私、その『裏帳簿』は夫を殺した真犯人を捜す鍵になる様な気がするわ。
恭子さんは、どう思います」
恭子の顔を真っ直ぐに見据えるように問うた。
慶子が事件の元凶は裏帳簿だと気づいた。
恭子はそう確信した。
「USBの内容から慶子さんの推理は順当だと思うわ。裏帳簿は少なくても
事件解決のキーワードになると思うわ」
恭子は、慶子さんがやっと自分と同じ思いまで、辿り着いてくれた事で少し
ほっとした気持ちになった。
慶子は意を強くしたのか
「恭子さん、裏帳簿の事だけど、その内容を二之宮部長は当然知っているわよね」
慶子は恭子にダメを押すような口調になっていた。
「当然知っているでしょうね」
「二之宮部長にその話を訊きたいでしょう。私も慶子さんと話をしながらそう
思ったわ。でも、二之宮部長は勾留中よ」
「そうか、でも弁護士さんなら面会出来るでしょう?」
「弁護士か……? 依頼人の不利益になることをするかな?」恭子が呟いた。
「それってどう言う事」
「その裏帳簿の内容にも依るけど、部長は自分に不利になる事を、私たちに
話すかしら?」
「……」慶子は思案していた。
「帳簿と聞いてまず浮かぶのがお金の出し入れを帳簿に付ける。普通そう思う。
だから裏帳簿と聞けば表の帳簿に記載できない事か、又は実際とは違う事を
記載した物を裏帳簿と云う」
慶子はごく当たり前のことを云った。
「数字を誤魔化して表に出せない金を捻出した。その過程と結果を記録した」
恭子は思わず口から出た言葉に事件の核心を見た思いがした。
「汚い金を捻出し継続的に裏帳簿に記録した」
「汚い金?」慶子は静かに唾を呑み込んだ。
「裏金とも云う」恭子はダメを押した。
「夫がその汚い金を捻出した」
思いも寄らない言葉が慶子の口から漏れた。
「誰がそれを指示していたかは解らない。少なくともトップが既にその存在を
認識していたので有れば組織ぐるみで継続的に行われていた事になる。警察は
そう見るでしょうね」
恭子は、理に適った言葉を並べ、一息入れ続けた。
「組織ぐるみで裏金を捻出していた。税務署や警察に知れたら会社は致命傷を
負う」
恭子は悪事のその先を暗示し、更に続けた。
「そう、会社を潰す。それだけは…… たとえ、法の壁を乗り越えてでも
避けたい」
恭子は悪事の連鎖の行き着く先を暗示した。
「裏金の捻出に関わった人間が居なくなれば組織は残る」
慶子は乾いた声で云った。
「そして、裏金に関わった人間の中に夫がいた」
抑揚を欠いた声になった。
恭子は何かに辿り着いたような到達感の後に深い無力感に襲われた。
恭子は更にもう一つ、慶子にとっては、辛い事実を聞いて貰う必要が
有った。
裏帳簿を元凶とした今までの推測とは別に、ある人にとっては、殺意を
抱かせるには充分の出来事を、慶子さんには、是非訊いて貰わないといけ
なかった。




