1話 京都弁の妻・狼狽える
五月八日・(捜査七日目)早朝六時
三森刑事は、二之宮部長宅の玄関前で主任の村上に目で合図を送った。
廻りで何人もの刑事が固唾をのんでいた。
道路には、どこから聞きつけたのか、報道関係の人間が捜査員の数に
負けないくらい集まっていた。
三森はインターホンのボタンを押した。
「どちら様ですか?」
女の声で直ぐに返事。
「警察です。ご主人はいますか?」
「警察の方がこんなに早くからなんですか?」
声が苛立っていた。
「ご主人はいるんですね。起こして貰えますか」
三森は廻りの殺気だった気配とは掛け離れた、落ち着いた口調で云った。
「今、起こしてきます。少々お待ちください」
早口で応えた。
暫くすると扉が開き、髭面の二之宮が目を擦りながらパジャマ姿で現れた。
つい今しがたまで寝ていた様子である。
報道関係者が玄関に押し寄せた。
マイクが差し出され、カメラのフラシュがいくつも光った。
「二之宮さん、任意同行願います」
三森は二之宮のショボイ眼を見据えた。
「はあ?」
素っ頓狂な尖り声が放たれた。
二之宮は事態が飲み込めずに思わず返事をしてしまった感だ。
「このまま警察に行くんですか……?」
声が狼狽えた。
「そのようにお願いしましたが」
二之宮の前で三森は立ち塞がった。
「着替えさせて貰っても良いですか?」
三森が主任を見た。
主任が小さく頷いた。
「我々も中に入らせて貰います」
言い終わらないうちに捜査員が玄関口に押し寄せた。
五十嵐刑事が警察車両で二之宮を捜査本部に連行した。
残った刑事は事件に関連のありそうな物を押収し署に持ち帰った。
三森刑事と村上主任が妻らしき女に居間で事情を聞いた。
「奥様ですか?」
「はい、妻の綾乃といいます」
「ちょっとお聞きしますが、四月二十三日の午前零時から午前三時までは
何処にいらっしゃいましたか?」
凛とした声で詰問した。
「二十三日ですか?」
綾乃は壁に掛けてあるカレンダーを見ながら
「先週の木曜日の深夜ですね? その日は、京都の実家に帰っていました」
「京都の実家ですか? それは確かですか?」
「はい。確かです。実家の父と母に訊いていただければわかります」
綾乃の眼は揺れていない。
嘘はついていないと、三森は思った。
「電話番号。教えてください」
綾乃はメモ用紙に実家の電話番号を書いた。
村上主任がそのメモをもって居間を出て行った。
「いつから実家に戻られていたんですか?」
「二十二日水曜日の十時頃の新幹線に乗りましたが……? 正確な時間が
必要ですか?」
「いえ、まだそこまでは良いです。頻繁に実家に帰られるんですか?」
「いいえ、三ヶ月にいっぺんぐらいですが……。でもその日は主人が出張で
二晩は戻らないと云って家を出たものですから……」
「――出張と言われたんですか?」
「それで実家に帰りました。両親が高齢なので出来るだけ帰る様にしています」
主任は戻ると綾乃に
「お母さんにお話を伺いましたよ……確かにその日は娘が来ていたと……」
「少し耳が遠いものですから、刑事さんの話がわかったんですかね」
「大丈夫でしたよ」
主任が三森を見て頷いた。
「最近ご主人何か変ったことが有りましたか?」
「気がつきまへんどしたが。あのー、主人が何や悪いことしたんどすか?」
急に話し言葉が京都弁になった。
綾乃の自尊心が京都弁を引き出したのか?
三森には奇妙に聞こえる。
「そういうわけではないんですが……とても重要な参考人なので署でお話を
聞きます。後で二、三日分の着替えを持って来てください」
「早朝から、お騒がせしました。私に連絡したい時はここに電話してください」
三森は名刺を差し出し、名刺の裏に携帯の番号をメモって渡した。
捜査本部に戻ると所轄の捜査員は出払っていた。
主任は二之宮の事情聴取の為、取調室に向かった。
「五十嵐さん、所轄の人どうしたんですか?」
三森が声を掛けた。
五十嵐は捜査本部の部屋を出て廊下へと三森を誘った。
「二之宮を署に収監すると橋本刑事が所轄の捜査員を集めて気合いを入れて
いました。何でも、所轄に任された被害者の足取りが掴めないまま、
重要参考人が収監された事に腹を立てていたようです」
五十嵐が三森の耳元で囁いた。
「所轄の面目丸つぶれ! というところか?」
戯けた眼を五十嵐に返した。
「で…… 被害者の使っていた社用車の特定を大至急行う…… と……」
「それで全員集合……か?」
「特定できるまで本部に戻って来るな! 橋本刑事だいぶ立腹していました」
「おおー こわっ!」
三森は戯けた顔を真顔に戻して云った。
「二之宮のアリバイちょっと不味いな」
「どうしました?」
「奥さんの話を聞いたら、事件当日は、京都の実家に帰っていたと。
しかも二之宮はその日の朝、出張だと言って家を出たそうだ。
まあ、これも虚偽かな?」
「本社での事情聴取の時は、確か自宅にいた。妻も一緒だったと?」
五十嵐は確かめるように三森の顔を見た。
「そうなんだよ…… なんで嘘つくかね? 妻に嘘をついて犯行に及んだのか?」
三森は溜息をつくと
「そうだ……! 二之宮の車押さえよう」
三森は犯行に車を使ったと、推理していた。
「いきなりどうしましたか?」五十嵐は戸惑った。
「犯行現場の近くまで仏を運んだ。その仏を運んだ車を押さえると言っている
んだが……」
「三森さん、それって性急すぎませんか? もう二之宮が犯人と決めている
ような……?」
「いや 逆だよ。 二之宮には榊を殺して得することは無い。なので……
車には殺害に結びつく証拠・遺留品は何も無いと思う」
「わかりました。疑わしい者から排除したいんですね?」
五十嵐刑事は得心した。
「解ってもらえたか?」
三森は目尻に皺を寄せた。
「主任は取調中だろうから メモ入れて、もう一度二之宮の家に行くぞ!」
二之宮の車を科捜研に送り込んだ。
三森は何も出るはずは無いと思って押収したが結果がどうなるのか
一抹の不安を感じた。
現場の遺留品から二之宮のDNA型が出て決定的な感がする上、
アリバイについては、虚偽の証言になって、容疑がますます濃くなっている。
何がどう積み重なっても、動機が解明できない事には――。
「誤認逮捕」の文字が三森の頭を過ぎる。
二之宮の車を鑑定し科捜研からの結果がシロでも、嫌疑は晴れない。
どのみち逮捕状執行・拘留・起訴と着実に進む。
取調室から出てきた主任が
「逮捕状の申請書作ってくれ」
三森に言い、大きく溜息をついた。
「どうしました?」
「『現場には行っていない』の一点張りだ」
「ハンカチのことは?」
「うん…… ハンカチは自分の物だと認めた」
「でしょうね…… 二之宮は鼻炎でしょっちゅう嚔をしてハンカチ使って
いましたからね」
「だけど、現場には行ってないし、殺してないと?」
「否認か……? だろうな…… 殺す動機がなんなのか?」
三森はここのところ此の動機に悩まされていた。
「アリバイはなんと――――」
「最初は家で妻と一緒だったと言っていたが、再度妻とはどんな話をと
聞くと……」
「覚えていないと……」
どうも夫婦仲はすでに破綻状態のようだ。
「二之宮曰く、自分が帰っても妻は自室から出てくる訳でも無く、夕食は
用意してあるが気分が向かないとそのまま朝まで自室にいることもある。
子供もいないので共通の話題も無く、すでに仮面夫婦だ」
と二之宮は自虐的になっている。
「妻が居るのかも判らない事がある?」
三森の言葉は仮面夫婦の実態を透かしていた。
「そうなんだよ……奥さんは、その日京都の実家に居たと説明しても、
ああーそうですか? と気のない返事をするだけでどうしようも無い……」
主任は呆れた顔だ。
「仮面夫婦か? 最近多いらしいですね…… 逮捕やむなしですね!」
「出来たら申請してくれ」
捜査本部の時計がすでに午前一時を指していた。
所轄の捜査員が肩を落として本部に引き上げてきた。
捜査会議開催・主任から現在の状況説明が以下のように報告があった。
「本日早朝六時五分任意同行した被疑者二之宮仁に対し現在逮捕状を
請求中である。現場の遺留品から本人のDNA型を検出したのが
決定的証拠になる。さらにアリバイについても不確かな部分が有る。
明日再度確認の予定である。所轄から何か報告が有るか?」
主任が捜査員を見渡した。
所轄の橋本刑事が
「本日被害者の社用車の特定を全力で捜査しましたが、未だに特定できて
おりません。明日も引き続き全力で捜査続行します」
口元を真一文字に結んだ橋本は、言葉に力を込めて報告した。
「引き続きお願いします。他に何か?」
捜査本部は被疑者を逮捕したことで、一山越えた感があったが、捜査員の
誰もが安堵の表情を表さなかった。
なぜなら未だに被害者の足取りが掴めずにいた。
何よりも被疑者の動機が明確に成っておらず殺害の目的を掴めないでいる。
三森刑事と五十嵐刑事は、所轄の柔道場で寝起きして、もう十二日になる。
枕を並べていると、自然に捜査の話になる。
「三森さん、押収した二之宮の携帯履歴見ましたか?」
「いやー、まだだ!」
「鑑識で履歴は判るが発信場所は判らないんですかね?」
「鑑識じゃ判らないだろうな……」
「何処に聞けば良いんですかね?」
「なぜ…… そんな事聞くの?」
「いや、二之宮の携帯履歴と一緒に発信位置が判れば、彼のアリバイ少しは
解明できるか? と思いまして、三森さん二之宮犯人説は否定でしょ?」
「そうだな…… 明日、鑑識から電話会社に訊いて貰おう」
「二之宮はアリバイの虚偽と物証で有罪確定か?」
五十嵐が小さな声で呟きながら三森を煽った。
「おい! おい! ちょっと結論を急ぐなよ……!
明日、主任と一緒に取り調べ室に入るか?」
「そうですよ。直接話さないと判らないことも見えてきたりしますよ」




