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6話  泡まみれの全裸死体


 六月十三日・東京ミッドタウンホテル、


 東京ミッドタウンホテルの客室では数人の鑑識官が慌ただしく動き廻っていた。

 所轄(赤坂警察署)の乾刑事が、廊下でホテル従業員から話を訊き終えた

ところだった。

「ご苦労様です」

 乾が、軽く頭を下げ三森に挨拶した。

 乾は、三森の一年後輩に当たり気心が知れた仲だ。

「乾君、ちょっと状況を説明してくれ。五十嵐は知っているよな?」

 三森の脇にいる五十嵐に眼をやり

「五十嵐君は僕の二年後輩になるかな?」

 記憶を確かめる訊き方になった。

「そうですね、よろしく」

 頭を下げて敬意を示した。

「良い先輩に付いたね」

 乾が三森を横目で云った。

「はい、とっても勉強になります」

「おいおい! 挨拶はそのくらいにして、現場は何処だ?」

「バスルームです」


 乾は、死体が発見されたバスルームに三森を案内した。

 バスルームは、おおよそ八畳ほどの広さが有った。

 中央は一段高い。そこに大型のバスタブが据えられている。

 バスタブの周りはゆったりとしたスペースが設けられ、開放感を感じる。

 南面には絵画の額縁の様に、三メートル四方に切り抜いた壁にペアーガラス

を嵌め込んで、バスタブに入りながら、六本木の街を俯瞰出来る。

 反対側は、サウナ風呂とシャワールームが設けられている。

 

 浴室の中では靴カバーを履いた鑑識官が死体の状況を写真に収めていた。

 床のタイルは濡れていて滑りやすい状態である。

 湯を張ったバスタブに死体の背中と臀部が浮き上がって見えた。

 全裸で俯せのまま、泡風呂に浮いていた。

 シャボンの泡は、その周りに押しやられ、ゆらゆらと揺れている。

 鑑識官二人が死体を上向きに回転させた。

 泡まみれの頭髪が額と眉間に貼り付いている。

 赤茶色に濁った瞳は「カーッ」と、大きく見開かれ、一点を凝視している

ように見えた。

 腹部が異様に膨らんでいる。

 思わず目を背けたくなる光景が広がった。

 三森は目を剥いた香坂の横顔に視線を結んだ。

 へばりついた視線を暫く剥がせずにいた。



 香坂のアリバイは、完璧に崩した。物証も揃った。

 逮捕状を手に香坂に突き付けるだけの状態に追い詰めたと思った。

 だが機微に翻弄された。

 

 三森は、香坂の死に顔に吸い付いた視線を無理矢理剥がした。

 バスルームの壁を四角に切り抜き、ペアーガラスを嵌め込んだ、その先の

暮れなずむ夕景に視線を逸らした。

 強烈な喪失感が足下から這い上がってきた。

 三森は、その思いから逃れるように踵を返した。

 検死官がおもむろに遺体に近づき仔細に観察を始めた。


「浴槽に泡が浮いていたな?」

 三森は客室に戻りながら乾に問うた。

「ホテル備付けのシャワージェルを浴槽に入れると泡風呂になるそうです」

 乾は平坦に云った。

「シャワージェルね……?」

 意味ありげに呟いたが思考が定まらず混沌とし始めた。

 乾が続けた。

「チエックアウトの時間が過ぎても連絡が無くフロントから電話を入れて

も応答がないのでフロアー・コンシエルジェが、マスターキーで部屋に

入ったそうです」

「それで?」

 三森はいつになく急き込んだ。

「ベッドで女性が横たわっていたそうです」

「その場所です」

 乾が視線を落とした。

「女性は意識が混濁していたそうです。フロアー・コンシエルジェが

『大丈夫か!』訊いたが、返事が出来ない状態だったと」

「身元は?」

 三森は前のめりになっていた。

「所持品のバッグの中に車の免許証が有りました。榊慶子・四十一歳・住所

は立川市高松町○○丁目と判明しました」

 乾が、早口でメモを読み上げると



「なに―! 榊慶子!」

 三森は、吃驚の余り唸った。

 顳顬こめかみに浮かんだ青筋が膨れあがった。

 脇で聞いていた五十嵐が

「榊慶子……!」

 ひび割れた声で独りごちた。

「知った方ですか?」

 乾が思わぬ反応に、三森を凝視し訊き返した。

「殺されたメルクスのSV榊博嗣の妻だ!」

 苛立ちを込めた言葉で応えた。

「どうして香坂と一緒の部屋にいたのか?」

 呟いた三森の思考が渦を巻いて彷徨い始めた。

 眉根を寄せた五十嵐が三森の言葉をそのまま復唱していた。

 長い黙考の後

「――で、仏が香坂と知れたのは?」

 三森は訊いた。

「ホテルから通報の時、宿泊名簿では香坂慎一と電話で聞いたのと、被害者

の財布に免許証が」

 そう云うと、ビニール袋から免許証を出して三森に見せた。

「あと、名刺入れから三森さんと五十嵐君の名刺が出てきました。それで

捜査本部に連絡しました」

「事情は大体わかった」


「それで、榊慶子の意識朦朧の原因は?」

「病院からの報告では睡眠薬摂取による意識混濁とのことです。胃の洗浄を

行い命に別状はないとのことです。 明日までは面会謝絶と医者からの指示

です。話が聞けるのは明後日です」

「睡眠薬か……」

 

 三森の視線は、執拗なまでに犯罪の臭いを嗅ぎ廻っていた。

「さっき、ホテルのフロアー・コンシエルジェがマスターキーを使って部屋

に入ったと聞いたが、間違いは無いか?」

「はい、鍵は、扉が閉まると同時に施錠されますので間違いないと」

「すると、鍵の掛かった部屋に睡眠薬で爆睡している榊慶子と浴槽で死んだ

香坂慎一がいた事になるが……?」

 呟きの殆どが、一人言になり視線は虚空を彷徨した。

「密室で香坂と榊慶子が――――? あり得ないことですね?」

 五十嵐が三森に囁いた。

「……」

 三森は、榊慶子が爆睡していたベッドに視線を結び思考を巡らせていた。

 五十嵐の囁きは、三森の鼓膜を通り過ぎただけだった。


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