1話 居酒屋
榊に記憶はなかった。
社長の脇でフルートグラスを傾けスパーリングワインを飲んでいた女が
いたことを。
社長主催のゴルフコンペで初めて優勝した。
優勝者発表と同時に歓声が沸き起こった。
クラッカーの破裂音と共に紙吹雪が舞うと、祝福の拍手喝采を浴びた。
榊の気持ちは、この上なくテンションが上がった。
優勝カップに口づけし、喜びを迸らせている榊に、その女は魅入っていた。
それから数日後
榊は帰宅途中、駅前の居酒屋で一杯やっていた。
当時、榊は中央線荻窪駅北口から商店街を抜けて徒歩十分ほどの所に
ワンルームを借りていた。
居酒屋に寄るのは、毎日のルーテインだ。
一人の女が縄のれんを潜り、入り口近くで立ち止まると、店の中を見渡した。
「いらっしゃい!」店員の威勢のいい声が響いた。
女は、カウンター席の榊を見つけると、満面の笑みを浮かべた。
だが、それは一瞬だった。
女は、榊の隣の席に何も言わず座り、カウンター越しに
「板さん! 日本酒ちょうだい! 熱燗で」注文した。
榊は、その様子を横目でしっかり見ていた。
色白の瓜実顔、眼はクリッとアーモンド型、細長のつましい鼻孔、
ブサイクではない。
唇は妙に輪郭がはっきりして顔の作りの中では主張しすぎている感。
ストレートな黒髪は肩まで伸びボブスタイルだ。
その日の衣装は、ビビッドフラワー柄ミニタイトのワンピースだ。
スリットが微妙に深い。
胸元の谷間が見え露出は激しい。靴は銀ラメのピンヒール、キャバ嬢の定番だ。
キャバ嬢が熱燗か……? 榊は違和感を持った。
注文を終えると、女はサマンサタバサのバックからコンパクトを取り出し
キッチリメイクした顔面をのぞき込んだ。
次は、ケータイを取り出しメールのチエックを始めた。
終わると、
ゆっくりと首を回して店内を眺め、ついでの様に榊に話しかけてきた。
声を掛けられるキッカケが、なんだったのか榊は覚えていない。
その女は、成蹊大学の学生と言い。
藤本梅美二十一歳と名乗った。
数日後
又、その女が同じ居酒屋に入ってきた。
空いている席は沢山ある。梅美は榊の隣に座った。
榊は偶然と思った。
この居酒屋に榊は五年程、通い続けている。常連だ。
今まで、見た事の無い女だ。
榊の隣に当然のように座り、タメ口で話しかけてくる。
最初は話を合わせていたが、次第に疎ましくなった。
そもそも榊の好みじゃない。
化粧が濃く、身につけている物が高級ブランドだ。
自分の意見を曲げない。勝ち気で独りよがりな女だ。
新宿のキャバ嬢風な衣装が好みで、ぱっと見にケバイ!
それぞれの爪は鋭く尖り、薔薇のモチーフが載っている。
しかも一つとして同じ色はない。レインボーネイルってことか……?
ちょい釣り上がった眼に付け睫毛が異様に長い。
瞼が垂れ下がってもおかしくはない。
頭がくらくらするような香水は榊の食欲を確実に減退させる。
この女の住んでいる世界は異次元と榊は思った。
そして、榊に対して、やけに粘着系の振る舞いだ。
行きつけの居酒屋で、そんな事が何回か続いた。
成り行きで一緒に飲んだ。
キャバ嬢風なケバイ衣装と、食欲が減退し頭がクラッとくる
キツイ香水に閉口していた。