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死にきれなかった幼き者

 雪に埋もれた少女を、墓守はシャベルを使ってひとまず引きずり出してみる。

 触れた瞬間に分かった。

 まだ、生きている。

 墓守の目の前に横たわる少女は生者だ。見たところ外傷は少ない。ならばなぜこんなにも弱々しく倒れているのか。冷え切ってやせ細ったその身体を見れば答えは単純。食料不足と体温低下であろう。

 シャベルを器用に使って、少女の身体を引きずり運ぶ。

「重い……」

 いくら幼く、さらに痩せこけた小さな少女とはいえ、人一人を運ぶのはそれなりの力がいる。いつも死体を背負いながら墓掘っているとはいえ、重いものは重いのだ。

 もしくは、それは魂の重さだったか。

 ともかく、こんな寒いところにいればすぐに死んでしまうだけだ。弱っているとなればなおさらである。

 なんとか洞穴まで連れてくると、枯草のベッドの上に少女を横たえた。少なくとも冷たい石の上に寝かせるよりかは幾分かマシであろう。

 しかし、このままでも死は刻一刻と近づいている。

「助けないと」

 何も考えられず、それだけが彼女の頭を支配する。

 早急に必要なのは暖かさ。見たところ命に関わる外傷はないようなので、次点に体力をつけるための食料だ。

 ではどのようにそれらを得るか。今この場で暖かい何かを得るには、どうすればよいか。

 墓守は周りを見渡す。

 周りにあるのは洞穴のごつごつとした壁と外に通じる穴、だけでなく、彼女の背後には、洞穴の奥がまだ続いている。今いるのはいつも寝泊まりしている空間だが、実はその奥にも洞穴が、しかも今いるところよりも広い空間が広がっているのだ。しかし、入口から少し離れてしまうそこは、灯りもないため当然真っ暗だ。ほんの少しくらいは光が届くかもしれないが、ほぼ無意味と言っていい。

 真っ暗で、その中で過ごすには少し不便とはいえ、もちろんそのような空間を何にも使っていないわけがない。では、そこを何に使っているのか。

 墓守は小走りで奥へと行く。

 そこまで離れていないそこへはすぐに辿り着く。明かりもほとんど届かない真っ暗なそこに、墓守は躊躇なく足を踏み入れた。

 そこは、ゴミ捨て場だった。

 何の比喩でもなく、文字通りのゴミ捨て場だ。大穴の底は死体がゴミのように投げ捨てられているが、ここにはそのままの意味でのゴミが捨てられている。

 多少慣れたとはいえ、全く不十分な明かりの中、墓守はその中をまさぐる。

「どこかに、あったはず……!」

 少し焦った様子で呟く。

 色褪せた服、くしゃくしゃになった紙の束、折れた角材の破片、錆びついたパイプ、よくわからない機械の部品、音の出ない小型のラジオ、名前が彫られているものの掠れて読めない銃器、もはや紙切れ同然のほぼまっさらな誰かの写真。

 これらすべてに、墓守は覚えがあった。

 鮮明に思い出せるわけではない。暗闇の中、触れるとその姿が脳裏に浮かぶわけでもない。

 ただ、手に取ると、どことなくそれに覚えがあるのだ。

 それもそのはず、そこにあるものは、全て墓守が“捨てた”ものだ。

 これらすべて、この大穴の底の『ゴミ捨て場』に落ちていたもの。その所在が分かれば、墓守はそれを遺体とともに埋める。しかし、分からなければ、それはどうしようもない。

 見知らぬ誰かの墓と共に弔うわけにもいかない。かといってそのまま『ゴミ捨て場』の底に放置するのも納得がいかないし、何より、スペースを取る。少しの量では大したことはないが、多くなってくると、それは多大な空間を占めることとなる。

 ちょうど、いまのこの洞穴の中のゴミ捨て場のように。

 だから、墓守はそれらの物資を全て、ここに放る。

 持ち主のいない物たちを、何の感慨もなくここに放る。きっと大切にされたものもあったろう。思いを込めたものもあったろう。それらに思いをはせることはなく、墓守はここにそれらを“捨てる”のだ。

 そっと。

 墓守にとって、持ち主のいないそれらは、ただの物でしかないのだから。少なくとも、彼女自身は己にそう言い聞かせる。

 そして今、墓守は一面に散らばったその“ゴミ”のなか、いつも通りの無表情で、けれどどこか必死に、探し回るのだ。

 小さな小さなそれを、微かな記憶を頼りに、いつかに捨てたその“ゴミ”を。

 墓守には時間が大量にあるが、あの少女には時間がない。すぐにでも暖めなければ、体力が落ち、冷えた身体はその灯を消してしまうだろう。

 手探りで暗闇の中何かを手に取る。その形を確かめると、首を振って後ろに置く。何かが手に絡まる。それを丁寧に取り外すと、横に置く。

 それをいくらか繰り返したか。

 彼女は、再び何かを手に取った。手のひらに収まるサイズの。小さなナニカ。形を確かめる。手の中で少し弄ってみる。

 そして、

「あった」

 彼女の記憶は間違っていなかった。

 それは、ライターだった。小さなジッポライター。どこかの誰かに置いて行かれた、どこか寂しそうなライター。

 墓守はそれをしっかりと握りしめる。落としてしまったら、この暗闇の中で見つけることはなかなかに難しい。できなくはないだろうが、時間が惜しい。

 カチッと蓋を開ける。

 ここの捨てられたものを、彼女は当然使えるかどうかなどと確認はしていない。ライターが見つかったとはいえ、それが使えるかどうかは分からないのだ。

 彼女は祈る。何を、誰に祈ればいいのかもわからないが、とにかく祈る。

 “捨てた”ライターは他にも覚えがあるが、見つけるのには時間がかかる。それに、このライターが一番の直近の記憶であり、さらに遠くの記憶から探すとなれば、探索時間も当然増すだろう。

 祈って、祈って、祈って、祈って、聞こえない鼓動が聞こえるくらい緊張して、そして、

 火をつけた。

 シュボッ

 弱々しい、けれどどこか柔らかな火が辺りを照らす。

 なんとなく、部屋中が暖かくなった気がする。この程度の熱源でそんなはずはないが、真っ暗だった先ほどまでのゴミ捨て場は、なぜだかほんのりと優しい雰囲気に包まれた。

 少しだけ、墓守はその光をぼうっと眺めていたが、そんな場合ではないとすぐに首を振り、慌てて火を消した。どれだけオイルが余っているのかわからない。節約するようにしなければ。

「よし」

 小さく気合を入れる声は、そのゴミ捨て場には響かず、けれど墓守の耳にはしっかりと届き、ほんの少しだけ勇気を得る。

 足元から適当な服や角材など、燃えそうかつ、そのままでも暖かそうなものを拾うと、墓守は急いで洞穴の入口へと向かった。

 少しだけ明かりを灯しながら、往きよりも少しだけ安心して小走りで戻る。そこには先程までと同じように枯草の粗末な寝床で倒れ伏している少女が一人。先程までと変わらぬ、いや、先よりも少しばかり顔も白くなって、体調も悪化しているように思える。

 急いで枕元に駆け寄ると、いったん彼女の体を起こし、枯草の代わりに持ってきた衣類を敷き、再度寝かせるとその上にさらに衣類を被せてやった。

 これで、少なくとも先程までよりは暖かくなっているはずだ。

 墓守はそう判断すると、今度は残った衣類や、その他の可燃物を洞穴の奥に山積み始めた。

 何かを掘るのと積むのは得意なところだ。

 その作業はすぐに終え、中に空気が通りやすいよう隙間を開け、その出来栄えに満足したところで、彼女は適当な衣類を手に取り、火をつけた。

 洞穴の中で放っておかれて乾燥した布は、意外とよく燃えた。燃えたそれを山の麓に静かに置く。シャベルを手に取って、その布を山が燃えるように静かに移動させた。

 しばらく麓で燻っていただけだったが、そのうち勢いよく積み上げた布は燃え始めた。そして、そのうち角材も燃え始める。

 気が付くと、炎はパチパチと音をたてながら辺りを暖かく包んでいた。それは当然横になった少女のもとにも届き、彼女の頬を赤く照らす。

「うん……?ちょっと強すぎた?」

 炎は勢いよく上がったものの、若干強すぎた気もして、墓守は首をかしげる。久々に火を扱ったため、若干勝手が違ったのかもしれない。

 何はともあれ、熱源は確保できた。あとはこれが燃え尽きぬよう、番をしておかなければならない。

 ふと下方に目を遣ると、ライターが目についた。着火したあといつの間に捨てたのか、けれどもしっかりと立てて置かれたそのライターは、墓守が無意識ながらも優しく地面に置いたことを示している。

 それを手に取る。

 火に照らされて赤く反射するその表面は、ところどころ錆びつきつつも、鈍く銀色に光っている。カチッとその蓋を開けてみる。その下に覗くのは、オイルを上らせる芯と着火するためのホイール。何ら特別なものでもなく、どこまでも普通の品だ。

 気まぐれに、親指をホイールに置き、着火しようと思いきり押してみた。

 シュボッ。

 そのような音を立てて再び火がついた。けれどもそれは一瞬だけだった。すぐにその火は消える。もう一度、着火してみる。しかし、ホイールが回って火花が散る音が鳴るだけで、先ほどまでのようには着火しない。

 それはまるで、己の役割を果たしたと言わんばかりに、その命を終えたかのようであった。

 持ち主もわからぬ、無名のライター。あるべきところには戻れなかったけれども、その運命を全うしたかのように思えて、墓守はほぅと息をつく。

 何を感じてその息がついて出たのか、それは墓守にもわからなかったけれども。

 そのライターを持ったまま、洞穴の奥に向かう。シャベルも担いで。そこは変わり映えしないゴミ捨て場が広がっている。その奥に墓守は歩いていくと、そっと地面にライターを置いた。

 もう使えやしないジッポライター。再利用しようにも、墓守にはその方法も技術もない。だから、もうただのゴミと同じ。

 それでも墓守は、それを静かに埋めた。そこに墓標代わりの積み石などはなかったけれども、それは確かに墓だった。

 誰かが使った、誰かが想った、そんな物。

 この大穴には来る者は死体だけ。この洞穴にあるのはその死体から抜け出た物だけだ。ならばこれらは死する者たちの、その時まで懐に持っていた物で、それが例え何の変哲もないただのライターであっても、無造作には扱えなかった。

 ただ、それだけだ。

 それ以上の想いはない。

 ただそれだけの、ただのゴミだ。

 墓守は己にそう言い聞かせると、また来た道を戻って、未だ寝込んでいる少女のもとに寄り添った。


     * * *


 少女の体に、全く傷がないわけではないが、どれもかすり傷程度の怪我とも呼べぬものばかりだ。

 そういった意味では、墓守は洞穴の外の雪に感謝した。

 少女はこの大穴に転がり落ちてきたが、それでもこの程度の傷で済んでいるというのは、大穴の底が部分的にではあれど、雪で覆われていたからだ。彼女が落ちてきたのも雪の上。

 ほんの少し違うところに落ちていたら、その結末も変わったであろう。大穴はそこまで深くはないため、たとえ頭から落ちても死ぬに死にきれず、死体に混ざって苦しむことになった可能性は高い。

 だから、墓守は雪に感謝した。

 しかし、今。

 日はいつの間にかてっぺんを通り過ぎて、それどころかいつの間にか西に傾いて沈まんとすらしている。先程まで日差しや少し高くなった気温で雪も融けかかっていたが、今は空に厚い雲がかかり、また雪が降り始めている。

 その雪が、さらに辺りを寒くする。

 いつもならまだ幾分明るい時間帯だが、今日はもう真っ暗だ。

 常時なら墓守は、いつもより若干機嫌よく、墓造りを敢行していたことだろう。雪もそう大したものではない。ふわふわと軽く降っているだけで、墓守の行動に支障をきたすほどではない。むしろいつもとは違う新鮮なその気象に、彼女が少しだけでも胸を躍らすこともあったかもしれない。

 でも今は、彼女一人ではなかった。墓守は、すぐそばに横たわる少女の顔を眺める。未だパチパチと爆ぜながら、炎が彼女の姿を照らしている。時々火が弱まったように思ったら、外で拾ってきた枝やゴミ捨て場の角材を入れてその勢いを取り戻す。

 少女の顔は今朝よりは赤みが戻り、体調も良くなったように思える。けれども、本番はこれからだ。日が沈み、やってきた暗闇の冷たさは先程までよりもはるかに少女の身体を浸蝕するだろう。降雪の中ではなおさらだ。

 蝕むその冷たさはきっと、忍び寄る死が構える大鎌の鋭さだ。

「今夜が、山場かな……」

 墓守は決して医者ではない。ある程度の知識は有しているものの、そこまで詳しい診断ができるわけでもない。だから、これはただの勘だ。少女が何と闘っているのかも、墓守には分からない。

 でも、明日にはすべてが分かるような気がして、墓守は寝ずに火を見守り続けた。

 パチパチと爆ぜる音と、少女の寝息だけが洞穴に響く。

 狭い洞穴の中で、墓守は耳を澄ます。

 常であれば決してしない、生活の音。生の証の呼吸音。外からは『生きて』いる死者や死にぞこないの生者の音もしない。静かな中で、その洞穴の中にそれらの音だけが鳴り響く。

 静かに、ただ静かに。

 次の日の朝を待つ。

 いつもよりも明るい、けれどいつもよりも緊張を孕んだ夜が、更けていく。


     * * *


 少女は夢を見ていた。

 冷たい、冷たい暗闇で、それはとても怖いものだったけれど、どこか安心できるようなところもあって、身体を震わせながらもなんとなくほっとするような、そんな夢。

 少女は、そこが夢であることはわからなかったけれども、その不思議な空間がどうにも現実のものとは思えなくて、試しに頬をつねってみる。

 痛くない。

――そっか、夢か。

 声に出したつもりだったが、それは自分の頭の中でのみ反響する。

――ここ、どこだろ?

 見覚えのある、どころか、真っ暗闇でそもそもどんなところにいるのかもわからない。そんな中、することもなくてとりあえず足を動かしてみる。

 暗い、寒い、だけどなぜか暖かい。

 前も後ろも右も左も何もわからないけれども、踏みしめる床の感触だけは伝わってきて、自分が前と信じる方向へ歩を進める。

 どれだけ歩いたのだろうか。

 景色は依然、暗闇に包まれている。それでも歩いていくと、優しく、暖かくて、けれどどこか冷たくて、それなのにどこまでも安心できるような、そんな光が見えてきた。

 暗闇に差した、一つの光明。

 その正体もわからぬままに、少女はそれに向かって歩き出した。

 今度は目に見えるまま、真っ直ぐに。

 見える光はどんどん大きくなっていって、それはもうすぐ目の前まで来た。少女はそれに手を伸ばしてみる。

――懐かしい。

 そんなことを思う。

 少女がその光に足を踏み入れようとしたとき、

――待って。

 それを制止する声が聞こえた。なんとなく聞き覚えがなくもない。

 自分しかいないと思い込んでいた少女は、その言葉に驚いて足を止める。そして、頭を回して周りの様子を窺うが、目の前の光以外は真っ暗闇で何も見えない。

――誰?

 頭の中で反響するようなその声が届いたかどうかは分からない。だが、返答はあった。

――ここは、違う。

 それだけ。

 なにが違うのか、なぜ違うのかもわからないが、とにかく何かが違うらしい。少女は立ち止まって考えてみる。

 そして、何の気なしに後ろを振り返ってみた。

 そこには、新たに別の光が生まれていた。

 寒く、冷たく、苦しい、けれどところどころ暖かい。そんな赤い光が差していた。

――あっち?

 返答はない。少女はその沈黙を肯定と受け取り、今度はそっち側へと歩いて行ってみることにする。

 景色は依然、暗闇のまま。けれど、足元はだんだんささくれだってきて、小さな何かが突き刺さるような痛みが生じてくる。それに、吐息も白くなってきた。

 そして、目の前までやってきた。

――また、今度ね。

 その言葉に押されるように、光に足を踏み入れる。


 後ろから聞こえたようなその声に、最後に振り返ってみても何もなく、代わりに少女の正面には、顔は隠れて見えないが、少しだけ年上の、ともすれば「姉」とも呼べるような、そのくらいの少女が座っていた。


     * * *


 墓守はうとうとと微睡んでいたが、自らのびくり、と唐突に痙攣する体に驚いて目覚めた。

 とはいえ、何のことはない。座って火の番をしていた墓守がついいつもの癖で寝そうになっていたところで、その無理な姿勢に身体が反応しただけのことだ。その現象に名前もついていたと思うが、何だったか、忘れてしまった。

 視線を上げると、幸い火はまだ煌々と燃え続けており、その光は周囲に暖をもたらしている。

 そして下方に視線を遣ると、依然横たわっている少女が一人。火の熱によって血行はある程度良くなったのか、顔の赤みはほとんど元通りと言ってもいいだろう。この調子であれば、寒さによって命を落とすことはなさそうだ。

 しかし、まだ予断は許さない。そもそもこの『ゴミ捨て場』自体、普通の人間が生きていけるようにはなっていない。そこでまだ幼いその少女が、しかもすでに弱っている状態で生きていくには過酷すぎるであろう。

 洞穴の外に目を遣ると、既に夜は明け、明るい外から光が差し込んできている。昨夜も雪が降っていたこともあり、そこから覗ける大穴の底には白い雪がいくらか積もっている。

「朝は冷えるな」

 洞穴の中は炎の熱が占めてはいるものの、流れてくる外気に時折肌寒いものを感じる。火を絶やさないようにしなければ、今の弱った少女が生きることは難しいだろう。

 薪もそろそろ底をつきかけている。時々洞穴付近の木の枝などを取ってくることはしたものの、流石にそれだけでは賄えなくなってきている。それに、食料も必要だ。優先順位的に暖を取ることが高かっただけで、食料も決して優先順位が低いわけではない。

「さて」

 愛用のシャベルを手に取る。ほかの誰でもない、墓守自身のシャベルだ。

 洞穴を出る直前に、燃え続ける炎と寝続ける少女を一瞥し、しばらくは大丈夫そうだと判断すると、墓守は外へ出た。


 今日も『ゴミ捨て場』は変わらぬ景色が広がっている。

 雪が降ったからだろう、死体の数はそう増えてはおらず、昨日と変わらないくらいの量の物言わぬ骸がいつも通りいくつも転がっている。

 しかし、今日の墓守はそれらには目もくれず、大穴の壁の傍に突っ立った。未だ手に持ったままだったシャベルを背中に背負うと、墓守はそのごつごつとした壁に手をかけた。

 大穴の壁はそれほど高くない上に、ところどころに手をかけられそうな凹凸が多いため、両手を使えれば上ること自体は難しくない。

 ほどなくして、墓守は無事に大穴の外へ登り出た。

 二度と行くことはあるまいと思っていた、『ゴミ捨て場』の外の世界。死と腐敗に塗れたあの狭い世界とは全く違う、広い世界。

 久々に見たその世界は、昔見たその世界と大きく変わってはいなかった。ただ、季節の違いもあるのか、その景色はモノクロであった。

 葉を落とし、その彩を失った木々に、真白な雪にその大部分を覆われて、色と言えば端々から覗ける土の黒というような地面。

 寒い季節のその場所には、骸などありはしなかったが、それ以外何もない分『ゴミ捨て場』よりも死に覆われているように見えた。

 それども墓守は、フードに覆われたその顔を微塵も動かすことはなく、食料確保という己の目的のために足を踏み出した。

 一見何もないこの世界だが、実際に何もないわけではない。土を掘れば埋まった木の実が顔を出すし、そう多く見かけるわけでもないが、時々兎や鳥を見かけることもある。

 流石に動物を捕獲することは難しい。勘のいい動物は、墓守の存在を察知すると近づく間もなく逃げ出してしまう。動物は人間よりもはるかに感覚が鋭い。なので、動物を探す代わりに、墓守は適当なところで土を掘ってみる。目安は特にないが、なんとなくで掘ってみると意外と当たる。昔も同じように掘ることがよくあったので、その経験の賜物かもしれない。

 雪に埋もれた木の実や植物がある程度見つかる。十分な栄養とは言い切れないが、無いよりはマシなはずだ。持ってきた布に包み込むと、それなりに一杯になった。

 空を見ると、太陽が先ほどよりも昇って45度くらいの位置になっている。食料確保にそう時間をかけるわけにもいかない。洞穴の火も永遠についているわけでもない。なるだけ早めに帰らなければ、冷たくなっているのは室温だけでなくあの少女、という事になりかねない。

 面白くもない冗談を頭に浮かべた墓守は、ハハ、と乾いた笑いを上げる。

 命を感じさせない地面を踏みしめる。太陽が昇ってきたとはいえ、まだまだ寒い。おそらく日がてっぺんに昇りきってもそれは変わらないだろう。

 帰路を急ぐ墓守。多少の不安はあるものの、落ち着いて急ぎ足で来た道を辿る。

 寄り道もせずに来ていたはずだが、その道の先で、モノクロの地面に彩を与えているものがあった。

「あれは……」

 何のことはなく、それはよくある光景。ただ、小さな兎が傷ついて、地面を赤く血で染めながら横たわっているだけだった。

 おそらく、フクロウかキツネか、そのような捕食者に襲われたのであろう。もしくは、何かしらの事故でけがを負っただけかもしれない。考えられることは色々あるし、よく見ればその傷の原因もわかるかもしれないけれども、大切なことは、そこに弱った兎が倒れているという事だった。

 弱々しく身じろぎする小動物。ただ死を待つだけのそれは、もしかすると墓守が連れていき、しっかりと看病すればまだ助かるかもしれない。見たところ、後脚を怪我しているだけで、それが直接致命傷たり得るようには思えない。

 それは選択でもあった。

 彼女にとっての、救いの選択。

 しばらく彼女はそれを眺めた。足元でうごめく、それを。

 その時間は決して長いものではなかった。数瞬、それだけ思案すると、墓守はシャベルを振り上げ、

「ごめんね」

 グシャ。

 頭蓋を砕き、脳漿を潰す音が、静寂に包まれたこの場に響いた。

 彼女は、その死骸を担ぐと、再び足を動かし始めた。


     * * *


 洞穴はまだ暖かいままだった。

 その焚火が消えていないのはもちろん、少女の灯も潰えていない。

 依然煌々と照らされたままで、墓守はほっとする。恐らく大丈夫であろうと思ってはいても、その不安はなかなか消えぬものである。

 持ってきた食料を取り出すと、少女の近くに降ろす。まだ目覚めていない彼女にそれを食べさせることは難しいが、目覚めてすぐ栄養を取らせることができるのであれば、その生存確率を上げることにも役立つであろう。

「ふう……」

 ひとまず一仕事終えて、座り込んで一息つく。そこで、墓守は手に持っていた兎の死体を意識した。

 先ほど弱ったところを見つけて、無残に墓守が殺した兎。あのまま放っていても死んでいただろうが、最期にとどめを刺したのは間違いなく墓守だ。

「さて」

 これをどうしようか。墓守は少し悩む。

 当然、死体はすぐに腐る。せっかく手に入れた良質なたんぱく源とはいえ、ただ放置するだけでは無駄になるだけだ。それではこの『ゴミ捨て場』に散乱している多くの『ゴミ』と何ら変わりない。

 洞穴の外を見る。

 ただ、保存という点において、今のこの気温は非常に有利である。多少足りないとは思うが、その辺りの雪にでも埋めれば、ある程度の保存はできるだろう。少なくとも、少女が目覚めるくらいまでは保存できるはずだ。もしそれ以上目覚めることがなければ、その時は、そもそも死んでいる――。

「なんでも、いいか」

 今大切なことはそうではない。可能性を考えて憂いても意味は無い。

 墓守はさっさと立ち上がり、洞穴の外に出た。

 もう降雪は止んでいるものの、未だ気温は低いままで積雪は全然融けていない。洞穴の出入り口のすぐそばに積もったそれを見ると、手に持ったシャベルでそれを掘る。そこに兎の死体を横たえる。そしてその上に雪を被せる。もしかしたらその辺の獣などに発見されて掘り返される可能性も十分にあるが、

「そういえば、ここでほかの動物見たことないな」

 死にかけた動物はたまに落ちてくるが、元気に飛び跳ねる動物はこの大穴の中で見たことがない。人間も、動物も。この大穴にはなにやらそういった不気味なところがある。

 そんなこともふと思ったが、そんなことはさておき、埋め終わった雪の山を眺める。周りの雪もかき集めて、初めよりは少し薄高くなっている。

 その様子にある程度満足すると、墓守は再び洞穴の中へ戻っていった。

 再び火の番と少女の看病に戻る。

 正確には、戻ろうとした。


 「んぁ……?」

 そこには、身体を起こした、その白い肌に血色を取り戻した少女があくびをあげていた。


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