天から落ちた死にゆく者
墓守はふと目覚めた。
特に意味は無い。異音が聞こえたとか、妙な気配を感じたとかではなく、本当にふと目覚めて、目が冴えてしまっただけのことだ。
このまま洞穴の中で睡魔がやってくるのを待つのもいいが、それではあまりに退屈だ。しかもこういう時に限ってなかなか寝付けないのである。
そのように判断すると、墓守は体を起こし、洞穴の外へ出た。
外に出ると、未だ真っ暗な『ゴミ捨て場』が彼女を迎えた。
いつものように上を見上げると、そこには満天の星。いつかに見た煌めく星々。
死体は今もなお落ちてくるが、その頻度としては少ない。このような夜中に動き回るのは効率が悪いからか、それとも単純に多くのものが寝ているだけか。
それらが墓守にとってなんであれ、関係のないことだと彼女は断じる。
真っ暗とは言ったものの、それは月が沈みかけ、少なくとも大穴の底からは見えないゆえの暗闇のため、もうすぐ日が昇ってこの暗闇を照らしてくれることだろう。
それまで、あまり見ることのないこの星々を観賞しようと、墓守は地べたに座り込む。流石に死体の上に座るのはあまり気分のいいものではないため、土の露出した地面に座りこんだ。
地面はしっとりと湿っていて、墓守の服を濡らす。尤も、墓守自身はいつも薄汚れているため、少し濡れるくらいならそこまで気にしない。
夜であることも相まって、気温が低い。死体だらけのこの場所で、白い吐息などは出てこないが、寒いのには変わらない。
いつもと変わらぬ服を少し寄せて、少しでも暖かくなろうと無駄な努力をしてみるものの、その程度では当然全く暖かくならず、体温は低いままだ。
元から低かったけれども。
ある程度気温に慣れてきたら、もう一度空を見上げてみた。
変わらずそこにあり続ける星々。
「綺麗だな」
思わず言葉が漏れる。
いつものように墓造りのために手を動かすこともなく、星を見ることを目的として空を見上げるのは初めてだ。
「いつからあそこにあったんだろ」
墓守が『墓守』として在り続けるようになってからそれなりの時間を経ている。しかし、見上げる目的は落ち行く死体を見ることばかり。夜にまともに空を見ることもなかった彼女は、その存在を知っていてもそれを体感することはなかった。
ゆえに、その存在に疑問を覚える。
「なんで光ってんだろうな」
墓守もそれなりの時を生きてきた。星が光るメカニズムの概要はわかっている。それらが遠く宇宙の彼方にあることも。
疑問に思うのはそういう事ではなく。
「光る理由を教えてほしい」
墓守の言葉は虚空に響く。死体だらけのその場所で、誰かが答えてくれるはずもなく、それはただの独り言で終わってしまった。
――死体に埋もれる。
彼女はきっと、誰よりも星から遠い場所にいる。そう、彼女自身は思う。手を伸ばしても当然届かず、その姿を見る者もいやしない。
ゆえに彼女は『墓守』が相応しかったのだ。
「あ……」
一筋の光が走った。
真っ暗な夜空に、微かな光線が。今、ここでそれを見ているのは彼女だけだ。世界中でもそれを見ている人はあまりいないのではないだろうか。
そんなことを考えてしまう。
いま、ここで、彼女だけが、それを見ているのであれば。
昔々に聞いた、ほとんど忘れかけていたとある逸話を思い出す。
――流れ星が願いを叶えてくれる。
誰が話したのだったか。誰に聞いたのであったか。
覚えてる。覚えてるけど、思い出したくない。
でも、そのかすかな記憶を頼りにして、彼女は思う。
流れ星だって、幾人もの願いを叶えるのは難しかろう。所詮は逸話、意味もない。けれど。
――もし、もしも自分だけがそれを見ているのだとしたら。もしもそれに願いをかけるのだとしたら。
それなら、叶えてくれるのではないだろうか。
自分だけを、見てくれるのではないだろうか。
期待などない、希望など抱かない。その先にあるのはただの絶望だけであろう。
けれど、ほんのわずかな望みを胸に、自分でも知らず知らずのうちに彼女は呟いた。
「誰か、いないのかな……?」
* * *
ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク。
土を掘る音がいつものように大穴の中で木霊する。
見慣れた光景、聞き慣れた音。
目の前に広がる死体も、それが次々と落ちてくる音も、すべてが慣れたものだ。今更不快感なんて抱かないし、ごくごく当たり前のものとして受け入れている。
墓守は変化を望まない。
変化は決していいものを与えない。彼女の人生経験がそれを物語る。
昨夜のことはもう忘れた。
あれは妙な時間に起きた頭が妙な思考に至っただけのことだ。自分の本心ではない。少なくとも、彼女はそう思い込む。思い込もうとする。
ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク、ザク。
今背負うのは、30代くらいの少しだけ年配の女性。外傷は少ないものの、痩せこけ、触れる体は皮膚と骨だけのようなものとなっている。
彼女が何でここに来たのか、墓守には分からない。予想はつくけれども、事実は何もわからない。当たり前だ。墓守は当事者ではないのだから。
掘り終えると、彼女の身体を横たえる。
彼女の体は冷たく、わずかに差し込む日の光を頼りに見るその表情はどこまでも無表情だ。
「まあ、これが普通だよね」
何のことはない、ただの死体。墓守はそれを無感動に見つめる。
動くわけでもない、笑っているわけでもない。
そんな「ただの」死体に、どこか安心感を覚えるものの、なぜか小骨が引っ掛かったような、そんな気持ちにさせられた。
上に行くと、死体を埋める。十分に死体を埋め、手を合わせると石を積み上げる。
カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ。
これで墓標の完成だ。
再び手を合わせる。
なんの想いもない、ただの形式だけ。それでも意味もなく、彼女はそれを続けるのだ。
どれだけ時間が経っただろうか、昼時の休憩も終え、再び墓を掘り出して、いつの間にか空も赤い。
空を見上げると、一面に雲が覆って曇天の様を呈している。雨が降りそうな気配はないが、このような天気では暗くなるのも幾分か早い。
「今日はもう切り上げようか」
いつもよりかは少し早めだけども、暗くなるのに合わせて自らも早めに終えることにする。
何事もなく、ある意味珍しく『生きた』死者も瀕死の生者もやってこなかった。そんな「普通」の今日という一日に、若干の感慨深さを覚える。
あまり意識していなかったが、今日は落ちてくる死体の数も少なかったような気がする。
「気のせいかな?」
その感覚は気のせいだったとしても、気のせいではない確実なことも一つある。
ここに来る死体の数は減っている。
墓守が『墓守』になりたての頃よりも、やってくる死体の数は格段に減っているのだ。
ふと「死体の数」について気になり始めると、墓守もその理由が知りたくなってきた。かといって大穴の外に出るわけでもないが、思考を張り巡らせることはある。
昔よりも減った死体。
それは一日の死ぬ人数が少なくなったという事で、喜ばしいこととも思えるのだが、それはなぜなのか。
医療技術でも上がったか、衛生環境でもよくなったか。だが、それならやってくる死体がもっと大怪我であってもいいはずだ。それこそ即死レベルの。そもそもそんな環境ならこんな場所に死体を捨てる必要すらないのではないのか。
じゃあ、もしくは――。
ブンブンと首を振って墓守は思考を中断した。
結局外に出ない墓守にその真偽を確かめる術はないし、その真実がどうであっても墓守は関与しない。
「帰ろ」
脈絡もなく帰宅を己に言い聞かすことで、今まで続いていた思考、その中断を促す。
そうして、今日も墓守の一日は終わった。
* * *
寒かった。
ただただ、寒かった。
体温は限界まで下がって、それでも周囲の気温はその温かさを奪おうと牙を皮膚に突き立てる。
それは冷気であると同時に、死という名の鋭い刃だ。
心臓の脈動が煩いくらいに身体を叩き、己の生存を限界まで示そうとする。
「はぁ……はぁ……」
まだ暖かい呼気は、周囲の冷たさで凝縮して白い吐息を形作る。それはまだ、己の中身が生きていることを表している。
かじかんだ手は凍傷なりかけで、場合によっては切り落とすことになるであろう。生きていればの話だが。
そんなことよりも大切なのは今である。
未だ日の出はやってこぬものの少しずつ白んできた空を見上げると、黒く厚い雲が天に蓋をしている。
死。
それはあまりに身近で、あまりに日常的で、なのになぜか遠く感じてしまう。
それがすぐそばまで迫っていることはあまりに明白で、今にも追いつかれんばかりではあるものの、なぜだか己が物言わぬ骸となっている姿は想像できなかった。
それなのに、なぜか怖かった。無性に恐かった。
目を瞑ると、別の誰かのその姿が思い浮かぶ。自分の姿は想像できぬのに、不思議なものだ。
寒いし、怖いし、辛い。
だから走った。単に逃げるというだけでなく、その感情に突き動かされて。
木々は枯れて、葉など一枚もつけていないのに、暗い暗い森の中を。
そこまで深いところではない。でも、誰もいない無人な森を。
ここが、きっと死に場所だ。
誰が言うでもなく、自分自身がそれを感じていた。仮にほかの誰がいても、それを一番感じたのは自分だったろう。
それを否定するためにもひた走った。
夜が明けてくる。
いつの間にか脚は止まっていた。それだけでなく、体は倒れていた。
それでも前に進もうとして地を這いずる。
弱々しく、文字通り死に瀕しながら。
朝日は厚い雲に遮られて、その目には鈍い光としてしか映らず、暗くなっていく視界を最後に、己の死を悟った。
だから、最後に感じたその衝撃は、何よりも驚きが強かった。
* * *
その日はいつになく早く起きた。
それは、単に就寝時間が早かったからか、それとも、何かしらの啓示でも受けたのか。
墓守としては、前者の説を推そう。運命などという曖昧なものを盲目的に信じられるほど、彼女は軽い思考をしていない。
物事には理由がある。その理由がどれだけ複雑で絡み合っていて、一つ一つをほどいて観測することが不可能なのだとしても、確かに理由があるのだ。
その連なる一本の合理でつながった道を運命と呼ぶのだとしたら、彼女もまた、運命を信じているのかもしれない。
かといって、何もかもが合理で連なるとも限らないことを墓守は知っている。何事も例外は存在し、理から外れたものを別の理で縛ることはできるかもしれないが、それらの理を重ねることができないこともあるのだ。
だから、墓守は運命を信じない。信じたくないと言ってもいい。
「明るいな……」
外を見ると、いつもよりも少しだけ明るい気がする。普通、早く起きたのだから暗くてもおかしくはないはずなのに。もっとも、早いと言ってもそこまで早いわけでもなく、誤差の範囲と言われればそれまでの程度の早起きだったため、いつもと少しだけ違う雰囲気を感じ取っているだけかもしれない。
墓守は一人そう納得すると立ち上がって、洞穴を出た。
若干いつもよりも寒さを感じながら、その外に待っていたのは――。
「雪、か……」
一面の銀世界とはこのことを言うのだろう。いや、流石にそれは過言であった。そこまで降り積もった様子でもなく、ところどころ雪が積もり、そこが、出てきて間もない日の光を反射して、いつもよりも明るく感じるのだ。
転がった死体のいくつかも雪をかぶり、その無様な姿の一部を覆い隠している。
見ると、積み上げた石は積み上げ方がよかったのか、運がよかっただけか、石の上に雪が多少積もっても崩れることはなく、ちゃんと立ち続けている。
そのうち雪が融けると、バランスが崩れて墓標も崩壊するかもしれない。一様に融けるなら大丈夫だが、当然積みあがった石も凹凸があるし、日の当たり方にも違いがある。融け方にもばらつきが出て当然であろう。ならばその保たれたバランスが崩れる可能性も十分にある。可能性として捨てきれない以上、墓守はそれを排除すべく、ある程度の行動を起こした方が得策かもしれない。
しかし、あまり見たことのない雪という現象だ。このあたりでも全くないわけではないが、よくある訳でもない。
試しに、近くに積もった雪を掬い取ってみる。
「珍しい」
手に取った雪は、よく見ると綺麗な結晶を作っており、ゆっくりであれども、それが崩れていく様はとても興味深い。
「冷たいな」
子供のような単調な感想を口にする。
もしかしたら、昨日死体が少なく感じたのは、これを察知していたからなのかもしれない。雪が降るとどうなるのかは知らないが、何らかの不都合があって死体を落とすのが活発ではなかったのかもしれない。
あくまで、全て墓守の想像である。そこに意味は無い。
持っていた雪をその辺に放り投げ、付着した雪も払い落とす。
ふと、その払い落とす中で、己の服装を見た。
いつも通りの服。フード付きの外套に、裏は適当なシャツ。墓守として問題は全くないものの、これではあまりにこの場に不釣り合いではないか。雪のある所なのだから、それにふさわしい恰好をした方がいいのでは。
少し浮ついた感情でそんなことを考えてしまったが、見る相手が自分以外誰もいないので、その考えはすぐに放棄した。
「さて、そろそろ始めよ」
洞穴に戻って、シャベルを持ってこようとしたその時。
ボフ、とひと際高く降り積もった雪の上に何かが落ちてきた。
今日は珍しく目に見える死体が落ちてこない。本当に今日は死体を埋め、減らすだけの日かと思っていたのだが。
また、死体か。
そう思って、少しだけ不快になる。別に今更死体そのものに不快感など抱かないが、休みと思っていた仕事が増えたらそれは多少不機嫌になるものだ。
本当に、意味は無かった。
ただ、少しだけ、自分の機嫌を損ねた者の顔を拝もうと思っただけだ。
シャベルを持ってきて、雪をかく。
慣れた動作で、あっという間にそこに降り積もった雪は消えていく。そして、少しずつそこにいた者の顔が見えてきた。
それは、その少女は――。
墓守にとって絶対に忘れられない、忘れてはならない、そんな存在がそこにはいた。




